('A`)と歯車の都のようです

3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 20:53:04.59 ID:Rd24YWax0
その部屋には、人の気配がなかった。
代わりに、まるで忘れ去られた図書館の様に、数万冊の本が作り出す存在感と不思議な静寂がその部屋にはあった。
ひんやりとして乾いた独特の空気が部屋を満たしているが、決して不快なそれではない。
部屋全体は、中央の天井からつり下がっている電燈の朧気なオレンジ色の明かりで、薄暗く照らされていた。

眼が慣れるにつれ、部屋の全貌が見えて来る。
部屋に置かれている調度品には、余計な装飾が一切ない。
全て実用重視のシンプルなデザインで統一され、どれも長い間使い込まれているのが一目で分かる。
部屋の主が腰掛ける木製の椅子はすっかり色が変わってしまい、深みのある焦げ茶色になっていた。

同じ素材で作られた机も同じく変色しているが、持ち主が大切に使っているのは自明のこと。
刻まれた傷は、その一つ一つが歴史を持つ。
大きな傷は失敗の歴史。
無数の小さな傷は、努力の歴史。

机の右の隅。
椅子に腰かけていても手が届く位置に置かれたペン立てには、外装がボロボロになった万年筆が入っている。
インクを入れ替え、ペン先を修理して長い間使い込んでいる証拠だ。
もう、この万年筆は購入して以来、50年以上に渡って使用されていた。

左の方に視線を移すと、そこには文庫本ほどの大きさの本が数冊、本立てに並べてある。
部屋の中にある調度品にしては珍しく色褪せておらず、その本はまだ買われて真新しかった。
表紙は赤茶色の上等な皮で作られており、控えめながらも上質感が漂っている。
立て掛けてあって見ることは出来ないが、表表紙にはこの都の公用語の筆記体で"日記"と書かれていた。

背表紙には数年前の年数から、今の年数までが西暦で小さく書かれている。
これより前のバックナンバーは、別の場所に厳重に保管されていた。
机の上にあるのは、ここ数年の内に書かれた日記だけ。
しかし、この先その日記が増える事は無い。

5 名前:途中で落ちてしまった場合は避難所でお会いしましょう(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 20:56:07.78 ID:Rd24YWax0
無意識下で気配を殺して椅子に深々と腰掛け、眠る様にして瞼を下ろしていた初老の男が、何かに気付いたように顔を上げた。
猫が異音に気付いた時の様に、男は音のした方向に首を動かす。
ただし、瞼は下ろされたままだ。
部屋の出入り口に開かれていない眼を向け、静かに言った。

( ФωФ)「どうした?」

直後、部屋の扉の前に陽炎が立った。
ゆらりと生まれた陽炎の中に、一人の女性が浮かび上がった。
幻想的な顔立ちの女性は透き通った声で告げる。

イ从゚ ー゚ノi、「いや、そろそろ時間だと云うのを伝えに来たんじゃ」

腰まであるさらりとした銀髪。
赤い瞳。
そして、純白の和服。
都中を探しても、これだけ奇抜な格好をしている者は一人しかいない。

唯一該当するのは、裏社会の頂点に位置するロマネスク一家が誇る女中。
犬神三姉妹の長女、犬瓜銀だけである。
彼女が全身に重傷を負って、先日まで入院していたことは、その立ち振舞いからは想像できない。
卓越した身体能力と気力、そして彼女独特の雰囲気がそれを可能にしているのだろう。

( ФωФ)「……そうか」

銀の報告に、初老の男は短く呟いた。
瞼の上に負った深い傷を持つ、この初老の男。
銀の主にして、ロマネスク一家の首領。
彼こそが"魔王"杉浦・ロマネスク、その人である。

8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 20:59:10.57 ID:Rd24YWax0
ロマネスクは思いを巡らせるようにして俯きかけ、開かれていない眼で銀を見上げた。
主が何かを言おうとするのより先に、銀が発言した。

イ从゚ ー゚ノi、「それと、頼まれた事は全てやっておいた。
       他も含めて、万事順調じゃよ」

( ФωФ)「む、御苦労。
       ……なぁ、銀。
       最後の最後まで迷惑を掛けて、すまないな」

突然のロマネスクの謝罪に、銀は薄らと笑う。
銀が笑うと、それまで氷の様に冷たかった存在が雪の様に変化した。
心を許した者の手前では、銀も時折このような表情を浮かべる事がある。
犬神三姉妹が心を許すと言う事は、家族として認識した者と言葉を置き換えても良い。

イ从゚ ー゚ノi、「気にされるな、我が主よ」

短く紡がれた銀の言葉に、ロマネスクは苦笑した。
いや、それは自嘲にも似ている。
ロマネスクは口を開き、溜息の代わりに言葉を吐いた。

( ФωФ)「我輩は、酷い父親であったな……」

イ从゚ ー゚ノi、「くふふっ。
       確かに、そうじゃな。
       よく我儘を言ったり、無茶を言ったりしたからのぅ。
       じゃが、儂等は皆、そんなロマネスク殿に感謝しておる。

       ロマネスク殿が、儂等に家族を教えてくれたからじゃよ」

11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:02:02.88 ID:Rd24YWax0
銀の言葉には遠慮がなかったが、だからこそ、それが本心だと分かる。
ハッキリと告げられた言葉を噛み締めるようにして、ロマネスクは頷いた。

( ФωФ)「そう言ってくれるか。
       ありがとう、銀」

心から礼を言ってから、ロマネスクは、よいしょ、と腰を上げた。
傍らに置かれていた香木から削り出された杖を手に取り、それで体を支えて立ち上がる。
杖を突きながらゆっくりと歩き、銀の前までやって来た。

イ从゚ ー゚ノi、「今まで、世話になったの。
       我が主、我が……父よ」

言葉の途中で、銀の声色が変わった。
口元を手で隠し、後ろを向く。
ロマネスクに背を向け、銀はしばらくそうしていた。

(´ФωФ)「こらこら、泣くでない、銀」

そんな銀の頭の上に手を乗せ、ロマネスクは優しく撫でた。
少しだけ困ったような表情を浮かべつつも、ロマネスクは撫で続ける。
落ち着いたのか、銀が声色を取り戻し、ロマネスクに向き合った。

イ从゚ ー゚ノi、「……すまぬ」

それでも、銀の声は少しだけ湿っていた。
眼も少しだけ赤くなっている。

( ФωФ)「うむ、よい。
       さて、そろそろ出かけるぞ」

15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:05:04.89 ID:Rd24YWax0
部屋の扉を、銀が先に立って開く。
ロマネスクはそこから出て行き、銀は後に続く。
視界がないと云うハンデを微塵も感じさせず、ロマネスクは本部の建物内を移動する。
建物を出て、敷地内を進む。

入口の柵を銀が開き、ロマネスクはその前で立ち止った。
門を押さえている銀に顔を向け、ハッキリと言った。

( ФωФ)「では、行ってくる。
        後は任せたぞ」

イ从゚ ー゚ノi、「……さらばじゃ、我が主よ」

銀も、ハッキリと別れを告げる。

( ФωФ)「さらばだ、我が娘よ」






そして、喪服を着たロマネスクは一人暗闇へと溶け込むようにして消えて行った。
それが、銀にとってロマネスクの最後の姿であり、最後の声となった。






19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:08:00.29 ID:Rd24YWax0





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('A`)と歯車の都のようです
   第三部【終焉編】
    -Episode04-

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22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:11:18.13 ID:Rd24YWax0
杖を突いて歩く度、こつこつと乾いた音がする。
ロマネスクの歩いた後には、香木の残り香が漂い、どこを歩いて来たのかが直ぐに分かる。
彼を暗殺しようと企てる者にとっては、今は絶好のチャンスだ。
ただ、それをしようとする者はいない。

時刻は夜になって1、2時間後。
普段であれば、ロマネスクが歩いて来た道には物乞いか、あるいは娼婦がいてもおかしくない時間帯だった。
しかし、そのどちらもいない。
それどころか、ロマネスクが歩いて来た道には人っ子一人、猫一匹いなかった。

無人。
無生物。
今夜に限って言えば、ロマネスクは昔と同じ状態だった。
恐怖の対象として、生物の本能が警告を発する威圧感を放っていたあの頃。

ロマネスクが外出すると、生存本能が無意識の内に皆に外出を許さなかった。
抗争のある夜ともなると、場馴れした殺し屋達でさえロマネスクには近づけなかったと言われている。
人を殺す者にとって、相手の技量を知らない事は地雷原と知らずに陸上競技大会をするに等しい。
一般市民の中には、ロマネスクが家の前を通っただけで失禁する者もいたらしい。

今のロマネスクは、存在そのものが間違いなく危険であった。
ロマネスクが来る一時間以上前に、この周囲にいた者達は急いで鍵とチェーンを掛けて家に籠り、イヤフォンをして布団の中に入っていた。
本能が濃く残っている野生動物達は、昨日の内に表通りへの移動を終えていた。
故に、ここまでロマネスクの姿を見た者はいなかった。

( ФωФ)

24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:14:00.97 ID:Rd24YWax0
恐怖の対象として"魔王"の渾名が囁かれ始めたのは、50年近くも昔になる。
その昔、ロマネスクはその圧倒的な力で組織を束ね、裏社会に名を馳せていた。
力を持ちながらも驕ることなく、今と同様、義を重んじていた。
一つだけ違うのは、ある日を境にロマネスクが進んで自ら戦闘に参加しなくなった事。

ロマネスクが前線から離れて以降、彼が外出しても人々は平気でいられた。
次第に、"魔王"の恐ろしさを忘れ、人々はロマネスクではなく"ロマネスク一家"を恐れるようになった。
"魔王"は、健在だと言うのに。

( ФωФ)「……」

"魔王"は、静かに進む。
ロマネスクは長らく都に住んでいるだけあり、眼を瞑ったままでも迷うことなく目的地まで進む事が出来ていた。
暗い路地を進むにつれ、明かりと音が遠ざかって行く。
やがて、街灯の明かりが完全に無い場所に出た。

眩いばかりの大通りの光でさえここまでは届かず、都の空を照らしているのが遠くに見えるだけだ。
元から光に頼っていないロマネスクには、それも関係なかった。
遂に車の音も届かなくなり、ロマネスクの耳には風の音と自らが作り出す音だけが聞こえていた。
心地のいい静寂に満たされた、涼しい夜だった。

廃墟の様に静まり返った建物が立ち並ぶ路地を、ロマネスクは速度を緩めることなく進んだ。
途中で右に路地を曲がり、狭い道の脚元を杖で探りながら歩き、ふと立ち止った。
ロマネスクが進んだ狭い道の奥にあったのは、一枚の巨大な壁。
行き止まりだ。

しかし、ロマネスクは迷うことなく杖の先端でその壁を軽く叩いた。
すると。
ロマネスクを中心として、辺り一帯に都の名物である濃霧が突如として発生した。
これで、誰もロマネスクの姿を視認できない。

26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:17:04.17 ID:Rd24YWax0
濃霧に包まれた中、ロマネスクは進んだ。
不可解な事に、先程まであった壁はもうない。
ロマネスクが壁の向こうにあった道に脚を踏み入れた時、嘘のように濃霧が晴れた。
背後では再び、例の巨大な壁が先程と同じ場所に同じ姿で現れていた。

道の両側は高い壁で囲まれ、壁よりも高い場所から見下ろさない限り、その存在を知られる事は無い。
万が一見られたとしても、路地裏にあるただの道だと思うだけだ。
路地裏にある細い道を気に掛ける者はほとんどいないし、いたとしても先程の壁がその者の行く手を遮る。
事実、この道が作られてから今に至るまで、誰一人としてこの道に脚を踏み入れた者はいなかった。

道幅は広く、道は真っ直ぐに伸びており、地面に石畳が隙間なく敷き詰められている。
ゴミ一つなく、風で運ばれてきた埃だけが隅に溜まっていた。

( ФωФ)「……む」

ふと、ロマネスクは歩みを止めた。
数秒間立ち止ったが、また歩き出した。

( ФωФ)「久しいな」

歩きながら、ロマネスクは言葉を掛けた。
眼の前には、誰も―――

「お久しぶりです」

―――目の前の影から、一人の女性が現れた。
道の真ん中に立ち、ロマネスクを真っ直ぐ見ている。
美しく、若い女性だ。
暗い路地でも、その銀髪は闇に映え、赤い瞳は輝きを失わない。

