四十代から始まるヒーローライフ
- 2 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:34:46 ID:y9YySBcU0
オフィスの中を慌ただしく行き交う人々。
すれ違う相手に会釈すらすることなく、それぞれが自身の目的地へと一直線に歩く。
喧騒の中、時折鳴り響く電話の音は、一コール目が終わる前に消える。
与えられた仕事の一部をようやく終え、俺は書類の束を掲げて自分の席に向かう。
コピーを取ってこいと言われ続けてはや五年。
年季の入った俺のコピー技術は、残念ながら部署内でも評判だ。
(; ФωФ) 「うわっ」
顔よりも高い書類の束を抱えた俺は、無作為に床をはしるケーブルに足を取られて派手に転んだ。
今月はこれでもう三回目だ。運動能力が落ちてきたのか、最近はやけにこけることが多い。
咄嗟に両手をついて顔を打つことは避けられたが、手首が強く傷む。
捻ったかもしれない、と反対側の手で擦りながら起きあがる。
( ФωФ) 「ったた……」
通り過ぎていく男達は誰一人として散らばった資料には目もくれない。
それもそうだろう。厄介ごとに首を突っ込むような、もの好きはいない。
散らかってしまった書類を手早く集める。
いつまでも狭い通路を塞いでいるわけにはいかない。
- 3 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:35:25 ID:y9YySBcU0
焦る俺の手を止めたのは、頭の上から投げかけられた冷たい声。
そら、来たぞ。
「おい、何をしてるんだ」
( ФωФ) 「すいません……部長……」
「何をしているんだと聞いている。それは次の会議の資料じゃないのか!!」
俺が気にくわないんだろう。何かある度にこうやってわざわざ嫌味を言いに来る。
部長職というのはよっぽど暇らしい。
「黙っていないで答えろ!」
( ФωФ) 「っ! 資料を落としてしまいましたので拾っています」
「いい加減にしろ、杉浦。
資料すらまともに用意できないのなら、もう家に帰るか?」
( ФωФ) 「いえ、やります……」
「だったら、さっさと持って来い。……っち。使えない奴め」
- 4 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:36:14 ID:y9YySBcU0
聞こえるような大きさの声で愚痴をこぼした部長は、そのまま会議室の方へと歩いて行った。
俺は残りの資料を拾い上げて、自分のデスクに向かう。
一度に運ぶのは無理があったようだ。まぁいい。
午後の会議が始まるのは十五分後。
それまでに手元の書類の束を、全てホッチキスで綴じなければならない。
( ´ФωФ) 「はぁ……」
作業をする手は重たく、溜息は十数秒のインターバルで繰り返されていた。
そもそも部長が俺にこの仕事を任せたのは、昼休憩の少し前の事だ。
こんなものは前日に用意していて然るべきなのに、
あの部長は俺に嫌がらせをするためだけに黙っていたのだろう。
フロア内に二つあるコピー機を両方とも使用されていたせいで、ようやく印刷が終わったばかりである。
( ФωФ) 「痛っ」
紙を扱って乾燥した指から真っ直ぐに溢れる血液。
それを近くにおいてあるティッシュで拭き取り、作業を続ける。
文句を言われない程度には丁寧に、出来るだけ早く。
- 5 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:37:11 ID:y9YySBcU0
「ロマさん、これもお願いしますね」
( ФωФ) 「む……」
彼の狭い机の上に、別の束が置かれた。
女性はそれだけ言うと、休憩室の中へと消える。
( ´ФωФ) 「はぁ……」
ペースを上げて、無心で作業を行う。
もし一分でも遅れれば、更なる部長の不興を買うのは明らかだ。、
新人が持って帰ってきた厄介な案件を抱えている彼は、朝から頗る機嫌が悪い。
手を動かしながらも、空っぽにしようとした頭にはつまらないことが浮かんでは消える。
いつからこんなことになったのだろうか。
入社当初から、目の敵にされていたようにも思う。
それでも、明確に嫌われ出したのは五年前のあの事件の時からか。
当時は課長だったか。他の社員と同等以上の成績を上げても、俺だけが怒られていた。
最初は噛みついたりもしたが、給料の査定を落とされてからそれもやめた。
言われるがままに雑務をこなし、機嫌の悪い時にはサンドバックとして怒られて。
結局、気がついたら営業の第一線からは外されて、総務部に左遷されていた。
- 6 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:37:44 ID:y9YySBcU0
苦手なパソコンと向き合う毎日。
退屈な事務仕事を延々とこなし、日がな一日事務所に篭っていた。
唯一良かったことは、俺の給与査定の評価役から外れたことくらいか。
「おおい! 杉浦! 会議が始まるのに資料はまだか!」
フロア中に響き渡る大声で、会議室の扉を開けて部長が叫んでいた。
出来上がった分だけを持ち、すぐに向かう。
放っておけば、あることないこと言われかねない。
( ФωФ) 「すいません、八割がたできたのですが。残りはすぐに持ってきます」
「仕事が遅いよなぁ。こんなものは前日に用意しておくものだろう」
紙の束を露骨に叩く。
厭味ったらしい顔に拳を叩きこんでやりたい気持ちを抑えつつ、殊勝なふりをして頭を下げておく。
一次の感情に身を任せたところで、得をするのはその瞬間だけだ。
これから先もこの会社で食べていきたいのなら、抑えるべきところは抑えなければならない。
四十を過ぎた年寄りなど、もう他の会社では雇ってもらえないだろうから。
( +ω+)) 「はい、申し訳ありませんでした」
- 7 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:38:27 ID:y9YySBcU0
「急げ、ほら」
軽く頭を下げて自分の席に戻って作業を続ける。
周りの社員が小声で話しているのは自分の事だろう。
( ФωФ) 「ふぅ……」
昼飯を食べる時間すらなかったせいで、やけに腹が減っていた。
通勤途中にコンビニで買ったおにぎりはあるが、
目の前の書類の束を処理する前に食べようものなら、何を言われるかわからない。
残りの資料を綴じて会議室に持っていく。
それが終わった後は、追加で机の上に置かれた資料のチェック。
言葉遣いに誤りはないか、誤字脱字は大丈夫か。
その次は決裁書類とその他の書類の仕分け。
四時頃には全部済ませられるだろう。
他の仕事もまだ残っている。
最近は残業に関してもかなりうるさく言われるようになってきているし、
出来る限り時間内に終わらせなければ。
大凡の予測を立てながら手を動かす。
結局すべての仕事が終わったのは定時を二時間以上も回ってからだった。
- 8 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:39:06 ID:y9YySBcU0
( ´ФωФ) 「っふー……流石に肩が凝った……」
数時間もずっと机に向かいっぱなしだったのだ。
幾ら肩が凝りにくくなるトレーニングを毎晩繰り返したとこで、限度はある。
誰もいなくなったフロアで、自分の頭の上にだけ灯る蛍光灯がちかちかと点滅していた。
放っておけば、また明日嫌味を言われることは間違いない。
( ФωФ) 「さて、替えの蛍光灯は倉庫にあったか……」
暗い廊下を抜けて、倉庫への扉を開ける。
所狭しと事務用品が並べられた埃っぽい部屋の中、
目当てのものはすぐに見つけることができた。
包み紙から新品の蛍光灯を取り出し、それをもって事務所へと戻る。
( ФωФ) 「ああしまった。脚立を忘れた。まあいいか」
自分の座っていた椅子の上に立ち、頭の上の切れかかった蛍光灯を外そうと手を伸ばした。
(; ФωФ) 「っ……!」
つま先立ちになった瞬間に回転した背もたれ。
気づいた時には事務所の床に倒れていた。
- 9 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:42:20 ID:y9YySBcU0
( +ωФ)゚ 「いったたたた……」
背中を強く打ったのか、息が整わない。
運が良かったのか、どこも怪我をしていないようだ。
なんとか机に手をついて起き上がる。
( ФωФ).。 「ははは……」
あまりの惨めさに乾いた笑いが零れた。蛍光灯一つ変えられないとは、恐れ入った。
営業として残した成績は、同期の中で常にトップ。
先輩や上司にとも対等に戦えるだけの成果は出してきたはずなのに。
総務部として五年以上働いているが、ワードとエクセルは未だに使いこなせていない。
パワーポイントに至っては開くことすら億劫だ。
普段散々馬鹿にしてくる営業部長の言葉が反芻する。
結局のところ、あの人の言う通りなのかもしれない。
何もできない、役立たずのお荷物。
置物以下のトラブルメーカー。
腹立たしいなんて思う気持ちはとうに失った。
毎日の叱責で感覚がマヒしてしまったのだろう。
そうやって自分を責めていると、家族の事を思い出した。
そのせいで、よけいに気分が沈む。
- 10 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:47:02 ID:y9YySBcU0
いつもは家に帰って安い缶ビールを三本ほど開けた頃に襲って来る幻覚。
それは一番幸せだったころの記憶。
妻がいて、可愛い娘が帰りを待っていてくれた。
目に入れても痛くないと断言できるほどの愛娘には、今はもう会えない。
十五年前のある日、それは突然の事だった。
娘を連れて妻は家を出ていった。
今になって思えば、全て自分が悪かったのだと理解できている。
だが、当時は相当に荒れていた。
仕事に対してそれまで以上に打ち込み、他人に冷たく当たる日々は一年ほど続いていたと思う。
何度か彼女たちに連絡をとろうとはしたが、一度だって電話をとってはくれなかった。
あの日以来、何処にいるのか全く分からない。
共通の友人はおらず、両親を早くに亡くした彼女とは、携帯以外に繋がりがない。
思い出したようにかけていた携帯の番号は、すぐに繋がらなくなった。
アドレス帳から”でれ”の名前を消したのは、そのすぐ後だったか。
(。ФωФ) 「……でれ……しぃ……」
無事に成長していれば、今頃幾つだろうか。
指折り数えてみるも、その答えには自信が持てない。
何度か計算してみたが、二十一か二十二くらいになるのだと思う。
あんなに小さかった思優も大学生か、もしくは社会人として働いているのだろう。
そう考えてしまえば、失ってしまった時間が胸に突き刺さる。
- 11 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:48:49 ID:y9YySBcU0
俺が参加することのできなかったあらゆる学校行事。
参観日、運動会、文化祭。入学式や卒業式も。
彼女は母親と二人きりで過ごしたのだろうか。
それとも、再婚相手の男性と一緒に行ったのだろうか。
もしそうだとしても、それが彼女にとって喜ばしいことであればと願う。
( ФωФ) 「帰るか……」
痛みは引いてきていた。
結局三十分以上も余計に仕事場にとどまってしまった。
タイムカードを引き出すと、本来は空白であるはずの枠に数字が打ち込まれていることに気付いた。
退勤の欄の打刻は定時丁度。
溜息すらも出ず、タイムカードを仕舞った。
施錠を確認して、事務所から外に出る。
( ФωФ) 「雨か……」
厚みのある雲に覆われた空から、大粒の雨が一つ、また一つと振り始めた。
次第に雨足は強くなり、数分と待たず土砂降りに変わった。
- 12 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:50:57 ID:y9YySBcU0
今朝の天気予報を見て傘を用意してきた俺は、玄関の傘立てを見て唖然とする。
誰もが見間違えない程大きな名前のシールが取っ手に貼ってあったにもかかわらず、
ぼろぼろのビニール傘以外は無かった。
( ФωФ) 「誰か、間違えて持って帰ったんだろうな」
そんなはずはないとわかっていても、呟かずにはいられなかった。
悪意のある誰かが、夜から雨が降るとわかっていて傘を盗んでいくなどと考えたくはない。
そんなことをすれば、子供の悪戯と何が違うのだろうか。
無意味である。
今更この程度のことで、心揺さぶられることは無い。
無いと、強く心の中で唱える。
誰のものかわからないビニール傘は使わず、駅に向かって走った。
すぐに全身がずぶ濡れになる。
そんなことを気にしてもいられず、五分の距離を全速力で。
(; ФωФ) 「うわっ……」
水で濡れたマンホールを踏んだ瞬間、派手にひっくり返って水しぶきをあげた。
傘をさして行き交う人々は、冷たい視線を一瞬だけこちらに向けて通り過ぎていく。
- 13 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:52:28 ID:y9YySBcU0
恥ずかしさを隠すために俯きながら、駅に駆け込んだ。
たった数分間を走っただけで激しく脈打つ心臓がうるさい。
吹き出る汗は雨と混じってもはやどちらかわからない。
騒がしい改札を抜け、人が溢れるホームに降りる。
眼の前に止まった横長の化け物が口を開く。
誰一人立ち止まることなく、次々と飲み込まれていく。
その波にのまれるようにして、自分も腹の中に飲み込まれた。
肩が触れ合うくらいには狭くなったスペースで、
機械的なアナウンスを聞きながら振動に揺られる。
買って帰る予定のつまみとビールの銘柄を考えていた時、急に腕を掴まれた。
「この人! 痴漢です!」
(; ФωФ) 「なっ……!」
ぼやけていた頭をトンカチで殴られたかのような衝撃を受けた。
その言葉の持つ意味が即座に全身を駆け巡る。
咄嗟に発しようとした言葉は、トラウマのせいでちゃんと声にならなかった。
- 14 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:53:19 ID:y9YySBcU0
(; ФωФ) 「がっ……!」
気づいた時には、冷たいホームに押さえつけられていた。
幾つもの手が視界すらも覆うように、抵抗すらしていない俺の身体を強く締め付ける。
駅員の駆け寄ってくる音と、周囲の人々の騒ぎ声が虚ろな頭に響く。
若い駅員にそのまま腕を引かれて連れてこられたのは、駅員室。
白髪交じりの駅員に促され、パイプ椅子に腰を下ろした。
前に座っている男は自分より十ほど上だろうか。冷たい視線が胸に刺さる。
「君ねぇ、どうして痴漢なんかしたの」
( ФωФ) 「え……? いや、俺はしていない」
決めつけるかのような駅員のセリフに思わず腰を浮かべ掛けるが、
どうにか冷静さを保つことができた。
「被害者の女性が痴漢されたって、君の手を掴んだ。
つまり、君は痴漢をしていたってことじゃないのか」
( ФωФ) 「そんな馬鹿な。俺は鞄を持っていただけだ。
もう片方の手では吊皮を……」
「ここに連れてこられた人はね、皆同じようなことを言うんだよ。
君が認めるかどうかは、私にはさして関係の無い話なんだが。
老婆心ながらに忠告しておくよ。今後の為にも示談したほうが良い」
- 15 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:53:55 ID:y9YySBcU0
年老いた駅員はそれだけ言うと、興味の無さそうな顔で煙草を吸い始めた。
灰皿に積もった灰は、面倒事を持ってくるなと俺を非難している。
ここでの口論は無意味と悟り、ただ次の言葉を待つ。
ひとしきり吸い終えてから、ようやく口を開いた。
「もうすぐ警察が来るから、君の処遇はそっちで決まる。
くれぐれも下手な抵抗をしないようにね」
( ФωФ) 「俺は……やっていないのにか」
ようやく絞り出した声は、短くなった煙草のようにすり潰された。
駅員の男はそれ以上話すつもりは無いらしく、俺は警察が現れるまで大人しく座っていた。
いっそのこと暴れてやろうかとも思ったが、感情のままに行動すれば多くを失うだけだ。
そんな当たり前のことは理解していたが、
警察が来るまでの僅かな間に、何度も心の中に沸き上がっては消えた。
「ヴィップ警察署の者です」
「ああ、ご苦労さん。この人だよ」
「それでは、署までご同行願います」
- 16 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:54:44 ID:y9YySBcU0
( ФωФ) 「……俺はやっていない」
「ええ、ええ。その話は署で聞きますから」
抵抗虚しく二人の警察官に両脇を抑えられ、近くの警察署まで連れていかれた。
パトカーに乗ったのはそれが二回目だった。
忘れていたつもりの過去を無理やり抉り出されたせいで、
腸が溶けだしそうなほど熱い。
胸の内に沸いてくるどす黒い感情を見ないふりをしながら、
自分とは関係が無いと主張するかのように、世間の光は過ぎ去っていく。
十分ほどで着いた最寄りの警察署で、同じやり取りを何度も繰り返した。
やっただろう、いややっていない。
不毛なやり取りが一時間近く続いた後、強面の警察官が人数分の缶コーヒーを持って来た。
それを渡されても飲む気にはなれず、机の上に置く。
「仕事が終わって疲れとるでしょう」
( ФωФ) 「は……?」
- 17 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:56:15 ID:y9YySBcU0
「いや、明日も仕事なんじゃないかと思いましてね」
若い二人の警察官に出ていくように指示し、年季の入った大柄な警察官と二人きりになる。
机を叩いて大声を出されるのかと警戒していた俺は、その予想をあっさり裏切られた。
男の言う通り、今日はまだ火曜日。
明日明後日と仕事は続いていく。
不愉快な部長の顔を思い出し、一際大きな溜息を吐いた。
「このままだとね、拘留しなくてはならないんですよ」
( ФωФ) 「拘留……」
「勿論、あなたもやっていないというんだから、それをはっきりとさせなければないけない。
それには残念ながら時間もかかる。当然、会社にも連絡しなくてはいけないでしょう。
今まで通り仕事をするのはどうしても難しくなりますよ」
( ФωФ) 「……そんな理不尽なことが……いや、そうだったな……」
揉めれば揉めるだけ面倒事になる。
それは、経験として知っている。
「調べさせてもらいましたが、あなたには前科もないので、
今ならそのまま家に帰ってもらっても構いません。
後日連絡はありますが、取り敢えず明日から普通に仕事もできます」
- 18 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:58:23 ID:y9YySBcU0
腸が煮えくり返るほどの怒りは、冷たい取調室に吸い込まれて消えた。
後に残ったのは空っぽになった自分自身。
考えるよりも早く、身体は動いていた。
「頷いていただけるということは、認めて頂けるということですね」
( ФωФ) 「……はい」
人生で二度も苦汁をなめさせられるとは想像だにしていなかった。
込み上げてくる胃酸を何とかして押し留める。
「そうですか。幾つか書類に書いていただきたいことがあります。
それが済めば帰宅してもらって構いませんので」
ドアの外で待機していたとしか思えないほどの速さで、最初に話をしていた若い警官が入って来た。
その手に持っている書類の意味を考えると気分が重くなる。
ただ促されるままにサインをして、ようやく解放された。
最寄りの駅まで送ってもらい、そこから歩いて家に向かう。
