j l| ゚ -゚ノ|天使と悪魔と人間と、のようです Part2

253 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:23:07 ID:2.G3MF660

・登場人物紹介

【生徒会連合『不参加者』】
『実験(ゲーム)』を止めることを目標とし行動する不参加者達。
保有能力数は三……『ダウンロード』『変身(ドッペルゲンガー)』他

|゚ノ ^∀^)
高天ヶ原檸檬。特別進学科十三組の化物にして一人きりの生徒会。
通称『一人生徒会(ワンマン・バンド)』『天使』。
空想空間での能力はなし。願いもなし。

j l| ゚ -゚ノ|
ハルトシュラー=ハニャーン。十三組のもう一人の化物にして風紀委員長。
通称『閣下(サーヴァント)』『悪魔』。
空想空間での能力は『ダウンロード(仮称)』。

  _
( ゚∀゚)
参道静路。二年五組所属。一応不良。
生徒会役員であり、二つ名は『認可不良(プライベーティア)』。

254 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:24:05 ID:2.G3MF660

【ヌルのチーム】
ナビゲーターのヌルが招待した三人のチーム。
異常で、特別な人々。願望は特になく生徒会連合と戦うことを望む。

(  ・ω・)
鞍馬兼。一年文系進学科十一組所属、風紀委員会幹部。
『生徒会長になれなかった男』。
保有能力は『勇者の些細な試練』『姫君の迷惑な祝福』『魔王の醜悪な謀略』の三つ。


【COUP(クー)】
ナビゲーターであるジョン・ドゥが招致した人間達が作ったチーム。
五人構成らしい。

ノパ听)
深草火兎。赤髪の少女。
保有能力は『ハンドレッドパワー』。

イク*'ー')ミ
くいな橋杙。ヒートの先輩。
保有能力は『残す杙(ファウル・ルール)』。

255 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:25:03 ID:2.G3MF660

【その他参加者】
それ以外の参加者。

リハ*゚ー゚リ
洛西口零(清水愛)。二年特別進学科十三組所属。二つ名は『汎神論(ユビキタス)』。
保有能力は『汎神論(ユビキタス)』『神の憂鬱(コンテキスト・アウェアネス)』。
願いは特になく、知的好奇心から戦いに参加している。

( "ゞ)
関ヶ原衝風。所属不明。
保有能力は「手にした物体を武器に変換する」というもの。
願いは自身の流派の復興。

( ^ω^)
ブーン。所属不明。
保有能力は『恒久の氷結(エターナル・フォース・ブリザード)』。

川 ゚ 々゚)
クルウ(山科狂華)。一年文系進学科十一組所属。二つ名は『厨二病(バーサーカー)』『レフト・フィールド』。
保有能力は『アンリミテッド・アンデッド』。

256 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:26:05 ID:2.G3MF660

【詳細不明なキャラクター】
暗躍する参加者達。
灰色の軍服のようなものを纏いインカムを付けている。
何かのポリシーからか能力を使用しない。

(゚、゚トソン
都村藤村。通称トソン。
保有能力は不明。

〈::゚−゚〉
イシダ。恐らく偽名。
保有能力は不明。

257 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:27:06 ID:2.G3MF660

【ナビゲーター】
『空想空間』における係員達。

(‘_L’)
ナナシ。黒いスーツの男。

( <●><●>)
ヌル。白衣を羽織ったギョロ目の男。

i!iiリ゚ ヮ゚ノル
花子。アロハシャツを着た子供みたいな大人。
  _、_
( ,_ノ` )
ジョン・ドゥ。トレンチコートの壮年。

/ ,' 3
N氏。車椅子に乗ったイタリア系の顔立ちの老人。

ヽiリ,,-ー-ノi
佐藤。ワンピースの女性。自称「恋するウサギちゃん」。

( ´∀`)
トーマス・リー。ホンコンシャツの小太りの男。

|::━◎┥
匿名希望。パワードスーツを着ている。あるいはロボット。

258 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:28:07 ID:2.G3MF660


※この作品はアンチ・願いを叶える系バトルロイヤル作品です。
※この作品の主人公二人はほぼ人間ではありませんのでご了承下さい。
※この作品はアンチテーゼに位置する作品です。


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259 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:29:07 ID:2.G3MF660




――― 第九話『 rest ――空虚な中心―― 』





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260 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:30:09 ID:2.G3MF660
【―― 0 ――】



 人を好きになるってどういうことなんだろう?



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261 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:31:08 ID:2.G3MF660
【―― 1 ――】


 物事を二つに分けて考えるのは好きではないのだが、それでもほとんどの人間が男と女に分かれる以上、恋愛に関しては二つの視点が必要だ。
 自分の性別なんて究極的にはどうでも良いと思っている山科狂華だが、そんな風に考えていた。

 狂華の場合、「可愛い女の子が好き」という前提があり、その為、具体的には可愛い女の子と楽しむ為には自分が男である方が都合が良いという認識でしかない。
 きっと同性同士での恋愛が主流になったら性転換でもなんでもしてしまうだろう。
 彼にとっては自分の性別などその程度のものでしかないのだ。


「まあ狂華クンは女装しても大丈夫な感じの顔立ちだからねぇ」


 斜め前でコーヒーを啜る先輩はクスクスと笑った。 
 こうして彼女と遊べるだけでも男に生まれて良かった、と狂華は思う。


「すみません、それは関係ないでしょう」

「あるよ。そんな余裕綽々な言い分、一定以上のイケメンじゃないと出てこないし」

「そうですかね」

「そうだよ」

262 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:32:07 ID:2.G3MF660

 自分が整った顔立ちをしているという自覚が狂華にはあまりない。
 家族によく似ている彼からすると、「俺がイケメンなのなら俺の家族は全員そうですよ」なんて、そんな感想しか出てこないのだ。

 まあしかし、言われてみれば周囲の男子はもう少し必死なような気がしないでもなかった。
 単純に彼等が狙う相手が落としにくいだけなのかもしれないけれど。
 山科狂華が好きなタイプは、性的なことに厳しくない、サバサバした年上の女性だ。

 そしてそれが恋人ではなく友達ならば最高だった。


「女の子との距離が近いからそんな言い分が出てくるんだと思うよ。女子によっては顔面偏差値五十以下とは話さないなんて子もいるし。分かんないけど」

「分からないんですか」

「だって、私はそうじゃないし」


 そうじゃないというのが「男の子じゃないから男子の恋愛観なんて分からない」という意味なのか、「私は顔だけで人を見ないから分からない」のか、どちらなのかは分からなかった。
 きっとこの先輩はどちらも分からないのだろうと狂華は思った。

 異性を誘惑したり喜ばせたりするのは得意でもその恋愛観は分からない。
 矛盾していると指摘されそうだが、そうではない。
 然もありなん、水無月ミセリという人間は性的接触と恋愛感情を完全に分けている為に何も不自然ではない。

263 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:33:08 ID:2.G3MF660

 それは他ならぬ山科狂華もそうであるのだが。


「……すみません、水無月先輩はパン●トの姉の方みたいですね」

「体型的には妹の方が近いと思うけど」


 まさか伝わるとは思わなかった。
 これだからこの人は面白いと目も合わせぬままに笑う。


「まあでも、やっぱり男子と女子じゃ違いがあるものだと思うよ」

「具体的にはどんな感じですかね」

「…………ごめん、思いつかないや。やっぱないかも」

「じゃあないのかもしれません」


 実際問題として性差というものは個々人が思い込んでいるだけのものが存外多い。
 世で言われる男子と女子の価値観の差は、実は性差ではなく肉食系と草食系の差なのかもしれない。
 あるいは自分にとっての異物を理解する為に適当な理由をでっち上げたものか。

264 名前:名も無きAAのようです 投稿日:2012/11/03(土) 02:34:08 ID:2.G3MF660

 どちらにせよ、それは所詮一般人の価値観であり。
 生まれた時より狂っている山科狂華という異端者にはあまり興味がないことだ。


「社会学的には『早まった一般化』や『衆人に訴える論証』ってやつですかね」

「どういうこと?」

「付き合った男子が全員すぐにヤリたがったからって男子が全員性欲旺盛だとは限らず、周りの男子が『女なんて身勝手だ』と言ってても女子が全員自己中とは限らないという話です」


 前者を「早まった一般化(類推の危険)」と言い、後者を「衆人に訴える論証(多数論証)」と呼ぶ。
 現代社会に溢れる偏見の大部分はこの二つで説明できる。
 どちらも周囲の意見を参考にするのは大事だが時には常識を見直すべきである、ということを教えてくれる事象だ。

 ふんふんと頷いたミセリはこう返す。


「つまり『女は無能だ』と言ってる人には会長やあの風紀委員長を紹介してあげれば良いんだね」

「……そうですね。あれほど強い反証は、他にない」

265 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:35:16 ID:2.G3MF660

 現に、あの天使と悪魔の存在から「女は無能」という持論を撤回した人間を狂華は知っている。
 彼は今でも「ほとんどの女は無能」と主張し憚らないが、それでも、何か見所がある異性には敬意を表するようになった。


「絶大ですからね、あの二人は」


 淳高三年特別進学科の天使と悪魔。
 高天ヶ原檸檬。
 ハルトシュラー=ハニャーン。


「……あの二人と一緒にいると女の子って生き物を誤解しちゃいそうだけどね」

「別にそれでも良いでしょう。本質的に人間は一人ひとりが全く違った意味の生き物で、分かり合えない隔たりを空っぽの境界にする為に生きているのだとすれば」

「狂華クンは、普通の男の子になりたかったの?」


 彼女の問いに狂華は笑い、笑ったままで答えた。


「そんなわけないじゃないですか。……にしても先輩の記憶力は凄いですね。こんなネタにも対応できるんですか」

266 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:36:09 ID:2.G3MF660

 分かる人にしか分からない雑談を続けつつ山科狂華はふと思う。

 人間は皆それぞれ特別なんて、そんなことを主張するつもりは更々ない。
 狂華が見る限りでは多くの一般人は似たり寄ったりの反応と行動を繰り返す他愛もない集団でしかない。
 きっと天使と悪魔もそう感じていることだろう。

 では、ここ数日あの壮絶な二人の傍にいるという、生徒会の新入りはどうなのだろうか?


「(あの二人は……参道静路というチンピラをどう思っているんだろう)」


 いや。
 なんだと考えているのだろう。

 あんな一般人を傍に置くくらいならば自分や鞍馬兼を控えさせた方がまだ意思疎通がしやすいだろうに。
 そうしなかったのには何か意味があるのか、否か。
 それとも彼を選んだ理由など「たまたまそこにいたから」程度なのか。

 あるいは――異なった存在故に上手く伝わらないもどかしさが楽しいのだろうか?


 ……そんな風に考え、それはないだろうと狂華は自身の考えを一笑に付した。
 そんな小説の中に出てくる恋人同士みたいな関係、あの天使と悪魔に限って在るはずがないのだから。

267 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:37:06 ID:2.G3MF660
【―― 2 ――】


 激闘から一夜明けて。

 ……とは言っても、見張りだった参道静路は『空想空間』での戦いが激闘だったのかどうかを知る術がない。
 雑談と、少しだけ重要な話を聞いている内に夜は明けてしまった。

 当然のことながら襲撃者は訪れず。
 また同じくらい当然のことながら天使と悪魔は記憶を失くしていなかった。
 どちらも当たり前のことだった。


「じゃ――朝になったしこれで依頼は完遂ってことで。俺は昼まで軽く寝てから帰るから、お前等は好きな時に帰れ。料金は支払い済みだし」


 朝の八時過ぎ。
 欠伸を噛み殺しながら一仕事を終えた青年はそう言うと、ベッドに倒れ込む。

 檸檬とハルトシュラーのいつもの起床時間、朝五時を少し回ってからは見張る必要もなかったのでジョルジュは仮眠を取ったのだが、彼は律儀にずっと起きていたらしかった。
 もしかすると人前で眠ることができないタチなのかもしれない。
 彼の後輩というハルトシュラーは基本的にはそうらしいので「似た者同士」という彼がそうである可能性は高い。
 まあ「似た者同士」というのは先輩側からの言い分であり、後輩はそう思っていないかもしれないが。

268 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:38:23 ID:2.G3MF660

 余談だがジョルジュが仮眠を取っている間に天使と悪魔はシャワーを浴びたらしい。
 体調を整える為の日課だとという。
 起きてさえいれば今度こそ眼福な光景を目にできただろうに、ジョルジュとしては物事というものは上手くいかねぇわと思って仕方がない。

 ……いや。
 そんなことはどうでも良く、とにかく無事に朝が迎えることができて良かったというのが彼の本心だった。


「料金はこちらで払うつもりだったのだが……顔を立てる意味でもお言葉に甘えさせて頂くのが私だ。ありがとう、先輩」

「気にすんなよ。言葉じゃなくて普通に甘えてくれたって良いんだぜ?」


 先輩のジョークをハルトシュラーは軽く無視した。

 朝は頭が働かないというのは所詮は凡人の常識なのか、『閣下(サーヴァント)』と呼ばれる彼女の双眸はいつも通り一流の交渉師のように鋭い。
 目も眩むような銀色の髪と水銀のような瞳は容姿端麗を具現化したかの如き顔立ちを今日も彩っている。
 しかし風紀委員長である彼女も流石に日常生活で風紀委員のトレードマークである詰襟の学生服を着用することはないようで、普通の服装をしていた。

 ごく一般的なパンツルックの黒いレディーススーツを纏っていた。
 ネクタイやスカーフなどはなく、そのくらいにシンプルなデザインの方が彼女の魅力は引き立つのかもしれない。


「…………好意的に考えれば、そうなるが……」

269 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:39:03 ID:2.G3MF660

 好意的に考えればそうなるが――好意的に考えなければそうならない。
 なんでコイツ、毎日似たような格好ばっかりしてるんだ?