27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:20:05.94 ID:Rd24YWax0
20代前半であろう女性は、背中と胸元が大きく開いた赤いロングドレスに身を包んでいる。
腰から太ももに掛けて大きく入ったスリットから覗く脚には、健康的な筋肉がついていた。
ほっそりと引き締まった脚の先にあるのは、赤いハイヒール。
口元を笑みの形で固定した妖艶な女性は、ロマネスクに微笑みかける。

从'ー'从「今晩は、ロマネスク様」

ロマネスク一家元No2。
"雌豹"、渡辺・フリージア。

( ФωФ)「うむ。
       元気そうで何よりだ」

脚元に杖を突き、そこに両手を乗せる。
ロマネスクの表情が、柔らかく綻んだ。

( ФωФ)「……やはり、我輩の邪魔をするのか?」

从'ー'从「えぇ。
     申し訳ありませんが、歯車王を殺させるわけにはいきません。
     ここでロマネスク様を止めて、残りの連中は私が止めます。
     誰にも邪魔はさせません」

渡辺は笑顔で言った。

( ФωФ)「我輩の邪魔をするのであれば、渡辺。
       我が娘と雖も、容赦はせんぞ」

31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:23:19.59 ID:Rd24YWax0
渡辺は怯んだ様子を見せない。
どれだけ訓練していても、ロマネスクが今放った殺意を受けて平常心でいられる人間はいない。
事実、渡辺の心は動揺していた。
ただし、恐怖とは別の感情で。

从'ー'从「我が父、ロマネスク様。
     どうか。
     どうか、容赦も遠慮もなさらないでください」

( ФωФ)「そうか……
       ならば我が娘、渡辺よ。
       我輩を止めて見せよ。
       止める事が出来れば、の話だが」

ロマネスクは突いていた杖を持ち上げ、レイピアの様に細い刃を抜き放った。
仕込まれているのは細身の刃だが、特殊な合金で練り上げられた刃の強度は戦車砲の直撃にも耐え得る。
香木の鞘を傍に投げ捨てる。
二人しかいない以上、偽装の意味はない。

从'ー'从「えぇ。
     止めて見せます。
     場合によっては、両手脚を奪わせてもらいますが、ご容赦ください」

渡辺の手には、すでに得物が用意されていた。
血よりもずっと深い深紅の得物。
両手に装着された手甲の指の部分には、猛禽類の様に鋭利な鉤爪が備わっている。
得物の名は、"ケードル"。

突き刺し、引き裂き、引き千切る雌豹の爪。

33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:26:06.14 ID:Rd24YWax0
(´ФωФ)「両手脚は痛そうだな」

困った様にロマネスクが呟いた。
渡辺はそれを聴き、楽しそうにこう言った。

从'ー'从「ご安心ください。
     そうなったとしても、私が一生介護致します。
     何一つ、不自由な思いはさせません」

( ФωФ)「それは助かる。
       だが、両手脚を奪われても我輩は這ってでも進むぞ。
       我が心臓でも奪わぬ限り、な。
       お主はお主の為に生きるべきだと、我輩は思うのだが」

その言葉に、渡辺は微笑を浮かべた。

从'ー'从「えぇ、ですからこうしているのです」

一陣の風が吹く。
深紅の爪が。
香木の仕込み杖が、かちゃり、と音を立てる。

( ФωФ)「その前に、一つ、訊かせてくれ」

渡辺は無言で続きを待った。

( ФωФ)「お主は、何の為に爪を持つ?」

儚げな笑みを浮かべた渡辺が返した言葉は、風が吹き消してしまった。

36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:29:32.78 ID:Rd24YWax0





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('A`)と歯車の都のようです
第三部【終焉編】-Episode04-
『All for my dearest father』

Episode04イメージ曲『嵐が丘』鬼束ちひろ
ttp://www.youtube.com/watch?v=UbX5KIhZNow

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37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:32:02.02 ID:Rd24YWax0
ロマネスク一家の中でも、No2にだけ伝えられる秘儀。
その名は"クレイドル"。
この技は、無音高速戦闘の中でも最高峰の一つに挙げられる程に強力だ。
クレイドルとは、"揺篭"の意味がある。

文字通り、この技は自分自身が揺篭の様にならなければならない。
つまり、クレイドルの正体は"適度な脱力"。
中国拳法に伝えられる消力とは異なったベクトルで、戦闘中の脱力を応用した技である。
そこから生まれる疾さを利用して初めて、無音高速戦闘が可能となる。

ロマネスクによって直々に伝えられるだけあって、クレイドルを使える者は非常に少ない。
シャキンはその中で最も強く、自身の蹴り技にそれを応用して、無類の強さを誇った。
銀は最も静かで、どのような脚場であっても跫音一つ立てない天賦の才を持っている。
では、渡辺はどうだったのだろうか。

そう。
ロマネスク一家のNo2で唯一、"その上"に位置したことのある彼女の強さは、如何程だろうか。
クレイドルが求めるのは強さでは無い。
当然、無音でもない。

疾さ。
疾さにこそ、クレイドルの真価が存在すると渡辺は解釈して体得した。
相手に勝る疾さがあれば、例え跫音を聞かれたとしても振り向く前に殺す事が出来る。
攻撃力は、疾さで補える。

そして。
渡辺は歴代で"最も疾い"。
首領であるロマネスクを凌ぐ疾さは、シャキンを、そして銀をも置き去りにする。
短い距離での加速なら、文句無しにヒート以上。

38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:35:34.57 ID:Rd24YWax0
その加速は、稲妻のように疾く、鋭い。

( ФωФ)「む……」

仕込み杖を何気なく眼前に掲げると、まるで手品か何かの様にケードルがその切っ先に触れた。
ほんの一瞬でロマネスクに接近した渡辺は、そのまま一息にケードルで薙ごうとしたのだ。
それを事前に食い止めたのが、ロマネスクの何気ない行動。
両者の得物から生じた残響音が、風鈴の様に甲高く涼しげに響き渡る。

振り抜いたケードルとは逆の、もう一方のケードルが突き出される。
ロマネスクは冷静にそれを横に受け流すと、指揮者のように優雅な手つきで刃を動かす。
狙うは露出した肩。
ケードルの使用を不可能にする為の一手。

その一手を、この距離にも拘わらず渡辺は、斬られる寸前、肉食獣が前に屈みこむような低い姿勢で回避した。
生来の柔軟な体と、それを殺さない服装がこれを可能にした。
斬撃を躱した渡辺は、下に溜めた勢いを上に向けて解き放つ。
プロのヘヴィ級ボクサーのアッパーカットに匹敵する、ケードルによる切り上げ。

ロマネスクが半歩だけ後ろに下がると、ケードルは直前まで彼の顔があった位置を、空気を切り裂く音だけを残して通過した。
残る半歩で元の位置に戻ると、ロマネスクは仕込み杖を持っていない方の手で渡辺の腹部に強烈な打突を放つ。
拳が届く前に、渡辺の体はそこから消失していた。
至近距離にありながら、この疾さ。

ロマネスクの横に出現した渡辺は、その無防備な脚元に向けて強烈な脚払いを見舞う。
姿勢が僅かに崩れたが、ロマネスクは仕込み杖を突いて持ち堪えた。
不安定な姿勢のロマネスクの肩に向けて、渡辺はケードルを素早く振り下ろした。
掠めただけで肩の肉を削がれ、服に血が滲んだ。

41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:38:05.29 ID:Rd24YWax0
傷は浅い。
故に、痛みも少ない。
突いていた杖の切っ先を、横に向けて軽く払う。
またもや、渡辺の姿はそこにはなく、刃は空を斬った。

( ФωФ)「ふむ……
       やはり駄目だな。
       少しばかり、攻めに転じるとしよう」

杖を握り直してそう言った刹那。
ロマネスクの真後ろに、渡辺の姿が現れた。
先程の一撃を跳躍して避けた渡辺は、着地の勢いを利用して一気に肉薄する。
一陣の颶風と化した渡辺が、ロマネスクのいた場所を通過した。

通過、した。
その間、何にも触れることは無かった。
距離と場所の見誤りではない。
避けられた。

位置をほとんど変えず、必要最小限の動きで。
そして、最速で。
驚愕しつつも、渡辺は有り余った勢いを殺す為、体の向きを宙で反転させてケードルを地面に突き立てる。
ケードルが石畳の地面を大きく抉りながら速度が落ち、文字通り爪痕を残した。

両手脚を地面に着いた状態で、ロマネスクと対峙する。

从'ー'从「……っ!?」

44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:41:31.89 ID:Rd24YWax0
その時、渡辺は気付いた。
ケードルの甲に、二筋の傷が付いている事に。
ロマネスクとの戦闘中、この部位に刃は触れなかった筈だ。
となれば、その機会があったとすれば一度だけ。

今さっきロマネスクとすれ違った時だ。
あの一瞬の内に、二撃。
高速で攻撃した渡辺に知覚させず、そしてその攻撃を避けながら二撃も与えるのは、神がかり的な技量がなければ出来ない。
ロマネスクならば、それが可能だ。

( ФωФ)「どうした?
       攻撃が来ないようだが」

从'ー'从「御望みとあれば、今すぐにでも」

( ФωФ)「では、そうしてもらおうか」

体勢をそのままに、渡辺は両手脚を使って大地を捉えた。
クラウチングスタートに似たその加速は、両手の力の利を加算した加速法。
四脚歩行の動物が行う野生の加速。
加速の体勢が整った時、地面が爆ぜた。

ロマネスクはその場から動かず、僅かに腰を落とした。
短く鋭く息を吐き、掌底を何もない空間に向かって突き出した。

( ФωФ)「甘いぞっ!」

从'ー'从「……っ!」

46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:44:06.75 ID:Rd24YWax0
何もなかったロマネスクの正面に、渡辺の姿が音も無く出現する。
渡辺の行動は、寸分違わずに読まれていた。
攻撃を中断し、ロマネスクが繰り出した掌底を、両腕を交差させて防ぐ。
防がなければ、渡辺の肋骨は粉々になっていただろう。

機械化された体でも、ロマネスクの攻撃は容易く破壊する。
腕に受けた衝撃が波及し、腕から全身に掛けて鈍い痺れが走る。
何と言う威力。
"魔王"の渾名は、未だに健在だ。

しかし、渡辺も"雌豹"の渾名を持つ以上、ロマネスクよりも優れた部分がある。
ロマネスクから追撃を受ける前に、渡辺はその場を飛び退いた。

从'ー'从「流石ですね、我が父」

打撃を受けた個所に、無意識の内に手を伸ばす。
見た目に変化はないが、内部で骨が軋んでいる。
たかが掌底。
されど、砲弾の如き掌底の威力。

从'ー'从「あの頃から、何一つ変わっていない」

( ФωФ)「いや、変わっているさ。
       最近、白髪の数が増えてきてな」

渡辺は笑む。
本当に、ロマネスクは変わっていない。
それは外見では無く、内面の話だ。
出逢ってから、何一つ変わらない。

48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:47:00.58 ID:Rd24YWax0
不要な変化を望んでいないのだ。
変わらないのではなく、変わろうとしない。
頑なに己の義を貫き通す姿勢に、渡辺は魅力を感じていた。

从'ー'从「白髪が増えても、素敵ですよ」

( ФωФ)「ふふふ、そうか。
       お主に言われると、少し嬉しいな」

从'ー'从「えぇ、本当に素敵です」

満面の笑みで、渡辺は地を蹴ってロマネスクに接近する。
ケードルを左右から連続で繰り出したのは、ロマネスクの姿を射程内に捉えたのと同時。
息をつかせぬ連続攻撃を、ロマネスクは仕込み杖の刃一つで防ぐ。
両者の攻防は、常人の身体能力を遥かに超えていた。

渡辺が右からケードルを薙ぎ払うと、ロマネスクはそれを左に受け流す。
左からの攻撃は、独特の残響音を残して右に。
攻撃がロマネスクに到達する事は無く、また、ロマネスクの攻撃が渡辺に到達する事も無い。
全体的な能力を見て、渡辺の方が勝っている筈だった。

少なくとも、速度で言えば負けは無い。
しかし如何なる理由か、ロマネスクは両目を使わないと言うハンデを負いながらも、引けを取らない。
もっと。
もっと、疾く。

渡辺の攻撃が、一段階その速度を増した。
だがしかし。
蝶が優雅に宙を舞うように動かされる刃は、その悉くを払い除ける。
ならば、と渡辺は攻撃方法に変化を生じさせた。

49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:50:05.54 ID:Rd24YWax0
左右からの攻撃に、上下を追加。
地面スレスレまで降ろしたケードルを、一気に振り上げる。
仕方なく、ロマネスクはそれを上に受け流した。
もう一方のケードルで薙ぐ。

