('A`)と歯車の都のようです

3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 21:04:45.22 ID:oZMMQgXX0
【時刻――02:25】

時は深夜。
健全な都の住民なら、例外なく眠りについている時間帯である。
しかし、祭りの夜は別。
年に数回しかない安息日として、都の住民は明け方まで祭りを楽しみ、その翌日も祭りを楽しむ。

だが、そんな祭りの日にもかかわらず。
大通りには活気がなかった。
代わりにあるのは、無機質な殺気。
祭りを楽しもうと思う者など、その場には一人もいない。

人々が時間を忘れて祭りを楽しむ為に設置された街灯は、どこか寂しげに大通りを照らしている。
それが照らすのは、仮面を被った軍服の男達。
手に持った突撃銃が、その明かりを反射している。
彼らは決して、パフォーマンスを生業とする大道芸人や、生粋の軍人ではない。

彼らの名は、"ゼアフォー"。
人の体に手を加え、フォックスの指示を忠実に守る、魔女の使い魔である。
歯車祭を一瞬にして台無しにした張本人であり、元死人でもあった。

( ∴)

突如として訪れた豪雨に、大通りの警備に当たっていたゼアフォー達は内心、驚きを隠せなかった。
気象予報のデータによれば、ここ一週間はずっと曇りのはずだったのだ。
この豪雨のせいで民間人達は皆、宿舎に避難したり出店に避難したりして豪雨を凌いでいる。
フォックスの演説と武力によって、軟弱にして脆弱な心をある程度支配して、捨て駒として利用する計画だったのだが、これでは興醒めだ。

6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 21:10:39.87 ID:oZMMQgXX0
この豪雨が上がり次第、もう一度武力を見せつけてストックホルムを誘発するとの指令が通達された為、それほど心配はしないでもいいだろう。
民間人など、圧倒的な力の前には無力。
より強い力の前に屈するのは、人間だけでなく全生物に共通して言える事である。
人間である事を捨て、新たな進化系として生まれ変わった彼等は、今では人間をゴキブリ程度にしか思っていない。

恐怖に、嘘に、恋に惑わされる人間など欠陥だらけの生物であり、この先の時代を生き残るのには相応しくない劣等種だ。
しかし、自分達は違う。
より強化された肉体に、より洗練された知能。
これが人間の新たな可能性であり、新たな進化系である。

( ∴)

大粒の雨が地面を叩き、彼等の聴覚器官が捉えられるのは喧しい雨音だけだった。
その為、今ゼアフォー達が使用できる索敵機能は視覚のみ。
故に、仮面の隙間から目に雨が入っても瞬き一つせず、ゼアフォー達は周囲の警戒を怠らない。
手にしたアサルトライフルを構え直す事も無く、彼等は雨上りを待っていた。

無言で佇むその様は、まるで魔女の番犬か地獄の石像の様だ。
脳に埋め込まれた機械のおかげで、不必要な考えは一切しない。
非効率的かつ非生産的な無駄話も、余計な感情もない。
それこそが、人間の弱点を克服して強化された彼等ゼアフォーの強みだ。

失敗や失態の原因となる無駄を省き、残されたのは合理的な機能と感情のみ。
フォックスの趣味で、悪質な4つの感情だけが残された。
悪意、敵意、非情、そして劣情。
この4つだけが、彼らに残された唯一の感情だ。

8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 21:15:00.16 ID:oZMMQgXX0
敵を苦しめ、憎み、無残に殺し。
相手が女ならば、殺す前に徹底的に辱める。
今、大通りの警戒に当たっているゼアフォーの数は6万。
先程送られてきた新たな指令に、全員が仮面の下で樮笑んでいた。

約30分後に、全てが始まる。
"灰燼の女王"によって、都の半分が文字通り灰燼へと変わり。
その地帯を含め、彼等の飼い主であるフォックスが"女王として都に君臨する"。
如何に"標的"が逃げ隠れようが、最早意味は無い。

狩り場で済ませておけばよかったのに、獲物が逃惑ったせいで予定に変更がでてしまった。
民間人が死のうが、関係無い。
ここは、もうすぐ戦場になるのだ。

( ∴)

あの硝煙の臭い。
人の血の臭い。
臓物の臭い。
死体の臭い。

全てが彼等にとって懐かしい物だった。
人間だった時には、その臭いに嫌悪感を抱いたものだったが。
今では待ち遠しく、愛おしささえ感じていた。
どさくさに紛れて、好きなだけ女を犯してもいいとの許しもある。

9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 21:20:02.95 ID:oZMMQgXX0
初潮を向かえていない少女を犯すも良し、年頃の娘を犯すも良しだ。
あぁ、早く始まらないものだろうか。
この股間の滾りと、胸の鼓動を止めてくれ。
そんな事を、ゼアフォーの内誰か一人が考えた時だった。

( ∴)

それまで降っていた大雨が、突如として止んだ。
代わりに、都の名物である濃霧が辺りに発生し始めた。
瞬く間に視界を覆い尽くした夜霧に、彼等は僅かだが動揺を見せた。
こんなに早くに天気が変わる事があるのだろうか、そう思いつつデータリンクに接続する。

見つけたデータには、"否"の文字。
つまり、この天候は有り得ないと言う事だ。
しかし、有り得ないと言えばこの濃霧がそうである。
霧の発生理由が何一つとしてないこの都に、名物として名を馳せるこの異常な濃霧。

天候に限って言えば、どうやらこの都に"有り得ないと言う事は有り得ない"らしい。
役立たずのデータリンクから取得したデータを、高速回線で味方の全員に回す。
他にも数人、同じ考えで検索を掛けた者がいたらしい。
送った本人にも同様のデータが回って来た。

( ∴)

この濃霧の中での有視界戦闘は、物理的に不可能である。
しかし、彼らには"仮面"があった。
熱探知から赤外線探知まで、ありとあらゆる戦闘視界補助装置の備わった仮面さえあれば、濃霧など恐れる必要はない。
余裕を持って、全員が一斉に仮面のスイッチを入れた。

10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 21:24:59.76 ID:oZMMQgXX0
豪雨が降ってこなければ、こんな仮面を被る事は無かった。
災い転じて何とやら、である。
だが、次に起きた事態は彼等の予想の範疇から完全に外れていた。
暗視モードで待機していたカメラを、熱探知に切り替えたのにも拘わらず。

―――画面には、何も映し出されていなかったのだ。

映し出されているのは低温を示す真っ青な色だけ。
横にいるはずの味方の熱源でさえ、全く感知されていない。
これはどうした事だ。
別のモードに切り替えても、事態は一向に変化しない。

通常視界モードにしても、赤外線モードにしても事態は同じ。
何も、映らない。
通常の視界と全く同じで、何も見えていないのだ。
まさかの緊急事態に対して、ゼアフォー達は冷静に相互の情報を共有し始める事で、事態の収束を図った。

( ∴)「follow data link… sharing start」

しかし、他の味方も状況は同じらしい。
この濃霧の正体は、一体なんなのだ。
それぞれの意見と情報が、1つの意志となって共有される。
それが、致命的な隙となったとも知らずに。

―――直後、味方の反応が次々と消え始めた事に、誰も気付けなかった。

【時刻――02:30】

12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 21:30:48.06 ID:oZMMQgXX0
初めにその異変に気付いたのは、歯車城の近くを警備していたゼアフォー達だった。
しかし、気付いた者がその情報を味方に知らせる事は遂に無かった。
精確に言えば、"知らせる事が出来なかった"のだ。
異変に気付いた時にはその眉間に風穴が開き、口を開く事すら敵わない。

おまけに、いつの間にかスピーカーから流れ始めた音楽が、彼らが崩れ落ちる音を隠していた。
何かのサウンドトラックなのだろうか、オーケストラによる盛大な演奏が聞こえる。
裏通り方面、東の方角の警備に当たっていたゼアフォーが全滅した時。
ようやく、他のゼアフォー等が異変に気付いた。

