j l| ゚ -゚ノ|天使と悪魔と人間と、のようです Part2
- 389 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 01:53:24 ID:yR1iRErA0
・今回の登場人物紹介
【メインキャラクター】
今回のエピソードにおいてのメインキャラクター。
??
詳細不明。一縷の淀みもない瞳をしたごく普通の少年。
空手道部次期主将候補であるが、神宮拙下からは『凡人』『凡骨』と呼ばれている。
??
神宮拙下。三年理系進学科十二組所属。
『天才(オールラウンダー)』とまで呼ばれる万能の天才。
自称かつ他称「天才」。
- 390 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 01:54:05 ID:yR1iRErA0
( ・ω・)
鞍馬兼。一年文系進学科十一組所属。『生徒会長になれなかった男』。
不自然に脱色された髪が特徴的な育ちの良さを伺わせる高校生。
ヌルのチームのリーダー格。
(゚、゚トソン
都村藤村。「トソン」と呼ばれる軍服姿の少女。
鞍馬兼のことを警戒している。
〈::゚−゚〉
イシダ。同じく軍服姿の大柄な少女。
トソンの部下らしい。
リハ*゚ー゚リ
洛西口零。二年特別進学科十三組所属。通称『汎神論(ユビキタス)』。
本名は「清水愛」だが、現在は「洛西口零」と名乗っている。
- 391 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 01:55:03 ID:yR1iRErA0
- 【その他キャラクター】
壬生狼真希波。
三年文系進学科十一組所属。中高共同自治委員会会長。
『人を使う天才』と称される非凡な人物。
壬生狼真理奈。
一年普通科七組所属。部活は新聞部で、空手道部のマネージャーも兼任している。
自称「ただの普通な凡人」。真希波のことを「あの人」と呼ぶ。
宝ヶ池投機。
淳中高一貫教育校高等部の教師。担当教科は政治経済。
一年文系進学科十一組の担任教諭。
- 392 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 01:56:05 ID:yR1iRErA0
※この作品はアンチ・願いを叶える系バトルロイヤル作品です。
※この作品の主人公二人はほぼ人間ではありませんのでご了承下さい。
※この作品はアンチテーゼに位置する作品です。
.
- 393 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 01:57:02 ID:yR1iRErA0
――― 断章 前編『 prepare ――かなう才能、かなわぬ努力―― 』
.
- 394 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 01:58:06 ID:yR1iRErA0
- 【―― 0 ――】
“努力で天才に勝てますか?”
あなたは勝てる勝負しかしないんですか?
.
- 395 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 01:59:15 ID:yR1iRErA0
- 【―― 1 ――】
学園十傑を決めるとしたら誰が入ると思う?というような昼休みの同級生達の会話を壬生狼真理奈はぼんやりと聞き流していた。
「壬生狼」という珍しい苗字から分かるように彼女は自治会会長壬生狼真希波の妹だ。
自己紹介をすると毎度の如く「壬生狼会長の妹か」と言われる。
それほどに壬生狼真希波は優秀で有名な人物だが、対し彼女自身は平々凡々な普通の少女だった。
残念ながら私はあの人と違ってただの普通な凡人です。
名を名乗るのと合わせてそう告げるのが壬生狼真理奈の習慣になっていた。
「(生徒会長は鉄板としても……賢さで選んで良いのなら、あの人も十傑に入るだろうな)」
紙パックのコーヒー牛乳を味わいながら贔屓目なしにそう思う。
人と話す際には冗談めかして「残念ながら」なんて言っているものの、実際は真理奈は自分が凡人であることに関し何一つの文句もなかった。
自分が姉か、そうでないならば双子であったならば劣等感を始めとし様々な感情が生まれたのかもしれないが彼女は真希波の妹である。
真希波がどれほど優秀であろうとも、妹である真理奈からすれば勉強が分からなくなった時に教えてくれる家庭教師が常に家にいるような、そんな程度の認識だ。
むしろ凡人であり幸運だと思っているくらいだ。
学校一つで見ても、才人たる真希波は“学校(ここ)”を良くする為に創意工夫するのだろうが、凡人である真理奈は“学校(ここ)”でこうしてぼんやり暮らすだけなのだから。
- 396 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:00:12 ID:yR1iRErA0
才能なんてなくても良いと考えられるのは自分に夢がないからだと真理奈は思っている。
だが一方で、才能があるからこそ夢を見るのではないか、とも考えていた。
上手い比喩かは分からないが、時折、真理奈はこんな風に思う。
自分は見たこともないような美しい景色を夢で見ることがあるけれど、先天的全盲者は音だけの夢を見るらしい、そういうことじゃないかと。
実現する可能性がゼロの夢は思い描くどころかそもそも思い付くことができない。
だから自分はあの人が描くような夢を見ることができないんだ、と。
……第三者から見れば、こういった真理ではないにせよ一考に値する考察を明日の天気を予想するような手軽さで出してしまえる真理奈も聡明なのかもしれない。
だが少なくとも彼女自身は自分のことを凡人だと考えており、加えて彼女は考えたことを口に出さないのでこういった独創性は露顕しないのだった。
「(…………私は、普通で良い。普通が良い)」
普通で良いし。
普通が良い。
女優やモデルにはおそらくなれず、多人数のアイドルグループにはもしかしたら入れるかもしれない程度の容姿。
纏めた部分だけを伸ばしたツインテールのような黒のツーサイドアップ。
好きな食べ物はショートケーキで好みのタイプは優しい人、クラスは普通科七組で部活は新聞部。
将来はできれば年収は三百万くらいある人と結婚して、子供は二人は欲しいから自分も働いて世帯収入を五百万円くらいにしよう。
そういう風な、普通に普通な高校生――それが壬生狼真理奈だった。
- 397 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:01:02 ID:yR1iRErA0
「……でもさ、真理奈のカレシも良いトコ行ってるよね〜」
「え?」
「そうそう。よく分かんないけど、強いんでしょ? それに結構カッコいいし」
唐突に水を向けられ、一瞬訳が分からなくなる。
真理奈の向かって右側に座るクラスメイトは箸を止め、弁当箱を机に置くと身を乗り出すように訊く。
一方左側の友人はパンを齧りながらニヤニヤと答えを期待し笑っていた。
さて、どうしたものか。
と。
「真理奈さん、ちょっといい?」
その時、別のクラスメイトの近くにやって来た。
これ幸いだと会話を一時中断し振り向いた真理奈に彼女は切り揃えられた前髪を揺らし、耳打ちをするようにして言った。
「……あの、廊下に彼氏さんが来てるみたいですけど……いいんですか?」
「あー……もうそんな時間か。ありがとう三宅さん」
- 398 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:02:05 ID:yR1iRErA0
いえいえと黒髪の少女は自分の机へと戻っていく。
彼女の席は教室の入口を入ってすぐの場所なので一年七組の外に立っている彼の姿を見つけてしまったのだろう。
真希波から譲って貰った腕時計を伺えば、その廊下の彼、もとい彼氏との待ち合わせ時間になっていた。
彼氏からは「友達が食べ終わるまでゆっくりしていれば良い」と言われているが、知ってしまった以上は待たせるのも悪い。
そう考え、真理奈は立ち上がる。
「お、噂の彼が来たのかな〜?」
「そうみたい。あー、ごめんね。もう行くよ」
「いいよいいよ! それにしてもお熱いなあ、毎日お昼休みデートなんて」
曖昧に笑って誤魔化しながら内心「そうかな?」と首を傾げる。
疑問に感じたこともなかった。
あの人――真希波からは、恋人同士はできる限りの時間一緒にいるものだと聞いていた。
実際、あの人は恋人らしき相手とほとんど毎日一緒に帰っている。
そんなことを考えつつ、借りていた他人の椅子を元に戻すと真里奈は出口へと向かう。
途中財布を鞄に入れたままにしていることに気付き、自分の席に戻った。
真希波とは違い凡人である真里奈はこういったうっかりがとても多い。
何かを買いに行くわけではないし、あの彼氏も何かと出してくれる人なので気にする必要はないと言えばそうなのだが。
- 399 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:03:02 ID:yR1iRErA0
「(……けど、あんまり奢って貰ってばかりじゃ悪い。向こうも高校生なんだし)」
当たり前の価値観を持ち、当たり前の気遣いができる。
それが壬生狼真理奈という少女だった。
のんびりと昼食を続ける友人達は、改めて手を振り別れを告げた真理奈に少々呆れたように言った。
「それにしても、真理奈もよくそれで持つよね〜」
「お昼がヨーグルトにコーヒー牛乳だけって……。気持ちは分かるけど、無理しちゃ駄目だよ?」
クラスメイトの指摘には苦笑いを返すことしかできなかった。
真希波と普段から交流のある才色兼備な女子生徒達――烏丸空狐や幽屋氷柱、あの名物生徒会長や委員長などは体重なんて気にしたこともないのだろう。
風呂上がりに体重計に乗ることはあっても、それで一喜一憂することはきっとない。
況や壬生狼真希波自身も。
「(もうそろそろ夏だ……。恋人同士は海水浴くらいには行く……。あー……どうしよう)」
しかしながら、残念ながら――ここでは心底に「残念ながら」だが、壬生狼真理奈はただの普通な凡人だ。
平々凡々な女子高生である壬生狼真理奈は、当たり前のように自分のスタイルのことで頭を悩ませたりもするのだった。
- 400 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:04:05 ID:yR1iRErA0
- 【―― 2 ――】
宝ヶ池投機はもう、これ以上ないほど面倒そうな表情で中庭を進んでいた。
仮にも教育者である自分がこんなダルそうな顔をしていちゃダメだろうとも思うのだが、生来とは言わずとも学生時代から染み付いた無気力さはそうそう拭い去れるものではない。
一方で「仕事はちゃんとしてるんだから心の中くらいは怠惰でいても良いじゃないか」と誰というわけではないが誰かに弁明する言葉が頭の片隅にはある。
そういった複雑な心情があって、宝ヶ池は顔は憂鬱そうなのに足取りは迷うことなくと目的地に向かっているというちぐはぐな様を晒していた。
そんな彼を目撃した生徒達は「ああいつも通りの宝ヶ池先生だ」「でも今日はいつもよりダルそう」というような印象を抱き、適当に挨拶をする。
締まりがないのは顔だけなので宝ヶ池も挨拶をされれば生真面目に返し、受け持つクラスの生徒からの授業に関する質問にもしっかりと答え、校内を進んでいく。
つまりは、一年進学科十一組担任教師宝ヶ池投機は今日も平常運転だった。
「(はあ……もううんざりだ)」
短い昼休みも残り半分を過ぎ、生徒の波が引き始めた購買で残っていたパンを買うと踵を返す。
少しでも気分転換になれば良いとわざと遠回りに自身の机がある生徒指導部へと向かう。
いつも通り面倒そうな表情をしていた宝ヶ池投機だが、実際問題彼はいつも以上に憂鬱だったと言えた。
彼が抱える事情を鑑みれば今の彼の様子も理解できるものだろう。
そもそも普段から面倒そうではあるが「憂鬱」と表現できるほど気分は沈んでいない。
- 401 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:05:03 ID:yR1iRErA0
今日、今現在の彼はある懸案事項を抱えていた。
厳密にはその懸案事項は四月の頭からずっと抱えていたものであり、つまりこの数ヶ月事態が全く好転していないということであり、その為尚更困っていた。
事の発端は昨年度まで遡る。
淳高の目立った不良生徒を対象にした通り魔が現れ始めたのだ。
被害者の中には「階段から落ちた」だの「通学路で転んだ」だのと言う人間もいたが、それは見栄を張っているだけだろう。
既に十数人の生徒が何者かに襲われ、傷を負っている。
被害に遭った生徒のほとんどが被害届を出さなかったので警察は動いていない。
そういったこともあり、宝ヶ池投機は生徒指導部の教員としてこの連続通り魔事件を調査していた。
警察がどうかは知らないが基本的に教師は勝手に生徒を守る存在である。
被害者である不良生徒達もそうだが――加害者が生徒だった場合も、教師は守らねばならない。
「(あるいは『正さねばならない』か……? どうでもいいが)」
この方法で生徒の素行不良が改善されたとしてもだからと言って今回の事件は看過することはできない。
……いや宝ヶ池個人としては見逃しても良いと思ったりもするのだが、そんな適当な対応は行わないのが淳高生徒指導部だ。
指導部の一員である宝ヶ池も渋々調査に取り組んでいた。
が、今に至るまで事態は全く好転していなかった。
故に彼は憂鬱なのだ。
- 402 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:06:07 ID:yR1iRErA0
自分の受け持つクラス(一年十一組)で最も頼りになる生徒、鞍馬兼が休学しているのも最悪だった。
顔の広い兼から情報を得られないのも痛いが、休学した理由が「精神病の療養の為」なんてものだったことも担任教師としては辛い。
幸い後者に関しては高校入学以前からの病気だったらしいので宝ヶ池が責任を問われることはないのだが。
そうして歩きながら溜息を一つ。
「(ああ……鞍馬、どうしてお前はこういう時にいてくれないんだ。お前がいるだけで情報網は広がるし、なんならお前の名前を出すだけで生徒が快く喋ってくれたりするのに)」
宝ヶ池投機は自分の生徒を心配せず助力を得られないことを嘆いていた。
口には出していないとはいえ、人によっては教師失格の烙印を捺しかねない有様だ。
実に情けない。
まあ鞍馬兼が心配する必要の全くない優等生だというのは教師陣では有名なので、宝ヶ池の思いも理解できないものではなかった。
彼が件の通り魔に襲われたならば無傷で捕え事件を一瞬で解決してくれることだろう。
実際、彼は以前似たような状況に陥った際に犯人を捕まえた実績がある。
尤も鞍馬兼は不良生徒とは対極に位置する優等生なので今回のケースでは襲われるわけがないのだが。
とは言え。
「(アイツのお陰でかなり調査は進んだし……時間の問題か)」
- 403 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:07:02 ID:yR1iRErA0
兼が宝ヶ池投機の調査に協力したのはほんの一ヶ月程度のことだったが、その間でかなりの進展があった。
事態は好転こそしていないが進展がまるでないわけではない。
容疑者のリストアップ――鞍馬兼が最も尽力したのはそれだった。
アリバイを調べるのは困難なので、まず事件を起こせそうな実力を持つ人間をピックアップし表を作成したのである。
粗野な男子高校生を連続で襲えるならば相当に喧嘩が強いはず、ということだ。
不意打ちや闇討ちが主な手段だったとしても、こういうアプローチをしておいて損はない。
宝ヶ池の携帯に写したリストには現生徒会長高天ヶ原檸檬から始まり、風紀委員長や弓道部の才媛など有名ドコロが並んでいる。
さり気なく自分(鞍馬兼)や同じクラスである山科狂華の名前がある辺りが彼の真面目さを物語っていた。
……柔道の黒帯を持つ教師陣まで書かれているのは容赦がなさ過ぎると宝ヶ池には思えるが(宝ヶ池の名前も何故か含まれている)。
「壬生狼真希波は……『実行犯である可能性は低いが立案者の可能性がある』か。なるほど的確だ」
屋外に設置されたベンチに腰掛け、曇空の下、パンを噛りつつスマートフォンを操作する。
昼休みも残り十分を切っているが辺りを歩く生徒達は呑気なものだ。
一番呑気なのは次の授業がない為に時間的余裕がある宝ヶ池自身だろうが。
「二年十一組朝比奈でぃ……? 帰宅部の生徒が何故リストに入ってるんだ? ……まあいいか。よく考えれば参道静路も帰宅部だ」
- 404 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:08:03 ID:yR1iRErA0
前者(朝比奈でぃ)には備考として「護身術の心得有り、また見目麗しい」と書かれているのにも関わらず、後者の備考欄には「頭が足りない」と記されている。
実力については客観的な評価らしいが、それ以外は主観も混じっているようだ。
「伏見征路に烏丸空狐、ハロー=エルシール……。三年の生徒まで調べたんだな」
改めて凄い生徒だと思う。
しかも休学中でも一応は調査を続けるとも聞いていた。
どうやってかは宝ヶ池には全く分からない。
ここまでやられてしまうと特定の誰かから目を逸らさせる為にやっているのではないかと思えてくる。
というか、彼はこんな表を作る時間があったのだろうか?
