(´・ω・`)君の瞳に恋してるようです

1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 19:58:26.02 ID:jB2ZsJUe0
少し秋の気配が近付いて来た、時間がゆっくりと流れるような昼下がり。
吹く風は涼しく、日差しは強い。

緩やかな勾配の向こうに、空の色を反射した大海原が広がっていた。
日光を反射して、万華鏡のように波が煌めく。
料金を払ってバスから降りた僕は、目の前に広がる圧倒的な光景に目を奪われた。

从´ヮ`从ト「うわぁ……」

感動の声を上げる少女は麦わら帽子を押さえて、目を細めた。
その後ろで、荷物を背負い直した僕も同じような反応をしていた。
写真やテレビでは何度も見た事のある風景だったが、いざ目の当たりにすると、驚かずにはいられない。
本物の、海だ。


从´ヮ`从ト「凄いねぇ」


少女―――桜川千春さんは、僕に同意を求めた。


(´・ω・`)「うん。初めて見たけど、やっぱり凄いね」


僕―――高屋敷ショボンは、これまで一度も海を見たことが無かった。
この様に大きな海を目の前にして、僕は高鳴る胸を押さえられなかった。
都会育ちで外出する機会が少なかった僕にとって、この旅行は初めての事が沢山待っていた。
小学校の頃に遠足で海に来る事になっていたけど、それでも結局駄目になったからなぁ。

3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 20:00:31.18 ID:jB2ZsJUe0

何だかんだで、高校生になった今、僕は初めて海を直に見た。
……っと、感動しているのもいいけど、兎にも角にも、この場所を移動しなくては。
僕等は、ゆっくりと坂道を下り始めた。

从´ヮ`从ト「旅館はどんなところなの?」

(´・ω・`)「イイ所だって、ネットではそう書いてあったよ」

泊まる場所はもうインターネットで予約してある。
便利な時代になったものだ。
昔は電話だったが、今ではクリックするだけで詳細な予約ができる。

(´・ω・`)「千春さんは海を見るのは初めてなの?」

从´ヮ`从ト「ううん。
      小さい頃に一度だけ行った事があるんだ。
      だけど、今日は楽しみにしてたんだよ」

僕の数歩先を千春さんが歩き、その後を僕が歩く。
いつしか出来た、二人にとって最適な距離。
心地の良い距離。
それに、並んで歩くよりも、こうして歩いた方が僕達には都合がいいのだ。

焦る旅ではない。
ゆっくりと、いつもの歩幅の半分で歩いていく。
海沿いの町には穏やかな空気が流れていた。

4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 20:03:04.26 ID:jB2ZsJUe0

(´・ω・`)「夏休みも終わったし、砂浜も空いてそうだね」

遠くにある砂浜を見ながら、僕はそんな事を言った。
口元を綻ばせ、千春さんが楽しげな笑い声を上げる。

从´ヮ`从ト「うっへっへ。やったね、恋人ごっこが出来るよ」

(´・ω・`)「誰が得するのさ」

从´ヮ`从ト「おいおい。何を照れてるのさ。
      そんなだから、何時まで経っても彼女が出来ないんだよ」

(´・ω・`)「彼氏を作った事のない千春さんにそんな事を言われるなんて……」

从´ヮ`从ト「こいつはとんだブラックジョークだぜ!!
      千春さんも思わずニガ笑いしちゃうよ。
      でもさ、巷のカッポー達が羨ましいとは思わないの?」

