('A`)首吊りパラノイアのようです

71 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:55:54 ID:4DzoGBgQ0




喫茶店、電車の中、人ごみの雑踏、その他のありとあらゆる場所で、
見知らぬ他人の笑い声や話し声、息づかい、その存在を、わけもなく苛立たしく感じることがある。
そんなとき俺はぼんやりと、こいつら全員ぶち殺したらさぞ気持ちがよいだろうなどと、物騒なことを考えたりもする。

でも、考えるだけだ。実際にやるわけじゃない。
そんなことをするやつは、気違いだけだと、俺たちは思っている。
俺たち善良な人間は、悪の人間とは、細胞のひとつひとつが、遺伝子のひとつひとつが全く違う生き物なのだからと、思っている。

本当に、そうだろうか。
本当は俺とあいつは、薄皮一枚隔てただけの同一の人間で、決定的な差異など、そこには何もないのではないだろうか。
彼岸にあると思っていた異常と正常とは、実は背中合わせに危ういバランスを保っているだけなのではないだろうか。

俺はそのとき、たしかに見たのだ。
暗闇の中に浮かび上がった、化物の、姿。



悪意は、一体どこからやってくるのだろう。

.

72 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:56:10 ID:4DzoGBgQ0
一.

終業のチャイムが鳴って、俺は迷わず席を立った。
教授は教壇の上でまだなにやら話したりない様子だったが、出欠はもう取り終わっているのだ。退出しても、特に問題はない。
廊下に出てしばらく歩くと、踊り場に置かれたベンチに座って、携帯を弄っているシラネーヨと目が合った。

( ´ー`)「よう、お疲れ。もう帰りか?」

(´・_ゝ・`)「ああ。お前は?」

( ´ー`)「俺も上がりだわ。んじゃ、けーるか」

(´・_ゝ・`)「そうだな」

シラネーヨが億劫そうに立ち上がって、歩き出す。
それきり無言のまま、二人並んで階段を下りていった。
向こうの教室から、同じく講義を終えた他の学生たちが、蟻のようにわらわらと這い出してくるのが目に映った。

( ´ー`)「……ギコ、来てたか?」

(´・_ゝ・`)「いや、見なかった」

( ´ー`)「そっか……」

どうして、こんなことになっちまったのかなぁ、と、ぽつりと、呟くような口調で、シラネーヨが言った。
独り言のようだったが、もしかしたら俺に向けていった言葉かも知れなかった。
だが、聞こえなかったふりをした。

73 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:56:24 ID:4DzoGBgQ0
二.

ドアフォンが鳴ったことに気がついて、ギコが舌打ちをしながら立ち上がった。
誰だこんな時間に。そうぼやきながら、重い腰を上げる。
呟きにつられて、携帯の待受画面の時計に目をやった。デジタル数字は22:52を表示していて、
そうすると、もう五時間以上もひっきりなしに飲み続けていることになるのかと、頭の片隅でぼんやりと考えた。

宙に浮いた会話に、なんとなく、一同が無言になって、俺の隣に腰を下ろしていたシラネーヨが、大口を開けてあくびをひとつ、した。
背の低いガラス素材のテーブルの上には、スナック菓子の袋や空になったチューハイの缶が横倒しに散乱していて、
部屋の隅に置かれたスピーカーが、一世代前のヒップホップ曲を、結構な音量で垂れ流している。

ベッドの上にちょこんと座った酔い顔の渡辺が、先ほどから熱心に、本棚に積み上げてあった少年コミックに読み耽っていた。
広々としたその1LDKのマンションの一室の部屋主はギコで、
俺とシラネーヨ、そしてギコの彼女の渡辺と四人で、宅飲みでわいわい騒ぎ立てていたのだった。

以前までは、あそこはしぃの指定席だった。

ちらりとそんなことを考えて、俺には関係のない話だったと思い直した。
しぃというのはギコの前の彼女で、付き合いは大学に入る前からのことだったと聞いていたから相当長かったらしいが
その長さが逆に災いしたのか、しぃが渡辺にギコを奪い取られる形で、二人の仲は破局したのだった。

そうなってしまうまではよくしぃを交えた五人で今と同じように、飲んだり、海に行ったり、色々なことをした。
しかしギコと別れてからはもちろんしぃはグループから離れていったし、最近は学内ですらめったに見かけることがない。
連絡も、取ってはいない。

