('A`)と歯車の都のようです

3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 20:45:20.25 ID:aWdiMEOD0
歯車祭が終わり、都にはいつもの空気が戻って来ていた。
いつものように御機嫌斜めの空は、やはりいつものように青空を見せる事はない。
社会の歯車と呼ばれる人々は、人混みを掻きわけ、いつものように早足で歩く。
日々、代わり映えしない毎日。

平凡、平穏、平坦。
そう言えば聞こえがいいが、どこか退屈な毎日。
だから、一部の社会の歯車達は時折刺激を求め、その足を普段は寄りつかない場所へと向け事がある。
そこは銃、麻薬、金、陰謀が渦巻く平和とは無縁の場所。

歯車の都の東部に広がる、裏通りと呼ばれる地域である。
そこに行けば、金さえあれば何でも買い揃える事が出来る。
富、名声、女、栄光、人間、子供、麻薬、武器。
ほとんどの物は現金かそれに相当する金品と引き替えだが、ある物に関しては無償で手に入れる事が出来る。

"生命を脅かす危険"だけは、ここにはいつも売る程溢れ返っていた。
それを求めて、ごく稀に風俗街や路地裏の店に明らかに堅気の者が紛れ込んでいる事がある。
陽が高い内ならばまだいい方なのだが、少しでも濃厚なスリルを求めようと夜に来た場合、残念なことにスリルは無くなってしまう。
代わりに手に入るのは、ソマリアの市外に丸腰で置き去りにされる方がまだ生存確率が高いと思える程の、"生命の危機"。

―――"逢魔が時"。
この裏通りではその事を、"獣の時"とも呼ぶ。
この時間帯に外を出歩くのは、"獣"だけだからである。
それを知っても尚、生命の危機を楽しもうと夜の裏通りを歩くのであれば、用意しておくべき物が最低で四つある。

一つは、人を殺し得る得物。
可能であれば自動拳銃一挺、MP5等の短機関銃であれば尚良い。
この都では比較的手に入りやすい自動小銃があれば心強いが、出来るだけ口径は小さい方がいい。
反動が少なければ、それだけ命中精度が上がるからだ。

6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 20:49:10.01 ID:aWdiMEOD0
二つ目は、それを扱う技量。
幾ら得物の性能が良くとも、扱い切れないようでは意味が無い。
肩を外す様な構え方をしたり、操作方法が分からなかったりすれば本末転倒である。
正確に得物を扱えれば、少なくとも惨めな展開だけは避けられる。

三つ目は、襲ってきた相手を容赦なく殺す覚悟。
咄嗟の判断が命運を分ける以上、常に殺すと云う事を念頭に置いておけば、素人でも人を殺せる確率が増す。
土壇場で良心が芽生え、殺さなかった場合、倒れ伏した相手に背後から撃たれると言う事がままある。
襲われたら、確実にその相手を殺すだけの度胸と覚悟がなければ、ここでは話にならない。

最後は、大金である。
ほとんどの事が金で解決できるのは、言うまでも無い事実であり。
それは、ここではより顕著に表れる。
とりあえず、手持ちの現金を全て差し出せば見逃してもらえる場合があるからだ。

これら四つの内どれか一つでも欠いてしまえば、表社会の人間が生き残るのは不可能。
裏通りは表通りの常識が一切通用しない。
通用するのは金、そして銃。
その為、それを理解してここに足を踏み入れる以上は上記の四つは欠かす事が出来ない。

この日もまた、陽が高い間に裏通りに足を踏み入れた堅気の者が数人いた。
その内の一人、マリアナ・オーシャンはその堅気の者の中で唯一、日が暮れるまで裏通りに残っていた表社会の人間である。
そして彼女は、用意しておくべき四つの物全てを持ち合わせていなかった唯一の人間でもあった。
マリアナは暗くなり始めた周囲を見渡し、呟く。

マリアナ「……なんでぇ?
      おっかしいなぁ。
      うん、絶対におかしい」

8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 20:52:23.57 ID:aWdiMEOD0
マリアナが今いるのは、裏通りの中で比較的まともな場所に分類される商店街だ。
裏通りの商店街に格安で手に入る非合法品がいくらでも取り揃っているのは、表通りでも有名である。
海賊版のBD、未だ発売されていない映画のBDは当然のことながら。
コピー品のブランド物のバッグ、そして"発売前"のブランド品等も平然と店先に並べられている為、危険を顧みない馬鹿女にも人気がある。

表通りで買うよりも三割程安く買える上に、自分の友人も持っていない様な品まで容易に手に入るとなれば、来ない理由がない。
先程まで嬉々としてそれらを買い漁り、甘い香りに誘惑され続けた結果、マリアナは陽が暮れる前にここから去る事を忘れてしまっていたのだ。

マリアナ「ってあれ、もうこんな時間か。
     どうしようかなぁ」

あえて周りにも聞こえるぐらいの声量で呟きつつ、マリアナは左手首の腕時計をちらりと見た。
腕時計が示す時刻は、夜の八時を回っていた。
夜の八時と言えば、すでに"獣の時"に突入している時間帯だ。
女一人でこの時間まで残っているのは愚かとしか言いようがないのだが、マリアナはそこまで気にしていなかった。

そもそも、マリアナがここに来たのは単に日々溜まったストレスを発散する為ではない。
加えて言うなら、山の様な買い物も、彼女にとっては"ついで"でしか無かった。
マリアナが裏通りに来たのは、男漁りをする為だ。
彼女が求めるのは、表通りや表社会では滅多に見当たらない"危険な香り"が漂う男である。

そう言われれば、今のマリアナの格好はよく見ると、ハッキリと分かる程に気合いが入っていた。
しかしそれも、時間の経過と共に徐々に無意味になりつつある。
丈の短すぎる白のスカートは、この時間では肌寒いだけでなく、狙いである男の目を引く事も出来ていない。
時折、風が強く吹き付け、その度にマリアナは大きな荷物を持つ両手でそれを押さえた。

自然体とは程遠い濃い化粧は、化粧室に立ち寄って直す時間が無かった為、汗の影響で少しずつ落ち始めている。
美容院で3時間掛けて整えた軽くウェーブのかかった茶髪は、風で乱れ、もはや整えた時の原形を留めていない。
今まで付き合ってきた男達に貢がせたブランド物の赤いハンドバッグ、白いハイヒール、そしてファー付きの純白のコート。
それら全ては、風で舞った砂埃やゴミ、通行人の吐き捨てた唾やガムで汚れていた。

10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 20:56:11.41 ID:aWdiMEOD0
"清純"のテンプレートとも言える彼女の格好は、この裏通りでは正に"花"だった。
絶対に負けられない勝負に挑む際、彼女は好んでこの格好をした。
これで籠絡されなかった男は過去に一人も存在しない。
それだけに、この格好には絶対の自信があった。

花に寄って来た男達を食い物にしては捨て、それを自らの武勇伝として友人に語る。
互いの経験を自慢しあい、"悪女"と呼ばれる自分に酔い痴れた。
より社会的ステイタスの高い男を弄ぶ事が、彼女達の中で優劣を決するものである。
それが格好いいと思っているのだから、達が悪い。

会社の同僚や学生時代の友人達、インターネットで知り合った者達で結成した、自称、悪女の会。
人呼んで、"レディ・ビッチの会"。
彼女等曰く、これで悪女の会を意味するのだそうだ。
その会の中で、より上位に位置する事が、彼女の楽しみの一つであった。

両手に提げた紙製の大きな買い物袋には、今日買ったマリアナの贔屓にしているブランドの新作が山ほど入っていた。
道の真ん中で立ち往生している彼女を、通り過ぎる者達は不審そうな目で見るが、そのまま素通りする。
これが表通りであったら、幾人かの男達が荷物を持とうかと言い寄って来ただろう。
なのに。

"花"なのに。
"清純"なのに。
"悪女"なのに。
こうして立ち往生して既に30分経過しているが、唯一話しかけて来たのは物乞いの子供だけなのは、如何なる訳か。

気合いを入れて身を整えてきたのに、道行く男達は誰も相手にしない。
それどころか、気にもされていない。
表通りや会社ではチヤホヤされていただけに、彼女が受けたショックは相当なものであった。
彼女のプライドと経歴に大きな傷が付いたのは、言うまでも無いことだ。

15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 21:00:03.33 ID:aWdiMEOD0
マリアナは遂に、ハンドバッグを残して両手の紙袋を地面に置いた。
彼女の細腕では、この荷物をいつまでも持っている事は出来ない。
元々この量は、言い寄って来た男が持つ事を前提としている量であり、彼女が運搬するなど有り得てはいけない事態だった。
もっと言えば、女がこんな荷物を持つことを黙って見ていること自体信じられない。

男は女の為に、見返りを求めることなく無条件でその力を貸し与え、紳士に振る舞うべきである。
―――レディ・ビッチの会、会員思想その3である。

マリアナ「どうなってんのよ、ここは!」

自分が通行の邪魔になっている事など考えもせず、マリアナは腕を組んで憤慨した。
苦虫を潰したような顔で、彼女は周囲を睨むように見渡す。
やはり、誰も彼女を見ていない。
こんな経験、プライドの塊ともいえる彼女からしたら、屈辱以外の何物でもなかった。

目を閉じて大げさに溜息を吐こうとした、正にその時だった。

マリアナ「って、あっ、ちょっと!
     な、何してんのよ!
     それ私の荷物よ!」

地面に置いていたマリアナの荷物を、物乞いの子供二人が抱きかかえて脇を走り去る。
振り返り、無駄だと知りつつも彼女は手を伸ばして叫んだ。
しかし、自ら動こうとは一歩たりともしなかった。
逃げ去る二人の背を指さして、ただ叫ぶだけである。

マリアナ「泥棒よ! 誰か、そいつらを捕まえて!」

18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 21:05:15.36 ID:zeBN6WkB0
当然のことながら、誰も何もしない。
ここが表通りであれば、正義感の強い誰か捕まえたかもしれない。
だが、ここは裏通り。
自らに利益の無い、偽善にも等しい行動をする者など皆無だ。

もしも、本当に捕まえてほしければ、マリアナはもう一言付け加えなければならなかった。
"そいつらを捕まえた者に、金をやる"、と。
このたった一言で、状況は驚くほど一変する。
おそらく、彼女の想像以上の人間が子供目掛けて殺到する事だっただろう。

もっとも、どれだけ法外な金を請求されるかは、その時の運次第である。
捕まえてくれと叫んで何もしないだけではなく、何の報酬もない以上、周囲の協力が得られる事は絶対にない。
彼女の購入した荷物が戻る事は、永遠になくなってしまった。
視線の先にいた二人の子供の姿は、あっという間に人混みに紛れて消えた。

ハンドバッグだけは持っていた為、財布を取られはしなかったのが唯一の救いか―――

マリアナ「ちょ、きゃっ!?」

―――と思ったのも束の間。
油断していたマリアナの手から、赤いハンドバッグが男に引っ手繰られる。
どうにか反応が間に合ったマリアナは、渡すまいと辛うじて掴んだ持ち手に力を込めた。
これを渡してしまえば、彼女はクレジットカードや現金の入った財布、男情報満載の携帯電話等を一瞬で失う事になる。

それは、彼女にとって人生の終わりと同義であった。
全身の力を使って、マリアナはそれを阻止しようとした。
しかし、踏ん張り難いハイヒールが仇となり、無残にも引き摺られてしまう。
それでも手を離そうとしないのだから、マリアナの執念はスッポンのそれであった。

怒りのままに男を蹴ろうと、マリアナが足に力を込めたその時。

20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 21:09:06.57 ID:zeBN6WkB0
マリアナ「ぎゃっ?!」

直後、マリアナは顔面に強烈なパンチを食らい、堪らず手を離してしまう。
鼻の骨が折れたのか、鼻が有り得ない方向に曲がり、鼻血が大量に流れ出る。
まさか女の顔を拳で殴るなんて、と思っているのはこの場所ではマリアナだけだ。
赤いハンドバッグを奪った男は、マリアナの視界からあっという間に消え失せた。

途方に暮れ、尻もちをつく。
しかし、誰も彼女に声を掛けてこない。
こんな事、ここでは日常茶飯事なのだ。
言い換えれば、ここにいる以上はそれを防ぐのは己の責任である。

それを怠ったマリアナに同情する人間は、この場には一人として存在しなかった。
ましてや、こんな時間までここにいるマリアナがこうなるのは目に見えていた事だ。
それが遅いか、早いか。
それだけの違いしかない。

商店の隅に置かれていた机の周りで、彼女がいつ餌食になるかを賭けていた男達の間から、小さな歓声が沸き起こる。
皆笑いながら、現金のやり取りを行う。
ワザとか、それともただ気にしていないだけなのか、横目でマリアナの顔を見て冷笑を浮かべていた。
気に入らない人間の鼻が9時の方向を向いてるのを見れば、確かにおかしいだろう。

マリアナ「う、うえぇっ」

人目も憚らず、マリアナは鼻を押さえながら泣きだした。
これほどの痛みはおろか、男に顔を容赦なく殴られたのは初めての経験だった。
ここでは、男も女も関係ない。
弱者であれば、誰であれより強い者に取って喰われるだけである。

23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 21:13:27.84 ID:zeBN6WkB0
ふと、その肩に優しく手が置かれた。
顔を上げ、手の主を見上げる。
その顔を見た瞬間、マリアナの涙が止まった。

「大丈夫かい?」

そこにいたのは正に、マリアナが求める条件を十分に満たしている若い男だった。
身長はスラリと高く、健康的な体つきで、長めの金髪は追加点。
顔立ちは女性的でほっそりとした美形、清潔感のあるファッションは合格。
後は年収だけだが、それは後で分かるだろう。

むしろこの際、ヒモ男でも構わないとさえ思えた。
何故なら、男から滲み出る危険な香りこそが、マリアナが一番求めた物であったからだ。
目の前にいる男は、これまで会った男達とは何かが違う。
背筋が凍える様な鋭い気配。

その気配と香りは、マリアナの意識から痛みを消し去った。

マリアナ「は、はい!
      でも、私の……」

「それは大変だ、どれ、とりあえず病院に一緒に行こうか」

有無を言わさず、男はマリアナの手を取って立ち上がらせた。
鼻血の流れるマリアナの鼻に、男は白いハンカチを惜し気も無く押し当てる。
空いた手で、マリアナはそのハンカチを押さえた。
謎の脳内物質に満たされたマリアナの脳は、もはや思考を巡らせるどころではない。

絵本の中から飛び出した王子様が目の前にいるのに、冷静になれるはずが無かった。

26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 21:17:24.27 ID:zeBN6WkB0
マリアナ「はい、はい!」