家族が出て行ってからずっと住んでいるワンルームマンションは、
徒歩十分圏内にコンビニとスーパーが一つずつある。
築年数がかなり経っているため、通勤圏内では破格の家賃だ。
- 19 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 21:58:52 ID:y9YySBcU0
近所の公園で祭りでもあったのか、浴衣姿の子供を連れた大人たちが夜道を歩いていた。
そんな日常の風景を失ってしまったやるせなさは怒りとなって、心は黒く染まっていく。
「怒れ。社会に。怒れ。世間に。誰もお前を許さない。誰もお前を認めない」
( ФωФ) 「誰だ……」
口から零れた問いかけの言葉。
はっきりと聞こえた憎しみの声は、周囲の人間には聞こえていないようだ。
通りすがりの家族には、不気味なものを見る目を向けられた。
「それならば憎悪を吐き出せ。全てを壊せ」
両手を強く握りしめていることに気付いた。
いつの間にか歩みは止まっていて、世間とは切り離された暗闇に一人。
( ФωФ) 「ここは……」
「化け物となって、この世を地獄に」
(#+ω∩) 「ぐっううう……」
- 20 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:00:13 ID:y9YySBcU0
身体の奥底から溢れ出す黒い感情。
それが全身を蝕んでいく。
抵抗することは許されず、指先すら自由に動かすことができない。
(#ФωФ) 「っああ!!」
首元にまで這い上がって来た怖気は、息すらできないように口を塞ぐ。
何も見えないように視界を塞ぐ。何も考えられないように頭を覆う。
全てを諦めて自分の意識を手放しそうになった瞬間、強い光と音が闇を払った。
現実に引き戻された俺が見た光景は、非日常の一コマ。
大型のトラックが、甲高いブレーキ音を響かせながら横倒しになった。
白煙を上げながら滑る勢いは収まらず、その先には横断歩道を渡るお祭り帰りの子供たちの列。
思わず駆けだしていた。
間に合うはずが無いのに。助けられるはずも無いのに。
四十過ぎて、碌に運動もせず、階段の上り下りですらしんどいこの身体で。
百メートル以上も先にある事故を、なんとしてでも防ぐために。
ただ届けと願って。
ひたすらに腕を伸ばした。
自分を抑えようと纏わりつく黒い闇を振り払って。
- 21 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:01:00 ID:y9YySBcU0
≪ ●〓●≫ 「……なにが」
深夜の住宅街に響き渡る重厚な衝撃音。
そのすぐ後に続いた拍手喝采。
それが自分に向けられたものだと気付くのには、時間がかかった。
≪ ●〓●≫ 「なんだこれは」
視界がやけに暗いのは、ヘルメットのような何かを被っていたから。
そこから見える両手は、全く覚えのない真っ赤なスーツに覆われていた。
目の前には大破したトラック。すぐ後ろには横断歩道の白いラインがある。
≪ ●〓●≫ 「まさか……」
間に合えと願ったが、それは決して叶わぬ願いだと知っていた。
人間には能力以上の事は決してできない。
たとえどれほど強く信じようとも、超えることができない壁が存在する。
- 22 名前:名無しさん 投稿日:2017/08/25(金) 22:02:31 ID:y9YySBcU0
だが、その壁をいともたやすく超えることのできる俺は存在を知っていた。
何年も昔、まだ娘と一緒に住んでいた頃にテレビで見たことのある彼らは、
どんな苦境になってもあきらめず、どんなピンチに陥っても逃げ出さない。
そんな彼らを、ヒーローと人々は讃えた。
「すげぇ! あんた!」
「それどうなってるんだ! 着替えたのか?」
群がってくる若者たちは、称賛を口にしながら肩を叩く。
戸惑っていた俺は、ただその場から逃げ出すことだけを考えていた。
≪ ●〓●≫ 「失礼する」
軽く力を込めただけで、身体は三階建てのビルの頂上にまで飛び上がった。
予想外の跳躍力にバランスを崩しながらも、何とか着地して隣のビルに飛び移る。
空の道を通って自分の住んでいるビルへと戻って来た。
屋上にある階段の鍵は閉まっていたため、外壁をつたって自分の部屋のベランダに飛び降りた。
どうやら開けっ放しで仕事に出ていたようだが、今は自分のずぼらさに感謝しておくとしよう。
手を洗うために洗面台の前に立って、ようやく自分の全身を確認した。
真っ赤なフルフェイスメットの両頬には黒いギザギザラインが入っており、
同様のラインが胸元に一直線にある。
- 23 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:03:55 ID:y9YySBcU0
≪ ●〓●≫ 「なんだこれ……」
両手と両足のスーツは少し厚みがあり、プロテクターの様なものが入っているのだと推測できた。
不思議なのは、特に変わらない見た目にもかかわらず、
転がったトラックを止めるだけの腕力や、ビルの屋上を行き来できるだけの脚力が備わったこと。
≪ ●〓●≫ 「……しかしこれ、どうやって戻ればいいんだ」
スーツに継ぎ目は無く、ヘルメットは外れない。
どうしようかと手をこまねいていると、全身が光って元のスーツ姿に戻っていた。
( ФωФ) 「わけがわからない」
うだつの上がらない四十代に戻ったことを鏡で確認し、
疲れた体を癒すために風呂に入る。
少し高めのお湯にゆっくりと浸かっていると、全てを忘れることができた。
長風呂をした後はいつもと同じように、冷蔵庫からビールとグラスを取り出す。
小さなテレビのスイッチを入れて、机の上に出したままにしていたつまみを口に放り込んだ。
たいして面白くもないお笑い番組を見ながら、冷えたビールを流し込む。
- 24 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:05:59 ID:y9YySBcU0
( ФωФ) 「……寝るか」
今日一日に起きた出来事のせいで、かなり精神的に疲弊していた。
痴漢に間違われ、得体のしれないスーツを着て子供たちを救う。
全てが夢であればいいのにと思いながら、万年床に潜り込んで電気を消す。
「よく普通に寝られるものだな」
( ФωФ) 「誰だ?」
「俺が誰なのかはこの際どうでもいいだろう。
全く、せっかく手に入れた欲望メダルをあんな使い方をするなんてな」
( ФωФ) 「何を言っている」
寝転がった俺の胸の上に浮かんでいる小さな金色のコインから、声は聞こえてきた。
モノが浮かぶという非現実的光景に夢を疑ったが、どうやら現実らしい。
「意外と受け入れるのが早いのだな」
( ФωФ) 「心を読んだのか」
- 25 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:06:36 ID:y9YySBcU0
「私はお前の心の中にいるのだ。そんなことは造作もない」
( ФωФ) 「だったら、俺が今考えていることも解るだろう」
もうすでに時計は十二時を回っていた。
年老いた身体で夜更かしをすることが如何にしんどいか、心の中にいるのならわかるだろう。
俺は今すぐにでも眠って、明日からの仕事に備えないといけないのだ。
よくわからない話をするつもりなどない。
「横着な奴だ。少しは話を聞け。損はさせない」
( ФωФ) 「明日の晩にしてくれ」
耳元で喚く声を無視して眠ることにした。
- 26 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:07:26 ID:y9YySBcU0
*
「あなた、今日はしぃの誕生日なの。何時になったら帰ってこれる?」
「まだ仕事が終わっていない」
「仕事仕事って、娘と仕事とどちらが大切なの!?」
「決められるわけがない!」
「どうしてよ!」
「働かなければ、お前たちを食べさせていくことができないんだ。
それは、負けるのと同じだ」
「負けるって何によ」
「世間に、そして自分にだ」
- 27 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:07:57 ID:y9YySBcU0
「じゃあ、あなたは結局自分の為に働いてるってことじゃない!」
「違う! しぃにも普段からそう教えているはずだ!」
「しぃはまだ五歳よ! そんなことわかるわけないじゃない!」
「いや、彼女はきっとわかってる。勝つことの重要さを!」
「いいえ! あなた、本当は私たちのことなんてどうでもいいんじゃないの?」
「そんなわけないだろう!! 仕事に戻る!! 切るぞ!」
「待って! お願い! お願いよ! 今日くらい帰ってきてちょうだい」
「……無理だ。重要な案件を明日までに終わらせないといけない」
「何時に帰ってくるの」
「帰れないかもしれない」
「そう……わかったわ」
「帰れたら帰る。しぃにもそう伝えておいてくれ」
- 28 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:09:38 ID:y9YySBcU0
・・・・・・。
( ;Фω+) 「……嫌な夢を見たな」
十五年前のあの夜。彼女たちが俺の前から去った日。
忘れることなどできはしない。
倦怠感を振り払いながら立ち上がり、寝汗でぐっしょりと濡れた寝巻を洗濯機に放り込む。
「信じられない奴だな。本当に寝る奴があるか。
しかしまぁ、随分とうなされていたのだから、いい気分だ」
( ФωФ) 「性格の悪い奴だ。お前のほうがずっと信じられない存在だろうが。
とにかく外で話しかけて来るな。
他の人に頭のおかしい奴だと思われるだろうが」
駅に向かって歩いている道すがら、欲望のメダルと名乗った声が頭の中に響く。
「欲望のメダルというのは我々の総称だ。私自身はオーガストと言う」
( ФωФ) 「そうか、なら黙ってろオーガスト」
- 30 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:11:46 ID:y9YySBcU0
定期券をかざして改札を抜け、人ごみをかき分けるように目的のホームに向かう。
昨日のトラウマが俄かにフラッシュバックしたため、出来るだけ女性がいない場所に立つ。
押し込まれるようにして電車に乗り込み、両手で吊皮を掴む。
隣のサラリーマンに迷惑そうに睨まれたが、それを気にしている余裕はない。
三駅過ぎて、目的の駅で降りる。
何とかホームに出た時、突然防犯ベルが鳴り響いた。
人混みの向こうから騒ぎ声が聞こえる。
「おい、近くに他の欲望メダルがある」
( ФωФ) 「話しかけるなと言っただろ。これから仕事だ」
「待て、本気か?」
( ФωФ) 「遅刻するわけにはいかない」
周りに聞こえないように小声で答え、事務所に向かう。
騒ぎの中から聞こえてきたのは悲鳴や何かの壊れる音。
それら全てをシャットアウトした。
頭の中でずっと騒いでいるオーガストを無視し、会社まで早足で向かう。
( ФωФ) 「おはようございます」
窓際の自分の席に荷物を置き、隣の総務部長に挨拶をする。
この後、事務所の奥でふんぞり返っている営業部長に挨拶をしに行くまでが朝のワンセットだ。
- 31 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:12:30 ID:y9YySBcU0
「うん。間に合ったんだ」
( ФωФ) 「えっと、どういう事ですか」
気が進まない挨拶に行こうとした時に、総務部長の言葉で足を止めた。
普段から口数の少ない人であり、返事以外に話すことは殆ど無い。
俺としては仕事がやりやすくて助かっているのだが、営業部長は気に入らないようだ。
「駅、大変みたいだから」
総務部長のパソコンの画面に映されていたのは、今朝方俺が出勤する時に利用した駅。
人間とは思えない怪物が、狭い画面の中を暴れまわっていた。
( ФωФ) 「映画の撮影かなんかですか」
思わず口に出た現実逃避の言葉は、簡単に否定された。
「そう見えるけど」
指差されたのは、緊急報道の文字。
残念ながらこの惨劇は現実で、現在進行形で起こっていることのようだ。
俺には関係の無いことだが。
席を立って営業部長の前に向かう。
- 32 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:13:42 ID:y9YySBcU0
( ФωФ) 「おはようございます、部長」
「ふん、もう行っていいぞ」
( ФωФ) 「失礼します」
大方、俺が遅刻しなかったのがおもしろくないのだろう。
頭の中に響く甘言に乗せられなくてよかった。
それがたとえ公共交通機関の遅延だろうと、遅刻をすれば面倒な小言を聞かされるのだから。
「おい、このまま放っておけば被害が広がるぞ。いいのか」
訂正。今は頭の中にも面倒なのがいたのだった。
( ФωФ) 「さて、昨日やった資料はと……」
机の上に資料を並べ、今日すべきことを簡潔にリストアップしていく。
未だに頭の中で文句を垂れているオーガストを無視し、仕事にとりかかった。
始業時間を過ぎてからまばらに出勤してきた社員たちは、皆が口をそろえて駅の惨状を語っていた。
そういった会話の輪に入ることができない俺は、耳をそばだてて情報を集めるしかない。
遠くで行われる営業社員の会話を盗み聞きしていると、
隣の女性社員から話しかけられてすぐに反応できなかった。
- 33 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:14:09 ID:y9YySBcU0
ミセ*゚ー゚)リ 「杉浦さん、これどうすればいいですか」
( ФωФ) 「ん、ああ」
ミセ*゚ー゚)リ 「杉浦さん?」
( ФωФ) 「ごめん。どの資料だっけ」
ミセ*゚ー゚)リ 「決算報告書なんですけど、エクセルの計算がおかしなことになってて」
( ФωФ) 「ちょっと見せて」
席を寄せてディスプレイを覗き込む。
表示されているエクセルのシートを少し触れば、計算式が崩れているのがすぐに分かった。
なんとか修正できそうな程度の変更であったため、すぐに直してしまう。
ミセ*゚ー゚)リ 「ありがとうございましたっ!」
( ФωФ) 「いや、いいよ」
- 34 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:15:53 ID:y9YySBcU0
隣の席に座っているのは、珍しく嫌がらせに加担していない子だった。
娘と同じくらいの年なはずだ。営業部長の好みらしく、先程から嫌な視線を向けて来る。
どうも彼女が俺に話しかけていることが気にくわないようだ。
この娘には悪いが、あまり仲良く見られると後で面倒事になる。
そっけなく返事をして自分の仕事に戻った。
( ФωФ) 「ふーっ……そろそろ昼か」
営業部長の妨害もなく、順調に仕事を進めることができた。
おかげで少し余裕ができたから、昼ご飯を食べに出ようか。
ミセ*゚ー゚)リ 「杉浦さんも食べに出るんですか?」
( ФωФ) 「ん……ああ」
ミセ*゚ー゚)リ 「もしよかったら一緒にどうです?」
( ФωФ) 「……あ、あぁ」
咄嗟に営業部長の席を確認する。
運よく出かけているようで、営業部の誰かに聞かれた形跡もない。
- 35 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:17:39 ID:y9YySBcU0
ミセ*゚ー゚)リ 「よかったぁ。ちょっと一人だと入りにくい場所だったんです」
( ФωФ) 「行きたい場所も決まっているのか」
ミセ*゚ー゚)リ 「えへへ。この前、友達に聞いたんです。ここから歩いてすぐなので、そこでどうですか?」
( ФωФ) 「構わない」
こうして並んで歩くと、娘と歩いているように思える。
少しだけ浮かび上がってきた涙をこらえながら、エレベーターに乗り込む。
後輩の女性に案内されてたどり着いたのは、アンティーク調の店。
飲食店というよりは喫茶店のような趣だ。
ミセ*゚ー゚)リ 「ここですここ!」
( ФωФ) 「これは……渋いな……」
外から見る分には小奇麗な雑貨屋といった感じだが、中に入れば香ばしいにおいが漂ってきた。
お昼時というのもあって殆どの席が埋まっている。
少し待って案内された席は、窓際の二人掛けのテーブル。
メニューを渡されても、お洒落過ぎていまいち何が書いてあるのか分かりにくい。
発音しようものなら、舌が三枚あっても足りないだろう。
( ФωФ) 「うーむ……」
- 36 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:20:14 ID:y9YySBcU0
ミセ*゚ー゚)リ 「そんなに悩まなくてもいいと思いますよ。私も何が出て来るのかわからないですし」
( ФωФ) 「なら、この日替わりランチというものにしようか」
ミセ*゚ー゚)リ 「わかりました! すいませーん」
近くを歩いていた店員を呼び止め、彼女は二人分の注文をした。
ミセ*゚ー゚)リ 「ニュース見ました?」
笑顔でスマホをこちらに向けて来る。
その画面には、今朝駅を騒がせていた化け物の続報が載っていた。
( ФωФ) 「まだ捕まっていないのか」
ミセ*゚ー゚)リ 「うーん、なんか凄いみたいですよ。警察も封じ込めておくのがやっとだとか」
( ФωФ) 「ということは、まだ駅は使えないか」
ミセ*゚ー゚)リ 「そうみたいですね、私はバス通勤なので困らないですけど。
杉浦さんは電車でしたよね?」
( ФωФ) 「帰るころまでには解決してほしいな」
- 37 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:21:29 ID:y9YySBcU0
ミセ*゚ー゚)リ 「ですねぇ。私なんか関係ないからドキドキしちゃいます。
ネットでも言われてるんですけど、やっぱり宇宙人説が濃厚ですかね!?」
仕事中にこそこそとスマホを触っているのは知っていたが、
まさかそんなしょうもないことを調べていたのだろうか。
帰りの心配と後輩の女性の趣味に二重の溜息が出た。
「貴様が解決すればいいだろうに。このままだと被害は大きくなる一方だぞ」
無視、無視と。
ミセ*゚ー゚)リ 「あ、来たみたいですね。おいしそ~」
( ФωФ) 「これが日替わりか。なかなか豪華だな」
ハンバーグと目玉焼きをメインに据えて、その横にローストチキンが二つ。
スープとサラダ、そしてご飯が一つのお膳にのって出てきた。
半分ほど食べたところで、頭の中にまた鬱陶しい声が聞こえてくる。
「ふむ、運命は貴様を放っておかないようだ」
( ФωФ) 「すまない、少しトイレに行ってくる」
ミセ*゚ー゚)リ 「どうぞー」
- 38 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:22:45 ID:y9YySBcU0
席を外し、トイレの中で声に反論する。
(#ФωФ) 「出て来るなと言ったはずだ!」
「なに、どうせ呼び出されると思ったから出てきたまでだ」
( ФωФ) 「どういう……」
玄関の方で大きな音がした。硝子が割れるような激しい音が連続して続く。
逃げ惑う人々が悲鳴に混じって、凶悪な叫び声が店内に響き渡る。
「ギイイイイイイ…………」
トイレにまで聞こえてくるほどの大声で叫んだ何者か。
その不快な声には聞き覚えがあった。
「貴様を探している」
( ФωФ) 「なぜ俺を」
「欲望メダルの所持者だからさ」
( ФωФ) 「意味が解らない」
- 39 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:23:15 ID:y9YySBcU0
「説明を聞かなかったのは貴様だ。どうする?
