|゚ノ ^∀^)天使と悪魔と人間と、のようです

89 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 22:53:25 ID:4Idgh2EI0

・主な登場人物

|゚ノ ^∀^)
高天ヶ原檸檬。特別進学科十三組の化物にして生徒会長。一人きりの生徒会。
通称『一人生徒会(ワンマン・バンド)』『天使』。
空想空間での能力はなし。

j l| ゚ -゚ノ|
ハルトシュラー=ハニャーン。十三組のもう一人の化物にして風紀委員長。学ランの芸術家。恩人から伝授された数百の特技を持つ。
通称『閣下(サーヴァント)』『悪魔』。
空想空間での能力は「現実世界での自分の超能力をダウンロードする」というもの。能力名未定。


(‘_L’)
ナナシ。空想空間でのナビゲーターを務めるスーツの男。



※この作品はアンチ・願いを叶える系バトルロイヤル作品です。
※この作品の主人公二人はほぼ人間ではありませんのでご了承下さい。


.

90 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 22:54:09 ID:4Idgh2EI0




――― 第二話『 win ――歩くような速さのセレナーデ―― 』





.

91 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 22:55:04 ID:4Idgh2EI0
【―― 0 ――】



 誰かに勝ちたい?

 誰にも負けたくない?



.

92 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 22:56:07 ID:4Idgh2EI0
【―― 1 ――】


 音楽家、ハルトシュラー=ハニャーンは指揮を振っていた。

 彼女の専門――音楽分野においての専門はピアノとヴァイオリンである。
 それ以外の楽器あるいは作詞や作曲、また今回のように指揮も行うが、どれも人に見せられるレベルではないと感じている為、進んで披露することはない。
 その日は特別な事情、つまりは吹奏楽部の顧問が会議で遅れるということで教師からどうしてもと頼まれ代理で指揮を振っていたのだ。
 演奏会を一週間後に控えた故の特別措置だった。

 音楽業界ではピアニストやヴァイオリニスト出身の指揮者は使えないと言われることが多い。
 それには幾つか理由があるが、そのことを置いておくとしても、演奏会の直前に違う指揮者で練習をするのはどうかとハルトシュラーは思う。
 音ではなく、意識のチューニングがズレるのではないかと心配していたのだ。

 そも指揮者はオーケストラの中でも最も綿密な予習が必要だとされているのだ、「さあやれ」と言われてできるような類のものではない。
 前日は図書館で文献を読み曲全体の構造を把握することに努めていたものの、まだまだ満足して貰えるレベルには――満足できるレベルには、程遠い。


「……! ストップ。テューバの名も知らぬ二年、チューニングを。終わったら全員で今の所をもう一度」


 手を振って曲を止め、淳高吹奏楽部の部員達に指示を飛ばす。
 やや自信がない声音なのが自分でも分かった。

93 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 22:57:03 ID:4Idgh2EI0

 それともこの高校の吹奏楽部顧問はそういうことを特に気にしないのだろうか。
 大音楽室の中心で再び旋律に包まれながら彼女は考える。

 淳高吹奏楽部は人数が多い訳ではないし、決して名門というわけでもない。
 OGの中にはプロのサクソフォーン奏者になった人間もいるにはいるが、それ以外はごく普通の高校の吹奏楽部だった。
 ハルトシュラーの自宅からは少し遠いがVIP州西部には吹奏楽で有名な学校もある。
 高校以前から音楽に取り組んでいたような人間は大方がそちらに流れているのかもしれない。

 無理もないことだと思う。
 勉強などとは違って、他者との協調が必要とされるアンサンブルや団体スポーツは優秀な人間が集まる私立や名門の方が圧倒的に有利だ。
 そのことに彼女としては何も文句はない、ただの当たり前だ。

 プロになる夢を持ちながら、金銭面の問題で仕方なく手近な高校に通っている人間もいるだろうが――きっと大丈夫だとハルトシュラーは思っていた。


「(……少なくとも、)」


 少なくとも、彼女が専門としている鍵盤楽器の分野では。
 彼女が愛するピアニストの中には、社会人になってからジャズに興味を持ち日本ビバップの先駆けとなった人間や、二十歳から独学でピアノを始めプロになった者もいるのだから。
 大事なのは情熱だ。

94 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 22:58:02 ID:4Idgh2EI0

 そこまで考えて、あまり関係のないことを考えてしまった、集中しなくては、と気を引き締め直した。
 曲はクライマックスに差し掛かり、部員のみならずハルトシュラー自身の気持ちも自然と高揚してきたのが分かった。
 そして、この楽曲一番の見せ所であるアルトサックスの独奏パートが、

 ―――始まらなかった。
 役割を担っていた女子生徒の方を見れば、少女は熱に浮かされたように呆けていた。


「…………ソロはどうした?」

「……え、っあ、はい! あ……。すみません……」


 真っ赤になり指揮、そして他の部員に平謝りする兎のような髪型の一年生。

 その気持ちは察することができる。
 本来ソロパートは彼女ではなく二年生の生徒がやるはずだったのだが、最近その生徒の調子が悪く、その為に彼女が代理で担当していたのだ。 
 現在のハルトシュラーの状況にも近いが、彼女達の場合は「どちらがソロをやるか顧問や部員が決めかねている」という面もあった。

 今日は欠席している二年生の演奏は深い造詣と鋭い音感に裏打ちされた正確無比なもの。
 対し、この抜けた感じのある少女のそれはサックスの甘美な音色を引き立てる情緒的なもの。
 魅力が全く違う、選考に頭を悩ませるのも理解できた。

95 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 22:59:02 ID:4Idgh2EI0

 加えて言うなら、この少女も先輩を差し置いてソロを担当するなんて気が気ではないはずだ。
 そうは思いつつもハルトシュラーは静かに言う。


「今は演奏中だ。貴様が集中しなければ他の部員にも迷惑がかかる。気を付けろ」

「すみません……。つい、」


 言い訳をするつもりかと僅かに不快感が沸き起こる。
 ハルトシュラーは自分でも他人でも言い訳をする人間が大嫌いなのだ。

 が、彼女の予想は外れることになった。



「指揮をするハルト様があまりにも格好良かったので、つい……」



 申し訳なさそうに、そして照れくさそうに少女は言った。
 言い訳としても最悪だった。
 いや言い訳じゃないのが最悪だった。

 ……この時、ハルトシュラーは心の底から「正式な指揮者でなくて良かった」と思った。
 これが彼女が纏めるオーケストラだったならば、きっと少女を殴るか、そうでないなら頭を冷やせと音楽室から叩き出すかしていただろうから。

96 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:00:02 ID:4Idgh2EI0
【―― 2 ――】


 どう伝える迷ったのだが、結局その少女には「私が人より秀でた容姿であったとしても他の部員は集中しているのだから貴様もそうしろ」とだけ注意しておいた。

 これで改善されないならば合奏をやる資格はない。
 そう思いつつ眉間を揉んでいると顧問が到着したので、指揮棒を返却し、大音楽室から退室する。

 扉を開ける前に背後から、部長が合図をしたのか、部員達の声を合わせた感謝の言葉が届いた。
 振り返らないままに軽く手を振り答えると、次いで「カッコ良かったね」「俺様って感じだった」という具合に口々に褒めそやす声が聞こえてくる。
 ……自信がなかったのは気取られずに済んだようだ。


「ふぅ……」


 音楽室を出、数歩進んで音楽準備室の前で立ち止まり、窓の向こうの空を見上げて溜息を一つ。
 「一人でオーケストラ」とまで言われるピアノを専門にする芸術家は、そして私生活でもソリストである悪魔は、大勢の中にいるのが少しだけ苦手だった。

 けれどプロの指揮者を目指しているのに飛行機恐怖症で船舶恐怖症の人間よりはマシだ、その欠陥は致命的過ぎる。
 一瞬間だけ昔のことを回顧し、思い出し笑いを。
 彼女にピアノを教えた恩人の好きな漫画の主役がそんな設定で、初めて読んだ時は思わず呵呵大笑してしまったことをよく覚えている。
 なんだ漫画の話かと言えばそれまでだが、こういった風に創作と現実を同じレベルで考えてしまうのは、この完璧主義の音楽家の可愛い所でもあった。

97 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:01:03 ID:4Idgh2EI0

 あの女子生徒も本当の私を知れば見蕩れることもないだろうに。
 ありえない可能性だが、ぼんやりとそう考えた。

 音楽界では『旋律の悪魔』と謳われるハルトシュラー=ハニャーンだって漫画を読んだりアニメを見たりするし、たまにはそれで笑ったり泣いたりする。
 淳高で『閣下(サーヴァント)』と呼ばれる彼女は、芸術に没頭するあまり考査で赤点を取りかけたり、練習に熱中した結果出席日数がギリギリになったりもする。
 一部の者からは『黒い太陽』と言われる風紀委員長は、本人の認識では好きなことをずっとしていたいだけの馬鹿な世間知らずでしかない。
 『最悪の忘れ形見』である少女は、理想主義の完璧主義者であるが故に、その自己評価は酷く低かった。

 それに、とハルトシュラーは続けて思う。
 他の芸術家がどうかは知らないが、私は己の容姿よりも作品を評価されることの方が嬉しい、と。
 人によっては自分自身を作品と考えるのだろうが、作り出すことが基本の彼女が自らを芸術とするのはダンスと演劇の時のみだった。


「おーい」

「…………」

「ハニャーン君、聞こえているかい?」


 回転し続ける頭に何かが――男性の声が差し込まれた。
 無表情ながら驚き音源に目をやると、隣に先程会議から戻ってきたばかりの吹奏楽部顧問が立っていた。

98 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:02:02 ID:4Idgh2EI0

「……失礼しました。聞いていませんでした」

「いやいや大丈夫だよ。気にしないで」


 小さめの丸眼鏡を掛けた小太りの教師はハンカチで額を拭いつつ答える。
 さて彼の名前はなんだっただろうか。
 風紀委員長として淳高の全生徒の名前を記憶している彼女だが、欠席が多いのも相俟って教師陣はあやふやな部分があった。
 生徒側として教師に交渉するのは生徒会の役目なので別に構わないのだが。

 けれど、一か月前まで――前回吹奏楽部と交流した際までは別の人間が指揮を振っていた気がする。
 その時は今日欠席の件の二年生は楽器でのソロパートに加えて独唱まで担当していて、特に後者には感心し聞き惚れたことを覚えている。