「……自分より優秀な生徒に教える状況っていうのは、教師の悩みの種だよなあ……」
それはいつの時代の教師でも抱えてきた葛藤。
かの発明王の担任達もきっと悩んでいたことだろう。
鞍馬兼は宝ヶ池のことを「先生」と呼ぶが、ひょっとしたら自分に教えられることなんて何もないんじゃないかと時折考え込んでしまう。
アイツなら高校生が学ぶ程度の社会学の知識の大半は有していることだろう、と。
すると年の功的を元にした指導が教育の主になるが、ただ「先に生まれた」だけの宝ヶ池には、あんな天才にできる助言の持ち合わせはないのだった。
- 405 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:09:04 ID:yR1iRErA0
いや。
鞍馬兼自身は、自らのことを「天才」などという大仰な言葉で表現されることを嫌っていたのだったか。
どうして嫌がるのかは宝ヶ池という凡人には全く分からないが……。
と。
「……なんだ?」
その時、何か言い争いのような声が耳に届き、宝ヶ池は立ち上がり辺りを見回した。
小ホールとも呼ばれる講堂の角、通り道との境の部分に数人の生徒がいた。
道を歩いていた二人の三年生の前に下級生の男子生徒が立ち塞がっているような状態で、その彼の後ろには庇われる形で女子生徒がいる。
経緯は全く分からないが――マズい状況ということは一瞬で理解できた。
逃げちゃ駄目かなと次の一瞬間悩み、せめて誰か他の先生はいないかと再度周囲に目をやるが昼休み終わりのこの時間に教員がのんびりしているはずもない。
他の教師達は今頃午後からの授業の準備を始めている頃だろう。
ここにいるのは、自分だけ。
「(ああ、憂鬱だ……。学生時代になんか格闘技でもやっときゃ良かったなあ)」
- 406 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:10:04 ID:yR1iRErA0
パンを置き、聞こえてくる声に急かされるように走り出しながらリストを受け取った時のやり取りを思い出した。
どうして自分の名前が表にあるのかを訊ねると、兼は「先生は学生時代剣道をやってらしたんでしょう?」と微笑み返した。
『……確かに高校まではやっていたが、それだけだぞ? 素手では何もできないぞ』
『ご謙遜を。足運びも間合いの計り方も十分に実用的ですし、竹刀で攻撃を捌くことができる人間が手刀で攻撃を捌けないわけがないでしょう』
それを容易くできるのはお前だけだ。
というかそれは剣道ではなく合気道の技術じゃないか?
そういった諸々の言葉を飲み込んだ宝ヶ池に向かって見透かしたように兼は言った。
『そもそも武道とは技術云々ではなくその心構えこそが最も重要ではないですか。能力のあるなしではなく、武道家は一生武道家です』
ご尤もな意見だった。
その通りである。
ならばこの状況で逃げ出すのは教師以前に武道を学んだ者として失格だ。
たとえ、あの二人の三年生がつい先日路上での喧嘩で補導されたような不良生徒だったとしても。
たとえ、構え(猫足立ちだったか?)立ち塞がる彼が手元のリストに乗っているような実力者だったとしても。
- 407 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:11:04 ID:yR1iRErA0
- 【―― 3 ――】
三年文系進学科十一組の教室の片隅、窓際後方の机が自治会長壬生狼真希波の席だ。
真希波は入学時からほぼずっとその場所に居続けている。
HR教室の席は基本的にはくじ引きで決定されるが、定期テストでの成績が優秀な生徒(上位五人)は優先的に好きな席を選ぶことができる。
つまり定位置がある、ずっと同じ席にい続けられるというのは、それだけで学力の証明であり誇るべきことだった。
尤も壬生狼真希波という人間は「学問は――少なくとも高校程度で学ぶものは勉強すれば誰でもできるようになる」と考えていたので、別にどうとも思っていなかったのだが。
昼休みが終わるまで後数分。
真希波は机の中から筆箱と電子辞書を、鞄の中から教科書とノートを取り出し机の上に置く。
そうしてサンドイッチの最後の一切を口に運び中身が残る缶コーヒーを飲み干した。
珍しい、急ぎ気味の動作だった。
普段ならば昼休みが始まって二十分ほどで昼食を食べ終えてしまうのだが、今日は来客があり、その対応で時間を取ってしまったのだ。
お陰でいつも一緒に食事をする相手とゆっくりすることができず今の真希波は少し機嫌が悪かった。
仲の良い人物との時間を邪魔されたというのもそうだが、それ以前に壬生狼真希波は日課や予定が変更になるのが好きではない。
ちなみにその来客とは自治会長の上司にあたる生徒会会長高天ヶ原檸檬である。
幾ら好きではなくとも仕事ならば変えざるを得ないというわけだった。
- 408 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:12:03 ID:yR1iRErA0
淳高に通う多くの生徒は「高天ヶ原檸檬と壬生狼真希波は仲が悪い」と考えているが、実際はそんなことはない。
選挙で争ったからと言って協調できないことはないし、檸檬はどうか分からないが真希波の方は職務に好き嫌いを持ち込むことをあまり良いと考えていない。
付け加えるならば現会長も選挙後生徒会副会長にならないかと誘う程度には真希波のことを評価している。
……それを断ったからこそ、一般生徒達は仲が悪いと思ったのかもしれないが。
いや、そのことは一部の人間しか知らないことだったか。
高天ヶ原檸檬の言葉を思い返しつつ、真希波は静かに笑った。
『副会長には僕の敵対勢力を置きたいと思ってるんだよね』
『マンガの読み過ぎだよ――そうでなければ、選挙の見過ぎだろう。選挙に出馬している時点で学校環境の改善を願っているという点は同じ。敵対しているはずがないだろう?』
学校を良くすることが目的であって生徒会長になることはその手段でしかない―――。
檸檬の発言に真希波はそう返した。
その一言に彼女は納得したようでそれ以上誘ってくることはなかった。
時折真希波は「あの時誘いに乗っていればどうなっていただろうか」と考えることがある。
しかし何度シミュレートしてみても今と対して変わらない結果しか見えてこない。
普段は別々に活動し、必要な時だけ連絡を取り合う、そういう関係――今の生徒会長と自治会長という関係性と何も変わらない。
- 409 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:13:02 ID:yR1iRErA0
今日のことにしても必要だから話し合いの機会を設けたのである。
内容は、例の通り魔について。
真希波は生徒会、風紀委員会及び自治委員会で協力し警戒態勢を敷くことを提案していたが、その意見は却下されることになった。
生徒会長ではなく生徒指導部の教員によって、だ
「事件性が証明できない」「事件であれば尚更生徒を関わらせることはできない」ということであるらしく、先程の檸檬の訪問はそれに関しての連絡だった。
連絡というか、教師陣の意向は真希波は既に把握していたので情報交換だろうか。
檸檬は真希波を、真希波は檸檬を犯人ではないかと疑っているので探り合いと言っても良いかもしれない。
とりあえず当面は部下を事件に関わらせないようにする方向で話は纏まった。
「(……生徒指導部の本当の目的は『自分達の捜査状況が漏れることを防ぐため』だろう)」
ショートカットの黒髪を整え一重の目を細める。
不細工ではないが、そこまで美形とも言えない十人並みの真希波がそれでも魅力的に映るとすれば、それは瞳に宿った鋭い光の為に他ならない。
「(指導部は生徒会長や風紀委員長など有能で目立つ生徒を疑っている。恐らくこちらにも疑いの目は向けられているだろう……この状況で、生徒に協力は要請できない)」
実は協力者が犯人であった、などは刑事ドラマではよくあるパターンだ。
だから助けが欲しくとも教師よりも優秀な生徒の――容疑者達の手を借りるわけにはいかない。
難しい話だ、と真希波は目蓋を下ろす。
- 410 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:14:05 ID:yR1iRErA0
実際は生徒指導部の教員の一人、宝ヶ池投機は教え子である鞍馬兼の手を借りたりしているが、これは例外中の例外だ。
際立って優秀な生徒達(例外)の中で、唯一無害で善良で常識的と言えるのが鞍馬兼(例外中の例外)なのだから。
(ちなみに宝ヶ池自身は生徒に助力を頼んだことを秘密にしているものの、誰もに隠し果せたとしても気が付くのが壬生狼真希波という人間である)。
協力者として他に挙げるとすれば三年十三組の幽屋氷柱くらいか。
彼女は噂話が好きなタイプではないのでそこまでアテにはできないだろうが。
「……壬生狼自治会長、少しお耳に入れておきたいことが」
真希波が目を開いたのを見計らってか、近付いて来たクラスメイトの一人――自治委員会の部下が言う。
「今日のてんびん座の運勢が最悪なことなら知っている。気にしていないから大丈夫だ」
「いえ、真理奈さんのことで……」
挨拶の代わりの冗談をスルーし少女は続けた。
言葉に、真希波の目が再び細められる。
両手でピースをするように人差し指と中指を立て、それを二度三度曲げ伸ばしし、先を促す。
- 411 名前:名も無きAAのようです:2012/12/19(水) 02:15:04 ID:yR1iRErA0
エアクオート――英語圏においてダブルクオーテーションマークで括弧を付ける際のジェスチャー。
この場合のニュアンスは「静かに話せ」。
「……真理奈さんが揉め事に巻き込まれて怪我を負われたそうです。いえ、真理奈さんが発端のことなので『巻き込まれた』というのは変かもしれませんが……」
「…………傷は?」
「軽い打ち身と少し手を擦り剥いた程度だと聞いていますが……」
それ以上の内容を聞くことなく壬生狼真希波は立ち上がり、机の上にあったノートを少女に手渡すと首元を緩めつつ歩き出した。
「『目で見た一人の証人は、耳で聞いた十人の証人より値打ちがある』……少し出て来る。ノートは代わりに提出しておいて欲しい」
「了解しました、壬生狼自治会長」
丁寧に頭を垂れた部下を背後に真希波は教室を出て行く。
襟を緩めるのは全力を注ぐ証。
肩で風を切り淳高の天才の一人は歩いて行く。
席に着き始めた十一組の生徒達は「何処へ行くの」とも「何をしに行くの」とも訊ねなかった。
中高共同自治委員会の長が授業に出ないの時は職務の為か、そうでないならば妹の為かのどちらかだと決まっているからだ。
- 412 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:16:04 ID:yR1iRErA0
- 【―― 4 ――】
詳細を聞いてみれば、他愛もない話だった。
「……壬生狼がアイツ等とぶつかり尻餅をつき、それを無視し立ち去ろうとしたところをオマエが呼び止め口論になった、ね……」
左腕を擦りながら宝ヶ池は溜息を一つ。
体育教官室の一室、椅子に座る彼の前には不慮の事故とはいえ教師を殴った生徒が立っている。
「すいません、宝ヶ池先生。先生が割り込まれた時に手を引き戻そうとしたんですがちょっとだけ間に合わなくて……」
「気にするなよ。掠っただけだ」
「拳を放った俺からすると直撃していた気がするんですが……」
バカヤロー強がりだよホントはモロに当たってたし普通に痛いわ。
色々と言いたいことはあったが、宝ヶ池は口に出さずもう一度「気にするな」とだけ告げた。
どちらにせよ大事には至っていない、少し腫れるくらいのものだろう。
何より、事故だとしても教師を殴ったと伝わるのは良くない。
- 413 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:17:05 ID:yR1iRErA0
咄嗟に身体を割り込ませたのがいけなかったとも言える。
喧嘩沙汰を未然に防げて良かったのはそうなのだが。
宝ヶ池の身体を張った対応で騒動は未然に防がれ、今は生徒から話を聞いていたところだった。
二人組の方も別室で手が空いていた体育教師によって聴取されている。
発端であり、被害者でもある真理奈は教官室の外で保険医から簡単な治療を受けていた。
彼女も怪我と言えないくらいの軽傷だったそうで幸いな限りだ。
むしろ宝ヶ池の方が負傷は大きいくらいだ。
拳を防御しようとして失敗した左腕は今も熱を持ちじっとりと痛む(やはり拳を逸らすことなど無理だった)。
まあ、板書をするのは右手なので大きな問題はないだろう。
「けどオマエ……気持ちは分かるが殴っちゃダメだろ」
「先に喧嘩を売ってきたのは向こうですよ?」
一縷の淀みもない瞳で訴える少年をどう説得したものかと考え、言葉を選ぶ。
「(コイツからすれば、例えは大袈裟だが、恋人が目の前で轢き逃げされかけたみたいなもんなんだろうし)」
- 414 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:18:03 ID:yR1iRErA0
スマートフォンの中にあるリストのことを思い出す。
この生徒の備考欄には「真理奈の騎士」と、そんな風に記されていたのだったか。
初めて見た際には首を傾げたものだったが今ならその意味が分かる気がする。