無駄のない動きで、それを刃が止める。
先程受け流されたケードルが、ロマネスクの頭上から振り下ろされた。
仕込み杖は別のケードルを受け止めている為、この一撃を流せない。
そう、思われた。

从;'ー'从「はぐっ……!?」

腹部に鈍痛が走り、渡辺は背後に吹き飛ぶ。
背中から地面に落下した衝撃で、肺からありったけの酸素が吐き出される。
咳込みつつも、ロマネスクの方を凝視した。
渡辺に一撃加えた体勢で、ロマネスクは静止している。

―――突き出されていたのは、脚。
シャキンが得意とする蹴り技を、ロマネスクが模倣して放ったのだ。
確かに、あの体勢ならば蹴り技を使うのが自然だ。
失念していたのは、渡辺がロマネスクとの戦闘に夢中になっていたから。

自分自身の失態である。

从;'ー'从「ふふっ。
      やはり、お強いですね」

嬉しそうにそう言った渡辺は、腹部を押さえながら立ち上がる。
体勢を元通りにして、ロマネスクは当然の様に言い放つ。

51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:53:08.10 ID:Rd24YWax0
( ФωФ)「父は強い生き物なのだ、渡辺」

从;'ー'从「で、しょうね。
      そして優しい」

( ФωФ)「よせ、年甲斐も無く照れてしまうではないか」

蹴られたのが腹で助かった。
もしこれが顔や胸であれば、致命傷は避けられなかった。
ロマネスクがその気になれば、渡辺の顔に蹴りを放てたであろう。
それをしなかったのは、何故か。

単に、優しいからだろうか。
渡辺は思考を巡らせようとしたが、直ぐに諦めた。
今はそれどころではない。

从'ー'从「せぁっ!」

一息で眼前に迫る。
ケードルが上下左右、同時に四方向から攻撃を加えられているのではないかと錯覚する程の速度で繰り出された。
この時の攻撃速度。
一秒間に、約20回。

これは、脳から筋肉への伝達速度を大きく上回る。
機械化が可能にした、一つの奇跡。
一方向から五回の攻撃が訪れ、しかもそれはほぼ同時。
回避は不可能。

53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:56:09.27 ID:Rd24YWax0
何せ、この攻撃は知覚してからでは間に合わない。
鉤爪はロマネスクの肩、脇腹、胸に傷跡を残した。
ただし、浅い。
恐るべきは、ロマネスクの反応速度とその決断力。

一秒に満たない時間の間に、ロマネスクが下した判断は適切だった。
致命傷になり得る攻撃だけを選別し、それだけを刃で防ぎ、残りは半歩下がって全て受けた。
後一秒でもその判断が遅れていれば、ロマネスクの体は全身に深い傷を負っていた。
攻撃を防げなかったが、軽い出血で済んだだけ、奇跡に等しい。

渡辺は反撃を警戒し、後ろに下がる。

( ФωФ)「何と言う事だ……」

追撃をするどころか、自ら距離を置いてロマネスクは嘆かわしげに呟いた。

(´ФωФ)「我輩の服が……」

気に入っていたのだろうか、ボロボロになった喪服を摘まんで溜息を吐く。
摘まんだ拍子に、切り裂かれた衣服の一部がはらりと落ちた。

从'ー'从「なんでしたら、後で縫いましょうか?」

( ФωФ)「在り難い話なのだが、生憎、針と糸がない。
        なに、諦めるからよい」

从'ー'从「そうですか。
     では、歯車王を殺すのも諦めてもらえませんか?」

( ФωФ)「それは出来ん」

55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 21:59:09.75 ID:Rd24YWax0
即答。
断固たる決意の表れ。

( ФωФ)「殺さなければならんのだ。
       何としても」

ロマネスクが一歩踏み出した。
知らず、渡辺は半歩下がる。
二歩目を踏み出した時、渡辺は反射的に二歩下がった。

( ФωФ)「止めて見せるのだろう、我輩を。
       お前が止めないと言うのであれば、我輩は進むだけだ」

心の奥底から、じわり、と恐怖が滲み出した。
甘美なる恐怖。
今、渡辺はロマネスクに魅了されていた。
ここまで全身で感じる恐怖は、生まれて初めてだ。

気付けば、渡辺はクレイドルの姿勢を取っていた。
体が知っている。
ロマネスクを止めるには、クレイドルしかないと。
今一度、先程の攻撃を繰り返せば、勝機が見える。

ロマネスクの構えは隙だらけで、とても構えには見えない。
ゆっくりと近づいて来る跫音に、背中から冷や汗が流れる。

( ФωФ)「……」

从'ー'从「……」

62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:02:01.24 ID:Rd24YWax0
年老いても全く衰えていない。
静かで。
優雅で。
そして、疾い。

从;'ー'从「っ?!」

髪の毛ほどの隙を突いて、ロマネスクが渡辺に接近した。
両者、攻撃の範囲内。
動いたのは、ロマネスクが先だった。
低い位置を刃で横に薙ぎ払うも、渡辺の反応速度がそれに勝った。

後ろに飛び退いて回避したのだが、それはロマネスクの予想通り。
一歩だけ踏み出し、再び攻撃を加える。
今度は着地の隙を狙っての突き。
咄嗟に、渡辺はケードルの甲でそれを防いだ。

重い。
なんと重い一撃だろうか。
トラックに撥ねられた人形のように、渡辺は勢いよく後ろに吹き飛んだ。
ケードルには傷一つないのに、体全体に伝わるこの衝撃。

クレイドルが生み出した、常識外の威力。
"魔王"の名に恥じない一撃だった。
大きく吹き飛んだ影響で、渡辺には受け身を取る余裕ができた。
横の壁や、直下の地面に叩きつけられていれば、こうはいかなかった。

宙で体を捻ると、落下寸前にケードルを地面に突き立てた。
またもや、地面に文字通りの爪痕が出来る。

65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:05:03.09 ID:Rd24YWax0
从'ー'从「ふふ……」

笑い声が口から洩れていた。
最初は小さかったが、徐々にその声は大きくなる。
離れた距離にいるロマネスクにまで聞こえる大きさになると、渡辺は笑うのを止めた。

从'ー'从「ままなりませんね、やはり」

状況は明らかに渡辺が不利だ。
だと云うのに、態度に滲み出るこの余裕。
渡辺自身、それが信じられないでいた。

( ФωФ)「人生が思い通りに行けば、カウンセラーは失業してしまうな。
       ……誰だって、そんなものであるぞ、渡辺」

从'ー'从「えぇ、そうでしょうね。
     そうでしょうとも。
     だからこそ、だからこそ私は刃向います!」

異変。
変異。
渡辺の表情が。
周囲に流れていた空気が、一変した。

両手両脚を地面に付けたまま、渡辺はロマネスクを見る。

从'ー'从「以前のままでは、やはり我が父を止められません」

犬歯が怪しげな光を放つ。
正に、牙を向いた雌豹。

69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:08:17.32 ID:Rd24YWax0
( ФωФ)「ならばどうする?
       土下座なんて無意味な事をする必要はないぞ。
       道を開ければ、それでよい」

从'ー'从「……ですので。
     少し、見苦しい姿をお見せいたします」

( ФωФ)「ははは。
       どんな姿であれ、渡辺は渡辺のままだ。
       遠慮などせず、堂々とすればよい」

両目を使っていないハンデを持つ者とは思えない発言は、決して余裕の表れではない。
どれだけ力があっても、歳には勝てない事は、ロマネスクはよく知っている。
現役時代ならまだしも、今の状態では渡辺と競り合うのが精一杯と言う状態だった。
精神力と意地が、それが崩れるのを押さえていた。

そんな事は、今の場には関係がない。
進むか、止めるか。
二つしか、この場には無い。

从'ー'从「では、失礼します」

直後。
大きく開いたドレスの背中から、一対の何かが天を突くように生えた。
一見してそれは、天使の羽根が生える瞬間にも見えた。
―――が。

70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:11:03.19 ID:Rd24YWax0
生えて来たのは、色白の二本の腕。
複腕。
人体の構造を無視して存在する、複数の腕。
その先端には、生まれながらにしてケードルが備わっている。

垂直に突き立っていた椀が、元の両手と同様に地面を捉える。
両手脚と含めて、合計六つの部位が地面をしっかりと捉えていた。
先程の加速とは比べ物にならない程の速度が、この体勢ならば生み出せる。

从'ー'从「行きます」

( ФωФ)「遠慮はいらんぞ」

冷やされた空気を孕んだ強い風は、まるで真冬並みの体感温度になる。
この時。
周囲5km四方の家屋の住民たちは、訳の分からない寒気に凍えていた。
心臓の悪い老人や、幼い子供の中には気絶する者や死者が出ていた事を、二人は知らない。

風がふわりと流れた。
その刹那。
火花が、散った。
いつの間にか、渡辺はロマネスクの背後に先程同様の構えで現れ、ロマネスクの背を見ている。

何が起きたのか。
人の動体視力程度では、見る事すら敵わない領域。
高性能なスローカメラを使用して初めて、今何が起きたのかが分かる。

( ФωФ)「驚いたな」

73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:14:05.38 ID:Rd24YWax0
ロマネスクの右肩が、大きく切り裂かれていた。
向こうの動きに合わせて避けたつもりだったのだが、間に合わなかったのだ。
傷口から、思い出したかのように血が滲み出る。
服は大きく切り裂かれているが、肉の方はそれほどでもない。

从'ー'从「お褒めいただき、ありがとうございます」

涼しげに言った渡辺だが、彼女の四本の腕全てにロマネスクによる斬撃が加えられていた。
疾い。
両者が見せた今の一瞬は、明らかに人間の域を超えている。
長く苦しい訓練を経ても、果たしてこの領域にまで到達出来ようか。

( ФωФ)「おかげで、服が修復不可能になってしまったぞ。
       これも、娘の成長の証として受け取っておこう」

傷だらけの体でも、ロマネスクは顔色一つ変えない。
言葉通り、娘の成長を見守るような表情。
誇らしく、嬉しい。
例え爪を自分に向けたとしても、全く意に介さない鋼の意志。

从'ー'从「まだまだ、これからですよ。
     絶対に、死なせはしません」

( ФωФ)「困ったな……
       一体、誰に似たと云うのだ、その頑固なところは」

从'ー'从「貴方ですよ、我が父」

( ФωФ)「なんと」

75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:17:17.96 ID:Rd24YWax0
从'ー'从「それより、私は嬉しいです」

( ФωФ)「ん?
       我輩に似た事がか?
       よせ、我輩なんぞ、似るに値しない男だ」

渡辺は首を横に振った。

从'ー'从「まだ、私を娘と思ってくださるのですね」

( ФωФ)「当たり前だろう」

从'ー'从「父の願いを止めるのだとしても?」

( ФωФ)「止めさせなければそれでいい」

从'ー'从「裏切ったとしても?」

( ФωФ)「子は親の予想を裏切ってこそ、だ」

一連の質疑応答で、ロマネスクは即答だった。
渡辺の質問全てに対して、常識を語るが如く。
回答を得て、渡辺は物憂げに眼を少しだけ伏せた。

从'ー'从「……本当に、お優しい。
     でも、それでも私はロマネスク様。
     貴方に爪を向けるのを止められません」

一転して、刃の様に鋭い眼光をロマネスクに向ける。

76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:20:02.67 ID:Rd24YWax0
( ФωФ)「仕方あるまい。
       通す気はないのだろう。
       ならばせめて、お主の義を貫き通してみせろ」

刃が静かに構えられる。
答えの代わりに、渡辺は二対のケードルを構える。
接近戦なら、間違いなく渡辺が有利。
僅かに距離を開けたとしても、攻撃の有効範囲の差は変わらない。

こうしている間にも、渡辺の目的は一歩ずつ達成している。
時間稼ぎ、とは少しだけ異なる。
確かに、当初の任務はロマネスクの進行を阻止する事。
だが、渡辺にとってそれは目的の途中経過でしかない。

最終的な目的は、歯車王を殺させないことだ。
それだけは、何としても防がなくてはならない。
何としても。
殺させてはならないのだ。

歯車王を。




―――そして、ロマネスクを。




――――――――――――――――――――

77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:23:05.21 ID:Rd24YWax0
"理想郷の追放者事件"。
ロマネスクの指示により、渡辺が単身でカジノを襲撃。
老若男女、一切関係無しに行使された殺戮。
生存者は皆無。