(´・ω・`)「どうしてカップルをそんなに綺麗な発音で言うのかはあえて突っ込まないよ。
     彼女なんて、僕はいらないよ」

从´ヮ`从ト「うわっ、しょっぺ。
       しょっぱい発言だなぁ」

千春さんの意地悪そうな声を聞いて、僕の頬は緩んだ。
やはり、こうでなくては。
千春さんは笑顔が一番似合っているのだから。

5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 20:06:28.93 ID:jB2ZsJUe0

从´ヮ`从ト「どうしたの?いきなり黙って」

(´・ω・`)「いや、何でも無いよ」

从´ヮ`从ト「分かりやすい嘘を吐く様に教育したつもりはないんだけどな。
      だって、ショボンちゃんの声、笑ってるよ」

(´・ω・`)「気のせいだよ」

意識すればするほど、ごまかせなくなる。
声は次第に上ずり、まともに喋る事が困難になってしまう。

(´・ω・`)「ところで、海に行ってしたいことってあるの?」

僕はさり気無く、話題を逸らした。

从´ヮ`从ト「カッポーダッシュ!!」

(´・ω・`)「何その素敵な遊び」

腰の後ろで手を組んで、千春さんがはにかむ。
悔しいけど、可愛かった。

从´ヮ`从ト「こうね、私を捕まえて〜って、夕方の砂浜でキャッキャうふふとする遊び」

(´・ω・`)「……やってる姿を見られたら、間違いなく通報されるよ。
     それに、どう頑張っても終わらないよ」

7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 20:15:32.72 ID:jB2ZsJUe0
从´ヮ`从ト「なんだよー、ノリが悪いなぁ。
      ちょっとした憧れだよ、憧れ。
      やっぱり、女の子は一生に一回は皆あれに憧れるんだよ。
      ここにその夢を諦めなかった偉大な馬鹿ヤロウがいるってのにさぁ」

少し拗ねたように、千春さんが唇を尖らせる。
僕は話を合わせる事にした。

(´・ω・`)「それよりも、僕は夕焼けダッシュの方がいいな」

从´ヮ`从ト「如何にも汗臭い遊びだね。
      私が子供の頃にドラマで見たのが最後だよ、それ」

(´・ω・`)「男の子のロマンなんだよ」

从´ヮ`从ト「ふっ。汗臭いロマンは流行らないのだよ、ショボンちゃん」

坂道の途中にあった自動販売機の前で、千春さんが立ち止った。
釣られて、僕も立ち止る。

从´ヮ`从ト「ねぇねぇ、ショボンちゃん」

(´・ω・`)「どうしたの?」

ニヤリ、と千春さんが悪戯っぽく笑顔を浮かべる。

从´ヮ`从ト「このミステリーゾーンってジュース、買ってくれない?」

(´・ω・`)「ミステリーゾーン?」

9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 20:17:22.23 ID:jB2ZsJUe0
訝しげに訊き返し、僕もその自動販売機を見た。
千春さんが指さす先には、虹色の渦の中心にクエスチョンマークが描かれた缶があった。
値段は100円。
横に並んでいる普通のジュースと同額だ。

(´・ω・`)「すこぶる嫌な予感しかしないんだけど」

从´ヮ`从ト「いいじゃんいいじゃん、すげーいいじゃん!!」

時々千春さんは、珍しい物を目にすると僕に買ってくれとせがむ癖があった。
問題なのは、千春さんが興味を示すその悉くが、所謂ハズレ商品と云う奴なのだ。
青椒肉絲味のソフトクリームを食べきったのも、キャラメル味のコーラを飲み切ったのも僕だ。

(´・ω・`)「えぇ……」

从´ヮ`从ト「ショボンちゃん、こんな美少女にせがまれて買わないなんて、男の子として不健康だよ。
去勢もんだよ」

どうやら買わないと去勢されるレベルらしい。
まぁ、100円だし。
僕も喉が渇いているから、いいか。

(´・ω・`)「仕方ないなぁ」

从´ヮ`从ト「ひゅー、ショボンちゃん最高にクールだよ」

財布から100円玉を出して、投入口に入れた。
意を決し、ボタンを押す。
ガコン、と音を立てて缶が落ちてくる。
僕がそれを取り出してラベルと見ると、そこにはこう書かれていた。

10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 20:20:35.19 ID:jB2ZsJUe0

(´・ω・`)「……青汁ソーダ?」

手に取った缶はぬるかった。
渋そうに顔を歪めるポップなおじさんが描かれた缶は、スチールの部分が緑色をしていた。
色彩感覚を疑う様な品物だ。
と云うか、何でぬるいのよ。