やがて宝ヶ池は「とにかく次回からは気をつけるように」とだけ言い含めて事情聴取を終わらせた。
説得が困難と判断したこともあったが、それ以上にもう午後の授業が始まってしまっていることが理由としては大きかった。
既に二人組の方は解放されていたらしく鉢合わせすることはなかった。
放課後もう一度来るように言われたのか、それか何か罰が与えられたのかもしれない。
体育教官室の外では、律儀に待っていたのか、壬生狼真理奈が立っていた。
「……宝ヶ池先生、今日は妹と後輩がご迷惑をお掛けしました」
そして何故か彼女の隣には壬生狼真希波がいた。
頭を下げた彼に宝ヶ池は溜息を一つ吐き、少し考え言う。
「迷惑とは思っていないが、それより壬生狼」
「はい」「なんでしょうか」
「妹の方じゃない。壬生狼……ああ、三年生の壬生狼」
- 415 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:19:05 ID:yR1iRErA0
うっかり、という風に苦笑いし目を逸らす壬生狼(妹)。
苗字呼びだとこういう時に困るなと思いつつ、宝ヶ池は言葉を紡ぐ。
「もう授業は始まっているぞ。オマエ、五限はどうした?」
「すみません先生。ですが私達の家には両親がいないので通常保護者に通達されるような連絡事項は自分が聞くようにしているんです」
「別にそれほど大事ではないが……まあ妹の心配をするのは良いことだな。オマエの担任にはオレから伝えておく」
「ありがとうございます」
真希波の礼に続くように真理奈達も頭を下げた。
そうして失礼しますと告げると三人は連れ立って去っていった。
仲睦まじく結構なことだった。
宝ヶ池にも下の兄弟がいるが自分よりも妹や弟の方がしっかりしている気がする。
家が変われば家族の形も変わるということだろうか。
いや、特別に奴が優秀なだけだろう。
教員の目が届かないところで呟く真希波の言葉が想像できる。
「手を出すのは手を出されてからだ――そうすれば正当防衛になる」なんて。
冗談だ、本当に笑い種にもならない想像だった。
- 416 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:20:04 ID:yR1iRErA0
- 【―― 5 ――】
災難だった。
一番災難だったのは宝ヶ池先生だろうけど。
放課後、新聞部の活動を終えた壬生狼真理奈は夕暮れ時の学校を進んでいた。
揉め事があったと言っても、人とぶつかって倒れた程度だ、六限が終わる頃には怪我をしたことさえも忘れかけている。
一方で助けに入った宝ヶ池の左腕はまだ痛んでいると思われるので真理奈としては申し訳ない限りだった。
次からは気をつけようと心に誓う。
真理奈の恋人である彼は悪くないと擁護したものの、真希波の方からは今後はもっと周囲に気を配るようにと注意された。
あの人に比べると普段から抜けている部分があるのは否定できない。
素直に「ごめんなさい」と謝った。
それもこれももう過去のことで前述の通り真理奈はほとんど忘れていた。
「…………あれ?」
その灰色を見つけたのは真理奈がそろそろ帰ろうと一階、下駄箱があるエリアに向かっている途中のことだった。
一度目にすれば二度と忘れることはない荘厳なグレーは以前ならば必ず学園十傑に数えられたあろう、あの男のパーソナルカラー。
逆立てた髪が目立つ後ろ姿。
- 417 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:21:03 ID:yR1iRErA0
陸上部元副キャプテンであり、当時は「この国にいる全ての高校生の中で一番目か二番目に速い」と謳われたスプリンター。
真理奈が見つけたのは百メートル十秒を切ったことさえあるという噂が実しやかに囁かれる、三年理系進学科十二組所属――神宮拙下だった。
「神宮先輩?」
「……フン、マキナの妹か」
振り返りつまらなそうに言った拙下に真理奈はいつものように応える。
「はい。残念ながらただの普通な凡人の壬生狼真理奈です」
「それは凡人相手には良いジョークなのだろうが、俺に対しては皮肉に聞こえるな」
「あー……失礼しました」
「冗談だ。お前が凡人だと言うのならばな。凡人の些細な言葉を一々気に留める俺ではないさ」
走力以外にも一年ほど前に始めた少林寺拳法では半年で全国二位の実力を身につけ。
理系進学科十二組に所属していることからも分かるように頭脳明晰で、模試では偏差値七十を軽く越え。
加えて切れ長の目を始めとし灰色の髪、同じく灰色の瞳と自身に満ちた横顔という風に容姿も凄まじく人目を引く。
- 418 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:22:03 ID:yR1iRErA0
付いた異名が――『天才(オールラウンダー)』。
風紀委員会では彼の上司にあたる、あのハルトシュラー=ハニャーンが「最も完全な『天才』に近い」と表現したことから神宮拙下はそう呼ばれている。
尤も。
今の彼は四角いフレームの眼鏡をかけているので目の鋭さは多少緩和されており。
加えて今の彼は陸上部には所属しておらず、少林寺拳法もやっていない。
神宮拙下は車椅子に乗っていた。
「……そうだ、ミブロマリナ。時間があるのならば少し手を貸せ」
「あー、言葉の割には手を貸して下さいって態度じゃないような……」
「俺に喧嘩を売っているのか」
数十センチ下から凄まれ、真理奈は「冗談です」と笑いオーダーメイドらしき灰色の車椅子のグリップを握る。
学校で貸し出しているレディメイドは天才の彼が乗るには相応しくない。
「で、私は何をすれば良いんですか?」
「フン、車輪が溝に嵌った。まずそれをどうにかしろ。そして時間があれば俺の教室まで付き合うが良い」
- 419 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:23:03 ID:yR1iRErA0
どうして失敗したのに偉そうなのだろう。
付き合うが良い、って。
つくづく人に物を頼む態度じゃないなあと思いつつも真理奈は車椅子後方にあるティッピングレバーを足で踏み、ハンドルを引く。
段差を避け浮いたキャスターを接地させた。
そう言えば車椅子を動かす際は声を掛けないと危ないんだっけと移動させ終わった後に思い出した。
拙下は気にしていないようなので真理奈も気にしないことにする。
「感謝する。これは便利だが、一人では不便なので俺には向かないな」
「あー、キャスターが溝に嵌った程度なら一人でもどうにかなると思いますよ」
「対処法を習った気もするな」
きっとこの人のことだからよく聞いていなかったのだろう。
大怪我をしたところで人は変わらないらしい。
「しかしミブロマリナ。凡人の割に中々良い手際だったな。フン、普通の高校生は車椅子の介助方法など知らないだろうに」
「これくらいのことならば普通、できると思いますけど……」
- 420 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:24:03 ID:yR1iRErA0
料理も、掃除も、洗濯も。
「普通できる」ことならば普通にできるのが壬生狼真理奈という人間だ。
凡人として優秀な彼女をどう思ったのか、天才は鼻で笑う。
「フン、ならば普通にやってもらおうか。俺を三年十二組まで連れて行け」
「分かりました」
今度は事前に了承を得てから車椅子を押し始め、エレベーターホールへと向かう。
淳高では増改築の結果、校内が複雑かつ段差が多くなってしまっているので介助には少しコツがいる。
「この恩は足が治るまでは忘れない。マキナに頼まれていたことは引き受けるとしよう」
「あー……アメフト部の助っ人のことですか?」
壬生狼真希波は中高共同自治委員会の活動と学業に専念する為に帰宅部だが、例外的にマネージャーとして団体競技の作戦立案を担当することがある。
現在手助けしている一つが淳高アメフト部というわけだ。
フットボール系競技の実力――否、身体能力ならば生徒会長高天ヶ原檸檬に勝てる部分はほとんどないが、こと作戦指揮に関しては彼女を凌駕する。
『天使』でも『悪魔』でもなく『人間』である壬生狼真希波が陣頭指揮に秀でるのは人間であってこそだろう。
- 421 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:25:06 ID:yR1iRErA0
紛れもなく天才の一人は惜しげもなく真希波を評価した。
「マキナは味方を指揮し、敵を操作することに人並み外れて秀でている……アメフト風に言うならばランフォースか。俺もそれに関しては劣る」
陳腐な例えだが、この学校で将棋が一番強いのは奴だろうな、と拙下は呟いた。
妹である真理奈が知る限りでは真希波はお遊び程度にしか将棋を嗜まないが、きっと強いのだろう。
況や駒などではなく人を操作する物事では誰よりも。
「……随分とあっさり負けを認めるんですね」
「いけないか?」
「いえ、意外だなと」
拙下は言った。
「天才が目立ちたがり屋でなんでも一番でなければ気が済まない完璧主義者だというのは造られたイメージだ。天才の俺が言うのだから間違いはない」
- 422 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:26:05 ID:yR1iRErA0
少なくとも傲慢であるところは正しいみたいだと真理奈は思ったが、口には出さない。
余計なことを言わないのが彼女の生き方だ。
「そもそも俺は他人のことを考えるなどごめんだ。奴がどれほど凄かろうと俺はこう言う――『そうか、俺はそんなことはやりたくない』と」
常に自分のことだけを思い考える。
「拙下」という名前通りに。
天才は敵に勝つことを望まない――彼にとって敵に勝つことは当たり前だからだ。
昨日の自分に勝つことこそが常に掲げる彼の目標なのだ。
「……フン。それに、俺は勝負事で考える必要はないからな」
「どうしてですか?」
「『考えて勝つ』ということは『考えなければ勝てない』ということ。考えずに勝てる人間は考える必要がない。つまり俺は考える必要がない」
拙下がアメフトをするとして、真希波が出す指令は「適当に走れ」という一言に尽きるだろう。
真希波は彼以外の部員を協力させ、天才である彼を活かすか、そうでなければ囮に使う――つまり神宮拙下が考えることはない。
- 423 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:27:02 ID:yR1iRErA0
臨界に達した強さとはそういうものなのだ。
「走る時は分かりますが試合の時もそうなんですか?」
「試合? 少林寺拳法には試合はない。他の武道での試合に相当するのは運用法というものだな」
彼の学んでいた少林寺拳法では演舞と運用法というものがあり、大会や昇段試験ではこの二つが行われている。
前者は他武道における型稽古に相当し、そして彼の得意とする後者は他武道における試合(あるいは乱取り)に位置するものだ。
護身術程度しか学んだことのない真理奈は少し考え、言った。
「あー……すみません、よく分かりません」
「フン。ごく簡単に言えば攻守が決まった試合だ。攻守を決め一分、交代し一分。そして質問の答えは『無論、試合の際も考えていない』だ」
「考えずに勝てるものなんですか?」
「大抵の相手には勝てる」
だからこそ――複数の大会で好成績を残し、全国大会においても二位の成績を残せた。
- 424 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:28:02 ID:yR1iRErA0
神宮拙下が敗北したのはその大会での一度のみ。
もう少林寺拳法を続ける予定はないので最初で最後の黒星になるだろう。
続けて、彼は言う。
「アレはお行儀が良過ぎて俺には向いていなかった。次に何かやるとすればキックボクシングだろうな、勝敗が分かりやすい」
「あー……なんだか分かりませんが、頑張って下さい」
と。
彼女がそう返した――その時。
廊下の先、眼前に大柄な男子生徒が二人立ち塞がった。
「…………あー」
角を曲がって現れた二人組を一目見て、真理奈はバツが悪そうに目を逸らす。
最早忘却の彼方にあった昼休みの出来事を一瞬で思い出す。
眼の前にいるのは自分とぶつかり、下級生に喧嘩を吹っ掛けられ、その上に教師に厳重注意を受けた不良生徒達だった。
- 425 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:29:10 ID:yR1iRErA0
何も知らない拙下は真理奈を見上げ訊いた。
「アレはお前の敵か? ミブロマリナ」
「あー……。元々はあの人を快く思わない人達だったらしいですが、色々とあって私にも敵意を抱くようになった感じ……ですかね」
今日の昼休みの事件で忘れてはならないことは「彼女は壬生狼真希波の妹であった」ということだ。
目の前の生徒達は相手が真希波の妹であるからこそ謝りたくなかったという事情もある。
真理奈にとって真希波は自慢ではないにせよ、良い家族で。
淳高の大多数の人間にとっても優秀な委員長だが。
しかしながら、それは壬生狼真希波に敵がいないということとイコールではない。
この二人組のように優秀な真希波を快く思わない人間は、多少はいるのだ。
「……つまりお前は悪くないのか?」
問いかけにどう答えようか悩む。