取って食われるか、それとも戦うか」
( ФωФ) 「何故俺が戦わなければならない。俺はただのしがないサラリーマンだ」
「いまさら何を言っている。理不尽に抗いたいと願ったではないか。
だからこそ貴様は……いや、これは言うまい」
(#ФωФ) 「糞っ」
「早く決めなければ、店の中は血の海になるだろうよ。
あの娘の命も風前の灯火と言ったところか」
( ФωФ) 「……どうすればいい」
「ようやく腹をくくったか。遅いのだよ」
目の前に現れた金色のコインが怪しく光る。
表には髑髏が、裏にはガーベラの彫り込まれたコインは、くるくるとゆっくり回る。
「唱えよ」
( ФωФ) 「……は?」
- 40 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:24:00 ID:y9YySBcU0
「なんだ、知らないのか。こんな時は決まり文句があるだろう。
貴様はこれから、目的はどうあれ結果として正義を為す。
それならば、今言うべき言葉は一つしかないだろう」
( ФωФ) 「まさか……」
「その通りだ」
そうだ、こいつは心が読めるんだったか。
全く面倒なことだ。
たった一度、子供を何人か助けただけで何でこんなことに巻き込まれなければならない。
ここで正義の味方を気取ったところで、誰かが給料をくれるわけでもないのに。
貴重な昼休みを無駄にして、世界を救う?
そんな四十代がいてたまるか。
嫌になる、嫌になる。だけど、放っておくわけにはいかない。
このまま何もせずに、犠牲者が出るのを黙って見過ごすことはもう出来ないな。
( ФωФ) 「変身!」
.
- 41 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:26:36 ID:y9YySBcU0
掛け声とともに、全身を覆うスーツが何処からともなく現れた。
頼りない四十代の体格を隠すように纏うのは、燃える炎のような赤。
ヘルメットを装着して変身が終わったのを確認し、トイレから飛び出す。
店内で暴れているのは、蛇のような触手を何本も身体中から生やした気味の悪い化け物。
その手の中には見覚えのある制服を着た女性が捕まっていた。
≪ ●〓●≫ 「その娘を離せ!」
U'A`η 「誰……ダ……」
≪ ●〓●≫ 「名乗る名などない!」
U'A`η 「フン……同ジ欲望ノ権化デハナイカ……見逃シテヤル」
≪ ●〓●≫ 「何を……俺はお前のように人を襲ったりはしない」
U'A`η 「邪魔ヲスルナラ、痛イ目ヲ見テ貰ウ」
≪ ●〓●≫ 「っ!」
こちらに向けて伸ばされた触手を咄嗟に避ける。
思っているよりも早く伸び縮みするようだ。
- 42 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:28:34 ID:y9YySBcU0
≪ ●〓●≫ 「これでっ、どうだ!」
店内の椅子を振り回し、触手を薙ぎ払う。
全くどこのヒーローがこんなものを武器に戦うんだ。
それでも、素手よりはずっと力も籠められる。
U'A`η 「グゥ……!」
力づくで気絶していた後輩を奪い返す。
目に見える怪我はしていない様で安心する。
どうやら触手そのものにはそれほど力が無いらしい。
それとも、俺の力が強くなっているのか。
≪ ●〓●≫ 「ここで待っていろ」
未だ壊れていなかった席に寝かせ、怪人から背に庇う
U'A`η 「何故! 邪魔ヲスル!」
≪ ●〓●≫ 「お前こそ、その姿はどういうことだ。なぜ人を襲う」
U'A`η 「女ハ全テ俺様ノ物ダ! 好キニシテ何ガ悪イ!」
- 43 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:29:23 ID:y9YySBcU0
≪ ●〓●≫ 「どうしようもない奴だな」
U'A`η 「ココカラ消エロ!」
≪ ●〓●≫ 「ぐっ!?」
腕よりも太い触手が店内を薙ぎ払った。
油断をしていなかったとは言え、想定外の速度に頭を護るのが精一杯だった。
アンティークの棚に叩き付けられる。
U'A`η 「ハッハ!」
≪ ●〓●≫ 「くそっ……」
「モット痛ミヲ与エテヤル!」
四本の触手が両手両足に絡みつき、それぞれが別々の方向へと引っ張られる。
強化スーツに護られていても、全身の継ぎ目が悲鳴を上げる。
≪ 〇〓●≫ 「ぐぅううあああ……」
「どうした? お前の欲望はその程度か?」
- 44 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:29:50 ID:y9YySBcU0
真っ暗になった視界の中心に小さな光が浮かんでいた。
それは今も苦痛に苛まれている俺に向けて、無感情な言葉を発した。
脈絡も無く、意味不明な言葉を。
≪ ●〓●≫ 「何が……言いたい……」
「欲望の持つ力は無限大。人間だったものを化け物に還ることすら容易。
お前はその一部しか扱えていないということだ」
≪ ●〓●≫ 「だったら、どうすれば……」
「自分で考えろ。できなければ、ここで死ぬだけだ」
≪ ●〓●≫ 「くそっ……」
何が欲望の強さだ。ふざけるのも大概にしろ。
俺はただ護りたかっただけだ。救いたかっただけだ。
目の前で失われるかもしれない命を、自身と引き換えにしてでも。
≪ ●〓●≫ 「もしかして……誰かの為になんてことが……俺の欲望だってことか……・」
U'A`η 「サッキカラ何ヲ、ブツブツト! ミンチ肉ニナレ!」
- 45 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:31:27 ID:y9YySBcU0
両手両足の感覚は殆ど無いが、千切れてはいない。
まだ、戦える。
そう覚悟した瞬間、右腕は燃え上がった。
決して熱くは無く、心地良い様な不思議な感覚に包まれる。
≪ ●〓●≫ 「っああ!」
炎の中から右腕を引き抜く。
腕の先はそれまでの拳ではなく、白銀の刀身を持つ鋭い剣。
一振りで四肢を掴んでいた触手を即座に切り落とした。
U'A`η 「ナニッ!?」
≪ ●〓●≫ 「そうだよな……素手で戦うヒーローなんて聞いたことが無い」
そもそもヒーロー番組すらほとんど見たことは無いけれども。
女の子は魔法少女の方が好きだからな。
ただ、実際に振るってみると剣というのはやはり重い。
腕と一体になっていなければ、扱いにはもっと苦労しただろう。
≪ ●〓●≫ 「さて、細切れにしていいものか」
- 46 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:32:07 ID:y9YySBcU0
地面に転がっている触手の切断面を見れば、切れ味は一目瞭然。
むしろ問題なのは、この化け物を殺してしまった場合、法に触れるのかどうか。
「安心しろ。欲望の核を破壊すれば、人間に戻る」
≪ ●〓●≫ 「それは何処にある」
「さあな。それぞれだ」
≪ ●〓●≫ 「役に立たないな」
U'A`η 「ギギ……!」
再生するらしい触手を薙ぎ払い、その胸元に剣を突き付けた。
触手の合間に埋もれた黒い澱みを生み出している宝石。
剣先を向けられて、心臓の鼓動のように大きく震えた。
≪ ●〓●≫ 「あぁ、きっとこれだな。っ!」
U'A´η 「糞ガァ!」
窓ガラスを破壊して、道路に飛び出した化け物。
集まっていた人混みの中に飛び込んだ。
- 47 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:33:10 ID:y9YySBcU0
≪ ●〓●≫ 「しまっ……」
悲鳴が聞こえた時には遅かった。
女子高生と思しき制服を着た少女が二人、触手に絡められて盾のように構えられた。
U'~`η 「グヘヘ……剣ヲ、降ロセ」
≪ ●〓●≫ 「ぐっ……!」
右手を下げた瞬間に、棍棒の様な触手に薙ぎ倒された。
アスファルトの地面に、全身がめり込むほどの圧がかかる。
U'A`η 「アッハッハッハ! ザマアミロ!」
右手を振るうだけで、簡単に窮地を脱することは出来る。
≪ ●〓●≫ 「だが……」
そうすれば、人質にされた少女たちに危害が加えられる恐れがあった。
歯を食いしばって、ただ耐える。
「存外つまらない幕切れだったな。安心しろ。貴様が死ぬことは無い。
ただ、奴はこれから先も暴れ続けるだろうがな。
仕留められるまでに何人が犠牲になるか。何せこの国の機関はどこも決断力が弱い」
- 48 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:33:54 ID:y9YySBcU0
≪ ●〓●≫ 「……黙っていろ」
「なんだ、諦めたのではなかったのか」
≪ ●〓●≫ 「……諦めるものか。この身体がどうなろうと、必ず助ける。
それが今の俺にできることだ……」
U'A`η 「戯言ヲ……潰レロ!」
≪ ●〓●≫ 「はは……」
掲げた剣は触手を二つに割いた。
追撃とばかりに迫る三本を返す刀で全て切り落とす。
がむしゃらに剣を振るうのはやめだ。
俺は戦うことを望む。目の前の脅威から、無関係な人間を護るために。
≪ ●〓●≫ 「それが……俺の欲望だ。吼えろ……太陽剣!」
燃え上がった炎が刀身を包む。
それは大気を蜃気楼で歪めるほどの高温を放つ。
U'A`η 「コイツラガ……!?」
人質を構える化け物に向かって全力で飛び込む。
二人の少女で生み出された死角で大きく跳躍し、真上から炎の刀剣を振り下ろした。
うねる炎は、化け物の胸の中心にあった欲望の核を燃やし尽くす。
- 49 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:36:28 ID:y9YySBcU0
≪ ●〓●≫ 「壊れろ、果て無き欲望」
U'A;:;::・..., 「ナ……」
触手で形成された全身が崩れ、スーツ姿の男だけがその場に残っていた。
('A`) 「俺は……何を……」
遠巻きに見ていた野次馬の歓声から逃げる様に、垂直飛びでビルの屋上に飛び移る。
必要以上に遠くに逃げてから、姿を隠して変身を解いた。
(; ФωФ) 「はぁっ……はぁっ……」
滴り落ちる汗が止まらない。心臓は未だに胸が破れそうなほど強い鼓動を打っていた。
いくらスーツによって強化されているとはいえ、
命を懸けた全身運動をし続ければ、すぐに疲労で動けなくなりそうだ。
「こんなヒーロー様なんて、恥ずかしくて人前に出られないな」
(; ФωФ) 「っ……はっ……そんな必要は……ないから……別にいい……」
「まぁいい。初めての戦いにしちゃ上出来だ」
(; ФωФ) 「帰ったら……話してもらうぞ……お前の知っていること……全部を」
「ああ、望むままに」
適当な路地裏に隠れて変身を解く。
走って戻ってきた時、現場は喧騒で溢れていた。
気絶したままの後輩が救急車で運ばれていったのを確認して、
ふらつく足取りで会社へと戻った。
- 50 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:37:19 ID:y9YySBcU0
*
結局、昼休み時間中には戻れず、
外回りから帰ってきていた営業部長にこっぴどく怒られた。
遅刻した十五分に対して、説教が一時間続いたのはどう考えても無駄な時間だとは思ったが、
口に出す愚はおかさなかった。
本来の上司である総務部長は自分の席で仕事をして我関せず。
もともとそういう人だとわかっていたが、
助け舟を出してくれるだろうと変に期待してしまったのは失敗だった。
おかげで仕事は長引き、家に帰ってきたのは夜の十時頃。
風呂に入って、冷蔵庫から取り出したビールで一心地つくと十一時前になっていた。
「話があるんだろう」
座椅子に座ってうとうとしていると目の前に淡く光るコインが現れた。
それが発した不機嫌そうな声で、微睡みから呼び戻される。
( ФωФ) 「話はあった。だけど今日はもう疲れた」
- 51 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:38:49 ID:y9YySBcU0
「それなら明日にするのか。それとも明後日か。
いつ何時命を落とすとも限らない貴様が、後伸ばしにするのであれば私に言うことは無い」
( ФωФ) 「……それもそうだな。無理してでも聞いておいたほうが良いのは事実だ
少し待て」
洗面所で蛇口をひねる。
勢いよく出てきた水で顔を洗って眠気を飛ばしてから、部屋に戻った。
( ФωФ) 「何から聞くかな……。そうだな、お前は一体何なんだ」
「私は自身を欲望メダルとして認識している。なぜそう名乗ったのかは知らないが」
( ФωФ) 「欲望メダル……その名の通り欲望を具現化したものなのか」
「具現化とは違う。私は欲望そのものと言ってもいい。
お前の欲望が転じて私を生み出したというわけだ」
( ФωФ) 「お前のことはわかった。聞いても意味がないという事だけな。
なら、今日のあの化け物は何だ」
「自信の欲望に飲み込まれた人間の末路だ。
負の感情で塗りつぶされた瞬間に、欲望メダルを生み出してしまった人間のな。
便宜上、壊人とでも言おうか」
- 52 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:39:36 ID:y9YySBcU0
( ФωФ) 「壊人……」
「湧き上がる欲をコントロールしてこそ人間と言うもの。
その手綱を手放してしまえば、人としてはもう壊れてしまっている」
( ФωФ) 「たかがメダルの癖にうまいこと言ったものだな」
「私は貴様自身でもある。自らを貶すことも大概にしておけよ」
( ФωФ) 「余計なお世話だ。欲望ごときで、姿まで変わってしまうものなのか」
「たかだか欲望と侮るな。人間の持つ力の中で最も大きな力だ。
壊人と同じ目に合いたくないのなら、もう少し考えることだな」
( ФωФ) 「御忠告どうも。それで欲望の中心を壊せば元の人間に戻るわけか」
「元の……とはいかないだろうな」
( ФωФ) 「どういう事だ」
