/ ,' 3五つと一つの物語のようです*(‘‘ )*

419 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:25:07 ID:LstVOCCY0

“洞窟の中の老人は、狂えるシェスタールが乗り移ったかのようにニタニタした笑みを浮かべて私を見ていた。

「汝はどうしてここに居る?」

これで七度目になる問いを口にして、老人は焚火の中に自らの節くれだった右脚の爪先を差し入れた。

めらめらと燃え上がる紫の炎に足先をなぶられても、老人がそのニタニタとした笑いを崩す事は無かった。

「我が主君の理想を遂げる為に」

鎧の繋ぎ紐を結びなおしながら私が七度目になる答えを返すと、老人は黒い斑紋の浮く痩せこけた両腕を、皺くちゃになった毛の無い頭の上でやかましく叩き、より一層嬉しそうな様子でそのニタニタいう笑いを深めた。

「理想!理想!それは酸っぱい果実かえ?兎肉のように苦しょっぱいものかえ?」

「汝は何故それを追い求める?痛いのか?嬉しいのか?悲しいのか?狂っておるのかえ?」

「汝はどうしてここにいる?」

こちらを覗き返してくる白い所の無い老人のまなこに、真闇の深淵のようなものを見てとって、私はこれ以上の問答は不毛と悟り、その日は早々に横になる事にした。

紫色の焚火の明りの中で、老人はそれからもしばらく一人でケタケタと笑い続けていた。”

 

――“鬼牙将軍”シナー 「東南遠征に関する報告書簡」

420 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:25:58 ID:LstVOCCY0

第二幕

〜美しき反逆者〜

421 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:27:16 ID:LstVOCCY0

〜1〜

――薄ら暗い緑色の松明の明りの中に浮かび上がる石造りの階段は、
長い年月を日の光の温かさを知らずにいた為かあちらこちらに黴が蔓延り、
段と段の隅の方には灰色の埃に塗れた鼠の糞がぱさぱさに乾いて幾つも転がっている。
所々が崩れかけて土くれがぽろぽろと零れそうな地下への階段は、
美に対して並々ならぬ執着を見せる北部系ゲーディエ達の手によるものにも関わらず、
長い事補修が施されてこなかった事が誰の目にも一目瞭然であり、ともすればそれは残忍なる白子の民達が見せる
「醜いものに対する過剰なまでの嫌悪」の片鱗を覗かせているのだとも言えた。
北部ゲーディエの歪んだ美意識においては、美として愛でるものと醜として排除すべきものの線引きがしっかりとなされており、
この階段ひいてはその先にある地下室は彼らにとってはどうやら後者であるらしく、
自分もまたその後者へと選別されていくのかと思うと、エクストの自尊心は血だら真っ赤な沼の中で吠え猛る屍兵の狂戦士めいて荒れ狂うのであった。

<_プー゚)フ 「陛下は、御無事なのか……?」

┏〔 Ж〕┓「どの口が陛下の名を語るかと思えば…この期に及んでまだ白を切るか下郎め」

前と後ろを近衛騎士の死神めいた黒い甲冑に固められたエクストが、俯いたままに口を開く。
一刻程前に拘束された彼の両腕は後ろできつく縛り上げられ、
その細くも逞しい手首には獄庭の主の呪いが掛けられた魔術封じの手枷の黒く堅固な感触が重々しくぶら下がっていた。

<_フ;゚ー゚)フ 「違う!私は何も知らない!陛下に呼び出されてあそこに居たに過ぎない!」

┏〔 Ж〕┓「あの短剣が何よりの証拠であろう。もう黙るがいい」

422 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:28:32 ID:LstVOCCY0
無慈悲に言い放つと、エクストの後ろに立った近衛騎士が若き騎士の背中を逆手に握った大剣の柄頭で殴りつける。
曲がりなりにも近衛として女王から直々に勅令が下る程の身である為、エクストにとってそれは大した痛みとも言えない。
むしろ、彼にとってはこれから同僚になる筈だった者達から浴びせられた、
その冷徹な侮蔑と断絶の言葉の方が何よりも心を痛めつけるのだった。

<_フ へ )フ 「何故、私が……」

そぼ降る雨の中を飛び出してきた近衛の二人に拘束されたのが一刻程前。
女王陛下暗殺という身に覚えの無い謀反を着せられ地下牢へと連行されるうちも、エクストが事の詳細な顛末を知りえる事は無かった。
一体全体何が起こっているのかも分らぬまま、こうして長い階段を下りて行く彼の胸には、
ただ、ただ、理不尽なこの現状に対する怒りと、それを何処へ向けていいのかも分らぬ困惑だけがうっ屈と渦巻いているのみだ。

長い長い地下への螺旋階段を降り切った先に、緑色の松明の怪しげな光だけが照らす地下の廊下が見えてくる。
人二人がぎりぎりで並んで歩ける程の細い廊下は南北へそれぞれ蛇行しながら伸びており、
エクスト達はこれを南側の方へ向かって進んで行った。
微かな腐敗臭にエクストが進行方向とは逆の北側へと振り返ると、くねくねと曲がった天上の低い廊下の先には朽ちかけた木戸が一つあり、
半開きになったそこからは黒々とした煙が漏れ出るのと共に、獄庭語で呪言を呟き続ける陰鬱な声が漏れ聞こえてくる。
腐りかけた肉をかき回すような湿った音もが微かに聞こえてくる事からも、
恐らくあの扉の先は宮廷魔術師たるオサムの実験部屋である事が窺え、
いよいよもって自分があの屍術師の陰惨にして醜悪な屍兵共と同じ天上の下に押し込められるのかと思うと、
エクストは込み上げてくる吐き気と無念の情を抑えきるだけでも精一杯であった。

423 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:30:01 ID:LstVOCCY0
陰鬱なる地下の廊下を南へ進んでいくと、やがてエクスト達の進行方向より左手の方に鉄格子の連なりが現れ始める。
錆と血糊で赤茶けた鉄格子の向うはそれぞれが5テッド程の独房となっており、
その中には糞尿を入れる腐りかけた桶と気持ちばかりの寝床らしき藁などにまぎれて、
朽ちてからどれ程の歳月が経ったのかも分らぬ白骨が風化するに任せて散らばっているものも見受けられた。
先導していた近衛騎士は奥から二番目の牢の前で足を止め、
腰から下がった鍵束と束の間睨みあった後に目当ての鍵を探しあてると、金切声のような音と共に鉄格子を開ける。
目線だけでその中へと入る事を促されたエクストは、僅かにその白い表に抵抗の色を浮かべたが、
近衛の赤黒く無慈悲な有無を言わせぬ佇まいに諦めのうちに従い、おぼつかない足取りで牢へと踏み居れば、
近衛の騎士達は無言のうちに鉄格子を閉めて再び鍵を掛けた。

┏〔 Ж〕┓「明日の夕刻に陛下から直々に御裁きがあらせられる。
       それまで精々、自分が犯した不忠に対して懺悔することだな」

<_プー゚)フ 「……」

最早何を言っても聞き入れられぬだろう事をこの短い時間のうちにも悟ったエクストは、
無言のうちに近衛騎士達の去っていく背中を闇の中から見送る。
廊下の壁に等間隔で掲げられた松明の緑色のぼんやりとした明りの中、腐臭と血臭が立ち込める地下牢で、
遠ざかっていく具足の音を聞きながら床に腰を下ろせば、いよいよもってエクストはこの死の影蔓延る地の底に一人取り残されたのだった。
鉄格子を握る手から力が抜けてだらりと垂れ下げて、目の前に壁を見るともなしにエクストはぼんやりと見つめる。
黒い石づくりの壁の下には虜囚の体から出た血を流す為の溝が掘られており、
そこにはつい二日三日ばかり前にも赤い血が流れた事を表す様に、黒ずんだ汚れがこびりついていた。
若き騎士が入れられた部屋の奥には、四肢を縛る金輪のついた木の拘束台が壁際に捨て置かれており、
かつてその上で責め苦に喘いだ者達が流した血が、怨嗟と呪詛の残りかすのようにして風化している。
今まで拷問器具を繰る側の存在であった筈の自分が、今こうして血生臭く陰鬱な器具と一緒に鉄格子の奥に押し込められていると考えると、
エクストは憤懣やるかたない思いが湧きおこるのを禁じ得なかった。

424 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:31:26 ID:LstVOCCY0

<_フ へ )フ 「私が、女王陛下を暗殺しようとした、だと……?」

近衛の騎士があの時エクストの前に突き付けた黄金の装飾短刀は、ロザイエ家の家宝である事に間違いはない。
恐らくは、それが現場に落とされていた事から、エクストは女王暗殺の罪という、
甚だ不名誉極まりない濡れ衣を着せられこの場に押し込められたのだろう。
詳しい話こそ聞く事は出来なかったとはいえ、それくらいのところまではおおよその見当がつく。
エクスト自身に身に覚えの無い事である以上、何らかの思惑を抱いた者によって自分がその策略によって陥れられたとしか考えられなかった。
その事をエクストもここに至るまで何度も近衛の騎士達に訴えてきたが、
彼等はあの装飾短刀を物的証拠としてエクストの弁に耳を貸す様な事はせず、それどころか現行犯として厳重に拘束しに掛ったのだ。
初めこそは僅かに抵抗すべく反射的に体が動こうともしたが、自分が何者かの策略で陥れられたのだと悟った瞬間、
エクストは実力行使による抵抗を止めた。
ここで近衛の騎士達に冥府暗黒魔動で抗ったとしても、それは自分の立場を尚の事悪くする一方でしか無く、
きちんとした申し開きの場が用意されるのであれば、真に潔白の身である自分が正しい旨を証明することなど難しい事では無い筈。
少なくとも、エクスト自身はそう信じていた。

ともすれば次に湧き起ってくるのは、自身をこのような目にあわせた何者かに対する義憤の念に他ならず、
血糊のこびりついた石畳の上で正座したまま、鉄格子越しに牢屋の壁を凝視するエクストの双眸には、
赤々とした憤怒の炎が宿っているのだった。

何故に自分がこのような目に合わなければならないのか、エクストにおいては皆目見当もつかず、
考える事すらも甚だ不愉快極まりない事であれば、彼が思うのは自身の潔白が証明されてから、
如何様にしてこの陰謀めいた策略の主を見つけ出し、その喉笛を掻き切るのかというその一点だけである。
暗い憤怒と憎悪を腹の底でたぎらせながら、エクストは自身の身に宿る獄庭の闇鬼の御霊が血を求めて疼くのを僅かに感じながら、
ゆっくりとその血の様な瞳を閉じるのだった。

425 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:32:14 ID:LstVOCCY0

〜2〜

――どれ程の時間が流れただろうか。墳墓めいた地の底の牢の中にあって、
両手を拘束されたままでは懐の時計で時間を確かめる事さえもままならなければ、エクストには知る由も無い。
具足の立てる硬質な足音にエクストが閉じていた両目を開けると、
廊下の暗がりの向うからエクストの入っている牢に向けて歩いてくる三つの影があった。

┏〔 Ж〕┓「貴様に面会客だ」

松明の緑色の明りの中に立った黒薔薇の騎士がそう告げると、彼の後ろに並んでいた二人分の影がエクストの牢の鉄格子の前に進み出る。

(‘_L’)「やあ、エクスト。気分はどうだい」

川; - )「……」

深藍のチュニックに細身の脇差を履いたフィレンクトが無表情で口を開くその横では、
エクストにとっては最愛の人であるクーがその白い顔をより一層青ざめさせ、今にも倒れそうな風体で佇んでいた。

<_プー゚)フ 「気分はどうかと聞かれたら、最悪だと答えるよりはないだろうな」

冗談めかして言葉を返すエクストの目はしかし、先に閉じられた時から尚も消える事の無い義憤の炎が未だにゆらめいている。
ともすれば、目の前に佇むこの親友の喉笛にすらも噛みつきそうな危うさを秘めたエクスト前に、
フィレンクトはあくまでも冷静さを崩さずに無表情で頷いた。

