j l| ゚ -゚ノ|天使と悪魔と人間と、のようです Part2
- 598 名前:オマケ@「モラトリアム」:2013/03/07(木) 04:05:03 ID:gpvnoEaA0
―――それは鞍馬兼が風紀委員会に入って、暫く経った頃の話。
「……疲れたな」
雑務を終えたハルトシュラーが鞄に筆記用具を仕舞いながら呟いた。
放課後、風紀委員会の本拠地兼会議室には彼女の他、同じく書類整理をしていた鞍馬兼しかいない。
この学校で出会ってから三ヶ月、風紀委員会に入り一緒に仕事をするようになってから一ヶ月と少し、未だに上司については分からないことが多いと兼は思う。
風紀委員会内、いや学校内でもハルトシュラー=ハニャーンと近しい部類に入る彼でも、まだ親しい間柄とは言いづらい。
一緒に食事をしたり、何処かへ出掛けたりすることもあるけれど、それはそれだけのことであって何か特別な関係というわけではない。
だが、そうは自称しても他の生徒よりは遥かに親しいわけで――他の誰かが気付かないことでも兼には分かる。
「珍しいですね。委員長が独り言を言うなんて」
ハルトシュラーは無駄なことを嫌い、だから独り呟くということが基本的にない。
彼女が上司になってから一ヶ月以上経つが独り言を聞いたのは初めてだった。
この一ヶ月でなかったほど物凄く疲労しており、本当につい「疲れたな」という一言が出てしまった可能性……は、低いだろう。
今日やっていた仕事は簡単なデスクワークのみで特別疲れるような要素はなかった。
委員会の仕事外で骨が折れることがあったのかもしれないが、顔色を伺ってみてもそういう感じではない。
- 599 名前:オマケ@「モラトリアム」:2013/03/07(木) 04:06:03 ID:gpvnoEaA0
尤も、ハルトシュラーの顔色なんてロクに変わりはしないのだが。
今日も殲滅な美貌は健在で、真後ろの窓から差し込む陽射しは後光のようにも見え、銀髪が微風に靡く様は本当に悪魔か天使のようだった。
この人が独り言を言うことは考えにくい――とすれば、それは独り言ではなく前フリなのだろう。
「(多分『独り言の形をした話題提示』だ。何か話すべきことがあり、会話を始める取っ掛かりとしての言葉。この場には僕しかいないから僕に向けたもの)」
その見立て通りにハルトシュラーは続けた。
「そうだな、独りでにものを言うことは少ないのが私だ。つまり先ほどの言葉は貴様に向けたものだ」
「(まさかの大正解なんだから。そして前フリしといて自分で解説しちゃったよ、この人)」
じゃあ前フリなしで本題に入れば良かったんじゃなかろうか。
そう思わなくもないが、別段指摘するほどのことでもないので兼は先を促すことにする。
「……なら僕は、『では鞄をお持ちし、家までお送りしましょう』と言うべきですか?」
「いくらレディーファーストと言えど鞄程度の軽いものを持ってやってばかりでは近い未来に男性諸氏は女性を抱えて過ごすことになるぞ」
「では鞄ごとあなたをお抱えするんだから」
- 600 名前:オマケ@「モラトリアム」:2013/03/07(木) 04:07:04 ID:gpvnoEaA0
兼の冗談に、ハルトシュラーは淡々と真顔で返した。
「それは貴様が恥ずかしいだろう」
「委員長は僕にお姫様抱っこされて校内や通学路を移動するのは恥ずかしくないんですか?」
「さして恥ずかしくはないのが私だ。ただ情けなくはある。鞄を持たれるのも周囲に『自分の鞄すら持てない非力な存在』と思われる点で、惨めだ」
「男子に大事にされている、男子を従えているという点では羨まれることだとも思います」
「威厳を出したいのならば貴様を半歩後ろに控えさせて歩く。抱きかかえられ移動したのでは我が侭な令嬢にしか見えない」
どんどん話が逸れていくが、ハルトシュラーと兼の日常会話はいつもこんなものである。
どちらも生真面目な部類なので些細な冗談に対し真剣に返し、そのズレた返答に真面目に答え……という風に会話が迷走するのだ。
今回は話を振った方の義務か、それともデュルケームの言うところの上位者の役目か、ハルトシュラーが閑話休題する。
「話を戻したいのが私だ。鞄を持つ必要はない。その代わり、時間があるのなら私に付き合って欲しい」
「付き合う……買い物か何かですか?」
「いや、違う」
- 601 名前:オマケ@「モラトリアム」:2013/03/07(木) 04:08:05 ID:gpvnoEaA0
そうしてハルトシュラーは、いつも通り無表情に、変わらず淡々と――驚くべきことを言った。
「今日の放課後、暇なのならば――私の部屋に来い」
トクンと心臓が跳ねた。
真っ直ぐこちらを射抜く視線が苦しい。
「冗談でしょう?」という驚愕故の言葉が口から溢れ出そうになった。
彼女は、冗談なんて言わないのに。
しかし兼がどんなリアクションを取ったとしても無理はないほどにそのハルトシュラーの申し出は驚くべきことだった。
「今日は空いています。構いません」