「壊人の急所は欲望そのものが具現化した結晶だ。
それが破壊されてしまえば、それまで通りとはいかない。
無気力にただ生きるだけの抜け殻のようになってしまう」
- 53 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:40:38 ID:y9YySBcU0
(; ФωФ) 「なっ……!」
「程度はその人によりけりだがな。
一つだけ言っておく。あの場では貴様がとった行動はベストだった。
自分を責めるなどという無駄なことはしてくれるなよ」
( ФωФ) 「……ふん。今日のあれは、どのみち正当防衛だ。
話は充分聞かせてもらった。俺はもう寝るぞ」
「私自身わかっていないこともまだ多くある。
気を付けることだ」
欲望メダルは胸の中に吸い込まれて消えた。
結局その存在について大したことはわからなかったが、
会話が通じるだけでも有難いことだ。
焦らなくとも、そうそうあんな化け物が現れるわけじゃない。
( ФωФ) 「おっと、そういえば、手紙が来ていたな。
む、なんだこれ」
机の上に乱雑に放り投げていた配達物の山を仕分けする。
クレジットカードの請求書や、携帯の料金についての案内を全て破って捨てると、
最後には、あまり見ることがないお洒落な封筒が残った。
- 54 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:41:52 ID:y9YySBcU0
他の部屋と間違えられたのかとも思ったが、宛名にあるのは確かに俺の名前。
裏返してみると、手紙をとり落とすほどの衝撃が走った。
(; ФωФ) 「しぃ!?」
差出人の名前は、娘のものに間違いがない。
だが、その苗字には見覚えがない。
少なくとも、デレの旧姓ではなかった。
( ФωФ) 「まさか……」
苗字が変わるなんてことは、ある特定の状況でしかありえない。
それならば、やけにお洒落な封筒にも得心がいく。
破いてしまわない様に苦労して開く。
中に入っていたのは、返信用はがき。
( ФωФ) 「そうか……結婚したのか……」
実感はあまりわかなかった。
もう十数年もあっていない娘が、何故今更自分を招待してくれたのかはわからない。
それでも、ようやく機会に巡り合えた。
- 55 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:42:22 ID:y9YySBcU0
娘に会いたくない父親などいるわけがない。
すぐさま手元のボールペンで参加に大きな丸を付けた。
( ФωФ) 「明日、すぐに出しておくか」
忘れるなんてことは絶対にありえないが、
返事は出来るだけ早いほうが良いに決まっている。
( ФωФ) 「どんな相手なのだろう」
彼女の決めた夫を、自分の立場で否定するつもりは無い。
出来るだけ受け入れてやるつもりだ。
でも、出来るなら金髪のヤンキーではない方が有難いのだが。
突然の結婚式という情報に、頭の中で思考がぐるぐると渦巻いていたが、
電気を消して目を閉じると、一分も数えないうちに眠りに落ちていた。
- 56 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:44:45 ID:y9YySBcU0
*
喫茶店で壊人に襲われてから一週間が経過していた。
今まで通りのつまらない毎日。
とはいえ、訳のわからない化け物に命がけで戦いを挑むくらいなら、
営業部長に怒鳴られる日々もいくらかマシというものだ。
あの夜以来、欲望のメダルは一言も発していない。
あいつと一緒に不思議な力も消えてしまったのなら、どんなにいいことか。
( ФωФ) 「ふぅ……」
右手が震える。
パソコンに打ち込まれていく文字は、意味のなさないアルファベットの羅列。
戦いの翌日から感じていた右手の痺れは、和らぐことなく続いていた。
コーヒーカップを持ち上げるのにも苦労するほどの震え。
最初はただの疲労だと思っていたが、いっこうに良くならない。
念のために、病院の予約をしておいた。
有給の申請書を出すのにも、わざわざ別部署の部長が文句を言って来たせいでいろいろと面倒だったが。
午前中で仕事を切り上げ、市内の総合病院に向かうためにタクシーを会社の前に呼ぶ。
- 57 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:45:28 ID:y9YySBcU0
( ФωФ) 「部長、すいません」
「ああ、行っておいで」
( ФωФ) 「失礼します」
「うん」
穴が空くほどこちらを睨みつけてくる営業部長に会釈をし、エレベーターに向かった。
掃除のおばさんと入れ換わりで乗り込み、一階のボタンを押す。
「おい」
( ФωФ) 「今まで黙っていたと思ったら急にお喋りか」
「近づいてきている」
( ФωФ) 「何が」
「壊人だ」
(; ФωФ) 「くそっ、なんでこんな時に……」
咄嗟に、他の階のボタンを押す。
辛うじて二階のボタンが間に合い、エレベーターが停止した。
- 58 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:46:04 ID:y9YySBcU0
( ФωФ) 「何処にいるのかわかるのか」
「真下だ」
( ФωФ) 「ということは一階か。暴れている様子は無さそうだが……」
階下からは騒ぎ立てる人の声は聞こえない。
ということは、壊人としての姿を現していないのだろう。
この時間に、一階ロビーに誰もいないことなどあり得ない。
「杉浦!」
焦ったような声は爆音に書き消された。
突然の浮遊感で、足元が消失したのだと気づいた。
(; ФωФ) 「痛っ……」
運良く瓦礫に埋もれるようなことはなかったが、
スーツのズボンが破れた箇所が真っ赤に腫れていた。
激しい痛みが頭に響く。
「来るぞっ!」
(; ФωФ) 「へっ、変身!」
- 59 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:51:22 ID:y9YySBcU0
周囲の人影を確認することなく叫んだ。
後一秒でも叫ぶのが遅ければ、俺の人生はそこで終わっていたのだろう。
変身した直後に感じた恐怖の塊が、交差させた両腕にぶつかって弾けた。
\¥・∀・¥\ 「壊人殺し……お前がそうか」
目の前に立っていたのは、王冠を被った男。
金色のペンキを頭から被ったかのような見た目が異様さを際立たせていた。
≪ ●〓●≫ 「いきなり何をする」
\¥・∀・¥\ 「欲望のままに生きる俺たちの邪魔をするお前を排除する」
≪ ●〓●≫ 「ぐっ」
振り回される鎚は、ガードの上からですら肺臓を揺する。
「気を付けろ。この男は貴様と同じで欲望を飼い慣らしている」
≪ ●〓●≫ 「つまりどういうことだ」
「前の壊人とは比較にならんということだ」
- 60 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:51:55 ID:y9YySBcU0
\¥・∀・¥\ 「話をしている余裕があるのか?」
コンクリートを容易く砕くほどの重厚な鎚を持ちながら、その速度は俺と同等。
足の負傷は変身でいくらかマシになったとはいえ、万全からは程遠い。
\¥・∀・¥\ 「どうした! 裏切り者!」
≪ ●〓●≫ 「仲間になったつもりはない」
\¥・∀・¥\ 「欲望メダルの力を得ていながら、そのいいわけは苦しいぞ!」
≪ ●〓●≫ 「ふんっ」
鎚とかち合わせた右腕の剣は弾かれ、
その衝撃で罅が拡がり、半ばほどで二つに折れた。
まるで右腕がもげたかのような激痛に動きが鈍る。
\¥・∀・¥\ 「腹が隙だらけだ」
≪ 〇〓●≫ 「ぐぅっ……!」
内臓が吹き飛んだかのような衝撃で、コンクリートの壁に叩き付けられた。
息が止まって視界が明滅する。
怖気を感じて頭を下げた瞬間に、頭部があった場所の壁が消滅した。
- 61 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:52:35 ID:y9YySBcU0
\¥・∀・¥\ 「他愛ない。その程度の実力しかないのであれば、
正義など気取らずに己の欲望に素直になればいいのだ」
≪ ●〓●≫ 「はぁぅ……ぐ……」
\¥・∀・¥\ 「鬱陶しいヒーローもどきにはここらでご退場願おう」
膝をついたまま動けない。
目の前に迫り来る恐怖によって、逃げるという選択肢すらも奪われていた。
男が一歩ずつ近寄ってくるのをただ呆然と眺める。
手に持つ黄金の槌は、先端部を鋭い刃に変化させていた。
コンクリートすら破壊する一撃を、耐えられるはずもない。
死の足音は目の前にまで迫っていた。
「諦めたのか」
≪ ●〓●≫ 「うるさいな」
抗えようもない。力の差は歴然。
どれだけあがいたところで、みっともなく殺されるのがおちだ。
それならば、抵抗しない方が楽に死ねる。
- 62 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:53:35 ID:y9YySBcU0
≪ ●〓●≫ 「そうだろ?」
「お前が奴に劣っているのは、欲望の強さ。
そうやって投げ出してしまえば、勝率はゼロ。
だがもし戦うというのなら、そのための方法を教えよう」
≪ ●〓●≫ 「……心残りが一つだけある」
「知っている」
≪ ●〓●≫ 「……娘の結婚式」
手紙に書かれていた短いメッセージは、見慣れない字体。
娘はどんな気持ちで俺に手紙を送ってくれたのかわからない。
だから会いたい。会って話をしたい。会って謝りたい。
それがただ一つの、俺がここで死ねない理由。
「強く深い欲望は、全て貴様の力となる。
だから願え。自らの生存を確たるものとするために」
- 63 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:54:14 ID:y9YySBcU0
≪ ●〓●≫ 「っ……はぁっ───……」
\¥・∀・¥\ 「覚悟を決めたか?」
≪ ●〓●≫ 「ああ、生きる覚悟をだ!」
\¥・∀・¥\ 「ぬっ!?」
首元を狙って突き出した折れた刃。
男は必要以上に飛び下がって避けた。
≪ ●〓●≫ 「当て推量ではあったが、その露骨な動き。
どうやらそれがお前の核で間違いなさそうだな」
\¥・∀・¥\ 「ちっ……」
≪ ●〓●≫ 「その派手な見た目。……金欲か」
\¥・∀・¥\ 「ふん。だったらなんだ」
≪ ●〓●≫ 「そんな下賤な欲望に負ける気はしないと、そう思っただけだ」
\#・∀・¥\ 「ふざけたことをっ!」
- 64 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:55:05 ID:y9YySBcU0
勘違いをしていた。
相手は自分よりも強いのは、欲望によって強化された基本能力だけだ。
この平和な世の中に住んでいた俺たちが、命がけで戦う技術に、
いったいどれだけの差があろうか。
少なくとも壊人は一ヶ月以上前には存在していなかった。
表立って行動し始めたのはこの一週間ほど。
だからこそ、テレビは連日同じような内容を放送している。
振り抜かれた槌は、屈んだ頭の上を通過して風を切る。
強気なこの男であっても、戦闘においてはただの素人。
重たいものの軌道はそう簡単には変えられない。
\¥・∀・¥\ 「なにっ……」
≪ ●〓●≫ 「ぬうおおおおお!!」
がら空きの腹部に一度、渾身の右ストレートを叩き込んだ。
剣が黄金色の鎧の隙間に突き刺さる。
\¥・∀-¥\ 「ぐぎぃい……」
≪ ●〓●≫ 「ふんっ!」
- 65 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:56:34 ID:y9YySBcU0
素人丸出しの左手パンチ。
利き手と反対の一撃も、強化された身体能力で敵を浮かすまでに至った。
\¥・∀・¥\ 「いきなり何が……」
槌を取り落として膝をついた男。その頭を蹴り抜いた。
自動ドアのガラスをぶち抜いて、道路にまで転がっていく。
直後に聞こえたのは、集まっていた野次馬とテレビ局の悲鳴。
≪ ●〓●≫ 「はぁっ……」
報道によれば、壊人化の事件で少なくない人が命を落としたりしているはずなのに、
自分は大丈夫だとでも思っていたのだろうか。
危険に対する無関心には、ほとほと呆れる。
≪ ●〓●≫ 「くそっ……」
放っておけばさらに面倒なことになるのは火を見るよりも明らかだ。
玄関を飛び出して、壊人が一般人に向けて伸ばしていた腕を跳ね飛ばした。
\¥メ∀・¥\ 「ぎぃ……」
≪ ●〓●≫ 「その手はもう見た」
- 66 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:57:13 ID:y9YySBcU0
あの時の触手を持つ壊人と違い、人型を保っているこいつとは、
群衆を護りながらでも十分に戦える。
\¥・∀・¥\ 「くっ……」
血の代わりにどす黒い液体が傷口から溢れ出て来る。
それは地面に落ちては蒸発していく。
≪ ●〓●≫ 「諦めろ」
\¥・∀・¥\ 「いや、まだだ……!」
立ち上がった男は、槌をその身体に取り込んだ。
全身の鎧はさらに分厚く堅牢になり、奪ったはずの右腕が再生していた。
≪ ●〓●≫ 「なっ!?」
気づいた時には跳ね飛ばされていた。
車に轢かれたような衝撃で、オフィスのあるビルの中まで。
トラックすら止めたこの身体でさえ、全身の骨が悲鳴を上げていた。
≪ 〇〓●≫ 「ぐっ……」
- 67 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:58:10 ID:y9YySBcU0
\¥・∀・¥\ 「奥の手まで使わなければならないか。
もはや動けまい。俺の勝ちだ」
≪ ●〓●≫ 「くそっ……」
抵抗する意思はある。気概もある。
それでも、指先が辛うじて動かせる程度。
≪ ●〓●≫ 「動け……! 動け……! この後に動けなくなってもいい!