426 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:33:11 ID:LstVOCCY0

(‘_L’)「ああ、このような所に押し込められて気分が良い様な輩なんていないだろうからな」

<_プー゚)フ 「それが、無実の罪でともなれば尚の事だ」

(‘_L’)「……」

理不尽に対する憎悪と憤怒を隠そうともしないこの若き騎士を前にして、
騎士団長たるフィレンクトはこの親友に何と言葉を掛けていいものかと束の間躊躇う様な表情を浮かべる。
案内を務めた黒の騎士が見守る中、三人の間には一種独特の緊張感が漂っていた。

<_プー゚)フ 「――僕は何もしていない。陛下からの書簡で呼び出されて、あの場に偶然居合わせたにすぎないのだ」

(‘_L’)「……」

<_プー゚)フ 「陛下を暗殺しようとしていたなど、事実無根も甚だしい。
       それだったら、僕は真に賊らしい者の姿だって目にしているのだ。
       襤褸を纏った白い仮面…そうだ、あいつこそが僕を陥れたに違いない」

(;‘_L’)「落ち着け、エクスト」

<_フ#゚ー゚)フ 「あいつを連れてこい!あいつこそが真の謀反者だ!僕は何もしていない!あいつだ!あいつがやったに違いない!」

(;‘_L’)「分ったから落ち着いてくれ!」

親友の恫喝にはっとなってエクストは口を噤む。
知らず、檻を破らんばかりにして押し付けていた半身を鉄格子から離すと、
視界の端に両手で顔を覆ってさめざめと泣く愛しき婚約者の姿が映った。

427 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:33:51 ID:LstVOCCY0

<_フ へ )フ 「僕は…僕はやっていない……」

(;‘_L’)「俺も、そうだと信じたい」

<_フ Д )フ 「そうだ、陛下は無事か?無事なら陛下の口からも――」

(‘_L’)「ああ、陛下はご無事だ。だが、今はそれよりも……」

うわ言のようにして訪ねてくるエクストに、彼の親友は目線で注意を促す。
彼の背後で両手で顔を覆ったままにむせび泣いているクーもまた、その婚約者同様に今回の顛末を受けて酷く憔悴しきっている様子だった。
獄中の騎士ははっとしてそちらへ顔を向けると、手枷で動きにくい身を捩って彼女の傍に出来るだけ近寄る。
自分と同じように、彼女もまた不安でたまらないのだ。
自分の事にばかり腹を立てている場合では無いと思い返せるだけ、エクストにもまだ幾ばくかの冷静さは残っているようだった。

<_プー゚)フ 「すまない、君を心配させてしまったね、クー」

川 う- )「うっ――ぐすっ――」

<_プー゚)フ 「何も知らない奴らは、僕が陛下に対して謀反を企てたなどと言っているが――」

川 う-;)「お父様が――」

<_プー゚)フ 「大丈夫だ。僕は、何もやっていない。僕は潔白だ。だから君も――」

川 う-;)「お父様が――今回の件で、婚約を破談になさるって――」

<_プー゚)フ 「えっ――」

428 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:34:40 ID:LstVOCCY0
泣きはらして目の周りが真っ赤になった顔を上げて、愛する女が口にしたその言葉に、
瞬間、エクストは後頭部を戦槌で思い切り殴られた様な衝撃を覚えた。

<_プー゚)フ 「な――」

今、何と。彼女は今、何と言ったのだ。

川 う-;)「誠か嘘か、まだはっきりとはしていないにしても――そのような不祥事を起こす様な男の下には――嫁がせないって――今朝――」

今朝、と言うからにはもう既に夜は明けたのか。
そのような事をぼんやりと考えてしまう程に、エクストの頭の中は混乱していた。

婚約。

破談。

二つの文字だけが、あざ笑うかのようにして、ぐるりぐるりとエクストの頭の中を回る。
何故。どうして。いや、理由は今まさに彼女の口から語られたばかりだ。
それでも問わずにいられない。どうして。破談など、受け入れられる筈も無い。

<_フ Д )フ 「そんな…馬鹿な――」

そうだ、そんな馬鹿な事が許されてなるものか。自分は潔白なのだ。自分は陥れられただけなのだ。
何もしていない。何も悪くない。それなのにどうして自分の幸せがこのような理不尽によって摘み取られねばならないのか。
このような不当な事が真実なわけがない。
そうだ、クーだってこのような結末は望んでなどいない筈。

429 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:35:49 ID:LstVOCCY0
<_フ;゚ー゚)フ 「そうだ、君だってこんなのは理不尽だと思っているんだろう?
        僕は無実なんだ。君だってそう思うだろう?なあ?」

川 ; -;)「分らない――わからないわ……!」

<_フ;゚ー゚)フ 「――っ!」

どうして!どうしてそんな顔をするのだ!今や、エクストの胸の中は手負いの猛獣めいて荒れ狂い、苦痛の咆哮を上げんとしていた。

<_フ;゚ー゚)フ 「君は、僕が無実だと信じてくれていないのかい?」

川 ; -;)「信じたい――信じたいけれど――」

ふっとクーの目線が動くと、隣のフィレンクトを窺う。

(;‘_L’)「――陛下自らが、お前に襲われた、と証言している」

苦い顔でそれだけを吐き出すと、フィレンクトはそれきりで俯いてしまった。

<_フ;゚ー゚)フ 「そんな訳が――」

嘘だ。嘘だ。嘘だ。そんなことがあるわけがない。どういうことだ。自分は一体誰に陥れられたのだ。
陛下自身がそう証言した。エクストには到底信じられない。何が起こっている。一体これは、どういう事なのだ。

430 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:36:51 ID:LstVOCCY0

<_フ;゚ー゚)フ 「そんな訳が…あろうはずが……」

喘ぐようにして吐き出した言葉が、届け先を見失って虚しく牢屋の石畳の上に転がる。
鉄格子に寄せていたエクストの半身が、支えを失ったかのようにしてずるずると床の上に崩れ落ちた。

(;‘_L’)「立場上、俺もお前に何と言葉を掛けていいかも分らぬが……。
    お前が無実であってくれることを、願っているのは本当だ」

苦悩するかのようにして吐き出された親友の言葉も、今のエクストにとっては気休めにもならない。
今まで信じて尽くしてきた女王、果てはその国からも裏切られたとでも言えるような先の言葉は、
今やこの若き騎士がベゼルという国の中において孤立無援に陥ったという事実に他ならない。
ともすれば、この親友が如何に言葉を尽くして彼を慰めようとしたところで、
これから言い渡されるであろう裁きの結果が覆される様なものではなく、
既にしてエクストの身にこれから訪れるであろう運命が、絶望の一色に染まっているのは火を見るよりも明らかなのであった。

<_フ Д )フ 「ああ、僕は――」

女王自身がエクストに襲われたと口にしている以上は、
これからの申し開きでどのように言葉を尽くしたところで身の潔白を証明することなど到底叶うわけも無いだろう。
如何に位の高い者であろうと、女王暗殺の謀反を企てた身では死罪は免れない。
生きながらえる道があるとするのならば、それは恐らく死霊術の実験体として、
あの宮廷魔術師の檻の中で半死半生の化け物として送る気も狂わんばかりに陰惨なもの以外には考えられない。
黒薔薇の騎士としてエクストが思い描いた名誉ある死からは程遠い、それは理性も美徳も何も無い獣としての死だ。

431 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:37:54 ID:LstVOCCY0

川 ; -;)「ねえ、私どうすればいいの――?教えて、エクスト」

未だ泣きやまぬ様子でクーが縋る様に尋ねてくるが、どうすればいいのかなどと言う問いはエクストにこそ誰かに教えて欲しい事なのだ。
長い間の苦節が実って、ようやくにして近衛の位階に辿りつき、
愛する婚約者との結婚を目前に控えていた昨日までの日々が、一瞬にして奪い去られたのだ。
これ以上、自分にどうして欲しいのか。これ以上、自分は何をすればいいのだろうか。
エクストには、皆目見当もつかない。否、考えるのすら無駄な事だった。

<_フ ー )フ 「どうすればいい?ふふ――どうすれば、いいのだろうな……」

川 ; -;)「私、貴方が居なくなったら、一体どうすれば――」

嗚呼、それでもこうして自分を頼ってくれる愛しい人が居るというのは、
たとえそれだけでは絶望の未来を覆す事の出来ないものだとしても、僅かばかりに心を慰められるものなのだな、とエクストは自嘲めいた考えを巡らせる。
かつて自分が思い描いた幸せな日々を彼女の隣で過ごすことはもう叶わないまでも、
せめて恋人として最後は出来るだけの言葉を返してやらねばなるまい。
死体のように蒼白な顔を上げてエクストは自分の想い人の顔を真正面から見つめると、
真闇の如き絶望が蟠る胸の底に残った僅かばかりの想いを掬いあげるようにして口を開いた。

<_プー゚)フ 「クー、こんな事になってしまっても、君はまだ僕を愛してくれるかい?」

既にしてその面に死相を漂わせたエクストの言葉に、女は束の間躊躇うような素振りを見せたが、涙を拭って僅かに頷く。

川 ; -;)「――ええ、貴方を愛しているわ、エクスト」

432 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:38:44 ID:LstVOCCY0
震えながらのその言葉を聞いた瞬間、束の間エクストの脳裏をこの愛しい人と共に過ごす幸福な未来の幻影が過った。
結局のところは叶いもしない白昼夢であるそれを何とか振り払うと、
エクストは込み上げてくる涙を堪えながら断腸の思いで次の言葉を紡いだ。

<_フ ー )フ 「僕も、君を愛している。だけど、もう傍には居てやれないようだ。
         だから、僕の事は忘れて、誰か別の人を探すと良い」

川 ; -;)「そんな――」

<_フ ー )フ 「僕はもう、君の事を幸せにして上げられそうもない。それを謝るよ。すまない。
         だからこそ、君には新しい幸せを見つけて欲しいんだ」

川 ; -;)「そんなの嘘よ!いや!貴方だって私が別の男の所に行くなんてイヤだと思ってるくせに!」

成程、彼女の言うとおりなのかもしれない、とエクストは密かに述懐する。
幸せになって欲しい。その願いはエクスト自身の心の底からのものだ。だが、
彼女が掴む幸せが自分以外の男によって齎されるものであるなどというのは、普段の彼ならば到底許しがたい屈辱でしかない。
ともすればそれは、利己的な願いなのかもしれない。彼女とともに笑いあい、
彼女の横で幸せを共有するのは、自分を置いて他にはない。しかしそれは男ならば誰しもがそう願わざるを得ないものなのではないか。
最も、今のエクストにおいては、そのような無様な未練を吐き出す程の気力も無く、
かといって彼女のこの的を射た指摘に詭弁を返してやるほどの思考能力も残っていなかった。

433 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:39:29 ID:LstVOCCY0

川 ; -;)「いや…いやぁ……」

頭を振って泣き崩れる女の肩に、フィレンクトの手がそっと乗せられる。
今まで黙して様子を静観するだけだった黒騎士が兜を僅かに上下させれば、この短い別れの時間にも終わりがやってきた事が推し量られた。

(‘_L’)「二人とも、まだ御裁きも下っていないうちから、そう決めつけるものじゃない。
    これからの申し開きで、もしかしたらと言う事もあるかもしれないじゃないか」

何とか場を取りなそうとして無駄に浮ついた言葉をまくし立てるフィレンクトは、しかしこの地の底においては道化にすらもなれない。
啜り泣くクーと虚無的な沈黙を返すエクストを前に、彼もまた矢張り苦い顔を作るよりほかは無く、
三人の間に降りた絶望の帳は如何ともしがたい重さで蟠り続けた。

(‘_L’)「ともかく…俺は、お前の潔白を信じている。それだけは、言っておく」

看守たる黒の騎士に引き連れられてその場を後にする段になって、フィレンクトは去り際にエクストを振り返ると、
普段は見せないような至極真面目な表情を浮かべる。
鉄格子の中で崩れ折れたままのエクストがそれに儚げな頷きだけを返せば、フィレンクトの顔は再びあの色濃い苦悩に覆われた。