【時刻――02:31】

"f、g、hのゼアフォーが全滅した"事に彼ら気付いたのは、濃霧の発生から1分程経過しての事。
何が起きたのか、すぐに気付けなかったのが彼等の犯した最大の失敗だった。
味方がいなくなったブロックのすぐ横、eブロックの端で警備をしていたゼアフォーがその事態を急いで味方に知らせる。
焦りを省いた機械的かつ事務的な声で、ゼアフォーは共通チャンネルに呼びかけた。

( ∴)「全部隊に通達。
   緊急事態発生、東方面に異常が起きた。
   至急、状況を確認し―――」

このゼアフォーの言葉が続いたのは、そこまで。
3つある高性能カメラの内、額の上にあるカメラを撃ち抜かれて機械人形が倒れ込む。
たった一撃で急所を破壊されてしまっては、ご自慢の情報共有機能も意味を成さない。
血と脳漿の混じった液体の中に倒れたゼアフォーの傍らに、いつの間にか人影が現れていた。

13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 21:35:13.90 ID:oZMMQgXX0
露出の多い深紅の甲冑を身に纏い、白い羽飾りの付いたカチューシャを頭に冠し。
その下にある収まりの悪い赤茶色の毛を靡かせ、キレのいい吊り目が力強い光を灯している。
御伽話や神話、伝説の中から生まれたような格好、それに勝る芸術的な美貌。
その姿は正に、"戦乙女"のそれに相違無かった。

ノパ听)

柄と刃の長さがほぼ同じ長槍を構える彼女の手には、銃器の類は握られていない。
では、一体誰がゼアフォーの眉間に穴を抉ったのか。
一陣の風が吹き、少女のあどけなさを残す戦乙女の赤毛が、微かに揺れる。
しかしそれが自然の風で無い事は、戦乙女の傍らに音もなく現れた女が証明した。

月の様に眩い銀髪、その下に覗く灼眼。
手にした一対のチンクエデアは、その灼眼よりもずっと深い赤色をしている。
今にも血が滴りそうな程に生々しく、鼓動すら聞こえそうなその刃。
怪しげに輝くそれを、女は逆手で構えていた。

全身から漂う怪しげな雰囲気、左目だけを銀髪で隠す容姿。
チンクエデアを握りつつも、完全に脱力しきった両手。
白衣の様な衣装を纏う様は、場末のマッドサイエンティストを彷彿とさせた。

そして女は、妖艶な美貌に嫣然たる笑みを浮かべた。

从 ゚∀从

だがやはり、この女の手にも銃器の類は窺えなかった。
疑問が疑問を呼ぶのは、この場合無理もない。
ゼアフォー達の高性能カメラですら視認できない濃霧の中で、銃弾を音もなく。
かつ精確に眉間に当てる為には、至近距離での射撃しかない。

14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 21:40:47.03 ID:oZMMQgXX0
もっとも、そんな常識が通用するほど、この都は甘くなかった。
狙撃の天才にして、誰よりも美しく誰よりも賢い女の存在を忘れてはならない。
たった一挺の狙撃銃で、視界が効かない中500m先にある建物の一室から狙撃したなど、誰も信じないだろう。
だが、それが真実だった。

ゼアフォーを狙撃した主は、覗きこんでいた光学照準器から目を離した。
窓縁に乗せていた狙撃銃を外し、狙撃の主は音もなく立ち上がる。
ダークグレーのスーツが身を包み、自慢の豪奢な金髪がふわりと宙に舞う。
黄金の草原ですら霞んで見える金髪の下、主は満足げな笑みを浮かべた。

窮屈そうな胸元のボタンを2つ外し、主である女は狙撃銃の銃床を床に付いた。
そして空いた左手で、左耳に掛かった金髪をそっと掻き上げる。
その動作だけで、1つの芸術品が完成したように見えた。
しかし、女の容姿は芸術品の域には収まらない。

世界中の芸術家を集め、その命と持てる技術と情熱の全てを注いで製作した1つの芸術品。
そこまでしてもようやく、その作品が勝負の舞台に立てる程に、女の容姿は奇跡的なまでに美しかった。
誰もが魅了され、惹かれて止まない美貌と容姿。
それと、一挺の旧ソ連製の軍用狙撃銃。

スカイブルーの碧眼が、眼下に広がる濃霧を見下ろしている。
それはまるで、女帝が人民を見下ろす様にも見えた。
そして、女は嫣然と笑みを浮かべたまま狙撃銃を片手に踵を返す。
自分の身長よりも高い狙撃銃、"女帝の槍"。

その槍の前では、誰もが平伏さざるを得ない。
女帝の怒りから逃れる為には、その殺意から逃れる為には、頭を地面に擦りつけなければならない。
故に、その美女の渾名は"女帝"。
平伏さない者には死、有るのみ。

16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 21:44:13.16 ID:oZMMQgXX0



ζ(゚ー゚*ζ

窓のそばに、多数の空になった弾倉と無数の薬莢を残し、女帝はその場を後にした。
それに合わせたかのように、大通りから濃霧が消え去った。

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('A`)と歯車の都のようです
第二部【都激震編】
第二十六話『久遠の絆の守り人』

二十六話イメージ曲『神々の詩』姫神
ttp://www.youtube.com/watch?v=QPaeRCEnP0A
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18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 21:50:01.09 ID:oZMMQgXX0
【時刻――18:00】

襲撃の段取りを終え、ヒートとハインリッヒはそれぞれの準備の為、一時解散する方針を取った。
如何に多種多様の武器が置かれているロマネスク一家とはいえ、ヒート専用の甲冑と槍までは置いてない。
その為、ヒートは一旦自分の隠れ家へと戻り、自分の装備を回収する必要があったのだ。
ハインリッヒはハインリッヒで、彼女なりに何か準備が必要だったらしく、ヒートと同様にどこかへと行ってしまった。

そして、ヒートは今。
ロマネスク一家の地下から地上へと上がり、庭園に敷かれた石畳の上を歩いていた。
正面玄関の鉄柵に向かって、ヒートは無言で進む。
石畳の上を足が踏みつける度、コツコツと小気味のいい音が鳴る。

ヒートの顔に浮かぶ表情は、いつもと変わらないようにも見えた。
だがしかし、無表情とも思える彼女の表情だったが、その実は違う。
日本刀のように研ぎ澄まされた鋭利な殺意が、無表情を装っているに過ぎない。
煮えたぎったマグマのような怒りで、彼女の殺意を溶かし、そして精製した鉄。

それを元に研磨した刀は、どんな名刀にも勝る切れ味を持っている。
ここ数年、ヒートはこれほどまでに怒りを感じた事はなかった。
どれだけ罵倒文句を言われようと、侮辱の行為をされたところで痛くも痒くもなかったし、そういった行為をする輩は悉く蹂躙してきた。
しかし、ヒートに対して直接そういった行為をするのではなく、間接的に、となると話は違う。

例えば、家族を馬鹿にされて怒る者がいるように。
ヒートにとってそれは、最愛の人が傷つけられた場合がそうだ。
それまで冷静だった思考が、瞬時に沸点に到達し、全身を怒りが支配する。
今まさに、ヒートはそういった感情に囚われていた。

20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 21:55:01.62 ID:oZMMQgXX0
囚われた、というのは少し語弊があるかもしれない。
感情をコントロールし、そしてそれを制御する術を持つヒートは、囚われるという概念にすら囚われることはない。
完璧に自身をコントロールする事が出来るヒートは、怒りに拳を震わせた。
ギシギシと歯を強く食いしばり、怒りからくる破壊衝動を抑え込む。

自然と歩幅が大きくなる。
一定だった足音が、まるで軍隊の行進マーチよろしく厳めしく響き始めた。
シャキンが与えられた苦痛、そして無念。
それらを思うだけで、ヒートの心は瞬時に煉獄へと変わる。

玄関前まで来て、ヒートは鉄柵に手を掛けた。
傍から見れば、力を込めていないようにも見えたその動作。
その実、込められた力は膨大であり、鉄柵は勢いよく開け放たれた。
変形してしまった鉄柵が外壁の直前で止まると、ヒートはそれを待っていたかのように動き出した。

上空に飛んでいるハインドの群れを意に介さず、ヒートは隠れ家まで進む。
あのカメラにさえ見つからなければ、ハインドなどヒートにとっては恐れる対象ではない。
ロマネスク一家の近所にある、ヒートの隠れ家の存在を知る者は、本人の他に一人しかいない。
現在入院中のシャキン・ションボルト、その人である。

