('A`)と歯車の都のようです

13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/26(土) 23:52:20.57 ID:tZs4B+F60
歯車の都には様々な種類の人間が住んでいる。
危険極まりない裏社会に生きる者もいれば、表社会で堅実に生きる者もいる。
生まれた場所と育った環境次第でその後の境遇はいくらでも変わるが、少なくとも女子供、年寄りには表社会の方が過ごしやすいのは間違いない。
安定した人生を過ごして朽ち果てたいのであれば、これ以上は無いぐらいに表社会の環境は整っているからだ。

娯楽施設は大小合わせて三桁近くあり、常に新たな方法で客を楽しませてくれる。
休日ともなれば施設は親子連れや恋人達で賑わい、笑顔と笑い声が絶えない。
噂を聞きつけた観光客も途切れることなく都を訪れ、娯楽を提供する業界は潤いに潤っていた。
ただ、ほんの少しでも潤う努力を怠った場合、厳しい自然淘汰の末、その企業は日を置かずに都から撤退を余儀なくされた。

歯車の都は、不動産から衣類に至るまで、ありとあらゆる技術水準が世界最高だと謳われている。
その中でも長い間注目され続けているのが、医療関係の技術だ。
寿命を伸ばし、治療不可能と言われていた難病を駆逐し、失われた手足を取り戻す魔法の様な技術。
500年前に生み出された技術の恩恵にあやかろうと、世界中にいる多くの大富豪達が連日のように訪れ、治療を受けている事は有名だ。

人の持つ欲求を満たす万物が溢れ返るこの都には、貴賎貧賎を問わずに世界中の様々な人間が集まって来る。
ある者は癌を治療する為に。
ある者は、年々訪れる老いを隠す為に美容整形を。
またある者は、一旗揚げようと胸に夢と希望を抱いて。

表社会の高級マンションの一室で、祖父母と笑顔で会話を交わしていた一人の少年が、不意に不安を覚えたのは、何故だったのだろうか。
歯車が組み込まれた医療器具に繋がれた祖父母の存在が、希薄に思えたのはどうしてか。
心臓と脳に繋がっている機械は、これまで一度だって不具合を出したことは無いと云うのに。
機械が狂えば、祖父母は生命維持が出来なくなって死んでしまう。

少年が感じた不安の正体は、正にそれだった。
今は目の前で元気な姿を見せているが、万が一の事態があるかもしれない。
とりあえず少年は深く考えようとはせず、祖父母といつもより少し長く話すことにした。
きっと大丈夫、と言い聞かせる。

21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/26(土) 23:56:01.38 ID:tZs4B+F60
ただの気のせいだ。
明日も、明後日も。
だから気にしなくていい。
少年は、何時しか先程までの不安を忘れ去っていた。

幼い少年には、まだ分からなかったのだ。
この都全体を巻き込んだ巨大な歯車が、軋みを上げて廻っている事に。
そしてその歯車が、少年の望んだ未来を擦り潰す事もまた、知らなかった。
いや少し、違う。

何も知らない者の日常が。
未来が。
他の思惑によって蹂躙される事など、誰も想像していない。
想像など、出来る筈もなかった。





―――歯車は、無知な者を嘲笑う様に終焉へと向かって廻っていた。





23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/26(土) 23:57:12.28 ID:tZs4B+F60





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      ('A`)と歯車の都のようです






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27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:00:09.94 ID:kMmb1+Jh0
灰色の雲が都の空を覆っている。
陽の光は差し込まず、今にも雨が降りそうな空模様だ。
しかしながら、周囲は朝から昼に至るまで一定の明るさを保ち、不穏な景色をより一層強調している。
正しい時刻を刻む時計がなければ、この状況下で正確な時間を把握する事は、極めて困難だろう。

都の様々な場所。
主に、人の通りが多い表通りと大通りに設置された街灯は、白い光を昼にも拘わらず煌々と発している。
等間隔で設置された街灯の下、綺麗に舗装されたアスファルトの道の上を人々は行き交う。
都の空模様に関して文句の声が、人の波の間からちらほらと聞こえてくる。

そう云った手合いは例外なく都に来て日が浅く、この都で生活して一年と経っていない者の証で、それを公言している様な物だ。
一年も過ぎれば、この天気に嫌でも体が順応してくる。
時折降り出す豪雨や、朝方に発生する濃霧にも意識を向けることは無くなる。
そして遂には無関心となり、文句を言わなくなるのだ。

今朝の濃霧で観光客が数名行方不明になったが、それは日常茶飯事。
むしろ、あの濃霧の中に外出すれば、都に長年住んでいる者でさえ瞬く間に方角を見失ってしまう。
この場合、都に不慣れな人間が好奇心で濃霧の立ちこめる中に外出する方が悪い。
観光用のガイドブックやインターネットの口コミで、この都の濃霧について書かれている事が時折ある。

霧の都と呼ばれた国の霧を彷彿とさせ、文字通りの五里霧中の状態を味わえる。
決して一人で行動せず、濃霧が出ている間は、外出を控えた方が賢い。
ただ、この濃霧は未だかつて、経験した事のない恐怖を教えてくれるだろう。
表現は異なるが、書かれている内容は大体こんな感じだ。

恐らく、記事を読んで外出した観光客は、皆こう思っていたに違いない。
"自分だけは大丈夫"。
"何かあれば、携帯電話を使えばいい"。
"二人いれば、どうにかなる"。

33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:04:02.63 ID:kMmb1+Jh0
日頃から己の無力さを知る機会の少ない彼等にとって、そう考えるは仕方のない事だったのかもしれない。
この都で"自分だけは"などと云う考えを持っていいのは、一部のごく限られた人間だけ。
たかが一観光客に、言わずもがな、その資格はない。
それに気付いた時には、何もかもが手遅れになっている。

濃霧の中では電子機器の調子が悪くなり、耐久性の強い携帯電話でない限りは、使用出来ないと考えた方がいい。
近年発売されているデザインと機能重視の物は論外で、最低でも防水仕様は必須だ。
仮に頑丈な携帯電話を持ち、なお且つ複数人で行動していたとしても、それは気休め程度の意味しか持たない。
彼等に迫る脅威もまた、常にその数を上回る人数で行動しているからだ。

表通りが存在する以上は、やはり裏通りと呼ばれる場所が存在する。
西を表、東が裏と呼ばれている事は、どのガイドブックにも書かれていない。
危険地域を理解していない観光客が運悪く裏通りに足を踏み入れたとしたら、後は余程悪運が強く無い限り生き残る事は不可能。
行方不明になる者の多くは、脂肪のついた己の感覚を信じて彷徨った挙句、裏通りに足を踏み入れた愚か者だった。

運よく表通りに止まる事が出来れば、恐ろしい思いをするだけで、無事に生還を果たす事が出来た。
後日彼等がブログや口コミでその濃霧の事を周囲に知らせる事もあるが、多くの者は恥ずかしさから、それをしなかった。
知らせても笑い話で終わるか、更なる好奇心を掻きたて、新たな餌をおびき寄せる事となる。
歯車の都にとって、何一つ、不利益を被る事は無かった。

濃霧で行方不明になった観光客の末路や裏通りの事を、都の出版社は絶対に記事にはしない。
裏通りを塒にしている人攫いによって人身売買が行われていると公になれば、観光客の足は遠のき、巡り巡って出版社にも影響を及ぼす。
自社の存続を優先して、不利益に繋がる情報は悉く削除した。
事情を知らない他所の都の出版社は、自分達の取材で得た情報と口コミを元に本を作るしかなかった。

毎日のように大勢の観光客が訪れているのを見れば分かるように、都に関する負の情報は一切流出していない。
妙な使命感を持った者は、"不思議"な事にトランクに詰まった状態で、ゴミとして焼却される"事故"に巻き込まれてしまう。
重ねて"不思議"な事は、両手足が針金で強く幾重にも縛られている事だ。
一切の証拠も残さず、独善的な正義感と真実はこうして明るみには出なかった。

38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:08:18.29 ID:kMmb1+Jh0
だが、どこぞの貧困国の様に無法状態と云う訳ではない。
行方不明になった人間を数えると、一日で最大5人と云う数字が自ずと見えてくる。
これが、暗黙の内に決められた数字である事を知る人間には、ある共通点が存在する。
裏社会に深く通じている、と云う一点だ。

世界でも屈指の都市国家として名を知らしめるこの歯車の都には、四人の王がいる。
一人目は、事実上この都を統治する"表"の王。
素性はおろか、素顔さえ知られていない謎多き王。
その名は、歯車王。

約500年前にこの都を劇的に発展へと導いた天才科学者、ノリル・ルリノと同じ渾名を持つ存在である。
ノリル・ルリノは"始まりの歯車"と呼ばれるシステムを発明し、都全土に己の作り出した歯車を普及させ、都市国家へと成長させた人物だ。
都が発展したのを契機に、都の空は分厚い灰色の雲に覆われ、都全土は常に薄暗くなった。
時を同じくして、今では名物へと成り上がった濃霧も生まれたのは、小学生の子供でも知っている。

多くの発明だけでなく、都の治安を守る為のシステムもノリル・ルリノは確立させていた。
その彼女の死後に、もう一人"歯車王"を名乗る存在が現れた事は、都の正史として様々な文献に載っている。
新たに現れた歯車王は、今から400年前にナノギアと呼ばれる、未だ実用化に至っていないナノマシン以上の性能を持つ物を世に出した。
これは世界中の常識を覆したのだが、ナノギアの構造等は全く不明で、これによってある意味歯車の都は世界から独立を果たした。

多くの国家が介入を試みたが、歯車王は都に対する一切の介入を許さなかった。
それから今に至るまで、現歯車王は存在し続けている。
普段から奇妙な単眼の仮面を被っているせいで、その素顔が分からない為、同一人物が今に至るまで都を統べているかは謎だ。
存在そのものが謎、それが歯車王だ。

残る王は三人。
その三人は、裏社会を統べる王。
"帝王"、"女帝"。
そして、"魔王"の渾名を持つマフィアの首領達。

43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:12:09.03 ID:kMmb1+Jh0
歯車王が都の表面を統治する存在なら、彼ら三人は都の暗部を統治する存在。
人身売買に関する規定を設けたのも彼等だし、ルール違反を犯した者の処分をするのも彼等だ。
互いに上手く役割を分担する事によって、この都は奇妙な均衡を保ち続けている。
近々、長らく保たれて来た均衡が崩れ去る事を、平和ボケした人間はまだ知らない。

―――裏通りの一等地。
そこには、広い墓地が存在する。
綺麗に整備された墓地に訪れる人は、一日に一桁程度。
中東から進出して来た手合いや、熱心に神を信じる者を除いて、裏社会の人間は基本的に神を信じない為だ。

彼等にとって墓地とは、言わば過去を振り返る場所である。
つまり、墓標は目印程度の意味しか持たない。
だから裏社会の住人が墓場に来るのは、死者に対しての想いを振り返る時だけ。
墓地に訪れる人間が少ないのは、そう云った考えが深く根付いているからだった。

今日も墓場に来ているのは、男が一人だけ。
男が持って来るのはいつも同じ。
一つの白い花束と二本の酒。
男はいつも一人でここを訪れていた。

一週間に二回の頻度で訪れ、常に手土産を欠かすことは無い。
整然と立ち並ぶ墓標の群れを抜けて最初に訪れるのは、いつも同じ墓の前。
そこで墓標に酒を掛け、自分も軽く一杯飲む。
お世辞にも綺麗とは言い難いが、目立った汚れが墓標に無いのは、男が定期的に磨いているからである。

そこでの墓参りを済ませたら、男は次の場所へと向かう。
毎日しっかりと手入れの行き届いた青々しい芝生を踏み鳴らす音が、耳に心地よい。
しっかりとした足取りで男が歩いて行く道の芝生は踏み倒され、他の場所と違って少しだけ背が低い。
それが、男がいつも同じ道を歩いている証である事は、少し考えれば分かることだ。

48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:16:00.75 ID:kMmb1+Jh0
向かう先には、高い柵に囲まれた特別な場所がある。
ロマネスク一家の専用墓地だ。
本来であれば限られた人間しかこの墓地には近づけないのだが、どの組織にも属さない男は特別に許可されていた。
門の前で、すっかり顔馴染みになった警備の人間に挨拶を済ませ、男は奥へと進む。

ここから先は、誰にも見られる事は無い。
警備の人間が使う詰所からも、鬱蒼した蔦が背の高い柵に密になって絡まり、緑の壁によって内部が見えないよう設計されていた。
男は真新しい白い大理石の墓標の前に来て、花束を置いた。
持っていた酒瓶を置いて、男は屈み込み、静かに瞼を下ろした。

そうして数分間過ごし、ゆっくりと腰を上げた。
何かにつられる様にして、空を見上げる。
地上よりも風が強いのか、所々で厚みの違う灰色の雲が世話しなく流れていた。
風が、急かす様にして男の背を押す。

遠い場所に思いを巡らせていた男は、もう一度視線を墓標に移した。
名前の無い墓標。
この下に眠る女性と墓の前に立つ男に、血の繋がりは一切無い。
出逢ってから一年も経っていない。

でも、女性と男との間には確かな繋がりがあった。
生前、女性がよく浮かべた笑みを思い出す。
声を思い出す。
そして、最期の言葉は心に刻み込んである。

心の中で小さく別れの言葉を呟き、男はその場所を後にした。
専用墓地を出て、男は真っ直ぐ墓地を横切る。
少し肌寒い風が、男の後ろから吹きつけて来る。
風は男の歩みを後押しし、スーツの裾を風に靡かせながら、男は流されるまま出口に向かう。

54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:20:04.56 ID:kMmb1+Jh0
その風に乗って、不思議な香りが鼻をくすぐる。
冷たい風の香り、だろうか。
この時期になると、都では冷たい風がよく吹き荒ぶ。
風の音、ひんやりとした風の匂いが、脳の奥を刺激する。

脳裏に蘇るのは、20年近く昔の出来事。
少し思い出しただけで、男は軽い頭痛を覚えた。
痛みから逃げるようにして、男は腕時計に目を向ける。
正午過ぎ。

昼食の内容を考えながら帰宅しようと決め、男は墓標と墓標の間を急ぎ足で通り抜ける。
墓地の出口が近づいて来ると、そこには見慣れた人影が二つ立っていた。
いつの間に来ていたのだろうか。
男の姿を見咎めた女性の内一人が、大袈裟に手を振った。

その反応を見て、男の頭痛は少しだけ和らいだ。
苦笑を浮かべつつ、男は小さく手を振り返した。
家にある冷蔵庫の中を思い出し、昼食の内容を考える。
三人分の食材ぐらいは、確かあった筈だ。

いつの間にか出来ていた、暗黙の決まり。
男が墓地に行くと、帰りにはこの二人が待っている。
最初は何を考えているのか分からなかったが、男は考えるのを止め、素直に感謝した。
その礼として、男が昼食を作って振る舞うのがいつもの流れとなっていた。

墓地の出口で女性二人と合流し、三人は並んで男の家に向かって歩き出す。
奇妙な組み合わせの三人を見て、すれ違った人々は一様に首を傾げ逃げる様にして去って行った。
何故、あの女性達がこの男と一緒にいるのか。
口には出さずとも、皆の顔にはハッキリとそう出していた。

58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:24:00.68 ID:kMmb1+Jh0
一人は、モノクロの色調のエプロンドレスを身に纏った、紛う事無き本物の女中。
そして、同じ女中でありながら白い和服に身を包んだ銀髪の美しい女性が、跫音一つさせずに歩いていた。
ロマネスク一家に仕える彼女達を、裏社会に生きる者達は恐怖の眼で見る。
たった一人で一組織を壊滅に追いやれる力を持つ女性が、どうしてあんな冴えない男と。