川 ; -;)「……」

最後まで名残惜しげにエクストを見つめていたクーも、フィレンクトに優しく肩を抱かれてその場を後にする。
緑色の松明の明りの向うに遠ざかっていくその繻子の様な黒髪を、エクストは何時までも何時までも見送っていた。

434 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:40:31 ID:LstVOCCY0

〜3〜

――陰鬱とした地下の牢獄の壁に、低く、湿り気を帯びた呻き声が断続的に反響しては、エクストの耳に届く。
まるで白痴のようなその呻き声の主は、エクストが押し込められている牢獄の対極の方向に位置する死霊術師の工房の中に居るのだろう。
腐肉の塊におざなりな命を吹き込まれた歩める屍達は、創造主の下(くだ)すごく単純な命令を遂行するだけの犬畜生程度の思考能力しか併せ持たない。
獄庭の底から響いてくるようなその理性を持たない暗澹たる呻き声を遠耳に聞きながら、
或いは今の自分も彼ら意志持たぬ屍と同程度の存在やもしれぬ、とエクストは鈍くなった思考の片隅で僅かに自嘲した。

<_フ ー )フ 「ふっ――くっ…くははは……」

牢獄の石壁にその身を預けて、足を投げ出し座り込んだエクストの唇から、乾いた笑いが漏れる。
ひび割れた声で陰鬱な笑いを上げるエクストの姿は狂えるシェスタールめいて不安定で、
或いは彼自身が胸中で自嘲したように、魂持たぬ屍の幽鬼染みた様相を呈しているようでもあった。

<_フ ー )フ 「どうして――どうして――」

壊れた妖術傀儡めいて同じ言葉を繰り返すエクストの胸には、先ほどまでその身を焦がしていた理不尽への義憤も、運命への憎悪の炎も既に立ち消えて久しい。
愛すべき者と信じてきた国の両方を同時に失ったこの若い騎士には、最早怒りの火種として燃やすものなど何一つ残っておらず、
これから訪れるであろう死の運命が絶対的に不可避なものであるという事が知れてしまえば、
今更自分がどうしてこのような目にあったのかを突き止めようとする気概も雲散霧消し、
ただ、ただ、諦観と絶望の中で呻くことしか出来ないのであった。

435 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:41:45 ID:LstVOCCY0
<_フ ー )フ 「ふふ――どうして――どうしてか――ふふ…ははは……」

故に彼の口から紡がれる「どうして」という言葉も抜けがらめいた虚ろな響きを帯びれば、
彼の思考は一層黒い絶望に塗りつぶされ、最早一片の意志とて持たぬかのようにして口だけが絶えず意味の無い「どうして」を繰り返し続けるのであった。
或いは彼の両の手に魔術封じの手枷が付いていないのであれば、その陰惨にして暗澹たるどす黒い感情を闇鬼の貪るままに任せて、
その身を獄庭の主に捧げて一生を遂げる事が出来ようもあったであろう。
もっとも、ベゼルにおいて法により死の裁きにあう黒薔薇の騎士はその身が二度と立ち上がれぬよう、
四肢を切断された上で胴と頭を分かたれて獄庭の炎で焼かれる故に、死して獄庭の主にその亡骸を譲り渡すことすら叶わない。
不忠者に対して黒薔薇の騎士としての名誉を与える程に、このベゼルという国は情け深く出来てはいないのだ。
敵前で降伏するよりも、戦場で闇討ちにあって反撃もままならずに命を落とすよりも、
病床に沈んだままに立ちあがれぬままに伏すよりも、およそエクストが考えうる限りではどのような死に様よりも、
これから彼の身に降りかかる運命は、より一層惨めな犬死に他ならないのだった。

来る死の運命を前にして、鈍くなった思考でエクストが考えるのは、せめて最後にもう一度だけ、
愛しい女の肌に触れたいという、ごくありふれた、けれども決して叶う事の無い願い。
血糊がこびりついた鉄格子に雪の様な白髪をいただく頭を持たせかけて、
白痴のようにしてただそれだけを考え続けてるエクストの耳に、その音が届いたのは、果たして如何なる神の思し召しであっただろうか。

<_フ ー )フ 「なん…だ……?」

遠く、向うで、微かに響くそれは、金属と金属が擦れる音だろうか。
余人ならば全神経を耳に集中していなければ聞き取れないほどに微かなその音をエクストの耳朶が拾う事が出来たのは、
ひとえに彼が常人離れした身体能力を持つ獄庭の闇鬼の洗礼を受けし黒薔薇の騎士であったからに他ならない。

436 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:42:46 ID:LstVOCCY0
それが鎧と鎧の継ぎ目に刃を差し入れては引き抜く音だとい事に気付けたのもまた、
長年に渡る戦場での経験に基づくものであれば、伊達にこの若き騎士が一度は近衛の位階を授かる所まで上り詰めたのも、何らおかしくない事であろう。
鉄格子の中で耳を欹てると、エクストはこの僅かな物音が地下の牢獄に何を齎したのかを鈍くなった頭を急激に回転させて類推しようと試みる。
先の物騒な物音に続いて、今度は微かに床を小走りに掛ける足音が僅かに聞こえてくる。
埃が宙で舞う様よりもしめやかにして静かなその足音は、矢張り常人では聞き取れないほど微かなものだ。
どんどんとこっちに近づいてくるその足音が何者のものであれ、それが相応に隠密の鍛錬を積んだ者である事は考えるまでも無い。
これほどの無音の中を歩める者となると、しかしエクストには皆目見当もつかなかった。
一体何者が、何の目的を持ってこちらに近づいてくるのか。
エクストが思考を巡らす間にもその足音は着々と近づいてくると、遂にその姿をエクストの前に表した。

( ∵)「やれ、もう少し手間取るかとも思ったが。存外、造作も無いことであったな」

<_プー゚)フ 「なっ――」

白い仮面に黒の襤褸が如きローブ。鉄格子の前に仁王立ちして首を傾げるその姿は、他ならない、昨日の晩に自分の運命を狂わせたあの賊ではないか。

<_プー゚)フ 「貴様――」

束の間、エクストの胸中に様々な思いが去来する。初めに困惑が、次いで疑問が、
そして最後に憤怒が湧きおこるや、エクストは壁に預けていたその身を起こし、
目の前に立つ白い仮面に向けて一層の憎悪と義憤を込めて叫んだ。

<_フ#゚ー゚)フ 「どの面を下げてここに来た!貴様が――!貴様さえいなければ――!」

437 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:43:39 ID:LstVOCCY0
諦観の中で誤魔化し続けていた行き場の無い怒りが、今まさにその矛先を見つけて竜の息吹が如くエクストの口をついて迸る。
全ての元凶、諸悪の根源、運命の悪魔、呼び名など何でもいい。今目の前に居るこの人物こそは、
エクストが喉から手が出る程にその鮮血を欲する、忌むべき大敵に他ならなかったのだ。

<_フ#゚ー゚)フ 「そこを動くな!今すぐにでもこのような手枷など引きちぎって、貴様のはらわたを引きずり出してくれる!」

先までの絶望的な諦観さえも忘れて、憎悪と憤怒の化身となったエクストが、
自らを戒める手枷を引きちぎらんと身を捩りながら、犬歯を剥き出しにして鉄格子に上体を打ち付ける。
狂おしいばかりの憎悪を一身に受けた白い仮面は、しかし狂犬の如きエクストを前にしてもどこ吹く風と言った様子で超然とした佇まいを崩すことは無い。
襤褸の裾をふわりと靡かせその場にしゃがみ込むと、その裾から肌に密着した黒革に覆われた腕を出して、
白卵のような仮面の前で「しーっ」と指を立てて見せた。

( ∵)「俺をしてそこまで憎んでくれるのは大いに結構な事だが、今は時間が無い。
    手短に用件だけを話すから、どうか聞き分けてくれ」

<_フ#゚Д゚)フ 「おおおおお!殺す!殺す!今すぐ殺してくれるぞ!」

返答の代わりにエクストは鉄格子へと体当たりを返す。
憎悪と怒りに昂ぶり狂ったエクストは、最早一頭の獣の様相を呈していた。

( ∵)「やれやれ、見つけ出すのは簡単だったが、連れ出すには随分と手間が掛りそうだ」

冗談めかして肩を竦めると、白の仮面は僅かに溜息をついて束の間思案するように顎の下に掌を当てて首を傾げる。
その間にもエクストは思いつく限りの罵声と呪詛の言葉を叫び続けた。

438 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:44:35 ID:LstVOCCY0
<_フ#゚Д゚)フ 「この卑怯者の逆賊が!人を貶めて尚恥を知らぬ外道めが!
         少しでも誇りがあるのなら、先ずはその仮面を取って顔を見せてみよ!」

( ∵)「さてはて、一先ずはこの狂犬をどうやって静かにさせたものか……」

<_フ#゚Д゚)フ 「取れないのか?自分の顔を人様に見せるという礼儀も知らんのか?
         なるほど、貴様のような卑怯者の恥知らずなら尚のことよな!
         大方その仮面も、一目とて見られぬ様な醜い顔を隠すためのものであろうよ!」

瞬間、鉄格子に噛みつかんばかりにして吠えていたエクストの喉に、三つ並んだ鋭利な刃の切っ先が付きつけられる。
白い仮面が拳に嵌めた黒革の籠手から伸びるその刃は、闇鬼の爪めいて残忍な光を湛えてエクストの白い喉の薄皮を突き破り、僅かに鮮血を滲ませていた。

<_フ;゚Д゚)フ 「――貴…様……」

( ∵)「矢張り、こうするのが一番手っ取り早いか」

命の手綱を握られては黙るより他はない。大人しく口を噤んだエクストに白い仮面は無感動に呟くと、若き騎士の喉元から爪を引く。
鉤のように折れ曲がったその切っ先をもう一方の手で白い仮面が押してやると、三連の爪は黒い革籠手の中にするすると収まった。
どうやら、革籠手の中にはバネ仕掛けの飛び出し機構が仕込まれているようであった。

( ∵)「いいか、もう一度だけ言うが時間が無い。もう少しで日が傾き始める。
   貴様が敬愛する女王により“有り難い御裁き”が下れば、
   貴様の首はその場で切り落とされ、“皮剥ぎ”共の悪趣味な彫像よろしく磔台に飾られるだろう」

439 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:45:42 ID:LstVOCCY0
( ∵)「もしも貴様が、惨めな犬死を望むのならば好きにするがいい。だが、そうではないのならば、俺と共に来い。
   俺にその黒薔薇の騎士としての力を貸すと約束するなら、ここの鍵を開けてその手枷を外してやろう」

諭す様な冷静な口調で一息にそこまでまくし立てると、白い仮面は返答を待つようにして表情の無い面でエクストを見返す。
ここに至って、思ってもみなかった仮面の申し出にエクストは束の間困惑した。

<_フ;゚ー゚)フ 「貴様と、共にだと――?」

黒薔薇の騎士としての力を貸すならば、ここから出してやる、とこの逆賊はエクストにそう告げた。
なればこそ、今この場でその手を取るという事は、女王の暗殺を企てた当の本人と結託するという、決定的な背信行為に他ならない。
いや、しかし待て、とエクストは思い直す。フィレンクトの弁を思い出せ。既に自分は信じていた国から見捨てられた身ではないか。
今更背国などという事をのたまっている場合では無いのではないか。
なればこそ、ここでこの逆賊と敢えて手を結び、何故自分が陥れられねばならなかったのか、その真相を突き止めるべきではかろうか。

否、否、否。エクストの本能が、その手を握る事を痛切に拒む。この人物こそは、自分の人生を転落に追いやった元凶に他ならない。
仮にだとしても、そのような輩と肩を並べてあまつさえこの獄庭の主より授かりし力を、得体のしれない目的の為に貸し与えるなど言語道断。
腐っても黒薔薇の騎士であるエクストの誇りはそれを許さない。
ここでこの賊の手を取ったのならば、その時より自分は真の意味で国賊に身をやつすこととなるのだ。