 そう思ったので訊いてみた。


「……なあ委員長サン」

「なんだ」

「今日休日なのになんでスーツ着てるんだ?」

「休日だからスーツを着ている」


 ベッドに座ったままのハルトシュラーの手には同じく黒いビジネスバッグがある。
 その大きめの鞄の中には恐らく畳まれた学生服が入っているのだろう。


「昼過ぎから吹奏楽部の演奏会に行く。これはその為の服装だ」

「……一瞬納得しかけたが、高校生の発表会にスーツで行くのはどうかと思うわ」

「いけないのか? 疑問に感じるのが私だ」

270 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:40:05 ID:2.G3MF660

 いけなくはない。
 むしろ音楽を鑑賞する姿勢としては正しい。
 が、何かが違う気がする。

 その点では姿見の前で髪を整えている天使はカジュアルな格好をしていた。


「んー? アイドルが着てる制服みたいって言いたい?」

「いや誰もそんなこと思ってねぇけど、まあそんな感じだわ」


 栗色のセミロングに天使の微笑。
 いつも通り凄惨に美しい生徒会長はジョルジュを見、小悪魔のように笑ってみせる。

 今日の檸檬は下半身はチェックのプリーツスカートで、上半身は制服のようなブラウスに同じくチェックのタイを付けている。
 運動に適していそうな上着もあるが羽織ることはしないらしく体育の際にジャージをそうするように腰に巻いていた。
 あまり見ない着こなしながら活発そうで彼女にはよく似合っており、学校帰りの女子高生にも見える……が、それにしては少し可愛らし過ぎるか。

 そして「アイドルが着ている制服」というよりは。


「―――なんか同人誌やAVにありそうな服装してるな、会長」

「俺が配慮して言わなかったことをそうもアッサリ!?」

271 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:41:08 ID:2.G3MF660

 ベッドに寝転がったままで紅い青年はサラリと一言。
 その指摘にも驚愕するが、その前に彼が今寝ている場所はハルトシュラーが使っていた寝床なのだが良いのだろうか。
 それが先輩故に許される距離感なのか「実害のないことには寛大」という彼女の性格故か、どちらなのかジョルジュには分からない。

 枕を手繰り寄せながら(無論それもハルトシュラーが使っていたものだ)青年は続ける。


「例えばよー……。友達がそれなりにいる、普通の女子なら服装ってのはある程度周囲に合ったものになるよな」


 流行を取り入れてみたり。
 あるいは逆に少し外して自分らしさを演出したり。


「デュルケームって社会学者が昔、『集合意識』ってものを提唱したんだが、それに関係しているな」

「先輩。この不良生徒は学問は全般的に苦手なのでテクニカルタームではなく分かりやすい単語を選択するのが良いと思う」

「……お気遣いどうも」


 それはその通りなのだが、それを他人に言われると釈然としない気分になる。
 尤もなので反論もできないのが辛いところだ。
 既にハルトシュラーの発言の中に出てきた「テクニカルターム」という言葉が分からない。

272 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:42:04 ID:2.G3MF660

 相変わらず寝転がったまま「分かった」と答えると、青年は続けた。


「つまりは社会常識だな。社会に生きる人間の中には常識という内在化された社会があり、多かれ少なかれ個人を規定しているという話だ」


 人を傷付けてはいけない。
 嘘を吐かない。
 それは普段は意識をしないような当たり前なことであるが、確かに個人を縛り付けている。

 物の見方一つを取り出してみても。
 社会的な存在である人間は集合意識に影響される。


「だからさっき挙げた女子高生に限らず、一般的な人間は周囲と合った――つまり社会常識を踏まえた服装をすることになる。……ここまでは良いか?」

「まあ良いわ。それがどうかしたのか?」

「これには二つ注意すべき点があると俺は思っててな、」


 ここでやっと彼はベッドから起き上がり、椅子に座っていたジョルジュの方を向いた。
 次いで「こうやって『人の顔を見て話す』も常識の一つだよな」と笑う。

273 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:43:06 ID:2.G3MF660

 そして言う。


「まず一つ目に、社会常識を意識しない限りは人間は社会に囚われ続けるとされたわけだが……これ、微妙におかしいと思わねーか?」

「……そもそも社会というもの自体が人間によって作られているのに社会を作ったはずの人間が社会に形作られていることだな」

「その通り」


 人間が社会に縛られているとして。
 しかしながら、社会を作り上げたのは他ならぬ人間なのだ。

 ……これは単純に「社会を作った人間」と「社会に生きる人間」が違うことや社会常識(≒偏見)を当事者が意識していないことから起こる。
 例えばジェンダーなどがそうなのだが、多数の構成員が意識してしまえば常識は非常識に変わってしまう。
 今は男らしさや女らしさというものは希薄になった――社会学の有用性とは常識という名の偏見を見直すことができるという点だろう。

 が。


「これってつまり――ある程度の教養とある程度の頭脳がある人間は、下手すりゃ好き勝手に社会を弄くり回せるってことにならねーか?」

「……は?」

274 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:44:09 ID:2.G3MF660

 現在の社会常識を正しく意識した人間が適切な行動を起こせば社会は変わる。
 つまりは価値観の改変だ。

 「人を殺すのは悪いことだ」という常識を戦時中は「国の為に戦うことは良いことだ」という風に変える。
 政治では幾度となく行われてきたことだろう。
 社会学で偏見を改めることも可能だが、逆に偏見を刷り込み常識にすることも可能である。


「…………なんか難しいわ」

「分からねーならルールで考えれば良いかもな。ルールを守るだけの人間は不自由だが、ルールを定める側の人間は同じ不自由でも、限りなく自分に都合の良い不自由だ」


 色々語ったが、端的に言えば「常識というものは実は存外に脆く薄い」という結論になるだろう。
 そしてそんなものに支配されている人間も同じように脆く薄いのだ。

 それはそうとして。


「―――まあ、これは本題と関係ねーしどうでも良いんだが」

「俺の時間を返せ!!」

275 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:45:09 ID:2.G3MF660

「関係あるのは注意すべき点の二つ目なんだよ」


 ジョルジュの叫びを無視し青年は淡々と続ける。
 彼曰くAVにありそうな服装の生徒会長は窓際でニヤニヤと笑っているが、もしかすると話のオチが見えているのかもしれない。


「社会の構成員を社会常識が拘束するのは分かりやすいが、人間って一つの社会だけに生きてるわけじゃねーだろ?」


 日本人は日本の常識に規定される。
 が、「日本人のクリスチャン」ならどうだろうか。
 敬虔なキリスト教徒が休日出勤を命じられた際に「日曜なので教会に行きます」と答えた場合、その人は常識的なのか、それとも非常識なのか。

 『集合意識』とは「個人の外にあって個人の行動や考え方を拘束する、集団あるいは全体社会に共有された様式」のことだ。
 ……しかし所属する集団によっては社会に在りながら社会常識と真っ向から対立する価値観が成立することもありえるのではないだろうか。


「うーん……」

「まあ難しい問題なんだが、とりあえずハルトなり会長なりの格好はこれで説明付くだろ?」

「へ?」

276 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:46:12 ID:2.G3MF660

 つまりは。


「社会全体の常識じゃなく所属していた集団の常識を優先した結果、周囲とのズレが生じたんだよ」


 例えばハルトシュラーは――周囲の人間の見た目よりも、過去に兄が言った「腰まであるような長髪は綺麗だよね」という一言を重んじた。
 それは通常の社会においては非常識的なことだが、内輪では美点であり、しかも友人が少ない為に社会常識を伝えられる機会が極端に少なかった為に変わることもなかった。
 その結果として現在があるのだ。


「じゃあ、会長サン達はズレてるわけじゃなく……」

「二人が優先する価値観が社会的常識とズレているだけだな。格好が独特に見えたとしても、二人の中では常識的なわけだ」


 それに、とウインクしつつ紅色は話を終わらせる。


「そんな小難しいことは置いておくとしても――独特なのに似合ってるのは、それが一番だよな」

「……まったくだわ」


 難しい理屈や理論は分からないけれど。
 あの二人がそれぞれのイメージに合った格好をしていることは良いことなんじゃないかと、そんな風にジョルジュは思う。

277 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:47:09 ID:2.G3MF660

 可愛らしい格好をした女の子は見ていて楽しいというのが理由の一つ。
 また漠然と『本物』に憧れていた小市民からすると、なんとなくなのだが、優秀な人間は風変わりであって欲しいのだ。
 そういう願望のような妙な想いがある。
 だから特別な人間が見た目から分かりやすく逸脱していることを是と思いがちになる。

 ジョルジュは鞍馬兼のことをあまり好んではいないが、それはあるいは彼が一見真っ当だからかもしれなかった。
 どちらかと言えば山科狂華のように「コイツ頭おかしいわ」と一発で思えるような人間の方が好感が持てる。

 人は皆それぞれ特別だ、なんて言葉はジョルジュの心には響かない。
 どうせならば分かりやすい『何か』が欲しい。
 能力や名声や地位や……誰だってそうではないだろうか?


「……って、俺も今は肩書きがあるわ」


 『淳高唯一の生徒会執行部一般役員』。
 だがそれだけで自分の中の欲求が完全に満たされたわけではない。


「所詮は肩書きってことか」

「どうかしたか?」

278 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:48:04 ID:2.G3MF660

 呟きに反応した青年に「なんでもねぇよ」と一言返す。
 個人的な話だ。

 周りに目をやってみると、身嗜みを整え終わったらしい天使と悪魔が鞄を手にするところだった。
 休日であろうと彼女達は暇ではないらしい。
 対照的に時間が有り余っているジョルジュはここでもう一眠り寝てから帰っても良いのだが、一応部下として上司には付いて行くべきだろう。
 そう思い、自分も学生鞄を持った。

 別れの挨拶に寝転がって応じた青年を残して二人は部屋を出て行く。
 ジョルジュも後に続こうとしたのだが、そこで最後にもう一度だけ引き止められた。


「……おい、ちょっと待て」

「なんか用か? 委員長サンのことなら頑張ってみるわ」

「死なない程度によろしく頼む。どうしても無理なら連絡しろ」


 そう言えば名刺を貰っていたのだったか。


「あー、いやこれじゃねーな。俺が言いたかったのは」

279 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:49:08 ID:2.G3MF660

 枕に顔を埋めたままのくぐもった声で話を一旦区切ると彼は続けた。


「仲良き事は美しいよな」

「は?」

「仲間なんだったら仲良くなるべきだよな」


 意図はよく理解できないが、とりあえず言葉の上の意味だけは分かったので適当に同意しておく。
 確かにジョルジュもハルトシュラー辺りとはもっと仲良くなりたいと思っている。

 そうだろうそうだろうと幾度か頷き、紅い青年はサラリと言った。



「じゃ――お前とりあえずアイツ等の風呂を覗け」

「…………は?」



 内容に反しその声音は爽やかなものだった。
 ……爽やかに言えばなんでも許されるということでもないが。

280 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:50:13 ID:2.G3MF660
【―― 3 ――】


 混浴の温泉というものは思っているほどには少なくない。
 大浴場が一つしかない場合、どうしても時間帯で分けるか混浴にするかの二択になるからである。

 このホテルでは双方を採用している。
 つまりまず性別で使用できる時間帯を分け、それ以外の時間を男女混合にしているのだ。
 そして朝方は混浴である。

 ……まあ、基本的に混浴の時間に入るのは家族かカップルくらいのものだが。
 下手をすれば誰も入らないということもありえる。
 見知らぬ異性に裸体を見せるということに抵抗のある人間は男女共に多い。


『一緒に入ろうと誘えって言ってるわけじゃねーよ。お前には無理だろ』


 アンタも無理だろと言い返しそうになったが、女子の後輩のベッドで躊躇わず寝るような奴なら可能なのかもしれない。
 なので黙って頷いておいた。


『だから先にお前が入って、上がったと見せかけて脱衣所の中に隠れとけ。その後は……分かるな?』

281 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:51:11 ID:2.G3MF660

 なるほど、中々良いアイディアだとジョルジュは感心した。
 万が一バレても訴えられないことが良い。
 フィクションの中とは違い、現実で風呂を覗けば警察のお世話になるのは確定的だ。

 ただ問題が一つある。
 あの二人が風呂に来なかった場合、湯冷めするまで一人脱衣所に居続けることになる点だ。 


『いーやっ、それは大丈夫だ。大学で心理学を学んだ人間を舐めるなよ。女子を風呂に行かせるくらい朝飯前だ』


 ……後輩の女子高生を温泉に行かせる為に象牙の塔の知識が使われると知ったら彼が所属していたゼミの教授はさぞかし嘆くことだろう。
 どんな朝飯前だ。
 いや、今は確かに朝飯前ではあるのだが。