だから今だけは、こいつを倒すまでは!」
\¥・∀・¥\ 「無駄だ。潔く死ね!」
俺の頭をトマトの様に潰そうと、金色の拳が振り下ろされる。
≪ ●〓●≫ 「ぐうおおおおお!」
腹の底から叫んだ。全身を奮起するために。
心の果てから欲望を引きずり出す。
黒く渦巻く澱みが前に進むための力となる。
\¥・∀・¥\ 「!?」
- 68 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 22:58:54 ID:y9YySBcU0
\¥・∀・¥\ 「!?」
拳が砕いたのはコンクリートの廊下。
残された全力で、俺は右腕の剣で男の喉元を貫いていた。
\¥ ∀ ¥\ 「かぁっ……ぁ……」
≪ ●〓●≫ 「これで……人間に戻れる」
倒れた男が身に纏っていた金色の鎧は、跡形も無く消失した。
自分と同じくらいの年でありながら、身に付けている服は襤褸切れ。
髭も髪も好き放題に散らかっていた。
≪ ●〓●≫ 「浮浪者か……金の欲望に溺れるわけだ……」
「さっさと逃げろ」
≪ 〇〓●≫ 「わかってい……る……?」
崩落した天井を越えて二階に飛び上がった時、立ちくらみに襲われて膝をついた。
激しく酔った時のように視界はグルグルと回転し、
喉元まで吐しゃ物が込み上げてくる。
≪ 〇〓●≫ 「っ……!」
「おい、どうした杉浦! すぎう……!」
変身が解けたのを確認した瞬間に、意識が暗がりに引きずり込まれた。
- 69 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:01:54 ID:y9YySBcU0
*
( +ω+) 「くっ……」
目を覚ました瞬間から、胸の中に溢れ出て来る何かを抑え込む。
ぎゅっと閉じた瞳をゆっくりと開けると、見慣れない風景が飛び込んできた。
( +ωФ) 「ここは……」
最初に気付いたのは消毒薬の臭い。
次に白い天井と硬い布団。
首を回してみれば、腕には点滴が繋がっていた。
片腕は完全に動かず、戦闘前に打ち付けた足はしびれが残っている。
「目を覚まされましたね、杉浦さん。ここはヴィップ総合市民病院です。
化け物が暴れていたビルの中で倒れていたところを運び込まれたんですよ」
( ФωФ) 「あ、ああ」
「足くらいにしか目立った外傷はなかったのですが、三日も寝込んでいらっしゃったのです。
どうです。身体は動かせますか?」
- 70 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:02:24 ID:y9YySBcU0
( ФωФ) 「っ……」
左腕一本で身体を持ち上げる。
優しく添えられた看護師の腕に支えられながら、なんとか上半身を起こすことができた。
「無理に動かさないでくださいね。筋肉が驚いてしまいますので。
起き上がることができたのなら、きっとすぐ歩くことができますよ」
(; ФωФ) 「待ってくれ! 三日も寝ていたということは今日は何日だ」
「十月の七日ですよ」
( ФωФ) 「そうか……」
記憶が正しければ、娘の結婚式は十月の十二日。
最悪の結果には至っておらず、胸を撫でおろした。
( ФωФ) 「いつ頃退院できるだろうか」
「歩けるようになれれば、明日にでも」
( ФωФ) 「なら……っ!!」
- 71 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:03:27 ID:y9YySBcU0
「大丈夫ですか!?」
( ФωФ) 「ええ……」
「リハビリをお手伝いする担当の者を連れてきますので、そのままお待ちください
病室を足早に出ていった看護師の背を見送った。
手持無沙汰になり、改めて病室内を見回す。
ベッドは一床しかなく、テレビや本棚、ラジオなど日常生活を送れるだけの設備が整っていた。
保険には入っているが、これだけ贅沢な個室となれば、支払いを心配せずにはいられない。
「悠長なものだな」
そんな心情を盗み見た、自分のものではない意志が呟いた。
( ФωФ) 「オーガストか。俺に何が起きた」
「二階に上がった途端に気絶して倒れた。それ以上の事は私も知らない」
( ФωФ) 「役に立たない奴だ」
「私は貴様の一部であって、憑依しているわけでも観察しているわけでもない。
便利な案内役ではないのだと心得よ」
- 72 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:04:45 ID:y9YySBcU0
( ФωФ) 「右腕が全く反応しない」
「さてな。私にも原因はわからん。
ただ、その症状は進行している。一度目の壊人と戦った後よりも、今の方がひどい。
みなまで言わずともわかるだろう」
戦えば戦うほど、身体の自由を失っていく。
それが俺の欲望の代償だとするならば、あまりにも重たすぎる。
所詮落ちぶれた四十の身で、他人を護ろうなどとは過ぎた願いだったわけか。
「壊人と戦うことをやめるべきだろう」
( ФωФ) 「俺が望んだのは俺の平穏ためだと思っていた。
だが、きっとそれ間違っていたんだろう」
「どうしてそう言い切れる」
( ФωФ) 「あいつと戦っていた時、俺は一般人を脅威から護っただろ。
その事実に、正直胸が震えた。
今日目を覚ました時、俺が最初に得たのは達成感だった。
誰かを護れるのなら、俺は……」
「命すら惜しくは無いと。無意味な嘘を吐くな。私にはわかる」
( ФωФ) 「偉そうに……」
- 73 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:05:20 ID:y9YySBcU0
「ふん、長生きをしたければこの病院はさっさと離れることだな」
( ФωФ) 「どういう事だ」
「嫌な気配がずっと漂ってる。かなり濃い欲望だ。
この病院全体を覆ってやがるせいで、どこの誰かははっきりしないがな。
このレベルの欲望が解放されれば、貴様では歯が立たないだろうな」
( ФωФ) 「警告はありがたく受取っておくさ。
どのみち歩けるようになるまでは退院できないがな」
「娘の結婚式があるのではないか」
痛いところをついてくる。
そうだ。だからそれまで俺は死なない。死ねない。
花嫁姿を見るまでは、孫の顔を見るまでは。
俺の前では誰も不幸にさせない。
「ふん、私の立場からすればその強欲は褒めておくべきだろうな」
会話を遮るノックの音。
入って来たのは自分より少し年上であろう男性の看護師だった。
- 74 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:05:58 ID:y9YySBcU0
( ,,^Д^) 「杉浦さん、お待たせしました。リハビリ担当の高良です。
よろしくお願いします。」
( ФωФ) 「こちらこそ」
( ,,^Д^) 「早速ですけど、立ち上がれそうですか」
( ФωФ) 「ええ、なんとか」
右腕は相変わらず何の感触もなく、重たいだけの荷物のようだ。
左手だけに力をいれ、ベッドの端に足を並べた。
( ,,^Д^) 「右手の調子が悪いのですか?」
( ФωФ) 「指先まで全く感覚が無いんです」
( ,,^Д^) 「うーん、先生はおかしいところは無かったと言っていたんですけど。
もう一度精密検査をしてみますか?」
( ФωФ) 「いえ、結構です。そのうちよくなるでしょう」
一回目の検査でわからなかったのなら、何度したところで無駄だろう。
欲望メダルなんていう非現実的な存在が関わっている事象を、
現代医学が解明できるわけがない。
- 75 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:08:55 ID:y9YySBcU0
(; ФωФ) 「ぐっ……」
( ,,^Д^) 「どこか痛みますか?」
( ФωФ) 「足が少し。立てないほどではないですが」
背中を支えてもらいながら、歩行器を片手で掴む。
だらりとぶら下がった右腕はそのままに、左手だけで体重を支える。
営業部長の嫌がらせのせいか、ここ数年の体重は横這いだった。
感謝するわけもないが、意外な恩恵に助けられた。
( ,,^Д^) 「歩くことは?」
(; ФωФ) 「ふっ……」
ただの一歩が重たい。
足は上がらず、引き摺りながら前に踏み出した。
ただ歩くことに、苦労する日がこんなにも早く来るとは思わなかったな。
あと十年は大丈夫だとたかを括っていた。
( ,,^Д^) 「凄いですね。すぐに歩行器なんて必要なくなりそうです」
(; ФωФ) 「そうでなくては困るんです。
娘の結婚式が五日後に迫っていまして」
- 76 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:09:31 ID:y9YySBcU0
( ,,^Д^) 「それはおめでとうございます。身体は健康そのものです。
今の調子でいけば、十分間に合いますよ」
(; ФωФ) 「有難うございます」
腕を使わずに立つのはまだ難しそうだが、足は段々と歩き方を思い出してきたらしい。
たった一時間ほどの訓練で、病室内をくるくると周回する程度ならこなせるようになってきた。
本当に身体には異常がないのだろう。
(; ФωФ) 「ふっ……ふぅ……ふぅ……」
( ,,^Д^) 「さて、そろそろ止めておきましょう。あまり無理をすると逆に良くありませんから」
額から汗を流すほどハードの運動を続けていたようだ。
ベッドの端に座った途端に、疲労感が全身にのし掛かってきた。
(; ФωФ) 「ふぅっ……」
( ,,^Д^) 「今日は読書なりして過ごしてください。明日から本格的なリハビリを行いますので。
あ、あと、消灯時間は十時となっていますので、宜しくお願いします」
( ФωФ) 「確かコンビニがありましたよね」
- 77 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:10:12 ID:y9YySBcU0
以前ヴィップ総合病院に来たのは、健康診断の結果が悪かった時だ。
その時に、検査までの待ち時間を潰すために雑誌を買った記憶があった。
( ,,^Д^) 「ええ、少し割高にはなるんですが、部屋までお持ちするサービスもやっています。
そちらのタブレットで注文してください」
( ФωФ) 「はぁ、タブレットですか」
枕元の充電スタンドにささっている手のひらサイズの電子機器。
ここまでサービスのいい個室に入院するはめになるとは思いもしなかった。
保険はいくら降りるだろうか。
全く、後が怖い。
( ,,^Д^) 「万が一何かありましたら、ナースコールを押してください。赤いボタンがそうです」
手の届く範囲にぶら下がったリモコンを指差す。
( ФωФ) 「わかりました」
( ,,^Д^) 「それでは失礼します」
リハビリ担当を見送り、タブレットに手を伸ばした。
電子機器が不得意なのはわかっていたことだったが、
電源をいれるだけなのに五分もかかってしまった。
ようやくコンビニの注文画面にたどり着き、いくつかの雑誌と少々割高なビール、つまみを注文した。
- 78 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:10:56 ID:y9YySBcU0
( ФωФ) 「ふぅっー……」
かごを持ってコンビニ店員が部屋に来たのは、注文してから十分ほど経ってのことだった。
料金は退院時に払えばいいらしく、若干の不安を感じながら商品を受け取った。
早速缶ビールを開けようとして、右手が動かないことに気づく。
左手一本でプルタブを苦労して空け、喉をならしてあおった。
(//ФωФ) 「ぷはっ!」
「アルコール中毒者め」
(//ФωФ) 「わざわざそんなことを言いに来たのか」
喉を通り抜けていく冷たい液体と、弾ける炭酸の爽快感で、
ここが病院であることすら忘れることができた。
程よい酔いに抱かれ、窓の外を眺める。
沈み始めた太陽が空を朱く染まった空に、何の前触れもなく黒い影が蠢いた。
(; ФωФ) 「なんだっ!?」
幻覚ではない、確かな存在感。一瞬だけ揺らめいた影は、瞬きしたのちには消えていた。
綺麗なグラデーションの夕焼けが空を焦がす。
- 79 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:11:33 ID:y9YySBcU0
「……何かが、いる」
( ФωФ) 「壊人か」
「まだ違う。だが……」
( ФωФ) 「そう簡単に壊人が生まれたりはしないだろ。
じゃなきゃこの世は怪人まみれになっているはずだ」
「貴様はさっさと退院することだけを考えておけ」
( ФωФ) 「そうさせてもらうさ」
二本目のビールを飲み終え、雑誌を開く。
最近起きた壊人のニュースが事細かに乗っていた。
周辺の都市の中で最多の人口を誇るヴィップ市周辺でも、起きた事件はたった二件だけ。
その両方に自分が絡んでいるのは驚きだが。
他の都市での発生した事件も、警察の手によって解決されているらしい。
俺が無理をしなくても、いずれ解決はしたのだろう。
そう思えば寂しくもあったが、
次のページに纏められていた情報を見て少し嬉しかったのは正直な気持ちだ。
- 80 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:14:11 ID:y9YySBcU0
他都市と比較してヴィップ市の被害は極端に小さかったのだ。
人的被害はほぼゼロ。物的被害も額面の桁が違う。
変身した自分の姿も、かなり写りが悪かったが載っていた。
記事のタイトルは、怪人同時の仲間割れ。
そのページにはかなり気分が害されたが、
総括的に見れば人間の味方だとする説もきちんと載っていた。
ほんの少しの達成感を得て、ベッドに横になった。
*
「杉浦さんー杉浦ロマネスクさんー」
( ФωФ) 「はい」
ロビーにいる少なくない人の視線を感じながら、受付に向かった。
右腕は棒のように動かないが、自由に歩き回る程度には回復した俺は、
当初の予定通り退院を願い出た。
入院中にしつこく勧められて再検査をするも、結果は正常。
右腕に起こっていることはわからないままだ。
- 81 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:14:34 ID:y9YySBcU0
「これはお薬です。痛みがするときに飲んでください」
( ФωФ) 「ありがとうございます」
「さて会計ですけど、入院中に保険会社の方から連絡がありまして。
大変お伝えし辛いんですけど、個室が保険適用外となっていまして……」
( ´ФωФ) 「はぁ……」
「とりあえず、これなんですけど。流石に持ち合わせは無いですよね」
渡された請求書の金額は予想よりも一桁大きかった。
あまりの額に、手元の書面と受付の女性を見比べる。
(; ФωФ) 「振込でも?」
「ええ、では振り込み書がこちらです。
期限はひと月となっておりますので、お気を付けください」
( ФωФ) 「わかりました」
「お大事に」
- 82 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:15:56 ID:y9YySBcU0
見た目よりもずっと重く感じる振込用紙一式を受け取って、自動ドアをくぐった。
この数日間ずっと纏わりついていた消毒薬の臭いが、太陽によって清められていく気がする。
まだ太陽が低い位置にある空をしばらく見つめてから、明るさに目を慣らす。
朝一番のタクシー乗り場は、まだまばらに並んでいる。
一番前で待っているタクシーに乗り込む。
自宅の住所だけを告げ、背もたれに全体重を預けた。
程よい振動と温もりでうとうとしているうちに、目的地に着いたのだろう。
運転手がこちらを向いて料金を伝えて来る。
( っωФ) 「ああ、どうも」
完全に開ききっていない目を擦りながら、メーターの金額を確認する。
ポケットの財布から降り曲がった千円札を三枚取り出して渡した。
お釣りを受け取ってタクシーから降りる。
たった数日留守にしていただけなのに、妙に懐かしく感じる我が家の前でたちずさむ。
といっても、マンションの玄関なのだが。
あまり長いこと立っているとそれだけで通報されかねない。
- 83 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:17:21 ID:y9YySBcU0
暗証番号を押すと自動ドアが開く。そのままエスカレーターに乗って目的の階へ。
自分の部屋に帰って来た時、自然と声が零れていた。
( ФωФ) 「ただいま」
応えてくれる声は無く、部屋の中には平穏が佇んでいた。
もう長いこと使っておらず埃っぽいスーツを取り出して、叩く。
クリーニングにかけてからきちんと仕舞っていたおかげで黴臭くは無い。
すぐに着られる状態であることに安堵しながら、袖を通した。
( ФωФ) 「ネクタイは、結べないか」
いつもより何倍も苦労してスーツに着替えると、ネクタイを丸めてポケットにしまった。
会場への地図が入った案内状を懐に仕舞い、玄関から出る。
駅までの道のりはいつもと変わらない。
日曜日なせいか、少しばかり静かだが。
駅について切符を買う。
今日乗車するのは、会社に向かう電車とは反対側の路線。
とは言っても環状線であるために、どちら側に乗ろうと目的地には辿り着けるのだが。
座席はがら空きだ。
まばらに乗っている人は誰もこちらを気にしない。
のんびりと電車に揺られて、流れゆく景色を眺める。
立ち並ぶビル群に派手な広告。見慣れない建物が気分を高揚させる。
- 84 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:18:16 ID:y9YySBcU0
朝起きて仕事に向かい、夜は自宅でゆっくりと過ごす日々。
日曜祝日はただ悪戯に時間を浪費していた。
灰を被ったような人生が、いつになれば終わるのだろうかと考えたこともある。
しぃが分け与えてくれた幸せを、噛み締めなければ。
これから先、もう二度と会えないとしても。
今日という日を俺は大切にしよう。
( ФωФ) 「さて、行くとしようか」
駅のロータリーを指定の場所まで歩く。
会場まで送ってくれるバスはすぐに見つけることができた。
「杉浦……」
( ФωФ) 「なんだ」
「……なんでもない」
( ФωФ) 「式の間は話すなよ」
「そうしよう」
指定された会場行バスの中、窓を眺めて出発するのを待つ。
座席で他の人達は誰も彼も楽しそうに話をしている。
やがて運転手が歩いてきた。席が埋まったのを確認してから、式場へと向かって動き出す。
- 85 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:19:37 ID:y9YySBcU0
十分ほどの移動時間で、荘厳な教会の前に止まった。
他の参加者が降りるのを待ってから、一番最後に降りる。
受付はまだ始まっておらず、近くの生け垣に腰を下ろした。
退院したばっかりの身に立ちっぱなしは少々つらい。
付近を見回していると、少し離れたところにお洒落な喫茶店があった。
中から店員らしき人物が出て来て、オープンの看板が掲げられる。
まだ開始まではしばらく時間があるのだから、コーヒーでも飲もう。
そう思って、喫茶店に向かった。
|゚ノ ^∀^) 「いらっしゃいませー」
扉を開けた瞬間に溢れ出したコーヒーの香り。
朝一だというのに、サイフォン管の中で沸騰した水がこぽこぽと音を立てている。
柔らかな笑顔の女店主に迎えられ、式場が良く見える窓際の席に座った。
これで万が一にも遅刻をするようなことは無いだろう。
|゚ノ ^∀^) 「ご注文がお決まりになりましたら呼んでください」
( ФωФ) 「うむ」
手作りのメニューには、予想よりも多くのコーヒー豆が載っていた。
オリジナルのブレンドもしてくれるみたいだが、そこまでコーヒーに造詣が深いわけではない。
- 86 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:20:14 ID:y9YySBcU0
( ФωФ) 「すいません、注文を」
|゚ノ ^∀^) 「はい」
( ФωФ) 「このおススメをホットで。それから、エッグサンドを」
|゚ノ ^∀^) 「ミルクと砂糖はお付けいたしますか?」
( ФωФ) 「いや結構」
|゚ノ ^∀^) 「少々お待ちください」
朝一番だけあって他の客はいない。
しばらくすれば他の招待客が来るかもしれないが、それまではこの静寂を楽しもう。
優しいジャズの音色に合わせて、コーヒー豆を挽く音が重なる。
続いてフライパンにひいた脂が弾ける音。
落とされたのは卵が二つ。
狙いすましたかのように焼き上がる食パンを、フライパンに押し付け卵を纏わせる。
スライストマトとレタスにマヨネーズをかけて挟み込んで完成。
調理をする女性の手元は見えなくても、音が明瞭に工程を教えてくれる。
|゚ノ ^∀^) 「お待たせしました」
- 87 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:21:08 ID:y9YySBcU0
湯気が立ち上るコーヒーと、とろけるエッグサンド。
数日間の病院食のうちに忘れていた食欲が一斉に立ち上がった。
( ФωФ) 「うまい……」
シンプルな味付けが食パンに染み込んだバターと程よく合う。
食感も飽きさせず、一皿をすぐに平らげてしまった。
コーヒーは香りを楽しみながらゆっくりとカップを傾ける。
|゚ノ ^∀^) 「今日は結婚式ですか?」
( ФωФ) 「ええ」
|゚ノ ^∀^) 「おめでとうございます」
( ФωФ) 「ありがとうございます」
|゚ノ ^∀^) 「何かご注文がありましたら、そちらのボタンを押してください。
どうぞゆっくりしていってくださいね」
女店主は年代物のブラウン管テレビをつけると、そのまま奥の部屋に向かった。
朝のニュースは取り留めない動物園の話題。
新しい動物の子供が生まれたことを取り上げている。
- 88 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:22:38 ID:y9YySBcU0
ここ一ヶ月の間で頻繁に発生している壊人の事件については、何も触れられていない。
不安を煽るよりも、話題を逸らすことを選んだのだろう。
チャンネルを変えてみても、どこも同じような特集を組んでいた。
受付の三十分ほど前になって窓の外に目を向けると、人だかりができていた。
結婚式の招待客が到着し始めたのだろう。
会計を済ませて外に出ようとした時、ニュースキャスターたちが突然慌ただしくなり、
何枚かの原稿が本来写るはずの無いスタッフから手渡された。
緊急のテロップと共に、画面を埋め尽くした白い巨体。
不定形なそれは、五階建ての病院を崩壊させながら起き上った。
地面に落ちている看板には、今朝見たばかりの文字が並んでいる。
(; ФωФ) 「ヴィップ総合病院……! なんだ……あれは……」
蛞蝓のように瓦礫の上を這う巨体。
カメラは大きく揺れながら、化け物から遠ざかっていく。
視点が、上空からのものに変わる。
ヘリコプターから撮られたであろう映像は、それが移動していることを明らかにしていた。
固体と液体の中間の様な身体で、進行方向にある建築物を容赦なく破壊していく。
ただ一直線、何かに惹かれているかのように進む。
化け物の通りすぎた後には溶解したコンクリートと鉄筋だけしか残っていない。
- 89 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:23:43 ID:y9YySBcU0
テレビに釘付けになっていた俺の横っ面を叩くかのように、無機質なサイレンの音が鳴り響いた。
喫茶店の眼の前で止まったパトカーから降りてきた警察官が二人。
店内を見回して店員がいないのを確認すると、一人は奥へと入っていった。
何が起きているのか問う前に乱雑に手渡された一枚の紙。
そこに描かれていたのは付近の地図で、中心を真っ赤な太い線が南側から真っ直ぐ縦断していた。
「こちらは避難区域に指定されました!