ふと、女中の格好をした女性が、何をしに来たのを思い出した、と口にした。
男は呆れたような顔を浮かべたが、和服の女性に脇腹に指を突き立てられて、どうにか元の表情を浮かべる。
話を聞くと、男は素直に礼を述べた。
報酬の事について尋ねると、女性は笑いながら不要だと言った。

しかしそれでは男の気が済まない。
何か礼をさせてくれと言うと、女性は少し考えさせてほしいと言った。
5分程無言で歩いた辺りで、ようやく女性は口を開いた。
だが口にしたのは、報酬の内容では無い。

"お腹が減った"。
とてもではないが、女中の台詞とは思えない。
が、彼女はいつもこんな感じなのだ。
あくまでもマイペース。

それに、彼女は確かに女中ではあるが、この男の女中では無い。
彼女には仕えている主がいるのだ。
こうして一緒に行動しているのは、彼女自身の意志に他ならない。
男は、女性の言動にすっかり慣れていた。


数歩進んだ所で立ち止り、男は二人に尋ねた。


64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:26:03.75 ID:kMmb1+Jh0



('A`)「昼飯、何が食べたい?」



その言葉を聞いて、女中の格好をした女性は嬉しそうに笑みを浮かべる。
もったいぶる様にニヤついて、後ろで手を組む。
男を置き去りにして少し先に行き、振り返って満面の笑みを浮かべる。



从´ヮ`从ト「美味しい物!」



男の横で静かに控えていた女性は、こう言った。



イ从゚ ー゚ノi、「美味い物」



69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:29:04.77 ID:kMmb1+Jh0





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      ('A`)と歯車の都のようです

         最 終 第 三 部




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71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:31:07.65 ID:kMmb1+Jh0
歯車の都の裏通り。
その一角にある、一件のマンション。
これと言って強固なセキュリティは備わっておらず、どこにでもある一般的なマンションだ。
まだ真新しい建物の為、家賃は比較的高めに設定されている。

エレベーターを上がって三階へ。
降りてすぐに左に曲がり、7部屋奥に。
焦げ茶色の扉の前には、一枚の白い表札が掛っている。
表札には"長岡"と書かれていた。

扉には鍵がかけられ、チェーンロックも掛かっている。
この都に住んでいる者なら、これぐらいは当然の対策だ。
いくら家に人がいても、押し込み強盗が来る可能性は否定できない。
少なくともチェーンロックが掛っていれば、侵入されるまでの時間を稼ぐことができる。

風呂付トイレ付。
部屋数は五。
今の持ち主が以前まで住んでいた場所に比べたら、この環境は最高だった。
家に入ってすぐ左手にある部屋から、明かりが漏れている。

部屋には男がいた。
薄暗く殺伐とした部屋にはスタンドライトの付いた机、そして椅子ぐらいしか見当たらない。
机の前に座ってスタンドライトを灯し、何やら作業を始めようとしているようだ。
と、机の上に何かをゆっくりと置いた。

黒。
硬質な金属の輝き。
機械的な直線。
優雅に描く曲線。

77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:35:04.05 ID:kMmb1+Jh0
指を広げれば掌に収まるほどの大きさ。
虚ろな口腔に似た丸い穴。
一本だけ備わった爪。
スタンドライトの白い光に照らし出されたそれの姿は、一つの芸術品の様な美しさを備えていた。

机の上に置かれたそれの正体は、一挺の自動拳銃。
ベレッタM84。
それにはベレッタ社のエンブレムが付いた純正品の銃把では無く、代わりに今の所有者の手に合わせて削り出された特別製の銃把が付いていた。
ホルスターから抜き放つ時、しっかりと構えて撃つ時、ありとあらゆる場面に置いて、この銃把は効果を発揮してくれる。

男は、銃に安全装置が掛っている事を確認する。
マガジンリリースボタンを押して、弾倉を抜き取る。
弾倉の中には、許容量丁度の13発の弾丸が込められていた。
抜き取った弾倉をそっと置く。

安全装置を解除して、遊底を引く。
内部に弾が残っていない事を確認して、遊底を元の位置に戻す。
遊底と銃身を分離させ、それも横に置く。
銃身の中や遊底等を掃除して、オイルを差す。

組み立て直し、動きを確認。
遊底は引きやすく、僅かな力だけで発砲できるよう改造された銃爪の動きも良好。
元から使いやすいよう細かな改造がされていただけあり、使い心地は良かった。
撃鉄を起こす。

マガジンセイフティが掛っている為、弾倉を入れない限り銃爪を引いても撃鉄は落ちない。
一旦銃を置き、先程抜き取った弾倉を手に取る。
そこから一発ずつ弾を取り出し、机の上に並べて置く。
空になった弾倉を、先程整備を終えた銃に装填する。

82 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:39:00.89 ID:kMmb1+Jh0
銃爪を引くと、撃鉄が撃針を叩いた。
当然、弾が入っていない為発砲はされない。
遊底を引くと、スライドストッパーが作動して遊底を固定した。
スライドストッパーを親指で解除する。

遊底が勢い良く閉じた。
発砲を除いた動作の確認が済むと、再び弾倉を取り出す。
机の上に並べて置いた弾丸を慎重に弾倉に込める。
全ての弾丸を込め終え、机の上に銃と弾倉の二つを置いた。

座っていた椅子に、大きく寄り掛かる。
ギシリ、と椅子が鳴った。
大きな溜息を吐き、首を動かす。
それまで作業をしていた男―――

―――ドクオは、ゆっくりと椅子から腰を上げた。


('A`)


軽快とは言い難い足取りで台所に向かうドクオの雰囲気は、数ヶ月前とは大分異なっていた。
陰鬱気で温和そうな表情は相変わらずだが、殺しの場でその眼が放つ眼光の鋭さは以前とは比べ物にならない。
大通りでの一件以来、ドクオは精力的に仕事に励んだ。
目的は金では無く、経験を積むことにあった。

ヒートから譲り受けたM84を使いこなす為には、実戦しかない。
癖が無く、使い勝手がいい事に満足せず、銃を己の体の一部として使える様になってこそ、意味がある。
殺しの依頼を優先的に引き受け、一つの失敗も無く成功させた。
その甲斐あって、今ではM84はドクオの体の一部と化している。

85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:43:22.27 ID:kMmb1+Jh0
ゆっくりと、壁に沿って廊下を真っ直ぐに進む。
目的地である台所はリビングと繋がっている。
リビングを通って台所に着くと、ガス台の上に乗っていたヤカンの中身を確認した。
十分な量の水が入っている事を確認してから、着火。

小さめのマグカップを棚から出し、そこにゴドー亭で買ったインスタント珈琲の粉を入れる。
砂糖をたっぷりと入れてカップを廻して混ぜ、後は湯が沸くのを待つだけ。
その間、台所から出てリビングに戻り、窓の外に目を向ける。
いつもより明かりが少なく、心なしか活気も感じられない。

嫌な予感がする。
裏通りの人間は空気の変化に異常なほど敏感だ。
野生動物が地震を察知するよりも正確に都で起こる異変を察知し、無意識下で行動に移す。
数十人単位ではなく、裏通りのほぼ全域でこのような事態が起きているとなると、今日何かが起こるのは間違いなさそうだ。

ベランダに続く窓を開け、そこから外に出る。
微風が正面から吹きつけて来た。
冷たく、気持ちのいい風だ。
靄の掛かった思考や、先程の作業の疲れが急速に冷却された。

思い出すのは昼間の事。
結局、昼食は冷蔵庫の中にあった食材で作った野菜炒めと炒飯だった。
お世辞にも豪華な昼食とは言えないが、千春と銀の笑顔を見れただけ、振る舞った甲斐はあった。
昼食を食べて少ししてから帰った二人は、ドクオが頼んでいた物の報酬はこれで十分だと言ったが、ドクオとしては逆に困る。

取り過ぎてもいけないし、逆に取らな過ぎてもいけない。
報酬とは可もなく不可も無く、常に適切でなければならない。
あれだけの物を用意してもらった事を考えると、後数百回近く料理を作らなければならなそうだった。
先日、銀に散髪してもらった時の礼も飯だった。

92 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:47:14.89 ID:kMmb1+Jh0
散髪ぐらいは自分で行くからいいと遠慮しようと思ったのだが、一睨みされ、ドクオは散髪してもらう事にした。
普段から刃物の扱いに慣れている銀は、ドクオの髪を鋏一本で綺麗に整えてくれた。
そこで、銀に礼をすると言うと、銀は食事を求めた。
丁度、前夜に作り置いてあったカレーがあったのでそれを提供したところ、銀は鍋一つ分を平らげてくれた。

作った料理が完食されると、作った側として、非常に気分が良い。
だからと言って、鍋一つは流石に食い過ぎだと思う。
あの細い体の何処に、カレーは消えたのだろうか。
辛さや具のリクエストを聞いておいたから、次は鍋二つ分を用意する事にしたが、千春の参戦によってそれも何処かに消えた。

犬神姉妹は、どうやら食事をするのが好きなようだ。
作る方としては、自分の料理を認めてもらっているような気がして、少し嬉しい面がある。
反面、いつ借りを返せなくなるか分からない稼業の為、出来れば互いが生きている内に借りを返したい。
逆を言えば、借りがある限りこの関係は続くのだろうか。

そんな事を考えながら、眼を細めて眼下の景色を見る。
こうして見る分には、この夜景は悪くない。
実態を知れば、たちまち汚い物に見える。
一年前までは、そう思い、感じていた。

今は違う。
汚い物。
綺麗な物。
それら全てが絶妙なバランスで共生して初めて、この都は成り立っている。

頭の片隅で、今の様な日常が続けばと思ってしまう。
だが、この都は常に姿を変え、一日として止まる事を知らない。
だからこそ、この都は生き生きとしているのだ。
大河が流れを止めて、大河としての意味を成さないのと同じ。

96 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:51:02.53 ID:kMmb1+Jh0
ようやくそれに気付けたのは、他ならぬ犬神三姉妹のおかげである。
体が芯まで冷える前に、後ろから沸騰した事を知らせるヤカンの音が聞こえて来た。
室内に戻って後ろ手で窓を閉め、余裕を持ってガス台へと歩いて行く
ヤカンを持ち上げてから、ガスを消す。

お湯をマグカップに注ぐ。
気品溢れる珈琲の香りが、ゆったりと漂う。
ガス台の傍に置いてある中型の冷蔵庫から、皿の上でラップに包まれたサンドイッチを取り出した。
具はレタスとハム、そしてスライスチーズだけだが、腹を満腹にするつもりはないので問題ない。

満腹になってしまえば動きにくくなるし、激しい運動をすれば吐き出してしまう可能性もある。
御三家からの作戦を説明されてから、ドクオの食事はずっとこんな調子だった。
いつ連絡を受けても万全の状態で作戦を開始出来るようにして置く事は、自らの命を助けることになる。
冷蔵庫の扉を後ろ足で閉め、片手にサンドイッチの乗った皿と珈琲の入ったマグカップを持つ。

珈琲を溢さないよう、だが出来るだけ早く先程の部屋に向かう。
暗い廊下を進み、先程作業をしていた部屋の前まで来て、扉を足で蹴り開ける。
M84が一挺だけ置かれた机の上に珈琲とサンドイッチを置いて、部屋の天井にある蛍光灯を点ける。
改めて、色気のない寂しい部屋が照らし出された。

しかし、これ以上置く物がないのが現実だった。
前の持ち主であるジョルジュは、リビングと寝室を除いてゴミやら服やらを適当に置いていた。
それらを撤去した所、今ある机と椅子、そしてスタンドライトが埋もれているのが見つかったのだ。
他に何かを置こうかと思ったが、自分が置くような物を持っていない事に気付き、潔く諦めた。

誰かいるわけでもないが、気になるので扉を閉める。
程なくして、部屋中にマグカップから漂う珈琲の香りで満たされた。
窓辺に寄り、少しだけ窓を開ける。
冷えた夜の空気が部屋に流れ込み、珈琲の匂いが拡散する。

101 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:55:09.85 ID:kMmb1+Jh0
昨日までは喧騒も流れ込んでいたのだが、やはり今日は異常なまでに静かだ。
ドクオは一旦部屋を出て、物置にしている部屋に向かった。
何か明確な理由があるわけではない。
強いて言えば、勘、である。

今日届いた千春に頼んでいた物が、早速役に立つかもしれない。
部屋に入ってすぐの場所に置いたのを覚えている為、電気を点けずにその段ボールを運び出す。
油断していると段ボールの底が抜けそうなほど重く、底の方に手をしっかりと添える。
作業部屋に戻って、段ボールを開ける。

千春に頼んでいた物。
それは、大量の弾丸と弾倉、そして装備一式だった。
弾丸は裏通りにある武器屋でも手に入らない素材で作られ、堅牢な装甲を一発で撃ち抜ける様に一から設計されている。
初速と貫通力を高める為に特殊な火薬の量が通常より多く、その分、普通以上の反動が生じてしまう。

無茶な使用にも耐えられるだけの強度を持つ弾倉も、抜け目なく用意してあった。
これだけの量を用意できる人間を、ドクオは千春ぐらいしか知らない。
机の傍まで引き摺って運び、ドクオは椅子に腰かけ、一先ず珈琲を啜った。
少しの間夜風に当たっていた影響で、僅かに冷めている。

サンドイッチに掛けたラップを剥がし、一口齧り、皿に戻す。
咀嚼しながらも段ボールの中から空の弾倉と、銃弾の入った箱を取り出して机の上に置く。
梱包された箱を開き、これから、手作業で弾倉に弾を込めなければならない。
薬莢底面を上にして並べられ、オイルの光沢を放つ弾薬を、一発ずつ箱から取り出して丁寧に弾倉に込める。

13発込め終わると、次の弾倉に取り掛かる。
珈琲を啜り、サンドイッチを齧り、弾を込める。
一連の作業を黙々とこなす中、ドクオは雑念一つ抱かなかった。
用意してあった全ての弾倉に弾を込め終えると、今度はそれを専用のベストにしまう作業に移る。

105 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 00:59:04.55 ID:kMmb1+Jh0
携行できる弾薬の量を増やす為、それ専用のベストも千春に頼んであった。
ドクオが求めたのは、出来るだけ動きやすく、なお且つ弾倉が大量に収納できる物。
千春が用意したのは、一見して黒のロングコートだったが、取り出してみると明らかに普通の物とは違う事が分かる。
最初に分かったのは、その硬くてゴワついた繊維の独特な手触り。

一緒に、一枚の手書きの解説書が入っていた。
丸みのある字体で、この様に書いてある。
貫通力の高い弾丸でも防げる上質な防弾繊維で編まれ、更にはゴアテックス以上の優れた防水性と通気性を兼ね備えている。
ロングコートを選んだのは、顔を除いた体全体を覆い隠せると言う利点があるから。

それだけではない。
内側にあるのは、大量の拳銃用のマガジンポケット。
広い面を持つロングコートならではの発想で、市販されているチェストリグよりもずっと収納できる。
動き易さに関しても問題はなさそうだが、衝撃による暴発に気を付けなければならないと、最後に注意書きがあった。

机の上に置いてあった弾倉を、マガジンポケットに余す所なく収める。
用意した弾を全て入れ終えると、ロングコートの重さは6キロ近くにまで膨れ上がった。
これを着れば、動きに大きな制限が掛けられてしまう。
しかし、動きを犠牲にして得るのは、大量の弾丸と保温性、そして防弾性だ。

そもそも、こう云った事態に対応できるぐらいの体力があるので、動きの制限に関しては気に掛ける程度で、心配しなくともよい。
事態を深刻に考え過ぎたり、妙に意識し過ぎたりすると、却って逆効果になる場合がある。
思うように動けない事を考えず、いつものように動く事が、何よりも大切だ。
手紙を畳んで、机の上に置いた。

椅子の背にコートを掛け、ドクオは残ったサンドイッチを一口で食べ、珈琲で流し込んだ。
皿の上にマグカップを重ね、台所の流しにまで持って行く。
その時不意に、ドクオの背中を悪寒が一撫でした。
危うく皿を取り落としそうになったが、どうにか耐えた。