都に住む一般人は、この事件を忌まわしい出来事として記憶していた。
都の内外にいる裏社会の者にとっては、ロマネスク一家の恐ろしさを再認識させる出来事として記憶された。
だが、砂で出来た城が風で崩れるように、それは徐々に人々の記憶から消えて行った。
今では一部を除いて、事件の存在そのものが忘れられていた。

当事者である渡辺は、その事を決して忘れない。
ロマネスクの下を離れ、歯車王に加担する事となった直接の原因。
その鍵が、この事件にはあった。
―――全ては一瞬の出来事だった。

仕事の完遂まであと一歩。
そして、相手が子供だったと云う事から生まれた油断が作った、致命的な隙。
気付いた時には、もう遅かった。
最後の生存者となった子供が、裾に忍ばせていたデリンジャーの銃口を渡辺に向け、銃爪に掛けた指に力を入れていた。

気付いて反応するも、ケードルが子供の首を刎ねるまでの時間と、銃弾が渡辺の心臓を撃ち抜く時間は比べるまでも無い。
銃声が響く。
不可避かと思われた渡辺の死は、だがしかし訪れることはなかった。
弾が当たっていれば衝撃があるはずなのに、その衝撃も無い。

外したのだろうか。
この近距離で。
有り得ない。
では、既に頭を撃たれて即死したのだろうか。

78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:26:11.59 ID:Rd24YWax0
最悪だ。
顔を撃たれたら、無様な死に顔を晒してしまう。
そんな顔をロマネスクに見られるのは、嫌だった。
きっと、怒られる。

―――今にして思えば、撃たれたのが自分であればどれだけよかったか。
眼の前に、黒いスーツを着た見覚えのある背中があった。
彼は、渡辺の眼の前に悠然と現れていた。
"魔王"が。

何故。
何故、ここにいる。
この仕事は、渡辺一人で行うようロマネスクが直々に言い渡したのだ。
だのに、どうしてロマネスクがここにいる。

あまりの混乱に、声が出なかった。
問う事も、感謝の言葉さえも出てこない。
視線の先で、デリンジャーを手に持ったまま、首を失った子供の体が力なく倒れた。
元々付いていた首は、離れた壁の表面に潰れたトマトの様に付着している。

鋭利な刃物で素早く切断されたからか、血は滲み出る程度だった。

( ФωФ)「……子供相手でも、殺しの場となれば油断は禁物だ。
       大事無いか、渡辺?」

ロマネスクがそう言って振り返った時、渡辺は今度こそ声を失った。
無残にもスーツに空いた一つの弾痕。
白いワイシャツを染め上げる赤黒い血。
そこから導き出される答えは、ただ一つ。

80 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:29:06.92 ID:Rd24YWax0
撃たれた。
渡辺の代わりに、ロマネスクが。
弾痕の場所。
それは、心臓の真上。

明らかな致命傷。

从;'−'从「あ、あぁっ……」

ようやく出て来た声は、酷くみっともない物だった。
絞り出す様にして出した声は、どこか泣き声の様にも似ている。

( ФωФ)「ん?
       あぁ、これか……」

スーツに空いた小指ほどの穴を指す。

( ФωФ)「新しいのを買えば問題なかろう」

違う。
そんな事はどうでもいい。
感謝の言葉を言わなければいけないのに。
それなのに。

どうして、心臓を撃たれているのに生きているのか、と口走ろうとした。

从;'−'从「ど、どうして……」

( ФωФ)「……ふむ。
       その様子だと、最初から説明した方がいいだろうな」

84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:34:33.26 ID:CxLaYCuz0
手にしていた仕込み杖に付いた血を振り落とす。
そして、鞘に戻した。
血生臭かった部屋に、香木の匂いが漂う。

( ФωФ)「今日、我輩がここにいるのは渡辺、お主の様子を見に来たからだ。
        万が一の場合に備えて、我輩も客として来ていたのだ。
        まぁ、ある程度の段階まで問題はなかったぞ。
        最後の最後を除けば、だが」

気付かなかった。
あれだけ店内で殺戮を行ったのに、ロマネスクの気配一つ、匂い一つしなかった。
この場に現れた段階でも、それは同様だった。
気配を完全に殺し、眼を閉じてしまえば知覚出来る自信がない。

( ФωФ)「どうやら、様子を見に来て正解だったようだな。
       これが、我輩がここにいる理由の一つだ」

閉じられた瞳で、周囲を見渡す。
この場で起きた全てを見ていたような、自然な動作だった。

( ФωФ)「さて、お主の疑問に答えよう。
       どうして我輩が心臓を撃たれても生きているのかを、な」

何てことない風に、ロマネスクは言った。



( ФωФ)「我輩の心臓が、特別な機械化を施されているからだ」


86 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:37:05.47 ID:CxLaYCuz0
機械化。
歯車の都にのみ存在する、人体と機械の融合を可能にした技術。
例えば欠損した手脚を機械化によって補えば、本物同様に扱える。
応用すれば、死者でも生者の様に蘇る。

歯車の技術の恩恵によって生み出される奇跡に等しい技だが、一つだけ条件が存在する。
機械化を施せるのは、世界中にただ一人。
この都の王である、歯車王だけだ。
誰でも気軽に機械化が出来るわけではなく、歯車王が自ら手を貸さなければ機械化は施せない。

それは即ち、都の裏社会を代表する首領に、この都の王たる歯車王が進んで手を貸したと言う事の証明。
それは、紛れもない事実のようだ。
ロマネスクの心臓が機械化されているのであれば、確かに撃たれても平気なのが納得できる。
機械化以外の手術で心臓を守れなくもないが、だが仮にそうだとして、問題が二つある。

銃弾を受けてもビクともしないとなると、並外れた硬度を持つ事になる。
一般に流通している手術で心臓を強化したとしても、精々が人工心臓を埋め込む程度。
銃弾で容易く破壊する事が出来るし、僅かな傷がついただけでも致命傷になる。
仮に心臓の周りをプレートで囲っていたとしたら、手術の跡が残っているはずだ。

幾度となくロマネスクの裸を間近に見て来たが、そんな跡は一つも無かった。
だが機械化なら、そんな跡一つ残さないで手術を施せると聞いたことがある。
並外れた身体能力が心臓に施された特別な機械化による物であれば、それで得心が行く。
様々な事が一瞬でまとめ上げられ、ロマネスクの発言が真実であることが分かる。

だが。
わざわざ"心臓だけ"を機械化した理由が分からない。
身体能力の強化に繋がるのであれば、全身にそれを施すのが最上だ。
部分的な機械化は、そこを欠損した場合や―――

89 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:40:04.58 ID:CxLaYCuz0
( ФωФ)「察しがいいな。
       そう。 お主の想像通りだ。
       我輩は、若い頃に心臓を病んでな。
       こうでもしなければ、今頃は棺桶の中で腐っていた」

―――病気。

( ФωФ)「それに、我輩は人間として生きなければならない。
       こうして流れ出る血も、人間としての証明だ。
       気にする事はない」

胸に空いた傷など気にもしていない。
渡辺も、ある意味でそれは同じだった。
渡辺の頭の中は多くの情報が交錯し、遂には氾濫していた。
一つだけ分かっているのは、今は口を開いて何かを喋るべきだと云う事。

それが出来れば、どれだけ楽か。
分かっていても、口は渡辺の意志通りに動かない。

( ФωФ)「あぁ、今はもう病気は無いぞ。
       見ての通り、すっかり元気だ」

場を和ませる為か、渡辺を落ち着かせる為か。
その両方かもしれない。
ロマネスクは明るい声そう言って、渡辺の正面へと歩み寄る。

( ФωФ)「もう一つ、お主に言う事がある。
       今日、この時から我が一家の二番手の席を外れてもらう」

从;'−'从「え?」

91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:43:16.70 ID:CxLaYCuz0
声帯が震えて、小さな驚きの声が出た。

( ФωФ)「おっと、勘違いするでないぞ?
       別に、お主が不要だとかそう言った意味では無い。
       公表しないが、お主には我輩の跡を継いでもらいたいのだ。
       表向きには幹部扱いだが、次期首領の座に就いてもらいたい」

それは、事実上の昇格。
ロマネスクが組織を離れた時、ロマネスク一家を導く役割を担う事になる。

从;'−'从「そ、そんなの無理です!
      私はロマネスク様に仕える為に生きているのです。
      それが、組織を束ねるなんて、私には出来ません!」

( ФωФ)「しかしな、渡辺。
       近い将来、我輩は死ぬ。
       それは決して揺るがないのだ」

ロマネスクが死ぬ。
そんな事、想像するだけで意識が遠のく。
別れの恐怖に、全身が冷たくなる。
嫌だ、嫌だ。

絶対に嫌だ。

从;'−'从「私でなくとも、銀がいるではありませんか!」

渡辺より以前からロマネスクに仕えている銀なら、ロマネスクの要望に応える事が出来る。
実力は渡辺に劣るが、それでも彼女は十分に女傑と呼ぶに相応しい。
彼女の義妹二人もいるし、そちらの方が適任だ。

92 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:46:11.37 ID:CxLaYCuz0
( ФωФ)「あの三人はあくまでも女中。
       我輩の留守の際、家を護る事が銀達の仕事だ。
       一家を率いるのとは訳が違う。
       まぁ、家事は苦手な方だが、あれはあれで義を通す。

       我輩が居なくなっても、お主をしっかりとサポートしてくれる」

从;'−'从「……っ」

( ФωФ)「いいか、よく聞くのだ、渡辺。
       近い将来、必ず歯車王が殺される。
       その時が、我輩が死ぬ時だ」

从;'−'从「何故っ、何故ですか!
      歯車王を殺して、何故ロマネスク様が死ななければならないのですか!?」

感情の赴くまま、渡辺は叫んだ。
冷静さを欠いた渡辺に対して、ロマネスクは冷静そのもの。

( ФωФ)「―――が、――――――だからだ」

ロマネスクの言葉は、凪の地に響く鈴の音の様に鮮明に聞こえた。
そんな、馬鹿な。
有り得ない。
有り得ない、有り得ない。

有り得てはいけない。
それが本当なら、ロマネスクは確実に死ぬ。
歯車王が殺されれば、ロマネスクも殺されることになる。
殺させてはならない。

93 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:49:04.49 ID:CxLaYCuz0
その日は、放心状態ながらもロマネスクの言いつけを守ると返事をした。
が、その日以降、渡辺は彼女なりに最悪の事態を避ける方法を密かに考えていた。
時は流れ、シャキンが一家のNo2として加わり、渡辺の周囲で変化が始まっていた。
長く続いた抗争に終わりを告げて数ヶ月。

転機は、突如として訪れた。
ロマネスクを含めた御三家の首領が、歯車王暗殺を企てていると耳にしたのだ。
未だ計画の段階で、人員集めなどは先送りになっている。
ここで動かなければ、全てが手遅れになってしまう。

どうすれば、それを妨害できるか。
助力が必要だ。
単独での妨害は不可能。
となれば、確実に助力する人間を探せばいい。

歯車王側の人間を味方に引き入れる事が出来れば。
そうすれば、妨害できる可能性が生まれる。
では、どのようにして歯車王の部下と連絡を取ればいい。
一つだけ、有効な手段がある。

噂。
御三家が歯車王暗殺を企んでいるらしい、と云う噂を流すのだ。
出来る限り狭い範囲で情報を流せば、やがてそれを聴きつけた歯車王の部下が噂の元を探し出す。
それしかない。

ロマネスクの眼と耳を盗んで、渡辺は情報屋を使って噂を流し始めた。
ただし、この方法は大きなリスクを孕んでいる。
元々極限られた人間にしか知られていない計画が流れ出せば、その発生源を調べられてしまう。
そうすれば、渡辺だと分かるのに時間はそう掛からないだろう。

96 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:52:15.04 ID:CxLaYCuz0
急ぐ必要があった。
ある日、恐れていたことが起こった。
ロマネスクに呼び出され、情報を流していないかどうかと問い詰められたのだ。
渡辺は白を切ったが、おそらく気付かれている。

噂を流すように頼んだ情報屋が拷問で口を割る前に、渡辺はその情報屋を秘密裏に殺した。
そして遂に、努力が報われた。
歯車王の部下の一人が噂を聞きつけ、渡辺と接触を試みると言って来たのだ。
接触する当日、渡辺は都で殺しを営んでいる女に大金を渡して、渡辺の姿に扮して仕事をしてくれと依頼した。

それは、ロマネスクが渡辺の口を封じる為に依頼をしていると睨んだからだ。
案の定、一人の何でも屋―――ドクオ―――が、歯車王の部下に会いに行く渡辺を尾行した。
ドクオのような存在が来る事は想定していた為、事前に対応策は考えてあった。
本物の渡辺が濃霧を利用してドクオを適当に撒いた後、途中で入れ替わった殺し屋の女に歯車王の部下と接触させ、予定通りに事を運ばせた。

