STRAIGHT GIRL
- 1 名前: ◆ekcVqW2nXc 投稿日:2017/08/24(木) 20:06:34 ID:q/k.8qN20
人が死ぬ瞬間を、見たことがある。
「きゃあああああああ!」
それは、五月の大型連休が明けて、最初の登校日の出来事だった。
廊下から聞こえてきた悲鳴が、教室を包んでいた喧騒を切り裂いた。
「なに、いまの……?」
「何組!?」
「三組っぽい!」
「なんかヤバそうじゃね!?」
廊下に出ていく男子の足音、ただならぬ気配に怯える女子の声。
まるでひとつの物体のように、悲鳴のした方へと流れていく人の波。
いつもの俺なら、何の興味も湧かずに、ただ傍観しているだけだったと思う。
('A`)「……何があったんだか」
なのに、そのときに限って重い腰を上げる気になったのは、きっと何かの運命だったのかもしれない。
- 2 名前:光源 投稿日:2017/08/24(木) 20:07:35 ID:q/k.8qN20
廊下はすでに、どこから湧いてきたのか分からない野次馬たちでごった返していた。
悲鳴のした方を見てみても、後頭部が遠くまで連なっているだけで、何も見えない。
慣れないことをして損した、と教室に戻ろうとした、そのときだった。
「ぅん……づ」
「いやあああ!」
低い唸り声のような音と、女子の悲鳴が聞こえた。
悲鳴がさっきより近い、と思ったのと、人ごみが一気に押し寄せてきたのは、ほぼ同時だった。
「うわっ、こっちきた!」
「やだやだやだ、なにあれキモい!」
(;'A`)「あっだ、いでっ」
逃げる間もなく人ごみに飲まれ、押しつぶされ、何度も足を踏まれる。
聞こえてくる声からして、悲鳴の元凶がこっちに向かってきているらしい。
(;'A`)「いっ、つつ……」
野次馬の大移動が終わって、いくらか体が自由になる。
顔を上げてみると、集まっていたほとんどの野次馬は俺の後ろまで逃げていったようだった。
そしてようやく、いま何が起こっているのか見えるようになっていた。
- 6 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:00:01 ID:q/k.8qN20
( ;ω;)「ヅン……うぅ……たすけて」
廊下にぽっかりと空いたスペースの中央に、男子がひとり、寝転がっていた。
涙と鼻水で顔を汚して、手足のなくなった体を芋虫のように動かして、必死で助けを呼んでいた。
ξ;゚⊿゚)ξ「ひっ……」
男子の視線の先で女子がひとり、小さく悲鳴をあげた。
彼女が二、三歩こちらに向かって後ずさってくると、それに合わせて人ごみも下がってくる。
悲鳴の主はどうやら彼女らしかった。
( ;ω;)「はやく……ぎえちゃう……ぼく、きえちゃ、う、ぉぉぉ……」
顔を上げて、女子に必死で訴えかける男子。
小太りな風貌も相まって、申し訳ないけど餌をねだる豚のようにしか見えなかった。
ξ;゚⊿゚)ξ「……ぁ」
後ずさろうとして腰が抜けたのか、女子は俺の目の前まで下がってくると座り込んでしまった。
かすかに聞こえた声にならない悲鳴が、いまにも泣き出しそうだったのが分かった。
女子の頭上に浮かぶハートは、愛情の赤に満たされていて、近くで見ても傷ひとつなく。
男子の頭上に浮かぶハートは、嫌悪の黒で満たされていて、遠目に見てもひびだらけだった。
- 7 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:00:31 ID:q/k.8qN20
( ;ω;)「だすけで、ぼく、を、あいじで……」
( ;ω;)「むかしは、あっ、あんなに、なかよがっだのに……ぼくのこと……」
( ;ω;)「す、す、きだった、のに、いってくれ、たのに……」
( ;ω;)「……なん、で……うぅ」
せきを切って泣き始める男子。その下半身はすでに消えていて、制服は床に張りついている。
女子は何も答えない。男子の泣き声だけが廊下に響いて、人ごみの中に溶けていく。
ξ; ⊿ )ξ「……っう」
やがて、女子のようやく絞り出したような小さな声が、大きく息を吸い込む音が聞こえた。
ξ#゚⊿゚)ξ「……っ、うるさい! うるさいうるさい!」
( ;ω;)「……え」
女子の怒鳴り散らす声に、男子が泣くのを止めた。
呆けたような表情を浮かべて、男子は女子を見上げる。
そんなはずはないのに、その視線は俺に向けられているようにも見えた。
- 8 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:01:05 ID:q/k.8qN20
ξ#゚⊿゚)ξ「なんなのよそんな、昔のこと信じて! 馬鹿じゃないの!?」
ξ#゚⊿゚)ξ「ウンザリだったの! あんたみたいなうじうじしててキモいデブに付きまとわれて!」
ξ#゚⊿゚)ξ「遠回しに言ってやっても、ぜんっぜん気付かないしっ、高校まで追いかけてきて!」
ξ#;⊿;)ξ「あんたなんか! ずぅっと! だいっ嫌いだったの!」
( ;ω;)「ぁ……」
その言葉を聞いた男子のハートはぴしり、と音を立てて。
そして、間髪入れずに粉々に砕け散った。
ξ#;⊿;)ξ「わかったら……さっさと消えてよ!」
( ;ω;)「……つ」
絶望に染まったまなざしを女子に、俺に向けながら、男子はまだ何か言おうとしていた。
しかし、言葉を紡ぐ前に唇が消えて、瞳が消えて、そして最後にすべてが消えた。
あとには彼が着ていた制服と、涙と鼻水の跡だけが残されていた。
- 9 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:01:38 ID:q/k.8qN20
ξ;⊿;)ξ「っひ、ぐ……」
やがて、時間が止まったかのような静寂を、泣き出した女子の声が破った。
友人らしき生徒が彼女に駆け寄ってくる。野次馬たちのざわめきがあっという間に広がっていく。
誰が呼んだのか、校長と三組の担任が血相を変えてやってくる。
('A`)「……」
俺だけが喧噪の中でひとり静かに、消えた男子の制服を見つめていた。
彼は話したこともない、名前も知らない、単なる同級生のうちのひとりだった。
悼む気持ちなんて、これっぽちも湧いてこなかった。
「大丈夫? 立てる?」
ξ;⊿;)ξ「うん……」
「……怖かったよね」
ただ、決して彼のためではない涙を流す女子と、その友人たちを見て。
- 10 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:02:50 ID:q/k.8qN20
「俺、消死って初めて見たわ……」
「すげーな! マジで消えたぜ」
「つーか超ウケたよな! づぅぅぅぅん! ってよ」
「お前いまのめっちゃ似てんじゃん!」
まさしく他人事のように、彼の消え様を語る野次馬たちを見て。
「……ちっ」
校長と話終わったあと、小さく舌打ちして乱暴に制服を拾う三組の担任を見て。
('A`)「……まあ、そうだよな」
いつか自分に訪れる未来のことを、少しだけ考えた。
- 11 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:03:14 ID:q/k.8qN20
――6月○日――
('A`)「あー……だる」
俺もじきに、あんな風に制服を残して消えるんだろう。
いよいよ思うように動かなくなってきた手足を投げ出して、ほんのひと月前の出来事に思いを馳せた。
(;'A`)「……暑い」
季節を先取りしたような青空から降り注ぐ日差しは、屋上を容赦なく突き刺す。
熱を蓄えたコンクリートに、上から下まで黒い学ランに、綿を詰まらせたような息苦しさ。
すべてが悪い意味で噛みあって、汗が吹き出して止まらない。
(;'A`)「早く消えてえ……」
視線を少し上げると、まだしぶとく形を保っている、黒一色に染まった俺のハートが見えた。
それにしても、よく今日まで持ったものだ、なんて我ながら思う。
四十九日が終わるまでは、なんて考えていたころが懐かしく感じる。
- 12 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:03:37 ID:q/k.8qN20
いまとなっては、何もかも、どうでもいい。自分の生き死にさえも例外じゃない。
そして、世界中の誰もが、俺の生死なんてどうでもいいと思っている。
ここにこうして寝そべることになっているのが、その証拠だ。
(;'A`)「めっちゃいい天気……」
流れていく雲はひっきりなしに姿形を変えて、細かくちぎれて、いつしか消えていく。
そして空は、その青さを増していく。少なくとも、俺の視界に映る空は青一色に染まっていた。
あまりに爽やかで、いっそ寂しい、悲しいと思えるほどの、凛とした青だった。
(;'A`)「死ぬにはうってつけの日、なのかもな」
そんな、確信じみた想いを呟いてみる。
当たり前だけど返事はなく、声はまるで予行練習のように、青に溶けて消えていった。
(;'A`)「……ん?」
そのはず、だったのだけど。
- 13 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:03:57 ID:q/k.8qN20
まるで相づちを打つように頭上から聞こえた、金属のきしむ音。
音のした方向には屋上への出入り口があったはずだった。何もおかしいことはない。
だけど、いつも以上に回らない頭が、どこか違和感を覚えていた。
(;'A`)「……俺、扉閉めたっけ」
記憶はおぼろげだけど、確か閉めたような気がする。
それなのに、今度は乱暴に扉の閉まる音が聞こえた。
風はそれなりに強い。だけど、一度閉めた扉が開くなんてことはないはずだ。
「おい」
どこかぶしつけな、落ち着いた声が、風を切り裂いて俺の耳に届く。
上履きがコンクリートを叩く、軽やかな足音が近づいてくる。
「おい……もう死んだか?」
気付けば、失礼な声の主は、俺のすぐそばまでやってきていた。
そして、照りつける太陽と俺の顔の間に、風にたなびく紺色のスカートが割って入ってくる。
その奥からは、すらりと伸びた太ももと、真っ白な下着が顔をのぞかせていた。
- 14 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:04:20 ID:q/k.8qN20
(;'A`)「……まだ生きてる」
「見ればわかる」
声の主、改めて下着の主は自分で聞いてきたくせに俺の返事をあっさり流す。
性格はよくないらしいが、惜しげもなく下着を見せてくれる以上、そんなのはどうでもよかった。
「それより、お前死にそうなのか?」
(;'A`)「ああ」
「……そのわりに余裕そうだな?」
(;'A`)「まあ……精神的には」
体は相変わらず動かす気にもなれない。
だけど、息苦しさはいくらか楽になっていて、簡単な会話くらいならできそうだった。
「怖くないのか? 死にそうなんだぞ、お前」
尋ねてくる下着の主の声色は好奇心に満ちていて、俺を心配しているようには聞こえない。
俺のように消えかけている人間相手でなければ、ひどく残酷な言葉を投げかけてくる。
- 15 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:04:43 ID:q/k.8qN20
(;'A`)「全然」
とはいえ、そんな仮定をしてもまるで意味はない。
俺は産まれた瞬間から、こうなるべくしてなった人間だ。
こうして死に際に女子の下着を見れること自体、奇跡みたいなものだ。
「どうして?」
(;'A`)「……どうでもいいんだよ、生きようが死のうが」
「自分のことなのにか?」
女子の声色に若干の苛立ちが混じったのが分かった。
いつかの野次馬たちみたいに、みっともなく死んでいく俺が見たかったのかもしれない。
(;'A`)「みんなそう思ってるんだ。俺もそう思ったっていいだろ」
残念だけど、その願いは叶わない。
その一因を自分が担っていることなんて、女子は知る由もないだろう。
「……そういうもの、なのか?」
(;'A`)「そういうものなんだ、と俺は思ってる。それに……」
- 16 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:05:34 ID:q/k.8qN20
「……それに?」
(;'A`)「死ぬ前に女子高生のパンツも見れたしな。これ以上贅沢言ったらバチが当たる」
「……」
俺がそう言ったきり、下着の主は黙り込んでしまう。
スカートを抑えようとも、どこかへ去っていこうともしないで、ただ立ち尽くしている。
(;'A`)「ぶっ」
静寂をさらうように、ひと際強い初夏の風が屋上を吹き抜けた。
スカートの帳が大きくはためいて、日差しが再び俺を照らす。
小さなごみやら砂ぼこりが頬を叩き、目や口の中にまで入ってきて、俺は思わず顔を逸らした。
('A`)「いって……」
指先で目をこすり、何度かまばたきしてみる。
とりあえず入ったごみは取れたらしかった。
('A`)「……ん?」
- 17 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:05:58 ID:q/k.8qN20
何かがおかしい。
いや、何もおかしくないこと自体がおかしい。
('A`)「……」
体が動く。顔を逸らせる。目をこすれる。
息苦しさはいつの間にか失せていた。
(;'A`)「……なんで」
まさかと思い、頭上のハートに目をやる。
下着の主が俺と同じ三年生であることを示す、青色のあしらわれた真新しい上履きが見える。
その間に浮かんでいる俺のハートの底が、ほんの少しだけ、鮮やかな赤色で満たされていた。
「……っぷ、ははは! あははははは!」
俺が呆けていると、スカートの向こう側から、屋上に響き渡るほど大きな笑い声が聞こえた。
「ははっ、はぁ、ひっ……はははははは!」
おかしくてたまらないのか、笑い声が止まる気配はない。
腹を抱えて笑っているみたいで、視界の下の方で長い黒髪がゆらゆらと踊るのが見えた。
- 18 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:06:39 ID:q/k.8qN20
「お前……面白いやつだな……」
('A`)「そうか?」
「自分が死にそうなときに、下着の話とか……ふふっ」
まだ笑いが収まらないまま、下着の主は話す。
スカートの中を覗かれているのに気にしないやつも面白いのでは、なんて思う。
「お前みたいなやつ初めてだよ。気に入った」
(;'A`)「はあ……」
楽しそうなその言葉を聞いて、ようやく納得がいく。
俺のハートを少しだけ満たした愛情は、下着の主から与えられたのだ。
「せっかくだし、もうちょっと生きてみないか? どっちでもいいんだろ?」
そう聞かれても、気に入られてしまった時点で俺に選択肢はない。
下着の主が愛想を尽かしてしまわない限り、俺はこの世に存在し続ける。
そして、俺には自殺なんて面倒くさいことをするほどの気力すらなかった。
- 19 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:07:08 ID:q/k.8qN20
('A`)「……別にいいけど」
名残惜しくもあるけど、ゆっくりと体を起こす。
汗ばんだ背中を撫でる風は、幾分か涼しげに感じられる。
('A`)「パンツまで見せてくれたんだし……」
それにしても、俺なんかを気にいるなんてどんな物好きだろう。
わざわざ起き上がったのも、その物好きの顔でも見てみようと思ったからだった。
(;'A`)「……な」
振り返って、下着の主を見上げる。
そして、俺は顔くらいはすぐに確認すべきだったと後悔した。
川 ゚ -゚)「現金なやつめ」
真昼の晴れやかな空をバックになびく、夜の海のように黒く長い髪。
悲しくなるほどに綺麗な、今日の空を映したように青い瞳。
そして、雑踏に紛れてしまうことなんてないだろうと思えるほどの整った顔。
俺は、こいつをよく知っていた。
- 20 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:07:33 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「私は来栖直(くるすなお)。お前は?」
(;'A`)「……宇津田、徳男(うつだとくお)」
名乗られなくたって知っている。来栖直。この学校で一番の美少女。
そして、この学校で一番、悪い意味での有名人だ。
川 ゚ -゚)「ふむ、ドクオか。ずいぶんひどい名前つけられたな」
(;'A`)「いや、徳男……」
しぶしぶ名乗った名前は、悪意に満ちた変換をされて来栖に届く。
それをおかしいと思わないで受け入れるあたり、こいつはやっぱり噂通りの人間なのかもしれない。
川 ゚ -゚)「まあ、これからよろしくな、ドクオ」
そう言って差し出された来栖の白い手。
俺はドクオじゃない、と跳ね除けることだってできる。
(;'A`)「……おう」
だけど、そうすることができずに、俺はその手を取って立ち上がった。
理由は自分でも分からなかった。ただ、あの日と似たような感覚を覚えていた。
いつもならやり過ごすはずだったひと悶着をわざわざ見に行った、ひと月前のあの日と。
- 21 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:09:32 ID:q/k.8qN20
- .