でも俺には関係のない話だ。
つるむ面子が一人、居なくなっただけのことだ。

74 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:56:39 ID:4DzoGBgQ0
終電がなくなる前に、帰るか。
そんなことを思いながら、皿に盛られていたポテトチップに手を伸ばす。
アルコールに霞んだ俺の思考は次の瞬間、部屋の空気をびりびりと震わせて鳴り響いたギコの怒号にかき消された。
続いて、部屋の引き戸を壁に叩きつけるように引きあけて、女が一人、弾丸の勢いを持って、中に転がり込んできた。

しぃだった。

突然の出来事に呆気にとられて固まってしまった俺とシラネーヨの方を、彼女は一度、ちらりと見やって、
それから同じくギコのべッドの上で困惑した表情を浮かべた渡辺のもとへと、一直線に距離を詰めた。
立ち上がって押しとどめる暇も、与えてはくれなかった。

しぃは無言で、片手を頭上高く振り上げた。
その手には、銀色に鈍く光る、カッターナイフの突き出された刃。
渡辺の悲鳴に、シラネーヨの叫び声が重なる。

金切り声で叫ぶ渡辺めがけてしぃが、手に持ったカッターナイフを振り下ろした。
そして振り上げて、振り下ろした。
また振り上げて、振り下ろした。
何度も。
何度も。何度も。何度も。

どこかで、ギコの絶叫が、聞こえた気がした。
すべてが、まるで水の中の出来事のように、緩慢さを湛えているかのように、目に映った。

どうしてだか俺は、彼女のその鬼気迫る姿を、とても綺麗だと、思った。

そして、ベッドの白い清潔なシーツに、とびちった鮮血が、赤い染みを作った。

75 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:56:56 ID:4DzoGBgQ0
三.

裸電球のぼんやりとした明かりが剥き出しのコンクリートの床を薄暗く照らしている。
四方を壁に囲まれたその部屋に出入り口はなく、赤いビロードのカーテンが一張り、目の前の壁の一部を覆うように添えつけてあるだけだ。

傍らに立ったその男は、ダブルの無地のスーツに身を包み、首に締めた細いネクタイから鈍く光る革靴まで、黒一色で揃えている。
男の、その喪服のような味気ない衣装と顔を覆う白の仮面が相まって、一見して、底の知れない不気味な雰囲気を纏っている。

そう、仮面だ。
男の顔全体を覆うその白い仮面は、まるで皮膚の一部のように違和感なく男の顔に密着していて、
顔のパーツを全て、その固定された穏やかな微笑の向こう側に、隠している。

仮面が、男の全てを、隠している。
その男について、俺が知っていることは何もない。何も、分からない。

(      )『それでは───』

くぐもった声が、鉛のような重い空気を振るわせて、響く。
聴覚に届くというよりかはむしろ、皮膚の上を這い回るような、声。

(      )『───はじめましょう』

その言葉を合図に、目の前のカーテンが音もなくするすると左右に分かれた。
壁にはめ込まれたガラス窓の向こう側に現れたのは、それは、首に縄をかけられた、誰かの姿だった。

76 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:57:10 ID:4DzoGBgQ0
(      )『ここに、スウィッチがひとつ、あります』

仮面の男の手にはいつの間にか、指輪ケースのような小箱が握られていた。
男が、こちらに向かって小箱の蓋を開ける。中には、金属製の丸いボタンがひとつ、あった。

(      )『このボタンを押すと、向こうの部屋の床板が開いて、彼は死にます』

そう言って男はその白い顔を、ガラス窓に向けた。釣られて俺もそちらに視線を移す。
首吊り男は、後ろ手に縛られ、頭からすっぽりと布袋をかぶせられていた。
身動きもままならぬまま、ぷるぷると小刻みに体を揺らしながら、何とかその場に立って、震える二本の足で体を支えている。
仮面の男の言うとおり、首吊り男の足元を中心に、木の床板に正方形を描くように線が走っていて、
おそらくスウィッチを押すと、あの床板が割れて、足場を失った首吊り男は暗闇の穴に飲み込まれて、ぶら下がるという仕組みなのだろう。

死刑囚のようだと、思った。

(      )『このスウィッチを、貴方に差し上げましょう。
       押すも押さぬも、貴方の自由ですよ。ここでは、全ての決定権が貴方の手の中にあるのです』

そう言って仮面の男が、その濡羽色の小箱を、俺に手渡した。
小箱は予想に反してまるで紙細工のように軽く、
そのスウィッチを押すだけという手軽さと、そして人が死ぬという事実が、俺の中でどうしてもうまく結びつかない。