暗くて汚い路地裏は、いつもと比べればまだマシな方だった。
いつもなら足の踏み場もないほどに汚れているのに、今日はまだまともに歩ける。
何故だろうと思ったが、すぐに祭りの為に行われた一斉清掃を思い出した。
それでもすぐに汚れるあたり、やはりここは裏通りの路地裏。

汚いのが性に合っているということか。
道端に捨て置かれていた注射器を見て、ヒートは舌打ちをした。
忌々しい、注射器。
どうせ、ここに捨てられているのは薬物を打つための物だろうが、それでも忌々しい。

22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 22:00:00.28 ID:oZMMQgXX0
注射器を見ると嫌でも思い出してしまう。
かつて味わった恐怖。
あの経験は、もう二度と味わいたくないし、思い出したくもない。
故に、ヒートは注射器が嫌いだった。

ヒートの隠れ家は、古びたアパートの二階にある。
そのアパートの前に来て、ヒートはようやく周囲の気を探った。
高性能レーダーよりも優れたヒートの索敵能力の前には、どんな誤魔化しも効かない。
敵の存在がない事を確認し、アパートの階段を上る。

一番端の部屋の前で立ち止まり、再度気配の確認。
扉を開き、静かにそれを後ろ手で閉めた。

ノパ听)「……私に、何の用だ?」

玄関の電気を点けずに、ヒートは目の前の暗闇に声を投げかけた。
真っ暗な廊下の奥、そこに、うっすらと人影が現れる。
果たして一体どこに隠れていたのだろうか。
否、隠れてすらいなかったのかもしれない。

「流石ですね、ヒート様。
ご安心ください、敵対する気は微塵もありません」

それは、不思議な声だった。
勝手に人の隠れ家に上がって、更に姿を見せないにもかかわらず、宣言通り敵意は感じ取れない。
しかし、敵意も無いが味方の気も無い。
まるで大海のような不思議な存在と気配に、ヒートは毒気を抜かれた。

23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 22:05:19.75 ID:oZMMQgXX0
ノパ听)「手前、何者だ?
     用件を聞こうか。 場合によっては、このアパートごと手前を潰す」

冗談にも聞こえるが、ヒートの力ならば可能な話である。
相手もその事を理解しているだろう。
そうでなければ、ここに来ようなどとは考えるはずもない。
ヒートの言葉に、その声は答えた。

「この度の騒動、我等の主も腹を立てております。
そこで、貴女様に頼みが」

中性的な声に聞こえるが、声の主が男である事をヒートの耳は見抜いた。

ノパ听)「我らって事は、手前等は複数人のグループ。
     で? 頼みってなんだ?」

返答次第によっては、何時でも相手を殴り殺す準備はある。
ヒートの声色から、相手の男はその意思を察したのだろう。
宥めるようにして、言葉を選んだ。

「鋭い指摘、流石ですね。
今回、貴女様がデレデレ様から受けた命令の他に、2つだけ」

ノパ听)「御託はどうでもいい。
     さっさと言え、私は暇じゃないんだ」

26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 22:12:40.48 ID:jndoWJS60
「分かりました。 では、単刀直入に。
1つは、シャキン・ションボルトを負傷させた女、そいつを確実に屠ってほしいのです。
これは、私個人の依頼とお考えください。
2つ目は、―――――です。

これが、我等の主からの依頼でございます。
いかがでしょうか?」

男の言葉を聞いたヒートは、少しの間考えて。
ややあって、口を開いた。

ノパ听)「なるほどな、1つ目は言われずとも私がやると決めていた事だ。
     それに関しては何も言わん。
     だが、2つ目はどうにも分からんな。
     その事に対する利が、理解できない」

「我等の主の指示故、我等も理解はできません。
されど、我らが主は聡明。 決して無意味な指示はいたしません」

確信に満ちた声に、ヒートは素直に感嘆の声を漏らす。
どこか、クールノーファミリーの部下達にも似た信頼感を彼らは主に抱いているらしい。
ここまで信頼を抱いている主は、一体何者なのだろうか。

ノパ听)「どれも私の目的の支障にならないからいいんだが。
     1つ条件がある。
     手前の顔を見せろ、それで判断する」

流石に主の正体を答えるほど、この男は甘くはない。
そこで、ヒートはせめて男の顔を見て我慢することにした。
最悪、その顔から正体を導き出せば御の字だ。

28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 22:17:21.78 ID:jndoWJS60
「で、しょうね。 流石に貴女様に顔を見せないようでは無礼。
失礼いたしました。 それでは……」

男の気配が近づいてくるのが分かる。
殺意や敵意は感じ取れない。
だが、隙もない。
この男、相当な手練だ。

(´・ω・`)「まずは名前を。
      私はショボン。 ショボン・ションボルト。
      どこにでもいる、しがない手品師です」

まず、ヒートに訪れたのは衝撃。
男の顔に、どこかシャキンに似た面影がある。
否、逆か?
シャキンに、この男の面影があるのかもしれない。

そして、名前。
シャキンと同じ苗字を持っている。
正直、ションボルトという苗字はとても珍しい。
この男とシャキンに何か繋がりがあるのではないか、そう考えた。

しかし、このしょぼくれた顔をした男の年齢は、精々見積もってもシャキンと同じ。
もしくは、それよりも1歳ほど年上。
若い。
つまり、兄弟か何かだろうか?

ノパ听)「手前は……
     シャキンのなんだ?」

29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 22:22:04.05 ID:jndoWJS60
(´・ω・`)「なぁに、ちょっとした親戚。
      そんな所ですね。 お気になさらず」

男の言葉と、風体。
間違いない。
この男は、シャキンと何かしらの繋がりがある。

ノパ听)「……そうか、分かった」

それが分かっただけでも僥倖だ。
後でシャキンのお見舞いがてら、誰かに話を訊こう。
内心でほくそ笑みつつ、ヒートはさて、と溜息を吐いた。

ノパ听)「私はこれから着替えたりしなきゃいけねえんだ。
     用件が済んだら、さっさと帰りな。
     人の家に勝手に入った事は目を瞑ってやる。
     けどな、私の裸はシャキンにしか見せないんだ」

(´・ω・`)「ははは、これは失敬。
      では、私はこれにてご免」

直後、男の姿が消えた。

ノパ听)「……奇怪な技を使う奴だな。
     まぁ、いいか」

さっさと着替えを済ませ、草臥れた色の布を甲冑の上に纏う。
隠してあった槍を手に取り、ヒートはその場を後にした。

31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 22:27:03.00 ID:jndoWJS60
【時刻――21:00】

シャキンが入院している病院は、クールノーファミリーの息が掛った大病院である。
今は廃墟と化してしまったナイチンゲールには劣るが、整った器具と膨大な数の病室。
量と質を兼ね備えた病院として、ナイチンゲールに続いて有名である。
その病院の集中治療室に運ばれたシャキンは、今はVIP待遇の特別な病室に移動されていた。

体中にチューブが繋がれ、ベッドの上で寝ている様はまるで機械に寄生された人間にも見える。
それが悲しくて、ヒートは歯を食いしばった。
手術が無事終わったとはいえ、今のシャキンは絶対安静。
動く事はおろか、会話することさえ不可能だ。

浅い呼吸を繰り返すシャキンの枕元で、ヒートは椅子に座ってひたすらに耐えていた。
ガントレットを付けた左拳を握りしめ、怒りと悲しみに打ち震えている。

ノパ听)「……なぁ、シャキン。
     ごめんなぁ…… 私が弱いばっかりに、こんな怪我させて……」

ガントレットを外した右手で、シャキンの頬をそっと撫でる。
これぐらいなら、重体の身にも別に問題ない。
そっと呟くように、シャキンに謝罪の言葉を告げる。

ノパ听)「もっと私が強ければ、もっと疾ければ……
     お前に指一本触れる前に叩き潰せたのに、ごめんなぁ……」

この悔しさは、姉弟にしか分かるまい。
最愛の弟を傷つけられ、黙っているほどヒートは馬鹿ではない。
必ずや、この仇は打つ。
ただ殺すだけでなく、徹底的に痛めつけて殺す。