川 ゚ -゚)
相対した来栖の頭上に浮かぶハートは、俺のそれとほぼ変わらないくらい、黒く染まっていた。
.
- 22 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:10:25 ID:q/k.8qN20
- .
STRAIGHT GIRL
.
- 23 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:10:49 ID:q/k.8qN20
2XXX年。世界中の人々の頭上に、ハートが突然現れた。
触れることはできないが、それは確かに存在し、あらゆる撮影機器、鏡や水面の反射にも映り込んだ。
ハートの正体をめぐりメディアは連日、様々な推論を取り上げた。
その正体を突き止める大きな手がかりとなる出来事は、ハートが現れたその日に世界各地で起きた。
独裁国家のトップや官僚。おおよそ世界から『嫌われていた』であろう人物が、忽然として消え失せた。
まるで、初めから存在しなかったかのように消えた彼らのハートは、例外なく、黒く染まっていた。
やがて、国の垣根を越えて行われた研究の結果、ひとつの結論が導き出された。
『ハートは周囲からの好感度を表している』。
突拍子もないその発表は、意外にもすんなりと世間に受け入れられた。
結論に至るまでに起きた、数々の消失の事例から、人々の間ではすでにそう予測されていたのだ。
現在も研究が進められているが、ハートが現れた原因についてはいまだに解明されていない。
しかし、その過程でハートに関する様々な法則が判明していった。
- 24 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:11:18 ID:q/k.8qN20
『周囲からの好感度が高いほどハートは赤く染まる』
『逆に好感度が低くなるほどハートの上部から黒く染まっていく』
『ハートが完全に黒く染まるとその人物は完全に消失する』
公式な見解が発表されるたび、世間には大きな混乱が起こった。
大企業のトップが命乞いをしながら消え、ほぼ黒く染まったハートのアイドルは引退を余儀なくされた。
世界のありとあらゆる場所で偽りの愛が暴かれ、争いが起こり、多くの血と涙が流れた。
風向きが変わり始めたのは、ハートが現れてから百年以上が経ってからだった。
ハートの色による差別が社会問題となっていた中、世界の盟主たる国家はそれを法的に認めた。
同じく社会問題だった肌の色による人種差別から矛先を逸らすため、代わりの標的を用意したのだ。
他の国家もそれに追従し、世界は『愛されない人間』という共通の敵を作り出した。
例え論理的に間違っていることだとしても、世界中の誰もが思っていた。
消えるのはそうなっても当然の嫌われ者であるか、消えても誰も困らないような無能だけだ、と。
そうして皮肉な形で世界がひとつになってから少し経って、消死、という言葉が生まれた。
ハートが空になって消えた人間は、一応は死亡扱いとなった。
愛されない人間は死んでいい、という共通認識が人類に芽生えた瞬間だった。
- 25 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:11:47 ID:q/k.8qN20
――7月○日――
川 ゚ -゚)「……相変わらず、歴史の教科書っていうのはクソみたいなことしか書いてないな」
俺の隣で恨み節を交えながら、真新しい教科書を読み上げていた来栖は、そう呟いてページを閉じた。
川 ゚ -゚)「そう思わないか、ドクオ」
教科書を通学鞄に放り込み、来栖は問いかけてくる。
俺を見つめる瞳は、いよいよ鮮やかさを増してきた今日の夏空のように青い。
('A`)「ん……でも事実だろ」
食べている途中だった購買で余っていたパンを飲み込み、素直に答えた。
それを聞くなり来栖は眉をしかめて、露骨に不機嫌そうにしてみせる。
川 ゚ -゚)「なんだ、そっけないな」
('A`)「教科書にそこまでいちゃもんつけられる来栖もどうかと思うぞ」
川#゚ -゚)「あ、また来栖って呼んだな。気軽にクーと呼んでくれていいと言ってるのに」
- 26 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:12:12 ID:q/k.8qN20
(;'A`)「いい加減諦めろよ」
川#゚ぺ)「いやだ」
今度は唇を真一文字に結んで、お前の方が折れろと暗にアピールしてくる来栖。
相変わらず、そんな崩れた表情でも見た目だけは綺麗だ。
そういうところも、こいつが嫌われている一因なのかもしれない。
(;'A`)「はあ……」
死にかけのところに来栖が現れて二週間。
昼休みになるとこうして屋上で一緒に過ごすのが日課になっていた。
出会ったあの日、そうしようと言い出したのもまた、来栖だった。
- 27 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:12:35 ID:q/k.8qN20
来栖直という生徒を知らないやつは、きっとこの学校にはいないだろう。
理由はいくつかある。ひとつは、その容姿の端麗さだ。
夜の海のような深い黒に染まった長い髪。空を閉じ込めたように鮮やかな青い瞳。
そして、来栖直を作るすべては、それらの美しさに何ひとつ見劣りはしない。
芸能人と並んでも遜色ない容姿である来栖のハートが、なぜ俺のそれと大差ないのか。
彼女を悪い意味での有名人に仕立て上げている原因のすべては、その性格にあった。
入学当時、来栖はその容姿から、新入生はもちろん上級生からも注目の的だった。
そのころからすでに孤立していた俺の耳にも、美人な同級生の噂は届くほどだった。
まだ、好意的な噂ばかりが聞こえていたころでもあった。
来栖についての噂が不穏な気配を帯び始めるまで、そう時間はかからなかった。
可愛げがない、言動に遠慮がない、何を考えているか分からない、優しくしてやってるのに冷たい。
主に男子生徒の会話の中で、そんな言葉が徐々に増えていった。
その傾向は女子生徒の間にも見られた。
来栖の容姿への嫉妬心からか、その会話の内容は男子のそれより、よほどえげつないものだった。
まるで勉強ができないことも、運動もからっきしなことも、女子の会話の中から得た情報だった。
- 28 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:13:26 ID:q/k.8qN20
勉強も運動もできない、性格も最悪な、顔がいいだけの女。
ほどなくして、来栖直という人間の評価はこのように固まった。
川 ゚ -゚)「ため息つくとは何事だ。私だってつきたいのに」
そんなやつとここまでお近づきになってしまったのだから、ため息くらい許してほしかった。
あの日、下着よりも先に顔を確認すべきだったという思いは、日に日に膨らんでいる。
(;'A`)「……はあ」
川#゚ -゚)「あ、言ったそばからまた」
生きようが死のうが確かにどうでもよかった。
だけど、厄介ごとに巻き込まれてもいいと思ったことは一度もない。
川 ゚ -゚)「大体な、お前、私が思ってたよりつまらないやつだぞ」
ずい、と俺ににじり寄ってきて来栖は言う。
川 ゚ -゚)「最初はなんて面白いやつなんだ、って思ってたのに」
('A`)「じゃあそれ、来栖の思い違いだったんだろ」
- 29 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:13:57 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「そうだったかもな。ドクオはなんでもかんでも投げやりすぎて、話しがいが全然ない」
('A`)「そりゃどうも」
川#゚ -゚)「いや、褒めてないぞ。いまみたいなのがつまらない、って言ってるんだ」
大きなため息をついてみせて、来栖は天を仰ぐ。
伸ばした足を退屈そうにばたつかせる姿は、まるで小さな子供だ。
川 ゚ -゚)「いったいどんな人生送ってきたら、こんな風になれるんだ?」
それは来栖にとっては何の悪気もない、純粋な疑問だったのかもしれない。
だけど、こういう無神経なところが評判につながっているんだと、改めて思った。
('A`)「……」
なんて返してやろうか、少し迷う。
素直に俺の半生を聞かせてやるのはなんだか癪だ。
そもそも、過去を語ってやろうと思えるほど、来栖と親しいわけでもない。
- 30 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:14:31 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「……」
俺の顔を覗き込む来栖。どうやら俺の過去を聞き出す気しかないらしい。
まばたきのたびに、柔らかそうな動きで前髪が少しずつ崩れ、その瞳を覆っていく。
('A`)「……去年の冬、お袋が死んだ」
考えた末に静かに紡いだ言葉は、まるで他人事のような響きで、俺の喉を震わせた。
川;゚ -゚)「……え?」
目を見開き、ぽかんと開いた来栖の唇から、まぬけな音が漏れた。
('A`)「俺がガキのころに親父がオンナ作って出ていってな。女手ひとつで俺を育ててくれてた」
確かに話すのは癪だけど、聞かせてやる義理もないけど。
ただ、これは俺の中ではすでに整理のついた、もうどうにもできなくなってしまったことで。
それを話すことで、何をやっても綺麗な来栖の顔が崩れたりしたら、少しは面白いかもしれない。
('A`)「過労だった。倒れてから死んじまうまで、ほんとにあっという間だった」
話してみようと思ったのはそんな、とても冷たくて、ささいな理由からだった。
- 31 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:14:58 ID:q/k.8qN20
('A`)「見た目も悪くて、根暗で、何やらせてもどんくさい俺を……誰よりも愛してくれてた人だった」
お袋がいつも浮かべていた、あの柔らかい笑顔は、いまでも覚えている。
どんなに辛くても、悲しくても、笑顔を見るだけで不思議と心が安らいだ。
何ひとつ長所なんてない俺だけど、母親にだけは恵まれていたと胸を張って言える。
('A`)「お袋にだけは心配をかけたくない。せめてお袋よりは長生きしたい。そう思って生きてきた」
こんな風に産んじゃってごめんね。それがお袋の口癖だった。すべてひとりで背負い込む人だった。
バイトして家計を助けると言ったときも、決して首を縦に振らなかった。
勉強に時間を割いて、きちんと高校を卒業してほしい。そう言って聞かなかった。
('A`)「でも……お袋はもういない。俺を心配してくれる人も、俺が死んだら悲しむ人も、もういない」
四十九日も終わり、遺品の整理も終わった。
いまあるのは、そこにお袋がいた、という空白だけだ。
そして、その空白にかつてあったものが、俺にとってのすべてだった。
- 32 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:15:23 ID:q/k.8qN20
('A`)「そう思ったら、何もかも、どうでもよくなっちまった」
川;゚ -゚)「……だから、あの日、屋上で」
('A`)「ああ。お袋が死んだ以上、いつ消えてもおかしくなかったけど、それが偶然あの日だったわけ」
俺が話すのを黙って聞いていた来栖が、初めて口を開く。
その瞳はもう、俺に向けられてはいなかった。
何もない地面を見つめながら発した呟きは、心なしかいつもより沈んで聞こえた。
('A`)「そこに偶然、来栖が来たんだ。いま思うと、あの日はほんと偶然続きだったな」
川;゚ -゚)「そうか……偶然、か」
('A`)「おう」
川; - )「……」
会話を終えても、来栖は何も言わなかった。
泳ぐ視線が、まるで言うべき言葉を探しているようにも思えた。
屋上を吹き抜ける風も、その邪魔をしないようにしているのか、いまだけは止んでいた。
- 33 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:15:58 ID:q/k.8qN20
川;゚ -゚)「……す」
('A`)「す?」
言葉のなりそこないが、わずかに開いた来栖の唇から漏れた。
同時に、まだ所在なさげにぶれながらも、深みを増した青い瞳が俺を捉える。
川;゚ -゚)「……すまない。無神経、だったと思う」
意外なことに、来栖は開口一番、俺に謝ってきた。
遠慮の二文字を知らない来栖のことだ。俺やお袋のことを大馬鹿者と切り捨ててもおかしくない。
そう思いながら話していたのに。いま目の前にいるのが、本当に来栖直なのか疑わしく思えてくる。
(;'A`)「ん、あ、ああ。いいよ別に」
川;゚ -゚)「よくない。そんな動揺して、本当は傷ついてるんだろ……悪かった」
眉尻を下げて、長いまつげを伏せて、それでも来栖は引き下がらない。
叱られるのとかっていて、そのときをじっと待っている子供のようだ。
そんな、初めて見る来栖の姿に、調子を狂わされてしまう。
- 34 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:16:45 ID:q/k.8qN20
(;'A`)「いや、気にしてないって。だから、あんまり気にされると困る」
川;゚ -゚)「そうなのか……じゃあそういうことにしておく」
(;'A`)「そうしてくれ」
会話が終わるなり、来栖は立ち上がって屋上を囲う金網状のフェンスまで歩いていく。
口ではああ言っていても、いまは俺のそばに居づらいのかもしれない。
「……でも、いいな」
俺に背中を向けたまま、来栖は独り言のように呟く。
('A`)「何が?」
「愛されたことがある、っていうのは」
('A`)「そうか?」
俺の問いかけに返事はなかった。
再び訪れた静寂を待っていたと言わんばかりに、風は俺たちの間を吹き抜け始める。
もしもまた、来栖が小さく呟いたとしても、何も聞こえないだろうと思った。
- 35 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:17:18 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「なあドクオ。お前はこの世界のこと、好きか?」
来栖は突然振り返り、いつもの調子で俺に問いかけてきた。
その瞳の青色はもう寂しさも、悲しさも帯びてはいなかった。
背後に広がる空と同じように、ただひたすらに透き通った、完璧な青だった。
(;'A`)「んだよ、急に……」
そんなこと、いままで考えたこともなかった。
急いで考えてみるけど、いまの俺にとっては好き嫌いも何もない。
('A`)「……んー、とりあえず、好きだったことはない、と思う」
だから、いまの俺に答えられるのはこの程度のことだけだった。
もしもお袋が生きているときに同じことを聞かれたら、嫌いだと答えていたと思う。
川 ゚ -゚)「私は嫌いだ。大嫌い」
俺の返事への感想代わりに、来栖は憎々しそうに吐き捨てた。
- 36 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:17:53 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「ハートがどうして現れたのか。その理由がいまだに不明なことくらいは知ってるよな?」