それは、想像の壁の、向こう側にある行為だった。

77 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:57:23 ID:4DzoGBgQ0
あの男は、俺は言った。掠れて枯れた声が、まるで他人の発した言葉のように、耳に響く。

(´・_ゝ・`)『あの男は、何か悪いことをしたんだろうか』

(      )『と、いうと?』

(´・_ゝ・`)『殺されなければならないような、そういった類のことを』

俺のその問いに、仮面の男は笑いながら答えた。

(      )『いいえ、というか、そんなことは初めから関係がない。貴方には彼を殺す自由がある。真実は、それだけです。
       もしなんでしたら、彼に罪状を与えてもいいでしょう。
       殺人、強盗、強姦、放火、彼には殺されるべき役割が必要だというのであれば、何だってお好きになさい』

(´・_ゝ・`)『でも、それは……』

言いよどむ俺に、畳み掛けるように仮面の男が続けた。

(      )『何だって構わないのですよ。貴方がそれで納得できるのであれば、何だって構わない。
       死に値する罪状など、そんなものは、人間が作り上げたシステムの幻想に他ならない。
       ここにはそんな幻想が入り込む余地などないのです。下らないことだ』

強いて言えば、一呼吸をおいて、含み笑いをしながら男が言った。

(      )『強いて言えば、生きていることが悪なのです』

そう言って、仮面の向こう側で楽しそうに、笑う。

78 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:57:42 ID:4DzoGBgQ0
(      )『我々の無意識の衝動は、悪たり得るのです。心の中で欲することは、確かに個人の自由でしょう。
       しかしだからと言ってそれが悪でない理由にはならない。ただ現実的な害を伴わない、それだけのことです。
       罪ではないでしょう。しかし疑いようもなく、衝動は悪を内包するのです』

そこで一度俺の反応をうかがうかのごとくに言葉を区切った。
言葉尻がどんよりとした空気に吸い込まれて一瞬で掻き消える。
この男は何を言いたいのだろうか。懸命に頭を働かせようとするが、答えが見つからない。
何も言わないで居ると、仮面の男が再び、無表情な声で喋りだした。

(      )『悪意は、たまたまどこからか飛んで現れたようなものでは、決して、ない。
       我々は、間違いなくそれを身のうちに抱え込んでいるのです。
       生きているというだけでそれは、殺されるに値する悪なのですよ』

理解の代わりに俺が探り当てたものは、それは何故か、心底からの、愉楽の感情だった。
そのことに気がついて、頭から冷水を浴びせかけられたかのように全身が一気に鳥肌だった。
俺は間違いなくこの異様な状況を楽しんでいる。
見知らぬ他人の命を、指先で無責任に弄ぶことに、不思議な心地よさを感じていたのだ。

(      )『おやりなさい。それが、貴方の望みだったはずでしょう?』

男の声が、耳の奥でじわじわと響く。
背中越しに一メートルは離れているはずなのに、仮面の下から漏れ聞こえるそのくぐもった声が、
まるで耳元で間近に囁かれているかのように感じる。
生唾を飲み込む音が、ごくりと鳴った。無性にのどが渇く。

水が飲みたいと、心の底から思った。

79 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:57:56 ID:4DzoGBgQ0
四.

アーケード街を通り過ぎて、駅までの道を終始無言で歩く。
時折、横の車道を走り抜けていく車の騒音が、なぜか心の底から頼もしい音に聞こえる。
シラネーヨが、隣にいるせいだと思った。

気詰まりな沈黙が俺を押しつぶそうとするかのごとくに、重くのしかかる。
息が苦しい。吐き気がする。陸橋の階段の一番上まで上り詰めて、とうとう俺は我慢ができなくなってしまった。
今更どうにもならないことは、分かりきっていた。それでも、耐えられなかった。

(´・_ゝ・`)「……なあ」

( ´ー`)「うん?」

シラネーヨが携帯の画面から顔を上げて、いぶかしげに俺を見やった。

(´・_ゝ・`)「どうしてお前、あんなこと、したんだ?」

( ´ー`)「……は?」

眉根を寄せて、意味がわからないというような表情を作ってみせる。
育ちのよさそうなのほほんとしたその顔つきには、悪意のひとかけらでさえ、見受けられない。
いつも通りの柔和な顔が、そこにあるだけだった。
それが余計に、腹立たしかった。

