この樹の下で、のようです
1 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:01:13 ID:T.eD/gaY0
ーこの樹の下でまた会おう

そう彼女と約束したのは一体何時のことだったか。
とりあえず、その日の光景がうまく思い出せないということは、かなり昔のことだというのは確かであろう。

あれはまだ、この樹が植えられた草原が焼け野原だった頃のこと。
僕らの街が空襲を受けてから、何日後のことだったか。
とにかくあの日から何日か経ったある日のこと。
彼女が家族を養うために都会へ行くことになった。
何度も泣き喚き、ここにいてくれと頼んでも彼女は困ったように笑うだけで考えを変えることはなかった。
ならば着いていくと言えれば良かったのだが生憎、僕は空襲で怪我を負っており、それは不可能であった。
だから代わりに、一つの約束をした。
帰ってくると。
この街へ、僕のところへ。
必ず帰ってくると。
そう、約束した。

2 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:02:02 ID:T.eD/gaY0
そして、彼女が都会へ行くその日。
僕は彼女に連れられてこの野原へ来た。
彼女の手には枝のように小さな樹の苗。
なぜそんなものを、と僕が聞くと彼女はこういう約束だったでしょと軽く微笑んだ。
そういえばそうだった、と僕も笑おうとしたが、うまく笑えたかは覚えていない。
昔のことだから仕方ないが、そこから記憶が曖昧なのだ。

はっきりと覚えているのは彼女が樹を植えるために穴を掘り、その時に言った言葉。
この樹の下でまた会おう。
これだけである。

そんな曖昧な記憶で、しかも口約束なのだ。
確かに約束の証である、あの日植えた樹はすっかり大きくなり、野原に影を作るほどになっていた。
だがしかし、それだけである。
あれ以来、彼女のことは何も知らない。
だから、彼女がここへ来るかは分からないし、そもそも生きているのかすら、分からない。

3 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:02:32 ID:T.eD/gaY0
だが、それでも僕はここで待っていた。
他にやることも、出来ることもない。
ただ今日も、これまでのようにこの樹の下で彼女を待つ。

街から外れたこの野原へくる人はほとんどいない。
つまり、何時も僕は一人だった。
しかし、何時彼女が来るか分からない以上、待ち続けるしかない。
今日も、ただ何をするわけでもなく、待ち続ける。

('A`)「......ピーヒョロロロ」

たまに、あまりに暇すぎて鳥の鳴き声の真似をする。
特に楽しいわけではないが、何となくやってしまうのだ。
それほどまでに、暇なのである。
しかし、そうではあるが待つことをやめられない。
僕にとって、あの約束は、彼女は、僕の全てなのである。

4 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:03:09 ID:T.eD/gaY0
彼女、素直クールは美しい女性であった。
小さな街であったが、街一番の美人は誰かと聞かれればほとんどが彼女の名を挙げた程だ。
だがそんな彼女は何を狂ったのか、僕のような男と付き合うことになった。
理由は、先ほどほとんどの人が彼女を美人と言った、という部分に隠されている。
そう、ほとんど、なのである。
一部の人、まあ結論を言えば僕なのだが他の女性を一番に挙げた。
他に気になる女性もいたことから、彼女を一番に挙げなかったのだ。

それを聞いた彼女は、なんと僕の一番になってみせると言い出したのだ。
何を狂ったのか、などと言ったが恐らく元から狂っていたのだろう。
だが、彼女の狂い方は半端ではなかった。
予想の遥か、上であった。

5 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:03:38 ID:T.eD/gaY0
それを味わったのは彼女と同棲し始めた日のこと。
その彼女の恐ろしさをすぐに思い知った。
彼女は、僕の理想の女性を、まるで彼女の本性であるかのように演じきったのである。
僕の行動や言動から、好きな女性像を探り当てたのだろう。
その姿は僕が心を惹かれてた女性そのもの、いや、それ以上であった。
その姿は恐ろしいと同時に、美しかった。
美しいと感じてしまった。
心を奪われる、という言葉を体感してしまったのだ。
そう、このときに心を奪われてしまったのだ。
それこそ、彼女なしでは生きられぬ程に。