昼休みの出来事は自分の不注意が原因の一つでもあり、そう考えると一方的に相手が悪いとも言えず。
悩んだ末に真理奈は答えた――「私も悪かったと思います」と。
- 427 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:30:03 ID:yR1iRErA0
その回答に満足したのか、天才は嗤う。
それは視界に映る全ての者を見下しているかのような笑み。
「おい、お前達。ミブロマリナもこう言っていることだ、許せ。既にミブロマリナはお前達のことを許している」
妙な気は起こすなよと。
報復なんて止めてしまえと。
口先だけは和解を望む言葉を謳う。
対し、その二人組はそれぞれに馬鹿らしいと笑い、邪魔するならお前も纏めてだと脅す。
そうして「怪我を負ったテメーなんて怖くもねえんだよ」と挑発する。
そこで――再度、天才は満足そうに笑みを浮かべた。
「……フン、それでこそだ。こうでなくてはな」
「あー……あの、先輩。自分が怪我していること忘れてませんか?」
車椅子のグリップを握ったままの真理奈の言葉にも笑って拙下は応じる。
- 428 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:31:03 ID:yR1iRErA0
「凡人共、良いことを教えてやろう。まず一つ目に俺が車椅子に乗っているのは歩けないから――ではない」
ただ早く怪我を治す為だ、と。
アキレス腱が千切れた右足を庇うように左足一本で彼は立ち上がる。
「二つ目に。俺は風紀委員を止めた覚えはない。つまり、校内の揉め事の処理は俺の仕事だ」
ダラリと下げていた両腕を挙げゆったりとしたファイティングポーズを取る。
その構えは拳法というよりはボクシングのようで、格闘技というよりは単に挑発する為に構えたかのような極めていい加減なもの。
それでいて身体のどの部位にも余計な力が入っていない一流の臨戦態勢。
最後に、と前置いて、天才は続けた。
「三つ目に俺は拳法を辞めたので、力愛不二だの不殺活人だのご立派な教義を重要視する必要はなく――いつでも好き勝手に人と死合うことができる」
そして戦闘が始まった。
- 429 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:32:03 ID:yR1iRErA0
- 【―― 6 ――】
真希波からは神宮拙下という天才のことを聞いていた。
例えば、彼が精神論や努力主義者がとても嫌いなことであったり。
例えば、彼は返事を適当に返すことが多いので一部生徒は彼を「新宮寺切」という名前だと思っていることだったり(それ故たまに「新宮さん」と呼ばれている)。
例えば、彼の友人と言える友人は同じ風紀委員の鞍馬兼と天神川大地くらいであることだったり。
例えば、彼に弱点らしい弱点がないことであったり。
傍若無人で唯我独尊、その癖に試合場では威風堂々と謹厳実直に振る舞えるスポーツマンの一面を持つ。
女嫌いで、人を見下し、友人が少なく、教師の中にも彼を快く思わない人間は多くいる。
天才で美少年で良家の生まれで聡明で強い――端的に言えば「性格以外は文句の付けようのない完璧な人間」。
彼はそういう人間だと真希波からは聞いていた。
だから真里奈は神宮拙下のことを理解したような気でいた。
―――だが。
「………………ああ、」
そんな理解ではまるで足りなかったのだとこの瞬間、彼女は気が付いた。
天才たる彼の強さは目にしなければ理解することができない。
- 430 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:33:03 ID:yR1iRErA0
否。
それを目にし、それは目では捉えられないことを知って――初めて『天才』の天才たる所以は理解できるのだ。
彼のもう一つの二つ名『電光石火』の意味を。
「…………神宮先輩。あなたは、本当に強いんですね」
「フン。今頃俺の強さが理解できたか」
一瞬だった。
瞬きの間だった。
先に攻撃を仕掛けたのは二人組の方だった。
そして次の瞬間には。
二人は廊下に倒れ伏していた。
理解できないほど強いということが――理解できた。
「目の当たりにしました。あー……見えなかったのに『目の当たりにした』って言い方もおかしいですけど」
「なんだ、見えなかったのか。まあいい。見えない程度には速いと理解できただろう」
- 431 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:34:08 ID:yR1iRErA0
車椅子に座り、三年十二組に向かうように指示し拙下は言う。
「淳高で『最強』と言えばタカマガハラかハルトシュラー辺りがよく挙げられるが、それは俺がいなければの話だ」
奴等も女にしては中々やると思うがな、と続ける。
常に他人を見下しているような彼は特に女というものを嫌い蔑んでいる。
弱く、愚かで劣る存在――だと。
例外として高天ヶ原檸檬とハルトシュラー=ハニャーンのことは認めているものの。
しかし神宮拙下は数少ないその二人に黒星を付けた存在である。
「春先に行われた球技大会のことは覚えているか?」
「あー、はい。オージータグフットボールの話ですよね」
「そうだ。俺は奴等に勝利した」
身体の接触を排し、代わりにタグを使うフットボールで檸檬とハルトシュラーのチームに勝利した。
チームとしてだけではなく個人としてでも優っていたと言える結果を残した。
- 432 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:35:45 ID:yR1iRErA0
タックルをする必要がなくタグを取れば良いだけ――つまり追い付けば良いだけなので、淳高の誰よりも速く動ける拙下が勝利することは当然と言えば当然。
だがそれでも当時は結構な衝撃を生んだものだった。
あの天使と悪魔に追い付き、また突き放せる存在がいるのだと。
百メートルで十秒を切るタイムを出したというのは少し誇張があるが『電光石火』という二つ名に偽りはない。
四十ヤードを四秒二で走り抜ける彼は天使と悪魔に勝る神の脚を持っている。
……その時は、持っていたのだ。
「『最速』な俺は同時に『最強』だ。タカマガハラは『アメフトなら負けない』と言っていたが、俺はどの競技でも負けるつもりはない」
「…………神宮先輩」
機嫌良く饒舌に語る先輩に対し真里奈は車椅子を押しながら訊ねる。
今日出会った時から気になっていたことを。
「俺の脚が治るかどうかが気になるのか? フン、治るに決まっているだろう。冬までには治るだろうさ」
「いえ、そうではなく――治った脚は前と同じように動くんですか?」
「…………」
- 433 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:36:51 ID:yR1iRErA0
歩けるようにはなるだろう。
いや、歩くだけならアキレス腱が切れていたとしてもできるので「ちゃんと動くようになる」という言い方が正しいか。
なんなら今すぐ手術し腱を繋ぎ合わせれば動くようにはなる。
だから、気になっているのはそうではなく――「前と同じように動くようになるのか」ということだった。
あの何もかもを背後に置き去りにする光速の脚が戻ってくるのかと。
「……全く同じようにはいかないだろうな」
窓の先に景色を見つめて呟く。
夕日に紅く染まる世界。
「運良く完璧に治ったとしても衰えた筋肉や乱れた感覚を研ぎ澄ますのには時間がかかるだろう」
本来ならば、今日という日だって――彼は練習していたはずで。
「簡単に元通りにはならないってわけですね……」
「どうしてお前が悲しそうな顔をする。それに、どうせ俺のことだ、冬までには元以上の速さで走れるようになっている」
- 434 名前:断章投下中。:2012/12/19(水) 02:37:56 ID:yR1iRErA0
笑いながら天才は言った。
見ている真里奈にとってはその横顔が何よりも悲しかった。
だって、「冬までには治る」ということは。
「冬までは治らない」ということで。
三年生である彼に対し――それはあまりにも酷な。
最後だったのに。
「ただ、まあ――高校で十秒の壁を破るという目標は果たせそうにないな……」
高校最後の大会に出ることは叶わない。
彼の陸上は終わりを告げた。
才能があるからこそ見れた夢。
才能がなければ見ずに済んだ夢。
夢を持たない真里奈には不慮の事故で夢破れた天才の心境は想像もできない。
想像もできず、ただ、悲しかった。
- 443 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:23:29 ID:qW4PRkBc0
- 【―― 7 ――】
少年は淳高の正門前に一人、ぼんやりと立っていた。
夜の世界は既にすぐ近くまで訪れており、熱心に部活に励んでいた生徒達も一人また一人と学び舎を後にする。
徒歩と自転車の割合は六対四程度、あの道路の向こう側に停車している左ハンドルでグレーの車は誰かの迎えだろうか。
それらの例に漏れず彼も空手道部の部活動を終えて帰路につくところだった。
いや「普段ならば帰路につくところだった」と言うのが正しいか。
彼――日ノ岡亜紗は人を待っていた。
友達ではなく、恋人を。
「……はあ」
恋人である壬生狼真里奈とは昼休みこそ毎日のように会うが、登下校で一緒になることはほとんどなかった。
夕方は新聞部(または図書委員会)と空手道部の活動が終わる時間が違う為に困難。
一応、非常勤のマネージャーでもある彼女が空手道部に手伝いに来た時のみは二人で帰宅している。
そして朝は――真里奈は家族である真希波と登校する。
これが二人の日常だった。
なので今日、今現在のように一緒に帰る為に彼女を待つ状況というのは彼にとってかなり稀なものだった。
- 444 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:24:12 ID:qW4PRkBc0
嬉しくない、と言えば嘘になる。
ただ違和感を感じるのも確かだった。
部活終わりに突然送られてきたメール。
そこに書かれていたのは「今日は一緒に帰る、校門で待ってて」という一文。
これだけ見ると味気ないものの不自然ではないのだが、そもそも壬生狼真里奈はどんな媒体でも句点を欠かさない人間だ。
このメールはあまりにも彼女らしくない。
返信し、確認を取ろうと電話をかけたが繋がらず。
不自然でも無視するわけにはいかないのでこうして黙って待っている。
「(予測は……できてるんだけどな……)」
きっとあのメールは別の誰かが送ったのだろう。
真里奈は気付いていないか、気付いても問題ない内容だと判断した為に訂正をしなかった。
そう考えるのが妥当だ。
だから問題は、その別の誰かが誰なのかということ。
そのように彼が考え始め暫く経った頃、壬生狼真里奈が現れた。
いつものようなツインテールのような黒髪、いつものような注目しなければ気付かない可愛さ、いつものような何を考えているのか分からない曖昧な笑み。
- 445 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:25:24 ID:qW4PRkBc0
そして、いつもとは違う――彼女の前にある車椅子。
真里奈は灰色の車椅子を押していた。
そこに座っているのは淳高の誰よりも傲慢で誰よりも高慢な天才、神宮拙下。
校門近くまで介助された拙下は真里奈に短く礼を述べると、今度は自分で車椅子を動かし校門の方へとやって来る。
そうして彼は声をかけようか迷う亜紗を素通りして横断歩道を渡って灰色の外車へと乗り込んでいく。
スモークガラスの向こう側は杳として知れない。
結局一度もこちらを見なかった相手の姿を思い浮かべながら亜紗は静かに走り出した車を見送った。
「……あー、アサピーさん?」
「…………あ、ああ。お疲れ様、真里奈」
すぐ隣に来た真里奈の呼びかけに日ノ岡亜紗――「アサピー」と呼ばれる少年は振り返り、ふわりと微笑む。
何もかもを押し込めた微笑は彼の得意とするものだった。
「あー、何から説明すれば良いのか分からないけど……」
「分かってるよ。当たり前だろ。分かってるから、大丈夫」
「そう?」
- 446 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:26:42 ID:qW4PRkBc0
真里奈は放課後に偶然あの天才と会い、「車椅子を押せ」と命じられたから従った。
あのメールは拙下が勝手に打ち送信したものだった。
そういう風にアサピーは理解した。
「それじゃあ、帰ろうか」
制服の胸ポケットに引っ掛けていたスクウェア型の眼鏡をかけ、少年は言った。
同意し歩き出した真里奈に「……そうだ」と思い出した風を装って訊く。
「アイツは俺のこと何か言っていた?」
「あー、いや……何も」
きっと嘘だ。
考えるまでもなく気が付いた。
けれどアサピーはそれ以上訊ねることはなかった。
夜の帳が下り始めた通学路を二人はゆっくりと歩いて行く。
二人の関係性はいつも通りだった。
- 447 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:28:13 ID:qW4PRkBc0
- 【―― X ――】
―――「クラマ・トモ」 ガ ログイン シテイマス.
.
