作品投下スレ

32 名前:バス停と人魚 投稿日:2011/10/28(金) 21:24:41 ID:WW9dQPVQ0

 そのとき私は、田舎の国道を歩いていた。

 二車線のさして広くないアスファルトの上を、北からの風が次々吹き抜けていくので、
 私はあけていた上着のボタンを止め、襟をしっかりと合わせた。

 街路樹はすでに裸で、地面に落ちた赤い葉も、折からの風で次々と流されていく。

 私は目指すバス停に向け、足を速めた。
 こんな日にバスを逃して、吹きさらしの中でいつ来るとも知れぬ次を待つなど御免だからだ。


 角を曲がり、目指すバス停の標識を目にした時、私はぎょっとして立ち止まった。

 屋根もない標識だけの停留所。
 その白い鉄製のポールに、両手でつかまって立っている、おかしな人がいたのだ。


34 名前:バス停と人魚 投稿日:2011/10/28(金) 21:25:45 ID:WW9dQPVQ0

 その人物は、既に風が刺さるような肌寒い季節だと言うのに、
 よりにもよって、擦り切れた夏用の麻の浴衣だけの姿で、
 バス停の鉄のポールを、まるで長年連れ添った伴侶の如くしっかと掴んで立っていた。

 キチガイの類かと思い、すぐさまその場を離れたかったが、バスの時間はもう間もない。
 仕方なく、私は黙って彼女の後ろに並んだ。

 彼女の、結われもせず、櫛も満足に入らぬ様子の長い髪が、折からの秋風に揺れていた。
 髪を通ってきた風は、どこか、潮の匂いがするようだった。

 私はそこでやっと、彼女が人魚なのだと気が付いた。

( ^ω^) 寒くないのか、君は?

 と私が問うと、人魚は振り返り、意外やよく響く声で答えた。

ζ(゚ー゚*ζ 海では、もっと冷たい潮が流れます。

( ^ω^) そうか。
      ではどうして、陸に上がってきたのか。

ζ(゚ー゚*ζ 朝日を見ようと海から顔を出した折、愚かな人間に見初められました。
       男は私の鱗が剥がれる程に焦がれて、ついには羽が生えて海鳥になりました。

35 名前:バス停と人魚 投稿日:2011/10/28(金) 21:27:01 ID:WW9dQPVQ0

( ^ω^) それは災難だった。

ζ(゚ー゚*ζ 海鳥の声はどうにも辛いので、
       新しい二本の足を動かして、海鳥の声の聞こえないところまで参ろうと。

( ^ω^) バスに乗るのか?

ζ(゚ー゚*ζ はい。もっと陸の深いところまで。
       そこで、花を摘んでまいります。

( ^ω^) 花?

ζ(゚ー゚*ζ 海の色した花を飲めば、私の鱗は戻ります。

 冷たい秋風の吹くバス停のポールをしっかりと掴んでいる彼女の手は、
 甲まで真っ赤にかじかんでいた。

 陸に上がった哀れな人魚は、人魚の世の夢物語を信じて、
 秋も終わりの山に向かおうとしているのだ。

 もう、花など咲いていないだろう。
 この人魚はもう、人魚には戻れぬだろう。

36 名前:バス停と人魚 投稿日:2011/10/28(金) 21:27:56 ID:WW9dQPVQ0

 彼女は鉄のポールを離そうとはしない。
 離せば、この哀れな姿をした彼女が、泡になって消えるだろうと思われた。
 ひとりきり、初めての陸の上で、縋り付く何かが必要なのだ。

 なんと、哀れな。

 私は知らず、彼女のために私にできることは何かないか、と考えていた。

 バス賃はあるのか。
 そんなに北風にさらしていては、手にひびが切れてしまう。
 夏着物では、山はより一層寒いぞ。

 ああ、だが、しかし。
 しきりに考え、彼女を案じ、その身によかれと思いを巡らせるのだが、
 花などもう咲いていない、とだけは、どうしても私には言えなかった。

( ^ω^) では、好きにしたまえ。

 最後に自分は、殊更に突き放すような声を出した。      
 彼女は寂しそうな素振りも見せずに、凛とこちらを見返した。

ζ(゚ー゚*ζ 有難う存じます。

 その時、バスが来た。

 人魚はやっと、鉄のポールを手放した。
 そして、一歩、一歩と、足元を確かめるように、バスに乗り込んで行った。

37 名前:バス停と人魚 投稿日:2011/10/28(金) 21:29:08 ID:WW9dQPVQ0

 私は山行きのバスに乗らなかった。

 五分もすれば、反対側へと向かう海行きのバスが来る筈で、
 私は、それに乗って海に行く気分だった。

 人魚に焦がれ、海鳥になった男。
 元の鱗を取り戻すため、山へと向かった人魚。 

( 君に、海の色した千の花をあげよう。
  君に、朝日に透けて七色にきらめく美しい千の鱗をあげよう。 )

 人魚の乱れた髪から覗いたうなじを思い出す。
 それは、近いうち、泡にもなれずに死んでいくだろう哀れな人魚の、
 蝋細工のような、きれいな死骸を思わせた。

 じくじくと、背中が熱を持って痛んだ。
 私の背には、海鳥の羽が生え始めていた。
 空を切る、海鳥の歌は、どんなにか切なかろう。

38 名前:バス停と人魚 投稿日:2011/10/28(金) 21:30:12 ID:WW9dQPVQ0
 以上です。有難う御座いました。
 お次の方どうぞ。


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