109 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 01:03:01.72 ID:kMmb1+Jh0
流し台に置き、ドクオは悪寒の正体が何であるかを考えた。
一つしか思い至らない。
そしておそらく。
この悪寒は、間違いない。

リビングからクローゼットのある寝室に行く。
着馴れたスーツを取り出し、素早く袖を通す。
もし本当に今夜作戦が始まるのだとしたら、一時間前に連絡が来る予定になっている。
つまり、一時間の準備時間が与えられることになるのだが、それには移動時間も含まれている。

歯車城に行く為のルートは多く存在するが、何をするにしても絶対に大通りに行く必要がある。
大通りの中心に位置する歯車城の周囲は壁で囲まれ、出入り口は四ヶ所。
普通に乗り込むのは困難だが、ドクオにはちょっとした考えがあった。
その為には、怪しまれない服装である必要があった。

動き易さ重視の戦闘服を着て歯車城周辺にいた場合、意図せず人目を惹いてしまう。
元からあまり服を持っていないドクオにとって、動きやすく、そして目立たない服となるとスーツしかない。
千春の用意したロングコート並みではないが、一応このスーツは防刃仕様になっている。
枕元に投げ出されていた携帯電話を手に取り、胸と腰にホルスターを付け、足早に作業部屋へと戻った。

M84に弾倉を入れ、遊底を引いた。
机の上の銃をホルスターに収め、代わりに携帯電話を置く。
直後、携帯電話が着信を告げた。
発信先は―――


('A`)「デレデレさん、か。
   ……行くか」


116 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 01:07:02.54 ID:kMmb1+Jh0
数コールの後、携帯電話は沈黙した。
今の着信が合図。
沈黙した携帯電話をしまって、重量のあるロングコートをしっかりと着込み、部屋を出た。
鉄板を靴底に仕込んだアケーディアを履き、上までしっかりと紐をきつめに締める。

家を出て鍵を閉める。
そのままエレベーターに向かい、丁度、停まっていた昇降機に乗った。
昇降機を一階に向かって下降させる。

('A`)「……」

予期していたが、流石に緊張してしまう。
これで全てが終わるのかと思うと、奇妙な興奮さえ覚える。
一階に到着したエレベーターから降り、マンションを出た。
外は街灯の明かりと、建物から漏れ出ている光で薄暗かった。

辺りはまるで、周囲一帯の人間が死んだかの様な静けさに包まれている。
商売女も、物乞いもいない。
裏通りの商店街に着くと、数人の売り子と十数人の客しかいなかった。
異様な空気である事は彼等も重々承知しているだろうが、生きる為に商売を止めるわけにはいかないのだろう。

何もこんな時に買い物に来なくても良いのにと、ドクオは横目で見て思った。
視線を元に戻し、方角を見失わないよう、歯車城を見上げる。
今日に限って青白くライトアップされた城は、灯台の様に目印の役割を果たしていた。
まるで、城を見失わないように。

"必ずここに来い"、と呼ぶ声さえ聞こえてきそうだ。
知らず、口の中と喉がカラカラに乾いていた。
舌で舐めて唇を湿らせても、直ぐに乾いてしまう。
自動販売機を見つけ、ドクオはそちらに足を運んだ。

119 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 01:11:10.36 ID:kMmb1+Jh0
硬貨を入れてコーラのボタンを押し、出て来た缶を取る。
プルタブを引いて戻し、ゴクゴクと飲む。
半分ほど飲んだ所で、歩くのを再開した。
商店街を半ばまで進んだ所で、缶を持ったまま立ち止った。

ドクオは、斜め上を見上げていた。
左右に立ち並ぶ建築物の間に、分厚い雲に覆われた空が見える。
そして、白い星が見えていた。

('A`)「……おいおい」

違う。
あれは、断じて星では無い。
では、発光する飛行物体だろうか。
それも違う。

幾らなんでも近過ぎるし、微動だにしないのはおかしい。
代わりに聞こえてくるのは、くぐもった呼吸音。
意識していなかれば、風の音で掻き消えてしまうほど、それは小さい。
だが多い。

考えている間に、光点は脈動する様にその数を増してゆく。
最初は三つ。
次に六つ。
瞬きをしたら21に増えていて、その後は数えるのを止めた。

接触の悪い商店街の街灯が、白い光点を恐れているかのように明滅を繰り返し、遂には消えた。
光点の正体が一瞬だけ浮かび上がったのを、ドクオは見逃さなかった。

('A`)「まいったな、俺のファンクラブがあったなんて知らなかったよ」

122 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 01:15:31.93 ID:kMmb1+Jh0
不気味なまでに白い光点は、建物の壁にも現れ始めた。
正面に、横一列に並んだ星の川が現れる。
後ろから、店主と客の訝しむ会話が聞こえる。
彼等は知らない。

突如として現れた光点の殺意の籠った視線が、たった一人の男に向けられている事を。
圧倒的な殺意を受けても、その男が怯むどころか、逆に挑発的な笑みを浮かべている事を。

('A`)「悪いんだが、俺の体は一つしかないんだ。
   握手はしてやらないが、サインが欲しいなら後でやるよ。
   今はペンと紙を用意して、大人しく並んで待ってるって云うのはどうだ?」

ドクオの言葉を、光点は聞いているのかいないのか。
返事の代わりに、一気に光点の数が増した。
あまりにも数が増したため、正面にいる光点の顔が浮かび上がる。
無機質な白い仮面と、黒い外套。

耳を澄ませば、外套の裾が風に靡く音が聞こえる。
ドクオの外套は、その重さ故靡かない。

( ∵)

殺意を向ける光点の数の増加が、止まった。
最早それは、群では無く個と言い換えた方が適切だった。
一人に対して、個を形成する圧倒的な群の数。
光点三つで一人と計算すると。

('A`)「聞く気は無いんだな。
   さて、それじゃあ……」

128 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 01:19:02.63 ID:kMmb1+Jh0
見えているだけでも、その数実に―――








( ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵)








―――百以上。









('A`)「……始めるか」

133 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 01:22:11.49 ID:kMmb1+Jh0





――――――――――――――――――――




      ('A`)と歯車の都のようです

         最 終 第 三 部
           【終 焉 編】




――――――――――――――――――――






137 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 01:26:45.93 ID:kMmb1+Jh0
手に持っていた缶コーラを、投げつけるようにして目の前に放る。
自由になった手を懐に滑り込ませて―――

('A`)「……!」

―――稲妻的な速さで、ドクオはM84を抜き放った。
抜き放つと同時に、銃口は眼の前から一直線にドクオに向かって駆けてきた敵に合わさっている。
仮面の敵は、その手に禍々しさ溢れる巨大な戦斧を構えていた。
ドクオが銃爪を引き絞るより前に、相手は互いの息遣いが聞こえる程の至近距離にまで接近している。

疾い。
正に荒野を吹き抜ける疾風。
対するドクオの動きは。

('A`)「せっ!」

狙い澄ました迅雷の如く。
緩やかな弧を描くM84のトリガーガードを、袈裟切りに振り下ろされた戦斧の刃に合流させる。
甲高い残響音を残し、相手は確かに己の力で振り切った。
紙一重の所で軌道を上書きする事に成功し、斬撃は僅かの差でドクオに届かない。

次の行動は、ドクオの方が圧倒的に疾かった。
敵が戦斧を振り上げるより先に、M84の銃口が仮面を軽く小突き、二度火を吹いた。
脳漿や鉄片が反対側から吹き出ると、敵は仰け反る様にして倒れた。
倒れた敵の後ろから、新たな敵が同時に二人迫っているのが見えた。

左右に広がり、呼吸を合わせた挟撃を仕掛けてくる。
鋭いバックステップでその場を退くと、両側から鈍い輝きを放つ戦斧がドクオの鼻先を通過した。
着地と同時に、ドクオはもう一歩下がり、銃口を低い位置に構える。
銃声を合図に、左側の相手は距離を詰める為に一歩踏み出し、その力を利用して内側から外側に向けてもう一撃。

142 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 01:30:01.29 ID:kMmb1+Jh0
これもドクオには届かない。
先の斬撃よりも、ドクオは明らかな"余裕"を持って回避出来た。
何故なら、攻撃を繰り出せたのは左側の者だけだったからだ。
二振りで辛うじて避けられた斬撃が一つに減れば、余裕が生まれるのは必然。

踏み込んでからの斬撃に合わせ、ドクオは右側から迫っていた敵の軸足を撃ち抜いていたのだ。
足を撃ち抜かれてバランスを崩した敵が、勢い余って顔から転倒した。
なまじ、速度と勢いがあったせいで、頭だけで二回も前転した後、宙を舞って落下した。
あれでは、もう一回前転する余裕もないだろう。

左側の敵は、後方で転倒、落下した味方を気にも留めていない様子だった。
強いて言えば、ドクオにとってそれだけが予想外の反応であった。
発砲で生じた強い反動で銃口が跳ね上がったのを利用して、連続攻撃後の隙が生まれた敵に、素早く狙いを移す。
躊躇することなく、白い仮面に向けて発砲。

が。
狙いすぎた事に、ドクオは銃爪を引くと同時に気付いた。
精確に相手を殺す為に撃った初弾は、狙い違わず相手の顔に向かって飛んで行った。
言い換えれば、相手にとってそれは最も予想しやすい攻撃である。

正面から真二つにされた銃弾が地面に落ちる音は結局、戦斧が砕ける音と被さってドクオの耳には届かなかった。
仮面で顔が見えなくとも、相手が戦斧を砕かれた事に対して動揺を見せたのは分かった。
5cmの鉄板も段ボールの様に貫通できる銃弾は、その圧倒的な威力を解り易い形で見せつけた。
二発、三発と続けて放たれた銃弾は、今度は斬り払われることなく、確実に相手の顔面を撃ち抜いた。

仮面の一部が砕け、素顔の一部が露わになる。
悲しげな眼をした男だった。
仰け反って崩れ落ちる男の後ろで、復帰は困難だと思われていた男が、驚くべきガッツで体勢を立て直していた。
根性論を支持する訳ではないが、今回ばかりは、根性論も侮れないと思った。

145 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 01:34:01.14 ID:kMmb1+Jh0
両足のバネを全て使って矢のように跳躍し、一息でドクオの目の前に現れる。

('A`)「熱烈だねぇ!
   だけど、暑っ苦しいんだよ!
   失せな!」

振り被って力任せに振り下ろされた戦斧を、トリガーガードで相手の脚元に受け流すと、戦斧は地面に深く突き立った。
着地直後の隙が生まれ、ドクオは男の戦斧を握る逞しい腕の上に飛び乗り、頭頂部に銃口を押しつけ、一発。
敵は、糸の切れた人形の様に崩れ落ちた。
足場にしていた敵が完全に崩れ落ちる寸前で、その場を後ろに飛び退いたドクオは、着地するや即座に頭と体を低く屈めた。

屈んだ直後、首があった位置を戦斧が切り裂く音がした。
辛うじて避けられたのは、どこから現れた新たな敵が戦斧を振るのを見たからではない。
無色透明、無味無臭の殺意を肌で感じ取って反応することを細胞が覚えていたのだ。
目の前の足元には、出来たての死体が転がっているせいで、迂闊に前に動けない。

今し方奇襲を加えて来た相手の正確な位置が把握出来ていない為、即応しての発砲が出来ず、ドクオは思考した。
刹那の内に状況を考慮して結論を出し、ドクオは意識を集中させた。
視覚、聴覚、嗅覚。
触覚、そして味覚。

この状況で、より正確に相手の位置を把握できるのは、五感の内どれでもない。
体が、細胞が、生存本能がドクオに応え、教える。
余計な感覚を閉ざし、殺気を探って相手の位置を捉えると、ドクオは銃口だけを背後に向けた。
全ては、戦斧を回避してから数千分の一秒後の出来事。

敵から見れば、ドクオはただ瞬きをしただけだった。
ドクオの死角に隠れるようにして攻撃を加え、今まさに追撃を試みようとしていた男は、異常なまでに素早く、正確無比な反応にたじろいだ。
しかしながらその男は、ドクオの前方から新たに5人の味方が迫っているのを既に確認しており、偶然だから心配はないと気持ちを落ち着かせた。
落ち着いた気持ちのまま、一発目で喉を、二発目で左目を穿たれたてその男は息絶えた。

150 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 01:38:21.35 ID:kMmb1+Jh0
先程首を刎ねようとした敵を倒した事を、ドクオは指先の感触だけで理解した。
休む間もなく、前方から迫って来る脅威に意識を向ける。
短く息を吐き出し、顔を上げる。
鬼気迫る勢いで、五人が横一列に肉薄してくるところだった。

残弾、4。
物理的に弾数が足りていない。
再装填するには時間が足りない。
避けるには距離が近すぎ、避け切れずに首を断たれる。

一か八か。
ドクオは姿勢を正すと、死体を越えて前に向かって大きく一歩を踏み出し、距離を詰めた。
その動きには迷いがなく、流れる様に自然で、それでいて優雅だった。
狙いは、右端の敵。

頭上高くに掲げた戦斧が振り下ろされる前に、ドクオはM84を構えた。
斬撃に合わせて、M84を合流させ、軌道を強引に変える。
真下では無く、斜め左に向かって軌道を逸らし、有り余った勢いのまま戦斧は狙い通りに流された。
同時に斬撃を繰り出そうとしていた隣の者の腹部に刃が食い込み、後方に吹き飛ばした。

残る三人の攻撃は、二人と比べてワンテンポ遅れている。
ドクオが端を狙って移動した事に加え、威圧感を出す為に横一線に並んでしまっていたせいで、距離に微妙な差が出てしまったのだ。
ワンテンポ分の時間で、ドクオは目の前にいる者の顎下に銃口を入れ、銃爪を引いた。
頭頂部から、小さな歯車と共に何かの液体が噴き出す。

残弾、三。
ちらりと、這う様に両側の壁を移動している合計4つの敵影を視界の隅に見咎めると共に、記憶に留めておく。
今優先的に相手にしなければいけないのは、眼の前の三人。
斜めに銃を構え、距離が近い右から順に胸を撃つ。

153 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 01:42:02.42 ID:kMmb1+Jh0
構えてから狙うまでのプロセスを短縮しつつ、反動を利用した射撃で一呼吸する間に三人を倒した。
と、同時に。
遊底が完全に引き切り、スライドストッパーが遊底を引いた状態で固定させる。
中指でマガジンリリースボタンを押し、空になった弾倉を排出。

左手をロングコートの中に入れ、最初に触れた弾倉を抜き取る。
山刀のようなナイフを持った四人組がその隙を突いて、左右の壁から同時に飛び掛かって来た。
冷静に弾倉を装填し、スライドストッパーに親指を伸ばす。
親指で遊底を解放し、初弾が薬室に装填された。

一斉に振り下ろされた四本のナイフの刃を、ドクオは前に飛び込んで避けた。
起き上がった所に、戦斧を持った新たな一人が前方から迫る。
後ろでは、ドクオとすれ違った四人が着地し、体の向きを変えた。
前にいる一人は、今まさに戦斧を振り上げたところだった。

('A`)「邪魔だってんだよ!!」

叫んで気合いを込め、前に向かって全力で駆け、後ろの四人から離れる。
銃口を前に向け、連続して銃爪を引く。
一発目は外れた。
二発目は戦斧に命中し、戦斧を砕いた。

三発目は仮面の口の辺りに命中し、仮面の下半分とその下にあった口を破壊した。
死して尚振り下ろされた戦斧をトリガーガードで受け流すと、金切り声の様な甲高い音が響いた。
倒れ込んで来た死体を片手で脇にどかし、ドクオは突き進む。
退路など、この戦闘が始まった時から既に無いのだ。