一通の短い手紙をすぐに渡すよう、指示を出していた。
手紙には、目の前にいる女は影武者だと書き記し、本物は後で別の場所で合流すると書いておいた。
この手紙の中身を、殺し屋の女は知らない。
何も知らずに指示通りの台詞を口にして、そして、殺し屋はドクオに殺された。

そこからが、渡辺の本当の仕事の始まりだった。
歯車王の部下、しぃと名乗った女を見た瞬間、渡辺の記憶に去来するものがあった。
しぃも同じだったらしく、渡辺の姿を見るや驚きの表情を浮かべた。
二人は僅かの間だが、面識があったのだ。

渡辺はロマネスクの計画をしぃに教え、利害が一致したしぃは渡辺を機械化する約束をした。
そのまま二人で歯車城へと向かい、渡辺は目論み通り機械化を済ませた。
機械化された体さえあれば、歯車王を殺そうとする輩を蹴散らせる。
些か予定と異なったのは、歯車王の態度と対応だった。

98 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:55:21.00 ID:CxLaYCuz0
歯車王は渡辺が機械化して欲しいと言った時、少しの間黙った。
予想では即答する筈だった。
そこらにいる有象無象よりも余程戦力になる渡辺を配下にする事に、何の不満があったのだろうか。
一点だけ了承する事を条件に、渡辺は機械化を施された。

"常に、こちらの指示通りに動け"

機械化の処置が終わり、横を見ると渡辺と同じ姿の何かがそこに寝かされていた。
血の気が無く、呼吸も無い。
これは、よくできた人形だろうか。
もしくは、死体に手を加えた物。

何故、自分の姿を模しているのだろうか。
理由が分かったのは、もう少しだけ後の話になる。
眼を覚ました渡辺の体には力がみなぎり、背中には新たな腕が生えていた。
これで、戦える。

機械化された渡辺は、間もなく歯車王に呼び出され、歯車城の最上階を訪れた。
そこで、渡辺はこの都でこの先起こること全てを聞かされた。
何が起きて、その後、何が起きるか。
巨大な歯車の、その大まかな全容を。

全てを聞き終え、渡辺は理解した。
何者も、この歯車を止めることはできない。
狂わせ得る可能性は、限りなくゼロ。
人数の問題ではない。

99 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 22:58:03.47 ID:CxLaYCuz0
技量や、経済的な問題でもない。
再び、渡辺はこの歯車を狂わせる為に何ができるのかを考えなければならなくなったが、最初に比べればまだ容易だ。
そうこうしている内に、ロマネスク等による歯車王暗殺の情報の詳細が流出した。
聞けば、ロマネスクが集めたメンバーの中に、歯車王の息のかかった者がいたのだと言う。

その情報を元に、渡辺達は彼等を迎え撃つ準備を整えた。
ヒート達の相手として、渡辺の姿を模したあの人形とクックルが投入された。
案の定というか、やはりと言うか、人形は空しく破壊された。
後で聞いたのだが、あの人形の原形はドクオが殺した殺し屋の女だそうだ。

万事が終わった辺りで、渡辺はしぃと共にドクオの元を訪れた。
歯車王の指示通りにドクオに重傷を負わせ、その場を後にした。
そこからまた時間を置く。
再び歯車王暗殺のメンバーが収集され、その場に渡辺も参加する事となった。

ただし、姿と名前を変えての参加であった。
ハインリッヒ・高岡として。

从 ゚∀从

予定ではその後、こちら側で用意した作戦に巻き込む筈だったのだが、それが狂った。
フォックス・ロートシルト等によるクーデターだ。
計画されていた作戦を急遽中止にし、フォックス等を狩る方針に変更した。
最終的に決着を付けたのは、何とあのドクオだと言う。

どうやら、渡辺が思う以上に彼は成長したようだ。
そして遂に、この時がやって来た。
近日中に歯車王を暗殺すべく、御三家の首領達が動き出すとの情報が入った。
ほぼ全ての真相を知っている渡辺達にとっては、特に驚くべきことではない。

101 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 23:01:05.24 ID:CxLaYCuz0
全ては予定通り。
歯車は終わりに向かって廻り出している。
都の終焉が近づく。
いよいよ、最後だ。

渡辺にとって、ここが最後のチャンス。
狂信的なまでに歯車王を想っている、しぃも同様だ。
二人共、歯車王を殺されては困る。
だから邪魔をした。

しぃはデレデレとでぃを。
渡辺は、ロマネスクを。
足止めに成功すれば、歯車王に対する脅威が減る。
他の連中はどうだか知らないが、恐らく大丈夫だろうと二人は決めた。

ツンとブーンの二人を相手にするのは、あのショボンと双子。
一筋縄ではいかないはずだ。
最も警戒すべきヒートには、現役以上の実力を手にしたシャキンが相手をする。
残る一人は心配する必要が全くない。

何故なら、ドクオが相手をするのは"アレ"なのだ。
幾ら成長したと言っても、もって数分。
悪くて一分以下で終わるだろうと、渡辺は予想している。
つまり、渡辺としぃが足止めに成功すれば事実上、ロマネスク達の作戦は失敗する。

そうすれば勝ちだ。
歯車王を殺すことは困難となり、ロマネスクは生きる。
それだけでいい。
ロマネスクが死にさえしなければ。

102 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 23:04:17.38 ID:CxLaYCuz0
この都がどうなろうと、渡辺には関係がない。
全ては愛しき父の為。
ロマネスク一家の首領の為では無く、父の為に。
その為になら、主にさえ爪を向ける。

例えこの身が朽ちても。
腕をもがれても。
眼を潰されても。
脚を斬られても。

絶対に、させない。
父を生かす為なら、主を裏切る。
どれだけ蔑まれても。
裏切り者と呼ばれても構わない。

それが父の教え。
己の義を貫き通す。
命を賭するに値する信念。
この想いは、決して揺るがない。




―――自分の事を娘と呼んでくれる最愛の父の為に、渡辺は爪を持つ。




――――――――――――――――――――

105 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 23:07:11.78 ID:CxLaYCuz0
ロマネスクの構えからは、殺気と呼べる物はおろか、闘志すらも窺えない。
自然体。
あの姿勢にこそ、最速の構えがある。
適度にリラックスされた全身は、来るべき時に備えているのだ。

クレイドル。
技量では他の追随を許さないロマネスクの構えは、銀、シャキン、そして渡辺のどれとも異なる。
驚異的なまでに落ち着き払い、そして重心を読ませない。
それだけならまだしも、意図も思惑も、気配さえ完全に消してしまう構え。

あれこそがロマネスク。
実力を知っている為、頭の中でのイメージは常に渡辺の敗北。
上下左右の四方向からの攻撃を繰り出しても、何かしらの技で弾かれ、敗北してしまう。
何処か一方向を真ん中に移して攻撃しても結果は同じ。

どうすればいい。
膠着していれば、先に動くのはロマネスクだ。
これだけは揺るがない。
時間を惜しんでいるのは向こう側だけで、こちら側としては時間を稼げば稼ぐほどいい。

先に動けば負ける。
後に動いても負ける。
どう動けば勝てる。
いや、勝てなくともよい。

刺し違えてでも、ロマネスクの進行を阻止する。
させてなるものか。
渡辺は、四本の腕の内、追加された二本の腕を下に構え直した。
全体的に大きな構えとなり、広範囲を狙って攻撃を繰り出せる。

107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 23:10:19.94 ID:CxLaYCuz0
( ФωФ)

渡辺の意図を悟ったのか、ロマネスクが動いた。
一歩。
また一歩と、ロマネスクは歩いて来る。
手に持つ仕込み杖は、下段に構えられている。

切り上げて来るつもりなのか、側面から斬り払うか、それとも意表を突くか、振り下ろしてくるか。
今の構えからでは、どんな攻撃が来るのか想像がつかない。
迷えばそれは隙となる。
渡辺は腰を落とすと同時に、クレイドルの体勢に入った。

予備動作無しでの加速。
斜め右方向に向かって飛び、着地と同時にロマネスクに鋭角から襲い掛かる。
限界まで姿勢を低くして、対応しにくい低空からの攻撃。
そして、ロマネスクの構えは低い位置。

ロマネスクの攻撃が最高速に達する前に、こちらの攻撃を当てれば。
景色が線となって後方に過ぎ去る。
仕込み杖を持った手が動く。
案の定、切り上げだ。

一本のケードルでそれを掴み取り、残された三本でロマネスクの脚を狙って突き出す。
鉤爪がロマネスクの脚を突き刺す光景を幻視して、渡辺は背中から壁に投げ飛ばされた。
こちらの勢いを利用しての返し技。
体は呆気なく宙を舞い、二人の立ち位置は入れ替わった。

ロマネスクの方がより歯車城側。
渡辺は、ロマネスクが来た道の方に落下した。
受け身は間に合ったが、こちらの勢いがほぼそのまま返された為、全身に走った痛みと衝撃は凄まじい。

108 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 23:13:11.53 ID:CxLaYCuz0
从;'ー'从「ぎっ……!」

口の中に鉄の味が溢れ、堪らず血を吐き出した。
内臓を損傷してしまったようだ。
追撃を警戒して、渡辺は素早く立ち直る。
が、ロマネスクは追撃を掛けて来る気配すら見せていない。

( ФωФ)「どうした?
       寝るにはまだ早いぞ?」

从;'ー'从「分かっております」

視線を少しだけ左右に移し、渡辺は邪悪な笑みを浮かべた。
次に何かを言われる前に、渡辺は動いた。
地を蹴り飛ばすと、側面にある壁に着地。
そこをスターターにして、再度加速。

反対側の壁にも同様に着地して、少しずつロマネスクに接近する。
ロマネスクを射程に収め、攻撃を開始した。
壁から壁に移動する間、ロマネスクに一撃。
再び壁から移動する際、もう一撃。

暴風と化した渡辺の攻撃は、振り子のように加速する。
最初の数撃は防いだが、それも徐々に反応が遅れて来る。
一撃毎に加速する渡辺の攻撃に、後退を余儀なくされるロマネスクの顔から余裕が消えた。
ケードルを受けていた仕込み杖の刃が、少しずつに削れて行く。

109 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 23:16:14.27 ID:CxLaYCuz0
一際強く壁を蹴った瞬間、ロマネスクが仕込み杖を下げた。
ケードルを防ぐ物が無くなり、鉤爪がロマネスクに迫る。
渡辺の動きを制したのは、何てことのない動作。
一歩だけ前に進むだけ。

片側のケードルを難なく掴み、渡辺を投げ飛ばす。
こちらの虚を突き、攻撃を一瞬だけ躊躇わせた。
一度しか通用しない技を、ここで使う。
つくづく、その決断力には驚かされる。

宙で体勢を立て直して、着地すると同時に加速。
壁を使用しての攻撃は、もう通用しないと考えていい。
真っ直ぐに勝負するしかない。
ただし、変化球程度は許してもらおう。

ロマネスクの攻撃範囲のギリギリ外側でケードルを地面に突き立てて着地して、コンパスの様に渡辺は回転した。
それから繰り出すのは、長い脚を利用した強烈な後ろ回し蹴り。
予想外の攻撃を見舞われたロマネスクは、その蹴りをまともに腕で受けた。
横の壁に激突する寸前、仕込み杖を壁に突き立てて強引に静動を掛けた。

刃の半ばまで埋まった様子から、渡辺の蹴りが如何に強烈だったかが分かる。
そんな衝撃を、杖一本腕一本で受け止めたのだ。

(´ФωФ)「娘に脚蹴にされる父親の気持ちが、今よく分かったぞ」

嘆かわしげにロマネスクは言った。

( ФωФ)「反抗期の娘とは、皆このようなものなのか?」

从'ー'从「申し訳ありませんが、反抗期の時には母親しかいなかったもので」

112 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 23:19:14.47 ID:CxLaYCuz0
( ФωФ)「む……
       済まないな」

从'ー'从「御気になさらず。
      私の父は、ロマネスク様ただ一人です。
      出逢うのが遅かった、ただ、それだけです」

( ФωФ)「くくく、嬉しい事を言ってくれるな、渡辺よ」

何を思ったか、ロマネスクは仕込み杖を壁に突き立てたまま、それを手放した。

从'ー'从「諦めるのですか?」

( ФωФ)「まさか。
       少しばかり、方法を変えようと思ってな。
       使いなれぬ杖では、やはりこの程度。
       それではお主の義に無礼だ」