そして、缶から漂うのはこの上ないハズレ臭。

从´ヮ`从ト「……飲みなよ、ショボンちゃん」

(;´・ω・`)「ちょっと待ってよ、これはないよ!!」

こんな如何にもな物を飲んだら、頭がミステリーゾーンになってしまう。

从´ヮ`从トb「ショボンちゃん、大丈夫。
       もうとっくにミステリーだよ」

ぐっ、と親指を突き出した。

(;´・ω・`)「お願いだから心を読むのを止めてください」

从´ヮ`从ト「いや、でも飲んでみたら美味しいかもしれないよ?」

(´・ω・`)「じゃあ千春さんが飲んでよ」

从´ヮ`从ト「だから、ショボンちゃんが飲むんじゃないか」

11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 20:23:57.41 ID:jB2ZsJUe0

……ぬぬぬ。
ぬるい炭酸、おまけに青汁味。
罰ゲームだ、これを飲むのは。
でも、100円払ってしまった手前、無駄にするのは気が引ける。

意を決し、プルタブを押し開けた。
プシュ、と炭酸の抜ける音がする。
同時に、草をすり潰した様な青くさい臭いが漂い始めた。

从;´ヮ`从ト「うぇぇ……えんがちょー、えんがちょー!!」

千春さんが物凄い形相で缶を見ている。
酷い。
きっと、僕の顔はもっと凄い事になっているに違いない。
シュワシュワ聞こえる炭酸の音が、不気味な音に聞こえたのはこれが初めてだった。

从´ヮ`从ト「ほらほら、そうしてると炭酸が抜けて飲めなくなるよ」

(;´・ω・`)「そうは言っても……これはあんまりだよ……」

从´ヮ`从ト「あらら、私はショボンちゃんをそんな風に育てた覚えはないぞ」

(;´・ω・`)「見た目に危ない物は飲食するなって、散々言われたよ」

从´ヮ`从ト「男の子はそう簡単に逃げるなとも言ったよね」

(;´・ω・`)「……ちくそう……ちくそう」

14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 20:27:06.86 ID:jB2ZsJUe0
千春さんとは小学生からの付き合いで、一人っ子の僕にとっては姉の様な存在だった。
そんな千春さんの言葉に逆らえないよう、僕の精神は徹底的に調教されていた。
そりゃあ、四六時中一緒にいたらそうなるよ。

(;´・ω・`)「……っく」

息を止めて、僕は一口それを飲んだ。

(´・ω・`)「あっ……」

从´ヮ`从ト「どう、意外と美味しい?」

凄い。
まるで大地を食べている様な感覚だ。

从´ヮ`从ト「あ、やっぱり駄目か」

牧場で優雅に草を食む牛が見える。
ああ。
これが地球の味なのか。

从´ヮ`从ト「おーい、ショボンちゃんってば、おきなよー」

その声で、僕の意識が現世に戻ってきた。
目の前で千春さんが手を振っている。

(´・ω・`)「大地を感じる味でした……」

从´ヮ`从ト「ううむ、やっぱり」

17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 20:30:16.73 ID:jB2ZsJUe0
勿体ないけど、これ以上飲むと僕の意識が北の大地まで飛んで行ってしまう。
缶の中身を全て近くの排水溝に流し、備えつけのゴミ箱に缶を捨てた。

从´ヮ`从ト「勿体ないなぁ」

(´・ω・`)「自分で飲まないからそう云う事が言えるんでしょ」

从´ヮ`从ト「えー、そんなことないよ。
      だって、ほら。
      私達って、一心同体?」

(´・ω・`)「えぇ……」

从´ヮ`从ト「何でそんなに迷惑そうなのさ?」

そうは言っても、結局直に味わうのは僕なのであって。
現に、千春さんは顔に冷や汗一つ浮かべていない。
僕の背中は冷や汗で濡れていた。

(´・ω・`)「迷惑と云うか、千春さんの理不尽さを改めて痛感したと云うか」

从´ヮ`从ト「なによそれ〜。
      あたしはいつだって天使の様な優しさでショボンちゃんに接してるって云うのに」

よよよ、と嘘泣きを始めた。
僕は溜息を吐いて、ワザと呆れた風な口調で言った。

(´・ω・`)「天使はこんな飲み物を買う様に強制したりしません」

从´ヮ`从ト「ちっ、ああ言えばこう言うね」

21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 20:34:05.16 ID:jB2ZsJUe0
ご覧の通りである。