34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 22:32:00.26 ID:jndoWJS60
復讐では生ぬるい。
報復でも生ぬるい。
仇打ちですらない。
これは、殺しだ。

殺し合う必要はない。
一方的な殺しでいいのだ。
戦乙女の怒りに触れた事の愚かさを、死をもって味あわせてやる。

(`-ω-´)

ノパ听)「せっかくの祭りで、一緒にいれたのに……
     本当に、ごめんなぁ……」

右手で、シャキンの髪を優しく撫でる。
この愛おしい男は、命を張って自分を守った。
そして自分は、命を賭けて守られた。
かつては互いに殺し合った事もあった。

しかし、今は違う。
殺し合って、認め合って、分かり合って、そして愛し合った。
自身の半身と言っても過言ではない。
それをあの女は汚し、傷つけた。

(`-ω-´)

ノパ听)「お前の作る料理、私は楽しみにしてるから。
     ……だから、ちゃんと元気になるんだぞ」

36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 22:37:00.32 ID:jndoWJS60
髪を撫でていた右手を、布団から出ていたシャキンの左手へと移して重ねる。
この左腕が、今まで沢山の料理を作り、ヒートを喜ばせてきた。
まるで魔法のように美味しい料理を作ってきた両腕は、今やこの左腕しかない。
もう、あのような料理を作ることは叶わないだろう。

残された左腕に出来るのは、精々茶を淹れる程度。
サンドイッチも、カレーも、肉じゃがも。
何も、出来ない。
きっと、目が覚めればシャキンは絶望してしまうだろう。

己の非力さを嘆き、ヒートに詫びる為、命を絶つかもしれない。
シャキンはそういう男だ。
自分の鉄則に真っ直ぐなシャキンは、ヒートの足を引っ張るぐらいならばそのほうがマシだと考えている。
生きているだけで十分だというのに、この男は不器用だから。

(`-ω-´)

ノパ听)「元気になったら、私に料理を教えてくれよ。
     お前の好きな料理を覚えて、たまには私がお前に料理を作るからさ」

重ねた手を、絡め合う。
シャキンの指がヒートの指と絡み合うが、シャキンの指は動かない。
それはあくまでも、ヒートが一方的に絡めているにすぎない。
今、シャキンに意識はないのだ。

(`-ω-´)

ノパ听)「お前と私で、一緒に料理をするんだ。
     なかなか悪くないだろ?」

38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 22:42:00.29 ID:jndoWJS60
シャキンの手から伝わる熱が、ヒートの心を落ち着かせる。
最愛の人の生きている証が、ヒートに力を与えた。
可愛らしい弟分であるシャキンの存在が、今まで何度もヒートに力を与えてきた。
最強を目指したヒートの欲求不満を解消したのも、シャキンだった。

その事を思い出して、ヒートは手に力を込めた。
これから挑む大仕事を前に、シャキンに会っていて良かった。
会うことなく挑んでいたら、きっと不安で完全に力を発揮できなかっただろう。
さて、そろそろ時間だ。

身を乗り出して、シャキンの唇に自分の唇をそっと重ねた。
握ったシャキンの手が、少し握り返してきた気がした。

【時刻――22:00】

病院を後にしたヒートは、集合場所である喫茶店に足を進めた。
いくらそこらを敵が警戒しているとはいえ、ヒートを捉えるのは雲を掴むような話である。
数多の戦場を駆け回り、幾多の死合いを勝ち残ってきた彼女を捉えようと思うならば、もっと力を入れて捜索しなければならない。
力に酔いしれてロクな警戒もしていない連中に見つかるほど、ヒートは優しくなかった。

待ち合わせ時間まではまだ後四時間はある。
シャキンの料理以外は口にしたくないのだが、今ヒートは空腹だった。
先に喫茶店に行って、何か先に料理を食べておこう。
そう考え、ヒートは早めに喫茶店に向かっているのだ。

喫茶店の前まで来て、そのまま扉を押し開く。
やわらかい光の蛍光灯が照らす内装は、最近の喫茶店にありがちなデザイン重視のそれだ。
シャキンの店とは対照的だった。
とはいえ、最も重要なのは店が出す品であり、決して内装や雰囲気ではない。

41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 22:47:01.98 ID:jndoWJS60
こんな時間に来店した客に対し、店主は営業スマイル全開で対応した。
閉店間際の暇な時間に来店され、内心では文句を言っているのにもかかわらず、店主の笑みにはその事は微塵も出ていない。
まぁ、口コミを重要視する喫茶店にとって、接客態度が悪いと噂されるのは賢明ではない。
その事を理解し、そして訓練を積んだのだろう。

「いらっしゃいませ。 お一人様ですか?」

近寄って来た店主に対し、ヒートは短く、二人だと告げる。

「では、こちらのお席へ……」

言葉使いが危うい。
所詮はマニュアルに従って言っているにすぎない言葉だ。
敬語やら何やら、そんな形式ばったものではなく、心のこもった言葉でいいのに。
シャキンのように、分け隔てなく人当たりのいい言葉の方が―――

―――結局、シャキンと比べてしまう。
案内された席に着き、ヒートはメニューを手に取った。
ラミネート加工されたメニュー表には、和食から中華まで、ありとあらゆる品目が揃っている。
本格的な食事ではなく、どちらかと言えば軽くつまめる程度の軽食が主だ。

ここは無難に、サンドイッチと紅茶を頼むとしよう。
手早く注文を告げ、ヒートは纏った布の下で腕を組んだ。
店主が営業スマイルの下に隠した負の感情。
どうにも気に入らない店主だ。

料理の腕前はどうだろうか。
ここで手を抜くか、それとも全力で来るか。
前者ならば容赦なく始末する。
後者なら、まぁ、こちらもそれに応じて全力で味わうだけだ。

42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 22:52:31.66 ID:jndoWJS60
おそらく、店主はこちらの格好と来店時間に対していい印象を持っていないのだろう。
それを口に出したら、槍で串刺しにしてやる。
不安定な心情で待っていると、店主がティーセットとサンドイッチを盆に乗せてやって来た。
鼻腔に届いた香りに、ヒートはたまらず眉を顰めてしまった。

これは、明らかにダストだ。
つまりはティーバック。
愛情がこもっているならばいざ知らず、明らかに手抜きの香り。
おそらく、香料で一部誤魔化しているのだろう。

偽物の香りも一緒に鼻腔に届いていた。
この香りで今まで客を騙してきたらしい。
店主の顔に浮かぶ笑みは、邪悪な気配を帯びている。
小馬鹿にしたような、そんな邪悪さだ。

ノパ听)「……」

とは言ったものの、ここで暴れるのは賢明ではない。
机に置かれたティーセットを、机の端に退ける。
こんな屑、飲むに値しない。
それを口に出さない代わりに、こうして退けるのだ。

続いて、サンドイッチが置かれた。
流石に、ここがヒートの我慢の限界だった。
見てくれは、まぁいいだろう。
せいぜい、コンビニに売っているサンドイッチのような外見だ。

先ほど厨房で作っているのを見たので、コンビニのそれと言うわけではないだろう。
それでも、これは酷い。
こんなのを、よくもまぁ恥ずかしげもなく客に出せたものだ。

44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 22:57:25.05 ID:jndoWJS60
「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」

ノパ听)「ガムテープを貸してくれ」

「はい?」

ノパ听)「ガムテープを出せと言っているんだ」

机の上に高級紙幣を叩きつけ、店主を一瞥。
金さえ出されれば、文句を言わない性格だと読んだのが当たった。
店主は笑顔のまま札を拾い、店の奥へと姿を消す。
少しして、店主はガムテープを手に戻ってきた。

「お待たせいたしました」

差し出されたガムテープを受け取り、ヒートは適当な長さにそれを引いて切る。

ノパ听)「まずは、その間違いだらけの口を黙らせてやる」

切ったガムテープを、店主の口めがけて投げつけた。
勢いよく口に貼り付き、店主は突然の事に驚き、目を見開いた。
だが、ヒートは店主が何か行動を起こすより早く動く。
ガムテープで店主の全身をグルグル巻きにして、蹴り倒す。