 過去を振り返り目を細めたハルトシュラーをどう思ったのか、恵比須に似た顧問は訊いた。


「もしかしてハニャーン君、眠たいのかい?」


 鈍そうな外見に反して意外に鋭い教師だ、確かに彼女は寝不足だった。
 敬意を込めて恵比須先生と呼ぼうとハルトシュラーは決めた。


「はい。昨日は眠るのが遅くなったので」

99 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:03:02 ID:4Idgh2EI0

「なるほどなあ、それは申し訳ないことをしてしまった。……ところでハニャーン君、一つ意見を求めてみても良いかい?」

「なんでしょうか」

 
 断る理由もなかったので承諾したが、薄々予想はついていた。
 斯くして恵比須似の教師は予想通りのことを言った。


「今日ソロをやっていた子、どうだったかな?」

「どう、というのはどういうことでしょうか」

「前回の演奏会でソロパートをやっていた子と比べて、彼女の方が良いと思うかい?」


 つまり、彼は外部の参考意見を求めているのだ。
 音楽界で多少ならず有名なハルトシュラーは「どちらがソロを担当するか決めかねているんだけど、君はどっちが良いと思う?」と訊ねられているのだ。
 しかもおそらく彼女の一言でどちらがその座を勝ち取るかが決定してしまう。

 常識としては、音楽家とは言え部外者なのだから「分かりません」と答えるべきなのかもしれない。
 けれどそんな当たり障りのない受け答えができるほどハルトシュラーは普通ではないし、第一芸術に関しては正直でありたかった。

100 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:04:02 ID:4Idgh2EI0

 なので彼女は率直にこう返答した。


「今日はあの名も知らぬ一年生の演奏しか聞いてないのでなんとも言えませんが、しかしながら彼女はソロパートを任せるに十分な才能を持っていると思います」


 十分な技量は持っていないにせよ、十分な才能は持っていると同じ音楽家として感じた。
 抜けている所はあるが観客の前でもきっと上手くやるだろう……ハルトシュラーが指揮者でなければ。

 そうかあ、と小太りの教師は二度三度頷く。


「本当は有栖川君の演奏も聞いて貰った上で意見を聞きたかったんだけどなあ。彼女、今日は風邪でお休みだしなあ」

「スポーツや学業と同じよう、音楽においても体調管理は実力の内です」

「……そういうものなのかい?」


 無論です、とハルトシュラーは続ける。


「センター試験当日にインフルエンザで行けないからと言って別日受験は認められないでしょう? それと同じことです」

101 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:05:02 ID:4Idgh2EI0

 運も実力の内という言葉があるが、ハルトシュラーは運を実力だとは思わない。
 例えば受験において運悪くA判定の志望校に落ちたとしても、それは百パーセント受かると確信できるまで勉強しなかった自分が悪いと彼女は思うだろう。
 そうでないならば、絶対に受かる大学に志望を変えなかった自分の戦術的ミスだと思う。
 「百パーセント」も「絶対」もほぼありえないが、それでも限界まで近づけることはできるはずで、それこそが大事なことなのだ。

 ハルトシュラーは正直さ故にあまり友達ができなかったし損もしてきた。
 だからこそ、自らには誠実であろうと誓っている。

 無表情で胸に秘めた決意を再認識した彼女のことなど小太りの教師は知らないようで、呑気にこんなことを言った。


「ところで僕の代わりに定期演奏会で指揮者をやる気はないかい? 二ノ瀬先生が産休だから代わったのは良いんだけど、僕はダンスしかやったことがなくてね」


 そうかあの先生は産休か、そう言えば最近見ていないと思った、いやそうじゃないだろと黙ったまま心の中でノリツッコミ。
 代理顧問の口調はのんびりしていたが内容は全然のんびりしていては駄目なものだった。

 というかこの学校の吹奏楽部はこれで大丈夫なのだろうか。
 指揮者の深刻な人材不足である、至急生徒会に連絡し対処して貰わねばならない。 
 おそらく定期演奏会には間に合わないので、私が――いや私が指揮だと今日のようにサクソフォーンのソロパートが丸々抜ける恐れがある、どんな事故だそれは。
 そもそも何故代理がこの人なんだ、何故ダンスのみの経験者なんだ、他の教師の中に指揮の経験者はいなかったのか?
 ダンスが悪いのではない、ダンスは私も好んでいる、問題は指揮と舞踏では同じ芸術と言えども方向性が違うということであって―――。

 ……天才は眉間を押さえながら類稀なる頭脳で色々と考えたのだが、すぐに結論を出せたのは一つだけだった。
 「きっとこの教師は陰で芋洗坂係長と呼ばれているんだろう」なんて。

102 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:06:02 ID:4Idgh2EI0
【―― 3 ――】


 VIP州西部西地区に存在する淳機関付属VIP州西部淳中高一貫教育校、通称「淳高」。
 数年前に周辺地域の幾つかの中学校、あるいは高等学校を統合してできた、一学年が十三組あるそのマンモス校がハルトシュラーが通う学び舎だった。
 風紀委員長としてはあるいは「守る学び舎」だろうか。

 淳高は金融系の特殊法人であり財閥家系でもある淳機関が出資している学校で、それ故に私立と公立の両方の特徴を兼ね備えていた。
 即ちは公立学校のような安定した教育と私立学校水準の校内設備である。
 丸一日かけても回り切れないであろう広い敷地(当の生徒からは「出鱈目に広い」「場所を覚えられない」と評されている)。
 また、一時期は数え切れないほどだった多くの部活(こちらは生徒会長の活躍で数えられる数にはなった)。
 シンボルである時計塔が見下ろす構内では、生徒達が今日も種々の感情を内に秘めつつ、様々な活動に精を出している。


 さて。
 半分は私立学校の淳高が何に秀でているかと言えば、それは勉学でも部活動でもなく――『特別性の保護』だった。
 代替の不可能な才能を、守ることだった。


 この学び舎の創設者である淳機関の枢という人物は学生時代に神童と呼ばれていた。
 天才だったと表現しても良い。
 そして、神童であったが故に迫害を蒙ってきた人間で、天才である故に被害を蒙ってきた人間だった。
 学生生活のほとんどを誰にも理解されないままに過ごしたと伝わっている。

103 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:07:03 ID:4Idgh2EI0

 枢が最終的に出した結論は二つ。
 一つ目に「代替の利かない才能は守られなければならない」、二つ目に「特別な人間は隔離されるべきである」。
 この二つの考えを基にし全国に幾つかある淳機関付属学校は創られた。

 具体的には特待生のみで構成されている生徒数不定の特別進学科の存在と、その生徒一人ひとりに割り振られた専用スペースが挙げられる。
 特別進学科は特異な才能を持つ人間だけが――経営者側から選抜された生徒のみが所属するエクストラクラスである。

 吹奏楽部での仕事を終えた高等部三年特別進学科十三組のハルトシュラーが向かっていたのは、特待生特権として与えられたその専用スペースだった。


「……要するに枢さんは『自分と同じ特別な人間がいじめられないようにしてやろう』と思っていたのだろう。あのスペースは、ただの隠れ場所だ」


 中等部と高等部の境、文化系クラブ部室棟の中を通り過ぎつつ呟いた。
 日当たりの悪い薄暗い廊下に生徒の数は見られないが幾つかの教室からは笑い声や騒ぐ声が漏れ出ている。

 彼女はこの学校の創設者枢と知り合いだった。
 より厳密には、彼女の恩人が枢という天才の数少ない、もしかすると唯一かもしれない理解者だった。
 だからこそハルトシュラーには分かる。
 こんな埒外常識外の学校を作り上げた半分は――ある天才の、同属への同情の念だったのだと。

 「普通の人間と特別な人間が共存できるような環境を作ろう」という真っ当な思考に至らないのが全く本当に異常者だと思う。
 それでも嫌いになれず、むしろ有難く思ってしまう辺り、自分も本当に外れ者のソリストだと彼女は小さく笑った。

104 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:08:02 ID:4Idgh2EI0

 特別進学科特待生の専用スペースはほとんどの一般生徒には知られていない。
 また特待生達のそれぞれの特色に合ったもので、かつ、他生徒に迷惑が掛からないような場所になっている。

 ハルトシュラー、高天ヶ原檸檬と同じクラスである幽屋氷柱という生徒なら剣道場近くにある弓道場。
 その生徒は弓道を主に幾つかの武道の全国レベルの実力者であり、好きなだけ鍛錬できるようにと板張り的場付きの多目的道場が割り振られている。
 主な部員が氷柱と檸檬二人のみにも関わらず弓道部が存続しているのはそういう理由だった。
 他の特別進学科の生徒と比べれば幽屋氷柱はかなり社交的で協調性があるタイプなので、「専用スペース」というより「ただの部室」だが。

 そして、芸術家の風紀委員長ハルトシュラー=ハニャーンの専用スペースは部室棟先の落葉樹の森の中にあった。
 物置小屋という名の防音室で、教室二つ分ほどの空間にはアップライトピアノや電子オルガン――ヤマハのElectone STAGEA・プロフェッショナルモデルが設置してある。
 他にもヴァイオリンや現在密かに練習中の和琴なども置いてあるので、もし全焼すると被害総額は軽く一千万を超える。
 なので彼女としては、使用時に出る煙も相俟ってすぐ近くにある古い小型焼却炉が忌まわしい限りだった。

 森の防音室に辿り着いたハルトシュラーは錠前部分、暗証番号入力用のボタンの隣にRFIDカードをかざして電子ロックを外す。
 彼女の私物だけではなく学校側が彼女の為に購入した楽器が置いてある為にセキュリティはそこそこ先進的だ。


「――遅かったね」


 扉が開いた。
 見れば、既に室内には人が一人いた。
 その客人は楽譜や資料などを収めた本棚の隣にあるソファー、そこに俯けに寝転んでいた。

105 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:09:04 ID:4Idgh2EI0

 ハルトシュラーは特に驚くこともなく、ちょっと用事があった、とだけ答えソファーに隣接する学習机に鞄を置いた。
 そうしてアップライトピアノの椅子に座ると、


「見られて困るものは何もないので構わないが……それでも入るなら入るとメールくらいして欲しい」


 と。
 セミロングの栗色の髪、ブレザーの上からでも分かる豊満な胸部、天使のように凄惨な魅力を持つ来客者。
 彼女――生徒会長こと高天ヶ原檸檬に、さして気にしている風でもなく言った。