すぐに一キロ東のヴィップ第二小学校まで避難してください」
( ФωФ) 「どういうことだ」
「あれですよ」
警官の一人が指差したのはテレビに映った化け物。
手元の地図と同じ侵攻予定ルートがテレビにも表示されていた。
「とにかく今のところは真っ直ぐ進んでいるだけなので、
被害予定地の方には避難してもらっているんです」
( ФωФ) 「待て、ここが避難対象になるということは、あの教会もか」
窓の外に見える教会にも、別のパトカーが止まっていた。
騒ぎは聞こえないが、恐らく同じようなことを言っているのだろう。
- 90 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:24:13 ID:y9YySBcU0
(; ФωФ) 「今日は結婚式があるんだ!」
「申し訳ありませんが、避難していただくほかありません。
その旨は、関係者の方にも伝えています。
予想以上に移動速度が速く、あまり時間が無いんです」
|゚ノ ^∀^) 「お金は結構です。すぐに避難しましょう」
(; ФωФ) 「くそっ!」
|゚ノ ^∀^) 「お客さん!?」
何も考えずに飛び出していた。
警官の制止も聞かず、南側へと大通りを下る。
( ФωФ) 「五、六キロってところか」
青空に立ち昇る白煙は、化け物の現在位置を正確に教えてくれた。
テレビで見た移動速度はおよそ時速ニ十キロ。
十数分もすれば、ここの通りも廃墟に変わる。
ふざけるな。
今日のような大切な日を、欲望に取りつかれた馬鹿に邪魔させるわけにはいかない。
- 91 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:25:15 ID:y9YySBcU0
「戦うのか」
( ФωФ) 「当たり前だ!」
「貴様には勝てん。あれは人間の根源なる欲望。
これまでの独り善がりな欲望から生まれた壊人とは格が違う」
( ФωФ) 「娘の晴れ舞台を台無しにされてなるものか。
それにこの国ではあれは止められない。ここから先にも多くの人々が暮らしている」
「ふん。決めるのは貴様だ。だがこれだけは言っておく。
無謀と知りつつ急流に飛び込めば溺れるだけだ」
(#ФωФ) 「変身!」
身体能力を底上げする派手で真っ赤なスーツ。飛ぶも跳ねるも、まるで段違い。
再生した右腕の剣は、それまでが嘘のように思った通りに動く。
煙が立ち上る諸悪の根源を目指して、道路を踏み砕く勢いで加速した。
避難誘導が終わって、人っ子一人いない都市なのに、静寂とは無縁の世界。
白い巨躯が進むたびに道路が削れ、外灯が折れ、建物を崩す。
様々な破壊の音で溢れていた。
- 92 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:25:56 ID:y9YySBcU0
≪ ●〓●≫ 「流石に大きいな」
鞭のようにしなる腕の一本がビルを貫いた。
映画に出て来る怪獣のように、傍若無人に振る舞う壊人。
頭も足もなく、太い触手のような腕が数本あるだけの姿は、
もはや人と評することすら間違っているようにも思える。
≪ ●〓●≫ 「いくぞ……ッ!」
こちらに進んでくる化け物の動きは緩慢で単調。
ならば、削り切って欲望の核を破壊してしまえばそれで終わりだ。
今ならまだ娘の結婚式も執り行える。
ビルを貫いていた自分の身長よりも太い触手を一本、根元から切り落とした。
刃はするりと抜け、落ちた触手がビルに取り残された。
着地して構えた瞬間、肌に走る緊張感。
目の無い化け物は確かにこちらを認識した。
≪ ●〓●≫ 「ようやく俺に気付いたか」
「ギギギギギイイイ」
声にもならない叫び声をあげて、上から振り下ろされる白い腕。
それを正面から真っ二つに切り裂いた。
- 93 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:26:36 ID:y9YySBcU0
飛び散った肉片が蒸発していき、化け物の怒りが大気を振動させる。
耳を塞いで蹲りたくなる衝動を抑えて、一歩を踏み出した。
本体と思える巨大な塊に剣を突き立てる。
高温の刀身が、内部を焦がす。
≪ ●〓●≫ 「なにっ……」
「ガガギギアアア!」
両側から、飛び回る蚊を潰すかのように両腕が叩き付けらた。
避ける間もなく、肉の中に沈み込む。
≪ ●〓●≫ 「息が……」
いくら超人的な力を手にしても、呼吸は必須だ。
このままでは、肉の海で窒息死してしまう。
がむしゃらに剣を振るって道を切り開く。
視界を埋め尽くす白一色の肉壁は、何処までも続くかに思えた。
≪ ●〓●≫ 「ぶはっ……」
ようやく外に出られたとき、スーツの一部が煙をあげて溶けていた。
俺を飲み込んでいた白い塊は本体から分離し、国道で未だ蠢いている。
- 94 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:27:21 ID:y9YySBcU0
≪ ●〓●≫ 「待て……!」
こちらに興味を失ったのか、街に壮絶な傷跡を残して進んでいく。
全速力で正面に回り込んでから、一つの事実に気付いた。
最初にテレビで見た時は、五階建ての病院を飲み込むだけの大きさがあった巨躯が、
今はその半分程度しかないことに。
≪ ●〓●≫ 「このまま削り切る……!」
つまり、目の前の敵はただ大きいだけの木偶。
全ての行動を起こすにおいて、自身の質量を犠牲にしている。
再生能力も持たないのであれば、教会に着くまでに核を破壊することすら難しくはないはずだ。
「受けろッ!」
心の中の声に従い、咄嗟に両腕を前に構えた。
瞬きする間に目の前を埋め尽くしていたのは、白い腕。
≪ ●〓●≫ 「ぐぅっ……」
意識ごと吹き飛ばすかのような衝撃を受け、ビルの壁に打ち付けられた。
内臓を丸ごと吐き出してしまいそうなほどの痛み。
息が出来ずに、瓦礫の中から起き上がれない。
「油断をするなといったはずだ」
- 95 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:28:16 ID:y9YySBcU0
≪ 〇〓●≫ 「かっ……がはっ……」
「直に見て確信した。あれは人間の欲望の中で最も強い生存欲。
病院という環境でこそ生まれた壊人だ」
≪ 〇〓●≫ 「せい……存……」
「見ろ、貴様が奴を削ったせいで、奴は進化した」
白い化け物の壊人は、十分の一以下の大きさになっていた。
今までのような不定形ではなく、れっきとした形をもって。
≪ ●〓●≫ 「なんだ……あれは……」
全身は墨をこぼしたかのような黒。
右腕には剣を、左腕には盾を構え、鎧に全身を覆われている大柄な人間。
まるでゲームに出て来る勇者の姿そのもの。
「それはそうだ。あの壊人は子供だからな」
≪ ●〓●≫ 「なっ……!」
- 97 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:31:48 ID:y9YySBcU0
「余命幾許もない……もはや尽きているかもしれないが。
生きたいと願った心に欲望メダルが同調して壊人となったんだろう。
おまけに生まれる直前に周囲にいた他の病人も飲み込んでいる。
大人数の人間が生きたいと願う欲望が生み出したのがあれだ」
勝てないといった意味が分かったか、とオーガストは続けた。
もしそれが本当なら、確かに一人で戦う俺の分は悪いだろう。
だからといって、今あれを止めなければ多くの被害が出る。
欲望に取り込まれた子供も、今ならまだ助けられるかもしれない。
≪ ●〓●≫ 「行くぞ……!」
息を整え、剣を構えて立ち上がった。
黒い勇者となった壊人は微動だにしない。
≪ ●〓●≫ 「ぬうあああ!!」
気合いを入れるために叫び、剣に炎を纏わせる。
一撃。核さえ破壊してしまえば、どんなに壊人が強かろうと関係ない。
それですべてが終わる。
- 98 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:32:46 ID:y9YySBcU0
振りかぶったこちらに対し、盾を構えるわけでもなくただ立ち尽くす黒勇者。
その隙だらけの胸元に剣を振り下ろした。
≪ ●〓●≫ 「……な」
金属音同士がぶつかった甲高い音。
刀身を失った右腕は、痺れて動かない。
弾くような動作で軽々と持ち上げられただけの剣で、こちらの武器は半ばから断たれた。
≪ ●〓●≫ 「しまっ……」
動揺で固まったがら空きの腹部を、一閃。
両隣にあったビルが鋭利な刃物で切り裂かれて崩落した。
腹部に当てた手が暖かい液体で濡れる。
痛みよりも先に、傷口から真っ赤な血液が噴き出した。
≪ 〇〓●≫ 「くそ……」
死の恐怖。
今まで感じたものよりもはるかに濃密なそれは、全身の温度を一瞬で奪う。
気づいた時には膝から崩れ落ちていた。
勇者の暗い瞳は何も写さず、ただこちらを見下ろす。
- 99 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:33:43 ID:y9YySBcU0
≪ 〇〓●≫ 「うああああああ!!」
必死に飛びかかった俺は、盾に弾かれて数十メートルも吹き飛ばされた。
衝撃のせいか、それとも核が破壊されたせいか変身が解け、ただの年寄りの姿へと戻る。
「心配するな。核が破壊されたわけじゃない。
欲望の核が破壊されて俺が無事なわけがないからな」
( メωФ) 「はっ……ぁ……」
頭上をうるさく飛び回るヘリコプターの音が、耳元で鳴っているかのように響く。
右腕は前にもまして重く、左の指先も感覚が無い。
じわりじわりと、自分自身から意識が切り離されているかのような感覚。
だが自分の欲望はまだ壊れていない。それならば、諦めるにはまだ早い。
( メωФ) 「まだ……戦える。……変身」
寝転がったまま変身をするなんてヒーローものではありえないだろう。
だけど、このスーツを着れば起き上がることができる。
腕も足も、まだ自由に動く。
≪ ●〓●≫ 「おおおおっ!」
- 100 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:34:27 ID:y9YySBcU0
無防備な背中を向けている壊人を斬りつけた。
卑怯だのなんだのと罵られようが関係ない。
ただ勝つことができればそれだけでよかった。
≪ 〇〓●≫ 「馬鹿な……」
再生した剣は、いとも容易く折れた。
その厚い鎧を傷つけることすら敵わず、道路を傷つけるにとどまった。
「ギ…………」
こちらを振り向く眼球の奥底に、身の毛もよだつほどの荒々しい魂が垣間見えた。
その瞬間には目の前で高く掲げられた剣。
≪ ●〓●≫ 「まずいッ……!」
防ぐことができなかった不可視の斬撃が思い出されて総毛立つ。
スーツすらも容易に切り裂くほどの攻撃を至近距離で受ければ、
欲望の核が破壊される程度ではすむまい。
最悪死に至るかもしれない。
ならば何がいる。今の俺に足りないものは何だ。
そんなことは自問自答するまでも無い。
望めば手に入る。願えば叶う。それが欲望メダルを持つ者の力。
- 101 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:35:49 ID:y9YySBcU0
オーガストの言葉が脳裏に蘇る。
静止した世界をゆっくりと切り裂く剣。
こちらの頭を真っ二つにしようと迫る脅威を、防ぐために必要な力。
≪ ●〓●≫ 「おおおおっ!!」
左腕が熱く燃える。
炎は瞬間的に拡がり、振り下ろされた斬撃と衝突して火花を散らせた。
ィ'ト─;-イ、
以`゚益゚以 「ギィ……?」
手の甲から腕までを覆うのは、荒々しい炎を象った強固な手甲。
望んで手に入れた守りの力は、必殺の刃を受け止めた。
≪ ●〓●≫ 「これで……同等だッ!」
受け止めた刃をいなし、首元を貫いた。
柔らかい手ごたえが攻撃の有効性を証明する。
鎧の隙間から、血液のように黒い液体が流れだしてきた。
ィ'ト─;-イ、
以`゚益゚以 「グガアア!!」
人間であれば声すら出せないはずの傷を受けながらも、
目の前の壊人は全身を震わせて叫ぶ。
- 102 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:38:25 ID:y9YySBcU0
強固な左拳を振りかぶった瞬間に、身体が浮いた。
≪ ●〓●≫ 「なっ!?」
盾を地面に落とし、開いた手で剣を掴んでいた壊人。
膂力だけで持ち上げられていることに気付いた時、背中に奔る激しい衝撃と痛み。
≪ 〇〓●≫ 「がはっ……!」
ビルの壁を突き破って、通りを二つ横切った。
脇腹に違和感を覚え手を這わせると、指が身体を貫いている鉄筋に触れた。
≪ 〇〓●≫ 「くっそ……ぐっ……」
半ばで切り落として無理やり引き抜く。
変身が解ける寸前に傷口は塞がったが、痛みを忘れるわけではない。
嫌な汗が背中を濡らす。無理やりに踏み出した一歩に耐えられず、崩れ落ちた。
欲望のスーツではないせいで、アスファルトの道路がひんやりと冷たい。
両腕は全く動かず、脚は鉛のように重たい。
それでも意思が体を起こそうと引きずる。
(; メωФ) 「戻らなくては」
なんとか仰向けになると、胸の辺りから小さな光が現れた。
それは金色のコインを象った欲望の象徴。
オーガストと名乗るもう一人の俺。
- 103 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:39:01 ID:y9YySBcU0
「勝ち目のないことはわかっただろう」
(; メωФ) 「いや、勝てる。攻撃は通じた。なら、後は核を破壊するだけだ。
意思無き人形を破壊するのは、敵と相対するよりもよっぽど容易い」
「違う。気づかないのか」
(; メωФ) 「何をだ」
結婚式の時間までもう猶予はない。
無駄話に付き合っている暇などない筈なのに、
オーガストがわざわざ表に出てきた違和感に、気付かないふりは出来なかった。
「貴様、両腕が動かないんだろう」
(; メωФ) 「だったらなんだ。変身すれば自由に動く」
「俺としたことが……今の今まで全く気付かなかったとはな。
貴様の欲望は”他人を護る”なんて高潔なものでは断じてない」
(#メωФ) 「違う! 俺は……俺の欲望は護ることだ。
他人の為に願ったからこそ、欲望に取り込まれずにいるんだろう!」
- 104 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:40:09 ID:y9YySBcU0
「いや……貴様は欲望の権化となり下がった。気づいていないのか?