- 448 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:29:18 ID:qW4PRkBc0
- 【―― 8 ――】
日本刀を評価する定型句に「折れず曲がらず良く斬れる」というものがあるが、それの拳銃版――「壊れずジャムらず良く当たる」に相応しいのがMK23だ。
堅牢なボディと高い命中精度、豊富な装弾数を誇るこの自動拳銃には少なからず不平不満もあるものの、それでも彼女はこのハンドガンが好きだった。
何よりもサプレッサーが装備できるのが良い。
精度も高いので物陰から発砲し一撃離脱ということも可能だ。
狙撃銃は高性能だが専門性が高過ぎる。
軍服のような格好をしたスレンダーな少女、「トソン」こと都村藤村は学校の一室で減音器を装着していた。
当然現実世界ではなく『空想空間』での淳高だ。
流石の彼女も現実で人を射殺する予定は今のところない。
一生ないことを願いたいですとイシダと呼ばれる部下の少女などは言うが将来のことは分からない。
〈::゚−゚〉「ただいま戻りました」
(-、-トソン「ご苦労様なので」
件のイシダ、女性でありながら百八十を超える身長を持つガタイの良い彼女は今日も変わらず短髪をワックスで固めている。
頬の火傷痕も着崩した制服もそのまま、揃いのイヤーフック型のインターカムも同じく。
それもその筈で、『空想空間』では基本的に初めてログインした時のまま姿形は変わらないのだ。
- 449 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:30:10 ID:qW4PRkBc0
なのでトソンの方も以前ログインした時と全く同じ、無駄なものが一つもない完璧に近い容姿だった。
髪型だけは頭頂部で一纏めにしただけなので解けば変更できるものの……わざわざ変えることはないだろう。
フィクションの世界では、戦う人間であっても長髪の女キャラクターが多いが、実際問題戦場において髪が長いことで得をする場面はない。
あるのかもしれないがトソンは寡聞にして知らなかった。
単純に「火が引火したらどうするのだろう」と心配になるだけだ。
どうでも良い思考を打ち切り、トソンは訊く。
(゚、゚トソン「彼には『マキナ様のご指示』と伝えましたか?」
〈::゚−゚〉「問題なく。話を聞いて納得されたようでした……しかし、」
(-、-トソン「なんでしょうか」
冷たい黒の瞳を見つめてイシダは問い返す。
〈::゚−゚〉「仲間が多い方が有利なのは分かりますが、彼を引き入れるのはリスクが大きいのではないかと考えます。どう思われますか」
(゚、゚トソン「そうですね。概ね同意したいので」
- 451 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:31:10 ID:qW4PRkBc0
言葉に頷き。
そして平然とトソンは続けた。
(゚、゚トソン「ですので――彼を仲間に引き入れるというのは嘘です」
〈;:゚−゚〉「は……?」
なんだ、それは。
説明された作戦とは全然違うじゃないか。
遂に私にも裏切られる時が来たのか――なんて。
諸々の思考が頭の中を走馬燈の如く駆け巡りイシダの動きは止まった。
時が止まったような状態の(息を呑み、呼吸すら忘れている)彼女を見かねたのか、トソンは言った。
(-、-トソン「落ち着きなさい、イシダ。敵を騙すにはまず味方からと言うでしょう。あくまでも敵を騙す為に味方を騙したに過ぎないので」
〈;:゚−゚〉「は……いや、あの……」
(゚、゚トソン「理解しましたか?」
- 452 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:32:10 ID:qW4PRkBc0
ぎこちなく頷く部下を見、満足そうにトソンは頷く。
そうしてから一切顔色を変えないまま、宛ら暗示をかけるかのように優しくゆったりとした口調で、こう言う。
(-、-トソン「忘れないで下さい。私があなたを裏切ることなどありえません。あなたは私の腹心、掛け替えのない存在です―――」
耳元に口を寄せ。
まるで心地良い眠りへと誘うように。
深く、深く。
あるいは泥沼へと引き込むように。
捉え絡め捕まえる―――。
(゚、゚トソン「…………お分かり頂けましたか?」
〈:: −〉「……分かり、ました……」
(-、-トソン「それは重畳」
未だ緊張したままのイシダに対し、トソンは彼女の首に手を回し引き寄せると、軽く口付けた。
色気のない薄い桃色の唇に、そっと自らのそれを重ねた。
- 453 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:33:12 ID:qW4PRkBc0
今度こそ、イシダの時間は止まった。
次いで途端に動き出す。
先ほど以上に身体中に力が入り頬は紅潮し心臓は早鐘のよう。
自分は誰に何をされたのか――認識が追い付いたと同時に力が抜け膝から崩れ落ちる。
とても、立っていられなかった。
〈://−/〉「は、う……あ……?」
(-、-トソン「……結婚式で何故新郎と新婦はキスをするのかご存知ですか?」
彼女を支えたのは、頭一つ分ほど小柄な上司。
心から慕う相手に抱き留められながら痺れるような優しい言葉を聞く。
(、 トソン「『愛を見せ付ける為』――などではありません。あの口付けは誓いの言葉を封印する為のものです。今のキスも、同じ意味合いです」
裏切ることなどない。
掛け替えのない存在。
その二つを誓う為の口付け。
- 454 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:34:13 ID:qW4PRkBc0
けれど、理屈などどうでも良かった。
「あの人が私に口付けてくれた」――それだけが少女にとって重要だった。
例え目の前の相手の優しさが次の瞬間には消え失せたとしても、それは何にも代え難いものだった。
(-、-トソン「―――では話を戻しましょう。事前に説明した彼を仲間に引き入れるという作戦は嘘、あるいは方便です」
〈;:゚−゚〉「はあ……」
イシダを放し、何事もなかったの如く淡々と話し出すトソン。
自分だけが浮かれているのも無様なのでイシダも気を引き締め直し耳を傾ける。
(゚、゚トソン「仲間にするなど、とんでもない。彼の能力は強力ですが危険なものなので。……彼にも麦の一粒になってもらうことにします」
〈::゚−゚〉「……理解しました。先ほどは取り乱し、申し訳ありませんでした」
(-、-トソン「構いません。…………帰ってきたら続きをしましょうか?」
部下が言葉を紡ぐ前に「冗談です」とトソンは告げた。
- 455 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:35:12 ID:qW4PRkBc0
- 【―― 9 ――】
この国で『エルシール』という名を知らぬ者はいない。
そう言い切れるほど、エルシールの名はVIP国において意味のあるものだった。
あの『王子』ツーヴァイクル=∨=エルシールの名を引くまでもなく、立憲君主国家であるVIP国で皇帝の血筋を知らない者はいないはずだ。
皇族であるVIP氏族の中でも最も有力な家系――それがエルシール家である。
背景を詳しく知らない人間は「王様の親族の家の姓」とでも捉えておけば良いだろう。
重要なのはそれなりに意味ある姓である、ということだ。
その意味ある姓を背負う人間達の一人――ハロー=エルシールは仄蒼い空の下を進んでいた。
ハハ ロ -ロ)ハ「フン、いつ来てもふざけた世界だな」
皇位継承権がある意味の∨の字さえ持たないものの彼がやんごとなき家柄の生まれであることは間違いがない。
荘厳な灰色の髪は現皇帝と同じ色合い、顔立ちもよく似ていた。
尤も「ツーヴァイクル=∨=エルシールと似ている」などと言われることが嫌でハローは眼鏡をかけているのだが。
アイツと似ているということは俺が中性的な女顔ということかと常々不満に感じるくらいだ。
恐れ多い発言だが、例え相手が絶対敬語を使うような人間であっても所詮ハローにとっては親戚の兄さんに過ぎないのである。
同じくエルシールの姓も彼にとっては大した意味もないものだった。
しいて言うならば「それが理由で『神宮拙下』という通称を名乗らなければならないのは面倒だ」程度か。
様々な経緯はあるが彼はどうでも良かった。
- 456 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:36:19 ID:qW4PRkBc0
( ・ω・)「そうかな。僕は好きだけど」
ハハ ロ -ロ)ハ「フン、それはお前が厨二病だからだろう」
今、彼の隣を歩くのは『大佐(カーネル)』とも呼ばれる一年文系進学科の鞍馬兼。
傍から見れば皇族の末席が名誉大佐の息子と歩いている状態ということになる。
二人は現実世界と寸分違わぬ容姿をしており、この光景も少し前までは現実の淳高でよく見られたものだった。
どちらも風紀委員だという事情も関係するが理由としてはそれ以上にこの二人が友人同士であるということが大きい。
「親友」と呼ぶには大袈裟だが「仲間」と呼ぶにはちょうど良い、そんな関係だった。
事実、『空想空間』ではハローと兼は同じナビゲーターに招致された仲間だ。
ハハ ロ -ロ)ハ「しかし俺の記憶が正しければ俺達は三人組のチームだったはずだがな。ハチはどうした」
( ・ω・)「はっちゃんなら後で来るらしいんだから」
ハハ ロ -ロ)ハ「いつものことながら奴は自由人だな」
言ってハローは愉快そうに笑う。
一人欠けてはいるものの、ヌルが選んだ三人組は今日も健在だ。
- 457 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:37:16 ID:qW4PRkBc0
鞍馬兼はM-65フィールドジャケットを中心としたサープラスファッション。
不自然な焦げ茶色の髪は今日も変わらず、いつも通り腰には長細い軍用懐中電灯を提げている。
対しハローの方は白のタンクトップに灰色のジャージを羽織り、下半身は同じく灰のウインドパンツという出で立ちだった。
灰色のファッションの中のアクセントなのか両腕にあるリストバンドだけは黒い。
ここが現実の路上ならばジョギング帰りの高校生に見えたことだろう。
あるいはここ『空想空間』でもそうとしか見えない――とても戦う姿には思えないが、これこそが彼の正装だ。
と。
リハ*^ー^リ「―――やあ、」
二人が歩く先、前方三メートル強の地点に唐突に少女が現れた。
暗い茶髪をしたカジュアルな服装の彼女は鞍馬兼の協力者である『汎神論(ユビキタス)』こと洛西口零だった。
何処にでも存在し、かつ、何処にも存在しない。
気配も予兆も何もなく、ただ只管に突然に消え失せ現れる――零が自身の二つ名と同じ名『汎神論(ユビキタス)』と呼ぶ能力。
それを用いて今日も唐突に彼女は登場した。
- 458 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:38:17 ID:qW4PRkBc0
恐らく零は兼達を驚かそうとしたのだろう。
「やあやあ諸君久方振りだね驚いたかい?」なんて言って笑うつもりだった。
だが、その悪戯心には天罰が下った。
あるいは――必然の結末が訪れた。
ハハ -)ハ「ッ―――!!」
現れた瞬間に地を蹴った。
爆発的な加速に取り残されるようにジャージは落ちる。
零が「やあ」まで発した時点でハローは三メートル以上あった間合いを零にした。
それはジャージが地面に着くよりも速く。
咄嗟の判断で能力を再度発動させ、そこから更に十メートル後退する零。
拳の有効範囲からも蹴りの射程距離からも抜け出した通常の戦闘ならば仕切り直しになる間合い。
しかしそれでは全く足りない。
彼の前ではそんな距離などないに等しい。
『汎神論(ユビキタス)』で時間差なしに移動できることが仇になった――ハローはトップスピードを保ったままで足を踏み込んだ。
- 459 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:39:14 ID:qW4PRkBc0
そうして繰り出されるのは最速にして必殺の一撃。
弾丸の如き正拳上段順突き。
それは――零の眼前、鼻先一センチの地点でピタリと静止した。
リハ;゚−゚リ「ひっ……!」
ハハ ロ -ロ)ハ「……久方振りだなラクサイグチレイ。フン、これに懲りたならば俺より速く動けるなどという勘違いはしないことだな」
へたり込んだ少女に背を向け、ハローは落ちたジャージを拾いに戻る。
行き違いのようにやってきた兼は零の前にしゃがみ込むと優しく肩を掴み声をかけた。
( ・ω・)「大丈夫ですか?」
リハ*うー;リ「だっ……大丈夫なわけあるか!!死んだかと思った! 漏らしそうだったよ!!」
( −ω−)「女性がそんなこと言っちゃ駄目なんだから。あと、声は抑えて下さい」
両目に溜まった涙を親指で払い、落ち着いて下さいと告げる。
どうやら冗談ではなく本当に怖かったようでその小さな身体は少し震えている。
兼は黙って背中に手を回し、とんとんと子供をあやすように何度か叩く。
- 460 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:40:20 ID:qW4PRkBc0
それでも十秒もすれば回復したのは流石と言うべきか。
性悪な洛西口零のキャラを作り直した零は立ち上がると兼に訊いた。
リハ*-ー-リ「全く……どういうことかな? 貴兄からは『神宮拙下は相手に攻撃を仕掛けられてからしか動かない』と聞いていたが」
( ・ω・)「その通りです。ハローさん――神宮拙下は必ず相手に先手を譲る」
神宮拙下ことハロー=エルシール。
『天才』である彼はまるでハンデと言わんばかりに敵が仕掛けてからしか動かない。
それでいて必ず相手を仕留めるのである。
相手より遅く動こうとも相手より速く打撃を与える―――。