440 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:46:30 ID:LstVOCCY0
<_フ#゚ー゚)フ 「ふんっ、賊に貸してやる程我らが黒薔薇の秘儀は安くないわ。
         貴様の様な下賤な犬畜生と並んで真に売国奴となりはてるのならば、
         せめて私自身がこの潔白を証明出来るうちに、果ててくれるわ!」

汚辱に塗れても尚、騎士としての高潔さを失わない彼のその弁はしかし、
目の前の白い仮面にとってはさして感慨のわく様なものでは無いようであった。

( ∵)「まったく、これだから頭の固い黒薔薇の騎士様は困ったものだ。
    名誉?誇り?潔白?貴様は気でも違っているのか?理解に苦しむな」

表情を押し隠した白い仮面の穴から、金色の瞳が侮蔑を浮かべるようにして僅かに光る。

( ∵)「騎士道精神に頭が湧いた北の騎士様方は随分と命が安いご様子で。
    何とも度し難いものだな。死んだら名誉もへったくれもあるものか。
    生き死にっていうのはなあ、坊っちゃん。遊びじゃないんだよ」

<_プー゚)フ 「ふんっ、犬畜生に我らが高尚な価値観を理解してもらおうなどとは初めから期待しておらんわ」

( ∵)「貴様っ……!」

泰然自若として構えていた白い仮面に、ここに来て初めて感情の色が表出した。
騎士としての誇りを掲げて折れる事の無いエクストを前にしてこの白い仮面が浮かべたのは、焦りか、憤りか。
躍起になって言い募ろうとする白い仮面はしかしそこで一歩引いて冷静さを取り戻すと、
あくまでも自分の目的を優先させるためにそのくぐもった声を発した。

( ∵)「――良いだろう。騎士道精神、大いに結構。
   だが、その貴様の言う所の“誇り”とやらの為に愛する者の危地を救えぬとなったらどうだ?」

441 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:47:22 ID:LstVOCCY0

<_プー゚)フ 「なんだと…?」

( ∵)「貴様の婚約者の…クー、だとか言ったか?」

<_フ;゚ー゚)フ 「クーがどうしたというのだ!」

先ほどまでの不敵な表情はどこへやら、エクストはやおら半身を起こすと再び鉄格子に噛みつかんばかりの勢いで白い仮面を詰問する。
期待通りの若き騎士の反応に、賊は仮面の下で僅かにその唇の端を歪めた。

( ∵)「彼女の命が危ない。具体的には、彼女もまた狙われている」

<_フ;゚Д゚)フ 「命を狙われているとはどういうことなのだ?」

( ∵)「さて、俺も詳しい事は分らんな。ここに来る途中で小耳にはさんだまでだ」

<_フ;゚ー゚)フ 「クーが狙われているだと?どうして彼女が……」

( ∵)「それで、どうする?」

<_フ;゚ー゚)フ 「……」

まるで試すかのような仮面の言葉にエクストは奥歯をぎりりと噛みしめる。
この期に及んで唐突に元婚約者の名前を出してくるなど、冷静さを欠いたエクストですらも嘘の可能性の方が濃いということは分っている。
ともすればこの白仮面からは、エクストの弱みをちらつかせる事で彼を煽り、
あわよくばその冥府暗黒魔動の秘儀にあやかろうという魂胆が透けて見えるのだ。
そのような事が分っていても尚しかし、エクストはその白仮面の言葉を無視するという様な事は出来なかった。
嘘やもしれぬ。否、彼を謀ろうとしている可能性の方が遥かに高い。
それでも、万に一つでもここでエクストが動かなかったばかりに、愛する女が危うくなるなどというのは、
この若き騎士には到底我慢のならない事であった。

442 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:48:20 ID:LstVOCCY0
もう二度とその隣を歩む幸せが手に入らないと知っても尚、エクストのこの想いは変わらぬ。
未来を絶たれ、絶望の中で死を待つだけの彼に残されたそれは、唯一の生きる希望でもある。
真の国賊として売国奴の罵りを受けようとも、愛する女だけは何としても救いたい。
あわよくばもう一度二人で笑いあいたい、という想いが無いのかと言われれば嘘になる。
そんなものは叶わぬものだとも知っている。本当に彼女が危機に瀕しているのかも怪しい所だ。
それでも動かぬわけにはいかぬ。万に一つでも可能性があるのなら、動かぬわけにはいかぬのだ。

<_フ ー )フ 「――いいだろう。敢えて、今は貴様のその奸智に踊らされてみせよう。
         だが覚えておけ。彼女の身の安全が確認出来たら、次は貴様を殺す。
         私はあくまでもクーの為だけに動くのだ。貴様に用が無くなれば直ぐにでも殺す」

鬼火のような憎悪の光をその赤い瞳にぼうっと灯し、エクストは鉄格子から身を離して佇まいを治す。
乱れた長い白髪の間から白い仮面を睨みつけるその姿は、復讐に狂った悪鬼のようでもあった。

( ∵)「こちらとしても貴様とそう長く居るつもりなどない。
   お互い、用が済んだらそこでさようならといこうじゃないか」

難解な交渉がようやく終わった事にひと段落の溜息をつくと、白い仮面は襤褸のようなローブの下から鍵束を取り出して鉄格子の鍵穴に挿して回す。
きいきいと軋む牢に次いで、若き復讐鬼に後ろを向かせると、別な鍵を選び取ってはその青白い両腕を縛る手枷に挿しこめば、
ややあってがちゃり、という音ともに手枷が外れ、重々しい音を立てて牢屋の床に転がった。

( ∵)「さて、これで貴様は晴れて自由の身だ。
   言っておくが、ここで俺を殺そうなどと馬鹿な事は考えるなよ。
   俺の前を歩け。道案内は後ろからしてやる」

443 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:49:17 ID:LstVOCCY0
油断なく背後に回って、エクストの背にその三連の鉤爪を突き付けると、白い仮面は命令する。
体裁きといいその有無を言わせぬ物言いといい、この襤褸のようなローブを纏った何者かからは、全てにおいて手慣れた所が窺えた。

<_プー゚)フ 「ふんっ、貴様の様な卑怯者と一緒にするな。
       国賊に堕ちたとしても、この誇りまで貴様にくれてやるつもりなど無い」

1オッドのその半分程(約25キログラム)もあろうかと言う鉄の輪に戒められた事で痛んだ手首を摩りながら、エクストは背後の仮面に侮蔑を返す。
瞳を閉じ精神を集中させれば、その左の手に僅かに獄庭の力が渦巻く様を思い描く。
紫色をした風が確かに自分の左腕から立ち上っている事を確認すると、エクストは小さく頷いた。

<_プー゚)フ 「それで、ここから逃げおおせる準備は整えてきているのだろうな?」

( ∵)「準備を整えてきた所で、これだけ貴様を連れ出すのに時間が掛っていては無駄だろうさ」

万感の皮肉をこめて白仮面は言い捨てると、直ぐに思い直したように手甲から飛び出した爪を繰って、通路の先を指し示す。

( ∵)「この牢獄の区画とは丁度反対側に、オサムだか言う宮廷魔術師の研究区画がある。
    あの悪趣味な玩具置き場は、死体の処理の為に下水と繋がっている事は調べてある。
    そこから伝って街の中へと出るのが、一番騒ぎが起きにくいだろう」

死霊術師の実験工房を通るというその言葉に、エクストは僅かにその流麗な眉を顰めた。
直接にその目で工房の中を見た事は無いとはいえ、エクストも戦場で彼奴の創り出した屍兵とは何度か肩を並べた事がある。
腐肉をぶら下げただけの殆んど白骨のようなものから、死んだばかりで生者と区別のつかないものまでその様相は千差万別であるが、
その評判は黒薔薇の騎士達の間でも宜しくは無い。
おおよそ知性らしきものを持たぬ屍兵は大概が敵の拠点を攻める際に多くの数を導入され、
その運用方法からも分る通りに一個一個はさほどの脅威ではない。
奴らの最大の戦術的目的は、ベゼルに敵対する者達にその汚らわしい様相で恐怖を植え付けることともう一つ。

444 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:50:10 ID:LstVOCCY0
今回は、そのもう一つが問題になりそうだった。

<_プー゚)フ 「私があの屍共に後れを取るなどと言う事は間違っても無いだろうが、貴様はどうなのだ?
        そのような薄手の恰好でいいのか?」

屍兵達にも様々で、戦術目的別に分けて実に多種多様な種類が存在するが、中でも最もエクストが戦場で多く見かけたのが“媒介役”である。
一見して、武器も盾も持たない、呻くだけのその屍兵がどうやって敵を襲うのかと言えば、
その二本の腕と口なのであったが、果たしてこの口というものが実に厄介であり、
この“媒介役”と呼ばれる歩める亡者に噛みつかれたが最後、如何様な冥府暗黒魔動の成せる業か、
噛みつかれたものもまた“媒介役”と同じく、贄を求めてうろつく息せぬ亡者と成り果ててしまうのだ。
一個一個の脅威はさほどでもないが、数さえ揃えればそのうちの一体が何れは敵の喉笛を噛みちぎり、
そこから“新兵”が生まれ出す事によって更にこの流れは加速し、最後に戦場に立っているのは生者の肉を求めて呻く屍の軍勢だけと、こうなるのだった。

( ∵)「俺の先の言葉を忘れたか?何のために俺が貴様をわざわざ苦労して解放したと思っている?」

<_プー゚)フ 「私に先陣を任せて、貴様は後ろからそのご自慢の爪を突き立てているだけか。実に卑怯者らしくて結構じゃあないか」

( ∵)「ああ、貴様程軽い命を持ち合わせていないものでな。精々後生大事にさせてもらうさ」

互いに侮蔑の言葉を吐きあってから二人は鉄格子の外へと出ると、緑色の松明に照らされた通路の向うをしっかと見やる。
地の底の牢獄区画はしんと静まり返っており、今のところはまだ宮廷の兵士達が降りてくる気配は無い。
それでも長居などはしていられない。エクストには今が何時(なんどき)であるのか分らぬものの、
一刻も早くこの場を立ち去るにこしたことは無さそうだ。

445 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:51:04 ID:LstVOCCY0
<_プー゚)フ 「そう言えば、まだ名を聞いていなかったな。
       下賤な賊とはいえ、一時でも共をする以上、名乗ったらどうだ?
       それとも、名乗るにはあまりにも恥ずべき名をお持ちか?」

( ∵)「何かにつけて噛みつくのを止めたらどうだ?貴婦人達が聴いたら品性を疑われるぞ?」

<_プー゚)フ 「はっ!素顔も見せられぬと来て次は名も名乗れぬのか!
       ここまで来ると最早下賤を通り越して哀れにも思えてくるぞ!」

( ∵)「ならば貴様ら風に言わせてもらおうか。“貴様に名乗る名など無い”。どうだ、これで満足か?」

<_プー゚)フ 「ふんっ!大いに結構!ならばこちらの好きに呼ばせてもらうぞ」

( ∵)「勝手にするが良いよ」

<_プー゚)フ 「ビコーズ」

( ∵)「ビコーズ?」

<_プー゚)フ 「我が家の奴隷の娘の名だ。貴様の様な輩には相応しい」

新たに頂いたその名前に白い仮面は僅かに肩を竦める。

( ∵)「――それで構わない。で、貴様の名は?」

エクストは鼻を一つ鳴らすと後ろを振り返り、その流麗な顔に皮肉気な笑みを浮かべて言った。

<_プー゚)フ 「“生憎、貴様の様な下賤の輩に名乗る様な名は持ち合わせていない”」

446 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:51:59 ID:LstVOCCY0

〜4〜

――松明が投げかける緑色の炎の揺らめきの中に、黒鋼の甲冑の流麗な板金が照らし出されている。
目には目をとばかりに看守としての役割を上役より申しつけられた黒薔薇の騎士に息は無く、
埃と黴と鼠の糞があちらこちらに散乱した汚らしい地下道の上で、物言わぬ傀儡のようにして横たわっていた。
エクストはその元同僚の傍に片膝をついては手を伸ばすと、慣れた手つきで遺体から甲冑を剥ぎ取っていく。
兜の下から現れた顔がかつて自分を慕ってくれていた二年下の部下だと知った時、
エクストの手は鎧を剥ぐの一端止めて、束の間これから自分が成そうとしている事に思いを馳せたが、
いらぬ感傷で決心が鈍らぬようにとすぐさま気持ちを切り替えると、せめてもの手向けとしてその兜の面頬に彼の大剣で僅かに傷跡を点けた。
先にビコーズが潜入する際に打倒されたであろうこの黒騎士の遺体は、綺麗な切り口を晒して首と胴が分かたれている。
心臓を貫き絶命させただけでは、数分と経たずに闇鬼へと変貌する黒騎士を完全に滅殺するには、
本来ならばその遺体を焼き払うのが最も正確ではあったのだが、首を斬り落とすだけでも時間稼ぎとしては十分だ。