そして、僕の心には新たな不安が生まれていた。
もし彼女が、僕の中で一番の女性になったことを知ってしまったら居なくなってしまうのではないか。
そんな恐怖が、僕を支配した。
だから、僕はそれをひたすら隠し続けた。
顔に出さず、あたかもまだ彼女のことなんか好きではないかのように。

6 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:04:10 ID:T.eD/gaY0
だがそれは無駄だった。
彼女は僕なんかの演技で騙せるほど、甘くはなかった。
一体何時からバレていたのだろうか。
彼女のことだ、もしかしたら初めから全て分かってたのかもしれない。
彼女は僕のことを見て、何時も笑っていたから。
クスクスと。
まるで可愛らしいものを、暖かく見守るように。

僕は何故笑う、と聞いた。
すると彼女は一層笑い、答えた。

川 ゚ -゚)「お前があまりの必死な姿が可愛くてな......愛おしい」

ガンと頭を殴られたような衝撃を受けた。
このとき悟ったのだ、全てバレていたと。
このときの僕の慌てようは凄かったであろう。
頭が真っ白になり、ただひたすら彼女に謝り、そしていなくならないでくれと嘆願した。
とても、みっともない姿だったであろう。
だが、彼女はそんな僕を優しく抱きしめ、撫でる。

川* ゚ -゚)「ふふ......私はどこにもいかないよ。お前のような、こんなにも可愛らしい男は他にいないからな」

撫でられながら見た、彼女の顔はまるで聖母のように穏やかで、美しかった。
僕の心は、完全に彼女のものとなったのだった。

7 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:04:32 ID:T.eD/gaY0
だから、今日も彼女を待つ。
もう四季を何度過ぎたのだろうか。
春も夏も秋も冬も、欠かさずここにいた。
だけど彼女はまだ、現れない。
晴れの日も、雨の日も、雪の日も。
彼女は一向に現れない。

ここへ来ないということは、都会で上手くやっている、ということなのだろう。
それは、とても喜ばしいことだ。
もしかしたら僕なんかより、相応しい男に出会ったのかもしれない。
彼女の幸せだ、祝福しなくてはならない。
だが、それでも彼女に早くここへ来てほしいと願ってしまう僕は最低なのであろう。
早く会いたい。
だが、彼女には都会で成功し、幸せになってほしい。
そんな矛盾した感情が心の中を渦巻く。
ただ、なんにせよ僕に出来ることはただ待つことのみ。
それに僕は、何時までも待っていられる。
もう何年も待ったのだ。
これ以上、長くなったところで大差はない。
ここに、来てさえくれれば、約束さえ守ってくれるならば、それでいいのだ。

8 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:04:57 ID:T.eD/gaY0
('A`)「どこにもいかないって行ってたのになぁ」

そんな今更なことを口にしながら、空を見上げる。
遠い、青い空に黒い影が見える。
まさかあの影を恐れることなく見上げることが出来る時代がくるなんて誰が思ったろうか。

あれを眺めていると、空襲で受けた傷の痛みを思い出す。
まるでその傷の痛みが甦ったかのような錯覚すら受ける。
もう痛みなどないはずなのに。
彼女もあれを、都会から眺めているのだろうか。
それとも、もしかしたらあれに乗っているのだろうか。

もし、彼女があれに乗り、少しでも早く僕のもとへ彼女を連れてきてくれるのならば、少しは好きになれるかもしれない。
そんな馬鹿げたことを考え、影を見送る。
気がつけば影は雲へと隠れ、見えなくなっていた。

9 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:05:29 ID:T.eD/gaY0
('A`)「......遠いぁ」

思わずそんな言葉が口から溢れだした。
何に対して言ったのか、僕にも分からない。
ふと、そんな言葉が出てきたのだ。
その言葉の宛先は消えた飛行機か、はたまた別のものか。
いやそれとも、全てか。

('A`)「......ん?」

その時、野原を歩く音が聞こえた。
初めはキツネか狸だろうと思っていたがすぐに違うと気が付いた。
ここで何年も聞いてきたのだ、聞き間違えるはずがない。
この音は、野生動物のものではない。
とすれば残されたものは、人。
まさか、ついにかと嬉々として音のする方を見てみる。