(;'A`)「お前の中でどんだけ馬鹿なんだよ俺は」
川 ゚ -゚)「いろいろな説があるけど、神様の仕業だなんて説も真剣に唱えられている」
来栖は俺の訴えなんてどこ吹く風で、つらつらと話を続ける。
川 ゚ -゚)「本当にそうなんだとしたら、神様は愛されない人間のことを、私のことを、嫌いなんだと思う」
来栖の唇が、舌が、喉が、あまりにスムーズに言葉を紡いでいく。
視線を泳がせて何を言うべきか探っていたさっきまでとは、まるで別人のようだった。
川 ゚ -゚)「だから私も神様が嫌いだ。私のことを嫌いなやつなんて、みんな大嫌いだ」
きっと、いちいち言葉を探してなんかいないんだろう。
来栖がいま話している言葉はすべて、前もって用意されていたもので。
淀みなく話せるくらい、何度も何度も頭の中で思いを巡らせていたものなんだろう。
- 37 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:18:26 ID:q/k.8qN20
川 - )「私のことを嫌いなやつが作った世界なんて……」
言いかけて、来栖は天を仰いだ。
まるで、呪詛を吐くべき相手を探すかのように。
川 - )「こんな、ハートだけですべて決まるような世界なんて……」
だけど、その相手は見つからない。
空に向かって放たれた呪いは、誰にも届かずにまた来栖の元へ落ちていく。
川 - )「嫌いだよ……」
黒い髪をなびかせる風にさらわれた、弱々しい呪いの言葉は、きっと青色だった。
来栖が見上げた空の色のように、空を見つめるその瞳の色のように。
見ただけで悲しく、寂しく、虚しくなるような、青色だった。
- 38 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:18:50 ID:q/k.8qN20
いつになく不安定な、今日の来栖を見て確信できたことがある。
俺の知っていた、噂話に聞いていた来栖直なんて、どこにもいない。
どれだけ叩いてもびくともしない、お高くとまった鉄仮面の女なんて、俺の目の前にはいない。
自分への悪意に敏感で、それに耐えるために他者への悪意で心を固めていて。
その鎧を取り払えば、向けるべきでなかった悪意に気付ける柔らかく、繊細な心がある。
結局、俺が知っていたのは来栖のすべてではなく、限られた一面でしかなかった。
もしかしたら、まだ俺の知らない来栖直がいるのかもしれない。
俺しか知ることのできない、あるいは俺には知ることのできない、そんな一面が。
('A`)「……」
もしも、終わらせたいと思い始めていた、この日々が続いていけば。
俺の知らない来栖直と、また出会えるときが来るんだろうか。
そんな、何と呼べばいいのか分からない小さな想いが、胸の中でじんわりと熱を持つのを感じた。
- 39 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:19:27 ID:q/k.8qN20
――7月×日――
それとなく押し付けられた体育の後片付けを終えて、ようやく昼休みに入れた。
火照った体はなかなか冷めてくれない。雑踏の隙間をすり抜けるのすら、暑苦しく感じる。
購買の余りもののパンを包む答案用紙が、すでに手汗で湿り始めたのが分かった。
(;'A`)「来栖の奴、絶対機嫌悪いよな……」
廊下を抜けて、階段を上がっていく。来栖のことを考えると足取りが重くなる。
どうせ開口一番、待たされたことへの不満をぶちまけてくるに決まっている。
(;'A`)「はあ……」
確信めいた予感に、思わずため息が漏れた。
目の前には、屋上に続く最後の階段。そして、机と椅子で作られたバリケードがそびえ立っている。
この奥に不機嫌な来栖がいると考えると、さながら魔王の待つ城のようにも見えてくる。
('A`)「よっと」
残念ながら、このバリケードにはわずかな抜け道がある。そこを猫のように進んでいく。
背も低く、骨と皮しかない俺ですらやっと通れるくらいだから、抜け道と呼べるかも怪しいかもしれない。
通り抜けられるのは、知っている限りでは俺と来栖だけだ。
- 40 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:19:58 ID:q/k.8qN20
川#゚ -゚)「遅い」
頭がバリケードから出るなり、来栖のいつもより低い声が響く。
顔を上げてみると、来栖は屋上へ出る扉の前で体育座りして、俺を睨みつけていた。
('A`)「悪い」
川#゚ -゚)「遅い」
言っても無駄だろうと思いつつも、謝ってみるけどやはり効果はない。
膝を抱える指先が、しきりに動いて苛立ちを主張してくる。
こうなった来栖は、いつもの何倍も面倒くさい。噂話に聞く姿そのままと言っていい。
川#゚ -゚)「私を待たせるとはいい度胸してるな?」
(;'A`)「度胸がなくても待たせることだってあるだろ」
川#゚ -゚)「ほう? それはつまりどういうことだ?」
- 41 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:20:28 ID:q/k.8qN20
川#゚ -゚)「昼休みに私をひとり寂しく待たせてもしかたない理由があるならぜひともご高説願いたいな」
来栖はおもむろにセーラー服の襟をつまんで立ててみせる。
そして、頬を膨らませて、早口でまくしたててくる。
本人はいたって真剣なのかもしれないけど、あまりに子供っぽくて笑えてしまう。
('A`)「体育の、後片付けさせられてたんだよ……」
川 ゚ -゚)「そんなの放っておけばいいのに。次の時間のクラスがなんとかするだろ」
(;'A`)「お前……結構無茶苦茶なこと言うよな」
川 ゚ -゚)「そんなことないぞ、たまにくらいだ。それより早く扉開けてくれ。ほこりっぽくてたまらん」
意外とあっさり解放されて、内心ほっとする。
もっと長々と愚痴を聞かされる、笑いそうになったことも追及されると思っていた。
俺はそうでもないけど、ここの居心地がよほど気に入らなかったらしい。
('A`)「はいはい……ってか、来栖もしかして開け方知らない?」
川 ゚ -゚)「そうだ。だから頼んでるんだろ?」
- 42 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:21:09 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「初めて会ったときだって、鍵が開いててびっくりしたぞ」
思い返せば、俺より先に来栖が来たことはなかった。
あまりに我が物顔で振舞っているので、俺のいないときにも屋上に来ていると思っていた。
ということは、いまここで来栖にも開け方を教えておけば、俺のストレスの種がひとつ減ることになる。
('A`)「じゃあ番号教えるから、俺の方が遅かったら自分で開けてくれ」
川 ゚ -゚)「わかった」
そう言って来栖はメモをするためか携帯を取り出す。
屋上へ出る扉は、4桁の番号を揃えるダイヤル式のものだった。
南京錠ではないあたり、まさかバリケードを潜り抜ける生徒がいるなんて思っていなかったんだろう。
川 ゚ -゚)「よし、いつでもいいぞ」
携帯を構えて、真剣なまなざしを俺に向ける来栖。
頼むから、また不機嫌にならないでくれ。そう願いながら、番号を教える。
('A`)「0721」
川 ゚ -゚)「は?」
- 43 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:21:35 ID:q/k.8qN20
(;'A`)「いや、だから0721」
川#゚ -゚)「……からかってるだろ」
平静を取り繕って絞り出されたその一声は、殺意がこもっているように聞こえた。
携帯を握りしめる手も震えている。きっと力を込め過ぎているせいだと思う。
炎は青い方が温度が高いというけど、いまの来栖の瞳の青色は、怒りの炎の色に見えた。
(;'A`)「本当に0721なんだよ、ほら」
携帯が飛んでこないか警戒しながら、ダイヤルを回す。
来栖はその様子を背後からいぶかしげに覗き込んでくる。
俺はささやかな抵抗として、わざと番号を見えるようにしながら鍵を開けてみせた。
川;゚ -゚)「……ほんとだ」
信じられない、と目を丸くする来栖。
俺だって、当てずっぽうで番号を入れて開いたときは同じような反応だった。
('A`)「な?」
川;゚ -゚)「この鍵を付けたやつが学校にいるかも、って考えると恐ろしいな……」
- 44 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:22:02 ID:q/k.8qN20
ぼやきながら、来栖は扉を開けて屋上に出ていく。
相変わらず謝罪はなかったけど、機嫌が直ってくれただけで上出来だった。
川 ゚ -゚)「風が強いからこっちにしよう」
追いかけて屋上に出た俺を、来栖が塔屋の影から手招きしていた。
招かれるままに向かってみると、確かに塔屋がうまい具合に風を遮ってくれている。
日陰にもなっていて、どうしていままでここを使わなかったのかと激しく後悔した。
川 ゚ -゚)「国数英社理だからな」
('A`)「おう」
来栖は鞄からいそいそとしわのついた答案用紙を取り出す。
併せて俺も、手汗で湿って張り付いた部分を少しずつはがしていく。
川 ゚ -゚)「せーの、はい、って言ったら見せ合いっこするからな」
('A`)「はいはい」
川 ゚ -゚)「それじゃあ……せーの、はいっ」
- 45 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:23:19 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「……ひどい点数だな」
('A`)「そっちこそ」
それぞれ表に向けられた答案用紙は、俺のも来栖のも例外なく赤点が並んでいた。
この分だと夏休みも補習で来栖と顔を合わせることになりそうだ。
川 ゚ -゚)「3対2で私の負け……か?」
('A`)「この点数で勝ち負けもなにもないと思うけどな」
答案用紙とにらめっこしていた来栖は、ため息とともにがくりと肩を落とす。
川;゚ -゚)「負けは負けだ……でも、なんでドクオは数学で二桁も点数取れてるんだ」
(;'A`)「こっちは当たり前のように一桁のお前に驚いてるわ」
- 46 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:23:43 ID:q/k.8qN20
期末考査の直前、テストの点数で勝負しよう、と突然来栖が言い出した。
噂に聞く限り来栖は補習の常連らしく、勝負以前の問題だと思っていた。
だけど、断れば機嫌を損ねるに決まっているし、仕方なくその提案に乗ることにしたのだった。
川;゚ -゚)「解答欄全部埋めたのに……」
そんなに自信があるのか、と勘繰ったこともあるけど、蓋を開けてみればこの通り。
こんな結果でここまで悔しがれるのが不思議な有様だ。
どうせ俺も赤点なんだから、五十歩百歩だというのに。
('A`)「そんなに悔しがることかよ。勝とうが負けようがどうせ赤点だぞ」
川 ゚ -゚)「悔しいに決まってるだろ。だって負けたんだぞ。赤点取らないように頑張って勉強もしたのに」
(;'A`)「えっ?」
どうも気になって聞いてみると、斜め上の答えが返ってきた。
来栖の性格上、面倒くさいレベルの負けず嫌いなことはまだ想像できる。
だけど、まったく勉強していない俺に、勉強しているのに負けていたのは予想外だった。
川 ゚ -゚)「えっ、とはなんだ。ドクオだって勉強するし、負けたら悔しいだろ」
(;'A`)「……え?」
- 47 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:24:12 ID:q/k.8qN20
川;゚ -゚)「……ドクオ、まさか勉強してないのか?」
('A`)「……おう」
川;゚ -゚)「どうして?」
どう答えたらいいのか分からない。
自分の中できちんとした理由はあるけど、それを言えば来栖は確実に怒るだろう。
かといって、適当な理由をでっちあげても、追及されればいずれ嘘もばれる。
('A`)「……別に、勉強しても赤点だろうし」
だったらいっそ、正直に話してしまおう。
来栖にぐちぐちと言われて昼休みは潰れるだろうけど、チャイムが鳴ればそれも終わる。
川 ゚ -゚)「勉強したことないのか?」
('A`)「お袋が生きてたころは……してた」
川 ゚ -゚)「それなら今回だってすればよかったのに。赤点取らなかったかもしれないのに」
('A`)「俺が赤点取っても来栖が困るわけじゃないだろ」
- 48 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:24:44 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「私は困らないしお袋さんもいないけど、だからって赤点取っていいわけじゃない」
珍しく正論を語る来栖に困惑してしまう。
俺の言っていることが屁理屈だなんて、自分でも分かりきっている。
だけど、正しいことをするのは大変なことでもあって、俺にはそのための体力が残されていない。
川;゚ -゚)「……だいたい、ドクオは自分を下に見すぎなんだ。やろうと思えば、もっとやれる人間なのに」
('A`)「……そう言うけどさ、俺はもう、やろうだなんて思えないんだよ」
俺には来栖が分からない。
どうせ赤点なのにどうして勉強するのか。
消死しかけるような人間が卑下することにどうして怒るのか。
川;゚ -゚)「そんなことない……」
どうして、まるで自分のことのように、俺のことでそんな風に悲しそうにするのか。
- 49 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:25:14 ID:q/k.8qN20
('A`)「俺は頭は悪いけど、自分の身のほどくらいはわきまえてるつもりなんだ」
川;゚ -゚)「……」
('A`)「例え来栖がどう思っていたって、俺は駄目人間だ。俺のハートがそのまま答えなんだよ」
川;゚ -゚)「……そう、か」
来栖の相づちを吹き飛ばすように強い風が吹き、答案用紙が何枚か飛ばされてしまう。
あっという間にフェンスを越えて、回収はもう不可能といってもいい。
もっとも、生きてること時点で恥を晒してるようなものだし、誰かに答案を見られてもどうでもいい。
川 - )「……ドクオは、わきまえられているんだな。そういうことなんだ」
答案用紙の行方を気にしていないのは、来栖も同じだった。
ただ、飛ばされたこと自体に興味がなかっただけだろうけど。
川 ゚ -゚)「……なあドクオ、窓際の席になったことってあるか?」
残った答案用紙に手を伸ばしながら、来栖は唐突にそんなことを聞いてくる。
その指先はせわしなく動いていて、答案用紙で何か作っているようだった。
- 50 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:25:45 ID:q/k.8qN20
('A`)「あるけど」
川 ゚ -゚)「じゃあ、窓の外を見るとき、どんなことを考えてた?」
思い出そうとしてみるけど、いちいち考えながら窓の外を見ていた記憶がない。