157 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 01:46:01.09 ID:kMmb1+Jh0
進むしかない。
間をほとんど開けずに前方に現れた新たな敵は、あまりにもタイミングが悪すぎた。
全力で駆けているドクオが、戦斧が振り下ろせない程の距離に接近していたのだ。
一対多数の混戦状態を作り出したが故に、その敵は過信のあまり適切な距離を開けるのを失念していた。

戦斧が使おうとして、それが出来ないのなら、何も問題は無い。
男の腹に、助走を付けた蹴りを見舞う。
体をくの字にして後ろに倒れ込み、ドクオはそれを踏み越える途中でその顔を撃ち抜く。
ビクン、と体全体が一度脈打ち、それきり動かなくなった。

まだ、敵の数と勢いは一向に減る気配がしない。
後ろから四人が迫って来るのが、空気を伝ってハッキリと分かる。
今になって、周囲の人間達が事態の深刻さを理解出来た。
商店街で一対多の殺し合いが成立している事に気付いた時、彼等が最初にした事は叫ぶ事。

一対多の殺し合いが成立すると云う事は、両方ともヤバい、と云う事を意味する。
巻き添えを食らうとどうなるか、五年前の抗争がそれを教えてくれていた。
パニックに陥った人の声が、商店街に響き渡り、伝染してゆく。
客と商品に見向きもせず、店主達は店の中に入って鍵を閉めた。

見捨てられる形となった客は、下手に抵抗しようとせず、一目散に逃げ出した。
敵の持つ優れた性能が、恐慌した状況では逆に仇となった。
叫びながら逃げ惑う人々のせいで、視覚と聴覚がそちらに反応してしまう。
コンマ数秒の隙は、ドクオには有りがたいほど十分だった。

空いている左手を"腰"のホルスターに伸ばしつつ、コマの様に体を後ろに向けて回転させる。
ロングコートの重みで強い遠心力が生まれ、勢いよく体が翻った。
左手が掴んだ冷たい銃把の感触。
これが、ドクオが持つ、この場を切り抜ける為の最高の一手。

164 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 01:50:02.75 ID:kMmb1+Jh0
親指で撃鉄を起こし、振り抜く様にしてホルスターから抜き放つ。
それは、嘗て一人の男が持っていた得物。
己の義を貫き通し、命を賭した、その愚かな男は死後、ドクオに家の鍵と"これ"を残した。
銀色に輝く、ダブルアクションリボルバー。

唯一残された、ジョルジュの形見。
まだ、"赤い鷹"は生きている。
そして叫び立てる。
"殺ってやれ"、と。

―――スタムルガー・レッドホークが、内なる声を銃声に乗せて、叫んだ。

レッドホークが吐き出した弾丸は一発。
しかし、この大口径のリボルバーに装填されていた特殊な弾丸の威力は、小型のミサイルに匹敵する程だった。
胴に着弾した敵の上半身が、細かな破片となって無残にも弾け飛んだ。
大きな銃声に紛れこむようして放たれたM84の弾丸を受けた残る三人と比べると、その差は歴然である。

一回転して体の向きが元に戻り、二歩進んだ所で、後ろから迫っていた四人は地に伏した。
正面から、一人やって来る。
得物は戦斧が一本、ならば、二挺拳銃のこちらの方が有利だ。
左手のレッドホークを構え、撃つ。

あまりの反動に、左腕が吹き飛びそうになる。
敵は44口径の弾丸を正面から切り払おうと、果敢にも戦斧を振るった。
銃弾は戦斧ごとそれを持つ腕を破壊し、狙いが逸れた銃弾は心臓を含む左半身を吹き飛ばした。

男は前のめりに倒れ、二度と起き上がることは無かった。
間を置かずに、新たな敵が肉薄する。

(;'A`)「いいっ?!」

170 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 01:54:48.69 ID:kMmb1+Jh0
最初、飛び掛かって来たのは一人だけかと思った。
だが違った。
一人の後ろから、もう一人。
更に、もう一人。

同時に三人。
一人倒したとしても、次が控えている。
確実に三人を同時に倒さなければ、戦斧がドクオの頭をスイカの様に両断してしまう。
他になす術も無く、ドクオはレッドホークとM84を同時に向けて撃つ。

マグナム弾が直撃した一人の体が四散し、貫通した弾が後ろにいた一人の胸に当たって大きく陥没させた。
続けて放たれたM84の弾が陥没した胸を貫くが、その後ろにいる者に傷らしい傷を与えるに至らない。
二人分の屍を蹴散らし、最後の一人が離れた位置から戦斧を振り被ったのが見えた。
次の瞬間、その手から戦斧が消えた。

理由は、考えるまでも無かった。
投擲したのだ。
回転しながら飛んでくる戦斧には、トリガーガードを使った防御術は使えない。
つまり、防ぐ術がない。

避けられない。
撃ち落とそうと思うのなら、今しかない。
却下だ、回転している為、例え刃が砕けても、残った刃や破片が飛んでくる。
破片で負傷すれば、結局は意味がない。

―――その時。
頬を撫でる風が、まるで肌に張り付く絹の様に感じられた。
呼吸が遅いのに、不思議と苦しくは無い。
目の前から迫って来る刃に歪んで反射された自分の姿が、よく見える。

174 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 01:59:05.95 ID:kMmb1+Jh0
刃には曇り一つなく、刃こぼれもしていない。
ゆっくりと回転する青白い切っ先は、真っ直ぐに自分の眉間を目指していた。
首を僅かに左に動かすだけの時間はあった。
風、呼吸、跫音、ありとあらゆる音が全て混ざって聞こえ、騒音よりも酷い不協和音を奏でる。

心臓の鼓動は高鳴る。
一つ、また一つと速さを増す。
全身の感覚は研ぎ澄まされている。
死の瀬戸際において初めて訪れるこの感覚に、ドクオは身を委ねた。

M84から手を離す。
ゆっくりと、重力に引かれて落下するM84。
空いた右手を、何かを求める様に前に向けて伸ばす。
指先が触れたのは、投擲された戦斧の柄だった。

気がつけば、戦斧をその手にしっかりと握っていた。
腕全体を使って、ドクオは掴んだ戦斧を投げ返す。
まるで映像を巻き戻ししているかのように、仮面の敵の手元を離れた戦斧がその顔に迫った。
反応は間に合わず、ドクオに戦斧を投擲した者は自身の戦斧で顔を半分に両断され、死亡した。

地面にM84が落ちる前にドクオはそれを膝で受け止め、軽く蹴り上げて右手で掴む。
そこで、ドクオの視界と感覚が元に戻った。
時間にして、全ては1秒程の間に起きていた事であった。
レッドホークをホルスターに戻し、片手を空ける。

M84の中には後五発。
常に残弾に気を配る事を、この状況でも忘れない。
左手をコートの下に入れ、弾倉を下に向けて小指と薬指の間に挟む。
片手でM84を構え、ドクオは前方に溢れている光に向けて撃った。

181 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 02:03:52.89 ID:kMmb1+Jh0
4発連続して発砲した弾丸が、空しく建物の外壁を砕いた。
代わりに着弾点にいた四人の敵が、ドクオを目指して駆けて来た。
今は、立ち止ってはいけない。
一際強い風がドクオの背後から吹きつけてきたのを受け、駆ける速度が増した。

弾倉を排出、装填。
構えた時、銃口から逃げるように三人が散った。
一人はドクオの頭上を越えて後ろに着地、二人は左右に展開、そして、残る一人は前に残ったまま。
瞬く間に四方を囲まれたドクオは、咄嗟に銃爪を引く事が出来なかった。

いくらなんでも、相手の行動が早い上に、適切な判断だったからだ。
進路と退路、そして脇道を塞がれたドクオは決断に迫られた。
そして、一瞬で決断を下す。
何も迷う必要は無かった。

一歩でも先に駆け抜ける、ただそれだけだ。
少なくとも、これで前を除いた三方向からの攻撃は約三秒遅れる。
問題は前方の敵の攻撃がその分だけ早くなる事。
覚悟を決めたドクオに、躊躇いは無かった。

お世辞にも駿足とは言えないドクオの走りだが、決して無駄にはならない。
眼前の敵によって薙ぎ払う様にして右から繰り出された戦斧の一閃を、M84のトリガーガードで受け止めた。
受け流すのも困難な威力に、右腕が押し込められるように縮こまった。
腕を伝って体に走ったのは、まるで木製のバットで肩を強打された様な重い衝撃。

ドクオは顔を顰めたが、次の瞬間には勝ち誇った笑みを口元に浮かべた。
空いた左腕が腰のホルスターからレッドホークを目にも留まらぬ速さで抜き放ち、仮面に合わせると同時に銃爪を引いた。
眼の前で仮面ごと顔が吹き飛ぶ。
右腕に加えられていた力が消え去り、右腕が自由になる。


187 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 02:07:49.74 ID:kMmb1+Jh0
銃を持った両手を左右に広げ、視線は正面、意識は後ろに向ける。
気配を頼りに照準を合わせ、左右同時に銃爪を引いた。
見事に二人を同時に屠ったドクオの後ろから、跫音から伝わる敵の存在が迫る。
真上から振り下ろされた戦斧を、咄嗟に横に跳んで避ける。

体を反転させ、向い合う。
プロレスラーを彷彿とさせる体格の敵は、今まさに迫撃をせんと戦斧を振るったところだった。
今度は、足元から力任せの一撃。
M84で受け流してから、レッドホークで撃てば―――

(;'A`)「ちょっ?!」

―――受け流せなかった。
判断は間違っていなかった。
想定が間違っていた。
相手は振り降ろすのではなく、斬撃の途中で得物を手放したのだ。

受け流す事が出来なかった得物は、物凄い勢いでドクオの遥か頭上へと飛んで行った。
最初から、あの攻撃は囮。
受け流す事を前提としていただけに、ドクオは焦りを禁じえない。
まんまと嵌められたと、内心で毒づく暇さえ与えられなかった。

何度もドクオの技を見て、見事に裏を取る事に成功した敵が選んだ次の行動は、当然ながら追撃。
棍棒の様に太い脚がドクオの肩を捉え、サッカーボールの様に横に蹴り飛ばされた。
悲鳴は上がらない。
否、上げられなかった。

192 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 02:11:09.50 ID:kMmb1+Jh0
ビニールシートの掛けられた人気のない露店に派手に突っ込み、商品が並べてあった木箱や瓶の並べられた商品棚を破壊した。
背中越しでガラス瓶が砕け、何か良く分からない物を壊した事が、嫌と云うほど分かった。
体中をしたたかに打ちつけたせいで、起き上がるのも困難だった。
幸いなことに敵は直ぐに追い打ちを掛けて来る様子がなく、ドクオは左手のリボルバーをしまった。

('A`)「いってて……
   俺はサッカーボールじゃねぇってんだ、このクソ野郎!」

呼吸一つ乱さず、ドクオは悪態を吐きながらもどうにか立ち上がる。
唐突に、ドクオの視界が黒に染まった。
違う。
これは、目一杯に映った敵の外套の色。

気付いた時には、ドクオの体は背後にあった建物の壁を突き破って吹き飛んでいた。

(;'A`)「うぬぁっ?!」

蹴り技だと分かったのは、ハッキリと肉眼でその瞬間を確認していたからだ。
咄嗟に両腕で胴体を防御すると云う行動が取れたのは、ドクオの本能が体を動かしたからに他ならない。
瓦礫と一緒に地面を転がり、止まったドクオの声から苦悶の声が上がる。
体に付いた瓦礫やガラスを振り落とし、忌々しげに叫ぶ。

(;'A`)「ぬぐぉぉぉっ……
   あんのクソ野郎!」

腕で攻撃を防いだのに、この威力。
折れてはいないが、腕の内部で脈打つように痛みが広がる。
目線を動かして周囲を見渡すと、どうやらここはアパートの一室の様だった。
後ろで扉が開く音がして、振り返った。

196 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 02:15:03.26 ID:kMmb1+Jh0
この部屋の持ち主らしき中東系の男が入るや否や何か喚き散らしているが、知らない国の言葉の為よく分からない。
言いたい事は何となく分かる。

('A`)「あぁ、分かる、よく分かるよ。
   確かに、このアパートは壁が薄すぎる、本当にそう思うよ。
   これじゃあ、隣に祈りの言葉も秘密の話も丸聞こえだからな。
   だけど文句は大家に言ってくれ。

   ついでに、俺に分かる言葉で喋りやがれ」

手を突いて立ち上がる。
男はドクオがM84を持っているのを見ると、叫びながらどこかに行った。
喧しい男である。

( ∵)

中東系の男とは対照的に、何の皮肉か、敵は無言のまま瓦礫を踏み散らして近づいて来る。
全く喋らないと云うのも、それはそれで腹立たしい物があった。

('A`)「せっかちで無愛想な男は嫌われるらしいぞ」

ドクオの言葉を聞き流し、敵は力強く踏み締めた。
ずん、と床が揺れた。
天井から埃が落ちて来た。
下手をしなくても、建物全体が揺れたかもしれない。

('A`)「人の話を聞かない野郎だな。
   自分の世界に浸ってる奴は嫌いなんだ。
   現実ってものを見て、泣いても俺は知らねぇぞ」

202 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 02:19:03.23 ID:kMmb1+Jh0
相手が素手で一人だけなら、どうにか対処できる。
拳闘の構えを取る相手は、その太い腕からは信じられないほどの速度で左の拳を打ち出した。
格闘技に存在する数多の技の中で、最速を謳われるジャブ。
であるが、ドクオにとっては最速では無かった。

ドクオには、これ以上の速度で、しかもジャブではない攻撃を目の当たりにした経験があったのだ。
最強を求め、己の信じる強さを求め続けた一人の女性の拳。
"戦乙女"の渾名を持つ、素奈緒ヒート。
彼女がドクオの技量を見る目的で繰り出した拳の速度は、このジャブの優に10、いや、50倍はあった。

あの拳に比べれば、この程度のジャブを見切るのは造作もない。
銃床を愚鈍な拳の横に叩きつけ、攻撃を外側に逸らす。
どれだけ攻撃力があっても、当たらなければ意味がない。
当たらなかった相手の腕を左手で掴んで、その腕の外側に右肩を当て、梃の原理を利用して投げ飛ばした。

体の構造上、対応できなかった敵は部屋の壁に突っ込むしかない。
転倒する様な形で壁に頭が埋まった敵に、ドクオは二発撃ち込んで屠った。
弾倉にはまだ10発残っている。
ドクオが入ってきた所―――と云っても、穴だが―――から出るのは利口とは言えない。

先程の喧しい男が入って来た扉から出る為、ドクオは扉を蹴破った。
待ち伏せはいないようだった。
部屋から出ようとして、ドクオは踏み止まった。
何かがこちらを覗いている。

後ろを振り返った。
まだ、仮面の敵は来ていない。
では、誰が覗いているのか。
いずれにしても好意的な視線でない事は確かであった為、ドクオは壁に首が埋まった死体の襟首を掴んで運び、それを扉の向こうに投げた。

204 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 02:23:01.16 ID:kMmb1+Jh0
間髪入れずに銃声。
執拗に続いた銃声は、合計で4回。

('A`)「うへぇ……」

銃声の正体はショットガン。
散弾では、あの強固な装甲を貫通できる筈がない。
身に纏っていた外套が無残にも引き千切れたが、本人には傷一つ付いていない。
飛び出してきた何かに対して正体を確認せずに4発も撃ち込むとなると、冷静さを保っているかは疑問である。

撃ったのはあの中東の男と考えて、まず間違いない。
言葉が違う相手に事情を説明した所で、通じるかどうかは疑わしい。
どれだけ考えても、正解は銃声の後、になる確率が圧倒的に高かった。
攻撃範囲の広い散弾を用いるショットガンは、屋内での制圧力がとても高い。