が、その笑顔もすぐに消えてしまった。
そこにいたのは一人の老人。
彼女では、なかった。
その姿を見て僕はまたかと辟易する。

10 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:05:53 ID:T.eD/gaY0
人がここにくるのは初めてではなかった。
前も一回か二回、来たことがある。
初めは人が来るようになったのかと少し喜んだがすぐにその喜びは消えることとなった。
ここに来た奴らは決して、この野原や木々を見に来たわけでなかった。
誰も来ないこの場所に、死にに来ていたのだ。

何とも迷惑な話だ。
死ぬのは勝手だし、邪魔する気はないが残った死体はどうしてくれるのか。
もし、彼女がそれを見てしまったら折角の再開が台無しになってしまう。
いくら動物たちが少しずつ、持っていくとはいえすぐになくなることはない。
僕と彼女の約束の場所が汚されるのだ。

11 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:06:18 ID:T.eD/gaY0
僕は小さく溜め息をつきつつ、老人の方へと視線を戻す。
やはり、と言うべきか老人はここに死にに来ていたようで樹の根元に座り込むと眠るように目を閉じ、そのまま呼吸を止めた。
何とも安らかな死に顔だ。
嬉し涙なのか、頬を少し濡らし、そして微笑みながら死んでいた。
前の時の男もそうだったが、まるで救われたかのような顔をしている。
ここで死んでも、どうにもならないだろうに。
彼女がくるまでに、あと何人の死体でここが汚されるのだろうか。
動物たちに少しずつ運ばれていく死体を眺めつつ、また小さく溜め息をつく。
あれほど早く会いたいと思っていたのにこの時だけは、少なくともこの死体が消えるまでは、彼女が現れないことを祈っていた。

12 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:07:02 ID:T.eD/gaY0
.........
.........
.........

ガタリガタリと電車に揺られる。
この電車に前に乗ったのは一体何時のことだったか。
少なくとも、私の手がこんなにもシワだらけではなかったことは確かだ。
何十年ぶりにもなる、故郷への電車。
死ぬ間際になって、今更私は帰ろうとしているのだ。

何とひどい女なのだろうか。
約束を忘れた日など、一度たりともなかった。
なのに、帰らなかった。
決して、毎日が忙しかったわけではない。
それどころか、帰れるときなど何時でもあったというのに。
それでも帰らなかった。

13 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:07:36 ID:T.eD/gaY0
そんな私がいきなり帰ることにした。
彼が私のことを怒れないことを知っているから。
一人で死ぬのが寂しいから。
だから、帰る。
つまり、彼のため、約束のためではなく、私の為なのだ。
ああ、考えれば考えるほど自分のことが嫌になる。
いっそのこと、この電車が事故を起こし私に天罰を与えてくれないかと思ってしまう。

しかし、電車は私のそんな思いを無視して私を故郷へと連れていく。
あれだけ遠いと思っていた故郷は、私が歳をとるうちに近くなっていたのか、もうすぐそこにまで迫っていた。
窓の外に見える景色は、どこも見覚えがない。
当たり前だ、私がここを出たときはどこも焼け野原が広がっていたから。
なのに、懐かしいと感じてしまうのは空気のせいか。

14 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:07:59 ID:T.eD/gaY0
故郷に近づくにつれて、様々な感情が沸いてくる。
その感情に私はどんな顔をすれば良いのか分からない。
故郷に帰れる喜びはある。
だからといって、喜ぶことなどできない。
私は彼を裏切り続けていたのだ。
それは約束を破ってきたことだけでない。
それは約束を破り続けてきた原因。

私は、都会で体を売っていた。

はっきり言って、それ以外に都会でお金を稼ぐ方法はなかった。
小さな街出身のまともな学もない、さらに女である私に与えられる仕事など、どこにもなかったのだ。
そんな私が持っているものと言えば、顔と体と相手を騙す演技力。
私ほどあの仕事に向いている女もそういないだろう。
現に私はあそこで一番となっていた。
あそこで一番、稼いでいた。
あそこで一番、人気であった。
あそこで一番、多くの男に汚された。

15 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:08:28 ID:T.eD/gaY0
初めのうちは何度も泣いた。
吐き気が止まらず、体の水分が全て出てしまうのではないかというほど吐いた。
演技で誤魔化せるほど、私は強くなかった。
相手は騙せても、私自身を騙すことなど出来なかった。

だが、慣れというのは恐ろしいものだ。
そのうち、何も感じなくなってきていた。
心が麻痺、いや死にかけていたのだろう。
仕事のときはひたすらに心を無にし、演技し、相手を喜ばせた。
お金を稼ぐためだと、沸き上がる感情を全て捨ててきた。