「もが?! もがあが!?」

もがく店主をよそに、ヒートは席を立つ。
そして、厨房に置かれていたフランスパンを片手に店主の元へ戻った。
口に貼りつけていたガムテープを剥がし、代わりに素早くフランスパンを突っ込んだ。

45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 23:02:21.99 ID:jndoWJS60
ノパ听)「手前、人を馬鹿にするのもいい加減にしろよ?
     仮にも料理人だったら、客に満足してもらおうとか考えないのか?
     まぁいい。 手前はそうやって、フランスパンでも味わってろ」

何か言いたげな目をこちらに向けて来たので、ヒートは睨みつけて黙らせた。

ノパ听)「はぁ…… 駄目だ、どいつもこいつも……」

店主をカウンターの裏に向けて、サッカーボールのように蹴り飛ばす。
ヒートの心を満たすのは、やはり何時だってシャキンしかいないのだ。
分かっていた事だけに、より一層空しくなる。
溜息と共に、ヒートは席に戻った。

出された料理に手を付ける事すら忘れ、腕を組んで目を閉じる。
ハインリッヒと合流するまで、こうして精神集中をしておいた方がいくらかマシだ。
と、思ったが。
空腹には勝てない。

とっておきの品を、ヒートは腰に下げた袋から取り出すことにした。
シャキンが作ってくれた巾着袋の中に入っているのは、これまたシャキンが作ってくれた簡易携帯食料。
一つ食べれば、ある程度の空腹を満たす事が出来る優れモノだ。
残り3つしかない貴重なモノ故、ここで食べるのは躊躇われた。

しかし、この出来そこないのサンドイッチで空腹を満たすのだけは断固拒否する。
取り出した簡易携帯食料を、もそり、と口にした。
疲労回復を狙ってのチョコレート味。
口当たりは乾いているが、噛むにつれて次第に深みのある味が染み出てくる。

48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 23:07:02.29 ID:jndoWJS60
甘くて苦い、ビターの風味。
誰が言ったかは知らないが、チョコレートは恋の味らしい。
それは、とても的を射ている言葉だと思う。
会えないだけで、それだけでこうも切ない気持ちになるのか。

無意識の内に、ヒートの頬から涙が流れていた。
気が付いて、止まれ、止まれと思うも無意味。
思えば思うほど、どんどん涙が溢れ、歯止めが効かない。

―――チョコレート味が、少しだけしょっぱくなってしまった。

【時刻――02:00】

从;゚∀从「なん……だよ、その格好は?」

ヒートの姿を見たハインリッヒの第一声からは、珍しく動揺の色がハッキリと聞いて取れた。
掴みどころがないかと思われていたハインリッヒが、ここまで露骨に感情を露わにしてしまったのも無理はない。
何せ、草臥れた色の布を肩から纏うヒートの格好は、明らかに時代錯誤もいいところなのだ。
頭に付けた髪飾りにしても、思わず首を傾げざるを得なかった。

どう控えめに見ても、"これから強襲や奇襲"をする格好には見えない。
もっとも、"ヤーチャイカ"の最終的な主任務は敵の注意を引きつける事にあるので、ある意味最適な格好ではある。
だがしかし、それはその時間がやってきてからの話だ。
それまでの間、二人は誰にも見つかってはいけないし、気取られても怪しまれてもいけない。

肩から下を全て覆い隠す布を纏うヒートの格好では、怪しむなと言うのが無理だった。
荒野を流離う旅人じゃああるまいし、何故この様な格好をしているのか。
流石のハインリッヒも、この格好の理由は皆目見当もつかなかった。
思わず自分に与えられたもう一つの任務を忘れてしまう程に、ヒートの格好は奇抜だった。

49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 23:12:00.35 ID:jndoWJS60
ロマネスク一家の本部から解散した後、ハインリッヒとヒートはとある喫茶店で待ち合わせをしていた。
ハインリッヒにはそれなりの準備が必要だったし、装備を整え、準備万端にするのは当然の事である。
普段は使わないチンクエデアを準備し、動きやすい格好をするのにはやはり時間と手間がいる。
ごく自然なチョイスをし終え、ハインリッヒが待ち合わせをした喫茶店に来ると、既にヒートが席に腰かけていた。

ところが、そのヒートの格好が奇抜極まりない物であった為、ハインリッヒは堪らず動揺混じりの声を上げたのだ。

ノパ听)「なんだよって、何が?」

ハインリッヒの動揺など全く気にも留めない様子で、ヒートは机に置かれていたサンドイッチを口に入れた。
サンドイッチを一口で平らげ、ヒートは不機嫌そうに眉を顰めた。
軽く舌打ちをして、ヒートは席を立つ。
そして、カウンターまでゆっくりと歩きながら独り言ちる。

ノパ听)「……ちっ、やっぱり不味ぃ。
     ここの店主はサンドイッチの作り方も知らないのか。
     ハムはプレス、レタスは買い置きで水気が無い、トマトは熟れ過ぎ、おまけにマヨネーズは市販。
     パンはパッサパサ、量は少なめ、値段は高過ぎ。

     サンドイッチ1つまともに作れないなんて、ここの店主は料理人失格だな」

カウンターの上に、乱暴な手つきで一枚の紙幣を置く。
布の下から覗いたヒートの手には、深紅のガントレットが付いていた。
ヒートの格好にいよいよハインリッヒは、変人を見るような目線を向ける。
律儀に料金を支払いながらも文句を述べたヒートは、ふとハインリッヒの瞳を見据えた。

ノパ听)「……私の格好がおかしいって言いたいんだろうが。
     でもな、お前は人の事を言える立場なのか?」

从 ゚∀从「何が、だ?」

50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 23:17:03.49 ID:jndoWJS60
ヒートは口元を僅かに釣り上げ、意味ありげな微笑を浮かべた。

ノパ听)「さぁな? 質問に質問で返す奴に答える程、私は律儀じゃあないんでね」

それを聞いたハインリッヒは、内心で大きく息をのんだ。
ひょっとしたらヒートは自分の正体に気付いているのだろうか。
否、そんな筈はない。
この動揺だけはどうにか押し殺し、ハインリッヒは肩を竦めておどけて見せた。

从 ゚∀从「あぁ、そうかい」

手慰めに弄っていたお絞りを机の端に置き、ハインリッヒは懐から一枚の硬貨を取り出した。
一応、店の使用料として、それをカウンターへと投じる。 
ちょうど、ヒートの置いた紙幣の上へとそれは落下し、回転した。
徐々に回転が速まるそれに、ヒートは目もくれない。

代わりに、ヒートはカウンターに寄りかかる。

ノパ听)「……だけど、今は事情が違うんでね。
     あえて、言わせてもらうとしようか」

完璧なポーカーフェイスで動揺を覆い隠し、ハインリッヒは無関心を装う。
構わず、ヒートは意地の悪い笑みを浮かべた。

ノパ听)「どうして、手前が"生きて"ここにいる?
     えぇ? ハインリッヒ・高岡。
     いや、……渡辺・フリージアと呼んだ方がいいかな?」

从 ゚∀从「おかしな奴だ、私はそんな名前じゃあないさ。
      私はハインリッヒ・高岡だ。 渡辺なんて女、知らないね」

52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 23:22:00.70 ID:jndoWJS60
ハインリッヒの返答に、ヒートは少し身を乗り出す。
まるで、凄腕の逆転弁護士が相手の矛盾を見出したかのように。
自信に満ちた目で、ハインリッヒのポーカーフェイスの下を覗き込むようにして、ヒートは続ける。

ノパ听)「おや、おかしいね。
     私がいつ、"渡辺が女"だなんて言った?」

容赦のないヒートの追求ではあったが、ここで動じるハインリッヒでは無い。

从 ゚∀从「そりゃあそうさ、私と"その渡辺"を比べるってことは、少なからず共通点があるって事だ。
      となれば、その内の一つが性別だなんてすぐに想像が出来る」