( ∵)「脱出の際に後ろを気にしなければならないのは面倒だ。解体しろ」

炎を模した紋様のような黒ずみが青白い肌の上に浮きだし始めた遺体を見下ろし、白い仮面が無感情に命じる。
斑紋が浮かび始めたのは、この騎士の体内に宿る闇鬼の御霊がその友の魂を食らい終え、肉体へと食指を動かしだした事の合図だ。
何れは黒い紋様がその遺体を覆い尽くし、獄庭の闇鬼としての肉体を形作るための変異整形が始まってしまう。
同じ黒の騎士として同胞の死後の名誉を奪い辱めるのは、エクストにとっては耐えがたいものであったが、
これも愛する女の為と自分を騙し、右手に黒い炎を魔術で纏わせると、同胞の遺体に放った。

447 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:52:41 ID:LstVOCCY0
闇が形を取ったかのような炎の舌先に飲み込まれて、黒の騎士の遺体はごうごうと燃え盛る。
肉の焦げる悪臭が鼻をつき、二人がそれに僅かに顔を顰めれば、
燃え盛る炎の中からおよそこの世のものとは思えない程の苦悶の咆哮が上がった。
魂さえをも飲み込み焼き尽くす獄庭の炎に身を焼かれた闇鬼の御霊が上げるそれは、怨嗟と呪詛の籠った断末魔だ。
常人ならば聴いただけでも精神を苛む程の凝縮された呪いの叫びを聴いても、しかし二人はその眉を僅かに顰めただけだった。

┏〔ヽЖ〕┓「許せとは言わぬ。せめて貴公の無念は、甘んじて私が背負おう」

同僚の鎧に身を包み、片膝をついて跪いたエクストが、胸の前で左手をブイの字に切る。
黒薔薇の騎士団に伝わる慰霊の印だった。

( ∵)「お別れは済ませたか?」

一連のやり取りを所在無げに見下ろしていた白仮面が無感動に声をかける。

( ∵)「葬式ごっこが終わったのなら、きちんと働いてもらうぞ」

螺旋階段の終着点、牢獄区画と実験区画の間の円形状の部屋。遺体の傍らに膝をついたエクストとその背後に立つビコーズ。
三つの爪で気だるげに白仮面が指し示したのは螺旋階段だ。
先の闇鬼の絶叫が恐らくは呼び水となったのであろう。上階から具足を鳴り散らかして石段を駆け降りてくる複数の足音が響き始めていた。

┏〔ヽЖ〕┓「もう一度言う。クーの安否が確認でき次第、貴様は殺す。分ったか?」

憎々しげに白仮面へと告げながらエクストが赤刃の大剣を握って立ちあがった瞬間、
螺旋階段の奥から黒い軽鎧に胴に巻いた歩哨達が部屋の中になだれ込んで来た。

448 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:53:24 ID:LstVOCCY0
「何事だ!?」

「脱獄か!?」

「ファラキア殿はどうした!?」

「反逆だ!脱獄だ!」

手に手に細身の槍を構えた彼等は、ベゼル王宮の中でも位の低い兵士達である。
北部系ゲーディエの武家に生まれながら、獄庭の闇鬼の御霊を宿す事が叶わなかった彼等は黒薔薇の騎士達に、
王宮と言う薔薇園の体を保つ為の芝生だと時たま揶揄されるように、エクストにとっては取るに足らない有象無象の背景でしかない。

「その鎧は、ファラキア殿!?」

「一体何が起こって――」

┏〔ヽЖ〕┓「生憎、貴様らにくれてやるような安い慈悲は切らしていてな」

事態を飲み込めずに混乱する兵士達に向かって、エクストは左の手に纏わせていた黒の風の奔流を叩きつける。
神話に謳われる沼地の多頭竜めいて放たれた獄庭の黒き触手は、刹那のうちに兵士達に殺到すると、
狂乱の悲鳴を上げる有象無象の身体を飲み込み、その忌むべき毒液でもってぶすぶすと溶かし始めた。

「嫌だ!嫌だ!死にたくない!死にたくないいいいい!」

「うわ!うわあああああ!」

常日頃から崇めている獄庭のその真なる力を目の当たりにして、哀れな歩哨達は生命としての本能的な恐怖をそれぞれの口から迸らせる。
寝ても覚めても、この黒い力の奔流が体内を流れる苦痛に、黒薔薇の騎士達が耐えている事を鑑みるにも、
彼らが如何にしてこの位に甘んじているかが推し量られようというものだった。

449 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:54:16 ID:LstVOCCY0

( ∵)「そやつらの葬式はしなくてもいいのか?」

┏〔ヽЖ〕┓「騎士ですら無ければ兵を名乗る資格も無い。
       奴らの命に価値があるならば、我が主への贄としてのものだけだ」

( ∵)「貴様ら北の者はつくづく傲慢な事よな」

┏〔ヽЖ〕┓「傲慢?違うな。支配する者としての下々へのこれは示しだ」

皮肉であろう言葉を紡ぐ白仮面の声には、しかしというか相変わらずというか感情が込められている様子は無い。
先の牢屋の前でのやり取りからこっち、超然とした佇まいを殆んど崩す事の無い態度といい、
その点のような仮面の穴から覗く金色の眼光といい、どうにもこの得体の知れない賊はエクストが本能的な嫌悪を覚える所の南部系のゲーディエであるようだった。

( ∵)「言葉遊びをしている時間が惜しい。さっさと進むぞ」

無感情に素早く言い放つと、ビコーズは顎で北側の通路を指し示す。
言外に「お前が先に行け」と表す白仮面に束の間反抗を言葉に仕掛けるも、エクストは寸でで思いとどまり地を蹴った。
先の歩哨達の叫び声のせいで、既に自分達の脱獄は地上の王宮にも知れている事だろう。
今更になって時間を無駄にしすぎた事を後悔しながら南側通路を駆け抜けると、
エクストは突き当りで半開きになっている木戸を、その黒鋼に赤の意匠が施された具足でもって、勢いよく蹴り開けた。
常人離れした身体能力の洗礼をもろに受けて木戸が蝶番ごと吹き飛べば、
長年手入れされずに廊下に降り積もった埃が通路とその奥に朦々と立ち込める。

( ∵)「これが黒薔薇の騎士流の礼儀作法というものか?」

視界を塞ぐ茶色の煙を前にして、後ろから追随してきていたビコーズが冷笑的な言葉を淡々と吐き捨てた。

450 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:55:36 ID:LstVOCCY0
┏〔ヽЖ〕┓「黙っているがいい。貴様の口から出る言葉には虫唾が走る」

憎々しげに吐き捨てながらも、エクストはその左の腕に再び黒い炎を纏わせる。
何が飛び出してくるやも知れぬとはいえ、これ以上の足止めは食いたくない。
視界が晴れると同時に部屋ごと焼き払い、一気に突破する構えだ。

( ∵)「まあ、何でも構わんが。そんなに気張って後が続くか?」

肩を竦めながらにぼやくビコーズの指摘はしかし的確だ。如何なベゼルが誇る精鋭の黒薔薇騎士と言えども、人の身である事に変わりは無い。
人知を超越したその力は決して無限ではないし、闇鬼の御霊から獄庭の力を引き出すたびに、
エクストの身は内側からその黒い炎をで焼かれるような痛みに耐えているのだ。
ともすれば、あの五十のグールの反動勢力との戦は肉体的な痛みも無い無傷の戦であったとはいえ、
精神的な、とりわけ魂そのものの痛みは余人には想像もつかない程のものであった。
結局のところは何処まで行っても生きている限りは人でしかない者達が、
人ならざる者の力を無理矢理にして引き出している事に変わりは無く、並大抵の精神力では、
人の理解の範疇を超えた獄庭の後ろ暗い力に耐えられず、直ぐにでも発狂してしまっていたであろう。

┏〔ヽЖ〕┓「……貴様に心配される程に温い鍛え方はしておらんよ」

何時もならば腰の麻袋から取り出した黒綺草の香りで痛みを誤魔化しているエクストのその体を今支えているのは、果たして愛しい女への想いであろうか。
それともその皮を被った、エクスト自身も説明のつかない妄執のような黒い感情であろうか。
煙が晴れて、実験室の様相が徐々に明らかになっていく。想いを巡らす時間とて無い。
壁際ではフラスコや窯が赤灰色の怪しげな液体を湛え、部屋の中央では四肢を縛る鉄の輪がすげられた拷問台の上には、
腐肉とはらわたを撒きつけた白骨が寝そべっている。
およそこの世の醜悪の全てを凝縮したような血みどろの屠殺場よろしいその実験部屋の中を、黒い影が横切った。
屍兵か?確認する間も無く、エクストの左腕が唸り、黒い炎が一つの塊となって放たれた。

451 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:56:37 ID:LstVOCCY0
轟音。炸裂した黒の炎塊が魔術窯をひっくり返し、部屋の中を白と黒の戯画染みた色合いに染め上げる。
手応えは無い。右手の大剣を下段に構えて、エクストが急襲に備えた様としたまさにその瞬間、
その隙をついて、両腕を広げた何者かが若き復讐鬼の胸倉に飛びかかってきた。

┏〔ヽЖ〕┓「くっ――!」

反応が間に合わずに地に押し倒されるエクスト。彼の上体に馬乗りになったそいつは、
体中の皮という皮を剥がされ赤と白の筋繊維が剥き出しになった顔を、黒薔薇の騎士の面頬に近付けて、
吐き気を催す様な腐った息を唇の無い口から吐き出す。
おおよそ人の形をとどめてはいるものの、異常なまでに逞しく長い両腕を持ったそいつは、
この凶器の実験場の主の作品のうちの一つ、“首狩り”だ。
多くの死体から筋肉を剥ぎ取って束ねたこの化け物は、他の屍兵とは比較にならない程の俊敏さを誇り、
あの忌むべき“皮剥ぎ”達のような奇襲によって相手の首を一瞬にして狩る事を得意としている。
奇襲からの暗殺を任とする為に声帯を敢えて取り除かれた“首狩り”は、
その乱杭歯の間から声無き咆哮を上げるや、鎌のような一本爪がついた両腕を大きく振りかぶると、
電撃的な速度でエクストの首目掛けて交差させるように振り下ろした。
空気を切り裂く音と共に二本の一本爪が実験室の床を抉り取り、古びた石の破片を僅かに跳ね飛ばす。
ぎりぎりのところで頭を上げた事で、エクストは何とか首と胴体の悲劇的な離別から免れていた。

┏〔ヽЖ〕┓「なんと奇怪な――!」

死角からの奇襲に上を取られたエクストの背筋を、一足遅れで冷たい感触が伝う。
理性を持たぬ肉塊として甘く見ていたその油断がこの結果を招いたのだ。
化け物の瞼の無い白濁した目玉を束の間睨み返すと、エクストは下半身に力を込めて“首狩り”の腹を肘で蹴りあげる。
無茶な体勢からのものとはいえ、獄庭の洗礼を受けたエクストの身から繰り出される膝蹴りは、
まともに食らったのならば内臓が痛む程の威力だ。
剥き出しになった筋繊維が束ねられた化け物の腹に、剛力を込めた膝が二度、三度、何度も叩きこまれる。