事実、勝てもしない相手に、誰ともわからない人間を護るために挑もうとしている」
違う。俺は俺のままだ。何も変わりはしない。
欲望に操られているわけではない。
娘の結婚式を無事に終わらせることが出来れば、それだけでいいんだ。
俺はどうなったって構いはしない。
「よく聞け。お前の本当の欲望は……」
( メωФ) 「やめろ!」
制止を聞かずに、オーガストはそれを口にした。
「自己犠牲だ」
.
- 105 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:42:51 ID:y9YySBcU0
「それが貴様の欲望だ。
貴様は戦えば戦うほど、傷つけば傷つくほど、貴様自身を失っていく。
そうして最後には意志も自由も何もない抜け殻となる」
( メωФ) 「……変身!」
全身を保護する真っ赤なスーツで駆けだした。
事実から逃げるためではない。戦いの場に戻るために。
相変わらず一直線に歩く壊人。
目の前にあるすべての障害物を破壊して進む。
目的があるのかないのかはっきりはしないが、後を追うのが楽でいい。
≪ ●〓●≫ 「止まれ……」
三度立ち塞がった。
漆黒の騎士は黒煙を立ち昇らせて、こちらに剣を向ける。
前触れの無い攻撃を、余裕をもって躱す。
ィ'ト─;-イ、
以`゚益゚以 「ググ」
- 106 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:43:51 ID:y9YySBcU0
変身時に望んだのは更なる強さ。
それによって強化された脚力は、さっきまでの倍以上。
これまでの俺よりも、今の俺の方がはるかに強い。
だったら負ける理なんてあるはずがない。
≪ ●〓●≫ 「おおっ!」
左右に二回身体を素早く振る。
フェイントに合わせて揺れる盾の隙間に、都度斬撃を放つ。
全てが鎧の表面を削った。
今まで傷一つ付けることができなかったそれに、消えることの無い傷跡が残る。
ィ'ト─;-イ、
以`゚益゚以 「ゴガァ!!」
闇雲に振り回される剣は、掠りもしない。
息つく暇もないほど振り回されていたはずの攻撃も、鈍間で遅く感じる。
身体強化の恩恵は、身体の自由を失うごとに強くなっているのだと確信した。
オーガストの言葉が頭の中で反芻する。
- 107 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:44:42 ID:y9YySBcU0
自己犠牲の欲望。
あとどれだけ戦えるだろうか。
あとどれだけ生きることができるだろうか。
不安が剣筋に重苦しくまとわりつく。
それらを振り払うようにして、壊人の鎧を切り裂く。
ィ'ト─;-イ、
以`゚益゚以 「ギギイ!」
心臓を狙った突き。
苛立ちが鈍らせた判断。生まれた一瞬の隙を逃す手はない。
強固な胸板を貫くために、全身のばねを乗せて迫り来る剣先を向かえ撃つ。
≪ ●〓●≫ 「……っ!」
頬を掠った剣先。暖かいものが滴り落ちる。
一方で真っ赤に燃える剣は、鎧と脇の間を抜けていた。
壊人の胸当ての中、膝を抱えて目を瞑る子供。
不健康そうな青白い肌が病院の検査着の隙間からのぞく。
ィ'ト─;-イ、
以`゚益゚以 「ィ……!」
- 108 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:46:34 ID:y9YySBcU0
初めて表情を見た気がした。
兜の口元が歪み、赤黒い肉が見え隠れする。
身の毛がよだつおぞましい笑み。
≪ ●〓●≫ 「しまっ……」
首元を狙う剣を左手で防ぎ、距離をとる。
こちらの動きに合わせる様に、まったく同じ歩幅で迫る壊人に焦って大きく飛び下がった。
結果生まれた隙は致命的だった。
中途半端な逃げの跳躍に対して、全力で飛んだ壊人の方が早く力強いのは自明の理。
盾による突貫攻撃を空中で受けきることは出来ない。
数台の車を犠牲にしてどうにか受け身をとる。
≪ 〇〓●≫ 「っぅ」
起き上がった時に見えたのは黒い鎧。
ただ危機感だけを信じて転がって避けた。目標を見失った剣はアスファルトを裂く。
目の前にいるのはもはやただ暴れる化け物ではない。
確固たる意志を持って俺を敵だと認識した壊人。
- 109 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:47:31 ID:y9YySBcU0
ィ'ト─;-イ、
以`゚益゚以 「ゴギギッ!ギギィ!」
こちらの首を刈ろうと空を斬る剣。
一撃一撃が鋭く、絶え間ない連撃を、受け、往なし、避ける。
≪ ●〓●≫ 「まだ……まだっ!」
動きが劣っているわけじゃない。
武器の性能も互角。
ならば、戦いを決めるのは気合いと覚悟。
全てをかけている自分が負けるはずが無い。
≪ ●〓●≫ 「……!」
二度目のシールドバッシュ。
大きく回り込んで、側面を狙う。
剣同士がかち合って双方ともにバランスを崩す。
何とか踏みとどまって先に仕掛けた。
盾をもっていない身軽さを利用して、背後にまで一気駆ける。
反転する壊人の動きを確認してから、逆方向に跳ねた。
交差する身体と盾。
がら空きになった肘を狙って振り下ろした。
- 110 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:48:11 ID:y9YySBcU0
ィ'ト─;-イ、
以`゚益゚以 「ギィイイ!!」
鎧の継ぎ目に刃が深々と突き刺さり、そのまま切り落とした。
持ち主を失い地面に転がる盾。
≪ ●〓●≫ 「おおっ!!」
畳み掛ける。
均衡が崩れた今こそ、この戦いを終わらせる好機。
ありったけの力を込めて、首を跳ね飛ばそうと振るった。
剣は焔を帯びて、鎧の頭を溶断した。
≪ ●〓●≫ 「はぁっ……はぁっ……」
後は核を破壊するだけで、この壊人は消滅する。
動かなくなった鎧の胸部装甲を引き剥がす。
あれだけの動きに晒されていながら、中で眠る子供は起きる様子が無い。
「杉浦。それが核だ」
≪ ●〓●≫ 「これが……」
- 111 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:49:50 ID:y9YySBcU0
「早く破壊しろ」
人間の形を斬る事への抵抗が、見えない腕のように剣をつかんで離さない。
この検査着を着た少年は、病院に入院していたのだろう。
おそらくは重たい病に侵されていたせいで、生きたいという欲望にのみ込まれて壊人となった。
半端な想いでは無い。その身を化け物にやつすほどの強い願い。
それだけ強い生きたいという願いを奪い去ってしまっても、
この少年は病魔と闘い続けることができるのだろうか。
掲げたままの剣は、次第に硬くなっていく。
「杉浦!!」
オーガストに呼ばれて我に返った時、仰向けに倒れたままの鎧がわずかに身動ぎしたように見えた。
咄嗟に飛び下がった瞬間、地面を貫いて数十の黒い棘が生える。
「馬鹿が。欲望の核を壊したところで命を奪うわけではないというのに」
≪ ●〓●≫ 「だけど、この欲望を壊せば、あの子が生きていられるかどうか」
「貴様は自己犠牲の欲望で力を得た壊人ではあるが、世間的にはヒーローだ。
そのヒーローが、意味の無い情に踊らされて敵を仕留め損なうとはな」
≪ ●〓●≫ 「誰かを救いたいからヒーローをやっているんじゃない。
誰もを救いたいからヒーローになると決めた。
たとえ化け物となって死ぬことになったとしても」
- 112 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/25(金) 23:51:29 ID:y9YySBcU0
「その甘さがお前を殺し、次なる犠牲者を生むぞ」
鎧の中から起き上がる少年。
枯れ枝のように細く頼りない両足でありながら、しっかりと地面に立つ。
( ФωФ) 「ヒーローは多数の為にいるんじゃない。万人の為に立つんだ」
「なら好きに死ね」
( ФωФ) 「そうさせてもらう……ッ!」
大きく飛び上がった。
直前までたっていた道路を切り裂いた剣。
身体に不釣り合いなほど巨大なそれは、
先程まで鎧の姿の壊人が武器として操っていたもの。
病弱な姿からは予想も出来ないほどの膂力で、大剣を軽々と振り回す少年。
( ・∀・) 「見て!! 自分の力で立って歩くだけでも久しぶりなのに!
まさかチャンバラごっこまでできるなんて!」
無邪気なはずの笑顔は、青白い肌と落ちくぼんだ目のせいでより一層狂気的だ。
( ・∀・) 「すごい! すごい! あははははは!!」
- 113 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:07:23 ID:AVN1Glb20
殺意の無い攻撃は、当たれば死に至る強力無比な一撃。
受けるのもやっとな状態で、後退しながら攻防を続ける。
≪ ●〓●≫ 「くっ……」
( ・∀・) 「ねぇ! ねぇ! 守るだけじゃつまらないよ!」
≪ ●〓●≫ 「殺し合いを楽しむなんて間違っている」
( ・∀・) 「大丈夫! きっとぼくは死なないから!」
袈裟懸けに振り降ろされた剣を、速度が乗る前に止める。
子供とは思えないほどの力。全力を出してようやく鍔迫り合いが成立していた。
≪ ●〓●≫ 「ぐぅ……」
( ・∀・) 「ヒーローみたいなかっこうをしてるのに、とっても弱いんだね」
身体が浮いた。危機を察知して無意識に顔の前に置いた左腕。
肩が外れるかと思うほどの重たい衝撃がぶつかった。
( ・∀・) 「ざぁんねん」
がら空きの胸元に剣先が迫っていた。
弾かれてそっぽを向いている左の手甲は間にあわない。
- 114 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:07:49 ID:AVN1Glb20
≪ ●〓●≫ 「おおっ」
左腕の勢いのままに身体を反転させ、右腕の剣を叩き付けた。
胸先数ミリを通過した刃に背筋が凍る。
焦って距離をとる。追い討ちに対して構えていたが、少年は追ってはこなかった。
剣を肩に担いだまま、まったく関係の無い方角を見つめていた。
( ・∀・) 「向こうに、いっぱい人がいるんだね!」
≪ ●〓●≫ 「なっ!」
突如として走り出した少年の前に慌てて立ちふさがる。
俺と違って全身の強化ではなく、身体能力の一部のみが壊人化の恩恵を受けているのだろう。
足の速さではこちらが勝っているらしい。
( ・∀・) 「どうしてじゃまするの?」
≪ ●〓●≫ 「人のいるところに行って何をするつもりだ」
( ・∀・) 「ぼくの強さを知ってもらうんだ。
いっぱい殺せば、きっとぼくが強くなったんだって、元気になったんだって」
≪ ●〓●≫ 「尚更行かせるわけにはいかない」
(#・∀・) 「どいて」
- 115 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:09:00 ID:AVN1Glb20
半歩下がって剣先を躱す。
苛立ちが分かるくらいには荒れた攻撃。
先程までの遊びを含んだものよりかは、幾らかよみ易い。
( ・∀・) 「もうっ! ああもうっ!」
急激に鋭くなった一撃が脇腹を掠った。
壊人の調子の変化が激しいのは、欲望の本体が子供だからか。
こちらの攻撃は弾かれて当たらず、相手の攻撃はただの一撃ですら全力で受けなければならない。
何合斬り合っただろうか。
終わらない殺し合いに、削られていく精神が悲鳴を上げる。
( ・∀・) 「あーあ。つまんなくなってきたな。
ねぇ、勝てないんだからあきらめてよ」
≪ ●〓●≫ 「はぁっ……はぁっ……」
スーツの中で額から汗が滴り落ちた。背中はぐっしょりと濡れていて気持ち悪い。
どんな素材なのかはわからないが、湿気が抜けてくれるのは唯一の救いか。
壊人化は無限に動き続ける体力を得る力ではない。
わかってはいたつもりだった。端から長期戦には勝ち目などないのだと。
それでも抗うしかない。無理無茶は承知の上だ。
( ・∀・) 「それっ!」
- 116 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:09:44 ID:AVN1Glb20
一歩を踏み出した少年の剣は、的確に足元を狙ってきた。
それを飛んで避けた時に気付く。
今まで剣を振るう事しかしてこなかった少年が、剣を離していることに。
≪ ●〓●≫ 「ぐぅっ……!」
もう遅かった。
胃袋をひっくり返すかのような一撃。
小さな拳から放たれたとは思えないほどの痛みで膝をつかされた。
( ・∀・) 「さよなら」
鈍器殴られたのだと錯覚するほどの蹴り。
頭を護ったはずの左腕が、こめかみにめり込んでいた。
ぶれる視界、ゆれる意識。立ち上がる間もなく二度目の痛みに襲われ、気づけば瓦礫の中。
メットは割れ、視界は変に明瞭だ。
それなのに視点は定まらず、額から流れ落ちる滴が口の中に入った。
身体の八割近くの感覚が無い。埃の臭いもせず、味もしない。
起き上がることどころか、呼吸すらもうまくできない。
辛うじて聞こえる音と、コンクリートの破片の間から零れる小さな光だけの世界。
- 117 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:10:30 ID:AVN1Glb20
( Φω●≫ 「…………それでも」
小さな光が何かに遮られて完全な闇が訪れた。
これ以上の壊人化をすればもはや生きていられるかどうか。
ここで諦めてしまえば今までの全てが無駄になる。
誰も救えず、無力感に抱かれて死ぬのか。
それとも誰かを救って達成感に溺れて死ぬのか。
二つに一つ。
( Φω●≫ 「答えは決まっている! 変身ッ!」
瓦礫を吹き飛ばした。
予期しない抵抗に、僅かに鈍った剣先を全力で殴りつける。
目標を逸れた剣は地面に深々と突き刺さった。
その横腹にもう一撃を加えると、半ばから簡単に折れた。
バランスを崩した少年は剣を捨てて初めて後ろに下がった。
( ・∀・) 「よくも僕の剣を……!」
≪ ●〓●≫ 「欲望のままに暴れるな。
正気を保てば、今のまま生きていけるはずだ」
- 118 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:11:03 ID:AVN1Glb20
( ・∀・) 「正気……? 僕がくるってるって言いたいの?」
≪ ●〓●≫ 「このまま戦って、生きたいという欲望を壊したくはない」
( ・∀・) 「たかだか剣一本折ったくらいで勝ったつもりなんだ。
勘違いしないでくれるかな。僕はまだ、一度も本気を出してない」
少年の周囲に顕現した漆黒の球体。
陽炎の様に揺らめきながら、少年の周囲を漂う。
その数は百をゆうに超える。
( ・∀・) 「うち殺して」
言葉と同時に射出された掌の大きさの闇。
その性質が分からない以上、無闇やたらに受けるのを避ける。
ビルの屋上にまで跳んだこちらの起動を正確に追って来る弾丸。
切り落としたアンテナを弾幕に向けて蹴り飛ばす。
≪ ●〓●≫ 「ちぃっ!」
まるで相殺するかのように、アンテナの一部とそこに触れた弾丸が消滅した。
さらに二つ三つの屋上を跳んで渡り、背後を振り返る。
未だに多くの球体がこちらを狙っていた。
- 119 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:11:39 ID:AVN1Glb20
速度を捨てた追尾性重視の弾丸。
振り切るために必要なのは、物理的な壁。
だったら簡単だ。心の中で謝罪をしながら、ビルの天井を踏み抜いた。