 先輩は言った。


『仲良くなれない原因にはハルトの態度もあるが、お前が遠慮してるのが悪い。アイツはアレで、言葉をかけてくれる相手が好きなんだよ』

 
 どれほど才能に溢れていようと向こうも高校生の少女なのだ。
 妙な幻想を押し付けて遠慮している方がおかしい。
 普通の友達に接するように声をかければ案外、仲良くなれるものなのかもしれない。

 だからと言って、裸を見た程度で接し方を変えられるとはあまり思わないが――もう仲良くなること関係なく見たいというのが本音だった。
 故にジョルジュは強く頷いたのだった。

282 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:52:26 ID:2.G3MF660
【―― 4 ――】


「ビッヘってなんで『バイキング』って言うんだ?」 

「ビュッフェだ。貴様は海賊なのにそんなことも知らないのか」


 朝飯前から朝食中へ。
 多くのホテルがそうであるようにここも朝食はビュッフェ方式である。

 シーズン的な関係なのか客の数は少ない。
 加えてこの地域は観光地というわけでもないので主な客はサラリーマンか、そうでないならば気分転換に都心から芸術家(主に小説家)が来る程度だ。
 内輪である程度完結してしまっている地方はそんなものだ。

 ポテトフライを装いつつジョルジュは返答する。


「俺は海賊じゃねぇし、しかも海賊だったとしてもカリブだわ」

「そう言えばそうだったか」


 どうでも良いと言わんばかりにハルトシュラーは言った。
 無表情故に余計に素っ気なく見える態度。

283 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:53:17 ID:2.G3MF660

「どうして、と問われると解答に困るのが私だ。あまり意味のないネーミングらしい」


 英語圏では『上を向いて歩こう』が『SUKIYAKI』という曲名に変わっているようなものだ、と続ける。

 彼女はすき焼きのような朝食にカロリーの高い料理は食べないらしく、皿にはサラダとフルーツばかりが目立つ。
 単純に胃腸が弱いのかもしれない。
 ちなみに彼女の先輩によればハルトシュラーの好物は麺類だ。

 悪魔に対応する天使は朝からがっつりと食べる派のようで、選ぶ品目も魚や鳥、豚などが使われたものが多かった。
 既にさっさと席に着き食べ始めているが、どうやら檸檬には食事の席で人を待つ習慣がないらしい。

 常識知らずにも映る行動。
 ……それを「きっと冷めない内に食べなければ失礼だと考えているんだろう」と考えてしまうのはジョルジュの中にある偏見の所為だろうか。
 好意を抱いている相手の行動を過剰なまでに好意的に見てしまうのはよくあることだ。


「しかし、それにしても」

「……なんだ?」

「割と違いもあるんだな、二人にも」

「当たり前だろう」

284 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:54:05 ID:2.G3MF660

 淳高の一般生徒の中では一纏めにして語られることの多い天使と悪魔だが朝食の選び方一つにも差が現れる。
 ハルトシュラーの言う通りに「当たり前」のはずなのに、どうしてか凄い発見をした気になった。

 そうしてジョルジュは少し考え、普通の友達にかけるような言葉を呟いてみる。


「そんな食物繊維ばっか食べてるから会長サンと違って胸がちっちゃいままなんだわ」


 助言を踏まえ、遠慮せず、普通の友達(鳥羽通)に言うようなことを口に出してみたが――冷静に考えるとこれはセクハラというやつではないだろうか?


「(ていうか紛れもなくそうだわ。そして内容が真逆)」


 鳥羽通に言うとしたら「何食ったらそんなに胸大きくなるんだよ」だろう。
 どちらにせよセクハラには違いない。
 つい軽々しく言ってしまったが訴えられないとしても生徒指導部による厳重注意や停学処分くらいは覚悟すべき発言だった。

 が、予想に反し。
 いやある意味では至極予測通りに銀髪の悪魔は平然と応答する。


「そうか。そうかもしれないな」

285 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:55:09 ID:2.G3MF660

 特に怒った風でもなく。
 相変わらずの無表情で。


「……怒らないのか?」

「怒らせるつもりの発言だったとしたら怒るかもしれない」

「いやそういうわけじゃ……」


 そういうわけではなかったものの、平然と対応されてしまうとなんだか拍子抜けなのも事実だった。
 不機嫌になったり笑い飛ばしたりしてくれれば会話も弾んだだろうに。
 ツッコミくらいはくれると思っていたが、それすらもハルトシュラーはしなかった。

 が直後、テーブルへと向かう最中で彼女は逆にジョルジュがツッコミを入れたくなるような発言をした。


「加えて断っておくが、胸は小さいわけではない。Cカップ程度の平均的なものだ」

「え…………え、マジで!?」

「貴様は一体何を驚いているのだ」

286 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:56:04 ID:2.G3MF660

「いや――そんなことを言ってことにも驚きだわ案外大きいことにも驚きだわ驚くことしかねぇわ!!」


 てっきりAカップくらいだと思っていたのだ。
 だって、と以前見たグラビアアイドルのDVDを必死で脳裏に再生する。
 「CということはBより大きくDより小さい程度だから、それは結構なボリュームで……」と一人悶々と想像を膨らます。
 きっと全体的に引き締まっているから相対的に胸が大きくなるのだろう。

 ……まあ。
 どれほど想像したところでロクに見たことも触ったこともないジョルジュには、具体的にどれほどの大きさかは分からないのだが。


「ぐ、ぬぅ……」

「幾ら目に力を入れようとも透視能力に目覚めたりはしない。多くの女子から軽蔑の目が向けられる結果が待っているだけだ」

「…………じゃあ直に見せてくれるのか?」


 酒の席での口説き文句のような発言にも淡々とハルトシュラーは言葉を返した。


「嫌だ。はっきりと断るのが私だ。軽率な私ではない」

287 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:57:04 ID:2.G3MF660

 これまでの発言も軽々しいものであった気もするが、考えてみれば彼女はただ事実を述べているだけだ。
 変な意味で受け取っているのはあくまでジョルジュなのであり、勝手に胸を高鳴らせている彼に対し現にハルトシュラーは眉一つ動かしていない。
 その視線には好意どころか軽蔑の感情すら含まれていないのだから恐れ入る。

 もう少し好感度があれば――例えばあの鞍馬兼が「裸を見せて欲しい」と頼んだならば性的なことに無頓着な悪魔は躊躇いなく了承してくれるのかもしれない。
 別に裸を見られても、それで欲情されたとしても彼女にはなんの実害もないのだから。
 加えて襲われたとしても返り討ちにできる程度の実力は十分にあり、また襲うような相手にはそもそも見せないのだろう。
 そう考えると信頼関係が築けていないことが何よりも悔しい。


「ぐぬぬ……」

「考えてることはなんとなく分かるケド……ジョルジョルは見れたら見れたで目を背けちゃうと思うよ?」


 唸るジョルジュに席に座っていた天使はそんな風に呟いた。
 表情はいつもの笑みであるのにそのトーンが何処となく不機嫌そうなのは、ある意味で仲睦まじそうにも見えた彼とハルトシュラーのやり取りが聞こえていたからか。
 残念ながらその些細な変化が読み取れなかったらしいジョルジュは腰掛けつつ返答する。


「は? そんなわけないわ」

「いや、あると思うよ。きっとロクに見れもしないんだ」

288 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:58:09 ID:2.G3MF660

「折角の機会にそんなわけ……」


 いや。
 ある。

 もう何ヶ月か前になるが、ジョルジュは似たようなシチュエーションに遭遇している。
 その時は絶世の美少女である『一人生徒会(ワンマン・バンド)』からのある誘い、性的な申し出を受けなかった。
 尻尾を巻いて逃げ出したのだった。

 今ではもう遠い存在だった生徒会長は高天ヶ原檸檬という上司に変わり、両者の関係性は変化したけれど。
 だからと言って、あの時と全く同じ申し出をされた場合、果たして参道静路はそれを受けて立つことができるのだろうか。

 ……できない気がする。


「いや!あの時の俺とは同じ人間であろうと全く違うわ!! 数々の死線を越えた今の俺が女体一つに負けるわけがない!!」

「……ふーん?」


 威勢の良い宣言に天使は笑ったまま応じ、彼には聞こえないような声でそっと呟いた。
 一言、「期待しないで楽しみにしてるよ」と。

289 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 02:59:04 ID:2.G3MF660
【―― 5 ――】


 いよいよだ。
 大浴場に向かいながらジョルジュは一人笑っていた。


 和やかな朝食を終え、さてそろそろ帰ろうかという段階になったところで今から風呂に行くと二人に一言告げた。
 折角だからにごり湯で有名だという温泉に入ってから帰ろうというのはそこまで不自然ではないだろう。
 美白効果のあるお湯に浸かりたがるとは傍から見ると肌の具合を気にしているようだが、容姿は良くて悪いものではない。

 檸檬は「じゃあ鞄を部屋に置いといてあげるよ」と応じ、こうなるなら荷物を持ってこない方が良かったねと笑った。
 そのまま先に帰られたらどうしようかと思っていたが流石にそんなことはなかった。

 予定があるらしいハルトシュラーも数十分程度ならば待ってくれるらしかった。
 考えてみれば吹奏楽部の定期演奏会は昼を過ぎてからなので今すぐチェックアウトしなければならないというわけでもないのだ。
 直接向かうのならば早過ぎる。


「……く、ふふ」


 笑みが漏れる。
 服を脱ぎながら笑っているとおかしな奴と思われるかもしれないが、構わない。
 どうせ誰もいないのだ。

290 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 03:00:10 ID:2.G3MF660

 ホテルの規模に対し妥当と言える大きさの脱衣所に人の影はない。
 混浴の時間帯で入りづらいことに加え、季節的にオフシーズンというのもあり、更に言えば人がいないのはここが厳密には温泉ではないというのも大きいだろう。

 この大浴場の湯は少し離れた温泉から運ばれてきたものだ。
 源泉から汲み出したものを運び、市街地のホテルの湯船に入れ温め直したのがこの温泉なのである。
 入浴剤を入れられているよりは良いだろうが、何か釈然としないのも確かだ。
 しかし特に拘りのない人間、例えば参道静路などからすれば広い湯船に浸かれるだけで温泉を堪能した気分になるのでこれでも十分だった。

 それに今日の目的は温泉ではない。


「(知ってる相手の裸を見るって……スゲェ興奮するわ)」


 この時点で完全に「気兼ねなく接することができるように風呂を覗く」という当初の目的は失念されていた。
 最早彼を動かしているのは胸の高鳴りだけである。

 覗く対象が大人しく淑やかな女性ならばあるいは罪悪感も芽生えるのかもしれないが、あの天使と悪魔相手では何も遠慮する気になれない。
 こう言うと語弊があるが「鼻を明かす」という行為にも近い。
 自分より遥かに上位な二人をたまにはあっと言わせたい、そういう感じだ。

 たまには一矢報いたいのだ。
 ……こんなタチの悪いドッキリのような方法でしか驚かせることができないのは冷静に考えるととても切ないが。

291 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 03:01:11 ID:2.G3MF660

 ガラス戸を開けると流れ出した熱気がジョルジュを包んだ。
 少し狭めにも見える大浴場だが、サウナ、水風呂、噴流式泡風呂、そして露天風呂風の大型風呂と主なものは一通り揃っているようだ。
 案の定誰もいない中、手前にある洗い場で簡単に身体を洗うと一番大きな風呂に入る。 

 白濁色の湯は少し熱めで心地良い。
 肌触りも良く何時間でも入っていられる気になった。

 現代では風紀や法制度の問題で混浴は少なくなってしまった。
 この大浴場でも水着着用を推奨しておりジョルジュもタオルを腰に巻いている。
 あまり情緒は感じられないが、あくまで娯楽施設という扱いなのだろう。
 ただ入浴したいだけの人間は個室に備え付けられたユニットバスを使用すれば良いというスタンスなのか。

 と、そこまで考えたところで――ジョルジュはあることに気付いた。



「…………アレ? じゃあ、二人も水着着たりするんじゃね?」



 なんだか有頂天で温泉に浸かっていたが考えてみればそうだ。
 全裸での入浴はマナー違反。
 つまり彼女達が大浴場に来たとしても、そしてそれを覗いたとしても、裸なんて見れないのだ。

292 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 03:02:15 ID:2.G3MF660

 ……しまった、と歯噛みする。
 まんまと乗せられた、おちょくられたのだ。

 あの悪戯好きな青年のことだから口八丁でジョルジュを騙したのだろう。
 勘違いなどではなく意識して騙られた。
 これで荷物を取りに部屋に帰れば「え?マジで覗けると思ったの?」と笑うどころか驚かれそうだ。
 下手をすれば上司二人にも笑われることになるだろう。

 本当に見られると信じていたジョルジュは少し泣きそうになった。
 半分は純粋に裸を拝めなかったことに対して。
 そしてもう半分は少し考えれば冗談と分かる誘惑に躊躇わず乗った自分の愚かさに。

 ていうか「気兼ねなく接することができるように風呂を覗く」ってなんだ、それがそもそもおかしいだろ。


「…………まあ、でも」


 天井を見上げ呟く。

 不純な動機でここまで来てしまったけれど。
 騙されたことなんて小さなことだと思えるくらいに気持ち良い温泉だった。
 小さなことなんてどうでも良くなるのが風呂というものだ。