光よりも速く動けるものは存在しない、後手であっても先んじ届く――故に『電光石火』なのだ。
( −ω−)「僕は後の先の天才とだと思います。本人は『五の閃』なんて言っていますが……」
リハ*゚ー゚リ「だとしたら、どうして私は殴られかけたんだい? 私は驚かしこそしたが攻撃なんてしていないぞ?」
( ・ω・)「殴られかけたのではなく寸止めです」
リハ*-ー-リ「どっちだって変わらないだろう」
- 461 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:41:20 ID:qW4PRkBc0
( ・ω・)「いえ全く違います――ハローさんは『攻撃を仕掛けて止めた』のではなく『寸止めを行った』だけなんだから」
つまり、最初から当てる気などなかったのだ。
単純に驚かせようとした洛西口零に対して驚かせ返しただけ。
先を譲って――後から驚かせた。
ジャージを回収し肩にかけて戻ってきたハローは逆立つようなオールバックの髪を直しつつ、言う。
ハハ ロ -ロ)ハ「そういうことだ。いけないか?」
リハ#゚ー゚リ「いけないに決まっているだろう!!」
ハハ ロ -ロ)ハ「フン、これだから女は……。お前に良いことを教えてやろう、ラクサイグチレイ」
そうして腕を組み彼は零を見つめる。
見下すような視線を向ける。
ハハ ロ -ロ)ハ「まず一つ目に、俺は女が嫌いだ。二つ目にのろまな奴が嫌いだ。そして三つ目に精神を乱されることが嫌いだ」
- 462 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:42:16 ID:qW4PRkBc0
要するに、と前置き天才は続けた。
ハハ ロ -ロ)ハ「俺は俺を驚かそうとしたのろまな女――つまりラクサイグチレイ、お前が嫌いだ」
リハ* ーリ「…………童貞の癖に」
まだ本調子ではないのか、いつものような煙に巻く話術ではなく不貞腐れたように悪口を呟く零。
しかしそれを聞き逃すようなハローではない。
ハハ ロ -ロ)ハ「フン、たとえ俺が童貞だったとしても処女に何か言われる筋合いはないな」
リハ#゚ー゚リ「セクハラで訴えられたいようだね……!」
ハハ ロ -ロ)ハ「好きにすれば良い。そんな貧弱な脚に無駄な肉の塊を二つも抱え、さて裁判所にはいつ辿り着くかな?」
( −ω−)「落ち着いて下さい、二人共。小学生じゃないんだから」
次いで、沈黙。
兼が二人の間に割って入った後も暫く両者は睨み合っていたが、やがて多少は冷静さを取り戻したのか、もうそれ以上何かを言うことはなかった。
現実世界では零は二年で、ハローは三年でトップクラスの成績を有する明晰な二人なだけに客観的に見れば非常に情けない光景だった。
- 463 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:43:14 ID:qW4PRkBc0
……まあ。
「凡人の言うことなど一々気にしない」と明言しているハローが怒るということは、彼は零のことを自分と同じ天才だと認めていることでもあるし。
零の方にしても、素に近いキャラクターを出して対応するということはハローを近しい存在だと考えているということでもある。
もしかすると単に両者共が精神的に未熟という可能性もあるが、それについては兼は考えないことにした。
考えたくなかった。
ハハ ロ -ロ)ハ「それで今日はなんの用だ、ラクサイグチレイ」
リハ*-ー-リ「……この少し先、武道場近くに誰かがいる」
ハハ ロ -ロ)ハ「どの武道場だ」
淳高には一口に「武道場」と言っても幾つかの種類がある。
格技場、剣道場、あるいは幽屋氷柱専用の空間である総合武道場か。
零は答えた。
リハ*゚ー゚リ「オーソドックスな格技場だよ。柔道部が練習している場所だね、言うまでもないことかな?」
( ・ω・)「それを知らせにわざわざ?」
- 464 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:44:12 ID:qW4PRkBc0
リハ*-ー-リ「無論勿論違う。うっかりとその相手に姿を見られてしまってね……。困っていたところなんだ」
ハハ ロ -ロ)ハ「フン、何を馬鹿な」
考えを見透かしたのかハローは鼻で笑った。
馬鹿にしているというよりは、むしろ得心したように。
ハハ ロ -ロ)ハ「さっき騒いでいたのはわざとだろう? 物音を立てることでこちらに敵を誘導し、俺達が戦っている内に自分は逃げる――そういう腹積もりか」
突然に現れ驚かそうとしたのも。
焦り叫んだのも。
らしくない罵り合いも。
全てが――計算の内。
敵の対処を押し付ける為の作戦だった。
リハ*^ー^リ「流石に鋭いねえ、『天才(オールラウンダー)』は。流石ついでに対処をお任せして良いかな?」
ハハ ロ -ロ)ハ「図々しい奴だ……。だが俺も動き足りなかったところだ、お前を助けてやろう」
- 465 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:45:16 ID:qW4PRkBc0
勝手に納得し意思疎通し結論を出したハローの前に兼は立ち塞がった。
こうして進行方向を遮らなければ最速である彼が走り出した際に止めようがないのだ。
( ・ω・)「ちょっと待ってよ」
ハハ ロ -ロ)ハ「待たない。トモ、お前はラクサイグチレイを連れて何処かに行っておけ。すぐに戻る」
( −ω−)「いやだからね……。はあ……もう、ご自由に」
色々と言いたいことがあった。
あるいは言うべきことが。
だが話を聞くつもりがないことを悟り、兼は大人しく道を譲った。
常々他人の話を聞かない傾向があるハローだが、こういう場合はそれとは別次元に話を聞かない。
自分本位な天才を止めるのは友人である鞍馬兼でも至難の業だった。
人生は諦めが肝心だ。
適当な言い訳を頭の中で作り出して兼は友人を見送った。
心配だが恐らく大丈夫だろう。
現実世界ではいさ知らず――夢の中の異世界では、彼は未だ最速であり最強なのだから。
- 466 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:46:15 ID:qW4PRkBc0
- 【―― 10 ――】
姿を見失ってからは音を追いかけた。
敵の能力は高速移動か瞬間移動、普通に追ったのではまず逃げられる。
だが彼――日ノ岡亜紗にも能力はある。
(-@∀@)「…………」
神経を研ぎ澄ます。
目を閉じる。
しかし一方で周囲の警戒だけは怠らないように。
遠くで誰かが口論するような声が聞こえたが、あれが先ほどの彼女だろうか。
それとも罠か。
こんな異世界であっても不思議とアサピーは冷静だった。
妙な高揚感もなければ焦躁感もない。
いつも通りの自分自身。
だが成績こそ良いが普段の自分は特に頭が切れる方ではないのだ。
- 467 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:47:12 ID:qW4PRkBc0
むしろ、恋人である真里奈の方が明晰なんじゃないか。
そんなことを考え、湧き出てきた劣等感と思い浮かんだ彼女の姿を打ち消した。
その二つは同時にあってはいけないもの。
前者を捨てて後者を手に入れた。
(-@∀@)「俺は、天才だ」
彼女に憧れていただけの頃とは違う。
物陰から見つめ続けた時期はもう終わったのだから。
分かってる。
分かってる。
……分かってる?
無意識に握り締めていた小さなPHSを制服のポケットにねじ込んだ。
(;-@∀@)「…………来たな。いや、でも……そうか」
上手い具合に思考を中断してくれるタイミングで彼は現れた。
事前に察知していたアサピーは一瞬戸惑ったもののすぐに上着を脱ぎ投げ捨て、真っ直ぐ向き直った。
- 468 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:48:25 ID:qW4PRkBc0
視線の先には一人の男がいる。
白いタンクトップにグレーのウインドブレーカーパンツ。
右手には灰色のジャージを掴んでおり、両手首には黒いリストバンド。
靴はオーダーメイドのランニングシューズ。
僅かに覗く肉体は羚羊のように――いや、獲物を狩る肉食獣のように引き締まっている。
荘厳の灰の髪は切り裂く風をイメージするように後ろに流され。
レンズの向こうの目は切れ長、瞳は敵を見据え、不敵な光が宿っている。
少し低めの身長。
中性的な顔立ち。
威圧感には無縁の要素ばかりのはずなのに、彼は異常なまでに周囲を圧迫する。
見下げ――見下している。
ハハ ロ -ロ)ハ「……フン、どうした凡人? こんなところで甲斐甲斐しくも自主練習か?」
決して先手を取らず、必ず正面から敵を討ち、それ故に閃光の如く美しい。
人呼んで『天才(オールラウンダー)』こと――ハロー=エルシールが、そこにいた。
- 469 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:49:25 ID:qW4PRkBc0
- 【―― 11 ――】
( ・ω・)「……零さん、二つ聞きたいんですが」
リハ*^ー^リ「何かな?」
廊下をゆっくりと進みながら前方を往く兼は振り向かないまま問い掛ける。
後方、追随するように歩く洛西口零は快くそれに応じた。
確認の為だけに兼は訊いた。
( −ω−)「ハローさんとのやり取り、演技じゃなくてほぼ素だったんじゃないですか?」
リハ*-ー-リ「それはどうだろうねえ。素に見せかける演技をしていたのかもしれないし、あるいは何が素なのか分からなくなっている可能性だってあるだろう?」
( ・ω・)「僕は観察眼に秀でてるわけではないですけど、元歌舞伎役者と友人です。素かそうじゃないかくらいは分かります」
リハ*゚ー゚リ「そうかい。なら貴兄の解釈に任せるとしよう」
煙に巻くような言葉に溜息が出た。
別にこちらは好奇心があった程度なのでどうでも良いのだが。
- 470 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:50:18 ID:qW4PRkBc0
本題は――もう一つの方だ。
( ・ω・)「零さんは『姿を見られたから逃げた』と説明してましたが……実際はむしろ、零さんが見たんじゃないですか?」
そう、例えば。
自分のような人間にとって非常に都合の悪い能力を持った参加者を目撃した、など。
「面白いことを知りたい」なんて悠長なことを言っていられないような能力を。
使うところを見たわけではないとしても。
どういう能力なのか分かる場面を見てしまった、とか。
( ・ω・)「自分には不利だ。だから脱落させて欲しかった。あるいは――具体的にどんな能力なのか突き止められるようなデータが欲しかった」
違いますか?という兼の言葉にも、零は悪びれた様子もなく応じた。
リハ*^ー^リ「……流石だねえ。流石にあの他人なんて眼中にない天才よりは人を見る目があるようだ」
( −ω−)「茶化さないで下さい。あなたの見解如何によっては今すぐハローさんの後を追いかけないといけないんだから」
- 471 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:51:13 ID:qW4PRkBc0
リハ*゚ー゚リ「いやいや、その必要はない。分かっているんだろう?」
弱いままに強い相手と渡り合う洛西口零が瞬時に匙を投げたような能力。
彼女という人間にはどうしようもない能力。
だが、それがハロー=エルシールにとっても天敵に成り得るかどうかは分からない。
むしろ完全な肉体派の彼ならばどうにかできるものではないか。
そう考え、零は今までのことを仕組んだ。
そして他ならぬ鞍馬兼も――おおよその検討が付いている。
( ・ω・)「あなたが誰を目撃したのかは知らない、けれど恐らくあなたが推測したのは―――」
―――『心を読む能力』と。
鞍馬兼は重苦しい面持ちでそう言った。
- 472 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:52:16 ID:qW4PRkBc0
- 【―― 12 ――】
「敵を騙すにはまず味方から」。
この言葉の意味を理解していない人間はあまりいないことだろう。
仲間をも騙すことで虚構にリアリティーを持たせる。
単純だが良い手だ。
問題を挙げるとすれば仲間から反感を買う恐れがある点だが。
そして、心が読める人間を相手にするとしても、この方法ならば互角以上に渡り合える。
〈::゚−゚〉「しかし一つ疑問があります。あの時点、私が共闘の交渉に向かった時点では私達は彼の能力を把握していませんでした」
アサピーの能力が『心を読む能力』だと判明したのは同盟の交渉中。
手札の見せ合いという意味でお互いの能力を公開した時だ。
しかもあくまでも自己申告なので、アサピーの方は「『心を読む』と見せかけられるような別の能力」である可能性もなくはない。
逆にイシダの能力――思考は筒抜け状態なのでトソンは彼女も纏めて騙すしかなかったのだ。
辻褄が合わないのは、この部分。
「心が読める相手に作戦を知られない為に交渉役のイシダも騙した」というのは理解できるが――作戦を立てた時点では、相手の能力は判明していない。
- 473 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:53:15 ID:qW4PRkBc0
(-、-トソン「……これまでの経過がどのようなものだったか覚えていますか?」
〈::゚−゚〉「はい。一応は」
日ノ岡亜紗を目撃し。
イシダが指示され彼の元へと赴き。
「マキナ様の使い」だと通達。
そのことを証明する為の情報を開示。
戦力把握の目的でお互いの能力を申告し。
短い交渉。
共闘関係を確立。
……等、幾つかのステップを得て現在に至る。
作戦を立てたのはいつで、能力を知ったのはいつなのだろう?