男に手を引かれるがまま、マリアナは商店街を後にする。
人混みを脱し、人気のない道へと曲がる。
その時、マリアナは男の名前を聞いていない事に気付いた。

マリアナ「あの、ありがとうございます。
     私、マリアナっていいます。
     あなたの名前は?」

もはや、夢見る少女と化したマリアナの思考は桃色一色に染まっていた。
みすみすこのチャンスを見逃してしまえば、何のために殴られたのか分かったものではない。
あの金も、男情報の詰まった携帯電話も、この為の料金だと思えば安い物だ。
転んでもタダでは起き上がらない根性こそが、マリアナの本質。

ジャック「はははっ、ジャック、ジャック・アスリートだよ。
     ジャックって呼んでくれ。
     マリアナ、か。
     うん、とても可愛らしい名前だね。

     マリアって呼んでも良いかな?」

マリアナ「あ、は、はい!」

病院への近道なのか、ジャックはどんどん人通りの少ない路地裏を奥へ奥へと進んでゆく。
一人だったならば絶対に近寄りたくはないが、ジャックがいる為、マリアナは意に介さない。
と言うよりか、マリアナは如何にしてこの男を籠絡するかを考えていた為、どこをどう曲がったのかも記憶していなかった。
ふと、進行方向にある路地裏の出口に、一人の男が幻の様に現れた。

28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 21:21:06.49 ID:zeBN6WkB0
反射的に、マリアナは男の顔を点数に換算し、内心で馬鹿にしたような溜息を吐く。
陰鬱気な表情を浮かべる黒いスーツ姿の男は、路地裏の出口から少し入った位置で立ち止る。
人が二人、肩を密着させてようやく通れるほどの幅しかない路地で立ち止られれば、こちらは動けない。
ジャックもまた、男から少し離れた位置で立ち止った。

('A`)「お楽しみのところ悪いな。
   と言っても、そんな事を言うような間柄じゃないか。
   ……手前が、"芋虫ジャッカス"だな?」

ジャック「……何の用だ?」

ジャックの表情から、それまでの陽気さが消えた。
鋭かったジャックの気配が、一瞬で励起した。
背中に氷を入れられたような気配に、繋がれていたマリアナの手は震え始めた。
それにも拘らず、眼の前の男は全く怯んだ様子も無い。

男は何も感じていないのだろうか。
それとも、鈍感なだけか。
この異常とも言える寒気を感じているのは、自分だけなのかと、マリアナはジャックを見上げる。
ジャックの顔は、明らかに危険で邪悪な笑みを浮かべていた。

この感覚の正体が濃い殺気であると、マリアナは一生涯知ることは無いだろう。

('A`)「大人しく俺の言う事を聞くんだったら教えてやるが。
   どうも、その気はなさそうだな」

溜息混じりにそう言った男は、気付いた時にはその手に黒くて小さい拳銃を握り、構えていた。
マリアナは何が起こったのか、咄嗟には理解できなかった。
全ては一瞬の事。
手品か何かの様に男が手にした拳銃の銃口が、気付けばジャックに向いていたのだ。

30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 21:25:15.58 ID:zeBN6WkB0
('A`)「安心しろ。
   死んでも花ぐらいは供えてやる。
   じゃあ……」

マリアナ「やめて!」

咄嗟に、マリアナは両手を広げてジャックの前に立ち塞がった。
両手を広げた為、鼻血で真っ赤に染まったハンカチが地面に落ち、湿った音を上げる。
鼻からは、未だ鼻血が出ていた。
左に曲がった鼻を見ても、目の前の男は表情一つ変えない。

マリアナ「何が起きたのかは知らないけど、いきなり殺そうとするなんて、止めましょうよ!
     人殺しなんて最低の―――」

('A`)「……うるせぇ女だな」

言葉の途中で、乾いた銃声が一つ。
マリアナの膝に激痛が走ったかと思った時には、膝の肉の一部が吹き飛んでいる。
あまりの激痛に、マリアナは立っている事すら出来ずに崩れ落ちた。
撃ち抜かれた膝からは、真っ赤な鮮血が大量に流れ始め、白いコートを赤に染め上げている。

傷口を押さえようと、マリアナは両手を伸ばす。
が、立て続けに放たれた3発の銃弾は容赦なくその手を貫通し、膝に新たな銃創を作った。
今まで味わったことのない激痛に、マリアナはパニック状態に陥る。

マリアナ「ひ、あっああ!!」

新しい銃創からは夥しい量の血液が流れ出し、マリアナの周りを血の池に変えつつある。
全身から文字通り血の気が引き、マリアナは寒気を感じた。

32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 21:29:18.94 ID:zeBN6WkB0
('A`)「手前は少しそこで寝てろ。
   女に庇ってもらえるなんて、いい身分だな、"芋虫ジャッカス"?」

人を撃っても、血を見ても動じることなく男はジャックに問うた。

ジャック「羨ましいか?」

自分を庇ったマリアナに目もくれず、ジャックは楽しそうな声でそう答える。
所詮、彼にとって女とは遊び道具でしかない為、マリアナが何をしようが、一向に構わないのだ。
その事を知るのは、この場には二人しかいない。

('A`)「……別に。
   俺は忙しいんだ。
   先日手前が達磨にして殺したトヅコ・グレイス、そいつの両親からの依頼でね。
   半殺しで連れて来るか、殺すか、だそうだ。

   料金は変わらないからな、とりあえず殺す方向でいかせてもらう」

ジャック「そうか、あの女の家族が依頼人か。
     で、俺を殺すって?
     おいおい、それは……
     無理だ……なっ!」

一瞬の隙を付き、ジャックは裾から取り出した小型のナイフを男目掛けて投擲。
男の呼吸、動作、視線、全てを見計らっての完璧な不意打ち。
切っ先は男の心臓へと吸い込まれるようにして飛んで行く。
その刃先には、猛毒を塗ってある。

35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 21:33:08.98 ID:zeBN6WkB0
ほんの少量でも傷口にそれが触れれば、あっという間に全身に毒が廻り、激痛にのた打ち回った挙句、死に至る。
例え腕で防ごうが、それが致命傷になるのだ。
解毒剤は存在しない。
掠っただけでも、ジャックの勝利は約束されたようなものとなる。

そして、それは呆気なく"弾かれた"。

ジャック「な?!」

('A`)「……あっぶねぇな」

如何なる手段で弾いたのか理解する間もなく、銃声がジャックの鼓膜を震わせた。
腹部に激痛が生じ、体をくの字に折り曲げる。
が、それも束の間。
今度は左肩の肉が爆ぜた。

ジャック「ぐっああああ!」

続けて右肩。
そして、両足。
合計5発の弾丸をその身に受け、ジャックはその場に倒れた。
銃弾を受けた部位と傷の深さ、そして失血で、瀕死の状態となる。

('A`)「いやぁ、本当に残念だったな、芋虫野郎。
   ……っと、忘れるところだった」

男はそう嘯き、放心状態だったマリアナの元へと近づく。
屈み込み、血液が減って青白くなっているマリアナの頬を軽く叩いた。
その行為だけで、マリアナの意識は現実に戻って来る。
マリアナは怯えた目付きで男を見上げるが、男の目は静かな物だった。

38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 21:37:05.35 ID:zeBN6WkB0
そのままマリアナの襟首を掴むと、ジャックの傍まで引き摺り始めた。
一着数十万円は下らない高級ブランドのコートが地面に擦れて布地が破れ、唾やゴミで無残にも汚れてしまう。
とは言うものの、すでにマリアナの返り血で真っ赤に染まっているのだが。
血の尾を地面に描きながら、男はマリアナを容赦なく引き摺る。

('A`)「ほれ、約束通りに花を供えてやる」

瀕死状態のジャックから少し離れた場所にマリアナを置き、男はそのまま踵を返す。
辛うじて動けるマリアナは、どうにかジャックへと近づこうと、手を伸ばした。
だが、後少しと言う所なのに届かない。
後少しでジャックの顔に触れられるのに、届かない。

男はこれを分かっていて、この距離に置いたのか。
だとしたら、心が腐っている。
顔が悪い男は、やはり性根も駄目だ。
こんな状況でもやはり、マリアナの脳は男の評価をしてしまう。

自然に染み付いた習慣は、死の間際でも変わらなかった。

マリアナ「じ、ジャッ……」

愛しの王子様の名を呼び掛けた、その時。
マリアナの背後から、一発の銃声が響いた。
瞬間、マリアナの手の先にあったジャックの顔の一部が穿たれる。
伸ばしていた手に、飛び散ったジャックの肉片が―――

マリアナ「ひ、きゃああああ!!」

40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 21:41:05.96 ID:zeBN6WkB0
それが、マリアナ・オーシャンの最期の言葉となった。
悲鳴を上げるマリアナの後頭部に、背後から飛来した.380ACP弾が風穴を開ける。
言葉とも言えない何かを口にして、マリアナは顔を地面に叩きつけるようにして倒れた。
その眉間に開いた小さな穴からは、赤黒い血が流れ出ている。

('A`)「……さて、仕事終わりだ」

男が殺したのは、ここらでは有名な快楽殺人鬼、"芋虫ジャッカス"の渾名を持つジャック・アスリート。
甘い仮面に誘惑された女を監禁し、両手両足を切断してから犯すという手口から、"芋虫"の渾名がついた。
殺人鬼であると同時に、彼は優れたフリーランスの殺し屋でもあった。
主に女の両手足を切断する際に用いるナイフを得物にしているのだが、他にも投擲用のナイフなどを用いる場合もあった。

少なくとも、ジャックは己の腕に自信を持っていた。
例え不意打ちをされても即座に応じられるだけの技量を持ち合わせており、決して過信ではない。
同業の殺し屋も一目置くジャックを呆気なく殺した男の職業は、殺し屋ではない。
どこにでもいる、しがない何でも屋だ。

警備の仕事もするし、清掃作業もする。
迷い犬を探せと言われれば探すし、例え人を探せと言われれば死体になっていても探し出す。
浮気調査をしろと依頼されれば断る筈も無い。
毎日の様に来る殺しの依頼は、男の年収の実に8割を占めている。

男は未だ銃口から硝煙の上がる銃の撃鉄を戻し、左脇に提げたホルスターに収めた。
代わりに、白い折り畳み式の携帯電話を懐から取り出す。
画面を開き、着信履歴から依頼主の電話番号を選択して電話を掛ける。
数回の呼び出し音の後、重々しげな男の声が受話口から聞こえて来た。

42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 21:45:09.13 ID:zeBN6WkB0
【('A`)「依頼の仕事、今片付けました。
   はい、そうです。
   ……では、これでいいですね?
   何か機会があれば、また。

   それでは失礼します」

そう言って、男は電話を折り畳む。
背後を振り返り、死体の処理方法を考える。
予定より一つ増えた死体の処理には、当然のことながら金が掛る。
それは必要経費と言う事で依頼人から貰えるのだが、あまりいい行為ではない。

今後の為にも、やはり最初の仕事は相手に満足してもらうのが得策。
と思ったが、その心配は杞憂だったようだ。
どこからか出て来た不良者達が、久しぶりの"宝"に群がっている。
女の衣服を剥ぎ取り、金目の物をジャックからも剥ぎ取っていた。

腕時計、ベルト、衣服は勿論の事ながら、金歯まで剥ぎ取るのは見ていて身震いしてしまう。
一人の不良者が、何やらカチャカチャと自らのズボンを下ろし始めた。
彼等はある意味、究極のエコロジストである。
目の前に若い女の体があり、それをどのようにしても良いとなれば、やる事は一つ。

例えそれが死体であろうとなかろうと、彼等はあらゆる物を再利用する。
残されたジャックの死体にも需要はあった。
"それ"専門の人間達に売れば、一週間は遊んで暮らせるだけの金が得られる。
有名な所で、床屋の"スウィニー"や葬儀屋の"スカラベ"が挙げられる。

44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 21:49:11.18 ID:zeBN6WkB0
男が視線を前に戻した時には、二つの死体はその場から消えていた。
携帯電話を懐にしまおうとした時、男の手の中でそれが振動した。
青い着信ランプの点灯パターンと、バイブレーションのパターンから、それが着信である事が分かる。
画面を開いた時、男は眉を顰めた。

映し出されていた電話番号に、見覚えがあるからだ。
通話ボタンを押して、そのまま耳に当てる。
数拍の間を開け、男は応対した。

【('A`)「……はい?」

受話口の向こうから聞こえて来た若い女の声に、男はますます眉を顰めた。
電話の主は、日頃よく仕事をくれる組織の人間からだった。
先日、その者と共にちょっとした仕事をしていた事もあり、男とは個人的な付き合いがある。
女の年齢は男よりも一回り程上だが、外見は同年代と言っても差支えない。

春風のように柔和な声は、事務的に淡々と、だが優しく言葉を告げる。

『今、何か仕事の依頼は受けていますか?』

【('A`)「いや、今終わった所だ。
   今のところ、もう仕事はないけど。
   なんでまた、そんな事を?」

男の質問に、女は声のトーンを落として答える。

『実は、ロマネスク様から直々にお仕事の依頼があるそうです。
……これは個人的な確認なんですけど、何の依頼なのかは、もう分かりますよね?』

46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 21:53:08.39 ID:zeBN6WkB0
【('A`)「……あぁ、分かってる。
   場所と時間は?」

『場所はウチの本部です。
時間は、そうですね。
確か……えっと、ここにメモしておいたんですけど。
ちょっと待ってください』

受話口の向こうで、何かをガサガサと動かす音が聞こえてくる。
なにやら陶器かガラスを割ったような音が時折響き、その度に笑い声が上がる。
最後に銃声らしきものが聞こえ、声が戻ってきた。

『あった、ありました!
時間は本日の22時です』

会話中に時間が出て来たので、男は左手の腕時計を見た。
腕時計の時刻は、そろそろ九時になろうかと言うところ。
ここから目的の場所までは、ゆっくり歩いても30分ほどだ。

【('A`)「分かった、今から向かう」

男は空を見上げる。
そこにあるのは、巨大なビルに切り取られた黒い空。
視線を前に戻し、二つの死体を背に男は歩き始めた。
その間も、通話は続いている。

『それにしても、これは意外ですね。
もっと驚くとか、慌てふためくかと思ったんですけど。
いやぁ、私の知らない所でいつのまに成長してたんですか?』

50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 21:57:05.82 ID:zeBN6WkB0
【('A`)「……流石に驚かないさ。
   どっちかって言ったら、この前の風呂の方がよっぽど驚ける。
   じゃあ、また後で会おう」

電話を耳から離し、男は片手でそれを畳んだ。
懐にしまい込むと、大きく溜息を吐く。
こうなる事は分かっていた事だ。
いつまでも、この時が続くとは思っていない。

時期的にも、確かに丁度いいのだろう。
だから男は、女の言った事に驚かなかったのである。
驚いたと言えばその通りだが、事前に予測していたのとそうでないのとでは驚きの質が違う。