ノパ听)「なるほどな、じゃあそれでもいい。
     これから私は独り言を言うが、お前は気にしなくていいぞ」

回転が終わって紙幣の上に倒れていた硬貨に人差し指を乗せ、ヒートはどこか遠くを見て独り言ちる。

ノパ听)「私の邪魔さえしなければ、今回のところは見逃してやろう。
     それだけだ」

それだけ言って、ヒートは人差し指に軽く力を込める。
鈍い音と共に、硬貨が下の紙幣と共にカウンターにめり込む。
そのまま颯爽と席に戻ったヒートは、席に置かれていたすっかり冷めた紅茶を口に運ぶ。
案の定、ヒートは眉を顰めた。

ノパ听)「……不味ぃ。
     本当に美味い紅茶ってのは、冷めても美味いもんだ。
     そうは思わないか、"ハインリッヒ"?」

54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 23:27:01.68 ID:jndoWJS60
从 ゚∀从「……あぁ。 そうさね」

そう言いつつ、ハインリッヒは席を立つ。
そして、カウンターの奥へと行き、ティーセットを取り出した。
慣れた手つきでお湯を沸かし、茶葉をポットに入れ、準備を整える。

ノパ听)「ほう、手前はちゃんとした紅茶が淹れられるのか?」

从 ゚∀从「まぁな。
      味の補償はしないが、飲むかい?」

ある程度の準備を整え終えると、ハインリッヒはふと視線を足元へと移した。

从 ゚∀从「ところで、こいつ、どうする?
      殺すのか?」

カウンターの裏、その床の上にガムテープで両手足を縛られ、口にフランスパンを突っ込まれた男が一人。
この店の店主である男は、ハインリッヒの静かな殺意の宿った目線に怯え竦む。
悲鳴を上げているのだろうが、残念ながら口に入ったフランスパンがそれを邪魔している。
ハインリッヒはごく自然な動作で、後ろ腰に差しているチンクエデアへと手を伸ばす。

「もが、もがああああ!」

いよいよ恐怖に耐えられなかったのか、男は形振り構わず暴れだした。
音もなく抜き放たれたチンクエデアの刃に、恐怖に歪んだ男の顔が反射する。
嗜虐的な笑みを浮かべつつ、ハインリッヒはその切っ先を男の鼻面へと向けた。
だがしかし、チンクエデアが男の血を啜り取ることは遂になかった。

55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 23:32:08.09 ID:jndoWJS60
ノパ听)「殺す必要はない、だが、死に値する男だ。
     料理人として最低の屑だ。
     生きる価値すらない」

さして興味もなさそうにそう呟いたヒートの言葉によって、男の寿命は延びることとなった。
ヒートの来店に対して杜撰な対応を見せなければ、あるいは男は今の様な状況に陥ることはなかったのかもしれない。
おまけに、適当極まりない料理を出してしまったのが、男の運の尽きだった。
料理を目の前に出されたヒートが、魔法の様に男を縛りあげ、カウンターの後ろに放り投げた時にはもう遅い。

男は後悔する間もなく、無残な格好を強いられてしまったのである。
そして、その事情をそれとなく悟っていたハインリッヒはこの男に微塵の同情も抱く気はなかった。
一応、ハインリッヒ。
―――否、"渡辺"も料理に対してはそれなりのこだわりと言うものがある。

ロマネスク一家に居た際に、渡辺はロマネスク達の料理を作っていた。
その経験から、料理に対しては人一倍強い思いがある。
この男がヒートに出した料理の数々は、一目見ただけでそれが手抜きであることが見抜けた。
ヒートが怒ったのも十分理解できる話だ。

从 ゚∀从「……だ、そうだ。
      よかったな、命拾いできて」

チンクエデアを腰へと戻し、ハインリッヒは男から目を外した。
ガラスの容器に入った茶葉を揺らして広げ、茶葉の上に沸騰したお湯を注ぐ。
そして蓋を閉じ、ゆっくりと"その時"が来るのを待つ。
茶葉から入れる紅茶において、"その時"というのは即ち"プリマドンナ"。

60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 23:37:00.24 ID:jndoWJS60
ガラスの容器でしかまともに視認できないその現象は、見ている者を不思議な気分にさせる。
お湯を注いで舞い上がった茶葉が沈み、たった一枚だけふわりと浮かび上がった茶葉。
それこそが、"プリマドンナ"。
その時が来たら、容器の蓋の上に付いた棒を丁寧に押し込む。

文字通り淹れたての紅茶を、手際良く2つのティーカップに注いだ。
それを両手に、ハインリッヒはヒートの席へと足を運ぶ。

从 ゚∀从「ほれ。
      最初に言っておくが、美味いかどうかの保証はしないぞ」

向かい合って席に付き、ハインリッヒはヒートが紅茶を手にするのを待つ。
ヒートは、カップを手にすると、それを口元へと運んだ。
だが、まだ口は付けない。
香りを十分に堪能し、そうしてようやくカップへと口をつけた。

数十秒の間を置き、ヒートは口を開いた。

ノパ听)「香り、味、温度、量。
     どれも申し分ないな。 だが、あと1つだけ足りないな」

从 ゚∀从「ほう? そりゃあなんだ?」

ヒートの言葉に、ハインリッヒは自然を装って尋ねる。
どこか遠くを見て、ヒートは珍しく寂しげに呟いた。

ノパ听)「……愛情が、足りないな」

61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 23:42:17.94 ID:jndoWJS60
いつもなら、ハインリッヒはその言葉を鼻で笑っただろう。
だが、ヒートの言葉には冗談の色は一切ない。
それに、ハインリッヒにもヒートが言わんとする言葉の真の意味を理解していたからだ。
料理の美味い不味いを最終的に決めるのは、食材ではない。

料理人の腕や、調理器具などは二の次。
自ら作った料理を美味しく食べてほしいと願う気持ち。
すなわち、愛情こそが最終的に料理の真価を決めるのだ。
ロマネスク一家に居た時に、その事を教わった。

从 ゚∀从「なるほどねぇ。
      でも、残念だけどあんたに愛情を注いで料理をする趣味はないんでね。
      今度は愛情を注いで料理してくれる人に、頼むんだね……ッ?!」

瞬間、ハインリッヒの背筋が絶対零度にまで冷えた。
ほんの一瞬だったが、ハインリッヒの本能は確かに感じ取った。
圧倒的なまでの殺意。
おそらく、ギリギリまで圧縮していたヒートの殺意がハインリッヒに触れたのだ。

常人ならば間違いなく、その殺気に触れただけで失神していただろう。
その証拠に、先ほどまで唸っていた店主が死人のように黙りこんでいる。
アンモニア臭がしないだけまだマシだった。
こんな場所で失禁されてしまえば、折角の紅茶の香りが台無しだ。

从 ゚∀从「……で、後どのくらいで動き始める?」

気を取り直し、ハインリッヒは自分の紅茶を啜る。

ノパ听)「お前がそれを飲み終わってからでいいだろう」

63 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 23:48:03.92 ID:jndoWJS60
カップの中は、後半口で飲みきれる量だ。
一気にそれを飲もうとして、だがそれは無言の圧力によって制された。

从 ゚∀从「……なんだよ?」

ノパ听)「一つ、言い忘れてた事があってな。
     連中の中で、背の高いスカした女がいたら、そいつは私の獲物だ。
     絶対に手を出すな」

ヒートの警告に、ハインリッヒは頷く。
残りを飲み干し、溜息。

从 ゚∀从「じゃあ、行くか」

席を立ち、壁掛け時計に目をやる。
数分後に、"トリック・スター"が始まる。
もはや、マフィア戦争の域では収まらないほどの大規模戦闘。
戦争に限りなく近い内戦だ。

ここまで大事にしてまで、相手は一体何を望んでいるのだろうか。
金か、名誉か、名声か、権力か?
フォックス・ロートシルト。
あの女の思考は理解できない。

元水平線会会長の荒巻まで絡んだだけでなく、その他の有力者。
それらが結託してまで、目的は本当に復讐だけだろうか。
否、あり得ない話だ。
復讐だけなら、歯車祭に合わせて騒ぎを起こす必要などない。

つまり、歯車祭でしか連中の目的は達成できないのではないか。

64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 23:53:04.15 ID:jndoWJS60
ノパ听)「何を考え込んでるかは知らないが、さっさと行くぞ」