 檸檬はバタ足をするように健康的に締まった両脚を動かし、微笑む。


「アレアレ? もしかして驚かせちゃったのかな?」

「まさか。“私(おまえ)”の気配など集中せずとも分かる。そういう関係だろう、私達は」

「それもそぉだね。……あと前も言ったけど僕携帯は持ってないから」

「知っている。つまり、勝手に入るなとという意味だ」

「善処しよー♪」

106 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:10:03 ID:4Idgh2EI0

 適当なやり取り。
 益体のない、挨拶程度の。


「ところで下着が見えているぞ。白のフリル」

「見せパンだよ?」

「理解ができないのが私だ。ただの下着にせよ、見せる用にせよ、どちらにせよ下着なのだから見られれば恥ずかしいと思うのだが」

「『見せるのは良いけど見られるのは嫌なものなの』という女の子特有の思考だよ。ミセリちゃん曰く」

「なるほど、箴言だ。舞台に上がっていない役者は役者ではないのと同じだな……その私生活を暴き立てるのは論外だ」


 さて、と話が一段落した所でハルトシュラーは気になっていたことを訊ねることにした。

 放課後は彼女の城である生徒会室か、そうでないなら件の弓道部にいるはずの檸檬が来ているのはささやかな会議の為だった。
 二人が直面している問題、『空想空間』と呼ばれる夢の中の異世界での騒動について。
 「超能力の戦いを勝ち抜けば願いが叶う」とされるふざけたゲームをどうするか――叩き潰すのは大前提として、今後の作戦をどうするのか。
 その相談をする為に二人は会う約束をしていたのだ。

 だが。
 本題に入る前に一つの疑問を解消しておかなくてはならないだろう。

107 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:11:02 ID:4Idgh2EI0

 つまり――檸檬がどうやってハルトシュラーの専用スペースに入ったかを。


「ここは私以外は入ることができない。カードキーは二つ、私が持っているものと理事会にあるスペアだけ。そして後者は持ち出し厳禁だ」


 “私(おまえ)”はどんな方法で、とまで言った所で才媛は口を噤んだ。
 わざわざ訊ねるのも愚かしいと感じたのだ、常識的に考えてカードキーを使わずパスワードを入力してロックを解除したに決まっている。
 キーを持っている彼女は日頃面倒なので使わない零〜九のボタンを順番通りに押したのだろう。

 暗証番号は四ケタから十二ケタまでで設定できる。
 部屋の主であるハルトシュラーはいつでも変更することが可能だが、普段使っていないので最初に設定した時のまま。
 盗み見られたのだろうか、とも思ったが、彼女自身が使っていないのだから他人が盗み見る機会はない。
 時間をかけて調査をしたり、あるいは特殊な機器で錠前に干渉した可能性は……高天ヶ原檸檬という女の性格的にありえないだろう。

 頭を回転させ始めてから二秒も経たずにそこまで思考を進めたハルトシュラー。
 痺れを切らしたにしても早過ぎるが、檸檬はその一秒後に「ネクストレモナズヒーント」と人差し指を立てた。


「ヒント一、携帯」


 直後「分かったぞ」とハルトシュラーが言った。
 型遅れの折り畳み式の携帯を出し、続ける。

108 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:12:05 ID:4Idgh2EI0

「そこまで言われて答えに辿り着けない私ではない……が、私としたことが迂闊だった」


 携帯を開き、掛かっていたパーソナルデータロックを解除する。
 部屋の扉と同じ数列のパスワード。
 ピッ、ピッ、という味気ない電子音が指先に連動するように連続して鳴った。


「扉の暗証番号は携帯と同じだった。つまり、携帯の暗証番号が分かれば必然的に扉も開けられる」


 八度目の電子音と共に携帯電話のロックが解除される。


「見た……のではないな。“私(おまえ)”のことだ、聞いたのだろう。プッシュ音を聞き、数字がどの順番で入力されたのかを記憶したのだ」


 酷く信じ難い推理だったが、檸檬は「せいかーい」と告げた。
 実際は物の試しで知っていた暗証番号を入力してみただけだったものの、それ以外は完全に正解だった。

 注意して聞いてみなければ分からないが携帯電話のプッシュ音は全て違っている。
 なので理屈の上では、音声をオフにしない限り、暗証番号だけではなくメールの内容も聞いているだけで凡そ把握できるのだ。
 少なくともハルトシュラーにはできる。

109 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:14:02 ID:4Idgh2EI0

 しかし、と風紀委員長は思う。
 また私の特技の一つを習得されてしまった、と。

 檸檬の学習能力の高さには驚くばかりだった。
 ハルトシュラーは、そう遠くない未来、自分の数百の特技のほとんどは盗まれてしまうだろうと予測している。
 参謀と実働のような役割分担があるわけではないので一向に構わないのだが……しかし、思うこともある。


「じゃあ疑問も解決したコトだし、本題に入ろっか」


 生徒会長は知った風に笑う。
 孤独な芸術家の心の内を見透かしたように。


「それでは、昨日のおさらいから始めよー」

「……ああ」


 その時、ハルトシュラーが抱いていたのは「負けるかもしれない」「自分の地位が脅かされる」等の恐怖ではない。
 畢竟「だからこそ張り合い甲斐がある」という、ある種狂戦士染みた高揚感だった。

 いや、彼女の名前と矜持的にはこう言うべきだろうか――「それは修羅的な快楽だった」と。

110 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:15:02 ID:4Idgh2EI0
【―― 4 ――】


 背中にバスケットボール大の軟体動物を押し付けられている気分をスーツの男は味わっていた。

 目を離して、それから瞬きを一度でもすれば忘れてしまいそうな顔立ちの彼は、ここでの名前がないことから「ナナシ」と名乗っている。
 『空想空間』内のナビゲーターの一人であり言わばバトルロイヤルのジャッジだった。
 通常の参加者は彼を頼りにし、幾つかの例外はあれど大抵の場合には敬意を持った対応をされている。

 だが。
 彼にとっては酷く不幸なことに、現在彼を羽交い絞めにしている生徒会長達は通常の相手とは全く違っていた。


(;‘_L’)「ストップストップストップ!待ってちょっと待って下さいッ!!」

|゚ノ*^∀^)「ヘーイ、コバセンビビってるー♪」

(;‘_L’)「誰ですかそれは!?」


 ツッコミを入れつつ必死で抵抗を試みるか、後頭部後ろで組まれたレモナの両腕で更に強く締め付けられる。
 背後から拘束されているので必然的に彼女の豊かな双丘が背中に密着することになるのだが、その感触を楽しむ余裕は今のナナシにはなかった。

 何故ならば。

111 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:16:03 ID:4Idgh2EI0

j l| ゚ -゚ノ|「なんだ小林先生……怖いのか? その程度の他人の心情ならば推し量れるのが私だ」

(;‘_L’)「だからさっきから誰なんですかそれ!?」


 何故ならば――彼の前方で学生服の風紀委員長が回し蹴りの練習をしているからだ。
 より正確に言えば、ナナシを蹴る為のウォームアップをしているからだ。

 重心の七割程度を下げた右足に置き、両腕のガードはボクシングよりも高く、脇は締めずにやや前に出されている。
 ムエタイの流れを汲むキックボクシングの構え。
 ハルトシュラーはその状態から繰り出す軽い右ミドルキックと、左右の脚を入れ替えるスイッチから続けて放つ強烈な左ハイキックの練習を交互に行っていた。

 夢の中の異世界の片隅で、現実逃避気味な遠い目をして、ナナシは呟く。


(; _L )「どうしてこんなことに……」


 重力を操る生徒が消え去った後、帰り方が分からないレモナとハルトシュラーは街中を駆け巡りナナシを見つけ出した。
 咄嗟に彼は逃げてしまったのだが――今から思えば、それが悪かった。
 やましいところは一つもないのだから逃げる必要はなかったというのに、つい逃げてしまった所為で状況が悪化した。

 あっさりと二人に捕まえられたナナシは拘束され質問攻めに遭うことになった。
 質問攻めという名の尋問であり、拷問だ。

112 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:17:04 ID:4Idgh2EI0

 「軟体動物を背中に押し付けられているような気分」という比喩は背中の柔らかな感触以外に、冷や汗を掻かずにはいられないという意味でもある。
 心境は毒を持った蛸が肩甲骨付近に張り付いている状況に近い、割合的には恐怖の感情がほとんどだ。
 まあ、一度ハルトシュラーのモデルの如く長い脚を使って繰り出される蹴りが生み出す風切り音を聞いてしまえば、それも無理なからぬことではあっただろう。
 強気に出られていたのは最初の十秒だけだった。

 入念に、軌道を計算するかのように上段蹴りを繰り返しながらハルトシュラーは話し始める。


j l| ゚ -゚ノ|「慈悲深くはないが非情でもないのが私なので、」

(;‘_L’)「人を羽交い絞めにしてハイキックを叩き込もうとしている時点で十分非情ですよ! 貴方達はレディースですか!!」


 瞬間、放たれた後ろ回し蹴りがナナシの鼻を掠るように通過した。
 息を呑みつつ、コイツの蹴りが直撃すれば私の首はアンパンマンみたいに飛んで行くんじゃないかと、彼は思った。


j l| ゚ -゚ノ|「優しくはないが惨たらしくもないのが私なので、質問に答えてくれるのならばすぐにでも解放しよう」


 無表情で風紀委員長は続けた。
 もし当たっていても彼女は表情を動かさなかっただろう。
 ……ナナシは黙って頷くしかなかった。

113 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:18:03 ID:4Idgh2EI0

 さて。
 練習を中断し一拍置いて、ハルトシュラーは問いかける。


j l| ゚ -゚ノ|「一つ目の質問だ。ここから現実世界に帰るにはどうすれば良い?」

(; _L )「それを説明する前にあなた達は出て行ったのではないですか……入ってきた場所の時計から戻ることが可能でございます」

|゚ノ ^∀^)「時計?」

(‘_L’)「はい、時計です。参加者個人の時計がログイン時刻で停止するのはログインした場所を忘れてしまった方の為ですから」


 この異世界に侵入――ログインする際、最寄りの時計と個々人の時計がログイン時刻で止まる。
 ログアウトに必要なのは最寄りの時計だけだが、なるほどもしも何処から入ったのかを忘れても自分の時計がその時計と同じように止まっていれば問題ない。
 自分の時計と同じ時間を示す時計を探して帰れば良いのだ。

 ほんの僅かに思案し、ハルトシュラーは続けて訊ねた。


j l| ゚ -゚ノ|「次に入る時にどうすれば良いか気になっているのが私だ。何か条件があるのか?」

(‘_L’)「あります……が、それほど難解な条件ではないのでございます」

114 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:19:03 ID:4Idgh2EI0

 曰く、最初のログイン時は主催者側が強い願いを持つ人間を選抜し召喚するらしい。
 対し二回目以降、つまり参加者の自主的なログインの際は自分の時計を零時零分に合わせれば良いだけらしい。