16 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:09:01 ID:T.eD/gaY0
だが、それでも彼への感情、彼への想いだけは殺せなかった。
それは私にとって数少ない支えであったから。
しかしそれは、同時に私を苦しめる。
彼はずっと、私をあの樹の下で待っているだろう。
だが私はそこへ、一体どんな顔をして会いに行けと言うのか。
こんな女になってしまった私を、どうして愛する彼に見せることが出来るのか。

何度も死にたいと思った。
だけど、死ねなかった。
こんなところで死んでは彼との約束を果たせないと思ったから。
変な話である。
私に帰る気など、帰る権利など、彼に会う権利など当にないはずなのに。
まだ心のどこかで彼に会いたいと願っていた。
彼はそんな私に何も言わないと知っているから。
どんな私でも彼は何時までも待っていてくれると知っているから。

17 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:09:27 ID:T.eD/gaY0
そして数えきれないくらいの男に抱かれ、気がつくと体を売りに出せない位に老いていた。
女としての時間を全て、愛する男へではなく、誰かも知らない男たちの性欲処理に費やしてしまったのだ。
ただひたすらに怖かった。
私の人生は一体、何だったのか、と。
こんな人生など望んではいなかったはずなのに、と。
何時から狂ってしまったのか、と。

覚悟はしてきたことだったが、全てが終わり、仕事がなくなって一人の時間が増えると急にその事実が私にのしかかってきた。
そして聞こえてくるのだ。
ああ、なんてひどい女なんだと。
その声は、彼の声であった。
ただの幻聴であることは分かっていた。
だがその幻聴は私を追い込むのには十分すぎた。
全てが終わり、何時でも帰る機会はあったというのに帰る勇気を全て奪い取ってしまった。
そしていつしかその声は彼だけでなく、赤の他人の声も混じるようになっていた。
今思えば幻聴だったのだろうが、それでもあのときは他人が怖くなり、一人っきりの部屋に閉じ籠るように生活をしていた。
帰るどころか外に出て、他人に会うことすら出来なくなっていたのだ。

18 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:09:56 ID:T.eD/gaY0
そんな私も歳を取り、体が衰え死を身近に感じるようになると一人っきりの部屋がとてつもなく、恐ろしく感じるようになった。
このまま一人、誰に知られることもなく死んでしまうのかと考えると体の震えが止まらなくなり、眠る前に何度も起きれることを祈っていた。
そしてそんなときに思い出したのが、彼だった。
藁にもすがる想いだった。
彼はまだ、あそこにいるはず。
彼なら、死ぬときもそばにいれる。
いや、側にいたいのだ。
今更、本当に今更だが、約束を果たしたいのだ。

最後だけでも、この汚れた人生に色を持たせたい。
少しだけでいいから、救われたかったのだ。

19 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:10:40 ID:T.eD/gaY0
川 ゚ -゚)「......ん、ここか」

ガタリ、と列車は大きく揺れ、止まった。
外を見るとどうやら目的地にたどり着いたようだった。
一体何年ぶりの故郷だろうか。
見渡す限り、もうどこにも傷跡は見当たらない。
私の知っている、焼け野原だった故郷はもうなくなっていた。
そこにあるのは私の知らない街。
でも、どこか懐かしさが感じられ、そして帰ってきたのだという感情が沸き上がってくる。

ありがとう。
ごめんなさい。
ただいま。
喜び。
悲しみ。
感謝。
次々に沸いてくる感情に、顔が酷いことになっていただろう。
でも、抑えられない。
今まで殺してきたものが一気に甦ってくる。

20 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:11:11 ID:T.eD/gaY0
なにもかもが変わってしまっているのに。
何十年も前のことなのに。
分かる。
はっきりと、分かる。
私は帰ってきたんだ。