(´・_ゝ・`)「とぼけるなよ。全部お前が仕向けたんだろ」

( ´ー`)「……何言ってんの?」

(´・_ゝ・`)「とぼけるなって言ってるだろ。ギコとしぃのことだよ。分からないとでも、思ったのか」

俺の言葉に、シラネーヨの表情が凍りついた。

80 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:58:11 ID:4DzoGBgQ0
( ´ー`)「……どういうことだよ、おい。何で俺が……ふざけたこと言うとキレるぞ」

完璧な演技だと思った。でももう手遅れだ、とも。その時俺は既に確信していたのだ。
目の前の、この朴訥そのものに見える男が、明確な悪意を持って、ギコ、しぃ、渡辺、それから俺の、
俺たちの人間関係を、めちゃくちゃにしたのだと。

(´・_ゝ・`)「ふざけてるのはお前だろ」

冷静でいないといけないとは思っていた。だが、口が止まらなかった。

(´・_ゝ・`)「俺、ずっと考えてたんだ。お前がしぃにちょっかいかけてるのも知ってる、あいつがギコと別れる前からだろ。
      しぃのことが好きなのかと思って、黙ってたんだ。でも、そうじゃなかった」

シラネーヨは、険しい表情を崩さぬまま、黙って俺を見つめていた。
血の気が引いて青ざめたその顔は、身に覚えのない侮辱に完全に頭に来ているようにも見える。
だが、それも演技だ。この男には、そんな人間らしい感情など、何一つありはしないのだ。
あの日、ギコの部屋でしぃが渡辺に斬りつけたあのときから、何度も何度も自問自答して、結局その結論しか出てこなかった。

全部、シラネーヨの差し金だ。

81 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:58:25 ID:4DzoGBgQ0
俺は頭から決めてかかっていた。こいつは、人間ではない。もっと別の、邪悪な、何かだ。

(´・_ゝ・`)「ギコと渡辺がくっつくように仕向けたのもお前だろ。
      あいつみたいなお嬢様に、人の彼氏寝取るなんて芸当が正気できるわけない。お前が唆したんだろ」

全てが手遅れになった今、そんなことを告発したところで何にもならないことは、よく分かっていた。
それでも俺は、言わずにはいられなかった。シラネーヨのその、人の道に外れた行いを、糾弾せずにはいられなかったのだ。

(´・_ゝ・`)「全部、お前がやったんだ」

無言のままの睨み合いが続いて、鉛のように重たい時が流れた。
実際には数秒足らずの出来事だったかもしれないが、俺にはそれが永遠にも続くかのごとく感じられた。
曇天のじめじめした湿気が肌にまとわりついて、不快さが募る。

吐き気が、した。

82 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:58:39 ID:4DzoGBgQ0
五.

(      )『おやりなさい』

かみ締めるように、男が繰り返し、言った。
ガラス窓の向こう側で、首吊り男が死の恐怖に耐えかねるかのように、大きく体を揺らす。
あの男が死ぬところが見たい。縄の先にぶら下がって、宙空に揺れるその死に様を、この目で確かめたい。
アドレナリンが脳内で噴出して、心臓が早鐘のように鼓動する。
何かが背骨を這い上がっていくような、身体の底から湧き上がるような、興奮、スリル。
俺は、震える指先を、そっと、小箱の中にスウィッチに這わせた。

(´・_ゝ・`)『……』

だが、そこまでだった。
奥歯を強くかみ締めて、深呼吸と共に、なんとか自制心を取り戻す。
これを押してしまえば、戻れなくなる。向こう側に、突き抜けてしまう。
理屈ではない。本能的に、俺はそのことを理解していた。

だから、踏みとどまれたのだ。

(´・_ゝ・`)『……ふ、ぅ……』

ゆっくりと息を吐いて、呼吸を整える。そうして俺はただ無言で、濡羽色の小箱を、仮面の男に向かって差し出した。
手が、まるで自分のものではないかのように、意思に反してぶるぶると震えている。
こんなことはなんでもないんだと思いたかったが、まざまざと見せ付けられた自分の中の闇が、恐ろしくて堪らなかった。