(‘_L’)「ログインすると現実世界では自動的に睡眠状態に入りますので場所を選んでご参加下さい」


 更に考えを巡らすハルトシュラーに代わってレモナが問いかけた。


|゚ノ ^∀^)「と、ゆーことは……僕達は現実では眠っているってことだよね? 誰かに起こされたらどうなるのかな?」

(‘_L’)「意識がここに在るわけですから目覚めることはないですよ。誰かから声を掛けられた場合はお知らせ致します。急いで現実にお戻り下さい」

|゚ノ*^∀^)「起きたくなければ戻らなければいいんだね?」

(;‘_L’)「それはそうですが……。そもそも、大半の参加者様は深夜にご参加なされています。だから起こされること自体がほとんどないのでございます」


 昼間の今は、人もいないけれど。
 夜も深くなれば、出会って戦闘になるかは別にして、ある程度の人数はログインしているのだろう。
 睡眠中の意識を使うシステム上、毎日この異世界に来ることは難しいだろうが。
 漫画の中で行われるバトルロワイヤル(勝てば願いが叶うタイプ)とは違って面倒だなあ、とレモナは呑気に思った。

115 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:20:05 ID:4Idgh2EI0

 その、弛緩し掛けた空気を凍り付かせたのは黙ったままだったハルトシュラーの一言だった。



j l| ゚ -゚ノ|「聞いて推測した限りでは、ログインしている人間を現実世界で殺す戦法もあるにはあるということだな」



 表情を動かすことなく放たれた一言に、ナナシは震えた。

 ああ、コイツは駄目だ、と。
 本当に頭がおかしい奴だ、と。
 その結論に大して考えたわけでもないのに当たり前のように辿り着き、表情を変えることなくさも当然のように言えてしまう精神。
 どれほどまでに終わっているんだと疑問に思う。
 最近の子供は皆こうなのだろうか。

 ……彼女の願いのなさの理由がナナシは分かったような気がした。
 他の大半の参加者達は「現実世界に影響はない」という大前提があればこそ殺し合いができている。
 だが違うのだ、彼女はそうではない。

 ハルトシュラー=ハニャーンという人間は――悪魔は、直面している事態と導き出した結論次第では、現実世界でだって人を殺す。

 きっと。
 眉一つ動かすことなく。

116 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:21:02 ID:4Idgh2EI0

(‘_L’)「……その通りでございます。本来姿が変わるのは現実での報復を禁じる為なのですが、流石ハルトシュラー様は素晴らしい頭脳をお持ちです」


 見得を張り恭しくそう答えた。
 意外にも、ハルトシュラーは「ありがとう」と素直に礼を述べた。
 ナナシの恐怖を見透かしたような雰囲気で。

 と、その時レモナが不満そうに言った。



|゚ノ*^∀^)「駄目だよ、そんな戦い方。ちゃんと戦わなきゃ全然愉しくないじゃん」



 それは、好戦的な『一人生徒会(ワンマン・バンド)』らしい考え方だった。
 友達の家でゲームをして遊んでいて、もう夕方だけど中断して帰るのは嫌だなあ、という程度の言葉。
 何処までも化物染みた彼女らしい意見。

 後ろにも異常者がいた。
 心の底からナナシは思った。


(; _L )「(……もうヤダこの子達)」

117 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:22:03 ID:4Idgh2EI0
【―― 5 ――】


 質疑応答を続けていく内に最初に見せられた『空想空間』でのルールは不完全であることが分かった。
 ハルトシュラーは、明記されていない設定は通常参加者が戦いを通じて気が付いていくべきものであり、意図的に伏せられているのだろうと予測した。


j l| ゚ -゚ノ|「……これも私の予測でしかないが、ログアウトは何処の時計でも可能なのだろう」

|゚ノ ^∀^)「そうなのかな?」

j l| ゚ -゚ノ|「同じ場所から複数人がログインすれば時計の針は動く。個々人の時計が目印であるのなら、そういう場合に役に立たない」


 流し目でナナシを見る。
 渋々と言った具合にナビゲーターは頷いた。

 結論から言えば、ログアウトはログインした場所の時計でなくとも時間さえ合っていれば可能なのだ
 だからこそに自分の時計の停止がその条件を満たす為に必要。
 設置してある時計を自分のログイン時刻に合わせれば、何処からでも現実に帰ることができる。

 ……このようにして、二人はルールを修正及び追加していった。
 先述のルールの補足を作ったのだ。

 それは、このようなものだった―――。

118 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:23:03 ID:4Idgh2EI0


 《空想空間・ルール説明補足》

 J二回目以降のログインは自分の時計を零時零分に合わせることで可能(現実では睡眠状態になる)。
 K『空想空間』に意識が在る場合は起きることができず、ログイン時刻と同じ時間を示す時計から帰るしかない(現実で声を掛けられた場合は通知される)。
 L自らのログイン時刻と同じ時間を示していればどの時計からでもログアウトできる(腕時計・懐中時計・携帯電話等以外)。
 M容姿服装は理想の姿に近いものとなるが、持ち物は任意でログイン時に持っていた物を持ち込める(ある程度制限があるようだがナナシも知らず)。
 N他人の能力体結晶を手に入れた場合は『自分の能力を強化する』か『その能力を取得する』ことができる(敗北は自分の結晶を取られた場合)。
 O自身の願いが消えてしまうと自動的に脱落する(その強さにもよるが、願いを変えることは可能)。
 P進行を早める為に特別措置が取られることがある(街全体に及ぶフィールドを考慮した決着を付ける為のルール)。
 Qナナシ以外にもナビゲーターがおり、基本的には各自参加者を選抜しているので総数は不明(ナナシ自身は現在二人まで参加させた)。
 R選抜されていない人間が偶然ログインしてしまうパターンもあり、レモナとハルトシュラーはこのタイプ(相当強い願いを持つ人間が多いらしい)。
 Sナビゲーターは中間管理職でしかない(自らが選んだ参加者がクリアするとボーナスが入る)。



.

119 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:24:03 ID:4Idgh2EI0

 近くにあった文房具屋に入り、紙とペンを拝借しルールを書き出したハルトシュラーは得心し二度三度頷いた。
 現実では窃盗行為だがゴーストタウンの異世界ではそんな常識は通用しない。

 レモナに紙を渡し、彼女が目を通したのを確認すると持っていたライターでそれを燃やす。


j l| ゚ -゚ノ|「最後に二つ訊きたいのが私だ」


 灰になった紙をシックなデザインの黒い運動靴で踏みにじりながら言う。
 彼女の数百の特技の中には「一度見たものを完全に記憶する」という瞬間記憶能力も最早当然のようにある。


(‘_L’)「はあ……なんでしょうか」

j l| ゚ -゚ノ|「一つ目、クリアした参加者を選抜したナビゲーターに与えられる特典はなんだ?」


 参加者が能力体結晶を十個集めると二つの権利、二者択一の権利を手にする。
 『現実で超能力を使えるようになる』か『願いを一つだけ叶える』。
 では、彼等を選ぶナビゲーターに与えられるものとは?

 レモナは「次の神様になれるとかだったら面白いなあ」と何も考えることなく笑っていた。
 ハルトシュラーは表情は動かさず、しかし真剣に耳を傾けていた。

120 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:25:03 ID:4Idgh2EI0

(; _L )「いやあ、それは……まあ……。参加者の皆様には関係のないことでございますし……」

j l| ゚ -゚ノ|「なるほど理解した。やはりバトルロイヤルのルール以外――ゲームの本質に関することは、答えられないのか」


 貴様が答えられないことを確認したかっただけだ、と彼女は凛とした横顔を僅かに笑みに変えた。
 見透かしたような悪魔の如き笑みにナナシは幾度目かの恐怖を感じる。

 それと同時、期待も持てた。
 レモナやハルトシュラーのようなはぐれの参加者が勝ち抜いた場合、ルール説明をしたナビゲーターにボーナスが入る。
 ナナシは思ったのだ――「きっとこの少女は勝つ」と。

 彼の心情を知ってか知らずかハルトシュラーは問いかけを続ける。


j l| ゚ -゚ノ|「二つ目。通常はどうやって参加者を選抜している?」

(;‘_L’)「……答えられません」


 彼女は、その整った顔を無表情に戻す。


j l| ゚ -゚ノ|「そこまで聞いて予測を立てられない私ではない。おそらく貴様等ナビゲーターは『欲望を視る力』を持っている」

121 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:26:04 ID:4Idgh2EI0

 しかも。


j l| ゚ -゚ノ|「加えて言えば、それは『参加者の能力を視る力』でもあり、また現実で使える超能力のようだな」


 二人がナナシと初めて出逢った時、彼はこう言った。
 ――「とても珍しいことですが、あなた方は現実と全く同じ容姿でございますね」。

 ……初ログイン時、参加者が理想に近い姿に変わるならば、何故ナナシは二人が現実と全く同じ容姿だと分かったのか。
 予想は幾つかできるが、ナビゲーターが選抜をしているのならハルトシュラーの考察が正しいだろう。
 ナナシは二人を現実世界で目撃したことがあったのだ。
 あるいは彼等が参加者の基本的なステータスを視ることができるだけなのかもしれないが、ナナシはそれを否定し、ハルトシュラーの指摘を肯定した。


(‘_L’)「……その通りでございます。ナビゲーターは現実で強い願いを持つ人間を探し、その方を『空想空間』にお招きし、お誘いするのでございます」


 当然、彼等は強い欲望を持ち、できる限り高い身体能力を持つ人間を優先的に勧誘する。
 一応これで彼がレモナとハルトシュラーの名前を知っていた理由は解決されたことになる――この二人より有能な人間はこの学校にいないからだ。

 そのように、ナナシも当初はセオリー通りに優秀な人間の多い特別進学科十三組の生徒を参加させようとしていたのだが……。


(‘_L’)「高い能力を持つ方は皆そうなのでしょうか。特別進学科の皆様は全般的に願いが弱いのでございます」

122 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:27:03 ID:4Idgh2EI0

 この願いを叶えるバトルロイヤルが神が開催しているものと仮定しよう。

 ならば、戦いに挑む参加者は持たざる者だ。
 自分ではどうしようもないことをどうにかしたくて、神に縋っているのだろう。

 しかし神から才能を奪い取って生まれてきた、類稀なる能力を持つ特別進学科十三組の生徒は――詰まる所「どうしようもないこと」自体がほとんどない。
 願いは自分で叶えるし、欲しいものは自分で手に入れる。
 決して彼等彼女等は全能というわけではないが、それでも普通の人間に比べれば、深刻なことが少ない。


(‘_L’)「……私自身が普通の人間であるが故でしょうか。私は、そう思うのでございます」


 ナナシの弁は、掛け値なく特別な天使と悪魔にとってどういうものだったのか。
 人間離れし化物染みた二人は多くを語らなかった。


j l| ゚ -゚ノ|「…………なるほど」

|゚ノ ^∀^)「ふぅん、あっそ」


 そんな風に、適当な相槌を打っただけ。
 その返答が「他人などどうでもいい」と言わんばかりに聞こえるのは――やはりそれも、ナナシが普通の人間であるからだろうか。

123 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:28:03 ID:4Idgh2EI0
【―― 6 ――】