ロマネスクは後ろ腰に右手伸ばし、そこから新たな獲物を取り出した。
旋律。
ただ、得物を取り出しただけで奏でられたのは、刃による多重奏。
合計12の刃を有するナイフは、ロマネスクが"魔王"の名を知らしめていた時期に使用していた得物。

その名は―――



从;'ー'从「ロマネナイフ……!?」


114 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 23:22:45.22 ID:CxLaYCuz0
一時はドクオの手に渡ったが、一巡してロマネスクの手に戻って来たと言うのか。
12の刃が備わり、それぞれが僅かな動きに反応して独立して動く。
生き物のように蠢く刃は、獲物を絡め取り、切り刻む。
接近戦に置いて、これほど厄介な得物はそうない。

あれは言わば、ロマネスクの爪だ。

( ФωФ)「どうした、怖じ気付いたか?」

从'ー'从「いいえ。
     その逆です。
     嬉しくて、私、感動しています」

感動に体が打ち震えている。
本気だ。
ロマネスクが、ようやっと本気になってくれた、
その心を、こちらに向けてくれた。

嬉しい。
何と嬉しいのだろうか。
ロマネスクが、裏切って盾突く自分に心を向けている。

( ФωФ)「渡辺、遠慮はいらんぞ?
       我輩を殺すつもりで来い」

その言葉で、獣の本能。
"雌豹"のスイッチが入った。
心と心のぶつけ合い。
負けるものかと、渡辺は妖艶な笑みを浮かべた。

115 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 23:25:31.43 ID:CxLaYCuz0
触れれば毒される。
されど、毒されてでも触れたい。
危険な本能を刺激する笑みで、渡辺は言った。

从'ー'从「今すぐ、えぇ、今すぐにでも!
     ロマネスク様、貴方様の心を受け入れさせていただきます!」

故に、止まらない。
"雌豹"渡辺・フリージア。
推して参る。

从'ー'从「我が愛、誰にも止められません!
      我が父!」

ケードルが、血を求める。
渡辺が、父を求める。

( ФωФ)「お主の愛、全て受け止めて見せよう。
        我が娘!」

両者がそれまでいた場所から、消え失せた。
甲高い残響音が破裂する。
丁度、それまで二人がいた位置の真ん中に二人は出現した。
二本のケードルを、ロマネナイフが見事に絡め取っている。

絡め取られた部分が生身で無かったことが幸いした。
切り裂かれることなく、深紅のケードルは健在。
互いが互いに襲い掛かる形で拮抗し、停滞する。
速度と技量のぶつかり合い。

118 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 23:28:33.60 ID:CxLaYCuz0
力勝負なら、渡辺に分がある。
それに、まだケードルは二本残っている。

( ФωФ)「一本ではこの程度か。
       だが、娘とのコミュニケーションには十分だな」

从'ー'从「でも、まだ"手"は残っています!」

二本のケードルが、ロマネスクの両肩を狙って突き出される。
ロマネナイフが絡め取っていたケードルを拘束から解き放ち、今し方繰り出された二本を絡め取った。
解放された二本のケードルで脚を狙う。
突然、絡め取られていたもう二本のケードルが自由になった。

力を入れていたせいで拍子抜けしてしまい、渡辺の体勢が前のめりに崩れる。
脚を狙った攻撃は、僅かに軌道が逸れた影響でスーツを掠めただけ。
無意識の内に体勢を立て直した時、その僅かな隙を突いて眼の前からロマネスクが消えた。
風の音を頼りにケードルを振るうが、四本のケードルは狙っていたかのように一本のロマネナイフに捕らえられた。

腕四本をまとめて捕らえられたことにより、渡辺は身動きが取れない。
即座に渡辺は四本の腕に力を込めて、力でロマネスクを引きずり倒そうと試みる。
硬い金属同士が擦れ合い、引っ掻いた様に耳障りな音が鳴る。
引きずり倒そうと込められた渡辺の力は、正に機械の如く容赦ない。

それでも尚、ケードルを捕らえているロマネナイフは壊れる気配を見せない。
が、仕手のロマネスクはこれ以上耐えられないと判断したのか、渡辺の腹に蹴りを放つ。
蹴りは鳩尾に直撃し、苦痛に耐えきれず渡辺の力が僅かに緩んだ。
隙を突いてロマネナイフをケードルから外し、小さく飛び退く。

126 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 23:46:01.26 ID:CxLaYCuz0
遅れて、副椀がそれまでいた空間を横薙ぎに払う。
そのケードルにロマネナイフを絡ませ、片腕で渡辺を高く持ち上げて壁に向けて投げ飛ばす。
壁に脚から着地して威力を殺すのと同時に壁を蹴って跳躍。
すかさずロマネスクの腕を掴み、ロマネスクが見せた様に高々と持ち上げ、地面に向けて叩きつけた。

まるで和紙の様にふわりと力を受け流して着地と同時に跳び、ロマネスクは思い切り踏みこんで掌底を放った。
ケードルで握り拳を作って迎え撃つ。
攻撃が激突した衝撃で、2人の脚元の地面が陥没した。
別のケードルでロマネスクに殴りかかる。

ケードルの拳は、ロマネスクの左肩を強打した。
骨の折れる音が響く。
残った二つのケードルは、ロマネスクの太股を深く引き裂いた。
鮮血がケードルに吸い込まれ、怪しげな光沢を得る。

( ФωФ)「ぐっ……」

流石に脚を引き裂かれては、立っていられまい。
渡辺がそう思ったのは、至極自然なことだった。

( ФωФ)「いい、攻撃だな」

だから、ロマネスクが仁王立ちのまま楽しげに笑ったのは渡辺の予想を裏切った。
渡辺の中に本の僅かな隙が生まれ、ロマネスクは動いた。
ロマネナイフで肩を殴ったケードル。
正確には、ケードルを装着した腕を12の刃が絡め取る。

一気に引き、ケードルを手首ごと切り落とす。
虚を突かれた渡辺が、激痛に呻く。

130 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 23:49:04.61 ID:CxLaYCuz0
从;'ー'从「っくぅ……!」

ロマネナイフは、新たなケードルに絡みつく。
あたかも自我がある様に、その動きは自然。
切り裂き、切り落とす。
切り落とされたケードルが、地面に真っ直ぐに突き刺さった。

残るケードルは二本。
渡辺も黙っていない。
四本あった腕が二本に戻っただけだ。

从'ー'从「あぁっ!!」

肉付きの良い脚が、ロマネスクの腹部を捉える。
脚が腹に当たる際、回転を加えて破壊力を高める。
肋骨を二、三本折った音がした。
痛みに背を丸め、ロマネスクは苦悶の声を上げる。

無防備なロマネスクの肩に、踵落とし。
これで、倒れる。

( ФωФ)「む、ぐっ!」

またもや耐えた。
これ以上ないぐらいに踏み込み、ロマネスクの拳が渡辺の腹に埋まる。
渡辺の体が僅かに浮いた。
喉元まで血が上ってきて、吐き出すのを必死に堪える。

133 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 23:52:33.30 ID:CxLaYCuz0
代わりに、ロマネスクの顔を殴る。
殴ったのに、手応えがない。
その時、しまった、と思った。

( ФωФ)「……っ」

打撃に合わせて顔を動かし、受け流されたのだ。
ロマネスクの直突きが、腹部にめり込んだ。
最早堪える事は敵わず、大量の赤黒い血を吐き出し、ロマネスクの半身を赤黒く染色した。
冗談か何かの様に渡辺の小柄な体は宙を舞った。

受け身を取る余裕さえなく、渡辺は背中から地面に落下した。
先程から腹部ばかりを攻撃されているせいで、呼吸が乱れている。
機械化された体でも、これほどのダメージを与えるロマネスクの攻撃。
回復するのを待つか。

从;'ー'从「冗談……っ」

そう、冗談ではない。
今、ロマネスクは自分だけを見てくれている。
ここで悠長に回復を待つ時間が惜しい。
立ち上がろうと、手を地面につく。

力むあまり、ケードルが地面を削った。
立ち上がった渡辺は、静かに深呼吸をした。
焦ってはいけない。
腕の二本ぐらい、何てことない。

136 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 23:56:16.74 ID:CxLaYCuz0
だらりと両手を下げる。
全身の力を抜く。
脱力。
目線だけは鋭く、鋭利に。

無防備。
無造作。
無意識。
これが、渡辺のクレイドル。

ロマネスク一家で最速を誇る渡辺の構えに、ロマネスクが反応した。

( ФωФ)「ほう。
       まだ挑むか」

ロマネスクとしては諦めて欲しい所だろう。
しかし、渡辺は諦めない。

从'ー'从「えぇ、挑みますとも」

言い終わるかどうかと云った所で、ロマネスクが一歩進む。

( ФωФ)「それでこそ我が娘だ」

脚を負傷しているのに、歩いている。
脚元に夥しい量の血が滴り落ち、ロマネスクが踏み出す度、ぱしゃり、と音がした。
あの状態で歩けるのか。
いや、待て。

139 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/13(日) 23:59:15.32 ID:CxLaYCuz0
歩くしか出来ないのではないだろうか。
だとすれば、速度で追いつかれることはない。
とは言え、こちら側も無傷では無い以上、万全ではない。
警戒を怠らないのは当然として、全体的に差はないと考えた方がいいだろう。

( ФωФ)「……」

从'ー'从「……」

無言で、渡辺も一歩踏み出す。
ずきり、と腹部に鈍痛が走る。
顔にそれを出さず、じりじりと距離を詰める。
互いに必殺の範囲に脚を踏み入れる。

同時に地面を蹴りつけ、一気に距離を詰めた。
大振りで繰り出された右のケードルの横薙ぎを、ロマネスクは半瞬疾く回避。
予想通りの動き。
右とほぼ同時に繰り出していた左が、ロマネスクの胸に五本の爪痕を残す。

反撃が来る前に、交差した左右のケードルを同時に戻す事で攻撃へと転じた。
扉を両手で開く様な攻撃は、だがしかし俊敏な脚と上半身の動きだけで回避された。
いつの間にか、ロマネナイフが渡辺の左手に向かって伸びている。
爪を扇子の様に大きく広げて、手首の代わりに12の刃をその指に絡ませた。

無事な方のケードルで、ロマネナイフを弾こうと試みる。

( ФωФ)「むんっ!」

141 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 00:02:03.64 ID:fUDcxEVM0
その手首を素手で掴まれ、捻られる。
体全体が傾きかけるが、ケードルに絡みついているロマネナイフが逆方向に捻っている為、倒れることはできない。
自分の体の構造と反応が、渡辺自身に襲い掛かる。
両手を起点として、全身の関節が軋みを上げる。

从'ー'从「せっ!」

ケードルごと手首から先を失った副腕で、ロマネスクの顔を殴打。
怯んだ隙に、右手首を掴んでいる腕に副椀を振り下ろす。
ロマネナイフを掴んでいる腕には回し蹴りを放ち、渡辺は解放された。
間髪いれず、ロマネスクの回し蹴りが返って来る。

咄嗟に副椀で腹部を防御した。
金属が力任せに砕かれる不気味な音が、その腕から響いた。
砕かれ、折れ曲がって変形した副椀は見る影も無い。
もし護っていなければ、被害は肋骨を砕くだけに止まらない。

内臓は破裂し、砕けた肋骨が体内に突き刺さり、血反吐を撒き散らして悶絶していただろう。
あらぬ方向に何度も折れ曲がった腕が力なく垂れた。
痛みを噛み殺し、腕を破壊したロマネスクの脚を素早く掴み、力を込める。

从;'ー'从「左脚、もらいます!」

ケードルの中で骨が砕け、脚首が有り得ない方向を向く。
この戦いの中で、それはあまりにも致命的な一撃。
ロマネスクの脚首を破壊した左手を、ロマネナイフが切り裂いた
12の刃は主の脚の復讐に、渡辺の腕に24の切り傷を残した。

143 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 00:06:38.20 ID:fUDcxEVM0
傷口から血が滲み出す。
痛みのあまり、ロマネスクの脚首を手放して数歩下がった。
脚首を破壊しさえすれば、立っているのがやっとの状態の筈。
太股に負った傷も、無関係では済まない。

腕三本を犠牲にして、ようやくこれだ。
片脚で地面に立つロマネスクが、ロマネナイフを振って血を払い飛ばした。
それでも依然、ロマネナイフには血が付着している。
慣れた手つきでロマネスクはナイフを畳む。