大抵は意識ここにあらず、という状態だった気がする。
('A`)「……特に何とも」
川 ゚ -゚)「……私は、空を見てた」
俺の向かいに座っていた来栖は、話しながら隣にやってくる。
その手の中には、しわを差し引いてもかなり不格好な紙飛行機が完成していた。
川 ゚ -゚)「鳥みたいに、どこまでも空を飛んでいく想像をしてた」
言い終わって、来栖は紙飛行機をそっと押し出すように投げた。
すぐにバランスを崩したそれは、俺たちの目と鼻の先で地面に吸い込まれるように落ちていった。
- 51 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:27:11 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「でも、想像してみてもうまく飛べないんだ」
その様子を見届けて、来栖はふたつ目の紙飛行機を作り始める。
だけど、作り始めたそばから綺麗に折れていなくて、いまから結果が見えるようだった。
('A`)「どうして?」
川 ゚ -゚)「だって、私は鳥じゃないから。人間だから。どんなに頑張っても空は飛べない」
('A`)「別に想像なんだし人間が空飛んでもいいだろ」
川 ゚ -゚)「そうなんだけど、それでも、自分が空を飛んでる姿を想像してみても……」
投げられるふたつ目の紙飛行機。後を追うようにひとつ目のそばに落ちる。
川 ゚ -゚)「できるわけがない、って思ってしまうんだ。どんなに飛びたくても、いつもそんな想いが邪魔するんだ」
('A`)「ふーん……」
飛びたいなら飛べばいいのに、なんて言ったら来栖は怒るだろうか。
それすら分からないのは、俺が何かをしたいとも思わなくなってしまったからだろうか。
- 52 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:27:43 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「おかしいだろ?」
('A`)「まあ……おかしいとは思う」
自嘲するような来栖の問いかけに答えながら、自分の答案用紙を折っていく。
ところどころ湿ってはいるけど、来栖のものよりはしわはついていない。
飛ばしてみれば、多少はましな飛び方をするかもしれない。
('A`)「でも……俺みたいに何もする気がないよりはいいんじゃないか」
川 ゚ -゚)「えっ……?」
('A`)「俺は飛びたいとか考えもしないから、絶対に飛べない」
飛べないやつに折られる紙飛行機はどんな気持ちだろうか。
そんなとりとめのないことを考えながら、羽の部分に取りかかる。
('A`)「でも、来栖は飛びたいって思ってる。だから、俺と違っていつか飛べるかもしれない」
- 53 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:28:07 ID:q/k.8qN20
('A`)「勉強といい、来栖の諦めの悪さは……すごいと思う。俺には真似できない」
褒めているのか皮肉なのか、自分でも話している途中で分からなくなっていた。
想像の中の、毒にも薬にもならない話について、何を言っているのかと思う。
ただ、こんなに言葉と想いが溢れてきたのは、本当に久しぶりだった。
川 ゚ -゚)「……そう、かな」
('A`)「俺はそう思う」
歯切れの悪い返事をする来栖を横目に、完成した紙飛行機を眺める。
湿った部分はうまいこと羽を避けている。狙ったわけではないけど、上出来だ。
('A`)「よっと」
風が収まった瞬間を狙って、紙飛行機をそっと投げる。
だけど、来栖の作ったふたつの紙飛行機に吸い込まれるように、緩やかに落ちていく。
- 54 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:28:30 ID:q/k.8qN20
もう地面に落ちる、そう思った瞬間だった。
川 ゚ -゚)「あっ」
吹き付けた風にうまいこと乗って、紙飛行機はふわりと舞い上がる。
そして、墜落した二機の少し先で、まるで本物のように見事に着地してみせた。
('A`)「……おお」
川 ゚ -゚)「すごいじゃないか」
('A`)「たまたまだろ……」
感心したように来栖は言うけど、何もすごいことなんかない。
風が吹かなければ、来栖の紙飛行機と同じように落ちていたに決まっている。
川 ゚ -゚)「それでもすごい。結果だけ見れば私のより飛んだんだから」
('A`)「まあ、そうだけど」
- 55 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:29:02 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「だから、私はすごいと思う。私は、あそこまで飛ばせなかったから」
来栖は体育座りをして、俺の紙飛行機を見つめていた。
頬を膝に預けた格好で、横顔は黒髪に遮られていてよく見えない。
自分は自分だからうまく飛べない、と来栖は言っていた。
作った紙飛行機さえも、うまく飛べないまま落ちていった。
そして、偶然とはいえ、自分のものより遠くに飛んでみせた俺の紙飛行機を、来栖はすごいと言った。
その言葉を、来栖はどんな気持ちで言ったのだろう。
空のように青い瞳の中を、俺の紙飛行機はどんな風に飛んだのだろう。
川 - )
その答えは、夜の海のように黒い髪の向こうに隠されて、見えることはなかった。
- 56 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:29:29 ID:q/k.8qN20
――10月〇日――
夏休みは、補習に追われているうちにあっという間に過ぎ去っていった。
この前始まったような気がした二学期も、気付けばひと月以上が経っていた。
受験がちらつき始めた三年生の教室は、どこかひりついた空気が漂うようになっていた。
川 ゚ -゚)「なあドクオ。お前進路指導って終わったか?」
だけど、受験とは無縁な俺と来栖は、相変わらず昼休みは屋上で駄弁っていた。
こうしていると、ふたりだけが屋上に時間ごと取り残されているようにも思える。
衣替えで来栖のセーラー服が紺の長袖になっていなければ、本気でそう信じていたかもしれない。
('A`)「とっくに終わった。来栖は?」
川 ゚ -゚)「まだ。どんなこと話すんだ?」
('A`)「えーと……成績とか、志望の進路とか」
川 ゚ -゚)「担任も一応はそういう話するのか。私たちみたいなのなんて、普段はほったらかしなくせに」
- 57 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:29:56 ID:q/k.8qN20
担任に何を言われたか、いまいち思い出せない自分がいる。
そもそも、進路指導はやったけど、いつごろだったかも定かではない。
正直、将来のことなんて考えるだけ無駄だから、適当に流していたんだと思う。
('A`)「成績がやばいから、進路より卒業を優先しろって言われた記憶はある」
川 ゚ -゚)「なんだそれ。肝心の進路については結局ほったらかしか」
('A`)「留年出したら担任の評価に影響するんじゃないか? よく知らんけど」
川 ゚ -゚)「じゃあ私も同じこと言われるだろうな」
来栖は話しながら頭上のハートを見上げて、手で払ってみせる。
それを何度繰り返してみても、来栖のハートが消えることはない。
本人の嫌われっぷりをまざまざと見せつけるために、今日も黒く輝いている。
川 ゚ -゚)「頭が悪いだけならまだしも、ハートもこんなだしな」
- 58 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:31:58 ID:q/k.8qN20
他人からどれだけ愛されているかは、いまやありとあらゆる局面で重要視されている。
受験なら偏差値、就活なら学歴のように、一定以上の高さが求められる。
いまやいい学校、いい会社は昔のように勉強ができるだけでは入れなくなっていた。
川 ゚ -゚)「私が勉強ができたとしても、結局ハートではじかれて大した進路はないだろうな」
来栖はまだハートに対して無駄な抵抗を続けていた。
だけどそのうち、疲れたのか手を止めて、そのまま仰向けに寝転がる。
川 ゚ -゚)「……ドクオは将来の夢ってあるか?」
('A`)「なんだよいきなり……」
川 ゚ -゚)「聞きたくなった。いきなりな」
('A`)「そうかよ」
来栖の突拍子もない切り出しにも、もうすっかり慣れてしまった。
機嫌が悪くなければ、質問に対して俺が話すまで待ってくれることも、いまは知っている。
ゆっくりと、俺も来栖も満足できる答えを探して、遠い記憶を漁っていく。
- 59 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:32:26 ID:q/k.8qN20
('A`)「ない、な。昔はあったと思うけど、もう覚えてない」
どれだけ記憶の中を探してみても、見つけたのは空白だけだった。
そこにあったものが消えて、代わりのものも置かれないまま、放置された空白。
内容も覚えていない夢がそこにあった、という事実だけが残っていた。
('A`)「たぶん、どこかでそういうのは諦めたんだと思う」
川 ゚ -゚)「……なんとなく、ドクオはそう言うだろうな、って思ってた」
相手に慣れてしまったのは、どうやらお互い様らしかった。
川 ゚ -゚)「私も、夢らしい夢は……ない」
来栖は小さなため息をひとつついて、ぽつりと呟いた。
俺も、来栖はきっとそうなんだろうと思っていたけど、口には出さなかった。
- 60 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:33:04 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「あのな」
しばらく無言の時間が続いたあと、来栖は俺を呼んだ。
名前は呼ばれなかったけど、確かに俺に向けた呼びかけだと分かった。
川 ゚ -゚)「私、親がいないんだ。小さいころにふたりとも死んじゃって、母方の祖父母に引き取られた」
俺は口を挟まずに、ただ黙って聞いていようと決めた。
いつかのように、何度も頭の中でなぞっていた独り言を吐き出していると、すぐに気付いたからだ。
川 ゚ -゚)「でも、うちの親は駆け落ち同然に結婚したらしくて、孫の私にも愛着なんてなかったみたいでな」
子供のころの来栖を想像しようとしてみるけど、いまの状態で身長が縮んだ状態しか浮かばない。
もしかしたら、いまよりは可愛げのある顔をしていたのかもしれない。
性格も丸くて、ハートはいつでも真っ赤だった、なんてことも考えられる。
川 ゚ -゚)「高校に入った途端に厄介払いされた。仕送りはしてやるからひとりで暮らせ、って」
秋風がそっと俺たちを撫でて、通り抜けていく。
痛いくらいに眩しい太陽や、地面の照り返しが恋しくなるほどに、なぜか冷たく感じた。
- 61 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:34:09 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「肉親に愛された記憶がない。親のことも覚えてない。愛してくれていたのかもわからない」
だから、と言いかけて、来栖は一度口を閉じた。
ずっとどこか遠くを見つめていた視線が、俺に向けられた。
川 ゚ -゚)「だから、ドクオのお袋さんの話を聞いたとき……少しだけ羨ましかった」
('A`)「……そうか」
俺は来栖を見つめ返しながら、相づちだけ打った。
この言葉だけは、きっと用意されていなかったものだと思ったからだった。
川 ゚ -゚)「羨むような話じゃないってわかってるんだけどな。ごめん」
('A`)「気にすんなよ」
川 ゚ -゚)「うん……」
- 62 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:34:40 ID:q/k.8qN20
歯切れの悪い返事を最後に、また会話が途切れた。
来栖が喋らなければ、こんなに屋上は静かなのだと気付かされる。
かといって、俺が喋ったってどうせろくなことにはならないと分かっている。
川 ゚ -゚)「私も夢らしい夢なんてないんだ」
良くも悪くも何も変わらないまま続いた静寂が破られる。
来栖は起き上がると俺を見て、再びそう切り出した。もう独り言ではなかった。
川 ゚ -゚)「でも……無理だってわかってるけど、大学にいってみたい」
('A`)「そうなのか」
川 ゚ -゚)「普通の人みたいに講義受けたり、サークルに入ったりするのはちょっと憧れる……どう思う?」
('A`)「……いいんじゃないか。俺にはそんなこと考えられないし、すごいと思う」
川 ゚ -゚)「……そう、かな」
- 63 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:35:01 ID:q/k.8qN20
来栖はどこか懐疑的だったけど、俺にとっては嘘偽りない本音だった。
こんな言葉がすんなりと出てきたことに、俺自身驚いているくらいだ。
川 ゚ -゚)「すごくなんかない。最近、自分は駄目なやつなんだ、って……改めて思い知らされてる」
('A`)「なんで?」
川 ゚ -゚)「私が嫌いだったやつらは、人並みの苦労をすれば普通に生きていけるやつばかりだった」
来栖はふい、と俺から視線を外した。
そして、遠くでちぎれていく雲を眺めながら話を続ける。
川 - )「内心見下してたやつは、実は私よりもよっぽど強いやつだった」
そのひと言だけが、どこか不思議な響きだった。
独り言のような、語りかけているような。嬉しいことのような、悲しいことのような。
言葉にしているのに、白日の下に晒されていないような曖昧さを帯びていた。
川 - )「自分が神様の作ったピラミッドの最底辺にいる、って現実を突きつけられてばかりだ」
- 64 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:35:44 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「いまな、教室で窓際の席なんだ」
考えたことを片っ端から話しているかのように、話題が変わっていく。
伝えたいことはたくさんあって、それを伝えることは大の苦手。来栖はそういう奴だった。
だけど、今日はいつにも増して様子がおかしい。
川 ゚ -゚)「相変わらず、空は飛べないよ。飛びたいっていう想いは、日に日に強くなっていくのに……」
('A`)「……そのうちなんとか、なるんじゃないか」
川 ゚ -゚)「そのうち、っていつなんだろう。ドクオはいつだと思う?」
(;'A`)「それは……」
たまらなくなって言ってみた慰めの言葉も、何の意味も持てずに流されていく。
答えられずにいる俺を、来栖はじっと見つめたままでいる。
その前髪を揺らす秋風にうまく乗れないのは、俺も来栖も同じだ。
川 ゚ -゚)「……からかっただけだから、気にしないでくれ」
だったら、俺に何か気の利いたことなんて、言えるわけがない。
- 65 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:36:14 ID:q/k.8qN20