ここは様子を見て動く場面であるが、ドクオは相手が最後に排莢していない事に気付いていた。
そもそも、考えている様な時間はないのだ。
左手でレッドホークを抜き、ドクオは壁に向けた。
銃声の元を辿ると、恐らくはこの直線上にいるはず。

壁の薄さは保証済み。
銃爪を引き絞る。
一発の銃声の後、数少ない世界共通言語である悲鳴が床の低い所から聞こえた。
リボルバーのシリンダーを横に倒し、エジェクターロッドを押して空薬莢を出す。

コートのポケットから取り出したクイックローダーで弾を込め、手首のスナップだけでシリンダーを元の位置に戻す。
腰に戻し、空けた大穴から向こうの様子を慎重に窺った。
中東系の男の上半身と下半身は、綺麗に分離していた。
安全を確認してから部屋の外に出て、直ぐにM84を構える。

209 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 02:27:01.72 ID:kMmb1+Jh0
男は擦れそうな声で泣き喚いており、手にしていたショットガンはドクオの足元に落ちていた。
左手で拾い上げ、片手でポンプを上下に動かして排莢、装填。
そして発砲。
涙目で睨みつけてきた男の顔が物言わぬ肉片に変わるまでに掛かった時間は、ほんの一瞬だった。

今の銃声で、このアパート全体の住人が起きたことだろう。
ドクオを排除しに来るか、それとも部屋で大人しくしているかは、ドクオには分からない。
住人が温和である可能性は、この男の行動を見れば限りなく望み薄であった。
元より望んでいないが。

ショットガンを捨て、早々に移動を開始する。
木造なのか、それともコンクリートなのか、土壁と云う可能性も捨てきれない。
どちらでも構わないが、建物の壁が異様に脆いことから、この建物には長居しない方がいいと判断した。
ギシギシと嫌な音を立てる階段を上り、最上階である三階に着く。

住人が大人しくしてくれたおかげで、誰にも出会う事はなかった。
―――確かに、住人には遭遇しなかった。
眼の前にある廊下に沿って張られていたガラス窓が、一斉に音を立てて内側に砕け散った。
キラキラと光を反射して飛び散るガラス片に混じって、白い仮面を掛けた黒い影が舞い降りる。

('A`)「たまんねぇな、こりゃ。
   まるでハリウッドだ」

狭い廊下に降り立った仮面の敵は、6人。
その手には、先程とは違って戦斧が握られていない。
山刀並みのナイフでもなく、あるのは高性能な短機関銃。
赤いレーザーポインターが、一斉にドクオの体に向けられる。

一番近い相手で、距離は約4m。

214 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 02:31:01.78 ID:kMmb1+Jh0
('A`)「おいおい。
   もう少し穏やかに行こう。
   こんな所でパーティーを始めたら、近所迷惑になるだろう?
   ……なっ!」

電光石火の疾さで構えたM84が火を吹くより先に、眼の前で発射炎が瞬いた。
一瞬の内に眼に映る世界が速度を落とし、その時には、ドクオはやることが決まっていた。
体を後ろに倒す様に仰け反らせ、一発。
最も近くにいた敵の心臓部に着弾、敵は膝から崩れ落ちる。

銃弾の群れが、ドクオの体の上を通過してゆく。
弾道が徐々に低くなっているのは、ドクオの動きに合わせて狙いを変えているからだ。
これ以上仰け反れなくなったドクオは、わざと後ろに倒れる。
倒れるまでの間に二発続けて撃つ。

一発は一番奥にいた敵の肩に当たり、もう一発は真ん中にいた敵の眉間を穿つ。
全てがスローモーションの中、ドクオの背中が地面に触れる。
そこで、眼に映る世界の速度が徐々に元に戻った。
右に転がり、上体を少し上げつつ三発。

近距離の敵が二人、手に持った短機関銃の銃爪を引きながら倒れた。
今度は左に転がる。
間一髪。
ドクオの体を狙った銃弾が脆い床を粉々に砕き、飛んで来た木片らしきものが鼻を掠めた。

弾倉に残った弾を、まだ動いている二人に遠慮なく撃つ。
一発外れたが、4発は正確に二人の急所を撃ち抜いた。
遊底が引き切った状態で固定される。
即死した一人が倒れた衝撃で銃爪を引いたらしく、最後に撃った弾がドクオの右肩に当たった。

220 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 02:35:28.02 ID:kMmb1+Jh0
槍で貫かれた様な痛みがドクオを襲う。

(;'A`)「ぁだっ!?」

ただし、弾はロングコートを貫通していない。
優れた防弾繊維が貫通を防いだのだ。
が、衝撃までは流石に防げない。
着弾の衝撃をもろに受け、肩が痛みで痺れている。

('A`)「ってて……」

左手で肩を押さえながら立ち上がる。
空になった弾倉を捨て、右手で懐から新たな弾倉を取り出す。
器用に弾倉を装填し、遊底を元の位置に戻した。
左手に持ち替え、ドクオは軽く右肩を上げてみる。

(;'A`)「少しの間は駄目、か」

常人ならば動かすだけで顔を顰める痛みだが、ドクオは痛みに人一倍慣れていた。
思考を切り替え、当初の予定通りに移動を開始した。
足元に落ちている短機関銃を使いたいところだが、弾の規格が違う事から来る再装填の手間を考え、諦めた。
廊下の一番奥に来て、ドクオは天井を見上げた。

眼を凝らして観察すると、そこに長方形の溝があるのが分かる。
溝の中央付近には、鍵穴の様な穴が空いていた。
視線を廊下の壁際に移し、それを見つけた。
先端が鉤状になった長い棒だ。

227 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 02:39:06.69 ID:kMmb1+Jh0
M84をホルスターに収め、左手で棒を手に取る。
先程見つけた穴に、先端の鍵を入れ、引いた。
金属が軋む音と共に、折り畳まれた階段が降りてくる。
階段を下ろすと、積もり積もった埃が舞った。

(;'A`)「ぶほっ!?」

舞った埃が顔に降りかかり、ドクオは思わず顔を背けた。

(;'A`)「掃除ぐらいしろよ、まったく」

文句を言いながらもM84を抜き、階段を上って行く。
階段の上に広がっていたのは真っ暗で狭い空間。
何一つ明かりがない空間であったが、M84の照星と照門に施されたスーパーミノルヴァ加工だけが、唯一の光だ。
上り切ってから階段を引き上げ、屈んで周囲に銃口を向ける。

ここに待ち伏せされていれば、ドクオの策は破綻してしまう。
どうやら、大丈夫なようだ。
暗闇に慣れている眼が、暗闇の中に新たな輪郭を見出す。
一箇所、正方形の小さな溝を見つけた。

建物の屋根に出る為の出口だ。
地上を行けば、頭上からも攻撃をされてしまう。
ただ地上の相手だけをするのであればいいが、そこに上からの攻撃が加わると、途端に厄介になる。
そこで、逆発想。

屋根伝いに移動すれば、少なくとも一つ攻撃方向が減る。
下から攻撃されても、屋根の中央付近にいれば対処ができる。
正方形の扉に手を掛け、ゆっくりと押し開く。
途端、正面から殴りつける様な強風が吹きつけて来た。

231 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 02:43:01.88 ID:kMmb1+Jh0
髪は後ろに靡いたが、ロングコートの裾は僅かに動いただけだった。
動き続けた体に、この風は有りがたい。
痛みも和らぎ、思考が冷却される。
肺を冷たい空気が満たす。

('A`)「……よし」

扉を完全に押し開き、ドクオは上半身を外に出した。
屋根は斜めに傾き、大分、劣化が進んでいる。
周囲を見渡す。
丁度、建物の中ほどに出たようだ。

目的地は反対方向にあった。
助走を付けて隣の建物に向かって跳べば、難無く移動できるだろう。

('A`)「サンタの仕事ってのは初めてだが。
   これなら、結構行けそうだな」

慎重にボロボロの屋根に上る。

('A`)「落ちねぇだろうな……」

明らかに足元の屋根が歪んでいる。
足裏伝いにハッキリと分かる程の歪みは、ちょっとしたはずみで崩れ落ちるだろう。
目線を足元に落とし、爪先で強めに押してみる。
陥没した。

(;'A`)「……おいおいおい、これ駄目だろ」

236 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 02:47:06.35 ID:kMmb1+Jh0
足を退かしてみると、爪先の形に跡が残っていた。
動く時に気を付けないと、間抜けなサンタクロースの様に下に落ちる。
困り顔のまま視線を前に移した時、ドクオの顔がますます困り顔になった。

('A`)「げぇー」

( ∵)

一人、向かい側の建物の屋上にいるのを見つけてしまったのだ。
向こうはまだこちらに気付いていないらしく、三つの光点を通りに向けている。
が。
この状態の屋根の上を走れば、強風が吹いているとは言っても、向こう側にまで屋根が壊れる音が届く。

だからと言って動かなければ、気付かれるのは時間の問題だった。
作戦開始までに与えられた時間は限られており、ここで貴重な時間を使うのは賢い判断とは言い難い。
成功するかは分からないが、一つの考えが浮かんだ。
屋上の端までは、歩数にして15歩強と言ったところ。

十分だ。

('A`)「遂に屋根の上で悪餓鬼がプレゼントを待つ時代になったか……
   こりゃ、今年でサンタは廃業だな。
   やっぱり、サンタの仕事は無しだ」

ゆっくりと一歩。
軋む音は風が攫う。
二歩目。
風が横から殴りつける。

241 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 02:51:10.57 ID:kMmb1+Jh0
三歩目。
まだだ。
まだ、走ってはいけない。
風向きが変わるまでは、少しでも距離を詰める。

四歩目にして、屋根を半ばまで進んだ。
体重移動を間違えないよう、慎重に進む。
五歩目。
風向きが、正面に変わった。

風下。
好機。
殺意を感じさせないよう、自然な握りでM84を構えた。
問題はこの後。

屋根を破壊せずに駆け抜け、向かい側の建物の屋上に着地、そして排除。
どれもこれもが難易度が高い。
しかし、成功すれば一発で状況を打開できる。
突破口は、足場にこそある。

下手に力を入れるだけで陥没し、軋む屋根。
ここを走破するには、技術が必要だ。
そう。
跫音、体重、気配を消す高度な技術の存在を、ドクオは知っている。

光さえ届かない深海にある一粒の砂を見た程度に過ぎないが、確かに知っている。
ロマネスク一家のNo2にだけ伝えられる秘儀。
その名は"クレイドル"。
銀が普段見せる足の運び、呼吸の仕方。

247 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 02:55:02.37 ID:kMmb1+Jh0
そこにこそ、ヒントがある。
見様見真似でどうにか出来る技でない事は、重々承知している。
必要なのは心得。
日常生活で、普段から気配と跫音を断っている銀。

模倣でいい。
真似事でいい。
並ぶ必要など、どこにもない。
超える必要もまた、どこにもないのだ。

まずは呼吸。
ゆっくり、静かに鼻で呼吸をする。
深く吸い込み浅く吐き出し、冷えた酸素で肺を満たす。
心臓の鼓動をそのままに、呼吸が整う。

同時に、心も落ち着く。
余裕を持って周囲の状況が把握できる。
音、匂い、感覚。
全てが同調しているような感覚。

次いで足の運び。
銀の歩き方を思い出す。
静々とした足運びで、跫音一つ立てない。
差し足、だろうか。

前傾姿勢になる。
風向きが変わる前に、意を決し、仕掛ける。
呼吸を乱すことなく、差し足で走り出した。
跫音は消せなかったが、予想よりも抑えられている。

251 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 02:59:46.98 ID:kMmb1+Jh0
跳ぶ距離は、せいぜい2メートル。
行ける。
気付かれるのが先か、気付かれるのと同時か。
ドクオが跳躍する姿勢に入る、その直前。

風向きが、追い風に変わった。
ふわり、と風に乗る様に軽やかに飛ぶ。
三つの光点がドクオを向いた瞬間、その仮面にドクオの飛び蹴りが炸裂した。

( ∵)「?!」

仮面の下から、初めて声が上がったのを聞いた。
声からして、男。
手に持っていた戦斧がその手を離れ、地面に落ちる。
持ち主は後頭部を地面に打ちつけた後、鉄板が入ったブーツの底で仮面の上から顔を踏まれた。

ドクオは普通に着地したつもりだったのだが、それは思いも寄らない追撃となった。
勢いと体重の加わった攻撃で、白い仮面が足の下で砕けた。
顔の上から脚を退け、ドクオはM84を咄嗟に右手に持ち替え、地面に転がった戦斧を左手に取る。
ふらりと立ち上がろうとしている男の顔めがけ、ドクオは戦斧を振り下ろした。

('A`)「あれ?」

男の顔を戦斧が両断する直前、ドクオの記憶に何か去来する物があった。
正体を考える前に、戦斧は男の顔を割った。
顔の半ばまで刃が食い込み、ドクオは手を離す。
これ以上は意味がない。

('A`)「こいつ、どこかで見たような気が……」

253 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 03:03:01.42 ID:kMmb1+Jh0
グロテスクな肉塊へと変わった男の顔をこれ以上見る気にはならず、ドクオは首を傾げながらも移動を再開する。
次に跳び移る屋上を探す。
密集して建っているが、高さに開きがある。
低い場所から高い場所に跳び移るにはそれなりの身体能力が求められる為、この建物よりも低い、適度な高さの建物が望ましい。

M84を左手に持ち直したのは、背後から複数の殺気を感じ取ったから。
振り返ると、そこにいたのは三人の敵。
手には短機関銃を持っていた。

( ∵) ∵) ∵)

('A`)「……よぉ。
   どうした、そんなに殺気立って?
   そう云う時はラジオ体操でもして落ち着け……よっ!」

三発。
その悉くが、最小限の動きで避けられた。
今までとは格が違う。
本能でそれを理解したドクオは、この場から移動する事に決めた。

確実に移動ができる屋上に狙いを付け、ドクオは跳び移った。
後ろから三人が追って来る。
次の建物を探す。
そこに跳び移り、着地した時に気付いた。

この建物の周囲にあるのは、全てここより高い建物だ。
今さら先程の建物に戻れる筈も無く、ドクオは舌打ちをした。
やるしかない。

('A`)「ちぃっ!」

261 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 03:07:05.38 ID:kMmb1+Jh0
最も高低差の小さい建物の屋上に向かって、ドクオは跳び移った。
アケーディアの靴底が、しっかりとコンクリートの縁を捉え、ドクオの体を安定させた。
ブーツタイプでなければ、脱げて、ドクオと共に落下していたかもしれない。
高い金を出して買っただけはある。

素早く体勢を整え、出来るだけ勢いを付ける為、疾走する。
不気味な影の中から、跳び移れる建物を選び出す。
影が持つ威圧感に惑わされないよう、しっかりと見定めた。
ギリギリまで跳ぶのを堪え、そこから、ドクオはまた別の建物に向かって跳び移る。

遠回りでも構わない。
時間通りに到着出来て、方角を見失わなければ、それでよし。
僅かに首を動かして後ろを見ると、追手は少しも遅れずについて来ている。
新たな建物に跳び移ろうとした時、一人がドクオに追いついた。

(;'A`)「男に!」

掴もうと伸ばしてきた手から逃れ、その手は空を掴む。
40センチ程高い隣の建物に向かって、ドクオは跳んだ。

(;'A`)「追われる!」

ドクオの方が早く着地して、一拍遅れて跳び移って来ようとしたその敵に、ドクオは後ろ蹴りを放った。

(;'A`)「趣味はねぇ!」

そのまま落下してくれるかと思ったが、後続の二人が華麗にキャッチして助けた。
新たな建物を探そうと見渡し、どの建物も跳び移れないほど高い事に気付く。
出来る限り建物の端に移動して、迫って来る敵との距離を取る。
眼の前に、三人が同時に着地した。

264 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 03:11:02.30 ID:kMmb1+Jh0
( ∵) ∵) ∵)