(゚、゚トソン「いつも何も――最初です。彼が能力のことを話す前から、あなたが彼と会う前から」
〈;:゚−゚〉「は……?」
(-、-トソン「単純に『目撃した時点で』――極端な話、『初めてログインした時には既に』でしょうか」
〈;:゚−゚〉「何を……いや、どういう……?」
- 474 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:54:19 ID:qW4PRkBc0
疑問が言葉にならない。
思考が纏まらない。
そんなイシダを前にしながら、トソンは事もなげに続ける。
(゚、゚トソン「ここで私達に与えられる超能力は多かれ少なかれ私達自身の願いや想いが根底にある。このことには、ある程度の人間ならば気付いているでしょう」
ならば。
その逆のことも言えるはず。
想像できるはずなのだ。
そう――例えば。
(-、-トソン「ならば逆に――『参加者の願望さえ分かってしまえば、発現する能力も予測できる』と言えませんか?」
〈;:゚−゚〉「!!」
そう。
想いが力になる以上、力は想いに関係する。
力は想いに支配される。
- 475 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:55:11 ID:qW4PRkBc0
その参加者がどこの誰で、何を考え、何を愛し、何を悔い、そして何を望むのか。
それさえ分かってしまえたならば能力を想像することなど容易い。
だがそれは確かに容易いが現実にはそう上手くいかない。
いや、「上手くいかないのが現実」と言うべきか。
幸運にも参加者がどこの誰か分かったとしても――その人物が何を思っているかなど分かりようがない。
イシダも指摘した。
〈;:゚−゚〉「それは……あくまで仮定の話です。『願望さえ分かってしまえば』と簡単に仰りましたが、それができるならばそれこそ読心能力です」
(-、-トソン「通常ならばそうでしょうね」
〈::゚−゚〉「加えて参加者の姿は現実とは異なります。まず『どこの誰か』に辿り着けません」
(゚、゚トソン「それも通常ならばそうでしょう」
含みを残した上司の物言いにイシダは無言で先を促した。
トソンは目蓋を下ろし、次いでゆっくりと目を開け警戒するように辺りを見回す。
そうして周囲に誰もいないことを確認すると、続けた。
- 476 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:56:23 ID:qW4PRkBc0
(-、-トソン「……ナビゲーター達は自分が選んだ参加者が勝ち残った場合に特典がある。ならば無論、現実世界で有能な人間を選ぼうとする」
身体能力が高く、頭が切れ、それでいて強い欲望を持つ人間を。
高天ヶ原檸檬やハルトシュラー=ハニャーンは当然のことのように最初期に目を付けられた。
尤も彼女等は強い願望が存在しない為に正規の参加はできなかったが……。
当たり前のように神宮拙下ことハロー=エルシールも初期に選抜されただろう。
類稀なる肉体を持ち、学年トップクラスの頭脳に加えて不慮の事故でのアキレス腱の断裂――まず間違いなく「脚を治したい」という願望があるはずだと。
(゚、゚トソン「正式参加者は四十人。誤差も加えて五十人。淳高を舞台としているようなので、この学校に通う生徒だけを主に、上位五十人」
〈;:゚−゚〉「どういうことですか」
(-、-トソン「簡単なことです。ナビゲーターが選択しそうな生徒を事前にリストアップし、その背景を調べ、願望を想像しておけば良いんです」
それは鞍馬兼が通り魔を捕まえる為に考案した方法に近い。
事件から人物を考えるのではなく、最初に人物について調べ事件に結び付く者を残していく。
(゚、゚トソン「……これで『どこの誰か』という問題はかなり易しくなりました」
- 477 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:57:14 ID:qW4PRkBc0
そうして参加者と出逢う度にその言動をリストアップされた生徒の立ち振舞いと照合。
合致したならば暫定的に「◯◯の為の作戦」を実行する。
仮にリストの誰にも特徴が当て嵌まらなかった場合、その参加者は現実世界での上位五十人には入らない――つまり、それほど警戒する必要はない相手だ。
日ノ岡亜紗もこの方法で正体を突き止められる。
現実での面影を残している上に、学園十傑に考慮されることもある彼がログインしている可能性は非常に高い。
〈;:゚−゚〉「ですが……誰かが分かったとしても願望までは……」
戦慄さえ覚えるほどの頭脳を前には恐怖という感情が先立つのだとイシダは思い知らされた。
その純粋な恐れ慄く心を殺し、先を訊ねる。
最早結末は予想できていたのに。
(-、-トソン「……そうですね。彼が日ノ岡亜紗だったところで私にもあなたにも彼の心情など分かりません。できるのは想像することだけなので」
〈::゚−゚〉「なら……」
(゚、゚トソン「人は人の気持ちなど分かりませんよ。しかし、例えば」
- 478 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:58:14 ID:qW4PRkBc0
両親。
恩師。
血を分けた兄弟。
竹馬の友。
あるいは同胞や同志。
そういった、ごく親しい人間ならば、個人の極めて個人的な願望もかなり正確に想像することができるのではないか?
日ノ岡亜紗の場合ならば、それは―――。
(-、-トソン「他の誰が分からない想いでも、中学時代から彼に慕われ続けてきた壬生狼真里奈ならば……あるいは」
〈;:゚−゚〉「……なるほど」
口では感心をした風を装っていたが内心は恐怖で溢れていた。
「この人は本物だ」と。
出逢った日から幾度となく思ったことだが今日ほどそのことを思い知らされた日はなかった。
何もかもを見透かされている気がしていたが、本当に自分の何もかもが見透かされているのかもしれない。
恐ろしく。
しかし愛おしい主にイシダは頭を下げる。
- 479 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 18:59:13 ID:qW4PRkBc0
恭しく頭を垂れた部下に、急に漂わせていた重い空気を取り去るようにトソンは言った。
(-、-トソン「―――と、言うのは全て嘘であり虚構で、彼の能力が分かったのは単純に私の能力が未来予知だったからかもしれませんね」
〈;:゚−゚〉「………………は?」
(゚、゚トソン「冗談ですよ、他愛もない戯れです。私の能力はあなたの知る通りですので」
顔を上げ、表情を変えないままで無言の抗議をするイシダ。
対しトソンは平然と続けた。
(-、-トソン「想像力は人間の生きる力そのものです。私は想像することの偉大さを知って欲しかったんですよ」
〈::゚−゚〉「その言葉は、戯れではないのでしょうか」
(゚、゚トソン「真実ですよ。想像すること、思考することは偉大ですが、だからと言って一つ一つ物事を考えていたのではとても時間が足りません」
これはフレーム問題にも近い、と言ったところで「そう言えば」と彼女は呟く。
神宮拙下の二つ名にはフレームに関係するものもありましたね、と。
- 480 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:00:14 ID:qW4PRkBc0
- 【―― 13 ――】
ハハ ロ -ロ)ハ「想像――そうだ、想像だ」
(-@∀@)「…………」
ハハ ロ -ロ)ハ「フン、俺は凡人に会うことなど想像もしていなかったということだ。想像力は生きる力だというのに」
蒼い空の下。
夕凪のような静けさの中で。
グラウンドにほど近い、トレーニングルームや格技場に近い駐車場だった。
敵までの距離は十メートルと少し。
神宮拙下、あるいはハロー=エルシールは敵を観察する。
自らが『凡人』と呼んだ――その制服姿の少年を。
(-@∀@)「……真希波先輩のようなことを言うんだな」
身長はハローよりも高い。
百七十五センチあるかないか程度か。
- 481 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:01:42 ID:qW4PRkBc0
茶の短髪は若者らしくシャギーカットをヘアワックスで整えている。
ティーンズ誌そのままの髪型に、スクウェア型の眼鏡とその奥に覗く一縷の淀みもないような綺麗な瞳が彩りを添えている。
小奇麗で気取った感じはしない程度に整った容姿。
チェーンに通されたシンプルなデザインの指輪が首にかかっておりアクセントになっていた。
想像を絶する美少年でこそないが、きっと彼氏がここまで整った顔立ちならば大抵の女子は満足するだろう。
そういう感想を抱かせる、まるで雑誌のモデルか何かのような少年だった。
まあハローにとってはどうでも良いことだ。
どんな容姿が女受けするのかも。
目の前の相手が誰であるのかも。
ハハ ロ -ロ)ハ「マキナ? ……そうだな。奴や奴の周りの人間は同じようなことを言っている。フン、俺は想像も思考も極力したくないがな」
(-@∀@)「だから俺が何者なのかも当たり前に興味はないって?」
ハハ ロ -ロ)ハ「ないな」
つよがりではなく本当にどうでも良かったようで、ハローは「ラプラスの悪魔を知っているか?」と話題を変えた。
アサピーは応えた。
(-@∀@)「知ってる」
- 482 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:02:38 ID:qW4PRkBc0
ハハ ロ -ロ)ハ「知っていたのか。俺は説明してやるつもりだったのだがな」
(-@∀@)「知ってる。今知った」
ハハ ロ -ロ)ハ「凡人にしてはおかしなことを言うな、お前は。奇行が許されるのは天才だけだぞ」
脊髄反射的にほとんど考えず会話をしていることを読み取り、アサピーは「普段言っている通りに本当に何も考えてない」と逆に感心してしまう。
そろそろ勘付いても良いものだが、どうやら心を読まれていることは気付いていないらしい。
(-@∀@)「(ラプラスの悪魔、か……)」
ハロー=エルシールの発言に登場し、その思考に浮かんだ『ラプラスの悪魔』とは昔ラプラスという数学者が提唱した概念らしい。
「全ての物質の情報を取得し、それを解析できる知性があれば、その知性は未来を現在のように捉えられる」ようだ。
……以上のことが彼が「今知った」こと――ハローの心から読み取った知識だった。
曖昧であやふやだが、それは相手(ハロー)自身も説明しようとした『ラプラスの悪魔』についてよく理解していないからである。
相手の心は手に取るように分かるが相手が知らないことは知れない。
ただ、話の展開は読み取ることができた。
- 483 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:03:25 ID:qW4PRkBc0
ハハ ロ -ロ)ハ「フン、話を『ラプラスの悪魔』に戻そうか。この知性は神にも等しいが問題が一つある」
(-@∀@)「……この知性をコンピュータとする場合、一秒後の世界を計算する為に一秒以上の時間が必要とされることがあること」
ハハ ロ -ロ)ハ「その通りだ」
実際にはもう一つ、「原子の運動は確率的にしか把握できないので未来を完全に予測はできない」という問題があるのだが、ハローはそんなことは知らなかった。 天才である彼は秀才との差を体現するように興味のない知識は何一つ覚えないのだ。
そしてこの状況では彼の思考を読んでいるアサピーも同様に知らず、そんなことを知れるはずがなかった。
なので滞りなく不自然な会話は続く。
ハハ ロ -ロ)ハ「これがより現実的になったものが、」
(-@∀@)「……一般に『フレーム問題』と呼ばれている人工知能の問題」
ハハ ロ -ロ)ハ「博学だな」
『フレーム問題』とは有限の処理能力しか有しない人工知能は現実に起こり得る全ての問題に対処できない、というものである。
こちらもハローは朧気にしか記憶しておらず、それはアサピーも同じ程度の理解しかできないということを意味していた。
- 484 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:04:19 ID:qW4PRkBc0
それはともかく『フレーム問題』とは人工知能に関する重要な難題の一つだ。
障害Aに対処する場合、それと関連する要素aや要素b、cは考慮しなければならないが、障害Aに関係しない要素xについて考える必要はない。
つまり「要素a〜要素c」という障害Aと関係するフレームを作り思考することになるのだが、要素は無限に近く存在する為に要素の抽出段階で無限の時間が必要とされてしまう。
関係するかどうかを判断する時点で人工知能は停止してしまうのだ。
高度に発達した知性(人間等)がどのようにしてフレーム問題を回避しているのかは未だ解明されていない。
トソンの言わんとしたところは「考え過ぎるのは考えなしと同じくらいに悪い」辺りだろう。
そしてこの場面で、引き合いに出したハローが言いたいことは―――。
ハハ ロ -ロ)ハ「……フン。例えばミブロマキナは思考することこそが力と考えているだろう。だが俺は逆に、思考しないことこそ力と考える」
考えなし。
無鉄砲。
そう評されることもある神宮拙下は自らも「俺は何も考えていない」と主張する。
しかし実際はどうなのだろうか?
何も考えていない、は言い過ぎとしても、常人に比べて極端に物事を気にしない彼のことは――あるいはこうも言えるのではないか。
―――「無我の境地に至っている」と。
- 485 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:05:12 ID:qW4PRkBc0
一流のスポーツ選手は完全に集中した状態を「ゾーンに入る」と表現するが、この天才は勝負の場では常にゾーンに入っているのではないか?