12の刃が1つの刃に重なった。
元から薄い刃で構成されている為、このような芸当ができるよう設計されているのだ。
それを、専用の鞘に戻した。
何故戻したのだろうか。

ひょっとして、諦めたのか。
淡い希望を抱いた渡辺に、ロマネスクが言い放つ。

( ФωФ)「強くなったな」

粉々に砕かれた脚を、地面に付く。

( ФωФ)「しかし、お主では我輩を止められん」

折れた脚で、ロマネスクが歩いた。
その光景が、渡辺には信じられなかった。
痛いどころでは済まないはずだ。
何せ、骨が砕けているのだ。

145 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 00:09:13.23 ID:fUDcxEVM0
引き摺って歩くのならまだ分かる。
片脚で立っているのならまだ分かる。
ただ、普通に歩く事だけはどうしても理解できない。
歩けば脚に体重が移動して、砕けた骨が更に砕ける。

砕けた骨は肉を、血管を、そして神経を傷つける。
その際に生まれる痛みは、骨折の比では無い。
数歩だけとは言っても、顔色一つ変えずに歩いたロマネスクの精神力は恐るべきものがある。
ロマネスクは立ち止り、近くの壁に突き刺さっていた仕込み杖を引き抜いた。

最初から杖が目的だったようだ。
確かに、ロマネナイフを有効に使う為には脚を動かす動作が強いられる。
仕込み杖ならば、細身の刃だけではなく、杖としての機能を果たせる。

( ФωФ)「止められんのだよ」

杖を突き、体を安定させる。
ロマネスクに仕えていた間、ロマネスクは杖を杖らしく使った事がない。
杖を杖らしく使うのを見るのは、渡辺はこれが初めてだった。

从'ー'从「例え無理だとしても、私は止めません」

( ФωФ)「頑固娘だな」

从'ー'从「えぇ」

左腕を動かそうと力を入れる。
しかし、肘から先に力が伝わらない。
先程の一撃で、神経を斬られたのか。
それを悟られないよう、右腕を同じ形に構える。

147 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 00:12:45.66 ID:fUDcxEVM0
肩から先を脱力させ、腰を落として前傾姿勢になる。
ロマネスクは指先一つ動かない。

( ФωФ)「両腕でも出来なかったのに、片腕で我輩を止められると思うか?」

気付かれた。
だからどうした。
肘から先など、力を入れなくとも肩の力だけで振ればいい。

从'ー'从「うふふ、それはお互い様ですよ、我が父」

笑うしかない。
全身に切り傷を負い、肩の骨は砕け、太股は引き裂かれ、片脚首は粉々に砕けている。
それで、渡辺と渡り合おうと言うのだ。
嬉しさのあまり、笑みが零れる。

憎しみにしろ、愛情にしろ、ロマネスクはその感情を渡辺に向けている。
愛する人に意識してもらえるのであれば、愛憎は同じ。
ましてやそれが、心の奥底から湧き上がる感情であれば尚更嬉しい。
この戦いの最中、渡辺は人生で最も幸せな時を過ごしていた。

腕に刻まれた傷でさえ、愛しく思える。
傷口が熱い。
熱はまるで甘い毒の如く、渡辺の体を優しく蝕む。
快楽にも似たその感覚。

( ФωФ)「むっ……
       それもそうか」

148 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 00:15:35.02 ID:fUDcxEVM0
機械化されていても、自然に心臓の鼓動が早まる。
気分が高揚している。

( ФωФ)「まぁ、よいか」

状況は、五分と五分。
つまり、ハンデは何一つとしてない。
真剣に向き合ってくれている。
傷ついた体を気にもせず、今は渡辺を見ている。

ならば、真剣に答えるのが娘。
体中の痛みを、強引に押し殺す。
せめてこの間だけは、最高潮の自分で挑みたい。

从'ー'从「んっ……!」

刹那の力み。
地面を蹴り飛ばし、渡辺は右横の壁に着く。
両脚の力と疾さだけで壁を駆け抜け、射程内に捉えたロマネスクに向かい、弾丸の様に飛び掛かった。
脱力し切った左腕を、鞭の様に叩きつける。

ケードルは仕込み杖の刃を直撃した。
脱穀棍で金属を力任せに叩いた様な音と、衝撃が響く。
渡辺の細い腕からは、到底想像も出来ない程の威力。
全ての秘密は、脱力にあった。

クレイドルは確かに脱力を重視するが、完全な脱力はしない。
赤子を抱く様に脱力する事が、クレイドルには求められている。
それ故に無音高速戦闘が可能となっているのだが、渡辺はその一歩先を進んだ。
脱力を更に進め、そしてそこに速度を加えた。

151 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 00:19:07.95 ID:fUDcxEVM0
攻撃が当たる瞬間にのみ力を込める事により、鞭はその先端に幻想の鉄球を備える。
この場面で、渡辺はクレイドルを進化させた。
より強く、より完成形に。

( ФωФ)「ぐっ……!」

受け止めた衝撃は、脚へと伝わる。
その末端に衝撃が到達した時、ロマネスクは呻き声を上げた。
一撃を加えた渡辺はロマネスクの背後に着地して、息を大きく吸った。
攻撃の間、呼吸を完全に止めていたのだ。

100mを走る優れた陸上競技者は、走っている間、決して呼吸をしない。
酸素を求めて走れば、それが致命的なまでに速度を落とすと知っているからだ。
呼吸を止めて、なお且つ高速で駆け抜け、そして尋常では無い緊張感の中、極限まで脱力しながら的確な攻撃を加える。
この一連の動作を無呼吸で同時に行うとなると、その苦しさは語るまでも無い。

顔色一つ変えなかったが、渡辺の体に掛かった負担は計り知れない。

( ФωФ)「クレイドルを一歩進めたか……
       いや、お主流に変えたのか」

ロマネスクは振り返らず、背後にいる渡辺に声を掛ける。
僅かにだが、仕込み杖が刃毀れしていた。

从'ー'从「さぁ?
     私には、分かりません」

自分でも分からない事を言える筈がない。
ましてや、この状況でロマネスクに嘘など吐けない。

153 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 00:23:14.37 ID:fUDcxEVM0
从'ー'从「強いて言うなら、これが愛の力かと」

再び、地面を強く蹴り飛ばして音も無くロマネスクの正面に現れた。
渡辺は役立たずの左腕を振るい、ロマネスクは背中越しに構えた刃でそれを止めた。

( ФωФ)「なるほど、愛なら納得したぞ。
       如何せん、今の我輩には少々荷が重いな。
       しかし、倒れてでも受け止めるのが父の務めだ
       無様な姿を、可愛い娘に見せるわけにはいかんのでな」

右腕も脱力させ、突き出す。
ロマネスクは冷静に、ケードルの人差し指と中指の間に刃を滑り込ませ、動きを止めた。
視線の先で、ロマネスクの背中が傾いた。
否、傾いたのは背中では無く、渡辺自身だった。

刃に微かな力が込められ、渡辺の体が無意識の内に横に倒れていた。
一歩も動かず、体の向き一つ変えないでこの対応。
完全に倒れる前に、渡辺は自分で体を回転させ、ぐるりと側転した。
ドレスの裾が大きく靡く音を残し、渡辺はその場から消えた。

痛みは無い。
痛覚が麻痺しているのだ。
無音、高速で移動。
ハイヒールを履いていても、それは枷にならない。

砕いたロマネスクの脚元に低い姿勢で出現し、その脚目掛けて駄目押しの一撃。
直前で、渡辺は攻撃を中止した。
中止の理由は、ロマネスクが狙っていた脚の横に杖を突いた、それだけ。
あのまま蹴っていれば、渡辺の脚は自らの力で切断されていた。

154 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 00:27:02.99 ID:fUDcxEVM0
体を捻りながら立ち上がり、回転によって産まれた遠心力を使って脚を振り上げて、そのまま一気に振り下ろした。
狙い通り、ヒールがロマネスクの肩を切り裂く。
―――切り裂かれたのは、服だけだった。
突いた杖を支えに、ロマネスクは片腕の力で逆立ったのだ。

曲芸めいた行動に、渡辺は言葉を一瞬失った。
その一瞬は、今の状況では致命的だった。

从;'−'从「?!」

無事な脚で着地したロマネスクは、地面に突き刺さっていた杖を振り上げる。
ロマネスクは右腕のケードルを切っ先で弾き、渡辺の動きを制する。
直前まで攻撃の体勢に入ろうとしていた渡辺の右腕は、行き場を無くしてしまった。
僅かだが、渡辺は怯んでしまう。

力は要らない、そう言わんばかりの攻撃。
必要な力を必要な時に必要な場所に必要なだけ。
綺麗に形作られたロマネスクのクレイドル。
渡辺のクレイドルとの差は、ひょっとしたらそこまで無いのかもしれない。

これがキャリアの差。
土壇場で作り上げた自分自身のクレイドルとは、熟成させた月日が違う。
呼吸法一つとっても、その方法が自分に合わせて微妙に変えられているのが分かった。
言わば、今の渡辺のクレイドルは粗が残っている。

ロマネスクのクレイドルは、これ以上変化させる必要が無くなった、正に完成形。
後数年早くこのクレイドルを考え付いていれば、状況は変わったかもしれない。
後悔を吹き飛ばす様に、渡辺は攻撃を加えた。
鞭のようなしなやかさで、傷だらけの左腕を仕込み杖に叩きつける。

156 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 00:31:16.66 ID:fUDcxEVM0
攻撃の流れに合わせ、ロマネスクは刃を動かし、勢いを受け流す。
先んじて刃を構え直し、一直線に突いて来る。
即応して右のケードルの甲で防ぐ。
巨大な鎚で殴られたかのような衝撃が、右腕に掛かる。

打擲された右手の甲の骨が、ケードルの内部で折れた。
ケードルの外装自体は無事だが、内部にだけ威力を集中させたのだ。
右手で拳を握れなくされ、殴る事が出来なくなった。
更に、肘の関節にも衝撃の影響は及んでいる。

ギシギシと、関節が悲鳴を上げていた。
ロマネスクの素早さに驚いていたその数瞬。
本能的に、渡辺はバク転でその場を下がった。
直ぐ目の前を、仕込み杖の刃が通り過ぎる。

後少しでも遅れていたらと想像して、背中に冷や汗が浮かぶ。
これ以上攻撃の手段を奪われたら、対処のしようが無くなる。

( ФωФ)「年寄り相手に、いつまでこうしているつもりだ?」

仕込み杖を構え直し、ロマネスクは問う。

从;'ー'从「出来る事なら、いつまでもこうしていたいのですが」

渡辺の回答に、ロマネスクは困惑の表情を浮かべた。

( ФωФ)「それは困る。
       お主には悪いが、そろそろ行かねばならん時間なのでな。
       時間を守るのは我輩のポリシーだ」

158 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 00:35:02.79 ID:fUDcxEVM0
从;'ー'从「残念です。
      えぇ。
      本当に、残念」

それまで心地よく吹いていた風が、ピタリと止んだ。
ありとあらゆる音が遠のき、自分の心臓の鼓動と息遣いだけが聞こえる。
機械化されていても、渡辺の心臓は人間のそれと同じように脈打っている。
愛しい人を前にして、鼓動は先程からずっと高鳴りっぱなしだ。

名残惜しいが、これで終わりにしよう。
両腕の力を抜く。
腰を落とす。
僅かに前傾姿勢になる。

瞼を下ろす。
大きく息を吸う。
少しだけ息を止め、ゆっくり、深く息を吐く。
これでいい。

これで、渡辺のクレイドルの準備は完璧に整った。
静かに瞼を開く。
射抜くようにして、ロマネスクを見た。
傷だらけの姿でしっかりと立つ父が、そこにはあった。

背中から風が吹きつける。
ドレスの裾が風に乗って踊る。
やがて、風は力を徐々に失ってゆく。
遂に、力尽きた様に凪いだ。

162 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 00:39:02.81 ID:fUDcxEVM0
音も無く地面を蹴り飛ばす。
一歩で最初の加速。
二歩目で更なる加速。
三歩目で接近の為の加速。

両腕は空気抵抗を低くする為、風の流れに逆らうことなく後ろに流す。
視線の先でロマネスクの持つ仕込み杖が閃く。
真っ直ぐに渡辺に向けて構えられたそれは、この状態でも弾き飛ばせる。
四歩目で、全身の力を使って加速。

これで、終わりだ。
全ての加速を腕に集中させ、威力を増加。
後は、攻撃が当たる瞬間に力を込めればいい。
その姿がロマネスクの攻撃範囲内に入るより早く、渡辺は既に攻撃動作に入っている。