川 - )「飛べないならいっそ、地面に落ちて赤い染みにでもなる方が、私らしいのかもな」
言い終わって、来栖は目を伏せた。
深さを増したように見えた瞳の青が、俺の胸に突き刺さって、同じ色に染めていく。
赤い血だまりの中に来栖が浮かんでいる映像を、脳裏にちらつかせる。
(;'A`)「……なんか、お前がそういうこと言うやつだとは思わなかった」
川 - )「……私も、少し前までは思ってなかった」
(;'A`)「来栖はもっと遠慮を知らなくて、諦めが悪い方が、なんていうか……お前らしいよ」
川 - )「……うん」
(;'A`)「しおらしい来栖は……気持ち、悪い、というか……俺は好きじゃ、ない」
川 ゚ -゚)「うん……?」
- 66 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:36:35 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「ドクオ……?」
ただでさえ大きな目を見開いて、来栖はぽかんとしている。
崩そうとしても崩れないような整った顔立ちが、まるで漫画のように歪んでいた。
川*゚ -゚)「……ぷっ、ふふ、ふふふふ」
やがて来栖は、その頬が膨らんだかと思うと、間髪入れずに笑い出した。
握りしめた答案用紙のようにくしゃくしゃの笑顔を浮かべて、小刻みに肩を震わせて。
風で髪が乱れても気にする様子もなく、顔が赤くなるほど笑い続けた。
(;'A`)「な、何がおかしいんだよ」
川*゚ -゚)「ふふっ、ドクオ。さっき言われたこと、そのまま返してやる」
こぼれてきた涙を拭った指先を俺の眼前に突きつけて、来栖は言った。
川*゚ -゚)「お前がそういうこと言うやつだとは……思わなかった!」
- 67 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:37:20 ID:q/k.8qN20
(;'A`)「それならお互い様だろ……」
川*゚ -゚)「そうかそうか。ドクオはしおらしい私は好きじゃないか」
('A`)「話聞けし……」
乱れた髪を直しながら、誇らしげに来栖は笑みを浮かべる。
もう俺のささやかな反論なんて聞いてすらいない。
ため息と苛立ちが胸の奥から少しずつ込み上げてくるのが分かった。
川*゚ -゚)「ところでドクオ。一応聞きたいんだけどな?」
('A`)「んだよ……」
吐息がかかるほど来栖の顔が寄ってきて、思わずのけぞってしまう。
誰かにここまで近くに寄られることなんてなかったし、そもそも近寄られること自体好きじゃなかった。
川*゚ -゚)「らしくない私が好きじゃないってことは、要するにいつもの私は好きなんだな?」
それもあるけど、妙に気恥ずかしくなってしまったから、というのもあった。
まつ毛に付いた涙が綺羅綺羅と輝いているのに気付いてしまったこととか。
海のような瞳の青色につい見入ってしまったことが、まるでいけないことのように思えてしまったとか。
- 68 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:38:20 ID:q/k.8qN20
(;'A`)「あー……」
俺が返答に困っている間も、来栖は離れる気配がない。
言うべき言葉を探す。来栖の機嫌のためじゃなく、俺が納得するための言葉を。
(;'A`)「……その」
川*゚ -゚)「なんだ?」
視線を来栖の足元に落とした。焦点が外れて、来栖の顔がぼやける。
それだけで頭から血の気がすっ、と引いていった気がした。
そうして、ようやく俺は言うべき言葉を見つけることができた。
(;'A`)「……嫌い、ではない」
俺は断じて来栖のことは好きじゃなかった。
こんな面倒くさい女のことを、好きになれるわけがなかった。
川 ゚ -゚)「……そうか」
だけど、俺は確かに来栖と過ごす時間を楽しんでいた。
来栖のハートをほんのわずかに、でも確実に、赤く染めているのは俺自身に違いなかった。
- 69 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:41:07 ID:q/k.8qN20
- .
川 ゚ -゚)「わかった」
だから、来栖の上履きが「また」新しくなっていることに気付いたとき。
川 ゚ -゚)「もう大丈夫だ。いろいろすまなかったな、ドクオ」
お袋が倒れているのを見つけたときのように、確信めいた悪寒に心臓を締め付けられた。
.
- 70 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:41:33 ID:q/k.8qN20
――10月×日――
さっきまで淡い橙色に染まっていた空は、いつの間にか薄暗くなり始めていた。
廊下を歩きながら吐き出した息の白さが、冬の気配を感じさせる。
今日は11月の終わり並みの寒さだと、ニュースキャスターが言っていたことを思い出した。
(;'A`)「さっみ……」
小さく呟いた声も、人気のなくなった校内ではやけに大きく響いて聞こえる。
居場所はなくても暖房は効いている自宅が、いまは恋しかった。
「やっばー! ちょー手冷たいんだけど!」
「やだ、ちょ、触んないでよー!」
トイレの前に差し掛かろうかというところで、中から女子のグループが出てきた。
不良とまでは言わないけど、真面目には見えない見た目をしたやつらの集まりだった。
静けさと相まって、騒ぎ声はかなり耳障りだ。それとなく距離を取って、そのまま通り過ぎようとする。
- 71 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:42:05 ID:q/k.8qN20
「てか寒くね? あいつ凍死するんじゃない?」
「いいっしょ、別に。あんな顔しか取り柄のないやつ」
「だよねー! あっはははは!」
聞こえてきた会話に、足を止める。
誰かの悪口であることは明白だった。問題は、それが誰に向けてのものなのか。
そして、その誰かが何をされたのかだった。
('A`)「……」
女子トイレの前で立ち止まる。
かすかに、だけど確かに、中から扉の開く音がした。
水気を含んだ足音が、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
('A`)「……来栖?」
恐る恐る発した俺の声に合わせて、足音が止まった。
- 72 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:42:32 ID:q/k.8qN20
(;'A`)「……来栖」
川 - )「……」
ゆっくりと現れた来栖は全身ずぶ濡れで、その体は寒さのせいか小刻みに震えていた。
いつもは俺をまっすぐに見つめてくる瞳も伏せて、何も言わずに立ち尽くしている。
さっきトイレから出てきた女子たちにやられたのだと、一目見て察した。
(#'A`)「あいつら……!」
ハンカチすら持っていないので、仕方なく制服の袖で濡れた髪を拭いてみる。
だけど、あっという間に袖も濡れてしまって、焼け石に水だった。
川 - )「大丈夫……」
来栖は俺の腕をそっとどけると、大事そうに抱えていた鞄からタオルを取り出す。
それが何のために入れていたものなのか、嫌な想像が膨らんでいく。
(;'A`)「寒いだろ……何かあったまる飲み物買ってくるから」
川 - )「いい……」
- 73 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:43:21 ID:q/k.8qN20
川 - )「ドクオ、悪いけどほっといてほしい」
(;'A`)「んなこと言われたって……」
川 - )「頼むから、妙な気とか起こさないでくれ」
そう諭す来栖の様子は、俺がらしくないと言った姿そのままだった。
いつもなら、こんなことをされて黙っている来栖じゃない。
何が何でもやり返してやるとか、そんなことを言い出すはずなのに。
川 - )「ほっとけばそのうち飽きて終わる。反応してやるから面白がって続けるんだ」
(;'A`)「そのうち、っていつだよ。終わるまでに何回こんな目に合うんだ」
川 - )「……とにかく、いいから」
無理矢理に会話を終わらせて、来栖は急ぎ足で俺の横をすり抜けていく。
濡れた足音が遠ざかっていく。廊下には水の滴った跡が残っている。
外に出れば寒さで凍えるのは想像に難くない。
- 74 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:43:52 ID:q/k.8qN20
放っておいたとしてあと何回、今日みたいなことが起こるのだろう。
俺はあと何回、それを見過ごせばいいのだろう。
(;'A`)「……バカか、あいつ」
もしかしなくても、来栖はとんでもない馬鹿だ。
自分の言うことなら、俺は大抵聞き入れてくれると思っているのかもしれない。
そんなことは断じてない。俺にだって、絶対に譲れないことはある。
(;'A`)「放っておけるわけないだろ……」
言ってやれなかった言葉を、いまさら来栖の消えていった曲がり角に投げかける。
もう夕日は沈んでいて、吐息の白さが一層際立って見えた。
せめて、来栖が風邪をひかないことを祈らずにはいられなかった。
- 75 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:44:17 ID:q/k.8qN20
家に帰ってから、すぐに携帯で開いたのは、うちの学校の裏サイトだった。
クラスメイトがアクセスの仕方について話していたのを、少し前に盗み聞きしていた。
('A`)「相変わらずひでえな」
久しぶりに見てみたけど、並んでいるスレッドのタイトルはほとんどが後ろめたいものばかりだ。
特定の気に入らない生徒、教師、部活への悪口を言うためのスレッド。
人間関係や受験といった特定の話題を語るためのスレッドまで様々だ。
('A`)「あ、俺のスレまだあったのか」
こんな身の上だからか、俺についてのスレッドも当然のように作られている。
内容はキモいだの早く消えてほしいだの、好き勝手書かれていた記憶がある。
嫌われているのは承知の上だったから、何を言われたところで特に思うこともなかった。
('A`)「……」
それらの中でも一番上にあって、書き込み数もパート数も目立って多いスレッドがあった。
スレッドのタイトルは来栖直専用スレ。どうやら現在進行形で書き込みされているらしかった。
- 76 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:44:42 ID:q/k.8qN20
開いてみると、画面に来栖への誹謗中傷がずらりと並んでいる。
当たり前だけど擁護する意見なんてものはひとつもない。
スクロールして少し前の書き込みから読んでいく。
('A`)「……やっぱりな」
その中には上履きを隠したことや、席を離れたときに持ち物にいたずらしたことが書かれていた。
だから来栖の上履きはたびたび新しくなっていたし、鞄もいつも持ち歩いていた。
最近は昼休みになると逃げるように教室から出ていくからいたずらできない、とも書かれていた。
今日の分の書き込みには、個室に閉じ込めて水をかけてやった、とあった。
画面の向こうに、悪びれる様子もなくはしゃいでいた女子グループの姿が見える。
あの中の誰が書いたのかは知らないけど、そんなことはどうでもよかった。
その書き込みに対する反応は、どれも肯定的なものばかりだった。
風邪をひけばいいだの、いっそこじらせて死ねばいいだの、そんな話題で盛り上がっている。
('A`)「……」
きっとずぶ濡れになった来栖の姿を見たら、こいつらは指をさして笑うんだろう。
そんなことを大っぴらにはできないから、ここでやっているだけだ。
- 77 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:45:07 ID:q/k.8qN20
(#'A`)「……ふざけんな」
心臓が強く脈打って、顔が火照っていくのを感じた。
書き込んでいるやつらが誰かは分からないけど、とにかく全員が気に食わなかった。
確かに来栖の評判はよくない。嫌われる理由なんて山ほど心当たりがある。
だけど、ここまで陰湿ないじめをしていいはずがない。
来栖のことを何も知らないくせに、分かった風に来栖を語って、決めつけている。
('A`)「ふー……」
行き場のない苛立ちを吐き出すように、深く息を吐き出す。
それだけで少し落ち着けた気がして、深呼吸というのは案外侮れないものだと思った。
('A`)「まだ書き込まれてる……」
一通り読み終わって更新してみると、かなりの数の書き込みが新着で表示される。
この時間はいまの俺みたいに、自宅からアクセスして張り付いている生徒が多いのかもしれない。
- 78 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:45:38 ID:q/k.8qN20
新着の書き込みは、そのほとんどが返信で占められていた。
その片方は来栖に水をかけた女子のうちの誰かだった。
匿名での書き込みだけど、内容からしてお互いに相手が誰か分かっているらしかった。
(;'A`)「冗談だよな……?」
その書き込みの内容に、思わず息を呑む。
水をかけた程度では受験の憂さ晴らしにならないらしい女子に対して、さらなるいじめが提案されていた。
その女子の知り合いの男子らしい会話相手は、来栖に乱暴してその様子を撮影しようと言い出した。
いじめの域を超えた、紛れもない犯罪なのは明白だった。
なのに、それすら誰も止める気配がない。むしろ実行するように煽る始末だ。
話はエスカレートしていって、具体的な日付や方法、ばれない場所まで相談され始めている。
単なる冗談なのかもしれない。煽っているやつらもそのつもりなのかもしれない。
だけど、画面の向こうにいるのは人間だ。冗談でなければ、ただ事で済むはずがない。
現に来栖は書き込まれているようないじめを受けていた。今回だけ例外である保証はどこにもない。
俺には書き込みの内容が冗談だとは、到底思えなかった。
ここにはむき出しになった人間の悪意が満ちている。
液晶一枚隔てただけで、誰もが現実感を失って、すべてが他人事にすり替わっている。
- 80 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:46:45 ID:q/k.8qN20
そうこうしているうちに、計画の話し合いがついてしまう。
そのあとには楽しみにしている、動画をアップロードしろと煽る書き込みが続いている。
(;'A`)「……どうする」
時間は明日の放課後。場所は校舎裏の体育倉庫。
どうやら今日の女子のグループに加えて、男子も複数人集まるらしい。
来栖が帰る前に同じクラスのやつが捕まえて校舎裏まで連れていく、とのだった。
もしも冗談ではないなら、止めるしかないと分かっている。
問題はその方法だ。何も起こらないうちに騒げば、指導を受けるのは俺の方だ。
事前に来栖に伝える手もあるが、俺は携帯の番号もアドレスも知らない。
(;'A`)「昼休み……いや、同じクラスのやつがいるなら見張られてるに決まってる」
となれば、できることは直前になって止めに入ることくらいだ。
それを可能にする手段を足りない頭で模索する。
自分の頭が悪いことを心底恨んだのは、いつ以来だろう。