 一連のやり取りをしたのが前日、重力を操る能力を持っていた生徒と一戦を交えた後のこと。
 ナナシとの問答を踏まえての今日の方針決定会議だ。

 まず、昨日檸檬が戦った生徒――淳高高等部一年二組の鳴滝成実のその後の報告。
 願いが消えた影響なのか友人とは仲直りできたみたいと生徒会長は嬉しそうに風紀委員長に告げる。
 昨日の彼が鳴滝成実という生徒であることを突き止めたハルトシュラーは、檸檬の報告に興味なさそうに「そうか」と頷いた。


「それにしても凄いよね、シュラちゃんは。全校生徒の顔と名前を記憶してるんだっけ?」

「大したことでもない。それに私一人では探し出すことはできなかっただろう。姿が変わるというルールは厄介だと気付いたのが私だ」


 姿の変化が少なかったことが幸いだった。
 完全に理想の姿になっていたのなら見つけるのは不可能だっただろう。

 鳴滝成実の場合、見た目の変化は自身の病弱さを緩和させた程度だったので比較的見つけるのは楽だった。


「今回の名も知らぬ生徒は上手くいったが、次回からは相手が誰かを突き止めるのは不可能と見て良い。少なくとも期待は持てない」

「そっか。ありがとう」

124 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:29:03 ID:4Idgh2EI0

 ハルトシュラー=ハニャーンを知らない人が見れば、名前を知っている相手をわざわざ「名も知らぬ生徒」と呼ぶ彼女は無礼だと思うだろう。
 それは中らずとも遠からず――彼女は、自分が認めた相手しか名前で呼ばない。
 必要に駆られた場合はこの限りではないものの、人の名を呼ばない彼女が愛称で呼ぶ高天ヶ原檸檬は、彼女にとって檸檬が大切な相手であることを意味している。

 単なる会長と委員長の関係ではない。
 生徒達の中には実しやかに「恋人同士じゃないか」と噂する者もいた。

 男装の芸術家は人差し指を立て、寝転ぶ少女に言う。


「それでこれからの方針についてだが、基本は『辞退要求及び願いの調査、相手が敵対の意思を示した場合は武力で制圧する』で良いか?」

「いーよー。探り探りでいこー」

「了解したのが私だ。では今日、今現在から偵察に向かおうと思っているのだが……どうだろう」


 先程は快く承諾した檸檬だったが、これには反対した。


「一人で行くの? 僕も行きたいなぁ、二人で行こうよ」

「“私(おまえ)”の意見には賛成したい所だが、残念ながらそれは駄目だ」

125 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:30:03 ID:4Idgh2EI0

 声のトーンは変えぬまま、心だけは思慮深く真剣にハルトシュラーは続ける。


「私の身体を見張る人間が必要であるし、二人で行動すると万が一強大な敵に遭遇してしまった場合に困る。全滅しどちらもが記憶をなくしては困る」

「見張りが必要なのは分かるケド……二人で行って負けるのはありえないんじゃないかな?」

「万が一と言ったのが私だぞ。現実ならばまだしも、向こうは異世界だ。想定外の事態が起こることを想定していなければならない」


 暫し押し問答を続け、最終的にはハルトシュラーの意見が通る運びとなった。

 今日は彼女が二十五分間だけ『空想空間』に赴き、偵察及び調査を行う。
 帰還予定時刻を五分過ぎても、即ちは三十分経過してもハルトシュラーが戻って来ない場合は――後は檸檬の判断に委ねる、と。
 直ぐに自分も『空想空間』に向かうも良し、もう暫く待ってみるのも良し、あるいは作戦を立て直すのも良い。


「では後は任せた――いや、任されたのかな」

「任せたし、任されたよ♪」


 然る間、そんなやり取りを最後として。
 ハルトシュラーはソファーを譲って貰いそこに寝転び、自らの腕時計を零時零分に合わせて、目を閉じたのだった。

126 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:31:03 ID:4Idgh2EI0
【―― X ――】



 ―――「ハルトシュラー・ハニャーン」 ガ ログイン シマシタ.





.

127 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:32:03 ID:4Idgh2EI0
【―― 7 ――】


 ハルトシュラー=ハニャーンが人の多い深夜ではなくあえて夕刻にログインしたのは偵察の為だけではなかった。

 偵察の為だけならば深夜を選んだだろう。
 彼女の数百の特技の中には敵から逃れ隠れる為の遁術や、そもそも敵に発見されない為の隠密術もあった。
 本物の軍人やプロならいさ知らず、大半の生徒には仕留めるどころか見つけることすら不可能だろう。

 姿を隠すのには長い髪と端麗な容姿は邪魔なだけだったが、それを補い余りあるほどに十三組の悪魔のスキルは高かった。
 数百の特技の中でもかなり習得に手間取った技能だが時間を掛けた甲斐もあり有用な能力だ。


 では何故、見つけられる心配がないというのに日の暮れる時間帯に『空想空間』に侵入したのか。
 それには――二年五組の時計が関係していた。


 レモナは昨日、二年五組の時計が二時三十分で停止していたことを記憶している。
 しかし、出会った相手、つまり鳴滝成実という生徒は昨日学校に登校していないらしい。
 職員室で調べた限りでは学校を休んでいたというのだ。
 加えて言うなら彼は一年二組の生徒、授業中に寝たのだとしても他学年のHR教室というのはおかしいだろう。

 鳴滝成実は自宅からログインしていたとして――では、二年五組からログインしたのは一体誰だ?
 それを調べる為に彼女は昼間の時間帯を選んで『空想空間』へと入った。

128 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:33:04 ID:4Idgh2EI0

 時間がない。
 素早く二年五組の前まで辿り着いた悪魔は、そっと中を伺った。


j l| ゚ -゚ノ|「(……二年五組HR教室には誰もおらず。時計も今日は止まっていない)」


 確認を終えると、彼女はいったん外に出ることにする。
 自分のログイン時刻を指す時計ならば何処からでも帰れるらしいが、心理的には分かりやすいので入った所から帰りたい。

 さて、二年五組からログインした生徒。
 深夜の二時三十分ではないと思うが、しかし昨日は昼過ぎから六時までログインし続けていたことになる。
 昼寝にしても精神は休まらないだろうに何をやっていたのか。


j l| ゚ -゚ノ|「(私達の戦闘を陰から観察していたか……それか、)」


 そうでないならば――レモナとハルトシュラーの知らない場所で戦いが繰り広げられていたか。
 あり得る話だった。

 帰ってから、今度はその生徒に関して調べようと彼女は決めた。
 今日は指揮の予習で忙しかったがそれも終わった。
 きっとすぐに見つかるだろう。
 授業中に寝始めて、HRや掃除の間もずっと寝続けている生徒なんて、目立って仕方ないだろうから。

129 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:34:04 ID:4Idgh2EI0

 と。
 ハルトシュラーが彼女を見つけたのは、中庭に出る直前だった。



ξ--)ξ「―――♪」



 中央ハ(C)のすぐ上のイ(A)、一般に調律で使われる音。
 ヴァイオリンの第二弦と同じ音だ。

 次いで、合唱練習書に載っているようなごく簡単な一曲を彼女は歌い始めた。
 「ソルフェージュ」と呼ばれる音楽の基礎訓練。
 イメージした音高を正確に出す為の本当に基礎的な、けれどハルトシュラーが思う限りでは最も重要な練習。


j l| -ノ|「(……本当によく通る、綺麗な声だ)」


 小柄な体躯ながら力強い歌声、地毛らしき自然な色合いの金のツインテールを揺らし少女は歌う。
 そして歌い終わると彼女は「今日もいつも通りに完璧ね」と自画自賛した。
 絵本に登場するお姫様のような顔立ちの少女が言うには不釣り合いな台詞だったが、何故か彼女にはよく似合った言葉だった。

130 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:35:04 ID:4Idgh2EI0

 ハルトシュラーが彼女に声をかけたのは曲が終わった直後――彼女が独り言を呟いたその時だった。
 金髪の少女は一旦は目を丸くして驚いたものの、すぐにここが何処なのかを思い出し、手にしていた楽譜の入ったファイルを丁寧に地面に置くと身構える。

 そして、刺々しい声音で言う。


ξ゚听)ξ「アンタって誰? ハルト様じゃ……ないわよね」

j l| ゚ -゚ノ|「いや、ハルトシュラー=ハニャーンなのが私だ。私としたことが邪魔をしてしまったな、申し訳ない」

ξ--)ξ「……その下手なドイツ語の訳文っていうか、私私って連呼する口調に無表情。完璧ハルト様ね」


 本人かどうかは置いておいて、と彼女は付け加えた。
 『空想空間』では現実とは違う姿かたちをしている参加者がほとんどだ、彼女が疑うのも無理なからぬことだろう。


ξ゚听)ξ「けど、意外ね。これが夢じゃないっていうのも意外っていうか、それに加えてハルト様に願い事があったってことが」

j l| ゚ -゚ノ|「私に願いはない――だから、能力もない」


 厳密には能力も願いも全くないわけではないのだが、ややこしくなるので説明はしなかった。
 どちらにせよ能力を使う気も願いも叶えて貰う気もない。

131 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:36:04 ID:4Idgh2EI0

ξ--)ξ「ふぅん、どうだか」


 少女が掻き上げた金髪はそよ風に吹かれ、また、淡く輝く空に照らされて輝いている。
 今日の異世界の空は曇天ではなく雲一つない快晴だが、天気がどうであれぼんやりと蒼く明るいのは変わりがないようだった。


ξ゚听)ξ「ねえハルト様。あなたが本物だって言うのなら質問っていうか、ちょっと訊いてみても良い?」

j l| ゚ -゚ノ|「申し出を断るような狭量な私ではない。答えられることなら答えよう」

ξ゚ー゚)ξ「じゃ、最初はクイズね」

j l| ゚ -゚ノ|「分かった」

ξ--)ξ「『どうしてクイズなんだ?』とかは……訊ねないのよね。頭が良いっていうか、なんでもお見通しって感じ?」


 本物のハルトシュラー=ハニャーンなら知らないはずのないことを訊ねる気なのだろう。
 考えるまでもなくハルトシュラーはそう分かった。

 金色の姫君が考えている間、どうやったら自分が本物だと信じて貰えるだろうかと考えたのだが、結論は出なかった。
 大体にしてハルトシュラーは自分が『ハルトシュラー=ハニャーン』であると思っていない。
 自分が本物であろうと偽物であろうと究極的には関係がなく、ただ自分が思うままに振る舞った結果として『自分』があると信じているからだ。