293 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 03:03:03 ID:2.G3MF660

 来て良かった。
 そんな風に素直に思う。

 昨日のスパーリングの疲労が残っていたのか、それとも精神世界の行動でも体力は削られるのか、疲れた身体に熱い湯は心地良い。
 肌に触れた熱が筋肉をほぐしながら伝わり五臓六腑に染み渡っていくかのようだ。
 お湯に浸かる文化がある国は少なく、また海賊などはシャワーや水浴びならまだしも風呂に入ることなんてないのだろうが、それでも。
 この気持ち良さは人類全てに共有できるものではないかと思う。

 あるいは人間以外にも理解できるものなのかもしれない。
 ニュースなどで熊や猿などが源泉に入っている光景はよく目にすることだし。

 脱衣所から足音が聞こえてきたのはジョルジュがぼんやりと考え事をしていたその時だった。


「……朝から風呂なんて乙な奴もいるもんだわ」


 仕事疲れのサラリーマンか。
 羽を伸ばしにきた学生か。
 ビュッフェでも宿泊客の姿を見かけたことだしその中の誰かかもしれない。

 今なら誰とでも仲良くなれそうだ。
 例え相手が無愛想で無表情な某風紀委員長だったとしても。

294 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 03:04:14 ID:2.G3MF660

 その瞬間まではジョルジュはそう思っていた。
 次の瞬間に前言を撤回することになった。
 入り口のガラス戸が開いた。

 そこに立っていたのは――タオルを巻いただけのハルトシュラー=ハニャーンだった。


「え――いや、ええぇぇぇええっ!!?」


 生まれたままの姿に申し訳程度にタオルを一枚纏っただけ。
 隠さなければならない部分は隠れているが、単なる全裸よりもその姿は余計に扇情的だった。


「……何を驚いているのだ、貴様は。先輩から聞いたのが私だ。私と一緒に入浴したかったのだろう」

「え、いやっ、俺は裸が……!」


 震える唇で言葉を紡ぐ中でジョルジュは全てを理解した。

 騙されたのは確かに騙された。
 だがより最悪に騙られた。
 あの青年は最初からこうするつもりだったらしい。

 なるほど、単に相手の裸を見るだけではなく同じお湯に浸かり裸の付き合いをすれば、多少は仲も深まるだろう。

295 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 03:05:14 ID:2.G3MF660
【―― 6 ――】


 しっとりと濡れた銀髪は普段よりも鈍く光っている。
 タオルを巻いただけの姿はいつもの学生服では分からない女性らしい体型を際出せるのに一役買っていた。
 胸部の膨らみは極めて大きいわけではないもののはっきりと凹凸が分かり程良いカーブを描いている。
 彼女の腰が如何に細いか、四肢がどれほど引き締まっているか、均整のとれた身体であるかはこの姿を見なければ真の意味では分からないだろう。

 悪魔の如き美少女、ハルトシュラー=ハニャーン。
 何度となく目にしその度に綺麗だと思っていたジョルジュであっても今の彼女の姿は目を離せないほどに魅力的だった。

 そのハルトシュラーは湯船に身体を沈めながら、小さな声で一言。


「……あまり見て欲しくないのが私だ。分かっているだろう?」

「あ、ああ……。悪かったわ……」


 そっぽを向くように視線を外す。
 広い湯船、ジョルジュの真正面に殲滅な悪魔がいる。

 改めて考えてみると訳の分からない状況だ。

296 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 03:06:25 ID:2.G3MF660

 両者がほぼ裸というのが何よりも異常だ。
 風呂だから当たり前ではあるのだが、それでも何かバツの悪い感じがする。
 顔を見ていると気不味くなるばかりなので視線を下げてみれば胸元を注視する結果になってしまった。

 どちらにせよハルトシュラーは気にしないのだろうが。
 気にしているのはジョルジュの方だけである。

 いつもとは違う姿に、なんとも言えない気分になってしまっている。


「……身体、洗わなくて良かったのか? マナー的には洗うべきだわ」

「同意するのが私だ。だが私は朝方シャワーを浴びたところであり、加えて洗い場の設けられていない温泉も多いことから判断し、そのまま入浴した」

「そ、そうか」


 身体を洗うとなれば必然的にタオルを外さざるを得ないのでその選択にジョルジュも助けられた。
 それは幾らなんでも気不味過ぎる。


「どうした、名も知らぬ素行不良生徒」

「いや別に……」

297 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 03:07:21 ID:2.G3MF660

 ハルトシュラーは言った。


「貴様の反応を見る限りでは私の予測通りらしい。貴様が『一緒に風呂に入りたい』などと言うとは考えにくい。あの男に騙されたのだろう」

「ま、まあ……」


 言葉を濁すジョルジュ。
 騙されたのは騙されたに違いないが、騙され方が非常に悪かった。
 覗きと一緒に入浴ならば後者の方が遥かにマシだ。


「奴の代わりに謝罪したいのが私だ。私としたことが浅慮だった。申し訳ない」


 軽く頭を下げたハルトシュラーを制し、言う。


「いや俺の方こそ悪いわ。嫁入り前の身で、こんな……」

「気にするな。私も気にしない」

「いやアンタは気にした方が良いと思うわ!?」

298 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 03:08:07 ID:2.G3MF660

 思わず叫ぶ。
 そこは気にしろよと。

 僅かに頬を紅潮させながらも無表情のまま、ハルトシュラーは続ける。


「正直言うとタオルが邪魔で仕方ない。できれば外したいのだが……」

「駄目!!」

「そこまで強く否定せずとも、貴様の前で裸体を晒すことはないのが私だ。安心して良い」

「ああ、そう……」


 タオルが邪魔、というのはただ感想を言っただけだったらしい。
 脱ぐつもりはないようで一安心だった。

 異性と一緒に入浴するというのは通常かなり親しい間柄でなければありえないはずだが、ハルトシュラーがジョルジュを信頼していることはない。
 なのに、混浴程度は気にしない。
 普通の人間とは価値観が違い過ぎて、分からない。

299 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 03:09:07 ID:2.G3MF660

 コイツの貞操観念はどうなっているのかとジョルジュが本気で疑問に思った瞬間、再びガラス戸が開いた。
 ハルトシュラーが出てきた方と同じ――つまり女子更衣室に通じるドアが。

 当然、そこに立っていたのは高天ヶ原檸檬だった。


「――どう? ジョルジョル。女体には負けてない?」


 普段から露出が多めの格好をしていることもあってか、天使の姿にはそこまでの驚きはなかった。
 しかしやはり身体を隠すのがタオルだけだと豊かな双丘が嫌というほどに強調される。
 気の所為かもしれないが普段の制服姿よりも三割増しくらいに大きく見え、ただでさえ緊張していたジョルジュの身体が更に強張る。

 全身の血が勢い良く巡り、心臓は激しく鼓動し、頭は靄がかかったかのように曖昧だった。
 人間は心の底から魅了されると四肢を絡め捕られたように動くことすらままならなくなるのだということを初めて知った。

 凄惨に美しい天使は悠然と言う。


「んー……。でも、やっぱりお風呂に入るのにはタオルは邪魔だから、取っちゃおうかな」

「駄目!!」

「そんなに強く否定しなくても良いじゃん」

300 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/03(土) 03:10:07 ID:2.G3MF660

「示し合わせたように同じような反応するんだな、アンタ等は!!」


 そしてどちらも挑発や誘惑をしているわけではない。
 単に邪魔だと思っただけで「どうせ脱ぎはしないだろう」と高を括った反応をすれば痛い目に遭うのはこちらなのだ。
 つくづく常識が通用しない相手だ。

 それとも、最近の女子はこういうのが普通なのだろうか?
 男に素肌を見せる程度は気にしないものなのか?


「じゃ、お邪魔しま〜す」


 そんな風に断って檸檬は湯船に入ってくる。
 ジョルジュの正面に位置取ったハルトシュラーとは違い、好意を示すかのように彼女は隣に陣取った。
 視界に胸元が入るような、熱い風呂でも体温を感じ取れるようなその距離に。


「(……やべぇ)」


 俺、今日死ぬんじゃないか?と割と本気で考えた。
 昔友人に「両手に花じゃん」と言われた時には笑い飛ばしたジョルジュだったが、今の自分は両手に花でしかない。
 どこのハーレム物の主人公なのだろう。
 いつから自分の人生はダークネスになったのか。

 この死んでも良いと思えるような状況はまだしばらく続きそうだった。


318 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 18:53:48 ID:DCznlCHM0
【―― 7 ――】


「ちなみに狂華クン、目の前で女の子のスカートが風吹かれて捲れたらどうする?」

「その女子が風邪を引かないか心配しつつ普通に見ます」


 だよねえ、とミセリは分かる。
 一応訊いてみただけで答えは予測できていた。

 自室のベッドのシーツを変え洗濯機に放り込み、洗剤を入れてボタンを押せば朝の仕事は終わったも同然だ。
 水無月家は保護者が家にいることが多くないので基本的に炊事洗濯は彼女一人でやらなければならないのだが今日は朝食を作る必要がなかった。
 中性的な顔立ちのイメージ通りに料理ができる後輩が作ってくれるからだった。
 彼女はダイニングで待っているだけで良い。

 女子は「料理ができるべき」とは言わないが、幾ら時代が進んだとしても「料理ができた方が良い」とは思っている。
 そっちの方がモテるからだ。

 なので、特に好きというわけではないものの水無月ミセリも料理はできる方だった。
 少なくとも女子高校生の平均レベルに比べると遥かに上、一般的な専業主婦が食卓に並べる程度のものは大抵作ることができた。
 それでもやはり彼女は作るよりも食べることの方が好きなのだが。
 だから今もこうして座っているのだ。


「すみません断っておきますが、俺はスカート捲りをするような子供じゃありませんでしたよ。見るのは自然に捲れた場合と見せてくれた場合だけです」

319 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 18:55:21 ID:DCznlCHM0

 包丁を使い器用にジャガイモの皮を向きながら補足するように後輩、山科狂華は言う。
 刃物の扱いは得意だと以前自称していたことを思い出す。

 スカートを捲られる女子だった、つまり小学生時代もそれなりに男子から人気があったミセリはその頃を懐かしみクスクスと笑った。


「……男の子って、本当に可愛いよね。スカート捲りって好きな子に構って欲しくてやるんでしょ?」

「すみません、だから俺はやらない派――より正確には『女子に意地悪しないことで女子人気を集めた系男子』だったので分かりません」


 どうやら彼の対人的な面は幼い頃からあまり変わっていないらしい。
 その頃から意識してやっていたならば相当に強かだ。


「ただ言えるのは少し悲しいってことです」

「どうして?」

「制服の下が素直にパンツだけの女子は少数派になりましたから。スパッツかハーフパンツを履いている人が多いので」

「あぁ〜……。確かにそうかも」


 斯く言うミセリもこれはダサいと思いつつもハーフパンツを着用することが、特に冬場などは多い。

320 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 18:57:14 ID:DCznlCHM0

 スパッツでも良いのだが、アレはもう少し活発なイメージの女子に――例えば『一人生徒会(ワンマン・バンド)』辺りに似合う衣服だろう。
 ミセリはそういう健康的な魅力よりも見えそうで見えないような、そんなもどかしい色気の方を重視したい。
 自分にはそちらの方が似合っていると思うし、好きだった。

 それにいざという時にはパンツだけの方が良いのだ。
 具体的にどういう場合なのかは言わないが。


「言い訳するようだけど、太腿は冷やすと脂肪が溜まりやすい部位だから暖かくしておきたいんだよ」


 細さをアピールしたいのに見せて太くなってしまっては本末転倒である。


「とは言っても先輩は全然太くないでしょう」

「嬉しいこと言ってくれるじゃないの……でもうん、許容範囲ではあるかな。全体的に今より太っちゃうと外に出たくなくなるかもねぇ」

「あまり痩せないで下さいね、胸」

「…………本当に正直だよね狂華クンって」


 今日も山科狂華は平常運転のようだ。

321 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 18:58:04 ID:DCznlCHM0

 ラブコメには向いてない子だなあと心底思う。
 彼が主人公だったとすると一巻や二巻の時点でヒロインと一線を越えてしまいそうだ。
 その後でゆっくりと、今度は心を理解し合っていくのだろう。

 ……ヤングレディース向けの雑誌ならアリ、かな。
 そんな風にミセリは考えた。

 少女マンガやライトノベルは付き合うまでが長く結ばれてからの受難を描くことが少ないがミセリからすれば恋愛は恋人同士になってからが本番だ。
 辛いことも、勿論楽しいことも。
 付き合うまでの方が楽しいのならば死んだ相手に片想いをすれば良い。
 それが水無月ミセリの持論でもあった。


「そう言えばラノベのラブコメって、男子向けのはずなのに作中の男子の地位が著しく低いよね。レディコミの方がよっぽどマシな扱いされてる感じ」


 何故ヒロインは付き合ってもいない幼馴染(男子)がクラスの可愛い女の子と少し仲良くしただけで暴力を振るうのか。
 アレ、訴えれば勝てるんじゃない? ていうか凄い男女差別だよね?逆なら確実に裁判沙汰だよね?と夢のないことを常々思ったりもする。