三つの銃口が一斉に火を吹く。
横に飛び込んで回避、立ち上がると同時に走った。
遮蔽物を横目で探すが、貯水タンクしかない。

(;'A`)「今は調子が悪いから、来週にしよう!
   来週なら都合がいいから、今は止めておこう!」

連続して撃ち、牽制する。
返答は短機関銃の斉射。
走り、跳び、転がる。
ドクオが直前までいたコンクリートの地面が、銃弾で荒れ地の様に耕される。

(;'A`)「少しは話を聞いてくれてもいいだろ!」

不安定な姿勢から射撃しつつも、ドクオは悪態を吐く。
ようやく貯水タンクの裏に移動する事が出来た。
相手からの射撃が止み、不気味な静寂が一瞬だけ漂う。
その間に、ドクオは覚悟を決めた。

貯水タンクを背に、一気に走る。
向かい側にあるマンションの屋上には、とてもではないが届かない。
ただし。
部屋には届く。

目標の防弾仕様の窓ガラスに三発撃ち込んで破壊してから、縁に足を掛けて大きく跳躍。
両腕を眼の前で交差させ、眼を固く閉じる。
斜め下に向けて落下したドクオの体はその先にあった窓ガラスに突っ込み、民家の一室に飛び込んだ。
幸い、その部屋には誰もいなかった。

267 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 03:15:02.01 ID:kMmb1+Jh0
急いで立ち上がって部屋を出ると、物音を聞きつけたのか、この家の持ち主らしき寝間着姿の若い女性が部屋の前にいた。
明らかに怯えた表情をしており、今にも叫び出しそうだ。
何かとんでもない誤解をされている。

('A`)「心配いらない。
   通りすがりのサンタクロースだ。
   屋根は渋滞気味でね、悪餓鬼が大勢いるんだ。
   ちょっと悪いが、ここを通らせてもらうぞ」

落ち着かせる様な声色でそれだけ言って、ドクオは玄関まで走った。
チェーンと鍵を外し、扉を開けて出ようとした所で振り返る。
女性が体を強張らせた。

('A`)「っと、そうだ。
   鍵とチェーンは忘れるなよ。
   あと、音がしてもそっちに行かない方がいい。
   最近物騒だからな」

そう言い残し、ドクオは階段を探して走った。
先の女性の部屋から階段まではあまり離れておらず、直ぐに見つかった。
迷うことなくその階段を駆け上る。
常に緊張感の中でそれらをしてきた影響が、今になってドクオの足に負担を掛ける。

次第に駆け上る速度を落とし、遂には歩くに至る。
たった三階層を上がるだけなのに。
足に力が入らない。
まるで、筋肉が鉛にでもなったかのようだ。

271 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 03:20:16.96 ID:kMmb1+Jh0
やっとの事で屋上へと続く最後の階段の前に来た。
そこは鉄の扉で塞がれ、関係者以外が入れないようになっていた。
錠を撃ち壊す。
弾倉を交換してから、扉を開けた。

最後の階段を上り切ると、視界が開けた。
貯水槽、そしてワイヤーエスケープシステムが屋上の真ん中辺りに設置されている。
外周に沿って金網が設けられており、屋上から落ちる心配がない。
つまり、ドクオがこの屋上から出て行くのは難しい。

('A`)「設計ミスだ、これ絶対設計ミスだ……」

金網が邪魔をしており、折角のワイヤーエスケープシステムが意味を成さない。
ドクオのぼやいた通り、明らかな設計ミスである。
それだけではなく、金網は背が高く、内側に向かって傾いている為、乗り越えるのさえ困難だった。
どうにかして金網を除けなければ、ここに来た意味が無くなる。

('A`)「おっかない連中が来る前……にっ?!」

( ∵) ∵) ∵)

金網の向こうで九つの光点が光ったかと思うと、それがドクオの目の前に着地する―――

('A`)「追っかけられるのは嬉しいんだが、仮面の変態野郎にそれをされても……」

―――と同時に銃声が響き、彼等の手の中で、今まさに火を吹こうとしていた得物が砕け散った。

('A`)「……やっぱり、嬉しくないんだよな。
   どうせ向けるならクラッカーにしてくれ、俺は気が小さいんだ」

275 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 03:25:03.89 ID:kMmb1+Jh0
構える仕草を一瞬で完了し、更には狙いも正確に定めていたドクオは、嘆かわしげに言う。
銃口から揺蕩っていた硝煙が風に運ばれ、霧散する様に消える。
機構を破壊された短機関銃は使用不可能となり、少なくともこの位置での優位はドクオにある。
追いつかれてしまったなら、肝を据えるだけだ。

此処で、三人を排除するしかない。
この、閉鎖された空間で。

('A`)「おおっと、あの物騒な斧を出そうとか思うなよ。
   指先に力が入っちまう」

今すぐにでも三人の頭を吹き飛ばしたいのだが、撃つまでの間に動かれる可能性が大きい。
あの一瞬で殺す事も出来たが、死んだ勢いで銃爪を引かれた場合を考慮して、あえて銃だけを撃ったのだ。
狭い屋上で戦うとなると、必然的に接近戦になる。
となれば、戦斧の出番だ。

身体能力と得物を考慮して、今の状態で動かれると、ドクオの方が不利になる。
この威嚇がどのぐらいの時間稼ぎになるか―――

( ∵) ∵) ∵)

―――時間稼ぎとは、とても呼べなかった。
ドクオの警告も空しく、三人は腰から例の戦斧を取り出し、構える。

(;'A`)「たまには俺の話を聞いてくれても損はないと思うんだけど、その辺どう?」

一歩下がる。

(;'A`)「ちっ!」

277 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 03:29:04.67 ID:kMmb1+Jh0
相手は、一気に全員で襲い掛かって来た。
受け流しづらい上からの一閃を避け。
更に受け流しを邪魔する左からの一閃を躱し。
死角に回り込んだ敵の斜め左下からの一閃を、M84で上方に受け流した。

連続して繰り出された攻撃を防ぎきったが後退を余儀なくされ、やがて背中に嫌な金網の感触が触れる。
早くも追い詰められた。
退路は無く、前と左右は戦斧を持った敵が塞いでいる。

(;'A`)「まぁ待ってくれ」

( ∵)

(;'A`)「そうだ、話をしよう。
    冷静になって話し合おう」

( ∵) ∵)

(;'A`)「落ち着いて話せば分かる」

( ∵) ∵) ∵)

(;'A`)「きっと分かるって」

無言のままそれぞれが戦斧を構える。

('A`)「自分達の迂闊さに、な」

280 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 03:33:02.26 ID:kMmb1+Jh0
一斉に振り下ろされる直前、ドクオは意味ありげに小さく呟いた。
その一言が耳に届いたのか、三人の攻撃が一瞬だけ止まる。
迂闊。
一体、何が迂闊だと言うのか。

('A`)「それだよ!」

騙されたと気付いた時には、もう遅い。
どれだけ優れた手練でも、銃を持った敵の前で油断すればどうなるか。
答えは明々白々。
三連射された銃弾が、仮面の奥にある脳髄を外に吹き出させた。

排莢された三つの薬莢が地面を叩くのに続いて、顔に穴を開けた三人の敵は崩れ落ちる。

('A`)「だから言っただろ。
   人の話を聞けって」

ホルスターにM84を収め、ドクオは地面に落ちていた戦斧を左手で持ち上げた。
これがあれば、この厄介な金網を排除できる。
切れ味は眼の前で見せつけられているし、二回程使った事から、ドクオはこの戦斧に信頼を置いていた。
持ってみると分かるが、相当重い。

利き腕でないから、余計に重く感じる。
引き摺る様にして運搬する事で、問題はあっさりと解決した。
狙う金網は一面だけ。
脱出装置の正面に張ってある、邪魔極まりない金網だ。

283 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 03:37:02.10 ID:kMmb1+Jh0
大股でその前に来て、ドクオは戦斧を振り上げた。
体重を乗せて縦に一振り。
驚くほど簡単に金網は切断される。
間を開けて、もう一箇所縦に切断する。

最後は横に二本。
人が通れる大きさに四角く切り取った金網が、奥側に落ちる。
後は装置を使えば、向こう側にある建物の屋上に移り渡れる。
戦斧を捨て、ドクオは右肩を動かしてみた。

痛みは大分和らいでいる。
装置の後ろに回り込み、扉を開けた。
錆びていた。

(;'A`)「……くっそ、クレ555を持ってくるんだった」

これでは使い物にならない。
いや、使えない事はないが、使っている途中で壊れる可能性が非常に高い。
固定される筈のアンカーは発射装置ごと変色し、一部が欠けている。
唯一、ワイヤーだけは錆びている以外にこれといった劣化による損傷の跡が見られない。

移り渡るのは断念した方がよさそうだった。
ここでもたもたしている内に殺されるか、装置を使って事故死するか。
どちらも御免である。
少し逡巡して、ドクオは発射装置を台座から取った。

銃身下に取り付けられているグリップを、左手でしっかりと持つ。
アンカーを別の建物の装置では無く、この建物に設置されている装置に至近距離から撃ち込む。
本来の使い方を無視した為、アンカーは装置の反対側にまで貫通し、強力な磁石が駄目押しに固定させた。
これだけ深く突き刺さっていれば、ちょっとやそっとでは外れない。

285 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 03:41:13.94 ID:kMmb1+Jh0
折れれば終わりなのだが。

('A`)「頼むから、折れるなよ」

装置を持ったまま、ドクオは切り裂いた金網に向かう。
釣りに用いるリールの様に、装置からワイヤーが伸びる。
錆を撒き散らしながらも、ワイヤーはしっかりとしていた。

('A`)「……って、もう来たのか。
   仕事熱心な奴らだ」

階段を上る跫音を聞き咎め、ドクオは急いで屋上の淵に立つ。
外側に背を向ける。
複数の光点が目の前に現れた時、ドクオは左手で握ったグリップに力を入れた。
右手のM84を正面に向け、発砲と同時に体を宙に放り出した。

('A`)「お先に失礼」

落下するドクオの手元で、ワイヤーが勢いよく伸び出る。
発射装置が悲鳴を上げ、錆が落ちる。
しかし、落下速度は安全な速度を保っていた。
これは、自らの体重と重力を利用して強引にワイヤーを出している為だ。

片腕で自分の体重を支えつつ、ドクオは上を見た。

( ∵) ∵)

二つの影が屋上から飛んだ。
命綱もなしに。
ドクオは迷わずにM84を向けた。

289 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 03:48:04.92 ID:kMmb1+Jh0
('A`)「働き過ぎはよくないぜ!」

身体能力がどれだけよくても、空中で回避行動を取るのは不可能。
だが、狙って当てるのは不可能では無く困難なだけだ。
体の一部分だけでいい。

('A`)「そら、残業代だ!」

狙いが定まり切らない内に、ドクオは10発の弾丸を惜し気もなく放出した。
一人には二発、もう一人には三発命中するも、絶命させられなかった。
そうこうしている内に、地面が迫る。
その時。

錆で変色していた装置から、聞いてはいけない音が聞こえた。
気のせいで済まそうとしたが、更にもう一回聞いてしまった。
左手が握っていたグリップが根元から折れた。

(;゚A゚)「って!
    あら―――っ?!」

二階付近から落下したドクオは、不格好ながらも咄嗟に着地する事が出来た。
以前にもロープ降下をした事がある。
その前は、更に高所から死ぬような思いをして降下した事もある。
ドクオを追って降下した二人も、その横に首から綺麗に落ちた。

空中で回避行動が取れないなら、姿勢を崩した状態から回復するのはまず不可能だ。
何よりも、その為の時間がない。
高高度で姿勢を崩したのならば、まだ修正する時間が与えられるが、今回は5階。
そのような時間を与えられる訳も無く、ドクオの思惑通りに落下死したのである。

292 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 03:51:01.75 ID:kMmb1+Jh0
足の裏から伝わる衝撃が、一時的にドクオの脚を機能停止にした。
弾倉を捨て、新しく装填。
痺れが薄れて来た所で、ドクオは周囲を見渡した。
待ち伏せは、いない。

歯車城の位置を確認する。
二時の方向に確認できる。
咄嗟に時計を見た。
何処で壊されたのか、文字盤を覆っている筈のガラスが綺麗さっぱり無くなり、ある筈の針も無くなっていた。

腕が無くなっていないだけ、運が良かった。
文字盤の下にある機構が壊されていれば、流石に捨てるしかない。
見たところ、ガラスと時針だけが壊れている。
これならまだ修理に出せば使えるだろう。

気を取り直し、現在位置から歯車城へのルートを考えた。
―――ルートが、分からなかった。
歯車の都に住んで長いが、全ての道を把握している訳ではない。
地図屋ですら、裏通りの正確な地理を掌握しているかどうか怪しい。

自分と関わりのない場所の道を覚えるほど、ドクオは暇な人生を送っていなかった。
裏通りで道に迷うと言う事は、死を意味するぐらいに危険な状態だった。
しかし、幸いなことに今日は人の気配がしない。
暴漢に襲われる―――既に常識外の変態達に襲われているのだが―――心配が、幾らか減っている。

道に迷った事実に、ドクオは軽く頭痛を覚えた。
ここに来て、地上の道の事を失念していたのは不味かった。
建物の上を移動する方法は、そう何度も使わない方が賢明だ。
精鋭100人以上の敵が、何処に潜み、どの様に待ち構えているか分からない。

295 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 03:55:01.63 ID:kMmb1+Jh0
屋上伝いに移動すると云う手段が敵に広く知られれば、屋上を中心に待ち伏せされてしまい、二度と使えなくなる。
まだ、屋上の道は取っておきたい。
こちらが屋上に活路を見出している事を悟られない為には、地上の道も適度に使う必要がある。
兎に角、予想と予測をされない事が重要だ。

携帯電話を取り出し、ナビゲーションシステムを起動させる。
知りたいのは、現在地と周囲の建物だ。
それさえ分かれば、どうにかなる。
現在地の取得が始まるが、電波状況が悪いのか、時間がかかっている。

画面右上に表示されている小さな時間を見ようとした時、横合いから伸びた手に携帯電話が奪い取られた。
路地の近くに立って、携帯電話の小さな画面を注視していたドクオの不覚だ。
でなければ、ここまで接近を許さなかった。

('A`)「……おい」

携帯電話を奪ったのは、仮面を被った者では無かった。
裏通りを探せば、どこにでもいる、ただの路地裏強盗だ。

「あぁ?」

男は、連絡手段であると同時に、優れた通信端末である携帯電話をへし折った。
威圧するだけでなく、連絡手段を断つ事によって誰かに知らせる手を封じたのだ。

「ったく、今日はお前だけかよ」

ただならぬ雰囲気の中で、こうしているのは馬鹿か阿呆かの二択。
恐らく両者だ。
間違いない。

301 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 03:59:02.89 ID:kMmb1+Jh0
('A`)「頭をふっ飛ばされるか、それとも真二つにされるか。
   なぁ、真面目な話、どっちが好きだ?」

「うるせぇなぁ。
黙って金だせよ」

('A`)「なるほど、両方がいいのか……
   ……だってよ!」

男が慣れた手つきで懐から得物を取り出すより先に、ドクオは男の股間を蹴り潰した。
口から泡を吹き、男は股間を押さえて絶叫を上げる。
のた打ち回られる前に胸を蹴り飛ばした。
後ろに倒れるかと思われた男だが、最終的にはそうはならなかった。

最初に左半身と右半身で、体が上下に"ズレた"。
最後に首が吹き飛んだ。
その場で四等分された男は、文字通り崩れ落ちた。

('A`)「こりゃどうも、御親切に。
   出来れば斧を捨てて、代わりに花束を持ってくれないかな。
   あぁ、薔薇だけは止めてくれ。
   そうだな、プレゼントは地図がいい。

   いや、真面目な話だ」

( ∵) ∵)