132 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:37:04 ID:4Idgh2EI0

 小難しい言い方を避ければこうなるだろう――「私は私だ」と。
 そういうスタイルを確立させない、自分に囚われない人物だからこそ、ありとあらゆる芸術を専門にすることができている。


j l| ゚ -゚ノ|「(しかし私自身が私が何者かを分かっていないというのに……何を訊くつもりなのだろう、彼女は)」

ξ゚ー゚)ξ「えーと、じゃあ行くわね」


 何故か少し楽しげな少女の言葉にハルトシュラーは頷く。


ξ--)ξ「無表情っていうか表情を動かさないことで有名なハルト様ですが、感情を出す時もあります。どういう時でしょう?」

j l| ゚ -゚ノ|「必要である時――誰かを演じる演劇の際や身振り手振りに加えて表情で指示を出す指揮等の場合は無表情ではない。そもそも私だって笑う時は笑う」

ξ;゚听)ξ「…………うわ、正解。偽物だとしたらかなりのファンっていうか、オタクね」


 即答ししかも正解したことに金髪の少女は心底驚いたようだった。
 ハルトシュラーとしては自分のことだから分かるのは当然といった具合だ。

 仏頂面をしているわけではなく、表情を動かしていないだけ。
 表情を変えられないのではなく、必要でないから普段は変えないだけ。
 本人としてはそれだけのことである。

133 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:38:03 ID:4Idgh2EI0

ξ--)ξ「じゃあ第二問ね。芸術分野の多方面で活躍するハルト様ですが、唯一芸術でありながら手を出していないものがあるそうです。それはなんでしょう」

j l| ゚ -゚ノ|「文芸――芸術かどうかが不確定で、加えて現実より素晴らしい小説は存在しないと思うからだ。だから楽しみはするが自分でやってみようとは思わない」


 更に言えば、芸術の中で最も非芸術的なものであるが故に芸術として成立させるのが難しい、という理由もあったが、話が長くなるのでこれも省略した。
 残念ながら今のハルトシュラーには時間があまりないのだ。 

 しかし解答に少女は十分に満足したようで、


ξ*゚听)ξ「……スゴ。熱心なファンっていうか……本物?」


 と、頬を綻ばせて言う。
 何がそんなに嬉しいのか答えた方は分からない。


j l| ゚ -゚ノ|「私がハルトシュラー=ハニャーンかどうかは置いておくとして、そろそろ私の用件を果たさせて貰っても良いだろうか」

ξ゚听)ξ「え? 用件っていうか、何か用があったの?」

j l| ゚ -゚ノ|「ある。だからこそ声をかけた」

134 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:39:04 ID:4Idgh2EI0

 体感時間では十分ほど。
 時間的には大丈夫だろうが、偵察の任務で参加者に声をかけたのはよろしくないだろう。
 半ば独断専行だ。

 罰は覚悟しなければな、と委員長は心の中で生徒会長を思い、笑った。
 然れども命令違反だとしてもやるべきことはあり、これはそのタイプの問題だった。

 任務を変更した風紀委員長は説明を始める。


j l| ゚ -゚ノ|「私は今現在、生徒会の決定に準じ、この『空想空間』で行われているゲームを強制終了させる為に動いている。今すぐ辞退して欲しい」

ξ--)ξ「……嫌だと言ったら?」

j l| ゚ -゚ノ|「強硬手段を取らせて貰う。辞退するか、私と戦うか。どちらかを選んで欲しい」

ξ゚听)ξ「後者で」


 まるで迷いなく彼女は即答した。

 強い意思を窺わせる瞳をハルトシュラーに向けて。
 明確な敵意を示して。

135 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:40:03 ID:4Idgh2EI0

 そうか。
 少女の言葉に対しそう悪魔は言い、そして問いかける。



j l| ゚ -゚ノ|「貴様を倒すことは決定事項となったが一応訊いておこう――貴様は何を求めて戦っている?」



 金髪の少女は目を伏せ、答えた。



ξ )ξ「……ライバルに勝つ為よ。……ハルト様みたいな天才には、分からないだろうけど」



 それは。
 ほとんど表情を動かさないハルトシュラーの心にも届く、痛切な響きの言葉だった。

 芸術家はもう一度、「そうか」とだけ答えた。

136 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:41:04 ID:4Idgh2EI0
【―― 8 ――】


 時間感覚を麻痺させるくすんだ淡い青の下。
 誰もいない中庭。

 向かい合う両者の距離は五メートルほど。
 片や、目も眩むような銀色の髪と流動する水銀の如き両の瞳を持つ、悪魔的な美貌の少女。
 片や、光に照らされ輝く金髪で小柄な体躯をした、童話の姫君のような少女。

 どちらも見た目からはとても戦闘を嗜む人間だとは思えない。
 二人がブレザーと襟詰の男子学生服であることも関係しているだろうか。


j l| ゚ -゚ノ|「……邪魔だな」


 と。
 その言葉と同時、ハルトシュラー=ハニャーンが俗に言う学ランを脱ぎ捨てた。
 黒の制服はドサリという小さな音と共に地面に横たわることになった。

 カッターシャツ姿になった彼女、その膨らんだ胸部を見て、ブレザーの姫君は「やっぱり女の子なんだなあ」と当たり前で場違いなことを思った。
 金髪の少女はお姫様だったのかもしれないが――学ランの彼女は王子様ではなかったのだ。
 周囲に合わせて「ハルト様」と呼んではいるものの、少女自身は思い入れがあるわけではないので別に残念とは感じなかったけれど。
 当然のことながら同性愛者でもないので安心もしなかったのだけれど。

137 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:42:04 ID:4Idgh2EI0

 しかしそれが合図となったかのように、金色の姫君は能力を発動させた。



ξ--)ξ「能力発動――――“stringendo(速度を上げて)”!!」



 刹那。
 少女の金色がブレ始めた――いや、少女が分身した。

 ハルトシュラーの前に、後ろに、右に、左に。
 出入り口の近く、噴水の前、大きな木の下、面する廊下の中、二階、三階屋上に至るまで。
 数にして五十の同じ姿かたちの人間が悪魔を取り囲んだ。


『さあ――。さあ、俺様王子様ハルト様』


 何処からか、声が響いた。 
 「さあ王子様、五十人の私に勝てるかしら?」――あの歌とは違う、会話の時の声音とも違う、鋭い声が。

138 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:43:03 ID:4Idgh2EI0

 一瞬で五十倍になった敵戦力をゆっくりと見回し、ハルトシュラーは呟く。


j l| ゚ -゚ノ|「壮観だな……。速度の変化を表す音楽記号で何故姿が増えるのかは分からないが……」

ξ )ξ『へえ、ハルト様にも分からないことがあるんだ』

j l| ゚ -゚ノ|「未だ無知なのが私だ。差し障りがないのならば意味を教えてくれないだろうか」


 言いつつ、ハルトシュラーは振り向いた。
 少女の内の一人が校舎にもたれ掛かって笑っている。

 分身した少女の行動はまちまちだった。
 指を指して笑っている者、退屈そうに譜読みをしている者、同じ人間同士で談笑している者達、歩いている者、走っている者……。
 バラバラで統一感がまるでない、非現実的な光景過ぎてうっかりすると同じ人物であることも忘れてしまいそうだ。


ξ ー)ξ『簡単っていうか、単純よ。『stringendo(アッチェレランド)』の意味は分かる?』

j l| ゚ -゚ノ|「『だんだん速く』……また、『そして終わる』」


 考えることなく答える。

139 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:45:04 ID:4Idgh2EI0

ξ ー)ξ『……そ。敵は五十人の姿に翻弄され、慌てふためき、遂には終わる――だからよ』

j l| ゚ -゚ノ|「そうか。格好良く決まった所悪いのだが、」


 腕を組み、彼女は敵対者に問いかけを。


j l| ゚ -゚ノ|「一つ訊くが……貴様、ピアノは弾くか?」

ξ; )ξ『え? うーん、まあ……そこそこ』

j l| ゚ -゚ノ|「更に訊くが、両手で違う曲を弾くことはできるか?」

ξ; )ξ『……は?』


 できないわよ、と五十の内の誰かが答えた。
 そうだろうな、と芸術家の少女は同意し頷いた。

 鍵盤楽器を嗜まない人間には実感がないだろうが、実は「右手と左手で違う曲を弾く」というのはかなり難易度が高い。
 それどころか「何かの曲を弾きながら会話する」――更に言うなら「弾き語りをする」でさえ難しい人間もいる。
 右手の主旋律と左手の和音を合わせるのも慣れていない人間には困難だ。

140 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:46:06 ID:4Idgh2EI0

 脳の構造と容量的には一曲弾くだけでかなり一杯一杯で、二曲というのはかなり無理をしているか、片方を意識することなくやっているしかありえない。
 二つのことを同時にする際、人間はどちらかを、あるいは両方を無意識で行っているのだ。

 ここから導き出される結論は。


j l| ゚ -゚ノ|「貴様が五十人に増えたとして――それを操作する為には五十人分の頭脳が必要だということだ」

ξ; )ξ『!!』

j l| ゚ -゚ノ|「無論、それぞれの分身が自立した自己を持っているのなら問題はないが……見回した限りではそうではないらしいな」


 全員が全員、てんでバラバラの行動をしている。
 その真意は――同じ行動を繰り返しているだけの大多数を気が付かせない為。

 ハルトシュラーの観察では、少女達の大部分が一定のパターンに基づいた行動を繰り返していた。
 普通の人間ならば瞬時に見抜くのは無理だっただろう。
 だが、普通の人間が不可能な事柄を当然の如く可能であるのが天才だ。

 即ちは。
 数百の特技を持つ悪魔、ハルトシュラー=ハニャーンだ。

141 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:47:04 ID:4Idgh2EI0

j l| ゚ -゚ノ|「……どういう戦法を取ろうが自由だが、私ならば能力の補助を考慮しギリギリ操作できるであろう二人から八人くらいの数にすると思う」

ξ )ξ『……っ』


 表情を動かさないまま、しかし余裕を持って彼女は忠告を加えた。
 黙っていた金髪の少女達はやがて数を減らした。

 とは言っても。
 減少した少女の総数は六、ハルトシュラーを取り囲むように動き止まった彼女達は十分多い。
 無駄に多くはなく、十分に多い。

 そして今度は全ての少女が同じ格好をしており余計に異常さが際立っていた。


ξ; )ξ『これで……どう?』

j l| ゚ -゚ノ|『どうかは訊ねるのではなく、やってみて決めることだ』


 さらりとハルトシュラーは言った。
 髪を一つ結びに。
 腕捲りをし、爪先立ちになるとトントンとステップを踏み始めて。

142 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:48:08 ID:4Idgh2EI0

 両手の指を弾きながら、身体を揺らす。
 腰を落とし、腕を振りつつヒップホップか何かのように左右に身体を移動させる独特のステップ。


ξ; )ξ『何それ……。踊り!?おちょくってんの!!?』

j l| ゚ -゚ノ|「最後にもう一度だけ確認しておきたいのが私だ。貴様は『ライバルに勝ちたい』という願いを持ちゲームに参加し、私と戦うのだな?」


 苛立つ金の少女の声を無視しハルトシュラーは問いかける。
 少女は吠えるように答えた。


ξ# )ξ『当ったり前じゃない! 私には……それしかないんだからっ!!』

j l| ゚ -゚ノ|「……そうか」


 そうか。
 何度目かの短い返答、そして。

 そうして。

143 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:49:05 ID:4Idgh2EI0

 そうして――風紀委員長は、悪魔のような冷たい声で宣告する。




j l| -ノ|「なら、やはり貴様の“人生(ものがたり)”は――今日が最終話だ」




 刹那だった。

 その言葉に呼応するように六人の少女が飛びかかった。
 いつの間にか取り出したナイフを右手に携えて。 


 直後ハルトシュラーの姿が、消えた。


.