 剥き終わったジャガイモを鍋に沈めつつ、狂華はそんな疑問に答えた。


「こんな批評家みたいなことは言いたくないですが、メインの読者であるオタク層は奥手な人間が多いので、積極的な女キャラの方が歓迎されるらしいです」

322 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 18:59:02 ID:DCznlCHM0

 積極的で、尚且つ主人公に揺るぎない好意を抱いているような。
 そんな都合の良い存在が。


「なので現実でやれば即グループの他の女子から校舎裏に呼び出されるような過激な展開が多いんじゃないですかね」

「……ちょっとアピールした程度でリンチするような物騒な女子グループは多分あんまりない…………」


 ヤンキーの集まりか。
 精々ハブられるか、ネットで晒し者にされる程度である。

 そういう惨い女子が出てこないのもラノベの良さであり悪さだよねえとミセリは唇を突き出し、笑う。
 きっと世の夢見るオタク男子諸君は知らない。
 カワイイ系キレー系女子がライバルを蹴落とす為に他人の悪い噂を流すこともあるということを。

 まあ、と狂華は続けた。


「すみません逆にも言えることで、少女マンガでは男子が積極的であることが多いですよね。男子も女子も考えることは大して変わらない」

「純粋に『どっちも積極的だと話が続かない』っていうのもあるんだろうけど」

「ああいった作品はすれ違いを楽しむものなので上手くいかない方が正しいんでしょう」

323 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:00:03 ID:DCznlCHM0

 そう。
 それが嫌ならば別ジャンルの作品を読むべきであって、非難すべきではないのである。
 フィクションをフィクションとして楽しめるならそれで良い。

 なんにせよ虚構と現実の区別が付かなくなるのは問題だ。
 犯罪などの重い理由には関係がなく――そう、例えばこういう場合に。


「……例えば狂華クン、ラノベみたいに布団に美少女が潜り込んできたりお風呂に美少女が入ってきたりしたら、どうする?」

「好みと合致しているならば言質取った上で美味しく頂きます」


 だよね、とミセリは笑った。
 これも予想していた回答だった。

 小悪魔系を気取って後輩を挑発してみたら見事玉砕返り討ち、なんてことが往々にして有り得るのが現実。
 ご都合主義は存在しない。
 フィクションは所詮、フィクションなのだ。

 そして顔立ちだけはライトノベルの主人公らしい山科狂華は口端を歪め、フッと笑って言った。


「同衾や混浴で手を出さないって……すみません、最早それは草食系を通り越して度を超えた臆病者か、そうでないなら何か貞操に関する誓いを立てているとしか思えないですね」

324 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:01:03 ID:DCznlCHM0
【―― 9 ――】


 テンパった時はまず素数を数えるんだ。
 いつだったか、ジョルジュの兄はそんなことを言った。

 その兄は戸籍上は親戚なので直接血が繋がっているわけではないが、それでも幼い頃から近所に住んでいたこともあってかジョルジュにとっては実の兄に等しい存在だった。
 それも弟に意地悪をするような大人げない兄ではなく自分が妹ならば確実に惚れていたと思えるような素敵なお兄ちゃんだった。
 他ならぬそんな兄のアドバイスであるから、これ以上ないほどに焦っていたジョルジュは素数を数えようとした。

 だがそれは叶わなかった。


「(……素数ってもまず“1”が入るのかどうかが分からねぇわ)」


 ぼんやりと「約数を持たない」「素因数分解をすると出てくるやつ」というような記憶はあったが具体的な定義を思い出すことができなかった。
 いや、これはジョルジュの知識や知能レベルに関係なく思い出せなかっただろう。

 こんな状況では。


「……どうしたの?」

「どうしたのって腹筋を触るなぁぁああ!!」

325 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:02:03 ID:DCznlCHM0

 正面には肌蹴たタオルを直そうともしない銀髪の少女がいて。
 すぐ隣には無邪気にお湯をかけたり、身体を触ったりしてくる上司がいるような。
 彼女達と一緒に温泉に浸かっているようなこの状況では。

 頭がくらくらする。
 上手く思考ができない。


「……あと委員長サン、身体に巻いてるタオルがズレてもう少しで色々見えそうだわ」

「気にするな」

「だからアンタは気にしろと!!?」


 どうせ貴様は見ないだろうに、などと呟きながらハルトシュラーは身なりを整える。
 朱色の染まった頬は悪魔らしくなく少女らしい。
 色白で低血圧ということもあって彼女のこういう姿は珍しい。
 常日頃冷たい印象を抱かせるハルトシュラーが頬を紅潮させている様は酷く魅力的だった。

 銀の双眸がもう少し柔らかければ、また鉄仮面のような表情が微笑でも湛えていれば、あるいは普通の少女のようにも見えたのかもしれない。
 彼女も家族の前ではそんな様を見せるのだろうかと少し気になった。


「…………そう言えば、」

326 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:03:04 ID:DCznlCHM0

 目のやり場に困り、手で軽く視界を遮るようにしながらジョルジュは言う。
 その仕草はともすれば頭痛に悩む人のようでもあったが、今の彼が頭を悩ませていることは確かだ。


「会長サン達は化粧とかしないのな」

「……んー?」


 素朴な疑問に檸檬は笑う。


「する必要がないし、しても落ちちゃうから。それにああいうのは髪型みたいに似合う似合わないがあるし」

「そうなのか?」

「ミセリちゃん曰く『珍しいけど、化粧してない方が可愛く見える顔立ち』だって」


 女性のエチケットと言われることもある化粧をしない方が良いとは。
 素材が良過ぎるのか、いや、単純に女性(人間)の常識は天使には通用しないのだろうか。

 何を思ったのか檸檬はすぐに「ケドたまにはするよ?」と補足を加えた。
 がさつな女だと思われるのが嫌だったのかもしれないが、そうだとすれば色々と遅過ぎる対応だ。
 ジョルジュの中では疾うの昔に男勝りと呼ぶのも烏滸がましいほど凄惨な天使のイメージが出来上がってしまっている。

327 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:04:04 ID:DCznlCHM0

 きっとこの人に一番似合うのは血化粧だと――そう思うくらいには。


「委員長サンは?」

「多少はしているのが私だ。乳液や美容液などを使っている」

「へぇ。やっぱりそんなもんか。よく分からねぇけど大変なんだな」


 ……堂々と答えているが乳液も美容液も『化粧(メイクアップ)』というよりは『手入れ(スキンケア)』に使われるものだ。
 ジョルジュは気付かなかったもののそれはナチュラルメイクにも含まれない最低ラインである。

 同じ低血圧でも身嗜みを整えていればそうだと分からない洛西口零を鑑みれば、ハルトシュラーがあまり化粧をしないことは理解しやすいだろう。
 少なくとも頬紅を使っていないことは確かだ。
 尤も、彼女のイメージ的にはある種「媚びている」印象を与える可愛らしいメイクはそぐわないものであるのだが。


「あまり化粧をしない補填も兼ねて健康状態は維持しようと思っている」


 言って、ハルトシュラーは腰を浮かせると浴槽の段差に腰掛ける。
 ちょうど半身浴をするように。

328 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:05:08 ID:DCznlCHM0

 そうして、癖なのだろうか、いつものように脚を組んだ。


「―――ってだからそういうことを気にしろと! 頑張って精神を落ち着けようと話を逸らしてたのに!見えたらどうすんだ!?」

「見えたのか?」

「見えなかったけどな!!」

「なら、良い。下半身にはあまり目を向けないでくれると嬉しいが」


 大事な部分こそ見えなかったものの現在も彼女の脚部はかなり大胆に露出してしまっている。
 膝上何センチかというまだしもミニスカートの方が隠せているような有様で、先程までは隠れていた太腿が晒されているのが目に毒だった。

 咄嗟にジョルジュは視線を真横に逸らしたが、右側に目をやったのは失敗だった。


「なっ……!」

「んー?」

「なに、を……っ?」

329 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:06:07 ID:DCznlCHM0

 途切れ途切れの問いに天使は振り向き、相も変わらず笑ったままで答えた。


「中庭が綺麗だなーって見てたの。駄目だった?」


 大浴場の後方の壁がガラス張りになっており、その先には温泉の雰囲気を出す為か、砂利の敷かれた小さな中庭があった。
 それをふと見てみようとしたのは理解できなくもなかったが――檸檬が取った姿勢はあろうことか四つん這い。
 段差に手を付き、腰を上げ、肌蹴たタオルを片手で抑え、悠々と進む猫のように小首を傾げて。

 身体を隠す役割を持っていたはずの布は濡れ張り付き、その引き締まり、しかし必要な部分は十二分に柔らかな身体付きをしっかりと浮かび上がらせていた。
 全校生徒千人を超える淳高で一二を争う美少女がすぐ隣でそんな姿を見せているとして、正気を保っていられる生徒がどれくらいいるだろうか?

 もう限界だとジョルジュは立ち上がったが――その瞬間。
 


「ぐ――ぅ……。参、った……」



 参道静路は立ち上がった瞬間に、酷い立ち眩みに見舞われ。
 そんな一言を言い残し、意識を手放した。

330 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:07:02 ID:DCznlCHM0

 ……崩れ落ちた後輩を生徒会長は素早く抱き留め「からかい過ぎたかな?」と再度笑った。
 そんな光景を前にハルトシュラーは告げる。


「長時間の入浴による血管の拡張及び軽度の脱水、また極度の緊張あるいは興奮と関係した起立性低血圧に端を発する血管迷走神経反射性失神……。明らかにやりす過ぎだ」

「そんなこと言ってシュラちゃんも誘惑してたくせに」


 拗ねたような言葉に悪魔はこう返す。


「誘惑などしていないのが私だ。脚の露出程度なら常日頃からあるというのに。……少なくとも鞍馬兼は脚を触っていても顔色すら変えなかった」


 平均的な男子の気持ちは、やはりよく分からない。
 呟いて、一人では脱衣場まで運びにくいだろうと檸檬に近付き、抱き抱えられたジョルジュの表情を伺った。
 結局予想通りにさして何も見ないままに自滅してしまった彼は天使の胸部に顔を埋めている。

 幸せそう――ではなかった。
 むしろ何か、魘されているようだった。


「本当に可愛いよね、年下の男の子って♪」

「……本当に災難だな、こんな先輩を持った男子は」

331 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:08:05 ID:DCznlCHM0
【―― 10 ――】


「ラブコメでさ、女の子の裸見て鼻血流して倒れちゃう男の子っているよね」

「所謂チキンですね」

「可愛いよね」

「すみませんそんな奴が現実にいたとしたら俺はむしろ将来が心配になりますよ。恋愛はまだしも、結婚して子作りをする時にどうするんですか」


 茹で上がったジャガイモを潰し、ハムやマヨネーズとあえる。
 作っていたのは単なるマッシュポテトではなくポテトサラダだったらしい。

 同時進行でフライパンを温めつつ卵を溶き、牛乳とチーズを加えて手早く混ぜる。
 スクランブルエッグだ。
 いつも通りサンドイッチの具みたいな料理ばっかりだと思いつつミセリは言う。


「……でも、可愛いでしょ?」


 女から見ると可愛い――の、かもしれないが、そんな奴は流石にいないだろうというのが狂華の正直な感想だ。
 男子校の生徒でもそこまで免疫のない男子はいないだろう。

 だから、そんな奴がいるなら会ってみたいですよ、なんて返答し狂華は笑った。

332 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:09:06 ID:DCznlCHM0
【―― 11 ――】


 休日の電車は人も疎らで四人がけのボックス席に二人で座れるほど空いている。
 車窓を流れる景色は地元民だが電車通学ではないジョルジュにとっては馴染みのないものだ。


 ……あの後も、ホテルを出るまでに様々なことがあった。
 どれが一番記憶に残ったかと問われれば、ジョルジュは迷わず風呂上りに介抱されたことだと答えるだろう。

 「ジョルジョルって、意外と……」。
 意識を取り戻した時には既に服まで着た状態で、それはつまり生まれたままの姿を見られたということで、その上にこの一言。
 お願いだから「意外と」何がどうなのかを最後まで言って欲しい。
 いや、言わぬが花ならぬ聞かぬが花で聞かない方が幸せなのかもしれないが。

 最終的には服を着せたのはホテルの従業員(言うまでもなく男性)だったと判明したのものの、それまでの葛藤と言えばまた気を失ってしまいそうなほどだった。
 ひょっとして自分は心臓が弱いのだろうかと少し悩んだ。
 この分だと何を言われたとしてもショックを受けそうだから「意外と」の続きは聞かない方が良い、なんて。

 しかしながら――楽しくなかったと言えば嘘になる一時だった。


「……で、なんで俺は委員長サンと電車に乗ってるんだ?」

「言っただろう。演奏会に行く為だ」

333 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:10:02 ID:DCznlCHM0

 答えてくれたのはありがたいが、そこを訊いてるわけじゃねぇよ、というのがジョルジュの感想だった。

 ちなみに服を着せたのが檸檬ではなかったにせよ風呂場から気絶した彼を運んだのは入浴していた二人なのでどっちにしろ裸は見られていた。
 そのことに幸か不幸かジョルジュは気付かず、また、それに関してハルトシュラーも何も言うことはなかった。
 ハルトシュラー=ハニャーンは訊ねられれば答えただろうが、差し出がましく自分からわざわざ伝えることはしないのだ。