「そうか」
答えた瞬間、僅かに後悔した。
構うか構わないかと訊かれれば「構わない(差し支えない)」が「構う(気にする)」というのが正直なところだった。
仮にも好意を抱いている相手の、一人暮らしの部屋に行くというのは。
- 602 名前:オマケ@「モラトリアム」:2013/03/07(木) 04:09:04 ID:gpvnoEaA0
……淳高はそれなりに規模が大きく有名な学校である為、遠い地域から進学してくる生徒も多い。
そういった人間の為に数百人が暮らせる寮が設置されている。
寮には二人部屋と一人部屋があり、ハルトシュラーは女子寮の最上階の一人部屋を借りている。
基本的に異性の寮へは行くことができないのだが、一応事前に許可さえ取れば夜の八時までは男子でも女子寮に滞在することができる。
完全に禁止してしまうとグループワークなどの作業に差し障りがあるので、それを踏まえての措置だった。
ただ、その許可を得る為の審査は中々厳しいと兼は聞いていた――の、だが。
「(風紀委員長でも許可が取れなければ一体誰が取れるって話……なのかな)」
寮の入口の窓口に書類を提出している自らの上司を後目に風紀委員は思う。
何をする為に呼んだのかは知らないが、随分と用意周到なものだ。
そう未だに兼は「自分がなんの為にハルトシュラーの部屋へ呼ばれたのか」を聞かされていなかった。
「(もし十八禁展開だとすれば、かなりスリリングなんだから。学校の女子寮なんて)」
しかも二人共風紀を取り締まる側の風紀委員である。
万が一見つかりでもしたら反省文どころでは済まないだろう。
- 603 名前:オマケ@「モラトリアム」:2013/03/07(木) 04:10:06 ID:gpvnoEaA0
あるいは風紀委員であるが故に許可も下りやすく、また信用されており見つかりにくいのかもしれないが。
しかし風紀委員の上司部下という関係であったとしても子供とはいえ、一応男と女である。
ハルトシュラーがどう思っているか知らないが――鞍馬兼は、多感な年頃の男の子だ。
「(……でも、確認したわけではないからこの人が実は美少女ではなく美少年だったという可能性もありえる)」
そんな荒唐無稽な話があるわけがないものの、常識を持つ一方で常識に囚われない奇天烈な仮定が可能なのも鞍馬兼らしさだった。
この辺りは女としても通用する山科狂華や比較的女顔な神宮拙下、かつては女形として舞台に立っていた天神川大地と仲が良いことも関係するが。
「狭く散らかった部屋で申し訳ないのが私だ」
半分本気でそういった諸々のことを考えているうちに、あれよあれよと最上階にあるハルトシュラーの部屋に招き入れられてしまっていた。
基本的に兼はハルトシュラーに対してはイエスマンなのでこの展開は当たり前ではあるが、それにしてももう少し抵抗した方が良かった気もする。
別に嫌ではないし、むしろ嬉しいのだが。
ハルトシュラーの部屋は本人の言うほどに散らかってはおらず、精々描きかけの絵がある程度だった。
というか2DKでかなり広い(流石にダイニングキッチン=玄関前の廊下なのだが、この部屋は絵を描くスペースにピアノを置いて余裕があるほど広い)。
大学生でもこんな部屋には住んでいないだろう。
そもそも何故学校の寮にこれほど広くて良い部屋があるのだろうか?
- 604 名前:オマケ@「モラトリアム」:2013/03/07(木) 04:11:08 ID:gpvnoEaA0
いや――ここで考えるべきは、部屋の広さではない。
「(キーボードやエレクトーンではなく普通のピアノがある……ということは、この部屋は防音)」
つまり声を出してもまずバレないし、声を上げさせても分からない。
……直後に自分は何を考えているのだろうと自己嫌悪に陥る。
色々と突き抜けてしまっている山科狂華とは違い、鞍馬兼はそういった想像にかなり罪悪感を感じてしまうタチだった。
対し、ハルトシュラーは平然としている。
そして平然としたまま、その想像を加速させるような言動を取ってみせた。
「こちらが寝室だ。来い」
「はい……え?」
「少し後ろを向いていろ。服を脱ぐ」
「はい……ええ?」
ベッドと小さな机と本棚くらいしかない簡素な部屋に衣擦れの音が小さく響く。
- 605 名前:オマケ@「モラトリアム」:2013/03/07(木) 04:12:17 ID:gpvnoEaA0
最早訳が分からない。
意味不明だし、ぶっちゃけありえない。
「……もう振り返って良い。その椅子に座れ」
言葉に振り返ると一糸纏わぬハルトシュラーがいた――ということはなく、彼女はベッドの中にいた。
指差す椅子はベッド脇。
宮には脱がれた男子学生服が畳まれている。
ベッドの中のハルトシュラーはほぼ裸。
彼女は、椅子に座った兼へと片手を伸ばしてくる。
「一度しか言わない。手を握れ」
「…………はい」
「ありがとう」
何故こんなことになっているのかわからないし、何故お礼を言われたのかも分からない。