('A`)「……歯車王を殺す、か」

自分自身に言い聞かせるように、男はそう呟く。
男が口にしたその名は、この都で知らない者は一人としていない。
この歯車の都を発展へと導き、そして今現在、歯車の都を統べる王。
それが、歯車王。

腰まで伸びた黒い髪。
奇妙な単眼の仮面。
2メートルはあろうかと云う長身。
黒いコートで身を隠す、唯一無二の王。

数ヶ月前にも、男は一度歯車王を殺そうとした。
正確には、男達、であるが。
だが、それは失敗した。

('A`)「……」

52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:01:08.68 ID:zeBN6WkB0
しかし、あの時とは違う。
今度こそ。
今度こそは、もう大丈夫。
男の持つ力は、当時のそれとは格が違う。

('A`)「やってやるさ」

誰にも聞こえないような小さな声で、男は呟く。
使命があるわけでも、義務があるわけでもない。
単純に、依頼された仕事だからだ。
金をもらって、誰かを殺す。

先程ジャックを殺したのと同じ。
行為自体は、何も変わらない。
ただ、重要さが違う。
ジャックの命を路上の糞だとすると、歯車王の命は核兵器だ。

命は不平等であり、この世に平等な物などない。
貨幣相場ですら常に変動していると言うのに、平等な物があるか。
価値然り、存在然りである。
多くの者が唯一平等であると言う死ですら不平等なのには、理由があった。

歯車王を殺すと云う事は、歯車王の死が"都の歴史を変える"と云う事。
いや、違う。
歴史を変えるどころではない。
下手をすれば、この都そのものが全くの別物に変わるかもしれない。

54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:05:16.15 ID:zeBN6WkB0
だが最終的にそれが男にとっての利益になれば、何がどう変わったとしても一向に構わない。
生きると云う事は、そう云う事なのだ。
他人を犠牲にしても、何を犠牲にしても自分だけは生き残る。
その為なら、恨みは無いが歯車王であっても殺すしかない。



路地裏から抜け出し、商店街に合流した男の姿は、暗い喧騒の中へと溶けて行った。




56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:08:11.71 ID:zeBN6WkB0





――――――――――――――――――――

    ('A`)と歯車の都のようです
     第三部【終焉編】Opening
         『終始』

      Openingイメージ曲
『A WHITE WHALE IN MY QUIET DREAM』
        鬼束ちひろ
ttp://www.youtube.com/watch?v=KIBQ6PJgtog
――――――――――――――――――――






58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:12:54.66 ID:zeBN6WkB0
白い天井。
白い床。
白いベッドシーツ。
そして、白い服。

清潔の象徴とも言える白が支配する空間に、一組の男女がいた。
男はベッドの上で半臥の状態になり、女はベッドの横に置かれた椅子に腰かけている。
そして、女の手には赤い林檎と果物ナイフが握られていた。
女はお世辞にも器用とは言い難い手つきで、林檎の皮を大雑把に剥いている。

膝の上に置かれた皿の上に、分厚く剥かれた林檎の皮が途切れ途切れに落ちる。
その様子を、ベッドの上の男は心配そうな顔つきで見守っていた。
ツンと立った金髪、右頬に走る二本の傷跡。
普段は吊り上がっている碧眼は、今では不安げに垂れ下がっていた。

男の名前は、トラギコ・バクスターと言う。
裏社会の中でも屈指の豪傑として知られる彼であるが、先日の大騒動の際、腹部に深刻な傷を負っていた。
被弾した戦闘機を胴体着陸させた技量もさる事ながら、その生命力は驚くべき物があった。
何より、彼が命を取り留める事が出来たのは、早い段階で応急処置を受け、そのまま急いで病院に運び込まれたからと云うのが大きい。

彼を助けた男達は名も告げずに去ってしまった為、トラギコは礼を言う事すら出来ていない。
トラギコと共に助けられたミルナは、トラギコに比べたら軽傷であった為、一足先に退院してしまった。
水平線会の同僚達も数人入院していたが、皆、精神を病んだか植物状態にあるかで、まともに口を利ける状態にはなかった。
一般の入院患者は彼の顔を見て、トラギコに話しかけるどころか近寄ろうともしない。

故に、トラギコは退屈していた
ただ黙ってベッドに寝ているなど、大人しくしているのが苦手な彼にとっては拷問にも等しい。
そこでトラギコは思いついた。
彼の入院期間中に再開される歯車祭に、こっそり参加しようと考えたのだ。

62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:16:16.09 ID:zeBN6WkB0
入院中にも拘わらず、歯車祭にだけは何としても出ると言って、止めておいた方がいいと言う医者の言葉を聞かなかった。
医者達は渋々それを了承し、トラギコは晴れて野に放たれ、思うままに自由を謳歌した。
結果、縫合されていた腹部の傷口が再び開き、こうして入院生活を余儀なくされてしまったのだから本末転倒である。
今回の件は流石に本人も猛省して、今は大人しく入院する事にしていた。

大人しくしていた方が退院する時期が早まり、仕事に復帰する事が出来る。
トラギコの場合、その事に気付くのがいささか遅すぎた。
そんな彼が今、不安そうな表情を浮かべて心配しているのは、自身の事ではない。

(;=゚д゚)「な、なぁ、ミセリ。
    林檎なら俺が剥くから、ちょっとそれを渡すラギ」

流石に見ていられなかったのか、トラギコは林檎を剥く女にそれを渡すよう、要求した。
だが、ミセリと呼ばれた女はそれを聞こうともしない。
既に半分以下の大きさになってしまった林檎は、食べれない事も無いが、林檎の醍醐味である食べ応えは失われている。
横に撥ねた綺麗なセミロングの茶髪。

青紫色の円らな瞳で林檎を真剣に睨みつける女の名は、ミセリ・フィディック。
高級娼婦であるミセリが、林檎から目を上げ、代わりにトラギコを睨んだ。

ミセ*゚−゚)リ「後少しで終わりますから」

意固地になったミセリは、テコでも動かない。
ミセリがまだ小さい時から知っているトラギコは、大人しく引き下がる事にした。
そうしなければ、彼女の持つ果物ナイフがトラギコの腹に突き立てられないとも限らない。
視線を林檎に戻し、ミセリは皮を剥く作業を再開した。

どんどん小さくなった林檎は、遂に掌に収まる程の大きさになった。
ただし、綺麗な正方形をしている。

66 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:20:09.04 ID:zeBN6WkB0
(=゚д゚)「……」

ミセ*゚ー゚)リ「……ふぅ、やった!
      トラギコさん、出来ました!
      私、林檎剥けましたよ!」

正方形の林檎を掲げ、ミセリは子供の様な無邪気な笑みを浮かべた。
自慢げにそれをトラギコの前に突き出す。
もしミセリに犬の尻尾があれば、ものすごい勢いで揺れていたに違いない。

(=゚д゚)「……よ、よくやったラギ!
    さぁ、そいつを俺によこすラギ」

子犬を褒める様な感覚で、トラギコは労いの言葉を掛けつつ、林檎を受け取ろうと手を伸ばした。

ミセ*゚ー゚)リ「駄目ですよ。
      今、これを切り分けますから」

(=゚д゚)「俺は、丸かじりの方が好……」

ミセ*゚−゚)リ「……」

無言で一睨みされ、トラギコは押し黙った。
手を引っ込め、ワザとらしく何度も頷く。
普段は銃口に睨まれても臆さないトラギコでも、ミセリにだけは弱い。
甘い、と言う方がいいかもしれない。

(=゚д゚)「いや、今日はやっぱり食べやすい大きさの林檎を食べたい気分になったラギ!
    切り分けてくれるラギ?」

68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:24:07.28 ID:zeBN6WkB0
ミセ*゚ー゚)リ「はいっ!」

嬉しそうに頷き、ミセリは手元の林檎に果物ナイフを喰い込ませた。
まずは半分。
何をどう間違って正方形になったのかは知らないが、ある意味安定した形である為、膝に置いた皿の上で作業しても怪我はしないだろう。
長方形になった林檎を、再び半分に切る。

芯の部分を切り抜き、残った三つにも同様の作業を繰り返した。
先程よりもスムーズに切り分けられた林檎であるが、気のせいか一回り程小さくなっているように見える。
おそらくそれは、芯を切り抜いた林檎が、綺麗な凹の形をしているからそう見えるだけだろう。

(=゚д゚)「そ、それじゃあいただくラギ……」

と言って、トラギコはミセリの膝の上の皿にある林檎に手を伸ばす。
が、その手はミセリに果物ナイフの背で叩かれた。

(;=゚д゚)「いってぇ!?
     な、なぁにするラギか!」

叩かれた手の甲を押さえながら、トラギコは抗議する。
切れないとは言っても、ナイフの背で叩かれれば痛い。
ミセリが手首のスナップを利かせて叩いたのを、トラギコは見ていた。

ミセ*゚ー゚)リ「トラギコさんは怪我人ですから、そのまま寝ててください」

(;=゚д゚)「えぇい、林檎をよこすラギ!」

70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:28:11.09 ID:zeBN6WkB0
トラギコがここまで林檎に執着するのには、理由があった。
実は、昼から今に至るまで、トラギコは水しか口にしていないのだ。
決して、トラギコの胃の調子が悪いとか、それ以外の物に対してアレルギー反応を示したからではない。
せっかくミセリが林檎を剥いてくれると言うので、それなら腹いっぱい食べたい。

だったら、腹を目一杯減らしておこうというトラギコの浅慮であった。
所が実際、時刻はそろそろ夜の八時になろうとしていた。
単純に計算すれば、8時間は食事をしていない事になる。
この都に来た当初は、こんなものでは済まなかった。

二日間水すら満足に飲めない状況もあったし、腐った肉を食べて大変な事にもなった。
それと比べたら、今の状況は大分優しい。
しかし、空腹なものは空腹なのだ。
空腹時、目の前に林檎があるのならば、それを食べたいと思うのは自然の事である。

ミセ*゚ー゚)リ「まぁまぁ、寝ててくださいよ」

そう言って、ミセリはトラギコの腹を指でつついた。
そこには、先日縫ったばかりの傷口があるわけで。

(;=゚д゚)「ぎゃあああ!!」

あまりの激痛に、トラギコは腹部を押さえて絶叫を上げた。
ここが個室、しかも防音仕様の要人用病室でなければ、看護士が飛んで来ただろう。
額に脂汗を浮かべ、荒い息をするトラギコの口元に、すっと林檎が差し出された。

ミセ*゚ー゚)リ「はい、あーん」

(=゚д゚)「お、おう、こりゃどうもラギ」

72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:32:11.40 ID:zeBN6WkB0
ミセリの指が摘まんでいる凹形の林檎を、トラギコは迷いなくその手から直接食べた。
すっかり人肌に温められた林檎は、お世辞にも美味しいとは言えない。
形は歪だし、少ししょっぱい。
だが、それでも。

この味は、嫌いではなかった。

ミセ*゚−゚)リ「……ごめんなさい」

自分でも一口食べて、ミセリはしょんぼりとしてしまう。
それはそうだろう。
散々待たせておいて、この出来だ。
料理にうるさい人間なら、怒って当然である。

(=゚д゚)「……俺はこの味、好きラギよ。
    喰わないなら、残ったそれもくれラギ」

信じられないと言った目で、トラギコを見るミセリ。
じれったい。
トラギコは有無を言わさず、ミセリの持つ皿から凹形の林檎を全て奪い取った。
それをまとめて口に運び、よく味わう。

リスの様に頬を膨らませながら、トラギコは林檎をシャクシャクと噛む。
この食べ方なら、噛み応えは蘇る。
甘い果汁が溢れ出して、トラギコの口内を潤す。

ミセ*゚−゚)リ「お、お世辞は言わないでください。
      こんな林檎が、美味しいはず……」

果汁と共に果肉を飲み込み、口元を服の袖で拭いながらトラギコは言った。

75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:35:09.25 ID:zeBN6WkB0
(=゚д゚)「確かに、温いし、しょっぱいし、形は悪いし美味くは無いラギ。
    でも、俺はこの味が好きラギ。
    それじゃあ駄目ラギか?」

ミセ*゚−゚)リ「トラギコさん……」

(=゚д゚)「どれ、俺が一つ林檎の剥き方を教えてやるラギ。
    まずは簡単なやつからラギ」

傍らに置かれていたバスケットから、手頃な大きさの林檎を一つ手に取る。
ミセリの手から果物ナイフを奪う様にして取ると、トラギコはミセリによく見えるようにして二つを構える。
まず、林檎を半分に切り、残った半分をシーツの上に置く。
そして、手に持つ林檎を更に半分に切る。

この時点では、まだ皮は剥かない。
四分の一の大きさになった林檎の内一つを持ち、ヘタの方向から斜め下に向けてナイフを入れ、半ばほどで尻の方から同様に切る。
すると、芯の部分が綺麗に取り除けた。
後は、小さくて切りやすくなった林檎の皮を適当な厚さで剥いて行くだけだ。

これが、一般的な林檎の皮の剥き方である。
綺麗に皮が向け、ちょうどいい大きさになった林檎を、ミセリに差し出す。

(=゚д゚)「ほれ、喰うラギ」

ミセリは一瞬だけ戸惑ったが、結局、それを受け取って食べた。
トラギコとは違い、ミセリの一口はとても小さい。
ゆっくりと味わう様にして林檎を咀嚼して、ミセリはこくりと喉を鳴らして飲み込んだ。

ミセ*゚ー゚)リ「美味しい!」

77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:38:10.13 ID:zeBN6WkB0
ぱっと顔を綻ばせて、ミセリは残った林檎を食べる。

(=゚д゚)「はははっ、そんな大げさな。
    ……ちょっと待ってるラギ、今全部剥くラギから」

義妹分の笑顔の為、トラギコは嬉々として林檎の皮を剥き始めた。
あっという間に剥き終え、それらはミセリの膝の上の皿に置かれる。
先程のリンゴを食べ終えたミセリは新たに一つ手に取って、美味しそうに頬張る。
やはり、ミセリは笑顔が一番可愛らしい。

(=゚д゚)「ようし、次はウサギさん林檎の作り方を……」

次なる林檎を手に取ろうと、トラギコが意気込んだ時。

ミセ*゚ー゚)リ「トラギコさん、すり下ろした林檎とかは好きですか?」

唐突に、ミセリがそう尋ねた。
何の事を言っているのか、トラギコはすぐには分からなかったが、少し考えて答えが出た。

(=゚д゚)「え?
    あぁ、あのヨーグルトの上に乗っけたりするあれラギね。
    あれはあれで、好きラギ。
    どうしてそんな事訊くラギ?」

ヨーグルトでも持って来てくれるのかと思ったが、そんな気配がしない。
明日の朝にでも用意してくれるのか。
ミセリの目が、妖艶な光を帯びた気がした。
だが、ミセリは林檎を口に運んだだけで、何かをする素振りを見せない。