- 81 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:47:57 ID:q/k.8qN20
力には頼れない。多勢に無勢だし、そもそも俺の腕っぷしなんて大したことがない。
それに、その場限りでいじめをやめさせても意味がない。
根本的な解決ができる方法でなければ、来栖を本当の意味で助けることはできない。
何も思いつかないまま、時間だけが過ぎていく。
嫌な想像ばかりが脳裏にちらついて、思考を妨げる。
('A`)「……そうだ。これだ!」
振り払おうとしたどんどん具体的になっていく想像に、気付かされることがあった。
力に頼らず、いじめへの抑止力になる解決手段。目には目を、歯には歯を。
撮影には、撮影を。
こちらもいじめの現場を撮影してやって、脅しの材料に使えばいい。
('A`)「……いける」
さっそく携帯のカメラを起動して、動画を撮ってみる。
少し画質は荒いけど、遠くからでも拡大して撮影できる。音も拾える。
映像から個人を特定するには十分だった。
計画を詰めるために、さらに深く思考の海に沈んでいく。
そうしてようやく算段のついたころには、日付がとっくに変わっていた。
- 82 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:48:51 ID:q/k.8qN20
――10月△日――
翌日、放課後になって教室を飛び出し、校舎裏の木陰に潜んでからだいぶ時間が経った。
いまのところ、体育倉庫の付近には人影ひとつすらない。
('A`)「……まだか」
昼休み、来栖は屋上に来なかった。
教室まで行ってみると、昨日見かけた女子のグループが来栖の机を囲んでいた。
昨日の書き込みを見た人間ならば、あれが冗談ではないとすぐに気付けるはずだ。
いっそ気持ち悪いくらいに、気持ちのいい高校生の青春の風景がそこにはあった。
みんなで集まって談笑しながら、昼食を食べる。何もおかしいことじゃない。
その輪の中心でうつむいたまま、引きつった表情をした来栖がいなければ。
本当なら、すぐにでも助けてやりたかった。
だけど、それじゃ何の解決にはならない。今日をしのぐことすらできやしない。
教室をあとにするときに必死で抑えつけた感情は、いま俺の胸の中で熱く煮えたぎっている。
- 83 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:49:45 ID:q/k.8qN20
('A`)「……来た」
忘れもしない耳障りな高い声が近づいてきた。
まだ遠くにいるうちに携帯を取り出し、起動音が聞こえてしまう前にカメラを起動する。
息を潜め、枝葉の隙間から女子たちと、その中心にいる来栖を映し始める。
「ちんたら歩かないでくれる? イライラすんだけど」
川;゚ -゚)「痛っ……」
ちょうど木陰の正面あたりまで来て、女子たちは歩みを止まる。
そして、校舎の壁を背にした来栖を囲うように、こちらに背を向けて半円状になった。
もっと顔が見えた方が都合がいいけど、歩いてきた時点で全員の顔はばっちり映してある。
「く~る~す~さ~ん? 昨日は大丈夫だった? 風邪ひかなかった?」
川 - )「……」
「うわあ、シカトとかひっど。心配してやってんのに」
川 - )「……っ」
- 84 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:50:10 ID:q/k.8qN20
「肺炎になって死んじゃったらどうしよう~、って思ってたのにさ~」
「水かけられたせいでなりました、とか言われたら内申やばいもんね!」
「ねー! 別に死ぬのはいいけど!」
うつむいた来栖の表情までは見えないけど、想像は簡単にできる。
怒り、悔しさ、情けなさ、悲しさ。いろんな負の感情の混ざった、苦虫を噛み潰したような表情に決まっている。
(#'A`)「……あいつら」
きっといまの俺だって、そういう表情をしているはずだから。
「……なに、その目。アンタなんか死んだって誰も困らないんだけど。わかってる?」
「……わかってないっしょ! こいつ頭パーだし!」
川# - )「……っ」
鞄を抱きしめる来栖の指先が、制服の袖を固く握りしめたのが見えた。
- 85 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:50:34 ID:q/k.8qN20
「……わかってないみたいだし、ばっちり教えてやろうよ」
そのささやかな抵抗の意思が、リーダー格らしき女子の逆鱗に触れたらしかった。
携帯でもういいよ、とだけ誰かに電話をかけて、少しするとガラの悪そうな男子がぞろぞろとやってきた。
数えた限りでは四人。どいつもこいつもにやつきながら、来栖を舐めまわすように眺めている。
「……いくら言ってもわかんないならさあ、体で教えるしかないよね?」
リーダー格らしき女子の言葉を合図に、男子のふたりが来栖の両腕を掴んだ。
残ったふたりのうち片方は扉を開けるためか、体育倉庫の方へ走っていく。
最後のひとりは動画撮影の準備なのか、スマホを取り出していじり始めた。
川;゚ -゚)「……ひ」
これから何が起こるのか察したのか、来栖の顔から血の気が引く。
声にもならない、喉が鳴るだけの小さな悲鳴が校舎裏の静寂を切り裂いた。
川;゚ -゚)「やめ……助けてっ! 誰かぁ!」
- 86 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:51:02 ID:q/k.8qN20
「おい口塞げ!」
川;゚ ゚)「ゃめ、んっ! んんーっ!」
暴れ始めた来栖を、男子が力ずくで体育倉庫へ引っ張っていく。
女子も口にハンカチを詰めたり、背中を押したりして協力し始めた。
抵抗むなしく、来栖の体は少しずつ、確実に運ばれていく。
(#'A`)「……おい待て! やめろっ!」
動画はここまでで十分だ。録画を止めて木陰から飛び出し、来栖の元へ駆け寄る。
久々に全速力で走って、息も絶え絶えになった俺にすべての視線が注がれる。
(#'A`)「やめろ……いまの……全部、動画にっ、撮ったぞ……」
動画を再生した画面を見せつけるように、携帯を突きつける。
固まる一同をよそに、体育倉庫のそばにいた男子が逃げ出していくのが見えた。
お前の姿も映ってるからな、と心の中で吐き捨てる。
「……ちっ」
- 87 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:51:44 ID:q/k.8qN20
('A`)「えっ?」
舌打ちをした男子のひとりに、携帯を持った手を思い切り引っ張られた。
(;'A`)「ぶぇっ」
そのことに気付いた次の瞬間、右の頬に強い衝撃が襲った。
体がふわりと宙を舞って、受け身も取れないまま地面に落ちる。
火花のちらつく視界が横倒しになったところで、俺はようやく殴られたのだと気付いた。
川;゚ -゚)「ドクオっ、ドクオぉ!」
視界の外で来栖が俺の名前を叫ぶ。激しい足音と、布ずれの音も聞こえる。
だけど、それだけだ。俺の元へ駆けつけることはない。それは不可能だと理解できる。
「っんどくせえことしてくれんなあ……」
地面に落ちた携帯を、俺を殴った男子が拾い上げる。
そして、すぐさま折り畳みの部分から真っ二つにへし折った。
- 88 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:52:09 ID:q/k.8qN20
「……で、なんだっけ? やめろ、とか言ったか?」
(;'A`)「ぅ……」
男子はまだ寝転がったままの俺の髪を掴んで顔を上げさせる。
その脅し文句は、俺が尻尾を巻いて来栖を見捨てて逃げ出すのを期待してのものだ。
男子の背後で立ち止まったままの残りの連中の表情も、余裕に満ちたものになっている。
(;'A`)「……っ」
俺は確かに弱い。来栖と力比べをしたって負ける自信がある。
頭もよくない。一晩考えた作戦ですらこんな始末だ。
(# A )「……だよ」
「あ?」
だけど、逃げないことくらいはできる。
(#'A`)「……そうだよ、やめろって、言ったんだよ……」
- 89 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:52:51 ID:q/k.8qN20
髪を掴む手を振り払い、これみよがしに胸ポケットから取り出したものを突きつける。
シャーペンよりも一回り大きい程度のボイスレコーダーだ。
(#'A`)「これにも動画と同じ音声が入ってる。馬鹿みたいに騒いでくれたおかげでばっちりな!」
「んだとてめえ……?」
(#'A`)「言っとくけど、壊しても無駄だぞ。これは無線で俺の家のパソコンと同期してる」
「……?」
また殴られてたまるか、と相手の拳よりも先に言葉で殴りつける。
俺の言っていることが理解できていないのか、男子は間抜けな面のまま動きを止めた。
(#'A`)「こいつを壊そうが俺を殴ろうが、音声データは俺の手元に残ったままだ」
「……え、やばくない?」
背後で女子のひとりが呟いた。
不安が波紋のように広がって、俺と来栖以外の全員がにわかに騒ぎ始める。
俺を殴った男子も事の重大さを理解したのか、眉をしかめた。
- 90 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:53:21 ID:q/k.8qN20
(#'A`)「いますぐ来栖から離れろ。ここから消えろ。二度と来栖に手を出すな」
これまで抑えてきた怒りを、存分に込めて吐き捨てる。
(#'A`)「そうしなかったら……分かるな?」
来栖があれだけ恨みつらみをぶちまけていた理由が、少しだけ分かった気がした。
この胸に抱いたもやが晴れていくような感覚は、くせになりそうだ。
「……くそがっ!」
「チョーシ乗りやがって! 死にかけのくせに!」
捨て台詞を吐きながらひとり、またひとりと去っていく。
最後に来栖を捕まえていた男子ふたりが、俺に押し付けるようにその掴んでいた両腕を離した。
(;'A`)「来栖!」
解放されるなり、その場にへたりこんでしまった来栖の元に駆け寄る。
殴られたせいか、まだ少しふらついてしまう。
- 91 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:53:54 ID:q/k.8qN20
(;'A`)「……大丈夫か? 怪我とかないか?」
川 - )「……」
来栖は返事もせず、呆然としたまま地面を見つめている。
あと少しで暴行されるところだったんだから、ショックを受けても無理もない。
だけど、見た限りでは怪我をしている様子はない。ひとまずはほっと胸を撫で下ろす。
(;'A`)「もっと早く助けたかったんだけど、証拠を押さえないと……」
川 - )「……なんで」
来栖は震える声で絞り出すように、ひと言だけ呟いた。
指先が力いっぱい地面を掻いて、砂を握りしめる。
(;'A`)「……ごめん、怖かった、よな」
動揺や怯え、不安からそうしているのだと考えて、俺は素直に謝った。
一刻でも早く、元通りの来栖に戻ってほしかった。
- 92 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:54:18 ID:q/k.8qN20
川# - )「……そうじゃない!」
(#'A`)「っ!」
だけど、来栖は俺の謝罪を否定するなり、握りしめていた砂を思い切り投げつけてきた。
川# - )「なんで、放っておいてって言った、のにっ、こんなことっ!」
喉が張り裂けんばかりの、悲鳴にも似た来栖の叫びが、校舎裏に響き渡った。
うつむいたまま、癇癪を起こした子供のように息を荒げている。
(;'A`)「……ごめ、ん」
川# - )「なんで、って! 聞いてるの!」
反射的に口にした謝罪の言葉を聞いて、来栖はさらに喚きたてる。
来栖は明らかに怒っていた。それはなんとか理解できた。
だけど、その理由が分からない。俺はただ、来栖を助けたくてやっただけなのに。
(;'A`)「……」
頭がうまく回ってくれない。真っ白になったまま、何も浮かんでこない。
- 93 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:54:52 ID:q/k.8qN20
川# - )「ドクオに心配なんかされなくたって平気だったのに!」
頭がまともに動き始めて、いつもの調子で言葉が浮かんでくる。
そんなわけないだろう。俺が来なかったらどうなってたか分かっているのか。
そう言い返してやればいい。来栖の言っていることはめちゃくちゃだ。
川# - )「これで反感買ってもっとひどいことされたら責任取ってくれるの、されるのは私なのに!」
そうならないために動画を撮って、録音もした。
家のパソコンと同期してるっていうのは、とっさに出たでたらめだけど。
でも、そのおかげであいつらももう手出しはしてこないはずだ。
川 - )「……言い返せないなら、なんでこんなことしたんだ」
いくらでも言い返せる。そのための言葉だって、たくさん浮かんできている。
(;'A`)「……」
なのに、どうして俺はそれを口にできないんだろう。
- 94 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:55:19 ID:q/k.8qN20
川 - )「……もういい」
(;'A`)「いたっ」
来栖に立ち上がるついでに突き飛ばされて、バランスを崩してしまう。
起き上がろうとしているうちに、来栖はその場からそそくさと歩き去ろうとする。
(;'A`)「来栖……」
木枯らしにざわめく黒髪を、白波のように揺れるスカートを。
どこか小さく見えたその背中を、呼び止めたくて名前を呼ぶ。
「……」
来栖は振り返らないまま足を止めた。
「……こんなところ、お前にだけは……見られたくなかった」
そして、それだけ告げると、また歩き始めて、いつしかその姿は校舎の影に消えた。
- 95 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:55:50 ID:q/k.8qN20
翌日から、来栖は屋上に来なくなった。
教室にも姿はなかった。休み時間になるとすぐに、荷物ごとどこかへ行ってしまうらしかった。
時間の許す限り、考えつく限りの場所を探しても、来栖を見つけることはついにできなかった。
連絡を取ろうとして、俺は初めて来栖と連絡先を交換すらしていなかったことに気付いた。
あの屋上での時間が、本当の意味で俺たちにとってのすべてだった。
それが分かったところでもうどうしようもなく、何も起こらないまま月日は流れていった。
初雪が降り、新しい年が始まり、校内に三年生の姿がまばらになり、春一番が吹いて、桜が花を咲かせた。
俺はどこか空白を抱えたまま、それでもなるべくいつも通り、その日々をやり過ごしていった。
凍った地面で滑って転び、元日の親戚の集まりからはじき出されて。
無事に卒業が決まって、職もないまま社会に放り出されることが決まって。
在校生が予行練習で歌う『旅立ちの日に』を他人事のように聴いて。
最後の登校日、特別な言葉をかけられることもなく、家を出て。
- 96 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:56:55 ID:q/k.8qN20
- .