 そんな事実が今の二人の距離を如実に表している。
 少なくとも連れ立って音楽鑑賞を楽しむような仲ではない。

 身を乗り出すようにしジョルジュは言った。


「ひょっとしてアンタ、俺のこと案外好きなのか?」

「そう思いたければそう思っていれば良い。それが正しいのだろう。貴様の中では」

「単純に否定されるよりも数倍きっつい言葉!?」


 悪感情すら伺えないいつも通りの無表情で告げられると中々辛いものがあった。
 たまには微笑みかけて欲しいとは言わないが、せめて人間らしい反応を返して欲しい。

 とにかく虫を見るよりも冷たい視線だけは止めてもらいたい。

334 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:11:05 ID:DCznlCHM0

「せめてツンデレ風に言って欲しいわ」

「……勘違いするな。貴様のことなど全く好きではないのが私だ」

「どっちにしろ、きっつー……」


 サドっ気があるんじゃなく単に興味がないだけだとよく分かるわ、と座り直しつつ苦笑するジョルジュ。
 すると、ハルトシュラーはその言葉を否定した。


「いや興味がないとは言わない。好意を抱いているとは言い難いが貴様に対し興味はある」

「へぇ。意外だわ」

「本当に興味すらなければ事務的な呼びかけ以外は無視するだろう」

「…………全部無視しない辺りリアルだな」


 彼女に好意を抱く多くの人間が近付かず、遠巻きに騒ぐだけの理由が理解できた。
 きっとファンである少女達は気付きたくないのだろう。
 ハルトシュラー=ハニャーンは自分には好意どころか最低限の興味すら持っていない――ということに。

335 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:12:11 ID:DCznlCHM0

 挨拶をすれば、応えてくれるし。
 困った時には助けてくれるのかもしれないが。

 それは所詮、それだけのことなのだと。


「じゃあつまり、興味がある俺と親睦を深めたくて一緒に出掛けてるわけか?」


 ジョルジュの問いにハルトシュラーはどう答えるか少し悩んだ。
 そうして脚を組むと、指先でコツコツと窓を叩く。


「一応はそういう理解で構わないが、厳密には罰ゲームをしているというのが正しいだろう」

「……俺と出掛けるのは罰ゲームなのか」

「『罰ゲーム』というのは言葉の綾――レモナが言ったことだ。入浴についても、この外出についても、レモナの命令だ。……少し遅れを取った」


 そう聞くと納得ではあった。
 幾ら興味がないとは言え、誰かと共に湯船に浸かるなんてハルトシュラーが望むはずもない。
 それくらいはジョルジュにも分かっていた。

336 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:13:05 ID:DCznlCHM0

 眼前の彼が眉に皺を寄せたことに気付くと続けてハルトシュラーは訊いた。


「……先輩から何か聞いたか?」

「え?」

「そうか。何を聞いた?」

「いやまだ俺何も言ってないんですけど……」


 ジョルジュは面食らう。
 確かに聞いていた。


「貴様は知らないのだったか? 基本的に私に嘘は通用しない」

「何その特殊能力!? ていうか俺まだ嘘どころか返事すらしてねぇわ!」


 厳密には通用しにくいだけなのだが、そのことは伝えなかった。
 分かりやすく嘘を吐く人間と分かりにくく嘘を吐く人間がいるが参道静路は完全に前者だ。
 嘘を吐かれたところでまず分かるのだから「通用しない」と言い切っても良いだろう。

337 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:14:07 ID:DCznlCHM0

 兎にも角にも、ハルトシュラーがお見通しであることを理解したジョルジュは、渋々といった体で話し出す。


「……小学校の頃の話とかだよ。いじめられてたとか、なんとか」

「そうか。先輩も意外と臆病だな、そんなどうでも良いことを話すとは」


 物語的な重要度で言えば、小学校に入学する少し前の、兄と出逢ってからの一連の出来事の方が遥かに高いだろう。
 なのにあの事件のことを話さなかったのは彼なりの気遣いか。
 無用な配慮をと小さく鼻で笑ったハルトシュラーに対し、ジョルジュはやや不機嫌そうに言った。


「どうでも良くはねぇわ」

「終わったことだ。ケリは付いたのだから」

「ケリって……」


 際立った容姿と才能を原因に、一部の同級生達から嫌がらせを受けていた彼女の小学校時代。
 その日々を終わらせたのは他ならぬ彼女だった。
 ストーカーやセクハラ被害を受けた人間が取るべき手段――相手の行動がエスカレートし明白な証拠を残すようになった後で、それを衆目に晒し訴える。
 社会的抹殺行為。

338 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:15:13 ID:DCznlCHM0

 結果、彼女をいじめていた生徒達はマスコミ他第三者による袋叩きに遭い転校を余儀なくされた。
 ハルトシュラーに関わろうとする人間は以降、更に少なくなっていったが、そんなこと彼女自身はどうでも良かった。
 自分を助ける友人も、自分を裏切る友達も、そもそも彼女にはいなかったのだから。

 当時の彼女の周囲に存在していたのは――年齢が同じだけの、ただの他人でしかなかった。


「でも……」


 言い淀む。
 また溝を広げることになると思い口にすることができなかった。

 それが最適解だったとしても、「そんな状況で適切な行動を取ることができる方がおかしい」なんて。
 そういう時には泣いて苦しむのが正常なんだ、なんて。
 ……とても言えなかった。

 それでは、まるで当時のいじめを肯定しているような気がしてしまって。
 まるで紛れ込んだ異物を排除しようとした同級生達の言い分を認めるような気がして。

 だから。


「…………強いんだな、委員長サンは」

339 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:16:04 ID:DCznlCHM0

 何もかもの異常に触れず、ただジョルジュはそう呟いた。
 相も変わらず無表情で彼の心中を見通したハルトシュラーは再度鼻で笑い、続ける。


「強いことが必ずしも良いことだとは思わない。私はどんないじめに遭ったとしても自殺はしないだろうが、そういう人間は他人を傷付けることに躊躇いがない」

「……?」

「分からないのならばそれで良い。私としたことが軽薄だった。この話はこれで終わりだ」


 少し考え、ジョルジュは気になっていたことを訊いた。


「最後に一つだけ訊かせて欲しいわ。……アンタの大好きなお兄ちゃんは、その時に助けてくれなかったのか?」

「愚問だと言わざるをえないのが私だ。あの人があの程度のことで私を助けるのはありえない。嫌がらせは受けたが、どれも生命の危機に直結するものではなかったのだから」

「……家族なのに? 助けなかったのか?」

「ここでは家族云々は関係がない――相手をどう捉えるかの問題だ」

340 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:17:34 ID:DCznlCHM0

 今の車内は空いているが、これがもし座席がちょうど全て埋まる程度に混んでいたとしよう。
 次の駅で年配の男性が乗り込んできた場合、ジョルジュは席を譲るべきだろうか?

 恐らくは社会常識的には譲るべきなのだろう。
 だが一方で、頼まれてもいないのに相手を気遣うことは相手を勝手な判断で年寄り扱いし人格を損なう行為だ、とも解釈できる。
 怪我を負った人間や身重の女性などはまだしも、高齢であるだけで席を譲るのは本当に良いことなのだろうか?
 失礼な行為に当たらないだろうか?

 こういった問題に、ハルトシュラーや彼女の兄は「不躾だ」と答えるのである。


「その頃にはもう、兄は私のことを一人の人間として認めていた。そして私は一度も『助けてくれ』などと口にしなかった。それが答えだ」


 人格を認め、判断を重んじた。
 だからこそ助けなかった。

 『僕が何よりも嫌いなのは善意と同情の押し付けだ。相手の生き方を馬鹿にしてる』――それはいつだったか天使が言った言葉。


「……それがアンタ等の常識、か?」

「そうだ。当たり前の価値観だ。貴様も『お前は弱いのだから下がっていろ』と言われれば腹が立つだろう。そういうことだ」

341 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:18:15 ID:DCznlCHM0

 最早何も言い返せなかった。
 昨日、檸檬に似たようなことを告げられた際にはジョルジュも悔しく腹が立ったのだから。

 だから最後にこれだけはと訊いた。


「……じゃあ、アンタの兄貴は委員長サンが助けを求めればちゃんと助けてくれるのか?」

「無論と言い切るのが私だ。貴様は家族をなんだと思っているのだ……尤も、私と貴様の『家族』や『好意』の定義はかなり違うらしいが」

「そっか。そうだよな」


 そうして一拍置き、続けて問いかけた。



「じゃあ――俺の助けが必要になった時にも、ちゃんと『助けて』と言ってくれるのか?」



 妙に切実なジョルジュの言葉にハルトシュラーは僅かに笑みを浮かべた。
 次いでその真剣な眼差しから逃れるように流れる景色に視線を向け、そのままでこう返した。
 そんな時が来ることがあったらな、と。

342 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:19:11 ID:DCznlCHM0
【―― 12 ――】


 サンドイッチの具のような品が多かったブランチを終え、狂華はミセリの部屋にいた。
 勝手知ったる、とは言わずともそれなりに気心の知れた相手の家なので、ベッドにもたれ掛かりコーヒーを飲むとリラックスする。

 軽食の内容は自分好みのものだったが喜んでくれて良かった。
 残ったものは食パンに挟んでおいた。
 狂華は昔からサンドイッチが好きだった。
 何故だろう?


「どうして?」

「すみません分かりませんが、得した気分になるからでしょうね」


 勉強机の前に座ったミセリに問われそう答えた。
 何処か生き急いでいるところがある自分だからこそああいうものを好むのだ。


「けど明日死ぬと決まったわけじゃないでしょ?」

「……でも今日死なないと決まったわけでもない」

343 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:20:05 ID:DCznlCHM0

 まるで違う言い分にミセリは笑い、続いて狂華も目を合わせぬままで微笑んだ。
 こういうことがあるから人付き合いは止められない。

 上手く理解し合えない。
 もどかしい。
 そしてだからこそ言葉を交わす度に何かに気付く。

 天使と悪魔はどうか知らないものの、少なくとも狂華はそういう関係性が好きだった。


「……すみません、俺がどうして一般人が嫌いなのか言いましたっけ?」

「前に聞いた時は『面白くないから』って言ってたと思うけど」

「そうですね。概ねその理解で良いです」


 一息置いて狂華は言う。


「何処かの社会学者の説では遍く人間は内在化した社会――集合意識に拘束されて生きているらしいです。常識ってやつですね」

「狂華クンに通じないような?」

344 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:21:06 ID:DCznlCHM0

「そうですね。ですが、すみません、俺の中にも俺の常識や倫理がある」


 当然のことながら、目の前にいる水無月ミセリには水無月ミセリの常識や倫理がある。
 それ等が少しずつ違うからこそ人と交流する度に何かに気付いていく。

 相手の何かに――自分の何かに。


「そして問題は俺が『一般人』『普通の人間』『ノーマル』と呼んでいる人種ではほとんどの常識や倫理が共通してしまっていることなんですよね」

「そもそも常識や倫理ってそういうものじゃないの?」

「すみません確かにそうです。ですが、俺からすれば彼等の価値観は共通し過ぎている」


 その価値観そのものを否定しているわけではない。
 重要なのは、自分とは違う人間と言葉を交わすことを重んじる山科狂華にとっては同じ種類の人間は一人いれば良い、ということなのだ。

 似たり寄ったりの意識を持つ人間ばかりと話していても得るものがない。
 楽しくないのだ。
 むしろ――不愉快なくらいだ。

 RPGに出てくる村人Aと延々と話している気分になってくる。

345 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:22:16 ID:DCznlCHM0

 無論これは狂華の手前勝手な理屈だ。
 彼の価値観は彼と、その周囲にしか意味を持たない。
 狂華の言う『一般人』も山科狂華にどう思われようがどうでも良いことだろう。

 だが。
 彼が嫌っていることは紛れもない事実だ。


「じゃあさ、私と一緒にいてくれるのは私の意識の中に変わったところがあったからってこと?」

「一つ目はそうですね」

「……予想できてるけど二つ目は?」

「見た目が好みだからです」

「やっぱり」


 溜息を吐きつつ、私も人のこと言えないかなぁと呟く。
 ミセリが狂華を気に入っているのは第一に性格が面白いからで、第二に顔が良いからだ。
 声を掛けたのは自分からなので文句は言えまい。
 そもそも最初はほとんど狂華の見た目に引かれたようなものなのだから。

346 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:23:06 ID:DCznlCHM0

 けれどいつの間にか中身の方を気に入ってしまっていた。
 きっと自分も彼と同じで相互理解ができないことが楽しいのだろう、なんてミセリは笑う。

 『似ている』ということは『違う』と同義だと言ったのは誰だっただろうか。


「……そう言えば午前中にラブコメの話をしましたが、『空虚な中心』という言葉は知ってますか?」

「聞いたことないかな。また社会学の用語?」


 元は日本人に関わる高尚な言葉だったんですが、と前置き続ける。


「ここで俺が言う『空虚な中心』とは没個性的で受動的な主人公を指す言葉です。読者が感情移入しやすいように物語の中核たる主人公の属性を薄くするような」


 特にハーレムものに対し使われる用語だ。
 戦記ものなどならば主役はキャラが立っていても構わない(むしろ個性的でなければ他のキャラに喰われてしまう)。
 が、多人数系のラブコメディは主役と同じ性別のキャラクターが少ない為に個性がなくとも問題がない。

 いや、むしろ没個性的であるほどに良いと考えても良いだろう。
 読者が同一化しやすくなるのだから。

347 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:24:05 ID:DCznlCHM0

 先ほどミセリは狂華に対し「ラブコメには向いていない」という感想を抱いたが、確かにそうなのだ。
 特殊な血筋で、家族が皆殺しにされていて、整った容姿を持ち、捻くれ尽くした性格であり、趣味は茶道俳諧武道テニス水泳野球……。
 こんな人間に感情移入できる読者はそうはいない。
 感情移入はできたとしても、同一化などできるわけがない。