(=゚д゚)「おーい、ヨーグルトは……」

82 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:41:11.41 ID:zeBN6WkB0
そう言いかけた瞬間。
トラギコの口が、柔らかい何かによって塞がれた。
何が起きたのかを理解する前に、トラギコの口の中に何かが送り込まれる。
これは、噛み砕かれた林檎だ。

そして、すぐ眼の前には瞼を下ろしたミセリの顔がある。
こうして間近で見るのは、確か二度目。
口を塞ぐ柔らかい感触が気持ちいい。
などという考えは、瞬時に消え去る。

つまりこれは。
ミセリが口移しで林檎を分け与えていると云う事―――

(;=゚д゚)「んー!
     むーっ、むーっ!」

事態を理解し、急いでミセリを引き剥がそうとトラギコは両手をミセリの肩へと伸ばす。
が。
ミセリの両手がそれを押さえつける方が早い。
あまつさえ、トラギコの腹の上に乗っかって来た。

実際、膝立ちになっている為、そこまで体重は掛けられていない。
が、トラギコが暴れると僅かに腹部とミセリの臀部が触れ、その度に刺す様な痛みが走る。
動けば動く程、トラギコは己を痛めつけるだけだ。

(;=゚д゚)「んむおおおおお?!」

84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:46:16.62 ID:zeBN6WkB0
叫んだ拍子に、閉ざしていたトラギコの歯が上下に大きく開く。
その隙に、ミセリの舌がトラギコの舌を探り当て、絡めてきた。
歯を閉じるわけにも行かず、林檎とミセリの舌に凌辱されるトラギコの舌。
腹部にはミセリがいる為、起き上がることは不可能。

両手は塞がっている。
逃げ道は、無い。
―――否。
一つだけある。

その為には、右手の自由を確保する必要があった。
が、冷静な思考を巡らせる暇は与えられない。
ミセリが送り込んで来た林檎を、再びミセリが吸い上げたのだ。
トラギコの唾液とミセリの唾液が合わさった林檎は、もう一度トラギコへと送り返される。

おそらく、トラギコは戦場でもこれほど冷静さを欠いた事は無かっただろう。
頭の中が真っ白になり、何も考えられない。
ただ。
強いて言うなら一つだけ、トラギコの思考を破壊しつつある物の正体は分かる。

それは、快楽だ。
ただ唇を合わせ、舌を絡めて、林檎を唾液と共に交換し合っているだけなのに、この快感は何だと言うのだ。
最後の意地で、トラギコはその快楽に支配されるのを寸前の所で耐えていた。
そしてその時、遂にトラギコの右手が解放された。

急いで、ベッドに備え付けられているナースコールをモールス信号の様に連打する。
これでどうにかなる―――
―――そんな思いは、直後に否定された。

(;=゚д゚)「むおおおお?!」

86 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:50:01.11 ID:zeBN6WkB0
何と、ナースコールのコードが切断されていたのだ。
これでは、いくらボタンを押した所で誰も来ない。
これを分かっていて、ミセリはあえて右手を解放したのか。
だが、右手を解放したのが間違いであった。

トラギコは右手だけでミセリの肩を掴み、押しのけようと試みる。

(;=゚д゚)「ぬむっ?!」

その瞬間、トラギコの股間に何かがそっと触れた。
思わず右手を止めて、恐る恐る視線を向けると、そこにはミセリの左手が置かれていた。
少し違う。
指が添えられ、そしてまさぐる様にして上下に優しく動かしている風に見える。

絶望。
絶体絶命。
トラギコの脳裏に、十年前の記憶が蘇る。
あの時とは状況は違うが、展開は同じだ。

ここままでは、まずい。
ミセリの母親との約束を、またしても破ってしまうのか。
思考に靄が掛り、何も考えられなくなって行く中で、それだけが残っていた。
むしろ、それがトラギコの理性を押さえつける為の首輪に他ならない。

その首輪を繋ぐ鎖も、何時まで持つか。
既に錆付き、軋みを上げる理性の鎖は持って後数分。
もう駄目だ。
理性が、快楽に支配され―――

―――支配されようとした、その時だった。

92 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:53:05.77 ID:zeBN6WkB0
( ^ω^)「お見舞いに来まし……」

控えめにノックされた引き戸が少しだけ開けられ、声が掛けられた。
そこから覗くのは、見覚えのある若い男。
そして、その後ろには。

ξ゚听)ξ「あ……」

金髪碧眼の若い女が見えたかと思った時には、男によって引き戸が閉められている。

(;=゚д゚)「むーっ!
    むおおお!」

トラギコは、最後の力を振り絞って助けを求めた。
その想いが通じたのか、もう一度引き戸が開かれる。

(;^ω^)「あ、お邪魔しましたお。
      どうぞごゆっくり」

(;=゚д゚)「もおおお!」

短く刈った黒髪オールバックの男は、内藤・ブーン・ホライゾンと言う。
一時期は死亡したものとされていたが、実は生きていた事が先日の大騒動の最後に判明した。
一応、所属としては同じ水平線会であり、トラギコの方が格上と言う事になる。
とは言っても、昔からブーンの教育をしていた為、二人の関係は兄弟そのものである。

改めてみると、ブーンは昔と比べて、体格が少し良くなっていた。
おそらく、彼なりに鍛えたのだろう。

ξ゚听)ξ「……避妊具でも持って来た方がよかったですかね?」

94 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:56:08.71 ID:zeBN6WkB0
(;=゚д゚)「もがあああ!」

右手の手振りで、ミセリを退かす様に催促した。
肩まで伸びた金髪、蒼穹色の碧眼を持つ若い女の名前は、クールノー・ツンデレ。
昔対立していた組織の人間だが、トラギコとミルナに関して言えば、その辺りは関係なかった。
と言うのも、トラギコとミルナを保護したのはツンの父親。

内藤・でぃ・ホライゾン、その人だからである。
そして、ツンの母親はクールノーファミリーのゴッドマザー。
クールノー・デレデレ。
即ち、トラギコとミルナの二人だけでなく、デレデレかでぃに世話になった者は、所属に関係なく互いを助け合う。

ツンはやれやれと言った様子で、ミセリを引き剥がした。
ゴクリと喉を鳴らして、ミセリは口の中に含んでいた林檎を飲んだ。

ミセ*゚ー゚)リ「……っぷはぁっ。
      あら?
      ツンさんにブーンさん、どうしたんですか?」

何事も無かったかのように、ミセリは平然と答えた。
つくづく女は恐ろしいと、ブーンとトラギコは内心で同時に思った。

(;^ω^)「あー、いえ。
      お見舞いに来たんですけど、お邪魔でしたかお?」

96 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 22:59:09.69 ID:zeBN6WkB0
(;=゚д゚)「いや、いやいや。
    御蔭で助かったラギ。
    出来れば俺が退院するまでいてくれると助かるラギ。
    なんだったらブーン、お前ここに泊ってくれラギ。

    このままだと俺は明日には白髪になっちまうラギ」

ξ゚听)ξ「冗談がお上手ですね」

ツンはそう言いながら、ベッドの横に置かれていた机の上に数冊の本、そして綺麗に包装された箱を置いた。
おそらく、箱の中にはお菓子でも入っているのだろう。
一方、机の上の本はトラギコの好きな絵本の最新刊数冊だった。
ここ最近忙しかったせいで買いそびれていた事を、ツンは知っていたのか。

確かに、この絵本は暇つぶしにはうってつけだ。
"ミッケ!"シリーズは、大人から子供まで誰もが夢中になれる傑作絵本である。
赤い囚人服を着た男を探す本よりも難易度は高く、そして面白い。
いい歳をしたトラギコが好きなのも納得がいく出来であり、入院生活の心強い友となる。

この本を使えば、確かにミセリの注意を一時的に逸らす事が出来るかもしれない。
だが、解き終わった場合、どうなるか。
それを想像して、トラギコは小さく身震いした。

ξ゚听)ξ「怪我は大丈夫ですか?」

その身震いを、怪我から来る何かだと思ったのか。
少しだけ悪い気もしたが、ツンの心配を無下にするわけにもいかない。

(=゚д゚)「なぁに、直ぐに良くなるラギ。
    御譲が心配する程じゃないラギよ」

98 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 23:02:12.48 ID:zeBN6WkB0
ξ゚听)ξ「何か、欲しい物とかがあれば、遠慮なく言ってください。
      ……その間の介護はミセリさんにお願いします」

ツンがちらりと横目でミセリを見たのを、トラギコは見逃さなかった。
まさか、ツンは知っているのか。
女同士で通じる何かがあると言うのか。
もしそうだとしたら、トラギコに逃げ道は無い。

そこで思い出したのが、ツンとミセリが幼い頃に仲が良かったと云う事。
確か、ツンに何かを教えていたのもミセリだった。

ミセ*゚ー゚)リ「えぇ、任せてください。
      それじゃあ、尿瓶でも……」

(;=゚д゚)「……他には何もいらないラギ。
    今は安心だけが欲しいラギ」

(;^ω^)「……大変ですね」

そうとだけ言って、ブーンはトラギコの肩をポンと叩いた。
いつもの雄々しい姿からは想像できない様な目で、トラギコはブーンを見上げる。

(;=゚д゚)「頼む、今すぐに……
    いや、明日でもいいラギ。
    ミルナを、ミルナを呼んできてくれラギ」

ブーンは静かに何度も頷き、ツンと共に部屋を後にした。
最後にトラギコが見せた表情から何とも言えない哀愁が漂っていたのを、二人は病院から出た後でも鮮明に覚えていた。
病院の明かりを背に、ツンとブーンは並んで歩き始める。

101 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 23:05:11.30 ID:zeBN6WkB0
ξ゚听)ξ「で、この後どうする?」

二人の姿が既に病院の敷地から出て、裏通りの商店街に足を踏み入れた時の事である。
最初に口を開いたのは、ツンだった。

( ^ω^)「酒でも飲みに行くかお?」

ξ゚听)ξ「それもいいわね」

商店街独特の喧騒から逃れる様に、二人は進む。
次第に店が少なくなるにつれ、明かりも比例して減って来る。
あの大騒動の一件以来、少しだけこの辺りも変わっていた。
夜遅くまで営業する店が増え始めたのだ。

都の経済が元気になれば、クールノーファミリー等の組織が得る利益も増える。
しかし、いい事ばかりではない。
利益が増え、景気が良くなれば皆の財布が膨らむ。
それを狙う輩もまた、好景気になると増えるのだ。

例えば―――

「すみませぇん、ちょぉっといいですかねぇ?」

「へへへっ、見せつけちゃってくれちゃってよぉ」

「うひょっ! こりゃあすげぇ!
女の方、すげぇ美人だ!」

―――こんな具合に。

103 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 23:08:14.37 ID:zeBN6WkB0
ξ゚听)ξ「あんたの知り合い?
      もしそうなら、エンガチョするわよ、エンガチョ」

( ^ω^)「まさか。
      道端の糞に知り合いはいないお」

目の前に現れた三人の若者に対して、ブーンとツンの見せた対応は嘲笑、そして苦笑。
それを受け、三人の内、リーダー格らしき金髪の男が一歩踏み出した。
ツンのそれとは違い、男の金髪は染色剤によるものである事が一目で分かる。

「おいおい、愛する彼女の前だからって、カッコ付けてんじゃねぇよ」

その手が持っているのは、やや大振りのバタフライナイフ。
手の中でそれを弄び、独特の残響音を響かせる。
威嚇としてはそれでいいだろうが、相手と言葉が悪すぎた。

ξ゚听)ξ「……おい、糞。
      今、何て言った?」

直後、ツンの顔から笑みが消え、辺りの空気が液体窒素をぶちまけた様に一瞬で凍りつく。

「は? なにいt―――」

男の言葉は、最後まで続く事はなかった。
代わりに、何かが潰れる嫌な音が男の股間から鳴る。
白目を剥いてショック死した男が仰向けに倒れても、その後ろに控える二人は何が起きたのか把握できていない。
男がツンに股間を蹴り潰されて死んでから、5秒は経った頃だろうか。

死体とツンとを見比べて、男二人はようやく理解した。

105 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 23:11:05.78 ID:zeBN6WkB0
「て、てめぇ!」

ξ゚听)ξ「誰が誰を愛して、誰が誰の彼女だって?」

冷たく言い放たれた言葉を聞くことなく、一人の男は怒りに身を任せ、懐から拳銃を取り出した。
そのクソ度胸だけは称賛に値した。
言い換えれば、その男は救いようのない鈍感だったと言う事。
そして行動は遅く、愚鈍。

愚鈍で鈍感な者が生き延びるには、より強い者の下で群れを成して寄生虫の様に生きるしかない。
先程ツンによって殺された男が群れの長であった以上、その下で生きていた男達に生存は許されなかった。
ましてや彼等は、相手の実力を知らずに喧嘩を売ったのだ。
ツンの横にいたはずのブーンの姿が目の前に現れ、男が拳銃を取り出すのと同時に、拳銃を持つ男の手首は折られている。

「ぎひっ?!」

「む、ムック!」

仲間に声を掛けた男は、懐にしまっている拳銃を取り出す事を忘れ、怒りのままにブーンに殴りかかった。
男は、腕っ節なら多少の自信がある。
ストリートファイトでの勝率は、7割。
メリケンサックを常に装備していることから、男は"メリケン・コウ"と呼ばれていた。

繰り出された拳がブーンの顔に触れる直前、"メリケン・コウ"の体は宙を舞っていた。
横合いからの飛び蹴りは、コウの肋骨を4本折り、その体を5メートル程蹴り飛ばした。
コウは近くにあったゴミ箱に頭から突っ込み、そのまま気を失う。
飛び蹴りを見舞った際に少し乱れてしまった髪を軽く直しながら、ツンはブーンの横に並ぶ。

ξ゚听)ξ「やっぱ、護られっぱなしっていうのは気分が悪いからね。
      これで、貸し借りはチャラ」

107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 23:14:15.74 ID:zeBN6WkB0
そう嘯き、ツンは懐から拳銃を取り出す。
ショック死している男の眉間に一発。
コウの頭に一発、心臓、肺、内臓に二発ずつ。
手首を折られ、悶絶している男には10発撃ち込み、引導を渡した。

( ^ω^)「適材適所ってやつだ。
      気にする必要はないお」

ξ゚听)ξ「……そうね」

そのまま何事も無かったかのように、二人は酒場へと移動を開始した。
しかし、その歩みはツンの懐から鳴り出した振動音で、直ぐに止まる事になる。

ξ゚听)ξ「っと、失礼」

そう断りを入れ、ツンは懐から折り畳まれた黒い携帯電話を取り出す。
開き、ディスプレイに映る発信者の名を見た瞬間、ツンの顔が引き締まる。
右耳に掛かった金髪を漉き上げ、耳に携帯電話を当てた。