83 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:58:54 ID:4DzoGBgQ0
男は、それ以上こだわる様子も見せずに、俺がつき返した小箱を受け取ると、パタンと音を立ててその蓋を閉じた。
あわせて、赤いカーテンがするすると閉じていき、ガラス窓を再び想像の彼方へと覆い隠していく。

(      )『どうせ同じことです。いつかきっと、貴方はスウィッチを押す。賭けてもいいですよ』

窓のほうに顔を向けながら、仮面の男が淡々とした口調で言った。
その台詞は、稲妻のように俺の心を打ちのめす。

この男は、と思った。
この男は見透かしている。俺よりはるかに俺自身のことを、熟知している。

それでも俺は、勤めて平静を装って、聞いた。
喉から絞り出した声は明らかに上ずって、震えていたが。

(´・_ゝ・`)『なあ。どこかで昔、会ったかな?』

俺は何も考えていなかったのだ。
何も分かっていなかったのだ。
そんなことは聞いてはいけなかったのだ。

でも、手遅れだった。

(      )『……まだ、分かりませんか』

相変わらずの平坦な声音でそう言いながら、男がゆっくりと、仮面に手を伸ばす。
仮面が剥ぎ取られて、全てが顕になっていくその光景に、真実に、俺は思わず喉の奥で悲鳴を上げた。

スローモーションのように流れていく細切れの映像の中で、仮面の下から現れた、その顔は。

それは。

84 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:59:09 ID:4DzoGBgQ0
五.

( ´ー`)「……へえ、やっぱ気がつくか」

諦めたようにシラネーヨがふっと薄く笑い、そして一瞬のち、その顔から全ての表情が抜け落ちた。
どんよりとにごった目からは輝きが消えうせて、まるで生気を感じさせない完璧な無表情が、そこに表れる。
俺は今まで、人間のそんな絶望的な表情を見たことがなかった。おぞましさに、体中の毛穴が開く思いがした。
目の前にたっているのは魂のない、幽霊のような人外の類なのではないか、そんなことすら思った。
この作り物のような無機質な顔が、この男の本当の顔なのだ。

(´・_ゝ・`)「……当然だろ。どうしてお前、あんなこと、」

そう言いながら俺は、惨めさに打ちひしがれていた。
大学に入学してから三年間、決して短い付き合いというわけではなかったはずだ。
それでも俺は、気付けなかった。
人当たりのよい朴訥な仮面の下に隠された、この男の本質を見抜けなかった。浅はかだった。

( ´ー`)「気にくわねーんだよな、アイツら。
      好きだの嫌いだの付き合うの付き合わないの、頭沸いてんじゃねーの? ガキかよ」

(´・_ゝ・`)「お前っ、そんな理由でっ!!」

声を荒げる俺に、シラネーヨが薄ら笑いを浮かべながら言った。

85 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:59:24 ID:4DzoGBgQ0
( ´ー`)「そんな理由だよ。何マジになってんの、お前。たかだか暇つぶしだろ」

(´・_ゝ・`)「お前っ!!」

( ´ー`)「まあそれなりに楽しめたけどな。まさかしぃが刃物もって乗り込んでくるとは思わなかったけど」

ケラケラと笑いながら、そう言った。
激怒のあまりに、何も言葉が出てこなかった。腹のそこからふつふつとどす黒い感情がわきあがってくる。
俺は生まれて初めて、今なら人を殺せるかもしれないと思った。

( ´ー`)「俺、アイツと寝たぜ。寂しいっつーからよ、
      酒飲まして糞みてーな台詞で慰めてやったら、一発だった。ひっでえマグロだったけどな」

(´・_ゝ・`)「っ!!」

( ´ー`)「笑えんのがさ、あいつイク時泣きながらさ、ギコくぅん、ギコくぅんとか言いやがって。
     堪んねえよな、マジウケるわ」

こうなることは分かっていた。それでも俺はまだどこかで、違うと言ってほしかったのかもしれない。
たとえ俺がそれを受け入れないとしても、否定してほしかったのかもしれない。誰のためでもなく、俺自身のために。
しかし結局、闇に火をくべて炙り出した悪意は想像をはるかに超える、醜悪で、おぞましいものだった。

86 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:59:39 ID:4DzoGBgQ0
( ´ー`)「んで、何? 説教でもすんの? そんなわけねえよな、同じ穴の狢だろ」