だけど、すべてを諦めたように生きてみても。
あの日の来栖の小さく見えた背中と、泣いていたような声は。
俺の胸に氷柱のように刺さって、溶けることも、抜けることもついになかった。
.
- 97 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:57:52 ID:q/k.8qN20
――3月〇日――
卒業式を終えて賑わう教室をあとにする。
体育館を出たころに降っていた通り雨は、いつの間にか止んでいた。
('A`)「……あー」
周囲の幸せそうな喧騒とは相反して、卒業することに何の感慨も湧かなかった。
何の後ろ盾もなく社会に放り出されることにも、焦燥すら感じなかった。
('A`)「……空っぽだ」
俺の三年間のすべてがこの教室に、校舎にあったはずだ。
なのに、ここに置いていくものも、ここから持っていくものもない。
そういうものを俺が作ろうとしなかったからだ。
いや、違う。
教室でもなく、校舎でもなく、三年間も過ごしていないけど、俺のすべてがあった場所はある。
そこに置いてきてしまったものも、持っていきたいものも、確かにあった。
- 98 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:58:21 ID:q/k.8qN20
来栖のクラスの前を通り過ぎるとき、中を覗いてみた。
やっぱり、来栖の姿を見つけることはできなかった。それがいつしか当たり前になってしまっていた。
もう主のいなくなった机に、知らない誰かが腰掛けて談笑していた。
('A`)「ああ、空っぽ、だ」
自嘲するように、同じ言葉を繰り返す。
心の中に空白ができてしまっていた。そこにあったものがなくなって、代替品も置けずにいた。
('A`)「はあ……」
俺はいつから、こんなに諦めるのが下手になったのだろう。
また上手く諦められるようになるのはいつだろう。
ぼんやり考えながら、後輩に見送られる同級生の横をすり抜けて、下駄箱までたどり着く。
('A`)「……ん?」
俺の靴の上に、四つ折りになった手紙が一通、置かれていた。
差出人の名前は書かれてない。こんなものを送られる心当たりもない。
どうせいたずらだろうと高を括って、手紙を開く。
(;'A`)「……っ!」
そして、俺はその短い手紙を読み終えるなり、全速力で駆け出した。
- 99 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:58:49 ID:q/k.8qN20
(;'A`)「はっ、はぁ、は」
視界ががくがくと揺れる。花束を抱えた生徒を避けきれずにぶつかる。
いま背後から聞こえてきた怒鳴り声の主は、きっとぶつかった相手だ。
『ドクオへ』
手紙の内容が頭の中をずっと巡りまわっている。
『私は死のうと思う。』
悪態のひとつもついてやりたかったけど、息を吸うので精一杯だった。
階段を何段飛ばしか自分でも分からないスピードで駆け上っていく。
『散々避けてきたのに、いまになってこんなものをよこしてすまない。』
『でも、これはお前には伝えておかないといけない気がした。』
『結局、お前くらいしか伝えたい相手が見つからなかった。』
見えない大きな力に動かされるかのように、屋上に向かっていた。
来栖がそこにいる確証はない。死に方なんて選ぼうと思えばいくらでもある。
- 100 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:59:12 ID:q/k.8qN20
『私が死ぬのは私が弱いせいで、もちろんドクオのせいでもない。』
『ドクオなら私がいなくても、きっと生きていける。』
『だから、どうか私が死んでも気にしないでほしい。』
来栖と会えなくなってから、昼休みになると学校中を探した。
当然、俺の裏をかいたのかと考えて屋上も探して、結局見つからなかった。
『短い間だったけど、ありがとう。』
だけど、きっと来栖は屋上にいると、俺は信じた。
『さよなら。 来栖直』
だって、あの場所が。あの場所だけが、俺たちのすべてだったから。
(;'A`)「あだっ」
ぶつかりながら潜り抜けようとしたバリケードが崩れかけて、体が引っかかる。
強引に体を引き抜くと、俺が潜った隙間は崩れてしまった。
(;'A`)「……!」
抜け出した勢いのままに詰め寄った扉の、鍵が、開いていた。
- 101 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 21:59:39 ID:q/k.8qN20
(;'A`)「来栖っ!」
扉を開くなり、間に合ってくれと願いながら叫ぶ。
川;゚ -゚)
金網状のフェンスの向こう側で、ずぶ濡れの来栖は俺の方へと振り向いた。
川;゚ -゚)「……ドクオ」
むせび泣いたみたいな通り雨が過ぎ去り、再び晴れ渡った青空を背負って、来栖は呟いた。
春風に吹かれて重そうに揺れる黒髪。たなびくスカート。空と同じ色をした瞳。
慟哭を聞いたあの日から、何ひとつ変わらないままだった。
('A`)「……来栖、お前何やってんだよ」
それから、来栖を刺激しない意味でも、呼吸を整える意味でも、ゆっくりと歩いて近づいていく。
来栖の左手は、まだフェンスをしっかりと握りしめたままだった。
どうかその手を離さないでいてくれ、と強く願う。
- 102 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:01:06 ID:q/k.8qN20
('A`)「何で死のうとしてんだよ。遺書のくせに理由も大して書いてないし」
とりあえず時間を稼ぐために話を続ける。
酸欠気味だった頭も、時間が経って少しずつ回ってきた。
川;゚ -゚)「……怖いんだ」
来栖はばつが悪そうに視線を逸らし、口を開いた。
俺は一度黙って、気が済むまで来栖に喋らせてやろうと思った。
きっと、いまから語る言葉も、いつか吐き出されるそのときを待っていたはずだ。
川;゚ -゚)「学校の外に出るのが怖いんだ……学校っていう、小さな水槽の中ですらうまく泳げなかったのに」
川;゚ -゚)「そのまま海に放り出されたって、泳いでいけるわけがないんだ……」
川; - )「私はきっと波に呑まれて、溺れて死ぬ。空を飛べずに落ちて死ぬよりきっと、ずっと苦しい……」
川; - )「だから、いまなんだ。これからもっと辛い思いをするより……いま死んだ方が幸せなんだ……」
- 103 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:01:37 ID:q/k.8qN20
言い終わって、居心地悪そうに風で乱れた髪を直す来栖。
すぐにまた乱れるのだから、何の意味もないけど、きっとそれは本人も分かっている。
分かっていても、何かせずにはいられない気分なんだろう。
('A`)「……やっぱり、来栖が物分かりがいいと違和感すごいな」
川;゚ -゚)「いいことじゃないか、褒めてくれないか?」
('A`)「断る……なあ、俺の知ってる来栖は恨み言吐きまくって、それでも生きようとするような奴なんだ」
あのとき、来栖が弱っていたのは過酷ないじめのせいだったと、いまなら分かる。
だけどいま、自殺しようとするまで来栖を追い込んでいるものはなんだ。
脳裏に、あの日の来栖の慟哭が響く。嫌な予感が背中をなぞって、寒気がする。
(;'A`)「もしかして……いじめ続いてるのか?」
川 ゚ -゚)「……そうじゃない。おかげであれから平和そのものだった」
- 104 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:02:00 ID:q/k.8qN20
だったらどうして、と口を挟もうとした。
川 ゚ -゚)「ドクオ、私たちが初めて会った日のこと、覚えてるか?」
だけど、突拍子もない来栖の問いかけに、俺は思わず言葉を飲んでしまった。
来栖は俺が何も言えないのを確認して、話を続ける。
川 ゚ -゚)「……ドクオは、あれが本当に偶然だって思ってるのか?」
そう言われて、来栖がやってくるまでのことを思い出そうとしてみる。
俺が倒れていて、そこに偶然来栖がやってきた。ただそれだけのことだ。
(;'A`)「……!」
だけどそれは、来栖が鍵の番号を知っていれば、の話だ。
川 - )「……気付いたか」
川 - )「知ってたんだ。お前が屋上で死にかけてる、って。だから私はお前に会いに行ったんだ」
- 105 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:02:33 ID:q/k.8qN20
川 - )「死にかけてるやつが屋上に続く階段を上っていった、って小耳に挟んでな」
('A`)「どうして、わざわざ」
俺が理由を尋ねると、来栖は静かに笑った。
背負った青空に、一筋の黒い煙が立ち上り始めていた。
あそこは確か、葬儀場だった。
川 - )「……安心したかった。自分より下の人間が見たかった」
川 - )「いま消えようとしている人間よりは自分はマシなんだ、って思いたかった」
('A`)「……性格悪いな」
川 - )「そうなんだよ。私はずっと、ドクオのことを下に見てた」
川 - )「ドクオを見てると、自分が『誰からも愛されない駄目人間』じゃないような気分になれた」
川 - )「普段貼られてるレッテルが剥がれて、ありのままの『来栖直』でいられる気がしてた」
川 - )「……だから、私はドクオが好きだった。一緒にいたかった」
- 106 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:02:56 ID:q/k.8qN20
('A`)「……そうだったのか」
川 - )「ドクオには、迷惑かけたな」
来栖は手を放して、握りしめていたフェンスを指先でつう、と撫でた。
心臓が跳ね上がり、じわりじわりと近付いていた歩みを止める。
川 - )「でもな、気付いたんだ。ドクオは強いやつなんだ、って」
('A`)「……?」
川 - )「ドクオはいつもぶれなかった。例えネガティブな方向であっても、しっかりと自分を持っていた」
川 - )「何があっても『毒島徳男』であり続けられるドクオのことを、羨ましく思うようになっていった」
最初は意味が分からなかったけど、聞いているうちに来栖の言い分に合点がいく。
それでも言いたいことはたくさんあった。でも、来栖の話はしばらく止まらなさそうだ。
手も放してしまっているし、立ち止まって口も挟まずにいようと決める。
- 107 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:03:28 ID:q/k.8qN20
川 - )「私も『来栖直』でいたかった。でも、こんな性格の悪い私が受け入れられるわけがなかった」
川 - )「その現実を受け止められるほど私の心は強くもなくて、受け入れられるほど広くもなかった」
川 - )「自分でいることは認められず、誰かになることもできないまま……」
川 - )「悩み続けて、探し続けたけど、結局いまも答えは見つからない……」
川 - )「何者にもなれない、居場所もない私には……涙が出るくらいドクオが眩しく見えた」
来栖の前髪からはいまも雨が滴り続けている。
額を、頬を伝って、顎の先から落ちて、地面の染みになっていく。
俺にはそれが、まるで泣いているように見えた。
川 - )「だから、ドクオがずぶ濡れの私を気遣ってくれたとき、校舎裏で助けてくれたとき……」
川 - )「……嬉しかったけど、それ以上に辛かった……ごめん」
- 108 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:04:41 ID:q/k.8qN20
川 - )「見下していたドクオよりも自分は下の人間なんだ、って突きつけられた気がして……」
川 - )「疑念なんかじゃなくて、自分は神様の作ったピラミッドの最底辺にいるんだ、って確信したんだ」
そっと目を閉じた来栖は、そのまま天を仰いだ。
雨雲が通り過ぎ、むき出しになった太陽に口づけするかのように。
距離を縮めるには絶好の機会のはずなのに、俺の足はどうしてか前に進んでくれない。
川 - )「だから死にたい……私は誰にもなれない……私の居場所なんてどこにもない」
屋上に来てから、来栖は初めてまっすぐに俺を見た。
川 -;)「ドクオみたいに、生きていけるほど……」
その瞳にいっぱいに溜まった涙が、青色を反射してきらめいていた。
川 ;-;)「私、は、強くないから……」
- 109 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:05:07 ID:q/k.8qN20
川 ;-;)「ぅうっ……うあぁ……っ! うわあぁぁ……!」
堰を切ったように、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして来栖が泣き出す。
欲しかったおもちゃを買ってもらえずに駄々をこねる子供のような、大きな泣き声だった。
例え、誰かにその声が届いたとしても、耳障りというひと言で片付けられてしまうに違いない。
( A )「来栖……お前」
川 ;-;)「うぅ……ひ、ぐ……?」
でも、俺はこの大きな子供がどうして泣いているのか知っている。
その悲しみが泣き止めば消えるものではないことも、知っている。
('A`)「……馬鹿じゃねえの」
だから俺は、俺だけは、来栖をこのまま放っておいたりはしない。
- 110 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:05:48 ID:q/k.8qN20
('A`)「……そうやって、俺のせいにするのか。自分が死ぬ理由を、他人に押し付けるのか」
川;゚ -゚)「……違う! そんなことない! 私が死ぬのはドクオのせいじゃない!」
泣き止んだ来栖は血相を変えて、フェンスにかじりつくようにしがみついて叫んだ。
これから死のうとしていたくせに、俺に向けられる視線は焦りと怯えを孕んでいる。
俺はその来栖の様子で、あるひとつの確信を得た。
川;゚ -゚)「私が弱いせいだ、全部私が悪いんだ! だからドクオはなにも」
(#'A`)「そういうこと言うからお前は馬鹿だっつってんだよ!」
もう何も怖がる必要はない。
胸に秘めていた苛立ちをぶつけながら、俺は来栖との距離を縮めていく。
(#'A`)「お前が弱いのはお前のせいかもしれないけどな!」
(#'A`)「それに気付いて死ぬってんなら、気付かせた俺のせいって言ってるのと変わんねえだろうが!」
- 111 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:06:19 ID:q/k.8qN20
川;゚ -゚)「ぁ……」
(#'A`)「違うなら説明してみろよ! いますぐ、ここで!」
川; - )「……」
来栖の視線は俺から外れて、所在なさげに動き続ける。
酸欠で苦しむ金魚のように口を開け閉めしてはみているけど、結局何も言えない。
('A`)「……来栖」
そうしている間に、俺はフェンスを挟んで来栖の真正面までたどり着いていた。
('A`)「……本当は、死にたくないんだろ」
川;゚ -゚)「……!」
フェンス越しに、しっかりと、来栖の手を握りしめた。
雨に濡れた指先は冷え切っていて、だけど確かに血が通っていて、かすかに熱を帯びていた。
- 112 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:06:47 ID:q/k.8qN20
('A`)「踏ん切りがつけられないから、後戻りできないようにわざわざ俺に遺書なんか書いたんだろ」
('A`)「そこまでしたのに、雨が降ってるときからずっと屋上にいたのに、飛び降りれなかったんだろ」
さまよっていた来栖の視線が、俺の視線と重なってぴたりと止まった。
握りしめた指先に少しずつ温もりが戻っていくのを感じていた。
('A`)「死にたがってるお前を、死にたくないお前が必死で止めてたんだ」
(#'A`)「遺書を読んだ俺が止めに来てくれるって、心のどこかで期待してたんだろ!」
さらに力を込めて、来栖の手を握り直した。
(#'A`)「そうだって言え、来栖!」
来栖が痛がる様子はない。きっと俺にはそこまでの力なんてない。
でも、この手を離したくないという気持ちだけは、世界中の誰よりも強く込められる。
- 113 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:07:07 ID:q/k.8qN20
川 ;-;)「……死にたく、ない」
来栖の目から、大粒の涙が次々とこぼれていく。
川 ;-;)「でも……死にたいのも本当なんだ」
泣きわめくでもなく、涙に濡れた声で来栖はぽつぽつと言葉を紡ぎ始める。
川 ;-;)「どっちも本当だから……どっちも選べない」
川 ;-;)「だから私はこんななんだ、ってわかってるのに……」
川 ;-;)「いつも考えてるうちに頭の中がぐちゃぐちゃになって……」
川 ;-;)「ぐちゃぐちゃになったらまた整理して、それでまた選べなくての繰り返しで……」
川 ;-;)「私……どうしたら、いいのかな……」
- 114 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:07:52 ID:q/k.8qN20
- .