ξ゚听)ξ「どうしました?」

『デート中悪いんだけど。
二人で22時までにロマの家に来てくれないかしら?』

電話を掛けて来たのは、優しい声をした女性だった。
初めてこの声を聞いた者は、この女性こそが裏社会の中でも屈指の実力者だと言っても信じないだろう。
それでも、電話の主は紛れも無くクールノーファミリーのゴッドマザー、クールノー・デレデレ本人の物である。
そしてデレデレがマフィアの首領にして、ツンの母親でもある事を信じない者は少なくない。

109 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 23:17:06.65 ID:zeBN6WkB0
デレデレの容姿はツンと大差ない程に若く、歳の近い姉妹の様に見えるからである。
これで一児の母と信じろと言う方が酷なのかもしれない。
とは言え、彼女は間違いなく裏社会一部を牛耳る人間であり、ツンの母親である事は揺るぎようのない事実である。

ξ゚听)ξ「分かりました」

仕事用の声で、ツンは短く答えた。
いつもと少しだけ違うデレデレの声色から、ツンはこれがただ事ではないと即座に理解した為だ。
今、ツンの心は冷徹な物へと変貌を始めている。
一度、完全に心が仕事用のそれに変われば、そこにいるのは全てを貫く槍。

だが結局、"今は"その必要はなかったようだ。
デレデレの声色がいつもの様になったのを、電話機越しに感じた。
"女帝"から、優しく強い母親の声に変わる。

ζ(゚ー゚*ζ『あぁ、別に時間までは何してても良いのよ?
       今からホテルに行っても、お母さん怒ったりしないから。
       それに、早く孫の顔が―――』

ツンは無言で終話ボタンを押した。
潮が引くようにツンの心は変貌を止め、いつもの状態へと戻った。
そう思ったのも束の間。
間を開けず、再度電話が掛って来る。

通話ボタンを押し、もう一度耳に当てた。

ζ(゚ー゚*ζ『あぁん、もう、ツンちゃんのいじわる!
       まぁ、時間まではまだあるから、好きに過ごしてていいわよ。
       それじゃ、また後でね〜♪』

111 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 23:20:05.70 ID:zeBN6WkB0
同性であり、娘であるツンが聞いても十分可愛いと思える声で、デレデレは最後にそう締めくくった。
通話を終え、ツンは折り畳んだ携帯電話を懐に戻す。
目でブーンに合図を送り、二人は並んで歩くのを再開した。

( ^ω^)「……仕事かお?」

こればっかりは、答えないわけにはいかない。
大抵の事は言わずとも伝わるまでになったが、詳細までは伝わらない。
デレデレとでぃは、これをいとも簡単にやってのけるのだから驚きである。

ξ゚听)ξ「多分ね。
      10時から、ロマネスク一家の本部で」

( ^ω^)「そうか。
      じゃあ、どうする?」

残された時間からして、店を梯子する余裕はない。

ξ゚听)ξ「流石に酒を飲む訳にはいかないわね。
      どこか、美味しい料理屋知らないかしら?」

仕事の話を素面で聞くのは常識以前の問題であり、当初の予定は破棄された。
問題は、時間をどのようにして有意義に潰すか、だ。
そこでツンは、小腹が空いている事を思い出し、そう提案したのである。
別に酒が飲みたかったわけでもない為、料理だけでも問題はない。

( ^ω^)「お任せあれ」

ブーンは笑みを浮かべて、そう言ったのであった。

114 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 23:23:14.43 ID:zeBN6WkB0
――――――――――――――――――――

ヤマグティ組。
その本部は和の国にあり、歯車の都では下位の組織の中でも比較的マシな戦力を有していると言われている。
歯車の都支部は大通りに近い場所に設けられ、上位の組織の本部から離れた位置に存在していた。
外見は普通の10階建のビルだが、その中に入っている店全てはヤマグティ組のものである。

言わば、まるまる一つのビルがヤマグティ組の巨大な城塞なのだ。
その日、いつもと違う気配に、組員達は落ち着かないでいた。
数多くの鉄火場を経験して来た者達でさえその様なのだから、新参者の中には、得体の知れない恐怖に泣き出す者までいた。

「な、なぁ……」

まるで巨大で獰猛な猛獣のいる檻の中に放り込まれた様な寒気に耐えかね、新参者であるバン・ホーテンは沈黙を破った。
同じ新参者であるジョセフ・ジョンは、手に持つ短機関銃の安全装置を掛けたり解除したりを繰り返し、貧乏ゆすりをして落ち着かない様子だ。
この様子では、ホーテンの話は聞こえていないのだろう。
ホーテンは溜息を吐き、周囲をもう一度見渡す。

新参者である彼等は、ヤマグティ組のビル内にあるエレベーター前の警備を任されていた。
普段は客足が遠のいてしまう為、このように大それた警備など決してしない。
だが、今日に限って言えば別である。
明確な理由はないが、今日だけは警備をしなければまずいと感じたのだ。

それは彼等新参者だけでなく、このヤマグティ組の全員が感じていた。
だからと言って、上の人間がわざわざ危険な仕事をする筈も無く、結果。
彼等新参者だけが警備に当たっていたのである。
他にもビルの入り口や、上の階で同じように警備をしている者が数十人はいる。

116 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 23:26:11.08 ID:zeBN6WkB0
組員総出で警備に当たる姿は滑稽だが、こうでもしていないと不安で仕方がなかった。
それどころか、これでは足りないとさえ思ってしまう。
仲間には言っていなかったが、ホーテンはこの支部の組長が地下の隠し部屋に逃げ隠れているのを知っていた。
緊急時には車での素早い脱出が可能な設備が整っているそこにいれば、例えホーテン達が全滅しようとも組長だけは生き延びられる。

これが、持つ物と持たない者の差である。
正直な話、羨ましい上に腹も立っている。
それを口に出せばどのような仕打ちを受けるか知っている為、ホーテンはそれを口に出さないのであった。
接触が悪いらしく、蛍光灯が時折瞬く様に切れたり点いたりする。

ホーテン「ったく、なんだって言うんだよ……」

「ちょっといいかい?」

ホーテン「ひっ?!」

どこからともなく声を掛けられ、ホーテンは思わず情けない声を出してしまった。
声の出所に目を向けると、何時の間に来ていたのか、そこには一人の若い女がいた。
肩まで伸び、元気よく外に跳ねた赤茶色の髪。
碧眼の吊り目。

ポンチョの様に体全体をすっぽりと覆い隠す、薄汚れた茶色いローブ。
それに反して顔立ちは凛々しく、そして美しい。
しかし、雰囲気と格好が只者ではない。
それは、新参者のホーテンですらハッキリと知覚できる。

ノパ听)「ここ、ヤマグティ組の本部でいいんだよな?」

地面を細い指でさし、女はそう尋ねた。

117 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 23:29:01.33 ID:zeBN6WkB0
ホーテン「だったらどうした!
      一般人は……」

そこまで言って、ホーテンはハッとした。

ホーテン「何か用件でも?
      表の連中が許可したのか?」

ここをヤマグティ組本部と知っている者は、少なくとも一般人ではない。
ましてや、表の警備がある以上、いざこざを起こさずにここに来ると言う事は、只者ではない。
ひょっとしたら、上層部が雇った者かもしれない。
その者に対して失礼があれば、ホーテンの首が飛ぶ。

下手に刺激しないよう、慎重に言葉を選んだ。
それがおかしかったのか、女はくすりと笑い、言った。

ノパ听)「あぁ、あの看板共か。
     "地面に突き刺して"おいた。
     いいオブジェになってるぞ」

ジョセフ「おい、ねぇちゃん。
     痛い眼見たくなかったら、今すぐ帰んなぁ。
     面白くも無い冗談で金を取るっていうなら、裸にでもなって踊ってみろ」

ただでさえ短気なジョセフが、恐怖のあまり、怒りを露わにした。
少なくとも、今の発言で目の前の女が味方である可能性は消えていた。
だが、言っている事の意味自体が分からない。
味方でないからと言って、敵であると言う事ではないからだ。

126 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 23:45:21.08 ID:zeBN6WkB0
ノパ听)「失せろ、三下。
    手前に用はない。
    化石みたいに壁に埋まりたいか?」

ジョセフの恫喝に全く動じることなく、女は一歩詰めよる。

ジョセフ「俺が撃たねぇと思ってるなら、そりゃ間違いだぜ?」

最後の警告として、ジョセフは襟に付けている金色のバッジを見せつける。
これがヤマグティ組の証であり、言わば証明書の役割を果たす。
そして、これを見せつけると云う事はここから先は一切の容赦がないと云う事。
彼等ヤクザ者には、面子と云うものがある。

組織の面子を護るために最も有効な手段は、暴力。
有無も言わせぬ暴力を行使する事によって、彼等は面子を守っているのだ。
中にはそのような事をしなくとも面子を保てる組織もあるが、ヤマグティ組にその技量はない。

ノパ听)「よく回る口だな。
    そんな豆鉄砲で、何ができるって?
    精々、鳩を驚かせるのが精々だろうよ」

それでも、女は動揺する素振りすら見せない。
金バッジの事を知らないだけか。
それとも、本当に全く気にしていないだけなのか。

ノパ听)「……がっかりだ、あぁ、がっかりだ。
     もういいや、お前、死ねよ」

130 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 23:48:18.88 ID:zeBN6WkB0
溜息と共に一瞬でジョセフの前へと接近した女は、ジョセフの胸倉を掴んで持ち上げる。
成人男性一人を片手で持ち上げるなど、この細い体のどこにそれだけの力が秘められているのか。
本能的に危険を察知したジョセフは、手に持った短機関銃の銃爪を引こうとする。

ジョセフ「おおぉぉぉぉぉっ!?」

それより早く、ロケットの様に真上に投げ飛ばされたジョセフは、天井に頭を打ち付ける。
頸椎を折り、頭蓋骨が砕け、脳が破裂。
真っ赤な花を天井に描き、ジョセフはコンクリートの天井に頭から突き刺さっていた。
言わずもがな、即死である。

衝撃で、ジョセフの付近の蛍光灯が落下した。
そのフロア全体が、一段階暗くなる。
更に、他の蛍光灯までもが瞬きの様な点滅を始めた。

ノパ听)「あたしを失望させたんだ、本当なら半滅で済ましてやろうと思ったが……」

現実離れした光景に呆気にとられていたホーテンを睨み、女は言った。

ノパ听)「手前等、全滅だ」

直後、女はホーテンへと肉薄し、ホーテンの頭の上に手を置いた。
何をするのかと思った時には、もう手遅れである。
女は、ホーテンの体を一気に"押し潰した"。
頭だけが辛うじて残っているのは、女が自らの手をホーテンの体液で汚したくなかった為である。

「何だ! 今の音は……っ?!」

133 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 23:51:31.18 ID:zeBN6WkB0
騒ぎを聞きつけ、素早くエレベーターで降りて来たのは屈強な男10人。
手に持つ得物は、最近大々的に都で販売が始まった最新型のカラシニコフ。
それを見ても尚、女は心底つまらなそうに落胆の溜息を吐いた。

ノパ听)「もう、そんなもんは効かねぇんだよ」

寂しそうに呟いた言葉は、問答無用とばかりに放たれたカラシニコフの銃声に掻き消える。
数百発と云う銃弾が、女の血肉を求めて空気を切り裂き、金切り声を上げた。
あまりにも激しい銃撃で女の周囲の床が弾け、土煙が舞う。
女の姿はそれに隠れるが、地面に落ちている千切れたローブの一部が、全てを物語っていた。

「やったか?」

弾倉内の弾を全て撃ち尽くし、膝立ちで射撃していた男が顔を上げて状況を確認しようとする。
だが、土煙は予想以上に濃く、何も見えない。
全員が弾倉を交換して、一番後ろにいた男が指示を出した。

「ちょっとお前、見て来い」

「何で俺が!
大体、あれを食らって生きてる筈が」

「あるから困るんだよ」

聞こえてはいけない筈の声と共に、土煙から何かが勢いよく飛び出す。
それは、影だった。
少なくとも、その場にいた誰もがそう思い、確かにそう見えた。
しかし、それは影ではない。

136 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 23:54:09.54 ID:zeBN6WkB0
影であると錯覚したに過ぎない。
実際に彼らが見て感じたのは、彼女の生み出した残像。
すなわち、彼女の過去の動きだ。
過去の動きに対して銃口を向けても無意味。

強いて評価する点があるとすれば、過去とは言え、何かに対して銃口を向けられた点だけである。
伊達に場数を踏んでいない訳ではない。
度重なる抗争で彼らが学んだ技術は、既に細胞レベルにまで刷り込まれていた。
故に、常人には不可能とも言えるこのような行動が取れたのだ。

ちなみに、彼らが出来たのはそれだけ。
そして、見えたのは影だけ。
それが何を意味するのか、彼等は生きている内に理解する事はない。
例えば。

―――女が、どこからか持ち出した大身槍を構えていた事など、片鱗すら見えていなかった。

一薙ぎ。
一振り。
一撃。
そして、一掃、全滅。

大身槍で繰り出した攻撃は、ただの一度。
しかし、奪った命はその十倍。
加えて、吹き飛ばした胴体や首が飛んだ距離はそれ以上である。
女の前に、半端な技量をもつ男達は無力以外の何者でもなかった。

ノパ听)「……ふんっ」

139 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 23:57:42.93 ID:zeBN6WkB0
刃に付いた血を払い落し、女はエレベーターに乗り込んだ。
最上階のボタンを押して、そのまま上昇。
あっという間に最上階に到着し、扉がゆっくりと開く。

ノパ听)「へぇ……」

明かりの消された最上階で女を待っていたのは、百はあろうかと云う銃口。
拳銃から、果ては機関銃まである。
どうやら、待ち伏せされていたらしい。
下手に攻撃を仕掛けるより、よっぽど賢い判断だ。

それを前にしても、女はただ感心したような声を上げただけだ。
すぐに興味を失ったかのように、女は溜息を吐く。

ノパ听)「やってみろよ、楽しそうだ」

『ブッ殺せぇぇぇえええ!!』

怒号と銃声が殺戮の協奏曲を生み出す。
銃弾はエレベーター内の壁を穿ち、狙いが逸れたものは照明などを。
跳弾は天井部や床を。
瞬く間にエレベーターは、ハチの巣になる。

ノパ听)「……やっぱり、か」

ボロ切れの様に穴だらけになってしまったローブを見て、その下から自らの手を出す。
そこには傷一つ付いていない。
数本の毛髪が銃弾に切り取られたのを除けば、彼女自身に対する被害は皆無である。
銃弾が、効かない。