(´・ω・`)「確実に千春さんの影響ですよ、これは」

从´ヮ`从ト「あぁっ、酷い!!
      昔は仔犬の様に私の言う事を聞いてたのに……こんなに反抗的になっちゃって……」

確かにそれは事実だけど、そのせいで何度も僕は恥をかく事になったのも事実だ。
茶髪の人はチョコの食べ過ぎで髪が染まったのだと、僕は小学校高学年まで信じていた。
そのせいで、僕は街中で茶髪の人を見る度、チョコが好きなのだと勘違いしていた。
千春さんは僕が真実に気付いた時、大笑いした。

僕は怒ったが、千春さんに指一本触れる事は出来なかった。

(´・ω・`)「仔犬の様に信じた結果、僕は学校で笑い者にされたんだけど。
     知らないとは言わせないよ」

从´ヮ`从ト「慰み者にされなくてよかったじゃん。
      おかげでショボンちゃんの貞操は無事なんだし」

全く悪びれた様子も見せないので、僕は諦めてそのまま歩き始めた。
僕の少し先を、千春さんが歩く。
町中に降りる階段を見つけ、その急な階段を慎重に下りる。
僕よりも先に千春さんが下りて、それに続いて僕が下りた。

降りたところで合流し、僕は地図をポケットから取り出した。

从´ヮ`从ト「後どれぐらい?」

千春さんが正面から地図を覗き込む。

22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 20:37:19.30 ID:jB2ZsJUe0

(´・ω・`)「えっと、今ここだか……らっ?!」

視線を上げると、千春さんの胸が目の前にあった。
白い下着が、少しだけ見えてしまった。

从´ヮ`从ト「……こら、何見てるのさ」

頬を赤く染め、千春さんがジト目で僕を見る。
やはり、千春さんはごまかせない。
嘘を吐いても確実に発覚する為、僕は潔く認めることにした。

(´・ω・`)「……ごめんなさい」

从*´ヮ`*从ト「このエロ助め、エロ助めぇ!!」

指を差されて子供みたいに罵倒され、顔を赤くした千春さんが距離を置く。
何故だか、その姿がとても可愛く見え、僕は無意識の内に笑っていた。

从´ヮ`从ト「なんだよぉ、急にニヤついて!!」

昔から、千春さんは子供っぽい所があった。
特に、動揺した時にはその子供らしさが前面に出てくる。
いつもはお姉さんぶっている千春さんの見せるその仕草が、僕は好きだった。

(´・ω・`)「だって、千春さんがいつもよりも上機嫌なんだもの」

从´ヮ`从ト「ふふん、まぁ今回は誤魔化されてやろうじゃないか。
      ちょっと秋に入りかけてるけど、海はイイ物だよ。
      心が躍らない方が異常なんだよ」

25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 20:40:40.02 ID:jB2ZsJUe0
(´・ω・`)「海って、本当にしょっぱいの?」

从´ヮ`从ト「しょっぱいなんてもんじゃないよ。
      塩辛いんだよ。
      生っぽい塩辛さって云うのかな」

生っぽい塩辛さが、全く想像できない。
僕の想像力が乏しいせいだろうか。

从´ヮ`从ト「まぁ、舐めてみれば分かるよ」

そんな事を言って、千春さんは機嫌よく鼻歌を歌い始めた。
機嫌がいい時に彼女が歌う歌の名前を、僕は知らない。
尋ねても笑顔を浮かべるだけで、答えを教えてくれない。
何かしらの理由があるのだろうが、それすらも、僕は知らなかった。

そうこうしている内に、僕達は目的の旅館に到着した。
木造二階建ての旅館は、築50年は硬いだろう。
イイ感じの寂れ具合が、渋い味を出している。

从´ヮ`从ト「わぉ」

同じ感想を抱いたのか、千春さんが感嘆の声を上げる。

从´ヮ`从ト「いかにも旅館、って感じだね」

(´・ω・`)「ご飯も美味しいらしいから、結構人気なんだってさ」

从´ヮ`从ト「ふーん。
      まぁ、中々にいい旅館みたいで千春さんは満足じゃ」

28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 20:43:13.77 ID:jB2ZsJUe0
(´・ω・`)「シーズンオフだから、多分空いてると思うよ。
     僕たちぐらいじゃないかな?」