从 ゚∀从「あ、あぁ……」

ヒートに急かされ、ハインリッヒは店の扉を開け放つ。
外は、豪雨が上がり、濃霧が出始めていた。

从 ゚∀从「……ん?」

ふと、足元に感じた違和感。
何か、分厚い紙の束を踏んだらしい。
気になってその場に屈み、違和感の正体を手に取る。
それは、新聞の朝刊だった。

从 ゚∀从「んだよ、新聞かよ……」

何の気なしに、拾い上げた新聞の一面に書かれている文字列に目を走らせる。
文字を読み進めるにつれ、ハインリッヒの表情が硬くなった。

从 ゚∀从「おい、ヒート。 これ見てみろ」

後ろのヒートへとそれを投げてよこす。
片手で受け取ったヒートも、一面の記事に目を走らせた。
そこに書かれていたのは、今回の騒動の事実が歪曲された記事。

66 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/20(日) 23:58:02.13 ID:jndoWJS60
ノパ听)「流石に、民間人が籠った事に気付いたか……
     籠った人間相手に有効な情報戦となれば、メディアの制圧。
     新聞なんて、あっという間に制圧できる、か。
     日頃叫んでる報道魂はどこにいったんだかな」

舌打ちをして新聞を握り潰す。
ピンポン玉ほどに潰された新聞を、そのまま背後に放り捨てた。
石のように硬くなったそれが、気絶している店主の頭に当たる。

从 ゚∀从「そうさね。 結局、書くのも人間、読むのも人間ってわけさ。
      おそらく、インターネットの方もフォックスの手で変えられてるな」

ノパ听)「現代戦の鏡だな、まぁ気にするまでもないさ」

何せ、とヒートは呟いた。

ノパ听)「死体の数が増えるだけの話だからな」

【時刻――02:30】

戦乙女と雌豹が、濃霧の満ちる戦場へと解き放たれた。

68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/21(月) 00:03:00.58 ID:Tzp+q5vc0
【時刻――02:31】

濃霧に包まれた大通り。
視界が全く効かない中を、ゼアフォー達は駆けていた。
彼らの仮面に搭載されている高性能カメラが機能しない今、彼らは都の地図を頼りに駆けるしかない。
手にしたアサルトライフルを腰だめに構えながら、息を切らせることなく駆ける。

全ての反応が消えた地域へと駆ける中、戦車隊もその地域へと急いでいた。
無限軌道が地面を掻き進み、独特の音が響き渡る。
スピーカーから流れてくる音楽を相殺するようにして、振動音が大通りに満ちていた。
戦車を護るようにして、その周りに数体のゼアフォーが配置されていて、共に目的地へと進んでいる。

フォックスの采配によって、穴はすぐに埋められる仕組みだ。
だかしかし、ゼアフォー達はフォックスの利があろうとも決して安心できなかった。
今回の異変は、何かおかしい。
データ化された思考でも十分に感じ取れるこの違和感。

裏社会の人間が何かを仕掛けて来たのか?
あり得ない。
"灰燼の女王"は、そんな隙も暇も与えなかったはずだ。
祭りの準備で油断しきった連中に、この展開は予想できるはずがない。

出店から脱出できたのは、単なる偶然だろう。
そう思い込もうとしても、どうしても納得できない。
こちらの作戦の情報が事前に漏れていなければ、ここまで迅速な対応が出来るはずがない。
無論、こちらの中に情報を売り渡すような真似をする輩がいるとは思えない。

70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/21(月) 00:08:07.79 ID:Tzp+q5vc0
となれば、消去法によって残された可能性は1つしかなかった。
こうなる事を事前に予測していた、その1つだけ。
"女帝"ならば、あるいは可能かもしれないがそれにしても有り得ない。
有り得ては、いけないのだ。

業腹に身を任せなくて済んだのは、単に彼らの感情が排除されていたからだった。
もしも、彼らに余計な感情が残されていれば冷静な判断すらままならず、疑心暗鬼に苛まれていただろう。
だが、彼らはより洗練された人間としての立場を確立している。
故に、彼らに動揺は有り得るはずもなく、気味が悪いほどの冷たい思考で事態の全容を考える。

彼らの長所が致命的なまでの隙を生み、その結果彼らが楽観視していた事態がより悪化する事を予測できたのは。
都でも五指に収まる実力者だけだった。
"女帝"デレデレ、"帝王"でぃ、"魔王"ロマネスク、"戦乙女"ヒート。
そして、"歯車王"だけである。

異常事態の中心地、歯車城の東部に位置するポイントに到着した途端。
それまで彼らの視界を遮っていた濃霧が、嘘のように晴れた。
まるで、魔法だ。
そう考える感情を持ち合わせていなかった彼らの思考は、プログラムに従って反射的にデータリンクに接続していた。

気象情報のデータリンクに接続したその間は、時間にして約一秒。
それだけで、彼らが絶望という感情を思い出すのには十分だった。
濃霧が晴れたのと同時。
辺りには、自分たちと同じ姿の死体が転がっていたのだ。

瞬間、一番初めに到着したゼアフォーの視界が、赤に染まっていた。

71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/21(月) 00:13:02.51 ID:Tzp+q5vc0
その色の正体は皮下循環剤ではなく、"戦乙女の装着したガントレット"だと知るのは、彼の頭がトマトのように握り潰されてからの事だ。
それを見咎めたゼアフォーも、仮面ごと顔面をチンクエデアに貫かれて地面に倒れこむ。
それが契機。
辺りから一斉に銃声が鳴り響いた。

対処する間もなく体を穴だらけにされ、数多の残骸が出来上がった。
濃霧が晴れてしまえば、彼らゼアフォーの自慢の仮面はその真価を発揮する。
熱探知を利用して、銃撃を仕掛けて来た愚か者を探し出す。
熱源は、周囲の建物、路地裏、出店、ありとあらゆるところから検知された。

遠くから、甲高いバイクのエンジン音が鳴り響いた時。
都中に設置されていたスピーカから鳴っていた音楽が、ピタリと止んでいる事に気が付いた。
しかし、それどころではない。
より洗練された機能の為に、周囲の些細な変化に気を取られた事が彼らの死期を早めた。

至近距離ではない、そう考える間もなく急所を穿たれて一体のゼアフォーが倒れこんだ。
遠方、距離にして400メートル程の場所からの狙撃。
その狙撃の主が誰なのかを探るよりも先に、彼らは目の前の脅威に全神経を注がざるを得なかった。
彼らの最優先確保目標である"戦乙女"、素奈緒ヒートが現れたのだ。

手にしたアサルトライフルの銃口を、今し方味方を握り潰したヒートへと向ける。
だが、銃爪を引く暇を与えるほどヒートは遅くない。
手にした長槍が暴風を纏って周囲を薙ぎ払い、二分割された体が遅れて地面に倒れこむ。
冷静な判断も、この場合は無駄だった。

この場合、判断する暇があったら真っ先に逃げるべきだったのだ。
本能と恐怖に身を任せ、この場から遁走する事が彼らの最善の選択だった。
しかし、冷静な判断をしてからしか彼らは行動が出来ない。
その制限こそが、ゼアフォーの数少ない弱点の一つである。

72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/21(月) 00:18:00.72 ID:Tzp+q5vc0
引き裂かれ、そして吹き飛ばされたゼアフォー達を見つめるヒートの瞳には、怪しげな光が灯っていた。
まるで、目の前の殺戮を楽しむかのような暗い光。
それでいて、一つの目標だけは忘れていないような力強さ。

( ∴)「全部隊へ緊急通達、ポイントf北部にて交戦。
    敵の数は不明。
    同時に、ハインリッヒ・高岡、素奈緒ヒートの存在を確認。
    これより、迎撃、撃滅する」

ヒートとハインリッヒはあえて、敵にこちらの存在を告げさせた。
これで、敵の注意の多くはこちらに向く。
背後で援護射撃をしている味方に、これによって多少は逃げる隙が生まれるだろう。
あくまで初撃は敵の数を減らす為、本格的に殲滅するためにはまだ早い。