 読者の多くは彼の嫌う一般人。
 山科狂華という人間と合うわけがない。


「……でも、俺は思うんですよね。『そんな奴がモテるものか』って」


 大人気ない気もするが。
 傍から見ればみっともないのだろうが。

 それでも、思ってしまう――そんな面白みのない奴が好意を集めるなんてことがあってたまるか、と。



「さして才能があるわけでもない、大して努力をしたわけでもない。何処にでもいるような平々凡々の小市民が何かを変えるなんてことは、できない」



 そんな奴は何も成せないままに社会に流されて終わりだ。
 事実、そうじゃないかと。

348 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:25:03 ID:DCznlCHM0

 だからと言うか、狂華は大抵のスポーツ漫画は好きだった。
 ああいった作品には一生懸命な人間が多く出てくる。
 目標の為に努力する人間は、才能があろうとなかろうと、成功しようとしなかろうと皆平等に美しい。

 そこで言葉を切った後輩に対しミセリは言った。


「…………なんとなく、分かる気がするよ。そういうの」


 似ているからこそ彼女は分かった。
 けれど似ているからこそ彼女は言葉を紡いだ。


「でもね、一つだけ思うんだ」

「なんですか?」


 まさか誰だって特別なんだ、なんて安っぽい言葉は言わないですよね?
 確認するように向けられたドロドロに濁った双眸を真っ直ぐ見つめ、水無月ミセリは考える。
 どういう風に言わば伝わるだろうかと。

 伝えたい気持ちを伝わるように言葉にする――こういう瞬間もミセリは好きだった。

349 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:26:04 ID:DCznlCHM0

「『一般人は面白くない』っていうのは分かるんだけど……多分、そう思ってるから余計にそう感じちゃってるんだよ」

「思い込み、ってことですか?」

「ううん。そうじゃなくて、つまらない人も多いかもしれないけれど――けど、ちゃんと視線を向ければ皆結構必死で頑張ってるものじゃないかなって」


 それぞれに個性があり、意識があり、人生がある。
 最初から決め付けているとそんな当たり前のことにさえ気付けなくなりそうで。


「今、私の友達の会長……は、知ってるよね?」

「はい」

「会長は新しく役員を登用して、その子は聞いてる限りでは君や鞍馬クンなんかの足元にも及ばないフッツーの……ちょっと悪っぽいだけの高校生だけど」


 だけど。

 少し喧嘩が強いだけで。
 しかもその実力も「不良の中ではそこそこ強い」くらいで。
 実はちょっとだけ優しくて。
 何故だか唯一の特徴だった濃いメッシュはもう切ってしまったらしいけれど。

350 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:27:05 ID:DCznlCHM0

 だけど―――。



「その子にも夢があって、個性があって。笑ったり泣いたりして。色々なことをして……。そしてたまたまかもしれないけれど、あの会長に選ばれた」



 それだけで十分じゃない?とミセリは笑ってみせる。

 もっとよく見てみれば良い。
 期待すれば良い。
 駄目だったら「やっぱり駄目だった」で良いのだから。

 自分と似た誰か――自分と違う誰か。
 分かり合えるかもしれないその人は。

 人間は皆特別ではないとしても、一人ひとりはやはり別の人間なのだから。


「上手く言えないけど、君はもっと人に目線を向けてみるべきだと思うよ」

「いや、でも……」

「ほらほら! 興味がないからって瞳を逸らしてちゃ見えるものも見えなくなっちゃうよ!」

351 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:28:07 ID:DCznlCHM0

 一瞬狂華は呆気に取られ、やがて訊ねた。


「…………えっ。どういうことですか」

「……あれ? 狂華クンが目を合わせないのって相手に興味がないからじゃないの?」

「え、いやすみません、全然違いますよ」

「あれ?」


 ミセリはてっきりそうだと思って話を聞いていた。
 だから「ちゃんと目を合わせましょう」に着地するように話を進めてきたのだが……。


「えーっと……じゃあ単純に恥ずかしいの?」

「違いますよ」

「だよね、あんなに大胆だし」

「なんの話ですか、というかなんの話かは分かりますがそれも関係ありません」

352 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:29:08 ID:DCznlCHM0

「えー……。じゃあ、なんで?」

「すみません色々ありまして。極力人と目を合わせたくないんです。某叢雲さん的なアレです」

「でも私とは合わせるじゃん」

「そりゃ好きな相手とは合わせますよ」

「あーっ!ほら! やっぱり他の人には興味がないからだ! 興味がない相手はまさにアウトオブ眼中って感じ?」

「だから違いますって。……あーもう分かりました、分かりましたから」


 詰め寄ってくる先輩を両手で抑え、遂に狂華は降伏する。
 それは、つまり。


「目を合わせるのは無理ですが……これからは、もう少し他人に興味を持ってみることにします」


 まずは手始めの件の新役員から。
 そんな風に言い狂華は困ったように微笑む。
 相変わらず目は合わせないままだったが、それでも彼のスタンスが少しだけだが変わったのは事実だった。

353 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:30:04 ID:DCznlCHM0

 否、変えられたのだ。

 こういう変化は嫌いではない、と狂華は思う。
 異なった者同士の人間関係が生む副産物。

 考えてみればおかしかった。
 楽しく生きる為に生きているというのに自分で視界を狭めていてはいけないだろう。
 いつの間にこんなことになったのだか。

 それは――多分、


「何考えてるの?」


 と、そこまで思考を進めた瞬間に狂華は先輩に押し倒された。
 彼女の襲撃は認識していたし、逃げようと思えば逃げられたのだが、不思議とそういう気分にならなかった。
 本気で抵抗すれば傷付けることになるだろうし、単に色々と面倒だったのかもしれない。

 それに襲われた方が遥かに楽しい展開になるのに逃げるなんて、おかしい。


「…………割とシリアスなことだったはずなんですがね、今ので全部忘れちゃいました」

「結構ポンコツなんだね、狂華クンの頭って」

354 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:31:02 ID:DCznlCHM0

 目を合わせない為に横を向き、狂華は言葉を選ぶ。
 床にはコーヒーカップが転がっており、飲み切っていて良かったと思うばかりだった。
 ひょっとしたらそれを見計らって押し倒したのだろうか?


「すみません、俺は先輩のことが好きなので、この距離まで来られると先輩の匂いで頭がボーっとしてしまうんです」

「……やらしーね、狂華クン」


 可愛いよ、と狂華の手を抑えながらミセリは呟き、耳元へと口を寄せた。


「こっち向いて欲しいな」

「……皆まで言わせないで下さいよ。分かってるんでしょ?」

「まぁね。…………グヘヘ、やっぱり年下の男の子は最高だぜ」

「何言ってるんですか……」


 そのまま狂華は目を閉じる。
 先ほどの会話は自分を見つめ直す良い機会だった気もするが、まあ良いだろうという判断だ。
 「その日を摘め」――自らの矜持に従い、少しでも愉しそうな方向に突っ走る。

 狂華はラブコメにいるような主人公ではないので、こういう場面でも鼻血を出したり気絶をしたり、逃げ出してしまったりすることはないのだった。

355 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:32:05 ID:DCznlCHM0
【―― 13 ――】


 暗くなっていたホールが明るくなっていく。

 参道静路は演奏会なんてものには訪れたことがなかった。
 だから演奏中はさぞかし居心地が悪いだろうと考えていたのだが、豈図らんや、そこは高校の吹奏楽部の演奏会。
 高尚な雰囲気もなく和気藹々として、それでいて音楽として成立している心地の良い空間がそこにあった。

 ほとんどの曲はジョルジュの知らないものだったが、数曲ポップスもあり中々楽しめた。
 途中ソロパートを演奏した一年生が可愛かったのも素晴らしい。


「(……委員長サンに知られたら怒られるだろうけど)」


 でも事実である。
 サックスを演奏している中には他にも金髪の美人がいたが、それよりもあの一年生の方がジョルジュは好みだった。

 ざわめき始めた会場の席はほぼ埋まっている。
 この休憩時間の内に退場する人間や逆に入場してくる人間もいるのだろう。
 演奏会は残り一時間ほど。
 特に用事もないのでジョルジュが立ち上がることはない。

356 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:33:16 ID:DCznlCHM0

 ジョルジュ達が座っている席は舞台から見て真正面、ホール全体の真ん中辺りだった。
 すぐ前に通路があるので帰りもスムーズに出られるだろう。

 もしかすると舞台上の部員から見ればカップルに見えるのかもな。
 思い、苦笑する。
 そんなわけねぇわ、と。
 そうしてふと、左隣に座っているはずのハルトシュラーを見た。

 銀髪の悪魔は深く腰掛け目を閉じていた。


「…………は? っておいおいおい!アンタ、誘っといてまさか寝てねぇだろうな!」

「落ち着け、そんなわけがないだろう。集中する為に目を閉じていただけだ」


 目蓋を開きつつ平然とハルトシュラーは言った。
 同じ台詞を同じ状況でジョルジュが言ったとしても「どうせ寝てたんでしょ」と馬鹿にされるだろうに、不思議と彼女の言葉には説得力があった。
 普段の素行の差だろうか。


「貴様は眠りに落ちるだろうと考えていたのが私だ。私としたことが無礼だったな、申し訳ない」

「いや、いいわ。俺そういうキャラだし」

357 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:34:09 ID:DCznlCHM0

 実際自分も寝てしまうだろうと思っていた。


「……どうだった」

「演奏か? 良かったわ。ありがとう」

「そうか」


 そう言うとハルトシュラーはまた目を閉じる。
 瞳が伺えない彼女は本当に人形のようだ。 

 ゾッとするほどに美しい横顔はジョルジュの前でその色を変えることはないが、かつてはもっと表情豊かだったのか。
 天才だろうと悪魔だろうと彼女は一人の少女だが、遠い昔にはごく普通の少女だったのだろうか。
 ハルトシュラーの過去を知らない今のジョルジュは想像するしかないものの、いつか、もう少し何かを知る機会があるかもしれない。

 と。


「…………他に、先輩から何か訊いたか?」

「え?」

358 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:35:06 ID:DCznlCHM0

 目を閉じたままでハルトシュラーが問い掛ける。
 ジョルジュは答えた。


「アンタの好きな食べ物とか、スリーサイズとかの話。あと……『傷のことは訊くな』って言われたわ」

「そうか。やはり先輩はお節介だな」


 傷。
 絆。
 過去。


「……私の過去のことを知りたいか?」

「いや……」

「知りたいのか。そうか」

「だから俺まだ何も答えてねぇわ!! 最早顔も見てねぇし!」

「それくらいのことなら息遣いや鼓動で分かる」

359 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:36:19 ID:DCznlCHM0

 視覚が制限された分、聴覚が鋭敏になっているのだろう。
 そうでなければ考えられない説明だった。

 鼓動に耳を傾けたままでハルトシュラーは言う。


「知りたいのならば教えてやろう。休憩時間の内に終わるような短い話だ」

「…………アンタは、言いたいのか?」


 ジョルジュの問いに彼女は僅かな時間思案し、そうだなと返答する。


「今更何か感じるような出来事ではないが、言いたいかと言えば……特に言いたくはないな」

「なら、今日はいいわ。委員長サンが言いたくなった時に話してくれれば」


 助けて欲しい時にちゃんと「助けて」と言えるのならば。
 それくらいのことはできるだろう?と。

 他人に頼まれて話すのではなく。
 自分から、必要だと感じた時に明かして欲しい。
 そうジョルジュは告げた。

360 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:37:14 ID:DCznlCHM0

「……なるほど。貴様は、そうなのか」

「何がだよ」


 アナウンスが入る。
 天上の明かりが光量を落とし、ホール全体が段々と暗くなっていく。
 あと暫くで休憩は終わるらしい。


「レモナとのやり取りを見ていて不思議だった。見たければ見れば良い。触りたければ触れば良い。そう思っていたが……」


 一拍置いて。
 ハルトシュラーは言った。


「初めてのキスは卒業式か夕暮れの教室。一線を越えるのはクリスマスか誕生日かバレンタインの日。そんな風に考えるタイプか」

「ぐ……っ! どんな風だよ」

「臆病で、奥手で、繊細で、小心で、純情で……」

「言いたい放題だな!」

361 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:38:09 ID:DCznlCHM0

「……強引なのは嫌で、恋愛は未経験で、心配性で、不器用で、場の勢いというものが苦手で、相手のことをいつも考え――とても優しい。そういう風な男だ」


 騒がしかった会場がやがて段々と静かになっていく。
 その最中、銀髪の少女は誰にも聞こえないような、とても小さな声で言った。
 そういうのは嫌いじゃない、と。

 そして――こう呟いた。



「…………こんな私に気を使ってくれて、ありがとう。お前に愛される相手は幸せだな」



 こうしてジョルジュとハルトシュラーは少しだけ仲良くなった。
 
 会場が暗くて、この後すぐに演奏が始まってくれて本当に良かったとジョルジュは思った。
 そうじゃなかったとしたら気恥ずかしさで真っ赤になり何も言えず顔を背けた自分を、きっと見られてしまっていただろうから。






【―――Episode-9 END. 】

362 名前:第九話投下中。 投稿日:2012/11/14(水) 19:39:03 ID:DCznlCHM0
【―― 0 ――】



 《 rest 》

 @休憩、静養、睡眠

 ――動・自
 A[SV](人が)休む、休息する

 B[SVM](物が)(…に)支えられている、置かれている

 C(問題などが)そのままにされる、そのままの状態に留まる

 ――他
 D(希望など)を(人に)かける

 E[正式](視線など)を(人や物に)向ける

 F[rest with Oという形で](決定・選択・責任などが)(人)次第である、にかかっている





.