胸の前を手で隠し、千春さんが僕を睨む。

从*´ヮ`*从ト「やだっ……!!
       ショボンちゃん、私に何かするつもりなの?!
       人気のない旅館で、浴衣姿の私に襲いかかるつもりなのね?!」

何か話がひとりでに飛躍しているぞ。
赤らんだ両頬に手を当てて、千春さんは考えた事を口に出す。

从*´ヮ`*从ト「千春さんの浴衣……綺麗なうなじ……肌蹴た胸元……
       千春さん、ぼかぁ、ぼかぁ……!!
       あぁ、駄目よショボンちゃん……っ!!」

一人芝居を始め、体をくねくねとさせている。
何が何だか分からない。

(´・ω・`)「ほら、さっさとチェックインしないと」

僕はそう言って、旅館の引き戸を開いた。
そして、僕より先に千春さんが旅館に入る。

从´ヮ`从ト「おぉ、何だかクラシックな感じだね」

焦げ茶色の床や壁を、窓から差し込む光が照らしている。
日中の停電が日本中で推奨されている為か、照明の類は一つもついていなかった。
それでも館内は太陽の光で明るいので、何も問題はなさそうだ。
入って来た事に気付いた旅館の人が、奥の方からやってくる。

31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 20:47:14.23 ID:jB2ZsJUe0

和服に身を包んだ、如何にも若女将と云う感じの人が来た。
歳は二十代の後半だろうか、とても若い。

('、`*川「ようこそおいで下さいました」

丁寧にお辞儀をする仕草は、正に大人のそれだった。
何処かの誰かも、これぐらいは見習ってほしい。

(´・ω・`)「あの、予約していた高屋敷ですけど」

('、`*川「はい、お待ちしておりました、高屋敷様」

やんわりと笑顔を浮かべる前に、一瞬だけ驚いた様に見えた。
気のせいだろうか?
靴を脱いで下駄箱にしまい、僕は女将さんの後をついて行くことにした。

从´ヮ`从ト「廊下がピッカピカだね」

先を行く千春さんの言う通り、客がいなくても床は鏡の様に磨き上げられていた。
飴色の光沢を放つ床には、埃一つない。
毎日しっかりと掃除をしなければ、こうはならないだろう。

(´・ω・`)「やっぱり、この時期は人が少ないんですかね?」

素朴な疑問を口にすると、階段を上りかけていた女将さんは立ち止って、こう言った。

('、`*川「えぇ、やはり夏休みが終わる少し前にはもう。
     特に今年は、海辺に来る方が殆どいなくて」

33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 20:51:02.29 ID:jB2ZsJUe0

儚げな笑みは、今にも消えてしまいそうだった。
きっと、今年のお客さんの入りがあまり良くないのだろう。

从´ヮ`从ト「旅館の質が落ちるわけじゃないし、別にいいよね」

(´・ω・`)「ご飯、楽しみにしてますね」

('、`*川「はい、ご期待に添える様、腕をふるわせていただきます」

笑顔を浮かべ、女将さんは階段を上り始めた。
木の階段は一歩進む毎に小さく軋んだが、その音は懐かしさを感じる音だった。
この感覚は、新築では味わう事の出来ない物だ。
階段を上って、左に曲がって突き当たった部屋まで、女将さんが案内してくれた。

丸い把手の付いた木製のドアの鍵を開けると、靴を脱ぐ場所があった。
部屋とその場所はふすまで仕切られていて、女将さんは膝を突いて丁寧にふすまを開けた。
畳八畳ほどの小さな和室だったが、十分過ぎるぐらいだ。
部屋の真ん中に小さな木の机が置かれ、座椅子まである。