血の付いた戦斧を一振りし、刃から血を払い落す。
愚かな男を屠った二人組は、肉片を避けて近づいて来る。
合わせて、ドクオも下がった。

304 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 04:02:01.78 ID:kMmb1+Jh0
('A`)「随分と血生臭いプレゼントだが。
   そいつは遠慮しておこう。
   ラッピングぐらいしてくれ、危ないだろ」

ドクオが静かに酸素を一回吸った時、相手に動きがあった。
動いたのは一人で、もう一人は動いていない。
正直なところ、一人が動いた瞬間が見えていなかった。
それでも動いたと確信したのは、眼の前から一人だけ消えたからだ。

急いで路地裏から遠ざかるが、決して正面にいる敵に背を見せない。
消えた一人の行方も、確かに重要であるが、それと同じぐらい目の前の敵も重要だからだ。
じりじりとドクオに迫って来る敵の威圧感に気押されないよう、ドクオは呼吸を乱さない事を心掛けた。

('A`)「っ……」

呼吸が乱れれば自ずと焦る。
静かに吸い、静かに吐く。
深く浅い呼吸によって、頭が冴え渡る。
構えは自然体に。

走って勝てる相手ではない。
ましてや、殴り合いでどうにかなる相手でもない。
迎え撃つ。
残った一人が、爆ぜる様に駆け出した。

爆発的な加速によって、僅かに二歩で距離を詰められ、戦斧が振るわれる。
眼に映る敵は一人だが、気配は二人分。
となれば、相手の目論見は一つ。
前後からの挟撃。

309 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 04:05:38.69 ID:kMmb1+Jh0
相手の思惑を寸分違わず看破し、ドクオは冷静に動く。
トリガーガードで前から来た斬撃を受け流す。
緩やかな弧を描くトリガーガードの上を、鋭利な刃が滑る様にして動かせる。
透き通った音を残し、ドクオは受け流すのとほぼ同時に華麗な足捌きで横に移動した。

タイミングを測って背後から音も無く迫っていた敵は標的を見失い、当然、仕損じる。
飛び掛かる形で振り下ろされた戦斧は、ドクオの代わりに地面に深く突き刺さった。
1秒でも行動が遅れていたら、その切っ先はドクオの肩から先を切り落としていた。

('A`)「浅いってんだよ、考えが!」

着地の隙を突いて、ドクオはその敵に向かって三発。
相方が作ってしまった隙を補おうと反射的に動いた敵に、大きく一歩下がりつつ二発。
揃って崩れ落ち、内一人は僅かに痙攣し始め、残る一人は必死に動こうとしていた。
それぞれの頭を吹き飛ばし、ドクオは爪先で二人を軽く蹴ってみる。

もう動かない事を確認してから、ドクオは一つ溜息を吐く。
ここにいても仕方がない。
位置がばれた以上、すぐに次の行き先を決めなければならない。
建物の上を目指すか、それとも地上を行くか。

地上にいれば、今の様に襲われ放題だ。
数で押されてしまえばそれで終わり。
それに、道も分からない。
ならば、やはり屋上を移動するしか、今は道がない。

出来るだけ、屋上の高さが同じぐらいの建物が続いているのが望ましい。
急いで目ぼしい建物を探して、視線を周囲に向ける。
今度こそしっかりとした建物を選び出し、ドクオは迷わず向かった。
自動ドアの電源が切れているらしく、ドクオが近づいても反応しない。

311 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 04:09:08.11 ID:kMmb1+Jh0
ガラスのドアの向こうは暗く、明かり一つない。
停電か、それとも節電か。
錠を撃ち壊し、強引に開く。
開いた後で気付いたのだが、強引に開いたのだから、警報機が鳴ってもおかしくない。

だが、警報機が鳴る気配はなかった。
赤外線装置で通報される仕組みだろうか。
どちらであろうと、結局同じ事だ。
ホテルの従業員に見つかる前に、さっさと屋上に行こう。

階段に向けて走ろうとした、その時。
ポンプアクションの音が背後から聞こえた。

('A`)「……いや、違うんだ。
   俺はただのイ左川急便の配達員だよ。
   インターホンを押したんだが、誰も出なくてね。
   速達だから早めに届けたかったんだ。

   ハンコかサインを用意してくれ。
   ショットガンは必要ないぞ。
   さぁ、そいつを下ろしてくれ。
   あんまり長い事こうしてると、品物が冷めちまう。

   あんただって、温かい内に食いたいだろ?
   冷めると美味くないって言伝もあってね」

315 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 04:13:14.12 ID:kMmb1+Jh0
「へぇ、そいつは驚きだ。
じゃあ、その品物はどこにあるんだ?
お前さんのフレッシュミートの事か?
段ボールも持っていない配達員なんか、いるわけねぇ。

ハンコはねぇが、朱肉ならお前さんの体から幾らでも出るぜ。
第一、ここに配達員が来る訳がねぇのさ」

独特の訛りのある中年の男の声だ。
従業員か、それとも警備員か。

('A`)「本当の事さ。
   こいつが、届けものだ」

脇の下から覗かせたM84が火を吹く。
ドクオの後ろに立っていた男は、上顎を吹き飛ばされ、それっきり口を利かなくなった。
弾倉を交換して、ベレッタを懐のホルスターに収める。
代わりに、男の持っていたショットガンを奪う。

予備の弾を持っていないか体をまさぐって調べると、三発の散弾を見つけた。
奇妙な事に、男の格好は寝間着姿だった。
従業員や警備員の着ている制服でないと云う事は、この男はホテルの客。

('A`)「アグレッシブな客がいるもんだ」

呆れたように呟いた時、階段から人が降りてくる音が聞こえて来た。
と、同時に。

「お、おやじぃぃいいい!!
この野郎、よくも、よくも親父を!!」

317 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 04:18:06.86 ID:kMmb1+Jh0
若い男の悲痛な叫び声が響いた。

('A`)「五月蠅いってんだよ!」

ショットガンの銃口を向け、一発。
散弾が若い男の体がふっ飛ばし、背後の壁に叩きつけた。
距離があった為、殺せていない。
ポンプアクションで排莢、装填。

虫の息となった男の元へと歩み寄り、もう一発。
血肉が弾け飛び、絶命した。
再びポンプアクション。
血まみれで息絶えている若い男は、その手に汚らしいコルトを持っていた。

('A`)「……要塞警察に紛れ込んじまったのか?」

先程入手した散弾を装填する。
弾数が少ないのがショットガンの難点だ。
しかし、手持ちの弾を生身の人間相手に使うのは、些か気が引ける。
一発一発が特注品で、割に合わない事を考え、渋々ショットガンを使う事にした。

階段を上り、二階の踊り場に出る。
複数の視線と気配、呼吸音。
ショットガンをそちらに向け、牽制しつつ階段を後ろ向きで上る。
慎重に一段ずつ上り、視線を動かし続ける。

常にこちらの挙動が見られている感じがして、ドクオは軽く苛立ちを覚えた。

('A`)「ったく、なんだよ、ここは」

319 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 04:22:47.07 ID:kMmb1+Jh0
無事に上り切った所で体を反転させ、駆け上る。
三階、四階、そして5階。
どの階層でも向けられたのは、敵意に満ちた視線だった。
そのくせ、一発も撃ってこない。

六階に相当する屋上まで、後一つ上ればいい。
ところが、物事はそう上手く行かなかった。
5階から六階に上がる階段の前で、ドクオは立ち止った。
二人の女が、部屋のドアから顔を出してドクオの様子を窺っているのに気付いたからだ。

女達が手にする得物の銃口がドクオに向いている事もまた、ハッキリと分かっている。
すかさずショットガンを構えた。
何故かは知らないが、女達は動かない。
ドクオは無言のまま、銃爪を引いた。

木片を撒き散らしながらドアが吹き飛ぶ。
広範囲にばら撒く散弾ならば、そもそも狙う必要が無い。
顔の一部を失った女が、悲鳴を上げてのたうつ。
すかさずポンプアクション。

様子を見ていたもう一人の女が、彼等のささやかな沈黙を破った。
ドアから身を乗り出し、手にしていたアサルトライフルを、弾切れになるまで叫びながら撃ちまくる。
殆どは外れたが、10発近くのライフル弾がドクオの胸部に命中した。
女の銃が弾切れになる前に一発撃ち返し、女の顔を穴だらけにして屠った。

胸骨の具合が心配だったが、貫通していないのは分かる。

(;'A`)「いててて……
   あのド腐れ尼、いきなり何しやがる」

321 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 04:26:03.40 ID:kMmb1+Jh0
毒づきながらも自分のコートを見て、全く傷が付いていない事に驚いた。
それも束の間。
各部屋の扉が一斉に開かれ、人が飛び出してきた。
訳の分からない外国語で、何やら捲し立てている。

中には口から涎を撒き散らしながら喚く者もいたが、共通して銃を持っていた。
一目見て、それが安物のコピー品だと分かる。
威嚇の意を込め、装填音を響かせる。

(;'A`)「お、おい待て。
   何だか知らないが、お前らは誤解している。
   最初にその糞尼が……!」

花火の様な銃声によって、ドクオの声は上塗りされた。
階段を背にしているドクオに、素早く遠ざかる術は無い。
千に至る弾丸の群れが、問答無用とばかりにドクオを襲う。
咄嗟に、敵に背を向けて頭を抱え込むように屈んだ。

背中の耐久度は、正面と比べて数倍は高いとされている。
衝撃に耐えられれば、どうにかなる。
防弾仕様の繊維を通し、背中一面に絶えまない衝撃。
呼吸が乱れ、咳込む。

意識が朦朧とした辺りで、銃声が止んだ。
辺り一帯に硝煙が霧の様に立ち込める。
火薬の匂いが鼻につく。
ショットガンの中にある弾は、三発、と言ったところか。

325 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 04:30:04.19 ID:kMmb1+Jh0
これではあの数を制圧するなど、不可能だ。
力尽きた風を装い、ドクオはショットガンをゆっくりと手放した。
流石に、あれだけ銃弾を受けて生きているとは思わないだろう。
油断し切った阿呆達の、跫音が近付いて来る。

一人の男がドクオの肩に手を掛けた、その瞬間。
立ち上がりざまにその手を後ろに捻り上げ、ドクオは男を楯にした。
抜き放ったM84を男の米神に押しつける。
彼の後に続いていた十数人の男達は、ひそひそと喋りながら後退する。

('A`)「そうだ、理解が早くて助かる」

後ろにある階段を目指して、慎重に足を後ろに進めた。
一段目に足が乗った所で、目の前の男達が手にしていた銃を一斉に向けた。

('A`)「……いい友達を持ったな」

楯にしている男が、必死の形相で喚く。
言っている詳しい内容は分からないが、何を言いたいのかはよく分かった。

「救命阿!」

男の命乞いも空しく、発砲音が響く。
未だ晴れ切っていない硝煙を撃ち抜き、新たな硝煙が生まれる。
より一層火薬の匂いが濃くなる。
全ての弾丸は、ドクオが楯にする男に当たった。

329 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 04:34:08.88 ID:kMmb1+Jh0
何度も何度も体が跳ね、その度にドクオは男を離さないようしっかりと腕を押さえる。
銃声と硝煙に紛れ、ドクオはM84をしまった。
足元に捨ててあったショットガンの下に足を忍ばせている事に、誰も気付かない。
リフティングの要領でショットガンを蹴り上げ、宙でフォアグリップを掴む。

掴んだ勢いを、そのままポンプアクションへと変換する。
威嚇じみた独特の音が一つ、銃声に隠れて鳴った事に気付けたのは、ごく一握りの者だけだった。
一瞬だけフォアグリップから手を離し、装填、排莢を終えたショットガンの銃把を掴んだ。
十字砲火が止む。

一拍。
ショットガンの銃口に睨まれた二人の男に、二拍目は与えられなかった。
代わりに与えられたのは、銃声と散弾。
運よく二拍目を得られた者達が見たのは、人形の様に吹き飛ぶ友人達の屍だった。

驚愕と怒りの入り混じった表情を浮かべる男達の目の前で、ドクオはショットガンを縦に持ち替えて片手でポンプアクション。
二射目は、吹き飛んだ仲間の死体を見ていた、比較的遠くに居る男三人に向けられた。
並んで立っていた三人の内、真ん中に位置した男は顔の原形を失った。
横の二人は首を損傷し、首筋を押さえながら倒れる。

僅かの間で、5人が戦闘不能に陥った。
恐るべき散弾の威力。
流石だ。
もう一度ポンプアクションをしたが、次の弾が装填される音はしない。

弾切れ。
元より弾数を把握していなかった為、いつ何時起こってもおかしくない事態だ。
邪悪な笑みを浮かべながら、彼等はドクオににじり寄る。
ドクオの相手をしていた者達の敗因は、それを好機と捉え、過大なまでに酔い痴れた事だった。

330 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 04:38:28.42 ID:kMmb1+Jh0
自ら手にするアサルトライフルの弾を考えず、彼等は銃爪を引いた。
弾は、出なかった。
空しく銃爪を引く音があちらこちらから鳴るが、銃声は鳴らない。
それは致命的な隙となった。

木製の銃床を上に向け、ドクオはショットガンを棍棒の様に構えた。
苦手分野だったが、ドクオの決断は迅速だった。
楯にしていた男を手近な男に向かって突き飛ばし、死体の背中を蹴りつける。
変わり果てた仲間の骸に抱きつかれ体勢を崩した男の頭上に、ドクオは銃床を振り下ろした。

熟れたザクロが弾けるように、男の頭は割れた。
深く、そして疾いドクオの踏み込みに誰も追いつけない。
一方的に蹂躙される事に対して、彼等は素人だからだ。
反応も対応もままならない。

新鮮な血と脳髄の付いた銃床で、一人の男は首の骨を折られた。
ある男は鼻を潰された。
またある男は、後頭部を砕かれた。
木片と血と悲鳴を撒き散らし、ドクオは次々に撲殺を繰り返した。

遂に、繰り返された衝撃に耐え兼ね、銃床が砕け散った。

('A`)「次はもっといいのを買うんだな!」

銃床を失ったショットガンを未練なく手放し、ドクオが次に武器として目を付けたのは、男達が持っていた銃だった。
弾切れを起こしている銃を奪い、怯える男の、その情けない顔に叩きつけた。
歯が砕け、目が飛び出し、血を吐き出して死んだ。
自らの脚で立っている男の数が最初の半数に減った辺りで、一人の男が反撃に出ようと試みた。

335 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 04:42:04.94 ID:kMmb1+Jh0
一度殴っただけで使い物にならなくなった粗悪な銃を捨てたドクオの背後から、男は雄叫びを上げながら迫る。
その荒々しい息遣いと跫音に、ドクオは面倒くさそうに顔を向けた。
男は振り上げた拳を、憎たらしいドクオの顔に突き出す。
ドクオの手が一瞬だけ閃いたのを、男は見たような気がした。

銃声と同時に首を失った男の体が、見えない壁にぶつかったかのように後ろに倒れる。
嘆かわしそうに溜息を吐いたドクオの手には、M84が握られていた。
銃口から硝煙が揺蕩う。
圧倒的な威力を見せ付けられた男達の顔には、背後に飛び散った脳漿や骨片が付着していた。

価値的にも、威力的にもこの弾丸は易々と生の人間相手に使うべきではない。
貴重な一発を使わなければ、ドクオは男からパンチをもらう所だった。
そうなれば、後は数が多い方に勝敗の天秤が浮気をする。
だから今の一発は、必要な一発だったのだ。

残る男の数は、僅かに三人だけ。
皆両手を頭の上に乗せ、横一列に並んで膝をつき始めた。
ここまで事態を悪化させて、今さら降伏するようだ。

('A`)「最初からそうしてくれればよかったんだよ。
   そうすれば、俺は無駄な時間と弾と体力を使わずに済んだ」

男達の横に来て、ドクオは質問をする事にした。

('A`)「手前等、一体なんだ?」

言葉が理解できていないのか、ドクオの知らない例の言語で喋り始めた。

('A`)「分かった、よし、よく分かった。
   安心しろ」

337 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 04:46:04.20 ID:kMmb1+Jh0
敵意を感じさせない口調で喋ったおかげで、三人は安心した様子を見せた。
それは同時に、油断した事を意味する。
撃鉄の起きたM84から一瞬でも注意を削げれば、ドクオはそれでよかった。