372 名前:オマケ・『あとがたり(キャラクターコメンタリー)』:2012/11/22(木) 00:04:00 ID:yiL78P6g0

|゚ノ*^∀^)「あとがたり〜」

|゚ノ ^∀^)「『あとがたり』とは小説などにある後書きのように、投下が終了したエピソードに関して登場キャラがアレコレ語ってみようじゃないかというものです」

j l| ゚ -゚ノ|「要するに後書きの語り版であとがたりだ」


|゚ノ*^∀^)「露骨なサービス回!」

j l| ゚ -゚ノ|「あれが露骨だというなら、お前はいつも露骨だろうに」




―――『あとがたり・第九話篇』







373 名前:オマケ・『あとがたり(キャラクターコメンタリー)』:2012/11/22(木) 00:05:03 ID:yiL78P6g0

|゚ノ*^∀^)「改めまして、レモナですぅ!」

ミセ*^ー^)リ「ぐーてんもるげーん! 私、水無月ミセリ!多分高校生!」

j l| ゚ -゚ノ|「キャラが迷子だな。ハルトシュラー=ハニャーンだ」


j l| ゚ -゚ノ|「……ところで貴様は誰だ?」

ミセ;゚ -゚)リ「えっと、水無月ミセリですけど……」

|゚ノ ^∀^)「ご存知、ないのですか!?」

j l| ゚ -゚ノ|「彼女が超時空シンデレラだったならば存じていたかもしれないが、寡聞にして知らないな」

ミセ*゚ー゚)リ「何をおっしゃるうさぎさん」



|゚ノ ^∀^)「…………ほら、僕の友達の。『空想空間』で偽物が出た、あの」

j l| ゚ -゚ノ|「……ああ。あの」

ミセ;゚ー゚)リ「ていうか全校生徒の名前を覚えてるはずなのにどうして私のことをピンポイントで思い出せないの……?」

374 名前:オマケ・『あとがたり(キャラクターコメンタリー)』:2012/11/22(木) 00:06:06 ID:yiL78P6g0

|゚ノ ^∀^)「というわけで改まして、今日のゲストは二年文系進学科の水無月ミセリちゃんです」

ミセ*-3-)リ「納得できないなー……」

j l| ゚ -゚ノ|「何はともあれ解説を始めようか」



j l| ゚ -゚ノ|「第九話は山科狂華という異常な人間と参道静路という普通な人間との対比が根底にある」

|゚ノ ^∀^)「時々に挿入された狂華クンの台詞は遠回しにジョルジョルを指し示していて――っていうか、狂華クンの嫌いな主人公像とジョルジョルが合致していることを示してるんだね」

|゚ノ ^∀^)「そういうことを踏まえて、読んでみて欲しいな」


ミセ*゚ー゚)リ「最初は私のシーンからだね。狂華クンとのやり取り」

j l| ゚ -゚ノ|「山科狂華は一般人やその常識について一貫して離れた態度を貫いている。会話においても完全に他人事のように語っている」

|゚ノ ^∀^)「事実として彼はパンピーじゃないけどね」

ミセ*-ー-)リ「『普通でありたかったけど叶わなかった、なろうとは思わなかった』という過去に関係した複雑な思いがあるから、妙に遠く余所余所しいんだよね」

375 名前:オマケ・『あとがたり(キャラクターコメンタリー)』:2012/11/22(木) 00:07:04 ID:yiL78P6g0

|゚ノ ^∀^)「ちなみに狂華クンは『天使と悪魔は普通の人間に興味を示さない』と考えていたケド、実はこれ、心理学における投影なんだよね」

j l| ゚ -゚ノ|「実際は自分がそうだった。これは前回の話にも関係するな」



ミセ*^ー^)リ「場面変わってホテル。カッコいい年上のお兄さんが若い男の子を誑かすシーン」

j l| ゚ -゚ノ|「明確に間違っているとは言えないが、聞き手によっては違った場面を連想しそうな説明だな」

|゚ノ*^∀^)「そのカッコいいお兄さんは後輩の女子高生の寝ていたベッドに寝転がって枕をクンカクンカしてたわけだケド……」


j l| ゚ -゚ノ|「ここで行われている『集合意識』の説明だが、これは各キャラクター同士の微妙なズレを社会学的に解説しているわけだ」

ミセ*-ー-)リ「端的に言えば『天使や悪魔は異なる文化圏の人だ』ってだけなのかな?」



|゚ノ*^∀^)「次の食事シーンではシュラちゃんの意外な巨乳ぶりが明らかに!」

ミセ*゚3゚)リ「……Cっておっきい?」

j l| ゚ -゚ノ|「小さくはないだろう。しかし二次元に長くいると何処からが大きいのか分からなくなるな」

376 名前:オマケ・『あとがたり(キャラクターコメンタリー)』:2012/11/22(木) 00:08:10 ID:yiL78P6g0

|゚ノ ^∀^)「その次は混浴シーンだケド……ここでは何も言う必要はないかな。ぼかしてる部分はそういうことです!」

ミセ*>ー<)リ「絵でお見せできないのが申し訳ない!!」

j l| ゚ -゚ノ|「貴様はいなかっただろうに」


|゚ノ ^∀^)「シュラちゃんが言った『長時間の入浴による〜血管迷走神経反射性失神』は、要するに『急に立ったら立ち眩みして気絶しました』ってこと」

ミセ*-3-)リ「失神って頭の血が足りなくなって起きるらしいけど、どうして足りなくなったんだろうね?」


j l| ゚ -゚ノ|「加えてレモナの胸部について述べておきたいのが私だ」

j l| ゚ -゚ノ|「参道静路は『制服姿よりも三割増しくらいに大きく見えた』と述懐しているが、これは下着がないからだ。実際に大きくなっていた」

|゚ノ*^∀^)「普段はスポーツブラだからどうしても抑えられちゃうんだよね」

j l| ゚ -゚ノ|「分からない方は女子陸上選手のユニフォームなどを思い出してもらえれば良い」

ミセ*-ー-)リ「胸がおっきいと走ってる時にヤバいですもんね。こういうの、ちっちゃい人には分からないんだろうなぁ」

377 名前:オマケ・『あとがたり(キャラクターコメンタリー)』:2012/11/22(木) 00:09:04 ID:yiL78P6g0

ミセ*゚ー゚)リ「で、ここから最後のシーンにかけては演奏会の道程を通じて二人が少しだけ分かり合っていってるね」

|゚ノ ^∀^)「より厳密には違いを認めたってことかな?」


j l| ゚ -゚ノ|「私と兄の常識は人によってはかなり冷たく映るものだろう。兄と先輩は仲が悪かったそうだが、それはこの辺りに由来するのかもしれないな」

|゚ノ ^∀^)「その、とても冷たい価値観を真正面から認めたからこそ、シュラちゃんは最後に瞳を逸らしたんだね。恥ずかしくて」

j l| ゚ -゚ノ|「そんなわけがないだろう」



ミセ*^ー^)リ「で、私の出番だ!」


j l| ゚ -゚ノ|「そうだな。空気を読まずに盛っている女子高生の出番だ」

ミセ*-3-)リ「ぶー。そんな風に言わなくて良いじゃないですかぁ」

|゚ノ*^∀^)「狂華クンが考えていた『何故自分から視界を狭めていたのか』という問いは某ブーン君との和解フラグだったんだけど、見事に台無しになっちゃったね」

378 名前:オマケ・『あとがたり(キャラクターコメンタリー)』:2012/11/22(木) 00:10:03 ID:yiL78P6g0

|゚ノ ^∀^)「そう言えば、狂華クンは目を合わせない理由について『某叢雲さんと同じ』って言ってるケド、かなり分かりにくいヒントだよね」

|゚ノ ^∀^)「正確には『SEEDアストレイに登場する叢雲劾がサングラスをかけている理由に近い』なんだケド……これでもまだ分かりにくいかな?」

|゚ノ*^∀^)「ミセリちゃんは分かった?」

ミセ*゚ー゚)リ「ぶっちゃけいつ押し倒そうか考えててほとんど聞いてませんでした」


j l| ゚ -゚ノ|「だがしかし実際問題として、確かに山科狂華は好意を持った人間としか目を合わせない」

ミセ*-ー-)リ「普通の男子とは逆ですよね。普通は、好きな人ほど恥ずかしくて目を逸らしちゃうのに」

|゚ノ ^∀^)「押し倒されて言ってる『分かってるんでしょ?』はまさにそれで、『俺は恥ずかしいんです』って遠回しに言ってるんだね」

j l| ゚ -゚ノ|「この辺りも最後に顔を背けた参道静路との対比だな」



j l| ゚ -゚ノ|「ちなみに当たり前ながら、奴が恥ずかしがっていたことくらいは気付いていたのが私だ。そのくらいのことは暗闇でも分かる」

|゚ノ*^∀^)「自分が照れてたことを一方的に知られてるって中々恥ずかしいよね」

379 名前:オマケ・『あとがたり(キャラクターコメンタリー)』:2012/11/22(木) 00:11:04 ID:yiL78P6g0

ミセ*゚ー゚)リ「最後に委員長がジョルジュ君のことを褒めたのは相手を劣っているとは考えず、違っているんだと認めたってことで良いのかな?」

|゚ノ ^∀^)「まあ、そうかなぁ。シュラちゃんの中では『優しい』ってことは単純な良いことでもないから、ちょっと含みがあるケド」



j l| ゚ -゚ノ|「では最後にタイトルの話だ」

j l| ゚ -゚ノ|「『空虚な中心』は山科狂華が言った通りの意味だが、最終的には否定されている。見るべき点がない人間はいないということだな」

ミセ*゚ー゚)リ「英単語の方は意味が沢山あるからちょっとややこしいかも?」

|゚ノ ^∀^)「うん。全部ジョルジョルと狂華クンに関係してるけどね」



|゚ノ*^∀^)「……こんな感じで良いかな?」

j l| ゚ -゚ノ|「今回は戦闘シーンがなかった為に中弛みしてしまった気がするのが私だ。気を付けたいな」

ミセ*-3-)リ「もう私の出番もないんだろうなぁ〜」

j l| ゚ -゚ノ|「貴様はそもそも別作品のキャラクターだろうに」

380 名前:オマケ・『あとがたり(キャラクターコメンタリー)』:2012/11/22(木) 00:12:07 ID:yiL78P6g0

|゚ノ ^∀^)「じゃ、今日はこれくらいで」

j l| ゚ -゚ノ|「そうだな。というわけであとがたり、第九話篇でした。次回もお楽しみに」






ミセ*゚ー゚)リ「……どうでも良いですけどこの作品、バトロワ物にしてはすっごく展開遅いですよね」

j l| ゚ -゚ノ|「一話に対し一人前後を相手している為に遅く見えるが実際は今やっと一週間経過した程度だ」

|゚ノ*^∀^)「もう結構な人が脱落しちゃったんだろうなぁ」

j l| ゚ -゚ノ|「展開の遅さに関しては、ナビゲーター側のルール設定が不適切だったと言わざるをえないのが私だ。ログインしたところで、そうそう人に会わない」

ミセ*-ー-)リ「でも、あんまり主人公勢力が倒し過ぎるとバトロワっぽくならないですよねぇ。ほら、Fa●eとか」

|゚ノ*^∀^)「本当にどうでも良いケド、この作品聖杯戦争ならばバーサーカーばっかだよね」

j l| ゚ -゚ノ|「狂気をどう定義するかによると思うがな」

ミセ*゚ー゚)リ「どっかの少佐みたいなのを狂人とするなら狂戦士が一番強い……かも?」

381 名前:オマケ・『あとがたり(キャラクターコメンタリー)』:2012/11/22(木) 00:13:12 ID:yiL78P6g0

|゚ノ ^∀^)「とりあえず僕はバーサーカーでしょ、シュラちゃんもそうだし、狂華クンもかな?」

ミセ*-ー-)リ「アサシンにするには強過ぎますしねぇ。ていうか委員長は狂ってるんですか?」


ミセ*゚ー゚)リ「それより、参加者の誰も彼もが能力使わな過ぎでしょ」

|゚ノ ^∀^)「僕持ってないし」

j l| ゚ -゚ノ|「燃費が悪いので使いたくない」

|゚ノ*^∀^)「今のところレギュラーの中で能力を活用してるのは零ちゃんだけだね。戦闘力の低さを補ってる感じ」


ミセ*-3-)リ「……あの能力、相手の背後に回り込んで殴ってたら勝てると思うんですけど」

j l| ゚ -゚ノ|「できないのではないか?」


|゚ノ ^∀^)「オマケでネタばらしするのもアレだし、今日はこれくらいにしよっか」

|゚ノ*^∀^)「次回はバトル漫画ではお馴染みのあの能力が出てくる……かも?」

j l| ゚ -゚ノ|「期待していてくれ。それでは」


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