('、`*川「何かあれば、何なりとお申し付けください」

(´・ω・`)「はい、ありがとうございます」

('、`*川「では、ごゆっくりと」

軽く一礼して、女将さんはその場を立ち去った。
僕よりも先に千春さんは部屋に入っていて、僕が来るのを待っていた。
部屋に入って先に荷物を下ろし、扉を閉めた。

36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 20:57:27.74 ID:jB2ZsJUe0

(´・ω・`)「どう?
     この旅館は気に入った?」

从´ヮ`从ト「まぁ、今のところはね。
      ショボンちゃんが、あの女将さんに鼻の下を伸ばしてなければね」

やっぱりばれていた。
しかし、そんな些細な部分にまで口出ししてくると云う事は、少しは妬いてくれているのだろうか。
男としては、素直に嬉しい。

从´ヮ`从ト「おおっと、私が妬いてるとか勘違いしない様にね」

畳の上でゴロゴロと転がる千春さんは、さらりと僕の夢を砕いてくれた。
いや、分かってたよ?
僕が無言で座椅子に腰かけたのは、断じて拗ねたからではない。

从´ヮ`从ト「おやおや、拗ねちゃいましたか」

机の向こうに座った千春さんが、ニヤニヤと笑顔を浮かべている。
どうしていつもこうなのだろうか。
何時だって、僕は千春さんの掌の上で転がされている気がする。
こうして旅行を計画しても、僕が主導権を握る事は出来ない。

昔から変わらないこそばゆい関係。
まるで、本物の姉弟の様なこの親しい関係は、この先変わる事はないだろう。
変わらない方がいい関係もあるのだ。

从´ヮ`从ト「拗ねるのは別にいいんだけどさぁ。
      海に行こうよ、海!!」

38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 21:00:28.18 ID:jB2ZsJUe0

……そうだ。
海に行こう。

(´・ω・`)「……海」

そう言えば。
そうだ、この部屋は――

(´・ω・`)「ちょっとだけ少し休んでから行こうよ、千春さん」

僕はおもむろに立ち上がって、障子窓を大きく開き、その後ろにあるガラス窓も開けた。
そして、目の前に広がる光景に目を細める。
海の匂いを含んだ風が、部屋の中に吹き込んでくる。
振り返ると、千春さんは気持ちよさそうに目を細めていた。

僕は数歩窓から離れる。
千春さんはゆっくりと立ち上がって、窓辺に向かって歩き始めた。
その様子を目で見送る。
千春さんは窓の外の風景を食い入るように見つめ、感激した様子だった。

――この部屋は、海が一望できる絶好の部屋だったのだ。

从´ヮ`从ト「おぉぅ!!
      ヤベぇよ、海ヤベぇよ!!」

興奮していた。
大はしゃぎの千春さんは、待ちきれなさそうだった。
でも、僕が海に行かない限りどうしようもない事を知っているので、一人で出て行く事はない。
僕は一旦休憩する為に、置かれていたお茶のセットを使って、お茶を淹れることにした。

41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 21:05:45.44 ID:jB2ZsJUe0

从´ヮ`从ト「呑気にお茶なんか飲んでないで、若者らしく海に行こうぜ!!」


―――――10分後。


从´ヮ`从ト「……ほふぅ」

僕達はすっかり和んでいた。
部屋中の空気はすっかり仄かな海の匂いに満ちていて、何と言えない気分だった。

(´・ω・`)「落ち着いた?」

从´ヮ`从ト「うん、まぁねぇ」

空になった湯呑を置いて、僕は鞄の中からビーチサンダルと昼食の入った鞄を取り出した。
流石に、この季節に海に入ると風邪を覚悟しなければいけなくなる。
僕が風邪をひくと千春さんが怒るので、それだけは避けたい。
部屋の扉を開いて、僕は言った。

(´・ω・`)「じゃあ、行きますか」

从´ヮ`从ト「おうともさ」

僕が荷物を持って、千春さんが先に部屋を出る。
後に続いて僕も部屋を出て、それから鍵を閉めた。
玄関でビーチサンダルを履いてから、僕等は旅館を後にした。
旅館から海までは、歩いて五分程だとネットには書いてあった。

43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 21:09:10.80 ID:jB2ZsJUe0

(´・ω・`)「千春さんは海に行ったら何をするつもりなの?」

从´ヮ`从ト「泳ぐ、はしゃぐ、そして沈める」

最後におっかない事を言った。
何を沈めるつもりなんだ、何を。
僕よりも先に道を歩く千春さんは、くるくると踊ったりして、喜びを露わにしている。
僕以外に見られる事がないからって、いくらなんでもはしゃぎ過ぎだ。