144 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:50:12 ID:4Idgh2EI0

ξ; )ξ『!!?』


 いや消えたのではない。
 全方位からナイフが突き刺された瞬間、瞬時にハルトシュラーはしゃがんだのだ。

 そして、次いで彼女は足を思い切り伸ばす――後転飛びを行った。
 僅かに怯んだ六人の間隙、隙間を縫うように天空へと黒い両脚を伸ばす。
 その全身を空中に浮かした。

 次いでハルトシュラーは両手を地面に着く。
 両の掌を使った逆立ち――行動の意味は激しい衝撃を以て即座に理解させた。


j l| -ノ|「――ふっ!」

ξ; )ξ『ぐ……ああっ!!?』


 高速回転―――。

 両脚を一直線に開き、旋風さえ巻き起こしそうな速度で二回転。
 全方位に蹴りを浴びせかけた。

145 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:51:06 ID:4Idgh2EI0

 金色の少女の腕を弾いた感触を合図に続いては側転をし包囲網を脱出。
 ヒットの感触は両脚共に四度ずつ、及第点だ。


ξ; )ξ『ッ……アンタ、今の……!』

j l| ゚ -゚ノ|「知らないのか? 女子高生はジャンプを読まないのだな……尾田栄一郎作『ONE PIECE』のとあるコックがよくやっているだろう?」


 元の態勢に戻ったハルトシュラーは「正式な技名は『パーティーテーブルキックコース』と言う」と補足説明を加えた。
 続けて、またあの特徴的なステップを踏み始める。


ξ; )ξ『い、いやそうじゃないっていうか、それくらいは知ってる――じゃない!!』

j l| -ノ|「冗談だよ」


 言いつつ追い縋る六人の分身の間を踊るように擦り抜ける。
 ただ抜けるのではない、押し蹴り、上段蹴り、前蹴りなどを繰り出しながら回るように駆け抜ける。

 金髪を揺らし、間一髪で少女は回避または防御。
 手加減されていた。
 遊ばれているのが分かった。

146 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:52:05 ID:4Idgh2EI0

j l| ゚ -゚ノ|「遊んでいるわけではない。舞踏としてのこれは、そもそも攻撃を当ててしまっては駄目なものだ」


 心を読んだかのようなハルトシュラーの相槌。
 少女は、叫ぶ。


ξ; )ξ『そうか、カポエラ……っ! っていうか、格闘技じゃない!!』

j l| -ノ|「不勉強だな。“カポエラ”ではなく“カポエィラ”が発音的に正しい。ポルトガル語だな……ふっ!」


 中段蹴りをバックステップで避け、続いては連続後方転回。
 そして訂正する――「格闘技ではなく舞踏だ」と。

 ……ハルトシュラーの言った通りだった。
 逆立ちしながら戦う格闘技のイメージが先行してしまっているが、カポエイラとは舞踏が主流であり、敵を倒す為のものではない。
 トリッキーな動きはダンスとしての特徴で、そもダンスであるので相手に攻撃を当てるのは下手とされている。

 腰を落とし、左右に身体を揺らすステップは「ジンガ」と呼ぶ。
 あの側転は「アウー」と言い、しゃがんだ状態からの転回は「マカーコ」。
 アクロバティックな蹴りは「フォーリャ」。
 ステップを踏み始めてからの動作は全てカポエイラの技術だ。

147 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:53:04 ID:4Idgh2EI0

j l| -ノ|「――貴様は『戦うのはライバルに勝つ為』と言ったな。しかし、本当に貴様はライバルに勝ちたいのか?」


 舞踏の中でハルトシュラーは訊く。
 回るような動きで翻弄し、心までも揺さぶっていく。


j l| -ノ|「――本当に勝つことが大事か? 貴様が望んでいるのは、本当に勝つことか?」

ξ; )ξ『何を……!』

j l| -ノ|「――急ぐな、テンポを戻せ、最初はどうだった? 貴様の望みは最初から勝つことだったか?」


 あたかも。
 それは、あたかも二人でダンスを踊っているかのような。
 六人ではなく、二人の舞踏。

 実際は片方が片方を翻弄しているだけなのに、そういう踊りであるかのような錯覚さえ起こさせる光景だった。
 響く靴音が呼鐘代わりとなり人を集め、やがては相応しい音楽さえ流れ出してきそうな、そんな。

 音楽――ならば、それは少女の為の舞台だろう。

148 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:54:05 ID:4Idgh2EI0

 けれど、と認めず叫ぶ。
 この気持ちは嘘ではないのだと、歌い上げるように。


ξ# )ξ『だって――私には!私にはそれしかない!! それしかないんだもん!!』


 全部に才能があるあなたには分からないだろうと。
 なんでもできるあなたには分からないだろうと。
 感情を高ぶらせ、目を潤ませ、涙を流す一歩手前になりながら彼女は叫ぶ。


j l| -ノ|「……そうか、それしかないのか」

ξ# )ξ『私はこれしかできない! だから誰にも渡さない!絶対に!!』

j l| -ノ|「本当に、それしか駄目なのか」

ξ# )ξ『やったことないから分からない――けど、絶対にそうだ! 私は、演奏をする為に生きている!!』


 夢を叶える為に。
 ステージに立つ為に。
 自分の為に。

149 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:55:08 ID:4Idgh2EI0

 そうか、と悪魔はまた言って。
 彼女は心底不思議そうに――その言葉を、続けた。




「自分でそれしかないと言うのなら――貴様は一体どうして、一度負けそうになったくらいで、“音楽(じぶんのすべて)”を投げ出しているのだ?」





.

150 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:56:03 ID:4Idgh2EI0

 夢の中まで来て声の調子を確かめるほど好きなのに。
 卑怯な手段を使ってまでライバルに勝ちたいと思うほどに好きなのに。
 泣きながら叫んでしまうほど好きなのに。
 二年生でソロパートを任せられるまで努力したほど好きなのに。
 毎日毎日この中庭で日が暮れるまで練習したほど好きなのに。
 恋なんてする暇がないくらいに好きなのに。
 愛なんてされる暇ないくらいに好きなのに。

 その為なら全部投げ出してしまえるほどに好きなのに――どうして、あなたは。



j l| ゚ -゚ノ|「そんなにも好きなのに……どうして『もう駄目だ』『私じゃ無理だ』なんて思っている?」



 一度負けそうになっただけ。
 負けてすらいないのに。

 どうして?

151 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:57:08 ID:4Idgh2EI0


 
 何万回失敗しても、
 何千回嫌悪しても、
 何百回敗北しても、
 何十回諦観しても、
 何回挫折しても。

 それでも捨てられないからこそ――「本当に好きなこと」なんじゃないか?





.

152 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:58:11 ID:4Idgh2EI0

ξ )ξ『…………』


 少女達の動きが――止まった。
 ブレザーの襟の片隅に付けられた小さなピンバッジが、煌めいた。


ξ −)ξ『……ああ、』


 ああ、と少女は思う。

 昔から練習ばかりしていたものだから、年頃の女の子らしいオシャレも、髪を整えるくらいしかしてなくて。
 可愛い服とか、アクセとか、一つも持っていなくて。

 でも、新しい曲が吹けるようになったり、普段は全然笑わない先生に褒められたり、ステージに立って演奏して拍手を貰った時は本当に嬉しくて。
 両親にも何度も聞かせて、もういいよ、なんて苦笑いで言わせちゃって。
 女の子としては珍しいらしくて、本当はお父さんもお母さんもヴァイオリンとかをやって欲しかったらしいんだけど……。

 私はいつだったか――街角でこれを見た時に一目惚れしちゃって。
 ずっとそれから、サックスに恋しっぱなしだった。

153 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/05(月) 23:59:10 ID:4Idgh2EI0

 どうして忘れていたんだろう、と彼女は思う。

 新しい曲をまた一つ演奏できるようになった時の喜びや、ステージに立った時の興奮。
 失敗してしまった時の悔しさと、成功した時の言い表すことのできない気分。


j l| ゚ -゚ノ|「……思い出したか愚か者」

ξ ー)ξ『ええ、あなたの所為っていうか……あなたのお陰でね』


 そうか、と。
 相変わらずの声音で、相変わらずの返事をハルトシュラーは返した。

 けれど。
 それが何処か嬉しそうに聞こえるのは幻聴だろうか。
 少女の聞き間違いだろうか。

 ああ、耳が悪くなると練習が大変になるから――なんて、また凝りもせず音楽のことを考えている自分がいて、思わず笑みを漏らす。


ξ ー)ξ『馬鹿だなー……私は』

154 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/06(火) 00:00:03 ID:B7IX0Arg0

 本当に大馬鹿野郎だと自分で思う。
 良い意味でも、悪い意味でも。


j l| -ノ|「では、それはもういらないな―――」


 頬を涙が伝った瞬間。
 鎌鼬のような風が少女の首筋を襲った。
 不思議と怖くはなかった。

 そして気づいた時には。
 彼女の能力体結晶は何処かへ飛んで行ってしまっていた。


j l| ゚ -゚ノ|「あんなものに現を抜かしている暇はない。……お前が夢中になるべきは、音楽だけなのだろう?」

ξ ー)ξ「……まあね」


 一人になった彼女は、真っ直ぐこちらを見つめてくるハルトシュラーと目を合わせないように俯いた。
 ……目を合わせられないその理由は、涙を流しているだけではないのだろう。

155 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/06(火) 00:01:05 ID:B7IX0Arg0
【―― 9 ――】