452 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:57:50 ID:LstVOCCY0
突き上げられるような衝撃が伝うたび、化け物はその口から灰色の内臓液を汚らしく吐き出すが、
しかしその拘束が緩む様な事は無い。死した身である彼らが痛みを感じる事は無いのだ。

┏〔ヽЖ〕┓「くっ――!この――!汚物の分際で――!」

再び“首狩り”の鎌のような両腕が振りかぶられる。今度は速い。かわし切れるか。
名前の通り敵の首を狩り落とすべく、二本の爪が交差するように振り下ろされる。
風圧。押し倒されたままに化け物を見上げるエクストの視界の上から、細い影が割って入った。
直後、鈍い音と共に“首狩り”の頭が思い切り仰け反り、慣性の法則に引きずられるようにして体ごと床に転がる。
黒の騎士の爪先から3トール程ばかり離れた床の上で蛙のようにひっくり返った化け物は、
しかし驚異的な筋力によってすぐさま跳ね起き四つん這いの体勢を整えると、
新たな乱入者をその白濁した両目に捉えて威嚇するように唇の無い口を開いた。

( ∵)「屍共に遅れは取らないんじゃなかったのか?」

無感動に言い捨てながらビコーズは部屋の奥の“首狩り”を見据える。
化け物と同様の四つん這いに近い、
極めて低姿勢な構えを取った白い仮面は、エクストが憎まれ口を叩く前に床を蹴ると、
50テッド程の実験室を一息に跳躍し、右の腕を振り上げた。
最早腐れ落ちた化け物の脳にも本能だけはあるのだろうか。それとももともとそのように命令されているのだろうか。定かではない。
弾かれたようにして飛び退いた“首狩り”と交錯するように、ビコーズの右腕が風を切って突き出される。
しゅこんっ、という短い音と共に黒革の籠手の手甲の先から、三つ連なった細く鋭利な鉤爪が飛び出し、
僅かに化け物の筋繊維の表面を削り取って壁の本棚に突き刺さった。
たとえ相手に負わせた傷が浅かったとはいえ、回避の動作に合わせて僅かにでもその攻撃の軌道をずらすことが出来たビコーズの反応速度は見事と言わざるを得ない。
難を逃れて拘束台の上に飛び乗った化け物が体勢を立て直そうと振り返るその隙を逃さず、
白い仮面は大判の書物をばら撒きながら爪を引き抜くや、“首狩り”までの短い距離を低い姿勢で駆け抜ける。
死霊術や外科医学の記された書物を踏みつけ拘束台へと急接近したビコーズは、
低い位置から正拳突きの形で拳を突き出すと、化け物の首元を狙った。

453 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 21:59:08 ID:LstVOCCY0
黒の襤褸を頭から被って鉤爪を突き出すビコーズの姿はまさしく死神めいており、
その不吉な異様は生ある者ならば畏怖を覚える所であっただろう。
意志持たぬ亡者の“首狩り”は自分同様に的確に急所を狙ってくるその刃に、咄嗟に上体を仰け反らせた。
風切り音と共に鉤爪が迸り、化け物の胸板の筋繊維を削り取る。傷は浅い。だが止まらぬ。
すぐさま追撃の左拳が振るわれて、“首狩り”の首を狩るべく三つの鉤爪が狙いたがわず真っ直ぐに突き出された。
今度こそは回避不能。闇鬼の爪めいて残忍な刃が化け物の喉笛に食らいつき、
筋繊維を突き破るぶちぶちと言う音を立てて向う側へと貫通した。
灰色の体液を傷口から滲ませても、しかし、“首狩り”の動きは止まらない。
散らば諸共、とでもいうのか、長大な両腕を振り上げて最後の足掻きを試みようとする様は、実に亡者に相応しい。
白い仮面のその下で僅かに鼻を鳴らすと、ビコーズは左腕を力強く振り抜き、忌まわしき屍の喉仏を横に引き裂いた。
灰色の体液と濁った髄液をまき散らし、化け物の太い首が切り口とは反対方向、右側に傾く。
白と赤の筋繊維だけで辛うじて傷口からぶら下がった、そのつるりと丸い頭が実験室の床に落ちてぐしゃりと湿った音を立てれば、
両腕を振り上げたままの姿勢で遂に“首狩り”の体は拘束台の上から背後の床の上へと倒れ伏した。

( ∵)「このような体たらくでちゃんと約束分の働きが勤まるか、正直不安なものだな」

“首狩り”の体液で汚れた両腕の爪を、自らのローブの擦り切れた裾で拭って、
籠手にしまいなおすと、ビコーズは背後で身を起こすエクストを振り返る。
何か憎まれ口の一つでも返してやろうと思いもしたが、刹那のうちに殺陣を終えたビコーズのその手際には、流石のエクストでも感服せずには居られない。
いや、超人的な武人であるエクストだからこそ、その卓越したビコーズの立ち回りに余人とは一線を画したものを見出したと言えるだろう。

┏〔ヽЖ〕┓「……」

依然、この白い仮面がエクストにとって憎悪すべき対象である事は変わらないとはいえ、
この時ばかりはこの元黒薔薇の騎士も、無言で立ちあがって先を歩み出すことにした。

454 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 22:00:22 ID:LstVOCCY0
( ∵)「奥の扉を開けろ。その先が“玩具置き場”になっていて、下水道の入り口はそこにある」

武人としての哲学から殊勝な態度を取ったエクストに対しても、ビコーズは相変わらず無感動な言葉を投げかけだけで、
すぐさま白い仮面の顎をしゃくって行き先を指し示す。
本棚が倒れ、フラスコの破片が散乱する実験区画の奥には、錆と血糊で赤茶けた鉄扉が壁一面に広がり前に立つものを見下ろす様にして佇んでいる。
冷たく頑丈そうなその鉄扉の前まで歩み寄ると、エクストは一度右手の大剣を傍らの机に立てかけ、
ノブの代わりにぶら下がった鉄の輪を黒鋼の籠手に包まれた両の手で満身の力を込めて引いた。
石壁を擦って金切声のような音を立てる鉄扉は成程鍵をかける必要も無い程に重く、
およそ2オッド(約100キログラム)もあるかと思われるそれは、黒の騎士の常人離れした膂力でもってしてやっと開けられるような代物であった。

( ∵)「大した馬鹿力だな。それでどうしてあの屍兵に手こずったのか、いよいよ疑問が残る」

白仮面の平坦な悪罵を黒い兜の奥で黙殺すると、エクストは半分ほど開いた鉄扉の向うへと黒い甲冑姿を何とか滑り込ませる。
いよいよもって血臭と腐臭が色濃くなったその部屋は、100テッド程の縦長をしており、
真ん中を真っ直ぐ走る通路の両脇には赤茶けた鉄格子がびっしりと並び、
その中では屍術師の造り出したであろう動く屍達が、聴いているだけでも精神を病む様な呻き声を上げてひしめき合っていた。

( ∵)「これが北の者達が言う所の“頽廃芸術”とやらか?不愉快極まるな」

さして不愉快でも無さそうにして言い放ちながら、ビコーズは三つ爪の先端でエクストの背中をつついて先を促す。
四つの頭を胴体から茸のようにして生やした死体や、全身に鋭い針を無数に生やした腐りかけの骸が、
物欲しげにこちらを見つめてくる中をエクストは歩きながら、先にビコーズが言った“玩具置き場”という言葉が束の間脳裏を過るのを感じていた。
屍術師の悪趣味極まる奇怪にして奔放な想像力の権化たるこの屍兵達は、
一体如何様な戦術的目的を持って生み出されたのか、戦の徒であるエクストにさえも計り知れない。
死体を切り刻んだ後にその肉片を針と糸を使って縫い合わせる事で創造されたこの異形の亡者達は、
その残酷にして外法な自らの末路を憂う意志さえ持つ事も許されず、腐汁と血液の汚濁極まる腐敗の座敷牢の中で、
何時訪れるとも知れぬ自らの任を待ち、その爛れた身をひしめかせているばかりであった。

455 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 22:01:34 ID:LstVOCCY0
哀れなる屍達の濁った視線を浴びつつ部屋の中央まで辿りついたエクストは、
通路の真ん中に打ち付けられた鋼鉄製の落とし戸の傍らにしゃがみ込み、その面に繋がれた鎖を引っ張る。
鈍い音と共に2トール程の鉄板が持ち上がると、“玩具置き場”の中に漂う腐臭よりも尚酷い饐えた臭いの塊が黒の騎士の兜に直撃した。
死霊術師がその“創作活動”において排出された、忌まわしい“ごみ”を捨てているというその落とし戸の下の空間は、
“玩具置き場”を僅かに照らす緑の松明の明りだけではよく見えない。
直ぐ下で汚水が流れる水音こそすれ、この耐えがたいまでの悪臭からはおおよそ、
その水底に大変に好ましからざる存在が隠れ潜んでいるであろうことが窺えるばかりだ。

( ∵)「梅雨払いぐらいは役に立ってくれるのだろうな」

にべもなく言い放つ白面には返事を返す事はせず、エクストは立ち上がると部屋の突き当りの壁に掲げられた松明を取って戻ってくると、
その人魂のように揺れる緑色の炎で落とし戸の下を照らす。
うねるようにして波立った黒い水面が、松明の明りを受けて束の間白緑の光を返してくるのを見てとれば、
おおよそ水面までは6トールばかりと言ったところであろう。
左手の松明を背後の襤褸ローブに無言で押し付けると、大剣を逆手に握ってエクストはその闇の底へと飛び降りた。
刹那の下降の後、その黒い甲冑が重々しい水音と、黒々とした汚水を跳ね散らかして着水する。
黒々とした水面のうねる下水の水位は、1トールと2オーツばかりのエクストの腰ほどで、流れはそこまで速くは無い。
ヘドロのように身体に絡みつく様な汚水を掻き分けて場所を空けると、エクストは頭上を振り仰ぎビコーズへと合図した。
先の黒騎士よりも軽やかな動きで飛び込んできた白面は、一本の矢の如くして水面に滑り込むと、
如何様な身のこなしの成せる業か、殆んど水を跳ね散らす事も無く汚水の中に立つ。
頭上で掲げられた松明の炎も、依然として変わらぬ緑の炎を揺らめかせていれば、
いよいよもって常人離れしたこの逆賊の体技に、エクストはその兜の下でいよいよもって不審の表情を浮かべていた。

456 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 22:02:32 ID:LstVOCCY0
( ∵)「やれ、梅雨払いは済ませておけと言った筈だがな」

肩を竦めてビコーズが松明を僅かに振れば、緑色の炎の中に息せぬ亡者の夥しい群れがちらりと浮かぶ。

┏〔ヽЖ〕┓「明りを寄越せと言ったのだ。馬鹿正直に飛び降りてくる奴が何処に居る」

黒々としたヘドロの水面にひしめく死者達の存在に、この黒の騎士が気付いていない訳がない。

( ∵)「獄庭の徒であるならば、無明の中で切り結ぶ事なぞわけもないだろうに」

それでも減らず口を返してくる白い仮面に早々に舌打ちを返すと、エクストは逆手に握っていた大剣を横一文字に構え、
汚水の流れに沿って屍の群れへと向かって駆けだした。

( ∵)「今度は加勢せぬ。存分にその任を果たすがいいさ」

ヘドロのように粘性の高い汚水が具足に絡みつくのを物ともせずに、一番近い真正面の死者の下まで辿りつき、
エクストはその肉のそげ落ちた白骨の首を大剣の赤刃を横薙ぎに振るって切り飛ばす。
反応さえ出来ずに下水の底へと沈んでいく白骨の脇をそのまま駆け抜けると、
黒の騎士はようやくにして時を取り戻したかの如く動き始めた屍兵の群れの中へと飛び込んだ。
屍術師をしてゴミとされて落とされた者達であるからして、水面に蠢く亡者の群れはさして脅威になりえるものでもない。
白痴のように呻き声を上げて、緩慢な動作で伸ばされた両腕を斜め下から纏めて切り捨て、返す刃で胴を薙ぐ。
汚水を跳ね上げ反転し、ゆっくりと近づいてきていた腐肉の脳天を唐竹割りの要領で叩き割り、
刃先を上げる際に隣でよろめく亡者を股から首元へかけて真っ二つにすれば、
じりじりと取り囲まれつつある事を悟ったエクストは、大剣を大上段に構えなおし、その場で独楽のように回転して刃を振るった。
肉片や腸が漂う黒い水面に鮮やかなさざ波を立てての剣の舞に、五体ばかりの亡者の首がいっぺんに吹き飛ぶ。
後から後から湧いて出る亡者の群れも、黒の騎士を前にしてはただ切り捨てられる為だけに存在する稽古用の木偶人形と大差は無い。
赤い刃が縦に横にと振られる度に腐った手足が切り飛び、腐肉をぶら下げたはらわたが黒い水面を更に汚せば、
刹那のうちに水面に立っているのはエクストとビコーズの二人だけになった。