142 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/25(日) 23:59:25.65 ID:zeBN6WkB0
「ば、馬鹿な……」

どこからともなく、そんな声が上がる。

「……人間じゃねぇ」

ノパ听)「あたしは人間だよ」

女は、エレベーターからゆっくりと降りた。
一歩、また一歩と武装した男達へと近づく。

「う、うわあああ!」

銃弾が通用しない相手に、いくら撃っても意味がない。
とはいえ、撃たなければ殺されると理解している彼等に、弾切れになっても銃爪を引く以外に出来る事はない。
この女は誰も逃がさない。
誰も見逃さない。

許されない。
殺される。
逃げられない。

ノパ听)「ほほう」

無数の銃弾をその身に浴びながら、女は感心したように声を漏らす。
視線の先、数人が銃を捨て、刃物を手にしている。
白兵戦を挑むつもりなのだ。
理に適った判断だが、それが意味を成すかどうか。

「いくぞ、野郎ども!」

145 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:03:17.26 ID:aPdjr4NI0
その叫びに呼応し、それまで銃を手にしていた男達はそれを手放し、懐や腰から大小様々な刃物を取り出した。
刃物を手にする男達は皆、その眼が血走っている。
これが最後だと分かったのだろう。
気付くのが遅すぎである。

ノパ听)「ほら、虚勢を張るならもっとしっかりやれよ。
     ナニが勃ってねぇぞ?」

少しは楽しめそうだ、とばかりに女は口元を釣り上げた。

「死に晒せぇえええ!」

四方八方から、凶刃が迫る。
女は大身槍を頭上に掲げ、手の中でバトンの様に廻した。
ヘリコプターのメインローターの様に風を巻き上げ、迫る者全てに、こう警告する。
―――死ぬ覚悟はできているか、と。

頭上で旋回していた大身槍を、女は"地上に降ろした"。
それが意味するのは、ただ一つ。
"非情の暴風"が、地上に生まれたと云う事。

「ひぎっ……!」

高速で回転する大身槍に巻き込まれた何人かの体が、悲鳴と共に次々と細切れになってゆく。
飛び散った肉片は、その周りにいた者達に血肉の雨となって降り注ぐ。
壁や天井に飛散した血肉は、這う様にしてそこから落ちる。
砕かれた刃は味方の肩や腕に突き刺さったり、頬を切り裂いたりしていた。

147 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:06:09.30 ID:aPdjr4NI0
暴風の前には、あまりにも無力。
ふと、暴風が嘘の様に凪いだ。
そうかと思えば、強烈な突きが3人の男の腹部を一気に貫いた。
生きながらに男達を串刺しにした大身槍を、女は片手で持ち上げ、先端に突き刺さっているそれらを頭から地面に叩きつけた。

頭が弾け、刃が腹から頭までを切り裂かれる。
その威力は、衝撃でビル全体が揺れた程だ。

ノパ听)「ネズミでも勘は働く。
     だが、手前等はそれだけだったみたいだな」

その喋り方は、高圧的でも威圧的でもない。
落胆を隠しきれない、失意に満ちた喋り方だ。

ノパ听)「手頃な組織一つでこれかよ。
     ……つまんねぇ」

飛び掛かって来た男を槍の柄で殴り殺し、一際大きな溜息を吐く。
遅れて、殴られた際に飛び出した男の眼球が、壁に叩きつけられる。

ノパ听)「はぁっ……
    なぁ、もう無いのか?
    無いんだったら、そろそろ皆殺しにして、さっさと帰って寝たいんだが」

「の、のぼせてんじゃねぇ!!」

一人の勇敢な―――無謀ともいう―――男が、女目掛けて日本刀を振り下ろした。
男の振り下ろした日本刀は、名のある刀匠が叩き上げた本物の名刀だ。
空中の和紙でさえ難なく切り裂く事が出来るというその切れ味は、人間の骨ごと肉を容易く断つ。
その刃を、女は事も無げに二本の指で摘まんで防ぐ。

149 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:10:39.90 ID:aPdjr4NI0
ノパ听)「のぼせてんのはどっちだよ?
    勇気と無謀は違う。
    何の勝算も無しに突っ込んで、勝てる相手だとでも思ったか?」

「手前がなぁ!」

男の行為は、決して無駄ではなかった。
少なくとも、味方に時間を与え、女の両手を塞ぐことにも成功したのだ。
残された数十名の男が、一斉に刃を突き出した。
その刃は肉を裂き、骨を砕き、心臓を貫いた。

「な、ば……」

それは、信じがたい光景だった。
女を刺したと思った刃は全て、先程女に襲い掛かった男の体に突き刺さっている。
では、女は何処に消えたのか。
それは、すぐに見つかった。

全身に刃が突き立つ男の横に、一本の棒が―――
―――否、それは槍の柄である。
穂先が地面に深く突き刺さった状態で、綺麗に直立する大身槍。
その上に、女はいた。

頭を下に向け、石突きに限りなく近い場所を片手で持ち、そのままの曲芸のような体勢を維持。
そして、もう片方の手には短くなってはいるが、日本刀の刃が摘ままれている。
つまり、女はあの一瞬で日本刀の刃を折り、もう片方の手に持つ大身槍を使って難を逃れたのだ。
皆の目線が女を見上げた時、女は摘まんでいた刃を適当に放った。

151 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:13:05.61 ID:aPdjr4NI0
それを機に、女の姿が一瞬だけ全員の視界から消えた。
反動と体重、そして重力と遠心力を利用して、大剣を振り下ろすかのように、女はあの不安定な体勢から大身槍を地面より一気に解放したのである。
一撃。
振り下ろされた大身槍による一撃は、人体を叩き潰し、切り裂き、吹き飛ばした。

床に大きな亀裂が走り、衝撃でその階の防弾ガラスに大きなヒビが入る。
大身槍の一撃を受けた場所には、人間の体の一部が散乱していた。
そこに着地した女は、肉片を踏み潰すのも意に介さず、槍を横に薙ぐ。
悲鳴を絶叫で上塗りし、絶叫を断末魔の叫びで塗り替える。

飛び散った臓物を血で染色し、血を別の血と混ぜ合わせ、吐瀉物を涙で洗い流す。
命が消える。
百近い命が、暴力によって蹂躙される。
最後に振り下ろされた大身槍の一撃によって、遂に最上階の防弾ガラス全てが砕け散った。

血の色に染まった部屋を見渡しても、息をしている者は一人もいない。
人体の原形を留めている者の数は、十以下。
残りは全て肉片になっているか、体がパズルの様にバラバラになっているかだ。
だが、足りない。

まだ戦い足りない。

ノパ听)「……逃げたな」

外から聞こえて来た車の発進音で、女は何が起きたのかをすぐに理解した。
窓辺に歩み寄り、女は見下ろす。
今まさに一台の黒塗りのセダンが、テイルランプの赤い尾を残してビルの前から猛スピードで走り去った所だ。

ノパ听)「へぇ、逃げるのか」

154 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:16:18.16 ID:aPdjr4NI0
何の予備動作も無しに、女はそこから一気に飛び下りた。
5メートル程の高低差のあるビルの屋上に着地して、直ぐに駆け出す。
隣接するビルの屋上へと飛び移る。

ノパ听)「逃がさねぇ!」

エンジンの音を頼りに女はその方向を見る。
確かに、約100メートル前方には猛スピードで裏通りの道路を走る車がいた。
後1分もすれば、大通りへと合流する道に到着するだろう。
そうなってしまえば、派手な行動は出来なくなる。

その上、逃げる者がいつまでもここに滞在する筈がない。
都の外に逃げ出すに決まっている。
女がそれを黙って見逃すなど、有り得ない。
だが、如何にして猛スピードで駆ける車を止めるか。

答えは、その手が握っていた。

ノパ听)「せぇっ!」

投擲。
十分過ぎる助走をつけ、女は手にしていた槍を投げた。
空気を切り裂き、槍は車の進行方向へと亜音速に迫る速度で進む。
そして。

槍は車のボンネットに斜め上から突き刺さり、ミサイルの直撃を食らったかのように車が横転。
簡単には止まらず、300メートル程仰向けになったまま、車は火花を散らしながら滑った。
電柱に正面から激突して、ようやく停止。
女は屋上から屋上へと渡り、車の元まで一躍で舞い降りた。

156 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:19:09.16 ID:aPdjr4NI0
車の前に着地すると、窓から血に塗れた四人の男が這いずり出ている所だった。
その内の一人が、ヤマグティ組の歯車の都支部の組長である。
残りは運転手と護衛と言った事だろう。

「て、手前……っ!」

ノパ听)「よう、手前がヤマグティ組の組長だな?」

全身血だらけの男に、女は無表情で問う。
残った三人などには目もくれない。

「この……まま、タダで済むと……思うなよ!
手前のしたこと……は直ぐに本部に……伝わる!
そうしたら、手前なんて……」

ノパ听)「まぁ、落ちつけよ」

男の髪を掴んで、強引に車内から引っ張り出す。
喚き散らす元気がないのか、それとも抵抗が無駄だと知っているのか。
おそらく両者だろう。
女は、ボンネットの真裏に男の顔を叩きつけた。

「だ、誰に……雇われたんだ!
一体、俺の首にいくらの……値が付いてるんだ!」

ノパ听)「うん?
     なんだ、そんな事か。
     そんなもんねぇよ。
     これは、あたしがやりたいからやってるだけだ」

160 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:22:14.89 ID:aPdjr4NI0
もう顔を一度露出した車底に叩きつけ、男を黙らせる。
今の一撃で、顔の骨の大部分が折れてしまった。
少しだけ開かれた男の口から、根元から折れた歯がポロポロと零れ落ちる。

ノパ听)「……ところが、だ。
     実に残念なことに、手前等弱すぎるんだよ。
     そこであたしはこう思った」

男を高く持ち上げる。
髪の毛がブチブチと切れる音が、手元から生じた。

ノパ听)「糞は掃除しようって……な!」

女は、そのまま男の頭を車底に勢いよく叩きつけた。
頭が金属の車底にめり込み、男の四肢がビクビクと痙攣して、そして止まった。

ノパ听)「さて、後は手前等糞以下の始末だが。
     どうしてほしい?
     潰すか、捻るか、それとも千切るか?
     何を選んでも、手前等を殺すんだが、別にかまわないだろう」

残された護衛二人と運転手に向かって、女は死の宣告をした。
一般論で言うならば。
死の宣告の後、死が与えられるまで、僅かながら心の準備と言うものがあるのが普通である。
ところが、女の場合、そんな常識や一般論と言うものは存在しなかった。

あったのは、絶望。
護衛の男が懐から抜いたコルト・ディフェンダーは45口径の拳銃として知られているが、女に対してはなんら意味がない事を、男は知らなかった。
もし仮に知っていたとしても、自らの主人を殺された怒りから意に介さなかっただろう。
兎にも角にも、安全装置の解除されたコルト・ディフェンダーは合計で7発の銃弾を放ったのだが。

162 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:25:50.89 ID:aPdjr4NI0
目に当たるかと思われた一発を、女はそれを指で摘まんで防いだ。
残った6発は、大して防ごうともしなかった。
ここで評価すべきは、護衛の射撃能力だった。
絶望的な状況の上、咄嗟の反応にも拘わらず、正確に女の急所を狙っていた。

これが一般的な女性ならば、まず間違いなく死んでいた筈だ。
そして皮肉な事に、女の体は一般的では無かった。
心臓、内臓、両肺、首、そして口。
正確に放たれた6発の銃弾は、狙った通り確かに女の急所に当たった。

人体が緊急時にどれだけの実力を発揮するかが垣間見える場面であったが、残念ながらただの一発も女の皮膚に傷を付けていない。
傷を付け、穴を開ける事が出来たのは彼女の体を纏うローブだけ。
口を狙った弾丸は、まるで曲芸の様に女は噛んで防いでいた。
噛んでいた弾丸を女は傍らに吐き出す。

ノパ听)「いい腕だ。
    こんな状況でも役割を全うしようとする気概だけは認めてやる。
    だが、それだけだな」

女の足が優秀な護衛の男の頭に乗せられ、その足に力が込められる。
徐々に頭が音を立てて潰れ始め、男の目玉が男の目玉が僅かに飛び出した。
様々な場所の骨が砕け、激痛に耐えかねて男は絶叫を上げる。
遂に、男の頭がまるで風船の様に踏み潰され、弾けた。

尾の付いた眼球がそこら辺の地面を転がる。
残されたもう一人の護衛はその光景を見て、懐に伸ばしかけていた腕をそのままの状態で固まった。
無駄だと分かってしまったのだ。
コルトを持ってこようがミニミを持ってこようが、意味がないと分かってしまったのである。

164 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:28:11.71 ID:aPdjr4NI0
哀れな護衛の命は、幸いなことに女の一蹴りで散った。
まるでサッカーボールを蹴る様に男の頭を蹴り飛ばし、その頭はどこかの建物の壁に激突して潰れた。
女は最後に残された運転手を見下ろす。
冷たく、冷酷な瞳は男を見ていない。

ただ、反射しているだけだ。
それが、運転手の見た最期の光景となった。
女は車の上に手を置き、薄い段ボールを潰す気軽さで力を込める。
車ごと潰され、運転手の頭は上顎と下顎が別離して死んだ。

ノパ听)「……呆気ねぇ。
    やっぱ、祭りから、か……」

車を潰した己の手を見つめ、ポツリと呟く。

ノパ听)「……こればっかりは、どうしようもない、か」

ふと、女の懐から振動音が鳴り出した。
惨劇の場から移動しつつ、女は懐から振動音の原因である携帯電話を取り出した。
画面も見ずに、女は開いた携帯電話を耳に当てた。

ノパ听)「はい?」

数回の問答の末、女は最後にこう言った。

ノパ听)「……ようやく、ですか。
    分かりました。
    はい。
    それでは」

167 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:31:19.06 ID:aPdjr4NI0
携帯電話を懐に戻した女は、哄笑した。
満たされる。
久しぶりに満たされるかもしれないと、女は嗤った。

ノパ听)「やっとだ……やっと、あたしは……」

"戦乙女"の渾名を持つ女。
単身で銃器を用いずに、小規模とはいえ一つの組織を潰した実力者。
その女の名は、素奈緒・ヒート。
ヒートはそのまま、都の夜闇に姿を溶かしてその場から消えた。

――――――――――――――――――――

ロマネスク一家の本部には、裏社会を統べる三人の王全員が揃っていた。
一人は、この建物の所有者である杉浦・ロマネスク。
もう一人は、水平線会々長、内藤・でぃ・ホライゾン。
そして最後に、クールノーファミリーの首領、クールノー・デレデレである。