- 606 名前:オマケ@「モラトリアム」:2013/03/07(木) 04:13:05 ID:gpvnoEaA0
「三時間経てば起きるつもりだが、もし私が起きなかった場合は帰って良い。鍵は机の上にある。扉を閉めて帰れ」
「……三時間の間、僕はどうすれば?」
好きな女の先輩の部屋で。
二人きりで。
時間があって。
相手はほとんど裸で。
ベッドに寝ていて。
どうすれば良いか分からず訊いた少年の言葉に、目を閉じた彼女は静かに言った。
悪魔的な答えを。
「…………お前に任せるよ」
脳を犯すような匂いが、柔らかそうな唇が、血液の流れる音が、しっとりした手の平の感触が、グチャグチャに混ざって――どうしようもなくて。
胸の鼓動は早鐘のようで、ドロドロとした感情と締め付けられるような純情が入り交じって。
それでも――悪魔らしくなく、ただ少女らしい寝顔を見てしまうと、兼にはもう何もできなかった。
- 607 名前:オマケ@「モラトリアム」:2013/03/07(木) 04:14:03 ID:gpvnoEaA0
―――何日か後のこと。
「常識的に考えれば襲って欲しいってことだろ。それで手を出さなかったお前は悪いけどヘタレと言わざるを得ない」
幽屋氷柱の城である総合武道場で、偶然に出会ってしまった旧友に対し事情を話すと、即答された。
旧友こと山科狂華の答えは予測した通りのものだったが、改めてはっきり言われてしまうと心に来るものがある。
「そうかな……。だとしたら、悪いことしちゃったんだから」
「女子の覚悟をスルーしたわけだから『すみません』じゃ済まないだろ」
「襲うべきだったのかな」
「常識的に考えればそうだな。悪いけど俺なら間違いなく襲ってた」
断言する狂華に対し近くでお茶を入れていた氷柱は「狂華君は絶対に家に呼ばないことにします」と軽い口撃を浴びせた。
「私は鞍馬さんの判断は間違ってなかったと思いますよ」
「すみません、俺だって『間違っている』とは言ってないです」
- 608 名前:オマケ@「モラトリアム」:2013/03/07(木) 04:15:06 ID:gpvnoEaA0
弁解染みており、好きな先輩の前だからと手の平を返したようにも見える狂華の言葉だが、実際彼は「間違っている」とは一言も言っていない。
常識的に考えれば行為に及ぶべきだったとしても――相手はあの『悪魔』とまで呼ばれるハルトシュラーである。
狂華は言う。
「その時は本当に、言葉通りに疲れていて……誰かに一緒にいて欲しかった。の、かもしれない。ただ疲れてるんじゃなくて怖い夢を見た、とか」
俺もそういうことはあるから、と静かに告げる。
彼の言う怖い夢とは過去の夢だろうか。
家族が惨殺されるシーンを見てしまったなら、確かに誰かに傍にいて欲しくなるだろう。
兼は、ハルトシュラーの過去のことはあまり知らないが。
それでも、何かあったことくらいは分かっている。
「……私の解釈は狂華君とは少し違うかな」
氷柱はコップに入れたお茶を二人に渡しながら言った。
「きっと委員長さんは、鞍馬さんがどういう反応をするかを見ていたんだと思います。誤解を恐れないで言えば、試していた」
- 609 名前:オマケ@「モラトリアム」:2013/03/07(木) 04:16:09 ID:gpvnoEaA0
「試していた?」
「はい。男の子には良い迷惑ですけど、女の子は愛を試すような行為をたまにしてしまう生き物ですから」
そういうものかなあと目を閉じた兼に対し、そういうものですよねと頷く狂華。
どちらも女子には人気がある方だが理解度は違うらしい。
「それに」と氷柱は続けた。
「ほら、よく言うじゃないですか。男の子は一番好きな相手には中々手出しできないものだ、って。だから……」
「すみません俺は氷柱さんのこと手を出したいけど大好きです」
「君はちょっと黙ってて欲しいんだから」
……実際のところ、どうなのだろう?
すぐに手を出してしまうような人間かどうかを試していた。
本当に自分が好きなのかを試していた。
そうだったら良いなと兼も思うが、彼女は本当はどう考えていたのかは分からない。
彼女の心が、いつか少しでも分かるようになれば良いと、兼は思った。
- 610 名前:オマケ@「モラトリアム」:2013/03/07(木) 04:17:08 ID:gpvnoEaA0
声をかけると彼女が振り返った。
銀髪が靡き、銀色の瞳に自分の姿が映る。
勇気を出して言葉を紡ぐ。
「好きです」
思っていたよりも簡単に出てしまった一言が柔らかな春の風に乗る。
言葉に詰まらなかったのはどうしてだろう。
ひょっとしたら、ずっと心は待っていたのかもしれない。
彼女は少しだけ目を見開き。
そうして、フッと微笑んで言った。
「―――知っている、ありがとう」
彼女の言葉で、些細な告白は日常に溶けた――今はまだこれで良いと彼女の笑顔を見て思った。
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