457 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 22:03:32 ID:LstVOCCY0

┏〔ヽЖ〕┓「この私に腐肉の掃除をさせたのは、未だかつて貴様が初めてだ」

亡者のはらわたが絡まった赤い刃を汚水で気持ちばかりに洗いながら、エクストは背後の白仮面を振り返る。
白い仮面がそれに対して何か言葉を返そうと肩を竦めたその瞬間、黒々としたヘドロのような下水の中で、
何か得体の知れない巨大な質量が蠢く気配が、波となって二人に伝わった。

( ∵)「……成程、ごみ捨て場ならばごみ漁りが居て当然か。――急ぐぞ」

何やら一人で得心が言ったようにしてビコーズは頷くと、目の前で大剣を構えなおそうとする黒騎士の横を駆け抜ける。
水面の揺れが徐々に大きくなり、下水の流れに逆らって何者かが二人へと近づいてくるのを感じながら、
ヘドロを掻き分け進んだビコーズは、30トール程進んだ所でにわかに身を屈めると、
壁際の一段高くなった通路へと飛びあがって後ろを振り向いた。

( ∵)「流石に黒の騎士様と言えども奴を相手にしていては時間が掛りすぎる。早く来い」

┏〔ヽЖ〕┓「私に畜生如きから尻尾を巻いて逃げろと?」

( ∵)「合理的に考えれられない騎士道精神なぞ、それこそそこのごみ漁りにでもくれてやるが良い。
    今は俺の指示のもとに従うのだ」

┏〔ヽЖ〕┓「ちっ――いいか、クーの安否が確認出来たら直ぐにでも貴様は――」

( ∵)「御託は良いからさっさとあがったらどうだ。
   それとも黒薔薇の騎士とやらは剣の代わりに戯言を振り回すものなのか?」

憎悪の言葉をぴしゃりときつく一蹴する白面の凛とした語調に、黒の騎士は束の間苛立たしげに身を揺らしていたが、
最後には何とか自尊心を押さえつける事に成功したようで、刃を下ろして壁際の通路へと引き上げる。
臓物や肉片が浮かぶ黒い水面はいよいよもって明らかな波を立て始め、今にもその泥と汚物と骨片の沈んだ水底から、
何者かが立ち上がろうとする気配に満ち満ちていた。

458 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 22:04:30 ID:LstVOCCY0

( ∵)「走れ。こっちだ。もたもたするな」

淡々と、しかし語気を強くして、白い仮面が後方のエクストをせき立てる。
今にも破裂しそうな程に膨張した水面が緑色の松明の炎に照らされる中を、
二人がその常人離れした脚力で駆け抜ければ、前を行くビコーズが不意にその足を止めた。
全速力を駆けて脚を回転させていたエクストがその背にぶつかりかけて、
抗議の声を上げようとすれば、この表情の無い白面は壁を指差し顎で指図する。
苔生し腐肉に塗れた石壁には、梯子段がうがたれており、その先を辿っていけば二人の頭上には汚水で錆ついた落とし戸の丸い鉄板が見えた。
促されるままにエクストがその梯子に足を掛けた同時、彼の背後の水面が爆発でも起こしたかのようにして盛り上がると、
黒々としたヘドロを滴らせて、下水の中から巨大な影が立ち上がる。
緑色の松明の頼りない明りの中に照らし出されるその肌は、まるで腫瘍のように膿み爛れた苔緑色のイボに覆われており、
ぬらぬらとした粘液を纏わせ光っていた。

( ∵)「来たぞ。早くしろ。さっさと落とし戸をあけるんだ」

梯子の下でその巨体を認めたビコーズが、頭上を振り仰ぎエクストを叱咤する。
ヘドロを掻き分ける大きな水音と共に、闇の中で巨大な影が身を回す気配がした。

┏〔ヽЖ〕┓「私に…それ以上…命令…してみろ――」

梯子の最後の段に足を掛けたエクストが、落とし戸に右手で握った大剣の柄頭を押し当てる。
松明の明りの中に、腫瘍のようなイボでくまなく覆われた“それ”の鼻面が浮かび上がった。

┏〔ヽЖ〕┓「その白い仮面を剥ぎ取って、これ以上下らない事を言えないように、この剣を差し込んでくれる――!」

大剣の柄を握る手に力を込めてエクストが落とし戸を押し上げる。
金属の悲鳴、零れ落ちる埃と錆屑。同時、二人の背後で巨大な質量が咆哮した。

459 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 22:05:36 ID:LstVOCCY0
( ∵)「急げ!早く登れ!“ごみ”になりたいのか!」

まるで竜の角で作った角笛が如き巨大な咆哮と同時に、この下水道の中に漂う腐臭を全て凝縮した様な生温かい臭気の塊が二人の身を包む。
腐肉、白骨、臓物、ヘドロ、糞便、果ては鉄屑に至るまで、目につくものの悉くを飲み込んできた歯の無い大口は、まさに悪食の極み。
強力な酸性の唾で何もかもを溶かしこんでしまうその洞穴のような口に飲み込まれれば、如何な黒薔薇の騎士とて命は無いだろう。
背後に迫る虚無への大門から逃れるべく、二人は手足に満身の力を込めて梯子段を上へ上へと昇っていく。
黒々とした下水の流れを堰き止める巨大な質量が、汚水を跳ね散らかして二人を見上げる。
ヘドロの濁流がビコーズの黒革のブーツの踵にはねかかった。
鼻が腐れ落ちてしまいそうな程の臭気の中で、ビコーズは梯子から右手を離して半身を捻ると、
襤褸のようなローブの懐から三つの角刃が風車のように並んだ投げナイフを取り出し、巨大質量の鼻面へ向かって投擲する。
腐肉に包丁を突き立てたような湿った音がして、闇の中で僅かに悪臭が怯む気配がした。
今が好機。立て続けにもう二本の投げナイフを眼下に放ち、ビコーズは半身を戻して登頂を再開する。
既に頭上の黒の騎士は落とし戸の上へと登り切ったようで、遥か頭上から具足の立てるがちゃがちゃというやかましい金属音が僅かに届くばかりだ。
背後で再び汚水を蹴立てる音が迫る中、ビコーズはムンバイのエルフかと見紛う程の俊敏さで梯子をするすると登っていくと、
落とし戸の上まで上がり、左の足で鉄板を蹴り飛ばして汚物に蓋とばかりに落とし戸を閉めた。
金属と金属がぶつかる耳障りな音を立てて蓋が閉じると同時、腹の底にずしりと響く音を立てて落とし戸の鉄板に巨大な肉が衝突する。
べこりとせり出した鉄板はしかし、あの巨大な質量が入り込んでくるには狭すぎるだろう。
間一髪で難を逃れたビコーズはしかし、それに対して些かの感慨も持ち合わせないかのように再び頭上を見上げた。
人がぎりぎりの所で二人程背中合わせになれるほどの縦穴は、エクストとビコーズの頭上でどこまでも長く続いている。
下水道から地上へと直に繋がっているこの穴は、元々が人が上り下りする事を考慮に入れていない為に、
途中で疲れた腕や足を休める所は無さそうだった。

460 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 22:06:54 ID:LstVOCCY0

( ∵)「どうか俺の上に落ちてくれるなよ。死ぬ時は一人で頼みたいものだ」

遥か頭上、10トールばかり先を行く黒の騎士に聞こえぬように皮肉を呟くと、ビコーズは地上を目指して登頂を始める。
苔や汚水でぬるぬるとした梯子段は非常に滑りやすく、先を行くエクストも甲冑のままでここを登っていく事に相当難儀をしているようであったが、
この白い仮面を被った賊はまるで生まれた時からそうしてきたのだと言わんばかりに手足を動かし、
実に見事な手際でこれを登って行けば、五分も経たないうちに黒の騎士の足元まで登り詰めたのであった。
半刻ばかりの間をそうして暗い縦穴の登攀に費やした二人の頭上に、橙色の光が零れ落ちてくる。
下水格子から差し込む地上の明りは、今が夕暮れ時である事を二人に悟らせた。

┏〔ヽЖ〕┓「それで、地上に出たらどうする?」

( ∵)「ここからだと丁度貴様らが下層区と呼ぶ区画の入り口辺りの裏路地に出る筈だ。そこからは俺が先導しよう」

縦穴の壁に背中を押しつけて、腰に下げた赤刃の大剣の位置を直すエクストの脇を器用にすり抜けると、
ビコーズは夕日の差し込む下水格子に取りつき、その金網をずらして地上に滑り出る。
ややあって、周辺の確認を済ませた白い仮面が金網格子を全部押しのけるのを見て取って、
エクストもその後に続いて穴からその黒い板金甲冑を擦らせつつ這い出した。
二人が這い出したそこは、下層区にしては比較的背の高い建物と建物の石壁の間にある薄ら暗い路地裏であるようで、
湿気が蔓延る狭い石畳の通路の上には、腐りかけた木箱や南部ゲーディエ風のタペストリー飾りが積まれた荷車などがそこここに埃を被って佇んでいる。
金網格子を戻そうとしゃがんだビコーズの向うでは、西日となった太陽が真っ直ぐに拝め、
その左側には寄り添うようにして小時計塔の細くも長い影が逆光の中に浮かび上がっていた。
ベゼルの双子塔と呼ばれるその時計塔は、上層区にその片割れが存在し、
王国の中ではちょっとした名物の様なものとして民草達の間では認識されているが、
言わずもがなその建築には北部のゲーディエ達が携わっており、職工達の虚栄心を映すかのようにして、
上層区の時計塔の方が下層区のものよりも頭二つばかり高く創られているのだった。

461 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 22:08:13 ID:LstVOCCY0
路地裏から見上げる小時計塔の背骨染みた長針と短針は、今しも夕刻を指し示そうとしている所にあり、
本来ならば今しがた宮殿前広場では女王を交えたエクスト自身の御裁きが下っている筈であったのだと、若き騎士はぼんやりと考える。

( ∵)「その甲冑は下層区では目立ち過ぎる。これを着ろ」

木箱の陰をごそごそと漁っていたビコーズが立ち上がり、両手に抱えた布を広げて突き出す。
煤けた焦げ茶色の襤褸きれは、ビコーズが頭からすっぽりと纏っているローブと大差ないみすぼらしさであった。
黒い兜の下でエクストは微かに眉を顰めたが、この白い仮面の弁も最もであった為、
大剣を石壁に立てかけると、身に付けていた仰々しい黒薔薇の甲冑を脱ぎ捨て、差し出された襤褸に袖を通す。
白い仮面はエクストが脱ぎ捨てた豪奢な黒鋼の鎧を腐りかけた木箱の中に隠すと、
前後を素早く確認した後、夕日に向かってしめやかに歩き出した。