('A`)「……別に、どうもしなくていいんじゃないか」
.
- 115 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:09:21 ID:q/k.8qN20
川 ;-;)「……え?」
('A`)「前に言ってたよな? この世界のことが嫌いだって」
川 ;-;)「言った……けど」
('A`)「じゃあ、どうでもいいだろ。お前の嫌いな神様が作ったハートとか、そのせいで作られたピラミッドとか」
呆ける来栖をよそに、空いている方の手で自分のハートをはたいてみせる。
当たり前だけど、手のひらは空を切るばかりだ。ハートは見えるだけのもので、触れることはできない。
('A`)「大体、こんなもん本当に信用できんのかよ」
だったらそんなもの、気にしなければ存在しないのと何も変わらないじゃないか。
('A`)「同じもの量ってるくせに、人によって天秤も重りも違うんだぞ」
川 ;-;)「そうだけど……」
- 116 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:09:46 ID:q/k.8qN20
('A`)「あとな来栖、お前とんでもない勘違いしてるぞ」
川 ;-;)「えっ?」
('A`)「俺は強くなんかないし、お前は弱くなんかない」
('A`)「何もかも諦めてなるべく傷つかないように生きてる俺なんかより……」
('A`)「傷ついても苦しくても諦め悪く立ち向かっていく来栖の方が、よっぽど強い」
川 っ-;)「そ、そんなの自分の弱さを認められていないだけだ……」
川 っ-;)「それよりも自分と向き合って、弱さを受け入れられるドクオの方が強いに決まってる」
弱ってたくせに、そんなことを言うときに限って来栖はいつもの調子に戻ってくる。
それなら、この話題を続けたところで水掛け論になるのは目に見えている。
(;'A`)「はあ……来栖がそう思うなら、もうそれでいい。でもな……」
- 117 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:10:08 ID:q/k.8qN20
('A`)「お前と出会って俺の世界は広がった。お前と過ごすうちに大切にしたいものが増えた」
('A`)「だから……もしも俺が強い人間なんだとしたら……お前が俺を強くしてくれたんだ、来栖」
川 ;-;)「ドクオ……」
熱を取り戻した来栖の手が、ゆっくり引っ張られた。
応じるように手に込めた力を抜くと、さっきまで俺がそうしていたように、来栖は俺の手を握り返す。
('A`)「いま来栖にとって、俺にとって大切なものが、ずっと大切なままかなんて分からない」
('A`)「現に、俺の大切なものは変わったから」
かつて守りたいと願ったお袋の柔らかい笑顔が脳裏に浮かぶ。
守れなかった後悔はいまでも消えないし、もうどうでもよくなったわけでもない。
ただ、大切なものが増えた。お袋よりも守りたいものができた。それだけのことだった。
('A`)「いまはそれがすべてだと思っていても、いつか振り返ってみるまでそうとは限らない」
('A`)「そのときになってみれば、何もないのと変わらないような、些細なことかもしれない」
- 118 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:10:43 ID:q/k.8qN20
('A`)「いまこの瞬間、いったい何が正解なのか。その答えは教室とか学校にはなくて」
('A`)「きっと外の世界にあるんだ。それに気付けないからみんな傷つくし、傷つけるんだ」
('A`)「教室も学校も……狭いから」
ふたりぼっちの屋上に響く自分の声は、どこか懐かしく感じる優しさに満ちていた。
こんな柄でもない声が出せるのか、なんて他人事のように思った。
('A`)「俺は答え合わせがしたい。俺の大切にしていたものが、本当にそうなのか確かめたい」
そういえば、お袋の声はこんな感じだったと、ぼんやりと思い出した。
('A`)「だから……生きたい。答えを知るまで、俺は死にたくない」
川 ;-;)「……ドクオのこと、結構わかってるつもりだったけど」
('A`)「なんだよ?」
川 ;-;)「何があってもその言葉だけは言わないと思ってた」
- 119 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:11:33 ID:q/k.8qN20
来栖はまだ泣いていた。青いきらめきがまばたきをするたびに、色を失って落ちていく。
だけど、もうその声は震えていない。瞳の中心には俺の姿が映り続けている。
('A`)「来栖と会わないうちに、何かあったんだよ」
軽口の応酬が本当に懐かしくて、自然と口元が綻ぶのが分かった。
会わないうちに何があったのかなんて、俺にはまったく心当たりはない。
でも、確かに何かはあったんだと、こうして来栖と話してみて思った。
('A`)「来栖……」
空いている方の手で来栖の手を握る。
片方は握っていて、もう片方は握られているというなんとも妙な状態になる。
それでも、きっといまはこれが正解のはずだ。
('A`)「俺は生きたい……だから、来栖にも生きていてほしい」
('A`)「もしもいま死んだ方が正解だったなら、俺のことなんてどうしてくれても構わない」
川 ;-;)「うん」
- 120 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:12:00 ID:q/k.8qN20
('A`)「だって……俺にはお前が必要だから。俺を好きでいてくれるのは、世界中で『来栖直』だけだから」
川 ;-;)「うん……」
('A`)「お前が死ぬっていうなら、そのときは俺も死ぬよ」
川*;-;)「……ずるいぞ、その言い方」
そう言って来栖は、くしゃっと顔を歪めて笑った。
本当に久しぶりに見せた笑顔に、安堵の気持ちが込み上げてくる。
('A`)「分かってる」
川*;-;)「ドクオ、私……生きてていい? 私のままでいてもいい?」
笑顔を絶やさないままぽろぽろと涙をこぼし、来栖は噛みしめるように尋ねてくる。
俺がどう答えるか分かってて聞いているな、とすぐに気付いた。
同時に、聞き返したくなるようなことを俺は言ったんだ、とも自覚する。
(;'A`)「……聞き返すなよ……恥ずかしい」
川*゚ -゚)「ありがとう……ふふっ」
- 121 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:12:24 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「……ところでドクオ、そこどいてくれ」
真っ赤に腫れた目で俺を見つめて、来栖が言う。
もう涙は止まっていた。いつも通りの来栖が、フェンスを挟んだ先にいた。
('A`)「……なんで?」
川 ゚ -゚)「そっちに戻る。フェンス乗り越えるのに邪魔だからな」
('A`)「分かった」
繋いだ手を離すと、来栖は揃えて置いてあったローファーを履き直した。
それから、フェンスの金網の穴につま先を引っかけ、危なっかしく登り始める。
川 ゚ -゚)「よっ、と」
頂点の内側に反り返った部分までやってくると、来栖は四つん這いになって反対側に向く。
当然、下にいる俺からは来栖の白い下着が丸見えになる。
- 122 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:12:47 ID:q/k.8qN20
川#゚ -゚)「……見たな」
降りようと後ろを振り向いた来栖は、そのことに気付いたらしかった。
スカートを手で押さえて、じっと俺を睨みつける。
('A`)「見えるからな」
川#゚ -゚)「……見るな、あっち向いてろ」
片手が塞がった状態で降りることは到底不可能だ。
どうやら来栖は、俺に下着を見られたまま降りる気はないらしい。
('A`)「そう言うならそうするけど……前も見たろ。なんでいまさら」
適当な方向を向くと、金網の揺れる音が聞こえ始める。
それに合わせて、俺は浮かんだ疑問を来栖にぶつけてみた。
「そんなの決まってるだろ」
声が聞こえて、ローファーがコンクリートを叩く音が近づいてくる。
- 123 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:13:28 ID:q/k.8qN20
そばまで来たので振り向こうとした瞬間、制服の肩を掴まれた。
まさか機嫌を損ねたか、なんて考えがよぎるが、何もできないまま強引に振り向かされる。
川* - )「見られたくないときに見られたら……恥ずかしいじゃないか」
ふてくされたように目を逸らしながら、来栖はそう言った。
(;'A`)「……お、おう」
だけど、俺には来栖が不機嫌になった理由が分からなかった。
それに、目の周りだけじゃなくて、耳もほんのりと赤い理由も。
川* - )「とにかく忘れろ……いいな?」
(;'A`)「分かった忘れる。忘れるから機嫌を直せ」
川 ゚ -゚)「それでいい……ふう」
- 124 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:14:00 ID:q/k.8qN20
大きく息をついて、来栖は振り返って屋上を見渡す。
何もないこの場所に、俺たちのすべてがあった。それも、もうすぐ過去になる。
来栖はいま何を見て、何を思っているのだろう。
川 ゚ -゚)「……ドクオ、これからどうしよう」
フェンスに止まっていた鳩が、どこか遠くへ飛び去っていった。
気が済んだのか、来栖は俺に向き直って、未来のことを話し始める。
川 ゚ -゚)「飛び降りようとしてたところ、誰かに見られたかな」
('A`)「それならとっくに誰かすっ飛んできて……あ」
そういえば、バリケードは崩れて俺たちも通れなくなっていることを思い出す。
見つかっていないから誰も来ないと思っていたけど、それは俺の勘違いかもしれない。
扉の向こうでは、バリケードの撤去作業が必死で行われている可能性もある。
(;'A`)「来栖、悪い。実は……」
川;゚ -゚)「えっ……ええ……」
- 125 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:14:27 ID:q/k.8qN20
バリケードを崩してしまったことを伝えると、来栖は狼狽し始める。
何か言いたげではあったけど、結局苦い顔をして飲み込んだようだった。
おそらく、そもそもの原因が自分にあるからだと思う。
(;'A`)「誰にも見つかってなかったら、まずやることはバリケードの撤去だな」
川;゚ -゚)「いっそ見つかってた方がいい気がしてきたな……怒られるだろうけど」
('A`)「怒られても大丈夫だろ。影響あるような進路じゃないしな、俺たち」
川*゚ -゚)「……そうだったな、ははっ」
軽口を叩くお互いの顔を見合わせて笑う。
飛び立つための羽はないけど、体は軽かった。
ひとまず屋上から脱出するというところまでは、俺たちは生きていけそうだった。
川 ゚ -゚)「なあ」
('A`)「ん?」
出入り口の扉に向かう途中、来栖が語りかけてくる。
- 126 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:14:59 ID:q/k.8qN20
川 ゚ -゚)「屋上から出れたら、やりたいことがあるんだ」
('A`)「なんだよ?」
川 ゚ -゚)「打ち上げ、してみたい。ファミレスとかその辺の公園とか、どこでもいいから」
('A`)「……いいな、それ」
さっきの想定は訂正しよう。
打ち上げをするまでは、バリケードがどんなに重くても、頑張って生きよう。
そうやって少しずつ、前を向いて歩いていこう。
('∀`)「楽しそうだ」
川*゚ -゚)「だろ?」
前を向くのが辛くなったなら、こうして横を向けばいい。
そうしていつか、今日を振り返られる場所までたどり着ければ、と思う。
- 127 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:15:23 ID:q/k.8qN20
扉の前までやってきて、俺たちは並んで立ち止まる。
一度開けてしまえば、もう屋上には戻れない。
ひとまずその先に待っているのは、どんな形であれ困難には違いない。
('A`)「来栖、怒られる覚悟と力仕事をする覚悟はいいか?」
川 ゚ -゚)「安心しろドクオ。覚悟だけはばっちりだ」
だけど、俺たちはそれでも生きていく。生きていける。
('A`)「よし……それじゃ頑張りますか」
川 ゚ -゚)「打ち上げも待ってるしな」
だって、俺たちはそういう風に生きていこうと決めたから。
- 128 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:16:14 ID:q/k.8qN20
- .
そして俺たちは、追い風を背中いっぱいに浴びながら、ゆっくりと扉を開いた。
.
- 129 名前: ◆9D3AZ7c4Wc 投稿日:2017/08/24(木) 22:17:46 ID:q/k.8qN20
- .
STRAIGHT GIRL
おわり
.
戻る