(´・_ゝ・`)「……は?」

( ´ー`)「は? じゃねーよ。お前も、俺と大差ない人間だろ」

(´・_ゝ・`)「ふざけんなっ、お前と一緒にするなっ!」

( ´ー`)「一緒だろ。お前は思っててやらなかった。俺は思ってて、だからそうした。大差ねえだろ」

思ったことなどない、そう言いたかったが、言えなかった。
認めたわけではない。でも、違うと、言えなかった。

( ´ー`)「気付かれてないとでも思ったか? お前も俺と一緒だよ。
      結局、自分以外の人間全部見下してんだ。同じ屑だろ、自覚ねーのか?」

何かを言い返そうとしたが、声にならなかった。否定したくて、でも、出来なかった。
喉の奥で、低いうなり声が響いただけだ。息が、苦しい。

蔑むような、哀れむような視線を俺に向けて、シラネーヨが言った。

( ´ー`)「なあ。自分の頭で考えて、やりたい放題やってる俺と、
      不満たらたらの癖に、右に習えしてりゃ人間様だと思ってるお前のようなやつと、どっちが本当の人間だ?」

87 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/24(水) 23:59:51 ID:4DzoGBgQ0
気がついたとき、俺は憤然とシラネーヨの胸倉につかみかかっていた。
頭の中で血流がどくどくと音を立てているのが分かる。
殺してやりたかった。憎かった。だがそれ以上に、惨めだった。

認めたくなかったのだ。
傷つきたくなかっただけなのだ。

こんなこと、知りたくなんて、なかったのに。

こぶしを固めて、振り上げる。殺してやりたい。本当に、殺してやりたかった。
八つ裂きにしてやりたかった。でも、出来なかった。

ぶるぶると震えるこぶしを、ゆっくりと下ろしていく。
そんな俺を無表情に見つめていたシラネーヨがひとつ、呆れたようにため息をついた。

俺には、出来なかった。
結局、俺には誰かを殴ることすら満足に出来なかった。
ただ一人むなしく子供のように癇癪を起こして、わめき散らしただけだった。
何も、出来なかった。

( ´ー`)「お前さ、生きてる価値がないよ」

何の感情も込めずにシラネーヨが言い放って、胸元をつかんだ俺の手を平手で振り払った。
瞬間、体から、空気が抜けるかのごとくに、力が失われていくのが分かった。
肩が落ちる。足元がふらついて、強烈なめまいを感じた。

88 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/25(木) 00:00:04 ID:6grK16nU0
(´・_ゝ・`)「……俺たち……俺たちは、友達だったじゃないか……」

半ば無意識のうちに言ったその台詞は、俺の耳に、誰か見知らぬ他人の、痛切な哀願のように響いた。
そうだ。ギコのためでも、しぃのためでも、もちろんシラネーヨのためでもない。俺自身の、哀願だった。

( ´ー`)「冗談」

シラネーヨはそう言って、きびすを返して階段を下っていこうとする。
何故かその瞬間周りの全ての流れが一瞬止まったように目に映った。

知りたくなかった。

気付きたくなかった。

でも、もう全部、手遅れだ。

まるで、誘い込むかのごとくシラネーヨの後姿が俺の視界一面に広がり。
ぶつ切りになった風景が、スライドのように一枚、一枚。

そして。
俺は。
その背を。

89 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/25(木) 00:00:21 ID:6grK16nU0
六.

俺は、それこそ生まれたばかりの赤ん坊のように、号泣しながら歩いた。
恐ろしくて、心細くて、誰かにそばに居てもらいたかった。
でも、あたりは暗闇で、自分がどこに向かっているのかすら、分からなかった。
今、俺はどこに向かおうとしているのだ?

今度は耐えられた。でも、次の保証はない。
いつか誘惑に負けて、向こう側に行ってしまうときが、来るのかもしれない。
小箱のスウィッチをおして、誰かを吊るしてしまうときが、来るのかもしれない。

違う。
スウィッチを押すのが俺ならば、首吊り男は、俺自身だ。
そして、あの仮面の男は。

知りたくなかった。
目をそむけて居たかった。
信じたくなかった。
でも、もう全部、手遅れだ。
もう、後戻りは出来ない。

90 名前:以下、名無しにかわりましてブーンがお送りします 投稿日:2011/08/25(木) 00:00:45 ID:6grK16nU0









かがり火の向こうで、暗闇の中に浮かび上がった、化物の、姿。
それは、鏡に映った俺自身だった。








                             第五話 了


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