 少女の四肢が、輝く金髪が徐々に光の粒となり消えていく。
 その中で彼女は問いかける――自分の王子様に。


ξ ー)ξ「最後に教えてくれないっていうか、どうして私が本体だって分かったの?」

j l| ゚ -゚ノ|「まずお前の能力は『五十の数まで分身する能力』ではないだろう。『相手に幻想を見せる能力』だ」

ξ )ξ「……なんだ、分かってたんだ。ちなみに私の歌を聞いた相手限定ね」


 当たり前だ、とハルトシュラーは返した。

 脳の問題以前に、本当に彼女が分身能力を持っていたのだとすれば増えた数人で敵を抑え込もうとするだろう。
 最低二人で良いのだ、一人が相手を後ろから羽交い絞めにし、もう一人が身動きの取れない相手を好きなだけ攻撃すれば良い。
 ちょうどレモナとハルトシュラーがナナシに対して行っていたように。

 加えて言えば、あの逆立ちの派手な蹴り技の感触には明確な違和感があった。
 相手は周囲に六人おり、自分は二本の脚を二回転させた――ならば何故打撃の手ごたえは四度だったのか。

 簡単だ――少女は実際には一人しかいないのだ。

156 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/06(火) 00:02:03 ID:B7IX0Arg0

 二本の脚で、二回転。
 一人の少女の防御した片腕に二回ずつ当たっただけ。


ξ )ξ「けど、それじゃ最後に六人の分身から私が本体だって見抜いた理由には――」

j l| ゚ -゚ノ|「――気づいていなかったのか?」


 言葉を遮りハルトシュラーは言う。


j l| ゚ -゚ノ|「最初から最後まで。五十人の時からこの瞬間に至るまで、私はずっと“本体(おまえ)”の方を向いているのだが……」

ξ; )ξ「い、いやだからそれがどうしてって……あっ!!」


 皆まで言うな、と芸術家は微笑んだ。
 一人の音楽家の僅かな笑顔。

 ハルトシュラーは指揮者を務められるほどに音楽的な才能と技量に溢れた人物だ、普段から視覚ではなく聴覚を重視し生活している。
 オーケストラの中でどの楽器担当の誰がどの位置を間違えたのかが分かる人間――相手の声が何処から来ているかくらい、集中せずとも当たり前に分かる。
 演奏中にミスをしたメンバーに視線を送るように、指揮者はずっと、少女を見ていたのだ。

157 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/06(火) 00:03:04 ID:B7IX0Arg0

 もう、少女はほとんど消えかけて、身体も半分しか残っていない。
 けれど気にすることなく少女は言った。


ξ ー)ξ「本当に敵わないなあ……ハルト様には」

j l| ゚ -゚ノ|「そうでもないぞ――有栖川有子。お前にはいつも感心させられているのが私だ」

ξ; )ξ「っ!? なんで、私の……?」


 どうして分かったの――なんて、訊くまでもない。
 最初に聞いた歌声ですぐに分かったのだろう。

 どうして私の名前を知ってるの――それは、予想が付く。
 前にやって来た時に覚えたのだろう。

 だから、彼女は。
 自分の認めた相手しか名前を呼ばない悪魔にそれだけを訊ねた。

 どうして私の名前を呼んでくれるの――と。

158 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/06(火) 00:04:03 ID:B7IX0Arg0

j l| ゚ -゚ノ|「何を驚いているのだ、それこそ当たり前だろう」


 そうすると悪魔はまた、心底不思議そうに。



j l| ゚ -゚ノ|「我々は同じ学び舎に通う仲間であるし、私達は音楽という同じ道を志した同志だろう――名前くらいは覚えている」



 そう言った。
 本当に、当たり前のように。


ξ )ξ「……ホントに、もー……。酷いなあ、カッコ良過ぎだよ」


 敵わないなあ、と思う。
 色々な意味で全てが負けていると思う。 

 消えることに未練はないけれど、彼女とのやり取りを忘れるのは嫌だった。
 今の少女に願いがあるとすればそれだけだった。
 この愚かしさが招いた素晴らしい出逢いを忘れたくない、と。

159 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/06(火) 00:05:03 ID:B7IX0Arg0

 だから、せめて。


ξ;ー;)ξ「今度私がソロやる時は……見に来てよね、ハルト様?」


 最後の言葉。
 涙でぐしゃぐしゃになってしまった顔で、せめてこれだけはと言った言葉。

 けれど――やっぱり、悪魔は無表情のままで。


j l| ゚ -゚ノ|「さっき同志だと言った所なのが私だ。お前達の演奏会はいつでも必ず見に行っている。……お前の歌も、演奏も、いつも聴いている」

ξ*;ー;)ξ「…………本当に、敵わないなあ……」


 呟いて。
 少女――有栖川有子は世界に溶けた。

 目が覚めて全てを忘れた私。
 お願いだから、この人の裏切るような私にはならないでね、なんて。
 恋しい人を想いながら。

160 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/06(火) 00:06:02 ID:B7IX0Arg0
【―― X ――】



 ―――「アリスガワ・ユウコ」 ガ ログアウト シマシタ.

 アカウント ヲ サクジョ シマシタ...




.

161 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/06(火) 00:07:02 ID:B7IX0Arg0
【―― 10 ――】


 目が覚めた瞬間、妙な感触が胸部にあった。
 学生服の上からだが確かに分かる。

 手の形。
 男装の美少女の胸の形状を確かめるようにふんわりと包み込んでいる。
 端的に言えば「ハルトシュラーの胸を揉んでいる」。

 ハルトシュラーは即時無言で蹴りを繰り出した。


「……おい、“私(おまえ)”。何故私の胸を揉む前段階に入っている」

「暇だったから。どのくらいかなーと思って」


 やはりというか、瞬時にバックステップをし攻撃を回避したのは生徒会長こと高天ヶ原檸檬だった。
 たまに訳の分からない行動を取ることで有名な化物女である。

162 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/06(火) 00:09:02 ID:B7IX0Arg0

「次やったら頭を全力で蹴り抜く決意を今固めたのが私だ」

「今も全力だったよね?」


 彼女に見張りを任せるのは止めよう、何をされるか分かったものじゃない。
 そう思い、しかしすぐに「そう思わせることが狙いの行動なのか?」と思い至った。

 案の定と言うか、檸檬は話題を変える。


「ところでシュラちゃんはなんで学ランなのかな? うちブレザーなのに……。かつて誰かに強姦されたー、みたいな裏設定があるのかな?」

「ない。そしてそういう暗い話題を振ってくれるな、今私はとても良い気分なのだ」

「分かった。カッコ付けなんだね」


 溜息を一つ吐き、ハルトシュラーは説明し始める。


「私が学ランと言うか、男の制服を着ているのは―――」

163 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/06(火) 00:10:04 ID:B7IX0Arg0
【―― 11 ――】


 そこは音が溢れる中庭だった。
 時刻としては朝の七時を回ったくらいか、普通の生徒はまずいない時間帯だ。

 音色の発生源は背の高い綺麗な金髪の少女だった。
 大人びた風貌で、それ故に携え演奏しているテナーサクソフォーンがよく似合っていた。 
 高校二年生だというが、とてもそうは見えないほど大人びている。

 サックスの中でも豪快で男性的なイメージが強いテナーだが、彼女の演奏は正確無比で何処か色っぽい。
 同じ奏者、同じ楽器、同じ楽譜であるのに以前とは違う音色を出している。
 少し前までは教科書通り過ぎるきらいがあったものの現在は完全に払拭されていた。

 黙って耳を傾けていたハルトシュラー=ハニャーンは――黙って去るつもりだった彼女は、指回しの練習が終わった辺りで金髪の少女に見つかってしまった。


「あ!王子様っていうか、ハルト様! ……あれ、私今なんで『王子様』なんて恥ずかしいこと言ったの?」


 少女――有栖川有子は小首を傾げ考えたが、思い当たることはなかったようだ。
 仕草や言動から推測すると、彼女は大人びた見た目に相反するように内面は割合幼いのかもしれない。

 それも前ほどではないのだが。
 彼女は、彼女が知らない所で大人の階段を一段上っていた。

164 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/06(火) 00:11:03 ID:B7IX0Arg0

「さあ。心の底で、白馬の王子様を待ち望んでいるのではないか?」


 声をかけられたハルトシュラーは見透かした風に返答。
 しかし有栖川に心当たりはなかったようで、「そうなのかな?」とまた首を傾げた。
 不思議と自然に鼓動が速くなる胸に手を当てて。


「そう言えば有栖川有子。次の定期演奏会ではソロをやるのか?」 

「それなんだけどね……失礼しました、それなんですけど、練習不足ってことで降ろされてしまって」

「そうか」

「…………あれ?」


 何故だろう、と有栖川は思う。
 今の何気ない「そうか」が――何故かとても懐かしく感じて。

 何かを。
 何かを言わないと。
 そんな風に彼女の心の奥底の何かが、彼女に呼びかける。

165 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/06(火) 00:12:19 ID:B7IX0Arg0

 しかし、言いたかった言葉は見つからず。
 胸の鼓動だけがただ速くなっていく中、彼女は当たり障りのない一言を言うことにした。


「えっと……ハルト先輩。次に私がソロやる時は、是非見に来て下さい」

「……吹奏楽部の演奏会には都合が合えば常に行っているのが私だ。前も言わなかったか?」


 言うべきだったのはこの言葉ではなかったらしい。
 当てずっぽうで当たるわけもないが。


「練習の邪魔をしてしまったな、私としたことが申し訳ないことをした」

「最後にっていうか……質問、いいですか?」


 背を向けるハルトシュラーに有栖川は思わず声をかけた。
 それは脊髄反射的なもので目的があったわけではない。
 しいて言えば今の彼女にあるのは、妙な動悸と顔の火照りだけだった。

 無表情の芸術家に、仕方がないので金髪の少女は前々から気になっていたことを訊ねることにした。

166 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/06(火) 00:13:35 ID:B7IX0Arg0

「ハルト先輩はどうして男の格好をしているんですか?」


 風紀委員長であり芸術家の少女。
 ハルトシュラー=ハニャーンはまた当たり前のように質問に答えた。



「――――何処かのサックス馬鹿が道を間違えた時に、蹴り飛ばしてやる為だ」



 スカートだと蹴る時に下着が見えてしまって恥ずかしいだろう、なんて付け加えて。
 キョトンとした顔をした有栖川に、冗談だ、と最後に言って銀髪の美少女は去って行った。
 ……結局何も分からなかった。

 今、有栖川有子が唯一分かっているのは自分の胸の動悸の激しさと顔の紅さ。
 それが何を意味するものなのか、子供なお姫様はまだ知らなかった。




【―――Episode-2 END. 】

167 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/03/06(火) 00:14:53 ID:B7IX0Arg0
【―― 0 ――】



 《 win 》

 @[SVO](人が)(競技や戦争)に勝つ、勝利を得る〔※単純に相手に勝つ場合はdefeatなどを用いる〕

 A[SVO](人などが)(名声・賞賛・権利など)を(努力して)得る、博する

  ――自
 B(人が)努力して…となる





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