それを口に出すと、千春さんは絶対に怒る。
だから僕は、笑顔で見守る事にした。

从´ヮ`从ト「……何見てるのさ」

睨まれた。

(´・ω・`)「いやぁ、微笑ましいなって」

从´ヮ`从ト「ふふん、まぁいいや。
      それより速く海に行こうよ!!
      海が私達を待ってるよ!!」

別に待ってはいないと思う。
とは、口が裂けても言えない。
僕は千春さんの後に続いて、海まで続く緩やかな坂道を下り始める。
海に近付いているのが、波の音と潮の匂いで分かった。

無意識の内に、僕の足取りも期待に満ちた物になっていた。
人の事、言えないなぁ……

47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 21:15:18.35 ID:jB2ZsJUe0
从´ヮ`从ト「うぉおおお!!」

そして遂に、僕は本物の海を目の当たりにした。
千春さんは歓声を上げ、僕は言葉を失った。
デカイ。
兎に角、デカイ。

雑誌に載っていた日本最大のプール何て目じゃない。
視線のずっと先、霞んで見えるその水平線の先にも海は続いているのだ。

从´ヮ`从ト「ショボンちゃん、早く行こうよ!!」

言われるまでもなく、僕は砂浜までの残り短い道を全力で走った。
サンダルは走りにくかったけど、そんな事はどうでもいい。
歩くよりも速い速度で、僕は海を感じたかった。
車一つ通らない道路を横断して、僕は砂浜に降り立った。

足の底から伝わるサクサクとした感触は、砂場のそれとは違う。
もっと細かく、だけど一粒は荒そうな、そんな不思議な感触だ。
砂浜には、他には誰もいない。
だったら、少しぐらいはしゃいでもいいだろう。

僕は千春さんを追いかける様な形で、海に向かって走りだす。
手に持っていた荷物をそこらへんに置いて、僕は波打ち際で立ち止った。
海の匂いが強い。
何と言うか、塩の匂いと別の何かの匂いが混じった様な、そんな匂いだ。

ウニの匂いに似ている。
水は透明なのだが、どうしてか砂浜から少し前に行くと直ぐに濃い群青色になっている。
正直に言うと少し怖いが、僕はそれ以上に興奮していた。

48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 21:19:19.94 ID:jB2ZsJUe0

从´ヮ`从ト「すっげぇ、やっべぇ、たまんねェ!!」

僕は我慢できずに、そのまま海に向かって走った。
海の水は冷たく、プールの水とは違う様に感じた。
千春さんは感動を声に出して表現していた。

从´ヮ`从ト「うひょおおお!!
      海だ、久しぶりの海だぁぁぁ!!」

人に聞かれないからって、いくらなんでも興奮しすぎだろう。
とか言いつつ、僕も足の裏に感じる砂の不思議な踏み心地に感動していたのだが。
海面が膝の高さまである所で、僕は立ち止った。
千春さんも同じ様にして、波の感触を楽しんで――

从´ヮ`从ト「海よー!! 私は帰って来たぞぉぉぉ!!」

――いなかった。
楽しんでいたのは、この状況その物だった。
僕も楽しまないと損している気になって来た。
でも、叫ぶのはどうかと思う。

もっと深い所に行きたいけど、これ以上進むとズボンが濡れる。
そうすると千春さんが激怒するから、それは止めておこう。
これ以上海に入っていると風邪を引きそうなので、僕は名残惜しくも海から上がった。
千春さんは僕よりも先に海から上がっていた。

ビーチサンダルは砂まみれで、足も砂だらけだった。
砂浜の上に腰を下ろし、僕は鞄から昼食用に買っておいたサンドイッチを取り出した。

50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 21:24:53.28 ID:jB2ZsJUe0


从´ヮ`从ト「おいおいおいおい!!
      もうお昼ご飯?!
      速いよ、ショボンちゃん、そいつぁ速いよ!!」


大ブーイングを受けてしまった。
だって、お腹空いたし。
それに、如何せん寒い。
時期が悪すぎた。

夏に来れば、きっと冷たくて気持ちが良かったんだろうけど。
今はもう秋に突入しつつあるんだ。

(´・ω・`)「でもさ、流石に寒いよ。
     コーヒーでも飲もうよ」

从´ヮ`从ト「おいおい、初めてなんでしょ、海。
      もっとテンション上げてさぁ、こうさぁ、ねぇ」

(´・ω・`)「時々千春さんの価値観が分からなくなる時があるんだけど」

タンブラーの蓋を外すと、コーヒーのいい匂いが立ち上った。
砂糖が入っているので、どことなく甘い匂いがする。
僕等はそれを一口飲んでから、サンドイッチを食べ始めた。
こうしているだけで、僕は幸せを感じる事が出来た。