三人は円卓に腰を下ろし、ゆるりと寛いでいた。
自慢の金髪を指で弄びながら、クールノーファミリーのゴッドマザーは口を開いた。

ζ(゚ー゚*ζ「連絡は終わった、後は待つだけね」

そう言って、デレデレは目の前に置かれている携帯電話に目を向ける。

(#゚;;-゚)「そうだな……」

デレデレの横で腕を組み、瞼を下ろしていたでぃが、静かに瞼を上げて同意した。
彼の目の前にもまた、デレデレと同じ型の携帯電話が置かれている。
違いは、デレデレの持つ携帯電話と正反対の黒色と云う事だけだ。

169 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:34:19.41 ID:aPdjr4NI0
( ФωФ)「ところで」

それまで沈黙を守っていたロマネスクが、正面に座るデレデレとでぃを見た。
とは言っても、ロマネスクの瞼は降ろされ、視覚的には何も見えていない。
両目の上に負った深い傷跡が、少し緩む。

( ФωФ)「後どれぐらい待たねばならんのだ?」

遠回しに、ロマネスクは待っている事が退屈であると言っているのだ。
その事を分からない幼馴染達ではなく、デレデレは唇に人差し指を当てて少し考え込む。
3秒程考え込んで出した答えは、とても簡単だった。

ζ(゚ー゚*ζ「チェスでもしましょうか?」

( ФωФ)「いや、止めておこう。
       我輩ではお主の相手にもならん」

ζ(゚ー゚*ζ「そうでもないわよ。
       最近、やっぱり少し衰えて来たって言うのが自分でも分かるから」

デレデレは少し寂しそうに目を伏せる。

ζ(゚ー゚*ζ「大騒動の時、私の予想は大分外れちゃったからね。
       狼牙の件が最たる例よ。
       ……丁度いいのかもね、今回の件は」

携帯電話の横に置かれていたグラスの淵を、デレデレは指でなぞり、軽く弾いた。
中に注がれている琥珀色の液体に浮かぶ丸い氷が、カランと音を立てる。
水面に映るデレデレの表情は、僅かな哀愁を帯びていた。
それを誤魔化すように、儚げな笑みを目元に浮かべてみせた。

171 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:37:14.99 ID:aPdjr4NI0
(#゚;;-゚)「……む」

横にいたでぃが、デレデレの頭を自らの胸に抱き寄せる。
何度も髪を漉くようにして撫でると、デレデレは気持ちよさそうに目を細めた。

ζ(゚ー゚*ζ「……ちょっと、寂しいわ。
       ちょっとだけ、ね……」

( ФωФ)「やはり、引退するのか?」

デレデレの引退。
もし、この場にクールノーファミリーの人間がいたら卒倒していたかもしれない。
それ以外の組織の人間でも、我が耳を疑っただろう。

ζ(゚ー゚*ζ「えぇ」

多くは語らず、デレデレは最小限の言葉で肯定した。

ζ(゚ー゚*ζ「全部が予定通りに進んだら、遅かれ早かれこうなるからね。
       流石に、両立は出来ないもの。
       それだったら、早い段階で引退した方がいいわ」

でぃの胸に顔を埋め、強く抱きしめる。
彼もまた、同じぐらいかそれ以上の力で抱きしめ返した。

( ФωФ)「そうか……
       我輩も、その辺の事を少しは進めておくとするかな」

(#゚;;-゚)「何か、あるのか?」

173 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:40:36.42 ID:aPdjr4NI0
デレデレを抱きしめながら、表情を変えずにでぃが問う。

( ФωФ)「まぁ、先日少し思った事があってな。
       色々と考えたんだが、やはりこの前話した通りにしようと思う。
       その事でちと、やらねばならん事があってな」

ζ(゚ー゚*ζ「……そう。
      うふふ、やっぱり、そうなるのね。
      でも、私も良いと思うわ」

でぃの胸から名残惜しそうに離れ、デレデレはいつもの笑みを浮かべる。
彼女らしい、優しげな笑み。
その笑みは、家族の全てを愛する慈母の笑みであった。

ζ(゚ー゚*ζ「あ、ところで千春ちゃんはどこに行ったの?」

( ФωФ)「あぁ、ドクオに電話しに行ってもらった。
       何か用でもあるのか?」

ζ(゚ー゚*ζ「どうせ暇なら、一緒にお茶でも飲もうと思ってね。
      あの娘、最近紅茶や料理に凝ってるらしいから」

ロマネスク一家の中でも飛び抜けて優秀な戦闘集団、犬神三姉妹。
精確に言えば、今では犬神姉妹になっているのだが。
その末女である犬里千春は、ロマネスクの身の回りの世話を姉の犬瓜銀と共にしている。
現在長女の銀は入院中である為、実質、彼女一人でそれらをしている事になる。

そして、犬神三姉妹は全員例外なく料理が下手で、千春はその中では比較的まともな腕を持っていた。
料理は練習する物ではないと豪語していた彼女が、いかなる理由で料理をするようになったのか。
その事を、デレデレはそれとなくしか知らなかった。

175 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:44:10.60 ID:aPdjr4NI0
( ФωФ)「……実験台にされた我輩の身にもなってくれ。
       最初は酷い出来だったが、うむ、確かに最近はまともになって来たな。
       なんでも、ドクオに淹れてやるんだと言っていたが」

それを聞いて、デレデレは珍しく驚いた表情を浮かべた。
次にそれは、何かを企んでいるかのような怪しげな表情になる。
デレデレの外見でその表情を浮かべると、まるで年頃の娘が恋の話を聞いたような、好奇心に満ちたそれに見える。
―――実際そうなのだが。

ζ(゚ー゚*ζ「あらら?
      千春ちゃんにも、遂に春が来たのかしら?」

( ФωФ)「はははっ、それならそれでよかったのだが。
       生憎、愛情はあるが恋愛感情は皆無だとさ。
       前から、あんな弟が欲しかったらしい。
       まぁ、何にせよ仲が良い事はいいことだ」

その返答に、残念そうに唇を尖らせてデレデレは露骨に拗ねる。

ζ(゚、゚*ζ「ちぇっ」

デレデレとしては、恋愛感情があれば面白い話に発展してくれて嬉しかったのだが。
だが、仲が良いのは確かにいい事だ。
今後の進展に大きな影響を与えるのは、まさにそれだからである。

(#゚;;-゚)「紅茶か……
    確か、八重桜の入ったクッキーが置いてあったと思うんだが……」

でぃは、静かにそう呟いた。
それにすかさず喰いついたのは、やはり傍らのデレデレだ。

177 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:47:11.60 ID:aPdjr4NI0
ζ(゚ー゚*ζ「あぁ、和の都の限定商品でしょう?
       ……ははぁん。
       でぃ、あなた、あれ食べたかったのね」

(#゚;;-゚)「……む」

一瞬息をつまらせ、でぃはそっぽを向く。
照れ隠しである。

ζ(゚ー゚*ζ「そうね、じゃあやっぱりお茶にしましょう。
       ロマ、呼んでもらえるかしら?」

( ФωФ)「うむ、任せよ」

ロマネスクは頷き、懐に手を伸ばした。
そこから取り出したのは、銀色の小さなベル。
軽く鳴らすと、透き通った音が部屋に響き渡った。

从´ヮ`从ト「お呼びでしょうか?」

ベルを鳴らして、扉がノックされて開かれるまで、僅かに5秒。
しかもその間、跫音は一切していない。
呼吸は静かで、モノクロのメイド服には乱れ一つ無い。
千春は戸口の前に両手を前で組んで立ち、着き払った様子でそう尋ねた。

正に、女中の鑑である。
料理を除けば。

( ФωФ)「お主の分を含めて、紅茶を四人分。
       それと、この前貰った菓子を一緒に持ってきてくれ」

179 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:50:02.17 ID:aPdjr4NI0
从´ヮ`从ト「かしこまりました。
       少々お待ちください」

音も無く部屋を出て行き、扉を閉める際、一礼する事も忘れない。
千春の気配が遠ざかって行き、デレデレは嬉しそうに目を細める。

ζ(゚ー゚*ζ「あら?
      千春ちゃん、結構元気になったわね」

( ФωФ)「分かるか?
       最近、ようやくいつもの調子に戻って来てくれてな。
       やはり、あの男のおかげかな」

(#゚;;-゚)「ドクオか……
    だとしたら、あの話は……」

でぃの言葉の途中で、再び扉がノックされた。
扉がゆっくりと開き、両手で大きな盆を持つ千春が入室する。
ティーポット、カップ、砂糖、ミルク、そして例のクッキーが山のように積まれた皿。
それらを載せた盆を音一つ立てずに、千春は円卓の端に置く。

从´ヮ`从ト「っと」

カップを四つ、くっつけて並べる。

从´ヮ`从ト「お砂糖とミルクはどうしますか?」

ζ(゚ー゚*ζ「私は両方入れてちょうだい。
       でぃはお砂糖だけでお願い」

181 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:53:02.19 ID:aPdjr4NI0
( ФωФ)「我輩はストレートで」

从´ヮ`从ト「かしこまりました」

小さく頷き、千春は言われた通りに砂糖とミルクをカップに入れる。
そして最後に、自分の分であろうカップに、砂糖を山の様に入れた。
適度に温められたポットから、丁度淹れ頃になった紅茶をそれぞれのカップに均等に注ぐ。
綺麗な赤茶色の液体は、宝石が液状化したかのような美しさを持っている。

各人の前に注ぎ終えたカップを置き、千春自身も手頃な場所に腰を下ろした。
ちなみに、クッキーは円卓の端に置かれたままだが、これでいい。
誰かの手が届く位置にあればいいのである。

(#゚;;-゚)「……クッキーを取ってくれ」

このようにして会話が成り立つのを見越して、千春はあえて小皿に分けなかったのだ。
普段は無口なでぃも、こうすれば会話に参加する。

从´ヮ`从ト「どうぞ」

千春はクッキーの載った皿をでぃに向けて、机の上を滑らせて渡す。
でぃの前で停止した皿の上のクッキーから、ほんのりと桜の香りが漂う。

(#゚;;-゚)「……ありがとう」

クッキーを一枚手に取り、でぃはそれを口に含んだ。
一口で食べられる大きさのクッキーには、八重桜の塩漬けとホワイトチョコチップが練り込まれている。
しっとりとした生地の噛み応えは心地よく、そして食べやすい。
紅茶を一口飲み、でぃは満足そうに口元を緩めた。

184 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:56:06.87 ID:aPdjr4NI0
これは、彼なりの笑みである。

(#゚;;-゚)「……ん」

ζ(゚ー゚*ζ「じゃあ私も、いただきます♪」

そう言ってデレデレも一枚取って食べ、八重桜の風味を堪能する。

ζ(゚ー゚*ζ「うん、美味しい」

もう一枚摘まんだかと思うと、デレデレはそれを半分に割った。
そして、割った半分をでぃの口元に持って行く。

ζ(゚ー゚*ζ「はい、あーん」

(#゚;;-゚)「……む」

嫌がったり、恥ずかしがったりする素振りすら見せずに、でぃはそれを食べた。
それを見た千春が、羨ましそうに溜息を吐いた。

从´ヮ`从ト「いや〜、お二人とも相変わらず仲がいいですね。
       羨ましいですよ」

ζ(゚ー゚*ζ「んふふ♪
      千春ちゃんも、その内分かるかもね」

意味深な発言を残したデレデレは、もう半分のクッキーを口に放り込んだ。
美味しそうに咀嚼して、千春の淹れた紅茶で飲み下す。

从´ヮ`从ト「あはは、そうなればいいですね〜」

187 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 00:59:15.15 ID:aPdjr4NI0
( ФωФ)「……ちょっと待て、千春。
       今の物言いだと、お主、まさか誰か意中の人間でもいるのか?
       いや、我輩は別に反対をする訳ではないぞ?
       ただ少し、純粋に気になるだけだ」

そうは言っているが、ロマネスクの手が持つカップはカタカタと小刻みに震えている。
明らかに動揺していた。

从´ヮ`从ト「へ?
       いませんよ、そんな相手」

( ФωФ)「そ、そうか。
       うむ、そうだな。
       あぁ、そうだろうな」

まだ完全には納得していないのか、ロマネスクは落ち着かない様子だ。
乾いた笑いを浮かべて、ロマネスクは無理やりに紅茶を飲む。
千春は頭の上に疑問符を浮かべて首を傾げた。

从´ヮ`从ト「あ、ひょっとしてロマネスク様。
       ドクオさんの事を言ってたんですか?
       もぉ、前にも言いましたが、あれは弟分ですよ」

(´ФωФ)「むぅ……
       なんだか、それはそれで寂しくてなぁ」

ロマネスクにとって、彼の配下にいる人間は全て彼の家族。
千春はロマネスクから見れば、可愛い娘なのだ。
娘に男が出来れば心配もするし、喜んだりもする。
そんな一面がある事は、ロマネスク一家の誰もが知っている。

190 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:02:41.61 ID:aPdjr4NI0
だが、他の組織には知っている人間は少ない。
基本的にロマネスクと言えば、"魔王"の渾名で恐れられる残忍な人間だからだ。
確かにそのような一面もあるが、私生活では優しい父親である。
それこそが、ロマネスク一家が最も重要視する"義"であった。

"義"のロマネスク一家。
"知"のクールノーファミリー。
"力"の水平線会。
これが、裏社会の上位三組織の特徴だ。

ζ(゚ー゚*ζ「まぁ、春が来るのを気長に待てばいいじゃない」

( ФωФ)「そうだな。
       時に千春、後で少し話したい事がある。
       銀のいる病院まで、一緒に来てくれ」

从´ヮ`从ト「分かりました」

千春は砂糖のたっぷり入った紅茶を一気に飲んだ。

ζ(゚ー゚*ζ「はい、どうぞ」

先程千春がやったのと同じように、デレデレはクッキーの皿を千春へと渡す。
唯一千春の時と異なったのは、皿の上のクッキーが動いたか動かなかったかと言う所だけだ。
デレデレの時は動いたが、千春の時は動かなかった。
本職の女中は、その辺りまで完璧に出来てこその女中である。

―――料理を除いて。

从´ヮ`从ト「あ、これはどうも」

193 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:05:13.37 ID:aPdjr4NI0
千春は嬉々としてクッキーを頬張る。
まるで小動物の様に口の中に入るだけ詰め込み、豪快に噛み砕く。
その間にも、自らのカップに紅茶を注ぎつつ砂糖を投入している辺り、隙がない。
口に含んだクッキーを全て噛み砕き終える頃には、全ての作業が終了している。