少人数で多人数を撃滅せしめる為には、練りに練られた作戦が必要である。
圧倒的に戦闘力の高いヒートとハインリッヒが敵を食い止めている間、その他の戦闘要員は次なる場所へと移動。
後は、敵がこちらの作戦にハマってくれればいい。
"カトナップ"が炙り出した敵がこちらへと流れるよう仕向けられている段階で、作戦は順調だ。

さて、ヒートとハインリッヒの存在を告げた敵の首が吹き飛んだ時。
ようやく戦車隊が問題の場所へと到着した。

ノパ听)「戦車か…… 相手にとっては不足なしだ」

槍に付着した血を振り飛ばし、ヒートは槍を旋回させる。
四方八方から放たれている銃弾を払い落しながら、ヒートは嘯いた。
対して、その背中を護るようにしてチンクエデアで奮戦しているハインリッヒは、呆れた声で答える。

从 ゚∀从「残念だけど、私にゃ無理だ。
      それに、戦車相手は別の奴の役割だろ?」

75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/21(月) 00:23:01.24 ID:Tzp+q5vc0
飛び交う銃弾の中でも、ヒートの声には余裕がありありと聞いて取れる。

ノパ听)「だから、お前は自分の好きに動いていいぞ」

予想だにしない一言に、ハインリッヒは驚きを隠せなかった。
今の状況では、一人でも戦力が必要なはずだ。
それも、ヒートほどではないが戦闘力の高いハインリッヒが抜けるとなると事は重大である。
そんなことぐらい、気付いているはずなのに。

ノパ听)「連中は私を歯車王と勘違いしている。
     となれば、優先順位でいけば私が1位だ。
     お前がいなくても、こっちは十分廻るさ」

群がるゼアフォーを切り払いつつ、ヒートはそう言った。
ハインリッヒは確かに、別の任務があるため、遅かれ早かれこの場を離れる必要があった。
ヒートの言い分にも一理あるが、しかし、いまいち納得がいかない。
後に援軍が来るとは言え、単独でこの場に残るのは賢い選択とは言えないからだ。

あえてこの道を選ぶ利が、ハインリッヒには思いつかなかった。
その答えを、代わりにヒートが答える。

ノパ听)「ショボン、とか言う奴からの指示でな。
     それに、こうしてれば私の目的の奴が来る確率が上がる。
     ほら、さっさと行け!」

一際強く、ヒートの槍が周囲を薙いだ。
この力強い援護を受けてハインリッヒは意を決し、駆けだした。
一人残ったヒートは、ハインリッヒがどうにか抜け出せた事を遠目に確認すると、短く息を吐いた。
気合いと共に、槍が突き出される。

78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/21(月) 00:29:23.77 ID:Tzp+q5vc0
一陣の颶風が吹いたかと思うと、槍の先端に5体のゼアフォーが串刺しになっていた。
ゼアフォーを串刺しにしたまま、その状態でヒートは槍を振り回す。

ノパ听)「さぁて、私のストレス解消に一役買ってもらうとするかね」

槍から抜け飛んだゼアフォーの死体が、突如空中で爆散した。
その正体は、到着した戦車から容赦なく放たれた砲弾。
半瞬遅れて響いた砲声が、それを裏付ける。

( ∴)「囲め。 いくら相手が化け物とはいえ、囲めば勝機はこちらにある」

一斉に飛びかかって来たゼアフォーを援護するようにして、これまた一斉に銃声が響いた。
だが、彼らはヒートの本気の実力を知らない。
あくまでも、データにある戦闘情報のみでヒートを判断しているにすぎない。
その過ちを、ヒートが目に物見せた。

( ∴)「ばっ……?!」

一斉に撃ち放たれた銃弾は、確かにヒートに命中した。
しかし、ただの一発としてヒートに傷を付けるに至っていない。
5.56mm弾の直撃を受けても傷が付かないだけでなく、ヒートは全く意に介していない。
一斉に飛びかかったゼアフォー達がデータリンクにアクセスする中、ヒートは無慈悲な一閃を放つ。

ボトボトと崩れ落ちる死体。
瞬く間に山となった死体の中で、ヒートは姿勢を低く戦車に向かって駆け出した。
流石に62tの鋼鉄の塊である戦車だけに、その威圧感は尋常ではない。
戦場で出くわしたら、まず立ち向かおうとは思わない。

79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/21(月) 00:34:01.12 ID:Tzp+q5vc0
だが、ヒートには関係ない。
戦車の主砲である120mm滑空砲が、竜の咆哮のように火を噴く。
紙一重で砲弾を回避し、更に姿勢を低くする。

ノパ听)「戦車如きが、調子に乗るな!」

戦車御自慢の砲身を切り裂き、ヒートは戦車の上に飛び乗る。
この戦車、M1A2エイブラムスの乗車員は4人。
その人員配置は、非常に密集している。
仕方がない事とは言え、これがある意味この戦車の弱点である。

思い切り、槍先を運転手の位置に突き刺す。
確かな手ごたえ。
引き抜き、今度は車長へ。
急いで引き抜き、今度は砲手。

屈強な追加装甲を装着したエイブラムスではあったが、ヒートに対して意味がない。
残るは装填手。
だが、ヒートは装填手に引導を渡すよりも早くその場を飛び退いた。
直後に飛来した砲弾が、役立たずになり下がったエイブラムスへと着弾した。

ヒートを仕留める為なら、味方ごと吹き飛ばすのも辞さない考えのようだ。
それまでヒートの居た位置に命中した弾は、エイブラムスを破壊するには至っていない。
1km先からの遠距離砲撃。
なかなかに侮れない。

爆煙が晴れ、僅かな凹みが出来た装甲へとヒートは再度飛び乗る。
ハッチから体を出した装填手の首を刎ね、その場からゼアフォーが群れている一角に跳び込んだ。

( ∴)「?!」

81 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/21(月) 00:38:00.79 ID:Tzp+q5vc0
こんな戦い方、データリンクにはない。
ゼアフォー達はただ、ヒートの本能のままに動きまわる戦い方に、成す術なく蹴散らされた。
随時更新されるデータリンクの穴を知っているのか、ヒートは動きを読ませない。
こうなってしまえば、流石のゼアフォー達も案山子と同義だ。

槍を地面に突き立て、ヒートは棒高跳びの要領で高々と跳ぶ。
間髪いれずに四方八方から飛来した銃弾が、それまでいた地面に小さなクレーターを作りだした。
着地と同時、遠方から戦車砲の追撃。
こればかりは、槍で叩き落とす。

だが、別方向から同時に放たれた砲弾が―――

ノパ听)「ん?」

―――命中した。
途端に爆炎と爆発に包み込まれたヒートの姿は、爆煙に隠れる。
銃弾を止められても、戦車砲を止められるはずがない。
周囲のゼアフォー達は勝利を確信した。

―――だがしかし、彼女は戦乙女。

ノパ听)「……流石にいてーな」

一瞬で晴れた爆炎の中で、髪一つ乱れず、ヒートはその場に直立していた。
ヒートにとって、突き出した拳で砲弾を殴り壊す事など造作もない話だ。
その事を、ゼアフォー達は驚愕と共に学習した。

ノパ听)「ちっ、あいつはまだ……?」

83 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/21(月) 00:44:01.89 ID:Tzp+q5vc0
刹那。
ヒートはどこからか飛んできた分銅を、紙一重で避けた。
鎖に繋がれた分銅が、持ち主の元へと戻る。
周囲の銃声は消え、鎖の擦れる音だけが、今のヒートの耳朶に届いていた。

ノパ听)「……待ってた、あぁ。
    この時、この瞬間を待っていたぞ!」

歓喜と怒りに打ち震える声で、ヒートは槍を構え直す。

ノハ#゚听)「鈴木…… ダイオォォォォォドォォォォォォォォオ!」

/ ゚、。 /「……お久しぶりですね、素奈緒ヒート!」

戦乙女の咆哮が、大気を振動させる。
対する"番の戦乙女"は、冷静に得物を手に舌なめずり。
相対する二者の間にあるのは、怒りと好奇。

―――何もかもが真逆な戦乙女達が、それぞれの思いを胸に激突した。

第二部【都激震編】
第二十六話 了


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