例え斬られても、こちらの攻撃は確実に当たる。
ロマネスクは微動だにしない。
余裕か、それとも諦めか。
もう、判断は出来ない。

―――そして、その一撃で全てが終わった。

( ФωФ)「……」

从'ー'从「……」

ぽたり、と得物を伝って赤い血が滴り落ちる。
得物は、狙った通り正確に心臓を貫いていた。
胸の半ばまで埋まった得物が、所有者の意志でずるりと引き抜かれた。
思ったよりも血は出ず、流石、機械化されているだけあるな、と渡辺は自嘲気味に笑った。

165 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 00:44:14.22 ID:fUDcxEVM0
( ФωФ)「……何故だ」

从'ー'从「結局、愛する父の願いを止める事は、私にはでき……ません、でした。
     惚れた……弱み、ですね」

突き出す代わりにロマネスクの首に回した両手に、力を入れる。
傷口から流れる血を止めるかのように、渡辺はロマネスクに抱きついた。
血の付いた仕込み杖を手放し、ロマネスクも渡辺を抱きしめ返す。
ただし、二人分の体重を支えきれず、ロマネスクは渡辺を抱きしめたまま、その場に腰を下ろした。

ロマネスクの肩に乗せた渡辺の顔は穏やかな物で、とても心臓を貫かれた様には見えない。
心臓が機械化されていなければ即死だった。
と云っても、流石に心臓を貫かれれば致命傷である事には変わりはない。
それを分かっていて、先程の様な行動に出たのだ。

攻撃を繰り出そうとした、その瞬間。
渡辺は、ロマネスクを止める事を諦めた。
ここまで自分が全力で止めようとしているのに、ロマネスクは止まろうとしない。
想いは届かない。

ならば、せめて。
せめて、愛する人の願いを邪魔するのだけは止めておこうと決めた。
ロマネスクの構えた仕込み杖に、自らの心臓を差し出す。
攻撃しようとしていた手は、抱きしめる為に。

心臓を刃が貫くその時、苦痛を全く感じなかった。
速度は十分だったから、機械化された心臓も抵抗なく貫く事が出来た。
もって、後数分。
ロマネスクと過ごす数分の為なら、この命も惜しくはないと、本気で思う。

166 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 00:48:13.60 ID:fUDcxEVM0
( ФωФ)「愚か者」

从'ー'从「……はい」

ロマネスクはもう一度言う。

( ФωФ)「愚か者だ、お主は」

从'ー'从「……はい」

耳朶を優しく擽るロマネスクの声に、渡辺は眼を細める。
息遣いが聞こえる。
ロマネスクの心臓の鼓動が伝わる。
体温が伝わる。

温かい。
ロマネスクは。
父は。
こんなにも温かくて、心地よくて気持ちがいいのだ。

これを得たかった。
これを望んだ。
これが欲しかった。
これが、自分にとっての幸せ。

日だまりの様な温かさに包まれ、くすぐったそうに表情が柔らかくなる。

从'ー'从「きっと……ロマネスク様に、似たのでしょうね」

( ФωФ)「……そうだな、我輩も、愚か者だ」

168 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 00:53:05.06 ID:fUDcxEVM0
从'ー'从「殺そうと思えば出来たのに、あえて……しなかったのですね?」

その機会は何度もあった。
ただ、その機会にはある一つの共通点がある。

( ФωФ)「娘の顔に傷を付ける父親など、父ではない」

いずれの機会も、渡辺の顔に対して直接的な攻撃を加えることで成立するのが共通していた。
出来る限り渡辺の顔に傷を付けることなく倒すとなれば、方法は限られてくる。
顔に傷を付けることなく撃退する為に、腹部や関節を狙って攻撃をしていた。
ある意味、その配慮が渡辺の体に染みついた本能を裏切ることになり、結果的にはダメージを蓄積する事に繋がった。

最後の一撃も、ロマネスクは受け切るつもりだったのだろう。
受け切ってからの事は分からない。
ただ、直感がそう告げる。
でなければ、自分の心臓は貫かれていなかった。

从'ー'从「本当に……優しい方、です……ね」

( ФωФ)「当然だ。
       我輩はお主の父なのだぞ」

从'ー'从「てっきり、私の事を……捨てられたのかと……思って、ました」

( ФωФ)「残念だが、我輩にそんな甲斐性はない。
       自力で捨てられなかったから、お主を止めるのを他人に任せたのだ。
       ……今にして思えば、何とも愚かな判断だったな。
       お主を止めるのは我輩の役目だったのに、済まなかった、我が娘よ」

从'ー'从「いえ……お気に……なさらず」

172 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 00:57:05.13 ID:fUDcxEVM0
背中に回されていた手が渡辺の後頭部に移され、詫びるようにして撫でられる。
思考に靄が掛っている様に、意識があまりハッキリとしなくなってきた。
だが、悪くない。
とても気持ちがいいのだ。

眼が霞む。
何度瞬きをしても、視界はぼやけたまま。
その理由に気付いたのは、頬を一筋の涙が流れ落ちてから。
渡辺は、泣いていた。

じわり、じわりと涙が浮かび、頬を伝って流れ落ちる。
何故。
悲しいからか。
それとも、嬉しいからだろうか。

分からない。
手脚から力が抜ける。
せっかくロマネスクに抱きついていたのに、これではそれもままならない。
自分ではどうしようもなくなり、渡辺の手がロマネスクの背から離れた。

ケードルが、かちゃり、と地面に触れる。
ロマネスクの肩に乗せていた顔が、そこから落ちて、ロマネスクの顔を至近距離で見つめる格好になった。
自分が今、どのような表情をしているのか、まるで分からない。
脚の感覚が、いつの間にか無くなっていた。

少し、寒い。
でも、心は温かかった。
ロマネスクが近くにいるから。
腕を伸ばそうとして、全く力が入らない事に気付いた。

175 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 01:01:01.92 ID:fUDcxEVM0
これでは、ロマネスクに触れられない。
何と無力な手であろうか。
機械化しても、触れられないのであれば意味がない。
一秒でも長く、ロマネスクに触れていたいのに。

こんな無力な手。
ロマネスクに触れられないなら、いっそ斬り落としても構わない。

( ФωФ)「……」

何も言わず、ロマネスクは抱き抱えた渡辺の髪を撫でる。
困った。
こんなに気持ちいいと、眠ってしまいそうになる。
まだ、言いたい事が沢山あるし、やりたいことも、してほしい事もあるのだ。

眠ってしまったら、それらが出来なくなってしまう。
瞼が半ばまで落ちる。
意識が茫としてきた。
数多の願いの中で、今叶えられる願いを考える。

一つだけ。
一つだけでいい。
それが出来れば、眠っても良い。
次に起きたら、茶を淹れて、一緒に茶菓子を食べる。

仕事を済ませ、午後には一緒に買い物も良い。
何てことない、他愛のない会話をして。
本部に帰ったら夕食を作り、一緒に風呂に入って背中を流す。
そうして床に就き、また明日が始まるのだ。

178 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 01:05:12.93 ID:fUDcxEVM0
ロマネスクの笑顔。
ロマネスクの笑い声。
ロマネスクの仕草。
ロマネスクの温もり。

嗚呼。
今すぐにでも手に入れられそうな、そんな夢。
幻想だ。
幻覚だ。

次々に思い出してしまう。
優しく頭を撫でてくれた感触。
自分の作った料理を美味しいと言ってくれた時。
時折見せる、子供っぽい仕草。

全部。
ロマネスクの全部が、大好きだった。
失いたくなかったのだ。
手に入れたこの温もりを手放すのが。

想い出は映像となって、次々に浮かび上がる。
今ではもう届かない。
昔の話だ。
ただの、儚い夢なのだ。

見えない筈なのに。
もう二度と手に入れられない筈なのに。
想いが、夢が、涙となって溢れて来る。
残り少ない気力の全てを振り絞って、渡辺は意識を現世に留めた。

180 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 01:10:03.63 ID:fUDcxEVM0
从'ー'从「……ロマネスク……様」

( ФωФ)「ん?」

頭を撫で続けながら、ロマネスクは優しく頷く。

从'ー'从「一つ……お願いをしても……いいでしょうか?」

とてもか細く、今にも風に吹き消されてしまいそうな、そんな声。
でも。
今の渡辺には、これが精一杯。

( ФωФ)「あぁ、勿論だ。
       我輩に出来ることであれば、言ってみろ」

少しだけ黙った渡辺の頬が、ほのかな赤みを帯びた。
年頃の少女の様に顔を赤らめた渡辺は、恥ずかしそうに。
だけど、嬉しそうに。

从'ー'从「……キスを……して……いただけ……ませんか?」

そう、言った。

(´ФωФ)「む……」

やはり、駄目か。
最期にこんな馬鹿げた願い、聞き届けてはもらえないか。
正直、自分でもどうかと思う。
少しだけ、残念だ。

184 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 01:14:09.44 ID:fUDcxEVM0
諦めかけたその時。
渡辺の唇に、少し硬い唇の感触が触れた。
一瞬の出来事に、渡辺は呆然とする。
照れ臭そうにはにかんで、唇を離したロマネスクが言った。

( ФωФ)「これで、いいか?」

もう、瞼を開いていられない。
眠気が、渡辺を眠りへと誘う。
十分だ。
これで、もう。

笑顔で別れられる。
笑顔で逝ける。

从'ー'从「えへへ、よか……った……
     わた……し……
     ロマ……ネス……ク様の……こと……」

ロマネスクの姿が消えて行く。
完全に消える前に、網膜にロマネスクの顔を焼きつける。
渡辺の心から愛した、父の顔を。
瞼が完全に降ろされ、渡辺は幸せそうな笑みを浮かべた。

从 ー 从「心、から……愛……して……ます……」

最期の言葉を、渡辺は言う事が出来た。
すっ、と短い息を吐き出して。
もう二度と、渡辺が呼吸をする事も。
ロマネスクの名を呼ぶ事も無くなった。

187 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 01:18:23.47 ID:fUDcxEVM0
( ФωФ)「……ありがとう、渡辺」

返事をしない渡辺に向けて、ロマネスクはそう言った。
近くに落ちていた杖を拾う。
亡骸に頬を寄せてから、優しく背負う。
杖を突き、ゆっくりと立ち上がった。

負傷した脚を引く様にして、ロマネスクは杖の助けを借りて進む。
無言で進み続けて、5分程経った時、景観に変化が現れた。
道の先は傾斜していて、地下に続くトンネルの様な物が見えてくる。
それは、歯車城まで最短で誰にも見つからずに行く事の出来る道。

( ФωФ)「後少しで、全てが終わるぞ」

その言葉は、誰に向けての物なのだろうか。

( ФωФ)「……」

ロマネスクの背後から、二人分の跫音が聞こえて来た。
振り返ることなく、ロマネスクは跫音の主に向けて言う。

( ФωФ)「そっちは終わったのか?」

ζ(゚ー゚*ζ「えぇ。
      ……こっちも、終わったみたいね」

"女帝"クールノー・デレデレ。

(#゚;;-゚)「む……」

191 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 01:22:13.43 ID:fUDcxEVM0
"帝王"内藤・でぃ・ホライゾン。
二人はロマネスクに追いつき、その横に並ぶ。
裏社会を取り仕切る三大勢力の首領が、並んで歩く。
でぃがロマネスクに手を貸そうかと尋ねたが、ロマネスクは首を横に振った。

( ФωФ)「これは、我輩の仕事だ。
       ……いや、少し違うな。
       父親の仕事、だ」

(#゚;;-゚)「分かった」

三人は揃ってトンネルを潜るのとほぼ同時に、激しい雨が何の前触れも無く降り出して来た。
都の名物である豪雨が降り出した時には、三人が潜ったトンネルの入り口は無くなっていた。
この時。
都の各箇所で起こった争いは、終息していた。



ノパ听)

(`・ω・´)

ヒートはシャキンと。


ξ゚听)ξ( ^ω^)

( <●><●>)( ><)(´<_` )(´・ω・`)

ツンとブーンは、ビロード兄弟、弟者、そしてショボンと。

192 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(神奈川県) 投稿日:2011/03/14(月) 01:27:12.45 ID:fUDcxEVM0
それぞれの戦いは熾烈を極め、三人は作戦に復帰できない傷を負った。
だが。
まだ、一人だけ。
そう。


一人だけ、残されている。
裏社会の実力者達が認めた、一人の男が。
ロマネスクと彼の幼馴染達が選んだ、最後の一人。





      その男こそが、切り札。






Episode04 - All for my dearest father -
       End



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