十数階の建物を複雑な動きで下に下に移動する。
頭上で泡の弾けるような音ともに、球体が弾けてい消えていく。
途中、敢えて一階上がったところで追ってこなくなっていた。
≪ ●〓●≫ 「ここまで来れば……」
窓の外がわずかに震えた。
その一瞬の危機感を信じて屈んだ直後。
それまで頭があった場所が黒い奔流によって横一線に薙ぎ払われた。
≪ ●〓●≫ 「さっきまで剣を振るってたやつの戦い方がこれか」
( ・∀・) 「剣よりも銃の方が強いのは当たり前だよ」
≪ ●〓●≫ 「っうおお!」
窓ガラスに飛び込んで地上に向かって身を投げた。
瞬きする間もなく、先程までいたビルが丸ごと闇の中。
たった数秒で更地となった。
- 120 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:12:12 ID:AVN1Glb20
( ・∀・) 「あはははは! 逃げてばっかり!」
≪ ●〓●≫ 「ぐぬっ……!」
クロスさせた両腕に響く衝撃は骨すら軋む。
無防備なところにもらえば、骨の一本や二本ではすむまい。
( ・∀・) 「それっ!」
≪ ●〓●≫ 「馬鹿な……」
地面に着地した直後に動いた二つの大きな影。
道路の両脇にあるビルがこちらに向かって倒れてきた。
正面には壊人の子供。
背後には鉄すら消し飛ばす威力の低速散弾。
前門の虎に後門の狼。後二つ足すとすれば獅子と狐だろうか。
絶望を目の当たりにして、脳が無駄に演算速度を上げる。
生き残る道は一つしかない。
正面。両腕に何も持っていないのを確認して突っ込んだ。
( ・∀・) 「なっ……!んて……分かりやすい」
- 121 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:13:23 ID:AVN1Glb20
両側のビルの腹を貫いて飛来した無数の弾丸。
速度を重視した無誘導の弾幕を、前傾になった俺に防ぐ手立てはなかった。
≪ Φω●≫ 「ぐ……っ……」
痛みを堪えて進む。今更背後に道はない。
一部生身が露出するほど破壊されたスーツのまま、何とか少年の懐に届いた。
それでもまだ笑みを崩さない小さな壊人。
その腹部を狙って握り込んだ拳を、振り抜いた。
( ・∀・) 「さようなら、ヒーロー」
腕の感覚が消えた。
変身が解けたのではない。
肘から先が消滅したのだ。
一歩遅れて気が付いた。
真上から落ちてきた刃が、容赦なく持ち去ったのだと。
子供と侮ったわけではない。
≪; Φω●≫ 「ぐうぅうあああ……ッ!!」
地面に叩き付けられた瞬間にとんだ意識は、痛みによってすぐさま引き戻された。
巨岩に潰された両足は、脳が処理しきれない程の信号を送る。
- 122 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:14:25 ID:AVN1Glb20
( ・∀・) 「ここがどこかわかる?」
岩の上に着地した少年は、倒れた俺の頭上を指さす。
辛うじて動く首を動かし、視線を伸ばした先にあったのは、
無傷なままの白い教会。
今日、娘が幸せになるはずだった場所。
守りたかった全て。
( ・∀・) 「何も守れなかったね」
少年が掲げた掌の傍に発生する黒い弾丸。
≪ Φω●≫ 「やめろ! ……やめてくれ」
こちらを見下ろしたまま、爆発音とともに激しい突風が起こった。
爆炎の中心は灰色の靄で覆われ何も見えない。
≪ Φω●≫ 「あ……あぁ……」
一陣の風が吹き抜けて煙が晴れる。
そこにあったはずの荘厳だった教会は、見る影もない。
- 123 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:15:53 ID:AVN1Glb20
( ・∀・) 「あはははは!」
気づくのが遅すぎた。
いや、認めようとしなかったのだ。
目の前にいるのは少年の姿をした壊人だということを。
その結果がこれだ。誰もを護ると豪語しておきながら、誰一人護れなかった敗北者になり果てた。
( ・∀・) 「さようなら」
子供の掌に込められているのは、特大の殺意。
少年の欲望を吸い込んで膨張していく。
存在そのものを消滅させようとするつもりなのか、生み出された黒い弾丸は身体よりも大きい
せめて痛みなく、そう願って瞼を閉じた時に響いた声。
最初は幻聴なのだと思った。
目を見開いた少年が、よそ見していることで気づいた。
その声の主がすぐ近くまで来ていることに。
- 124 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:16:20 ID:AVN1Glb20
「お父さん!!」
.
- 125 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:18:16 ID:AVN1Glb20
聞き覚えは無い。声も姿も十数年前から一度も見聞きしていないのだ。
最初は、気づかないかもしれないと不安すら感じていた。
そんなことは無かった。
ウェディングドレスを着ていたからではない。
お父さん、と呼びかけられたからではない。
もっと単純で簡単なこと。
何よりも濃く、何よりも強い絆こそが、彼女を娘だと確信させた。
≪ Φω●≫ 「何で来たんだ! 逃げろ! しぃ!」
( ・∀・) 「へぇ、あれが大事な人なんだ」
≪ Φω●≫ 「頼む、やめてくれ……」
こちらに向けられていた殺意の塊は、ゆっくりと持ち上げられて対象を変えた。
人間一人を容赦なく消し去るほどの弾丸が、抗う力を持たないただの女性に向けられる。
≪ Φω●≫ 「はやく……逃げてくれ……」
( ・∀・) 「ほら、お父さんもこう言ってるんだ。逃げてごらん。
恐怖のどん底に落としてから殺してあげる」
- 126 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:19:55 ID:AVN1Glb20
(*゚ー゚) 「逃げないから!」
≪ Φω●≫ 「なにを……ッ!」
(*゚ー゚) 「お父さんが勝つまで、ここで待ってるから!
だって、私の覚えているお父さんは、絶対に負けない!」
(#・∀・) 「ふゆかいなお姉ちゃん。もういいや。消えて」
≪#Φω●≫ 「やめろおおお!!」
両足を引き千切り、腕だけの力で身体を動かした。
弾丸の前に身を投げ出してしいを庇う。
(*゚ー゚) 「お父さん!?」
≪ Φω●≫ 「……に…・・げろ……」
朦朧とした意識の中、自分を見下ろす影が見えた。
幻のように淡く光るその女性は、涙を流している。
(*;ー;) 「お願いだから。また誰かを護るために自分を犠牲にするのはやめて。
私、お父さんが強いこと覚えてるから。誰にも負けないくらい頑張ってるって知ってるから」
- 127 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:20:34 ID:AVN1Glb20
(#・∀・) 「やめろ。やめろやめろやめろ!!
家族なんて……いてもいなくても同じなんだ!
これ以上、僕の前で仲良くするな!」
(*;ー;) 「信じてる。今でも信じてるよ!
たとえ他の誰もがお父さんを悪だと言っても、私だけは信じてるから。
だから……」
( ・∀・) 「うざいうざいうざいうざいうざいうざい……!!」
(*゚ー゚) 「勝って!」
.
- 128 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:23:58 ID:AVN1Glb20
(#・∀・) 「消えろ消えろきえろきえロキエロキエロオオオオオ!!!」
空を覆う無数の星々がやけにはっきりと見えた。
その一つ一つが致命傷となるほどの威力を秘めた攻撃であることを理解しながら、
心はどこかに浮かんだままでいる。
すぐ目の前にいる娘のことなど考えてすらいなかった。
しぃが俺に願った勝利。
それは、昔の俺が口癖のように言っていた言葉。
妻と娘と別れてからは一切口にすることも無かったが。
誰かに勝つこと。自分に勝つこと。そのために必要なこと。
大事なのは結果でも過程でもなく、スタートラインに立つ心構え。
負けまいと、前を向く心。
生きようと、一歩踏み出す勇気。
聞き飽きた、と怒らせるほど口にしていたはずの言葉なのに、いつしか忘れていた。
汚れた社会で失くしてしまっていた。
あるいは、自分で捨てたのかもしれない。
しぃのおかげで思い出した。
俺がどう生きたかったのかを。本当に願っていたのは何だったのかを。
- 129 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:27:06 ID:AVN1Glb20
胸の奥が燃えるように熱い。
真っ暗闇の中で戸惑っていた俺の前に現れたのは、小さな光。
それは表面にガーベラ、裏麺に髑髏をあしらった金色のコイン。
そう、コインの表と裏なんて、決まっていない。
だから、俺が決めてもいいのだ。
目の前に浮かぶ欲望のコインは、現れるなり豪快な笑い声を立てた。
「はっはっはははははははっははは!!」
欲望のメダルは、聞いたことも無い様な高笑いをしていた。
( ФωФ) 「オーガスト! いまさら何を……」
「貴様、この私の最後の言葉だ。よく聞いておけ」
( ФωФ) 「どういう意味だ」
「貴様は自身の欲望に飲まれることなく、その力を操ることができた稀有な人間だ。
その貴様が、また一つ奇跡を起こしたと知って笑わずにおれようか」
( ФωФ) 「何が面白い」
- 130 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:29:50 ID:AVN1Glb20
不愉快なほど高らかに笑う。
次第にはっきりとしてくる記憶。今、自分の置かれている現状を思い出した。
すぐにでも逃げなければ、死んで全てが終わりだ。
「心配するな。この空間はお前の世界であって現実とは流れている時間が違う。
もっとも、それでもさほど余裕があるわけではないがな」
( ФωФ) 「だったらさっさと本題を言え」
「貴様は欲望に打ち勝った。自己犠牲などという低俗な欲望に。
人を壊すほどの力の全ては、信念となってお前と共にある」
( ФωФ) 「信念……?」
「欲望を信念に昇華させた貴様が、道を違えないことを願っておくとしよう」
( ФωФ) 「オーガスト?」
「せいぜいあがくんだな。信念を捻じ曲げない様に」
≪ Φω●≫ 「ッ!?」
目を見開いた。降り注ぐのは流星の様な弾丸。一つ一つがはっきりと見える。
両足は千切れたまま、両腕は動かない。
辛うじて動くのは眼球だけ。
オーガストの言葉の意味は、まだ理解できていない。
だけど心が叫んでいた。
護るのは、他人だけじゃない。
どんなにあがくことになっても、みっともなくても、自分自身も護ること。
俺が真に振るうべきは、欲望を叶えるための力ではなく、信念を貫き通すための力。
正しいと思えることを、正しく実行するために。
だから、叫んだ。
自らの魂に信念を刻み付ける様に。
- 131 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:32:34 ID:AVN1Glb20
「わが身に巣食う欲望よ! 今、この魂に応えて信念となれ!!」
≪ Φω●≫ 「オーバーロード!!」
.
- 132 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:36:52 ID:AVN1Glb20
失っていたはずの両足は元通りに。
荒々しく炎が燃えるブーツと、柔らかな丸みを帯びた手甲。
胸部の装甲はより頑丈に、それでいて身体は羽のように軽い。
真っ赤なマントは足首までもあり、胸に黒いラインが三本。
_Λ__Λ
≪ Φ::Φ≫ 「紅陽剣!」
炎とともに現れたのは、一振りで壊人を切り裂く正義の剣。
真上に掲げた剣先が放った熱は、降り注ぐ弾幕を全て焼き尽くした。
(*゚ー゚) 「不思議……大きな火なのに、全然怖くない」
_Λ__Λ
≪ Φ::Φ≫ 「この炎は俺の信念そのものだ。悪しき者以外の誰かを傷つけることはない。
だから安心してそこにいろ」
(#・∀・) 「なんだよなんだよおおおおおお!!」
正面から飛び込んできた少年。
娘を背に護りながら攻撃を受け止めた。
ぶつかり合った剣圧だけで地面が捲れる。
(#・∀・) 「くそくそくそくそおおおっ!」
やたらに振り回される剣は、もう怖くない。
体重を乗せて薙ぎ払う。
少年の痩せ細って軽い身体は、一撃を耐えきることが出来ずに空に打ち上げられた。
- 133 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:38:25 ID:AVN1Glb20
空中で数度回転して、大気を蹴って飛び降りて来る少年。
その手に構えた剣を真下に向けて、弓のように一直線に。
避ければ娘の命はない。
だったら、受け止めればいい。
両腕を覆う手甲を交差させ、衝撃に備えて足を引いた。
(#・∀・) 「なめるなあああああ!!!!」
叫んだ少年の刃は、手甲を貫通することなく砕け散った。
空を彩る黒銀の破片。
(#;∀・) 「ヒーローだったら……ヒーローだったら……、
僕をどうして助けてくれなかったんだあああ!!」
_Λ__Λ
≪ Φ::Φ≫ 「遅くなってすまない。今から助ける」
( ;∀;) 「そんなの、そんなの!! 信じない!!」
_Λ__Λ
≪ Φ::Φ≫ 「信じてくれ。欲望に取り込まれるほど生きたいと願う君は、きっと生きられる!
俺が助けてみせる! だから……俺を信じろ……!」
- 134 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:39:32 ID:AVN1Glb20
両腕で空に向けた剣から、炎が舞い上がる。
赤い剣は、躊躇いなく少年を切り裂いた。
( ∀ ) 「あああぁぁあぁぁぁああ!!」
炎に焼かれ、壊人の核は消し炭となった。
燃え尽きた灰の中に残されたのは、傷一つない少年。
意識を失ったまま動かない。
助け起こして、そのまま両腕に抱いた。
_Λ__Λ
≪ Φ::Φ≫ 「……しい、すまない」
(*゚ー゚) 「わかってる。お父さんは正義の味方だから」
_Λ__Λ
≪ Φ::Φ≫ 「また連絡するよ」
(*゚ー゚) 「うん! 待ってるね!」
- 135 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 00:40:52 ID:AVN1Glb20
長かった戦いが終わりを告げた時、既に陽は落ちていた。
空から降り注ぐ人工的な光は、きっと悪者探しをしている傍観者の瞳。
それに晒させるわけにはいかず、少年の身体をマントで包んだ。
そのまま胸に抱いて、真夜中の空に飛び上がった。
少年との約束を守るために。
目指すのは市内で最も大きな病院。
弱々しい鼓動と額に浮かぶ汗が、病状の重さを物語っていた。
それでも、この少年はきっと生きていける。
全く医学知識の無い俺でも確信を持って言えた。
直接拳を交え、刃を交わした仲である。そこらの医者よりはずっと正確な判断ができるはずだ。
大切な命を守るために、月夜の下でビルの屋上を渡る。
誰よりも強い願い故に、欲望の化身となってしまった少年を、一体誰が攻められようか。
都市の損害は決して小さくないが、得たものは大きく、失わなかったものはもっと大きい。
誰もが笑って暮らせるように、そして道を誤ってしまったものが正しき道に戻れるように。
俺はこれからもヒーローであり続けよう。
.
戻る