<_プー゚)フ 「何処に向かうのだ?」

( ∵)「俺の隠れ家だ。ほとぼりが冷めるまで、一旦そこに身を隠す。貴様の愛しの君との逢瀬は今しばらく辛抱しろ」

振り返らずに手短に告げるビコーズに続いて、エクストはローブの襟元を両手で寄せて口元を覆う。
後ろから吹いた風が、通りへと歩み出す二人のローブの裾を微かに揺らした。
下層区、と言うものにエクストが足を踏み入れたのは、彼の二十五年という人生の中でも数えるほどしかない。
背の低い土壁の建物が並ぶ通りの街並みは、沼地と同じ高さにある為か上層区よりも遥かに湿り気が濃く、
漂う空気にも沼地のヘドロの臭いが微かに混じっているかのようだった。
通りを歩く人は言わずもがな、浅黒い肌に金色の瞳を湛える南部系ゲーディエに絞られ、
その大半が、二人と同じように上半身を覆う焦げ茶のローブか、逆に胸元と腰回りだけを薄布で覆っただけの露出の多い恰好をしている。
二人が目の当たりにしている通りは、恐らくは目抜き通りと思われ、路地の各所には、
擦り切れた絨毯の上に品物を並べた露天商達が店を並べており、薬売りの店先に置かれた、
大人の男程もある窯壺の口から青灰色の煙が立ち上っていると思えば、その脇の刃物商が掲げる刀剣棚には、
十文字の刃から五本指を模したナイフまで、凡そエクストが目にした事の無い様な短刀の数々がぶら下がっているのだった。

462 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 22:09:06 ID:LstVOCCY0
夕暮れ時のせわしなさの中で賑わう大通りの人混みは、二人の逃亡者が隠れるにはもってこいに思え、
ビコーズもまたその浅黒い人々の流れの中に上手く潜りこむ機会を窺って、
傍らの石壁に右の手をついて、頭の上に壺を乗せて歩く南部ゲーディエ達の一団を見送っていた。
やがて、頃合いを計っていたビコーズが人波の中に僅かな空白地を見つけて、石壁から手を離す。
まさにその時、丁度二人の目の前を通り過ぎた一団が、前から来た別の一団とぶつかった。

「すいません、すいません、どうかご慈悲を……」

「おい、ちゃんと前を向いて歩いて――」

今しも通りへと滑り込もうとしていた二人の耳に、南部ゲーディエの娘が許しを乞う悲痛な声と、北部訛りの混じった悪態が飛び込んでくる。
予感めいたものが二人の背筋を伝い、自然とそちらへ視線が流れていく。
黒い軽鎧を胴に纏った五人ばかりの宮廷兵士が、そこに居た。

「おい、あの二人は――!」

がちゃん、と壺が地に落ち割れる空々しい音が、合図となった。

「捕えろ!脱獄者だ!」

( ∵)フ;゚ー゚)フ 「ちぃっ――!」

南部娘の一団を押しのけて駆けよってくる追手に、二人はすぐさま踵を返して裏路地を逆走していく。
真正面から吹きつけてくる風に逆らって駆ければ、彼らの背後では手に手に槍を携えた宮廷兵士達が、
偶然に目の前に現れた功を逃すまいと、軽具足を鳴らして追走して来た。

463 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 22:09:57 ID:LstVOCCY0

<_フ#゚ー゚)フ 「っ――ええい、もう我慢ならん!」

下水道に続いて何故このような格下共から逃げ回らねばならないのか。
裏路地の出口の前で足を止めると、エクストは苛立たしげに背後を振り返り、
左の掌に暗黒の渦が収束していく様を怒りに昂ぶった頭の中に思い描く。
その腕を、傍らで足を止めたビコーズが掴んだ。

( ∵)「貴様は白痴か?このような場所で術を使えば目立って敵わん」

<_フ#゚ー゚)フ 「ここでこの駄犬共を引きずって走り回る方がよっぽど目立つと思うが?」

( ∵)「いいからその手を下ろせ。ここはな、こうするんだ」

黒薔薇の騎士からは到底及びもしないが、思いもよらない程の力で手首を握ってくるビコーズに、エクストは舌打ちをする。
直ぐ目の前では、立ち止まって揉める二人へ目掛けて今しも宮廷兵士達が槍を突き出そうとしている所だった。
このままでは二人とも、槍の穂先に捉えられるのは免れない。
ビコーズはしかし動かず、ただ黙ってエクストの腕を掴んだままで宮廷兵士達を白い仮面の奥から見据えるだけだ。

「国賊め!覚悟ぉ!」

拙いながらも油断ならない鋭さを帯びた突きが繰り出される。
風の向けに逆らって、槍の穂先が突き進む。肉を貫かれる感触に備えて、エクストの瞼が反射的に閉じられる。
何時まで経っても、痛みはやってこなかった。

<_フ;゚ー゚)フ 「なん――だ――?」

微かな違和感を覚えてエクストは瞼をゆっくりと上げる。
目の前僅か指三本分の距離で、宮廷兵士の突き出した槍の穂先が止まっていた。

464 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 22:11:05 ID:LstVOCCY0
一体何が起こっているのかとエクストが考えるより早く、目の前の宮廷兵士は突き出した槍先を引くと、今度は見当違いの方向へ向けて突き出す。

「くそっ!面妖な!幽鬼めいたやつめ!この!」

ぐるぐるとその場で回転しては、石壁に向けて槍を薙ぐ兵士達の様子は、まるでうらぶれた黒綺草中毒者のようであった。

( ∵)「――いくぞ」

無感動に告げて踵を返すビコーズのローブの裾が、逆風にあおられてその腰元が露わになる。
左の腰に縄紐で括りつけられた小さな革袋の口から、黒色の粉粒が僅かにこぼれ出すのをエクストは目ざとく見てとった。

<_プー゚)フ 「――外道が」

( ∵)「貴様とて毎晩こいつらには世話になっているだろう?一体誰のお陰で黒騎士が手品ごっこに興じられると思っている?」

<_フ;゚ー゚)フ 「ちっ――」

まったくもって道理の通ったビコーズのその弁に言い返す言葉を失って、
エクストは僅かな舌打ちと同時に、既に走り出した白い仮面の後を追う。
傾き始めた夕日の中に飛び出し、目抜き通りとは真逆の小路を人の波に紛れてどんどんと突き進んでいくビコーズの足取りからは、
この白い仮面が何処を目指しているのかはようとして知れない。
時に人波に逆らい、時に小路に足を踏み入れ、時に家屋敷の庭を横切り、
休むことなく走っていくその様は、ともすれば目についた道を我武者羅に進む野良猫めいて気紛れであった。
やがて長い長い逃亡の果てに、幾つもの小路を渡ってきたビコーズがその足をはたと止めると、
エクストは既に自分が何処をどう走ってきたのかも分らないという有様であった。
下層区の入り組んだ街並みは、南部系ゲーディエ達の秘密主義めいた性格を実によく表すかのような迷路じみた作りを呈しており、
ここから上層区へ戻れと言われてもエクストには到底無理な相談のように思われた。

465 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 22:12:33 ID:LstVOCCY0
( ∵)「この上が俺の隠れ家だ」

僅かに上がりかけた呼吸を整えるエクストの傍らで、息一つ乱さない様子で白い仮面は頭上を振り仰ぐ。
迷走という言葉の通りにただ前を向いて走ってきたエクストには気付く由も無かったが、
辺りを見渡せばそこは先に地下から這い出してきた時に遠くで聳えていた小時計塔の裏口であった。
漆喰塗りの低い建物の群れの中央に位置する小時計塔は、その正面玄関こそは居住区の通りに面しているが、
今二人が居るのはその背後、阿片窟や怪しげな店の建ち並ぶ小路を抜けた先に僅かに広がる猫の額程の空僻地である。
家を建てようとして放棄されたのか、積みかけのレンガが墓標のようにぽつねんと佇む以外には、
丈の短い下草が生えるばかりのその広場からは、時計塔の文字盤とは真逆の背中が見上げられ、
赤茶けた土壁建設の中に灰色の石造建築が聳える外観は、調和のとれないちぐはぐさがあった。
照りつける夕日の残照の中で、ビコーズは錆ついて茶色と黒の斑になった鉄扉を開いては、
エクストにも続くようにと促し、二人はこの南部系ゲーディエ達の生活区に穿たれた楔のような高層建築の中へと入っていく。
明りとりとして申し訳程度に石壁に穿たれた穴から橙の光が差し込む時計塔の中は薄ら暗く、
中央の柵で囲われた中には歯車やピストンといった機械仕掛けがやかましい音を立てて動いており、
それらを取り巻くようにして壁沿いに石造りの階段が上へ上へと続いていた。
まるで慣れたようにしてその石階段をひょいひょいと登っていくビコーズに続いてエクストもまた、
その急勾配の段を登っていけば、半刻程の登りの末に天井が低くなり、押し上げ戸のついた天井が見えてくる。
高さからして恐らくは文字盤の内側なのであろう、その先へとするりと入り込む襤褸ローブの黒い背中に、
エクストは束の間、この時計塔が一体誰に管理されているのかについて想いを馳せたが、
目の前で淡々と手招きをする白い仮面の様子からは、そこらの込み入った事に関しても既に手を回しているであろうことが推測できた。
時計塔のてっぺんに位置するそこは文字盤を動かす為の機械仕掛けの威容が大半を占めており、
古々しい石の床の上には埃と鼠の糞が例の如く散乱していることからも、長い間人が入っていない事が窺える。
白い仮面はその埃の絨毯が敷かれた中を、まるで我が家を歩くかのようにして渡っていくのであったが、
その自然な足取りからはおよそ考えられない事ではあるのだが、ビコーズが歩いた後には、
これだけの埃の中にも不思議な事に足跡一つついておらず、いよいよもってこの白い仮面が、
幽鬼か何かの類なのではないかとエクストは密かに思い始めていたのであった。

466 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 22:13:47 ID:LstVOCCY0
( ∵)「食い物こそ無いが、人払いの手配は済ませている。安心して眠るがいい」

今は動いていない歯車の上に腰を下ろして白い仮面が告げるのに従い、エクストは纏っていた襤褸を床の上に広げると、
もったいぶった様子でそこに腰を下ろす。
途端、今まで意識していなかった疲れが身体の内側からどっとあふれ出してきて、
堪え切れなくなって身を横たえれば、その日一日中張り続けていた緊張の糸がぷっつりと切れ、にわかに瞼が重みを持ち始めた。

<_プー゚)フ 「貴様は、どうするのだ?」

ここで眠りに落ちてしまえば、この白い仮面に無防備を晒す事になると思うと、
しかしエクストは何とかしてこの睡魔に抗わなければならない。
上体を起こして油断ならない視線を向けようとするこの若い騎士の意図を汲んだのか、
ビコーズはその白い仮面の奥で僅かに唇の端を皮肉っぽく吊り上げると、頭上を指差した。

( ∵)「俺は外の見張りをしてくる。押し上げ戸にもさっき錠を掛けた。――これでいいか?」

ビコーズが指差す先、機関室の天上、緩い四角錐になった辺の一つには、まるで天窓のような小さな扉が設えられている。
憎むべきこの逆賊に気を使われた事を思えば、先までのエクストならば直ぐにでも自分への苛立ちに、
白い顔が真っ赤に染まるものでもあったが、今の彼にはそのような事を考える余裕も無い。

<_フ ー )フ 「そう…か……」

何とか返事を音にして歯と歯の間から吐き出すと、いよいよもって抗いがたいまでに肥大した睡魔の腕の中に向かって、若い騎士は闇の中を落ちて行った。
長い長い、一日が、ようやくにして終わりを告げる。まどろみの中へ沈んでいくエクストの意識は、
昨日から今日に掛けて人生を根っこから変えてしまった出来ごとの数々に束の間想いを馳せた後、
まだ見ぬ明日という名の眠りを思って暗く染まるのだった。

467 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 22:14:29 ID:LstVOCCY0
( ∵)「……」

規則正しい寝息を立てながらも、その閉じた目と目の間、眉間に苦悩深い皺を寄せる若き騎士の寝顔に、
果たしてこの白い仮面は何を思うのか。
丸く空いた仮面の穴の奥で、金色の瞳を僅かに揺らせると、ビコーズは猿か何かのようにして歯車の間を登り渡っていくと、
天井に空いた扉に身を滑り込ませていった。

468 名前:執筆チーム 投稿日:2012/07/01(日) 22:15:39 ID:LstVOCCY0

 

――第三幕へ続く

 

.


戻る 次へ

inserted by FC2 system