54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 21:27:41.14 ID:jB2ZsJUe0





……我ながら、安いと思う。
でも、こう云う幸せも世の中にはあるんだ。
好きな人と一緒にいる。
それだけで、僕は十分なんだ。




甘いコーヒーを飲んで、僕等はそうして海を眺めている事にした。





56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 21:31:16.85 ID:jB2ZsJUe0
* * *


どこかで見聞きした事のある名前だった。
宿泊者名簿に書かれた、高屋敷ショボンと云う名前。
何故か、頭の片隅にその名前は残っていた。
妙にしっくりくると言うか、パズルのピースがはまる様な。

忘れていた事をもう一度思い出す様な、そんな感じがした。
確か、テレビか新聞のどちらかで……
……いや、その両方だ。
約八年前、だろうか。

そうだ、思い出した。
今日やって来たあの少年は――


――日本で初めて、臓器移植を受けた小学生なのだ。


約八年前の、ある夏の日の事だった。
遅れを取り戻そうと速度を上げた電車が、カーブを曲がり切れずに脱線する事故が起きた。
不運な事に、その列車には遠足に向かう小学生が多く乗り合わせていた。
数百人以上の死傷者を出した、悲惨な事故だ。

その中に、高屋敷ショボン君も含まれていた。
視力を失ったショボン君の手術を担当した医者は、日本の医学界の歴史に名を残す決断を下した。
両親の同意を得て、脳死が確認された女児の角膜をショボン君に移植したのである。
結果、ショボン君は視力を取り戻す事が出来た。

59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 21:35:15.72 ID:jB2ZsJUe0
15歳未満の臓器移植が行われたのは、国内では初めての事だった。
ドラマ性が話題を呼び、一時は連日のように報道がされていた。
事故の記憶は次第に風化して行き、ショボン君の事は一切報道されなくなった。
彼にとってはそれが良かったのだろう。

図らずも、彼が臓器移植を受けた事によって国内での臓器移植に対する関心は高まった。
二回目、三回目と15歳未満の子供に対する臓器移植手術が行われ、救われる命は増えた。
そう云った意味で、ショボン君がもたらした影響と云うのは大きい物だった。

('、`*川「……ショボン君、か」

何故そこまで覚えているのか、理由は簡単だ。
自分も、あの事故に巻き込まれた一人なのだから。
いや、正確には自分達、だ。
私も、夫と一人息子を同時に失った。

だから、あの事故に巻き込まれたショボン君の手術の話を聞いた時は、思わず喜んだ物だ。
救われた子供がいる。
家族を失った悲しみに暮れずに済む人間がいたのだ。
それだけが、唯一生き残った自分のささやかな喜びとなった。

それも、もう昔の話だ。
祖母から受け継いだこの旅館も、最近は経営が厳しくなっている。

('、`*川「ふぅ……」

従業員を雇うだけの余裕もなければ、客もいない。
土地と建物を売れば、それなりの金にはなるだろう。
……物想いに耽っていたところ、玄関の戸を開ける音が聞こえて来た。
名簿から顔を上げ、私は帰って来たショボン君に声を掛ける。

61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/04/29(日) 21:37:50.86 ID:jB2ZsJUe0

('、`*川「おかえりなさいませ、高屋敷さん」

(´・ω・`)「あ、はい。
      ど、どうも」

恥ずかしそうにそう言って、ショボン君は部屋に向かって歩いて行った。
どうしてこの時期に海に来たのだろうか?




――それも、一人で。




まぁ、本人が楽しそうならそれでいいのだろう。
私がどうこう言う問題ではない。
私に出来るのは、せめてここに来た事を喜んでもらうぐらいだ。
さて、そろそろ準備をしないと。


疲れを悟られない様に気持ちを引き締め、私は今日の夕食を作る為に、厨房に向かったのであった。





                                       終わり


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