千春が喉を鳴らして、クッキーと紅茶を飲み下した時だった。

( ФωФ)「……む?」

(#゚;;-゚)「……む?」

ζ(゚ー゚*ζ「……あら?」

从´ヮ`从ト「……ん?」

四人が、一斉に扉へと視線を向けた。
それとほとんど同時に、扉の向こうから低い男の声が聞こえた。

「ロマネスク様、お客様がお見えになりました」

その場の全員が、咄嗟に時間を確認した。
デレデレとでぃは携帯電話のサブディスプレイを。
千春はどこからか取り出した懐中時計を。
ロマネスクは腕時計を耳に当てて。

( ФωФ)「時間10分前、か。
       よい心がけだ」

(#゚;;-゚)「……む」

195 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:08:21.82 ID:aPdjr4NI0
从´ヮ`从ト「じゃあ、その人が来る前にこれを片づけて、私は退散しますね」

ζ(゚ー゚*ζ「そうね。
       あ、そうだ。
       誰が来たか、ちょっと賭けてみない?」

デレデレは唇に人差し指を当て、悪戯っぽくそう提案した。
四人は互いに互いを見つめ合い、皆同時に笑みを浮かべる。

从´ヮ`从ト「じゃあ、せいので言い合いましょう」

そして、四人は同時に一人の男の名を口にした。

【時刻――21:51】

集合時間の10分前に到着したドクオは、ここまで案内してくれた男に礼を言った。
見た目はもの凄い凶悪な顔つきだが、話してみるとそうでもなかった。
礼儀正しく、ドクオを見下した様子も素振りも無い。
ゴドーと名乗った男はその場を去る際、ドクオに珈琲味の飴玉をくれた。

何故飴玉なのかは、分からない。

('A`)「……なんでだ?」

飴玉をポケットにしまい、ドクオは扉の前で少し待っていた。
一分程が過ぎた辺りで、扉の奥からロマネスクの声が聞こえた。

「入っていいぞ」

198 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:11:02.86 ID:aPdjr4NI0
恐る恐る扉を開くと、そこには三人の王がいた。
"女帝"。
"帝王"。
そして"魔王"。

三大勢力の首領が一堂に会するのをこうして目の当たりにすると、やはり緊張してしまう。

('A`)「失礼します」

( ФωФ)「うむ。
       とりあえず、適当な席に腰かけておけ」

('A`)「分かりました」

そうは言ったものの、適当な席がどこなのか、ドクオには咄嗟に分からなかった。
デレデレとでぃは隣同士で座っているのはいい。
問題だったのは、ロマネスクが二人の正面に座っていると言う事だった。
7つある席中、空いている席は4つ。

これでは、どこに座るべきなのか判断に迷う。
とりあえずドクオは無難に、ロマネスクの隣の席に座る事にした。
椅子を引いて、腰を下ろそうとした時。
扉がノックされた。

そうして入って来たのは、一組の男女。

( ^ω^)「失礼します」

ξ゚听)ξ「失礼します」

201 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:14:06.54 ID:aPdjr4NI0
ツンとブーンだ。
入室して、二人は同じ言葉を同時に言った。

ζ(゚ー゚*ζ「あ、いらっしゃい。
       ツンちゃん、こっち、こっちに座りましょう」

デレデレは自らの横の席を叩いてそう言った。
少しだけ戸惑うが、ツンは大人しくデレデレの横に腰かける。
残されたブーンは、でぃの横に座った。
遅れて、ドクオも席に着く。

( ФωФ)「後一人、だが……」

力強いノックの音が、ロマネスクの言葉を途中で止めた。
開かれた扉からやって来たのは、ボロ布で顔を除いた全身を覆い隠す赤毛の女。
ヒートである。

ノパ听)「失礼します。
    ……って、私が最後か」

いそいそと残された最後の席に腰を下ろし、円卓を囲む席は全て埋まった。

【時刻――22:00】

四人がここに集められた理由は、ただ一つ。
失敗した歯車王の殺害を、再び実行する為だ。
だが、初期の人員から三人も欠員が出ている。
モララーは仕方がないとして、技術屋の兄者と情報屋のクールを失ったのは手痛い。

203 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:18:08.36 ID:aPdjr4NI0
人数が減ったのに、それを成功させる事が出来るのか。
そんな心配をよそに、遂に作戦の説明が始まる。
デレデレは席に腰かけたまま、説明を始めた。

ζ(゚ー゚*ζ「さて、いよいよ始めるわよ。
      とりあえず、分かっているとは思うけど作戦の目的を言いましょう。
      口頭で十分ね?」

四人は無言で頷く。

ζ(゚ー゚*ζ「作戦の目的は歯車王の殺害。
       少し事情が変わって、暗殺の必要は無くなったわ。
       とにかく、歯車王を確実に殺してちょうだい。
       これは分かるわね?」

返答を待たず、デレデレは続ける。

ζ(゚ー゚*ζ「じゃあ、ここからが一番重要な点になるんだけど。
       この作戦、ちょっと普通じゃないわよ」

デレデレの作戦に普通であった事が、今まであったかどうか。
それを考えるのは野暮と言う物。
彼女の考える作戦に、普通は有り得ない。
それだけは、絶対に有り得ないのだ。

作戦は常に常識を超越し、想像の遥か上をゆく。
この度、デレデレの立てた作戦は、こうだ。

ζ(゚ー゚*ζ「決行日、及びその時間を除いて、全て自由よ」

207 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:21:19.02 ID:aPdjr4NI0
最初、デレデレの言った言葉の意味が分からなかったとしても、それは仕方がない。
自由とはどういう意味だ。
全員の心の内の言葉を聞いたように、デレデレは直ぐに補足する。

ζ(゚ー゚*ζ「日時はこちらでその日、その時間の一時間前に連絡するわ。
       で、あるからして日時はある意味では、決定しているの。
       でもそれは、一時間前にしか分からない。
       どうしてか、誰か分かるかしら?」

デレデレの質問に答えたのは、ツンでもブーンでも、ヒートでもない。
ましてやロマネスクや、でぃでもない。

('A`)「情報が漏れる心配が減るし、相手に対処する時間を与えない為、ですか?」

ロマネスクの横にいたドクオだ。
そしてドクオの答えは、見事に的中していた。

ζ(゚ー゚*ζ「あらドクオちゃん、凄いじゃない!
       そう、その通りよ。
       前回の作戦の時には私は参加してなかったから分からなかったけれど、待ち伏せされた上に一部は返り討ちにされたんでしょう?
       それはね、相手に情報が知られていたからよ」

デレデレは一息置いて、続ける。

ζ(゚ー゚*ζ「そこで、今回は完全な奇襲を仕掛けようって思ったの。
       無論、その為の代償はあるけれど、威力も大きい。
       ここまでで何か質問はあるかしら?」

ξ゚听)ξ「日時は、その時が来るまで完全に分からないんですか?」

209 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:24:52.03 ID:aPdjr4NI0
デレデレの横に座っているツンが、最初の質問者となった。
親子とは言っても、今、この場は仕事の最中。
それも、相当重要な仕事の場合ともなれば、ツンの声が硬くなっているのは致し方ない。

ζ(゚ー゚*ζ「えぇ、ひょっとしたら明日かもしれないし、十年後かもしれない。
       全ては一時間前にしか分からない様になっているわ。
       だから、何時でも仕事に行けるように準備していてくれればそれでいいわね。
       その方が何かといいし。

       でも、出来れば普段通りに生活していた方がいいわ」

諸刃の剣とは、正にこの作戦の為にある様な言葉だ。
敵にも味方にも準備期間を与えないが、心の準備を常にしておけるのは味方だけ。
肉を切らせて骨を断つ。
最終的に倒れ伏すのが敵ならば、全く問題は無い。

ζ(゚ー゚*ζ「それじゃ、次。
      この作戦は、誰が誰と組んでも自由よ。
      一人でやっても良いし、もちろん二人一組でもいいわ。
      条件は一つだけ」

デレデレは人差し指を立てて、それをある方向に向けた。
そちらにあるのは―――

ζ(゚ー゚*ζ「歯車城を目指してちょうだい。
       どこからでもいいから、作戦開始次第、あそこを目指して直ぐに行動を開始して」

―――歯車の都のシンボルである、都の中央に聳え立つ歯車城。

212 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:27:06.00 ID:aPdjr4NI0
ζ(゚ー゚*ζ「さて、少し細かい事を補足して、もう一度説明するわよ。
       作戦開始の一時間前に、各員に連絡をするわ。
       連絡を受けてからきっちり一時間後、その場から歯車城に向けて行動を開始。
       到着したら、誰かを待つ必要はないわ。

       そのまま最上階まで行って、歯車王を殺す。
       どう、分かったかしら?」

全員、真剣な表情で頷いた所、でぃが付け加えるように言った。

(#゚;;-゚)「……今回の作戦は、俺達三人も参加する」

その言葉に衝撃を受けたのは、ロマネスクとデレデレを除いた全員。
当然、ツンとブーンは眼を大きく見開いて驚いている。
御三家の首領が動く。
これが意味するのは、この作戦に失敗は許されないと言う事。

そして、この作戦が全ての終わりを告げ。
都を。
王を。
何もかもを、終わらせる。

それはまるで、歴史を犯すように都の内側から静かに侵食する。
故に、作戦名は―――

ζ(゚ー゚*ζ「作戦名、"インベイジョン"。
       さぁ、歯車を壊しましょう」

都を終焉へと導くための作戦が、今、静かに始まりを告げた。

214 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:30:02.93 ID:aPdjr4NI0
――――――――――――――――――――

歯車は廻り出した。
それは、もう誰にも止められない。
その事を、王は誰よりもよく知っていた。
だが、それを止める気は王には毛頭ない。

暗い空間。
歯車の軋む音だけが、規則正しくその空間に響き渡る。
幾重にも反響する音は、次第に小さくなり始めた。
やがて、音は消え、代わりにその暗闇のあちらこちらに人影が浮かんだ。

まずは、男が一人。

(´<_` )

続いて、男が一人。

( ´_ゝ`)

その後、女が一人。

(*゚ー゚)

同時に、男が二人。

( <●><●>)

( ><)

217 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:33:12.26 ID:aPdjr4NI0
次に、男が一人。

( ゚∋゚)

少し遅れて、男が一人。

(´・ω・`)

静かに、女が一人。

从'ー'从

そして、最後に。
王が現れた。
悠然と、堂々と、雄々しく、そして優雅に。

|::━◎┥

計九人の人影が、暗闇のあらゆる場所に無秩序に現れている。
一見して、統一性は何もないように思える。
性別、年齢、容姿、名前。
確かに、それらは全てバラバラだ。

だが、一つだけ共通している事がある。
彼等は皆、終焉を待ち望んでいた。
如何なる理由かは別として、確かに、終焉こそを彼等は望んだ。
一人目の男が言う。

(´<_` )「さて」

220 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:36:28.82 ID:aPdjr4NI0
二人目の男が繋げる。

( ´_ゝ`)「いよいよ、始まるな」

二人目の男は続ける。

( ´_ゝ`)「俺達はどうした方がいい?」

指示、及び回答を待つ疑問文。
王が答える。

|::━◎┥『お前達は十分よくやった。
      好きにすると良い』

(´<_` )「……助かります」

感謝。

( ´_ゝ`)「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうか」

二人目の男は、一人目の男を見て言う。

( ´_ゝ`)「お前だけ帰れ」

冷徹。
否、愛情故に突き離す。

(´<_` )「どうしてだ、兄者!
     一緒に帰ろう!」

223 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:39:23.61 ID:aPdjr4NI0
一人目の男、二人目の男の提案に喰いつく。
提案に承認の意思なし。

( ´_ゝ`)「これはケジメだ。
      分かってくれ」

男、一歩も譲らず。
ところが、状況に変化。
思いもよらぬ者から、思いもよらぬ言葉。

|::━◎┥『いや、その必要はない。
      お前達はもう十分に役割を果たした』

それは王の言葉。

( ´_ゝ`)「……しかし」

少々の間。
その正体は、躊躇い。
王の言葉に甘んじる事に対する、男の気持ちの揺らぎ。
別の男が、助け船を出す。

(´・ω・`)「大丈夫だよ、後は僕等に任せてくれ。
      それに、君達の代わりはちゃんといる。
      妹者ちゃんを心配させたらいけないよ」

男、優しげな目で語る。

(´<_` )「……」

226 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:42:26.90 ID:aPdjr4NI0
一人目の男、二人目の男の返答を待つ。

( ´_ゝ`)「分かりました。
      ……それでは」

最後に、王。

|::━◎┥『ご苦労だった』

労いの言葉を聞いて、男二人がその場から消える。
残されたのは、男が四人。
女が二人、そして王が一人。
九人が七人に。

しかし、問題は無い。

(´・ω・`)「さて、諸君」

先程、助け船を出した男が言う。

(´・ω・`)「準備はいいかな?」

場の空気が変わる。
それまでの冷たく鋭い空気が、切れ味を帯びた。

(´・ω・`)「これで、終わりだ」

最後。
最期。
終焉の接近を意味する言葉。

230 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:45:15.30 ID:aPdjr4NI0
(´・ω・`)「我々にはするべき事がある。
      成すべき事がある」

義務。
使命。
決意。

(´・ω・`)「さぁ、行こう」

男、暗闇から姿を完全に表す。
黒いスーツ。
少し気弱そうな表情。
その姿はまさに、社会の歯車。

(*゚ー゚)「えぇ、行きましょう」

女、同じく姿を完全に晒す。
黒いドレス。
少女の様なあどけない笑顔の下には、薄暗い過去。
その姿はまさに、社会の暗部。

( <●><●>)「はい、分かっています」

( ><)「分かってるんです!」

男二人、同時に暗闇から生まれる。
グレーの同型のスーツ、同じ体型。
顔を除いて、全てが同じ。
その姿はまさに、社会の規則。

233 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:48:02.45 ID:aPdjr4NI0
( ゚∋゚)「よっし、行くでごわす!」

男、その巨躯をのそりと動かし、闇から這い出る。
筋骨隆々の体を包むのは、今にも張り裂けそうな黒のスーツ。
その筋肉は、今すぐにここから解放しろと騒ぎ立てている。
その姿はまさに、社会の不満。

从'ー'从「……」

女、音も無く闇から溶け出るようにして現れる。
小柄ながらも均整のとれた体を包み隠すのは、黒いスーツ。
顔には笑顔を浮かべ、内心で何を考えているのか悟らせない。
その姿はまさに、社会の悪意。

彼等は皆、一つの歯車。
一人の王の為、彼等は廻る。
全ての歯車を統べる王の為。
ある目的の為。




|::━◎┥『諸君』




王、高らかに宣言。

237 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/04/26(月) 01:50:02.64 ID:aPdjr4NI0





|::━◎┥『終わりを始めよう』






都の終焉が、今、静かに始まりを告げた。







第三部【終焉編】
    始



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