事実、アサピーが読み取る彼の心理は冬の朝の空気のように透き通ったものだった。
辛うじて会話を成立させているだけ。
ロクに考えてすらいない。
単に以前誰かに語ったことを今も話しているだけ。
周囲の警戒すら――していない。
(-@∀@)「(一瞬だけ読んだ洛西口零の思考はゴミ屋敷かと見紛うほどにぐちゃぐちゃだった。一瞬で分かるほどに、膨大なことを考えていた)」
その所為で詳しくは読めなかったのだが……。
それに対し、ハローの心はたった一つのことに集中している。
即ち――目の前の敵の殲滅に。
ハハ ロ -ロ)ハ「……フン、さてでは始めるとするか。そろそろラクサイグチレイも逃げただろう」
(-@∀@)「やっていることが時間稼ぎだというのはバラしても良かったのか?」
ハハ ロ -ロ)ハ「………………話さない方が良かったかもしれないな」
- 486 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:06:14 ID:qW4PRkBc0
本当に何も考えていないらしい。
まあ良い、と言って天才は構えを取った。
それは少林寺拳法のものではなく、むしろ空手の脇構えに似ていた。
重心を下げ両足を前後に開き、右手を腰に置き、もう片方の手は胸の高さで手の平を敵へ向けるようにし軽く前に出している。
ストロークの際に遠近感を合わせる為の動作や歌舞伎の見得にも見える左手。
全体像は特撮ヒーローが変身する途中にも近いだろう。
未知の構えに初見の人間ならば戸惑ったのかもしれないが、心を読めるアサピーは意図さえも見通す。
(-@∀@)「(……いや。そうでなくても、俺はこの人がどんな風に動くのかを知っている)」
まだ中学生だった頃に一度だけ目にしたことがある。
二十人もの敵勢力を片っ端から薙ぎ倒していく灰色の閃光の姿を。
決して先手を取らず。
必ず正面から敵を討ち。
それ故に閃光の如く美しい――この天才の戦い振りを。
だからハローが、拙下が次に言う台詞は心を読むまでもなく分かっていた。
- 487 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:07:12 ID:qW4PRkBc0
ハハ ロ -ロ)ハ「……先手は譲ろう、凡人。いや――ヒノオカアサ」
(-@∀@)「一つだけ訊いても良いか?」
自分の名前を呼んだハローにアサピーは問う。
答えなんて分かっていたのに。
それでも、なんと答えるかが知りたくて。
(-@∀@)「容姿も違う、大して話したわけでもない、拳を交えてもいない……。なのに何故、アンタは俺が『日ノ岡亜紗』だと気付いているんだ?」
それも最初から。
出逢った瞬間から。
何故分かっていたんだと。
ほとんど即答するように天才は言った。
ハハ ロ -ロ)ハ「理由などない。しいて言えば『なんとなく』だよ。……いけないか?」
- 488 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:08:24 ID:qW4PRkBc0
- 【―― 14 ――】
鞍馬兼は移動していた。
それは走ると歩くの中間くらいの速さで、周囲に気を配りながら動ける限界速度だった。
( ・ω・)「零さんは格ゲーなんてやらないでしょうが、でも一応プログラム用語なので『フレーム』はご存知ですよね?」
『ゲーム等のプログラムにおける時間の最小単位のことだろう?』
( ・ω・)「その通りです。格ゲーでは特に重視される概念――例えば『ある技がどれほど持続するか』を表すのにフレームを使います」
小型無線機を耳に当てつつ、電波の先にいる洛西口零に語る。
兼自身もあまり詳しい方ではないが基礎的な知識くらいは有していた。
より具体的に解説すると、自分のAという技の持続時間が10フレームで相手のBというコマンドの無敵時間が5フレームだとする。
この二つが同時に発生した場合、相手の無敵効果が切れた後にも自分の技は続いているので攻撃がヒットする。
実際の場面では攻撃の発生までに何フレームかかるか、持続は何フレーム分か、その硬直は何フレームなのか……というようなことが重要視されている。
( −ω−)「そして中学時代、ハローさん――神宮拙下はゲーム好きの人間からは『0フレーム』と呼ばれていました」
『0フレーム?』
- 489 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:09:10 ID:qW4PRkBc0
格闘ゲームには稀に「0フレーム技」と呼称されるものが存在する。
通常、コマンド入力から攻撃の発生までには数フレーム分の間があるのだが、この種の技にはそれが存在しない。
つまり即座に攻撃判定が発生する。
昨今では格闘ゲームを嗜む若者も少なくなってしまったのでこの脅威は伝わりにくいだろうが、要するに0フレーム技とは最速で発動する攻撃。
起こりを見てガードポーズを取っても間に合わない――事前にガードコマンドを入力しなければほぼ確実に当たる技なのだ。
( ・ω・)「常人が防御や回避行動を取るよりも速く当たる攻撃。だからそんな風にも呼ばれていたんです」
真正面から攻撃し続け勝ち続けられる理由は。
相手の攻撃どころか防御、回避、その他全ての行動よりも速く動けるからに他ならない。
ならば。
『……なるほど、言いたいことは伝わったよ』
( −ω−)「ありがとうございます」
鞍馬兼は蒼く染まった校舎を駆ける。
二つの懸念を払拭する為に。
- 490 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:10:12 ID:qW4PRkBc0
- 【―― 15 ――】
戦闘開始から十七秒後だった。
ハロー=エルシールが構えを取り、じわりじわりと間合いを詰め、両者の距離が五メートルを切った頃。
普通の相手ならば耐え切れなくなり先に動き出してしまう近間で尚もアサピーは動かない。
「決して先手を取らない」というハローの戦い振りは同時に「常に相手が我慢し切れず先に動いてしまう」ことを意味する。
断っておくと考えない天才である彼は作戦としてそういう行動を取っているのではなく、ただ単純になんとなく後手に回るのが好きなだけだった。
彼は何も考えていない。
なので、こういった状況――相手が攻めようとしない場合には、否が応でも先に動かざるをえない。
ハハ ロ -ロ)ハ「(……懐かしいな)」
彼は一瞬、鞍馬兼のことを思い出し。
そして、爆ぜるような勢いでスタートした。
五メートル。
下手をすれば瞬きの間に決着が付きかねない距離。
彼の速さを持ってすれば一瞬で零にでき、左右後方何処に逃れたとしても即座に追撃可能な世界だ。
ほとんど勝利を確信していた。
- 491 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:11:15 ID:qW4PRkBc0
が。
猛然と突き出された右拳は完璧に受けられた。
拳を引き戻した直後に襲い来る反撃を躱すように右斜め後方に下がり立ち位置を入れ替えるように脇を擦り抜ける―――。
そうして。
ハハ ロ -ロ)ハ「―――フン、なるほど」
またも元の距離と変わらぬ間合いが開いたところで、ハローは止まった。
前後左右に動く複雑な足運びは短距離走ではありえないもの。
こういう時ばかりは拳法を学んだこと、あるいはハルトシュラーから護身術を学ばされたことに感謝する。
どれもあまり身に付かなかったので最も役立っているのは今より暴力的だった中学以前の経験かもしれないが……。
(-@∀@)「……相変わらず無茶苦茶だ」
ハハ ロ -ロ)ハ「足運びのことか? 常人よりも遥かに身体のバネが優れていればこうもなる」
(-@∀@)「それもだけど、受けられたことに驚きもしなかったことがだ」
- 492 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:12:11 ID:qW4PRkBc0
読み取った心は何処までも冷静だった。
淡々と回避し、距離を取り、態勢を立て直した。
こういった天才タイプは予想外の事態に弱いとばかり思っていた。
(-@∀@)「(……いや、違う)」
心の奥深くまで潜ってみれば分かる。
ハローは「自分が凡人に負けるわけがない」と心の底から本気で思っていて、だから自信は折れることがない。
一度攻撃を防がれたくらいでは勝利は揺るがない。
それほどまでに彼にとって勝利は当たり前にあるものだった。
(-@∀@)「本当にムカつく奴だな、アンタは」
ハハ ロ -ロ)ハ「何を怒っている凡人? ここは俺の一撃を防げた名誉を誇るべき場面だろう」
挑発をしているわけではなく本気でそう思っているのだから手に負えない。
- 493 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:13:17 ID:qW4PRkBc0
-
(-@∀@)「0フレーム発生の高速攻撃……。間違いなく、強力だ。瞬きの瞬間、呼吸の一瞬に勝負が決まることだってありえる」
だが、と。
日ノ岡亜紗は言う。
(-@∀@)「アンタがどれほど速く動けようが――次の行動が分かってさえいれば防御も回避も容易い。当たり前だけどな」
そう。
0フレーム技は事前にガードコマンドを入力できるならば防御できる攻撃だ。
それがどれほど速かったとしても。
同じように、心を読み真の意味で先手を取れる日ノ岡亜紗前では――どんな速さも無意味でしかない。
ハハ ロ -ロ)ハ「……ならば試してみるか? 『凡人』が」
ハローは思い、そしてそれはアサピーも悟った。
この瞬間に初めて彼が『目の前の敵』のことではなく『日ノ岡亜紗』のことを思い出し、考えたことを。
一方が今と同じ天才だった日のこと――他方が今とは違う凡人でしかなかった過去のことを。
- 494 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:14:10 ID:qW4PRkBc0
- 【―― 16 ――】
「……おい、ミブロマリナ。お前の彼氏の話だが」
車椅子を押され、夕暮れに染まった校舎を行く神宮拙下は真後ろの少女に問いかけた。
ハンドルに込める力を一旦緩め、歩みを止めると壬生狼真里奈は返答する。
「あー、アサピーさん――日ノ岡亜紗さんの話ですか?」
「そうだ。噂に聞いた話では先日の模擬試験では遂に学年一桁となり、学園十傑にも名を連ねると言われるほど空手の腕も上がったらしいな」
「……よくご存知ですね」
模擬試験の成績上位者のうち、希望者(というよりも成績公開を拒否しなかった生徒)は掲示板に張り出される。
学園十傑の噂に関しても、最近揉め事を起こすことが多くなった日ノ岡亜紗のことはこの天才の耳にも届いているのかもしれない。
真里奈は言った。
「あー、アサピーさんは……例えば横柄な上回生に注意したことで結果的に暴力沙汰になることがあるだけで、悪いことは何もしていません」
「わざわざ庇わなくとも分かっている。フン、俺を誰だと思っている」
- 495 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:15:11 ID:qW4PRkBc0
校内の揉め事の情報は全て風紀委員長ハルトシュラー=ハニャーンに報告される。
彼女の腹心であり風紀委員会の中核を成す生徒達、即ち鞍馬兼や天神川大地、また他でもなく彼、神宮拙下が聞き及んでいることは想像に難くない。
むしろ何も知らない方が不自然か。
この他人の興味のない天才も委員会活動は真面目にやるのかと感心しつつ、真里奈は言う。
「なら良かったです。……それで、アサピーさんがどうかしましたか?」
「なに。例の学園十傑の噂において『神宮拙下と互角以上に渡り合う』と称されているらしいからな。少し気になっただけだ」
「あー……。それはまた、先輩も過小評価されてますね」
再び車椅子を押し始めながらクスクスと笑う少女。
対し、天才は真面目なトーンで問う。
「ミブロマリナ。お前はどう思うんだ?」
「どう、ですか? どういうことですか?」
「お前の彼氏は俺に勝てるか、という話だ。アキレス腱を断裂した俺に――あるいは断裂する前の俺に今の奴は勝てると思うかどうか。それを訊いている」
- 496 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:16:10 ID:qW4PRkBc0
微妙なニュアンスを含んだ問い掛けだった。
「勝てるかどうか」ではなく「勝てると思うかどうか」――少し不自然とも言える質問。
その問いに答えることなく、真里奈は問い返す。
「逆に、神宮先輩は勝てると思うんですか?」
「生憎だが俺はトモとは違って、負けるかもしれない戦いや勝てるかどうか分からない勝負はしたくない」
「……答えになってませんよ?」
「ならばこう言おうか――『勝てると思っていなければ勝てるものも勝てなくなる』。故に俺は常に勝てると思って戦う。そして勝ってきた」
事もなげに天才は返した。
考えないこと、つまり「集中すること(≒ゾーンに入ること)」を強さとする彼にとってはそれは当然の答えだっただろう。
一瞬の疑念、自信の揺らぎが受け突きを、体捌きを、反応速度を鈍らせる。
ならば彼の回答は何処までも当たり前な信念だ。
「じゃあ鞍馬さんは負けると思いながら、勝てないと思いつつも戦っているんですか?」
「奴もアレで凡人だからな。多少の敗北は致し方ない部分がある。それに……何より奴は武道家だ。勝ったかどうかは所詮結果論だ」
- 497 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:17:14 ID:qW4PRkBc0
「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」と、例えばそんな教義が鞍馬兼が嗜む武道にはあるという。
神宮拙下はこの手の綺麗事は生理的に受け付けないのだが彼が学んだ少林寺拳法にも同じような教えは存在している。
勝利至上主義を嫌う考え方から剣道をオリンピック競技にする運動に対し多数の剣士が反対している。
少林寺拳法においては更に極端で、勝ち負けに拘ることを良しとしない為にそもそも試合を行わない。
武道がスポーツに成り切れないのはこの性質の為かもしれない。
詰まる所、武道における他人との競い合いは「負けた後も腐らず続けることができるか」「勝った際に相手を敬うことができるか」を試すだけのものなのだ。
「へぇ……そうなんですか」
「詳しく知りたいならばミブロマキナにでも聞け。俺は興味がない、だから今のもうろ覚えだ」
「……けど何より鞍馬さんが凡人っていうのが驚きました」
「アイツを凡人扱いするのは淳高でも俺と、精々ハルトシュラーくらいだろう。……フン、あるいはお前の彼氏も今や『天才』だったか?」
挑発するように呟き、笑う。
そうしてから天才は話を戻した。
「話を戻そうか。俺は常に誰にでも勝てると思っている。だからお前の彼氏が相手でも負ける気はしない。さて、お前はどうだ?」
- 498 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:18:17 ID:qW4PRkBc0
日ノ岡亜紗という自分の恋人が、紛れもなく天才である神宮拙下に、勝てると思うかどうか。
壬生狼真里奈は少し考え、再度歩みを止めて訊いた。
「更に逆に訊きますが……先輩は私がどう答えると思いますか?」
その時。
少女はいつものように、何を考えているのか分からない曖昧な笑みを浮かべて問うた。
天才は深くは思考することなく、その絶対の直観に従い答えた。
「フン……。『勝てるかどうかは分からない』けれど『負けて欲しいと思っている』――そうだろう? ミブロマリナ」
壬生狼真里奈はその言葉にも、その時はまだ、曖昧な笑みを返すだけだった。
【―――The first part of Second-extra-episode END. 】
- 499 名前:断章投下中。:2013/01/16(水) 19:19:14 ID:qW4PRkBc0
- 【―― 0 ――】
《 prepare 》
@[SVO1 for O2 / SVO2O1](人が)O2(人・物・事)の為にO1(物)を用意する、立案する
――自
A[SV(M)](人が)(…に備えて)準備する、(…に)備える
B(…への / …する)覚悟をする
.
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