私の街、彼の街、私達の街に。
そして、約束の場所に。

よろよろとした足取りで街を歩く。
少し歩いては昔を思い出し、涙を流す。
私はこんなにも涙もろかったのか。
先ほどからずっと、泣いてばかりだ。
人生のほとんどを感情を隠して生きてきたのだ。
死ぬ間際になってようやく私は、人として生きている。
人に使われる道具なんかではなく。
感情を隠す必要もない。
こんな風に自分の心に従って生きられる。
そんな、当たり前の生き方をようやく思い出した。
ああ、なんておかしなことだろうか。
だけど、それでいい。
私はもう、それで満足なのだ。
人生が最悪だったのは知っている。
もう、変えようがない。
ならばせめて、最後くらい。
私の望む、最高の最後を迎えよう。
私の望む最後。
あの樹の下で。
彼と、共に。

21 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:11:59 ID:T.eD/gaY0
棒のような足を引きずるように、約束の場所を目指す。
目が霞むのは、涙のせいか。
それとももう、終わりが近いのか。
体の震えが止まらない。
寒いわけではないのに、まるで体が冷たくなっていくかのような感覚。
体が、固まっていくかのような感覚。
だが、まだだめだ。
ここでは、ダメなのだ。
衰えた体に鞭をうち、街を進む。
見覚えのない建物、見覚えのない道を進んでいく。
この街も、そして私も、変わってしまった。
もうどこにも、面影はない。
確かにここは私の街であった。
だがもう、私の街ではなくなってしまった。
私の居場所は、ここにはない。
かといって都会にも、私の居場所など存在しない。
私など所詮、使い捨ての道具。
ゴミとなった私に居場所など、あるはずがない。
そう、そうなのだ。
私の居場所は、あそこにしかなかったのだ。
私を求めてくれる、待ってくれる。
存在を許してくれる場所は。
あの、野原にしかないのだ。

22 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:12:36 ID:T.eD/gaY0
遠くに、樹が見える。
霞む視界ではそれが黒い影にしか見えない。
だが、その影に彼の姿が重なる。
ああ、あそこで。
彼は、待ってくれているのか。
街を抜け、野原を進む。
そこには一面、キレイに草が生え、花が咲いていた。
焼け野原だったここが、まるで天国のようである。
いや、もしかしたら天国なのかもしれない。
あくまで私にとって、だが。

最後の力を振り絞り、樹のそばに近づき、そして倒れこむように樹の幹に背中を預け座り込む。
もう、ここから動けない。
私にそんな力は残されていない。
だが、なにも問題はない。
私ももう、ここから動くつもりなどないのだから。

23 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:13:12 ID:T.eD/gaY0
地面を撫で、小さく笑う。
掌に暖かさを感じたから。
それはまるで、人を撫でたときのように。

川 ゚ -゚)(......ドクオ、待っていて、くれたんだね)

川 ゚ -゚)(約束を......果たしに来たぞ......この樹の下へ、お前に会いに)

もう、声はでない。
正確には、出せない。
体にそんな力は残されていなかった。
出来ることは、目を閉じることのみ。
勿論、抗うつもりはない。
そのために、来たのだから。

瞼が、自然と落ちてくる。
視界が段々と狭くなり、この世から遠ざかる。
体が夢を見るときのようにフワフワとした感覚。
まるで、柔らかい毛布に包まれているかのようだ。
私はそのまま身を任せ、沈んでいく。
毛布の中へ、ズブズブと沈んでいく。
そして、光が消えるその瞬間、ふと懐かしい気配を感じた。
もうでないと思っていた涙が流れ出す。
ああ、彼だ。
彼が、そこにいる。
私を、待ってくれていたのだ。
私は小さく微笑むと、そのまま目を、閉じた。

24 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:14:03 ID:T.eD/gaY0
フッと、光が消えた。
もう、光を見ることはないのだろう。
あとはこのまま、沈むのみ。
だが、恐怖はなかった。
むしろ、喜びを感じていた。
幸せだったのだ。
彼が待つ、この樹の下。
私もそこへ、行けるのだから。

ようやく、二人が一緒になれる時間が来た。
それもこれから、永遠に。
この樹の下で。
また、私達は出会うのだろう。
私の体が朽ちた時、この樹の下で眠る彼と一つになる。
私と彼の、最後の約束。
今はただ、その時が待ち遠しい。
だから、この闇など怖くない。
死など、取るに足りないことなのだ。
この時からずっと、この闇の中で一分一秒でも早く、彼が現れることを祈っている。

25 名前: ◆EQgrQatdpY 投稿日:2017/08/19(土) 00:15:01 ID:T.eD/gaY0
この樹の下で、のようです


おしまい


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