('A`)「この一発は俺の奢りだ」

一発。
貫通力と破壊力に富む一発の銃弾は、男三人を同時に殺してもまだ威力が有り余っていた。
向こう側の壁に空いた穴から、冷たい夜風が吹き込んでくる。
三つの死体は皆、期待に満ちた笑顔を浮かべていた。

('A`)「ここまでやっておいて、タダで済むはず無いだろ」

死体に向かってそう言って、屋上に続く階段に向き直った。
後ろに目線を感じ、首だけを動かしてそちらを見る。
そこにいたのは、みすぼらしい格好をした幼い子供だった。
一人では無く、多数。

('A`)「……なるほど、そうか。
   連中、密入国者か」

正規の手続きをしてこの都に来るには、厳しい基準をクリアしなければならない。
毎日を懸命に生きている者からすればそうではないが。
経済的に貧しい者達にとって、外地からここに来るのはほぼ不可能だ。
外の諸国から訪れる者達によって治安が悪化するのを防ぐため、遺伝子情報を管理して犯罪を抑止する法が500年近く前から施行されている。

初代歯車王が作ったその法は今でも健在だ。
金も無く、コネも無い者達にとって、歯車の都は無限の可能性がある理想郷その物だ。
彼等の多くは、危険を冒してでもこの都に来る価値があると考えている。
その為、こうして集団で密入国させるビジネスが都には存在していた。

340 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 04:50:03.71 ID:kMmb1+Jh0
外殻は硬いが、内部ではこうした犯罪が黙認されているのが現実だ。
一見して卵の様な構造であるが、実情は違う。
ある程度の犯罪行為を見逃す事によって、歯車の都は絶妙なバランスを保ち、繁栄する事が出来ているのだ。
仮に密入国に成功したとしても、彼らが夢見た仕事は夢のままで終わる。

素性の知れない者を雇い入れる企業は、裏社会ぐらいにしか存在しない。
若い女や子供は主に売春。
それ以外となると、安い賃金で過酷な労働を強いられるか、いい様に利用されて捨てられるかしかない。
このホテルは、どうやら密入国者達で形成された隠れ蓑だったようだ。

ドクオの事を警察か、それともどこかの組織の人間かと勘違いして襲って来たのだろう。
全くもって迷惑な勘違いである。
大人が死に、残ったのは子供だけ。
下の階層にまだ生き残りがいるが、少なくとも、この階層にいる大人の大半は死んだ。

少しでも考える脳みそがあるのなら、こちらに増援が来るとは考えにくい。
あれだけ銃声が響いていても尚来る者があれば、ドクオはその者に称賛の意を込めて、銃弾を与えなければならない。
視線を階段に向けるも、特に動きが無いので、ドクオは視線を子供達に移した。

('A`)「……ちっ」

金の無い子供が単独で生き延びるには、文字通りの死に物狂いにならねばならない。
が、体つきは貧相で、眼に生気はない。
まず、生き延びられないだろう。
だがドクオには関係がない。

面識もないし、借りも無い。
当然、貸しも無い。
恩を売っても意味がない。
それに、下の階に居る大人が手を貸すかもしれない。

342 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 04:54:02.42 ID:kMmb1+Jh0
('A`)「ま、頑張れ」

一言だけ、ドクオは言い残した。
子供達から目を離し、ドクオはその場から移動を開始した。
階段を駆け上って、ドアノブを回しながら引いてみる。
扉はあっさりと手前に開いた。

と、同時に強風が吹きつける。
何時でもここから脱出できるように、鍵は掛けていなかったのだろう。
これで手間が一つ省けた。
扉を閉め、即座に腰を落としてM84を構えながら周囲を見渡す。

まだ追いつかれていないか。
銃全体の重さから、残弾を確認する。
心許ない残弾だった為、この時間で素早く弾倉を真新しい物へと交換した。
より逃げやすくする為、屋上にフェンスは設置されていない。

歯車城の位置を確認し、次に隣の建物までの距離を確認する。
十分に行ける距離だった。
時計を見る。
まだ時間は十分あった。

後30分もあれば、確実に到着できるだろう。
いざ跳び移ろうとドクオが準備した時、ドクオの顔に水滴が落ちて来た。

('A`)「ん?」

思わず空を見上げる。
嫌な予感がした。
予感が確信に変わるのと季節外れの豪雨が降り始めたのに、時間的な差はそう無かった。


370 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 09:08:13.67 ID:A2XCfh+q0
(;'A`)「……くっそ、ついてねぇ」

数秒で全身がずぶ濡れになる。
幸いなことに、千春の用意してくれたコートは防水性にも優れており、弾倉は無事だ。
体が冷えないよう、コートの前を閉じる。
M84を握り直し、周囲を見渡す。

視界が悪い。
見えるのは白っぽくぼやけた光景だ。
雨音が消すのは跫音。
滝の様に降り注ぐ雨が誤魔化すのは敵の姿。

それでも一応、歯車城は闇夜にハッキリと浮かび上がっている為、見失う事はない。
先程確認した建物に向かって、ドクオは十分な助走をつけて跳んだ。
無事に着地。
次の建物を探す。

('A`)「まいったな。
   今日はとことんついてねぇみたいだ」

移動に最適な建物を見つけるのと同じく、歓迎できない者達も見つけた。

( ∵)

一人、いや。
二人だ。

( ∵)

372 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 09:12:01.28 ID:A2XCfh+q0
左手側の建物の屋上に一人。
向かい側、二つ先の建物に、もう一人。
それぞれ、しっかりとドクオの方を向いている。
選択肢を削られ、行く道は一つに絞られた。

('A`)「今度、メッセンジャーでもやってみるかな。
   屋根の上を走り回りますってキャッチフレーズでさ!」

雨が滴る前髪を指で漉き上げる。
走る時に濡れた前髪は邪魔だ。
果たして、無事で済むだろうか。
この豪雨の中で頼れるのは、己の感覚だけ。

大粒の雨は、射撃手にとっての生命線である視界を遮る。
加えて、夜と云う時間の関係上、視界は最悪だった。
一つ息を吐き、目の前にある建物の屋上に向けて駆け、跳躍した。
着地。

二方向から、二人の敵が僅かに遅れて迫る。
否、三方向から四人だ。
最初に視認した二人が跳んだ後、右からも豪雨に紛れて、新たな影が二つ。
計四人が構える戦斧の切っ先どころか、姿さえ豪雨に紛れてよく見えない。

感覚だけで、なんとなくそこに危険な物がある事は理解出来た。
遅れてやって来る二人組は後回し。
早急に先の二人を潰して、時間を得る事に徹する。

('A`)「だあっ!」

374 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 09:17:15.14 ID:A2XCfh+q0
腰を深く落とし、大きく前に向かって一歩踏み出した。
正面から飛び掛かって来ていた敵が着地する寸前に、その脚に体当たりを喰らわせ、敵は宙で体勢を崩した。
前髪を掴んで、目の前の地面に叩きつける。
衝撃で、その手から戦斧が離れた。

拾われるより先に右手首を踏みつけ、左手で戦斧を拾い上げる。
右手のM84で、地面の敵の顔を撃つ。
これで、状況が少し変わった。
仮面の集団にとっての問題は、ドクオがどれだけ戦斧を使えるか、その一点。

ドクオにとって、戦斧をどのようにして使うかは、さしたる問題ではなかった。
これは解決している。
手にする前に戦略は出来上がっていたのだ。
問題は、戦略の実現を可能にする為の行動が出来るか、出来ないか、だけ。

一瞬の内に、ドクオを含めたその場の全員はそれぞれの戦略を立て、実行へと移す。
高々と跳躍していた一人が、一旦屋上に着地してから間を開けずに一直線に走った。
何を思ってそう決断したかは知らないが、ドクオの持つ戦斧に対して、威嚇用の何かとしか考えていないと、ドクオはそう推察した。
でなければ、接近戦を挑む理由がない。

推察は確信へと変わる。
彼等が注視しているのは、M84だけだ。
一発。
たった一発凌げれば、彼等に勝ちは十分にあり得る。

攻撃をされれば、ドクオは否応なしにそちらの攻撃を防ぐ、或いは迎撃をしなければならない。
その隙に、残った二人背後からに襲われれば、一溜まりも無い。
現に、立ち位置がいつの間にか、前後からの挟撃に変わっている。
敵ながら感心するが、感謝もした。

375 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 09:22:04.67 ID:A2XCfh+q0
ここまで見事に踊らされてくれると、笑うしかない。

('A`)「横入りは感心しねぇな。
   順番は守りな!」

刹那、右からドクオを狙っていた敵は奇妙な物体が飛んでくるのを見た。
ただでさえ重量がある戦斧は、投擲するだけでも強力な威力を持つ。
投擲された戦斧が深々と顔に突き立ち、後ろに仰け反って倒れ、思考を断つ。
最後まで、敵は自らの命を奪った物の正体が分からないままだった。

手にした得物を躊躇わずに投げて使用したドクオの行動は、的確だった。
残ったもう二人は、内心でドクオに対する考え方を変えた。
見事。
だが、ここで終わりだ、と仮面の下で男達は無言で続けた。

何故なら、ドクオは折角手に入れた接近戦用の武器を文字通り手放したのだ。
挟撃に対して片方を迎撃したが、武器は一つ。
短機関銃ならまだしも、ドクオの持つ得物は自動拳銃のM84が一挺。
二つ同時に攻撃を受ければ、例え受け流した所で、防げるのは一つだけ。

まだ勝算は十分だと云う判断の下、男達は行動していた。
この攻撃の為に命を散らした味方の為を思い、二人はドクオの排除を急いていた。
ドクオの真意が見えていなかっただけでなく、もう一つ、致命的な見落としをした事に、気付かないほどに。
銃は、一挺ではない。

二種類の銃声がドクオの両手から響き、二人の命が同時に消し飛んだ。
ドクオの持つ銃は、二挺。
一挺はオープンスライドのM84。
そして残すもう一丁は、リボルバー、レッドホーク。

377 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 09:26:19.08 ID:A2XCfh+q0
心配していたのは、早抜き、早撃ちがこの状況で今のドクオに可能かどうかだった。
今は亡きジョルジュが得意とした芸当をドクオが行える事を、男達は知らなかった。
驚くべき技術だったが、ジョルジュには遠く及ばない。
所詮、模倣である。

レッドホークを手にしてから、ドクオは少しでもジョルジュの技を我が物にしようと練習した。
この銃を使う以上、元の持ち主に少しでも恥じないよう努力したのだ。
ジョルジュがドクオに残したのは、物だけでは無い。
その内の一つが、少しでも誰かに追いつこうとする意志だった。

豪雨は激しさを増し、視界は最悪を極めていた。
相手が余程接近しない限り、視認する事さえままならない。
移動の目安は、歯車城の明かりだけだ。
これ以上追手の数が増すと、ドクオは対処できなくなる。

そうなる前に屋上を移動し、次の建物に跳び移った。
大きな水たまりの上に着地してしまい、派手に水飛沫が上がる。
雨は止む気配を見せず、弱まる気配さえない。
そして。

敵の追撃も、休憩を知らない。
背後から凄まじい圧力を感じ取り、ドクオは思わず屋上の中ほどで立ち止って振り返った。
この圧力は、技量による物ではない。
質量、物量によるものだ。

豪雨の中に淡い光点が浮かんだかと思うと、その数を急激に増した。
どこの建物にどれほどの数がいるのか、正確な事は視界が悪いので分からない。
言えるのは、生半可な数ではなく、相手が数で一気に叩き潰しに来る事は確実だった。
ガンシップによる航空支援が欲しいところだ。

379 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 09:30:06.06 ID:8Q85ystN0
('A`)「こりゃ、また……
   乙女チックな馬鹿女の願い事を叶えたい放題だな。
   きっと、鼻水たらして泣いて喜ぶぞ。
   残念ながらこっち側にそんな哀れな女はいないし、そもそも流れ星なんて見えないけどな」

唐突に現れ、ドクオのいる屋上に一瞬で着地したのは、確認出来ただけで十五人。
溜息と舌打ちを押さえ込む代わりに、ドクオは両手の銃を振って水滴を払った。

( ∵) ∵) ∵) ∵) ∵) ∵)

見間違いや見逃しでなければ、連中は得物を持っていない。
得物が無いなら、攻撃手段は一つしか考えられない。
受け流しができず、そして、回避が困難な攻撃手段。
徒手空拳。

('A`)「セガールの真似事か?
   悪い事は言わない、あれはフィクションだ、現実を見るんだ。
   よせよ……
   ……おい、よせって。

   待った、ちょっと待った!
   頼む、顔だけは止めてくれ!」

ゴングの代わりに、殺意の波が押し寄せて来た。
拳法家じみた動きを取り、無言のまま襲い掛かってくる。
ドクオは迷うことなく反対方向に向かって走り出した。
狭い屋上を一直線に駆け抜け、隣の建物に跳び移る。

382 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 09:35:04.59 ID:8Q85ystN0
ドクオを追って人影が続く。
差は縮まる。
跳び移り、即、振り返る。
優秀な追跡者が相手なら、このタイミングに間違いなく攻撃を繰り出す筈だ。

ならば、迎撃するのは容易である。

('A`)「派手な事は疲れるから嫌いでね!」

正に今、繰り出されたばかりの敵の右腕ごと、その頭をM84で撃ち抜く。
一時の方角から来た別の敵が、着地寸前に宙から落下速度を利用して踵落としを放つ。

('A`)「カンガルーの方がもっといい蹴りをするぜ!」

片足を軸にして体を捻る様に半回転させ、踵落としを回避する。
足場が非常に滑りやすかったのが幸いし、素早く回避行動に移れた。
回避行動が完了する直前に、レッドホークを腹部に押し当て、銃爪を引いた。
血煙となって敵は散った。

11時方向から、正拳突き。
レッドホークの銃床で拳を横に弾き、踏み潰す様にして、相手の膝を踵で攻撃する。
前のめりにバランスを崩した敵の胸部に、M84を二発撃ち込んで殺す。
気配を消して隙を窺っていた二時方向の敵を睨む。

('A`)「どうした?」

両手の銃を少しだけ握り直し、ドクオは言い放つ。

('A`)「コンタクトでも落としたのか?
   手伝ってやるよ、感謝しな!」

383 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 09:40:04.96 ID:8Q85ystN0
自分に向けて放たれた言葉に焦った敵は、素早く行動に移ろうとして、転倒した。
知らぬ間に脳の一部を失った敵は、何が起きたか理解できなかっただろう。
豪雨のせいで視界が悪かったのは、ドクオだけでは無い。
焦った隙に一発撃っていたドクオの動作を、敵は確認できなかったのだ。

倒れた敵の後頭部を踏みつけ、奥に控えていた敵と対峙する。
足元で藻掻く敵の頸椎に、駄目押しの一発。
噴水の様に赤黒い液体が噴き出した。
ドクオの頬を一瞬だけ染めたが、それは豪雨が洗い流してくれた。

(;'A`)「うぉぅっと?!」

いつの間に回り込まれていたのか、背後から回し蹴りが見舞われた。
無意識の内に首を竦めていなければ、頸椎が折られていたに違いない。
突如、正面からドクオの頭が鷲掴みにされ、地面に向けて力が込められる。
万力で締め付けられた様な痛みが米神に走り、思わず苦悶の声を漏らす。

(;゚A゚)「お、おおおっ!」

ここまま握り潰されてしまうのではと、ドクオは本気で思った。
あまりの痛みに膝を突く。
容赦のない攻撃は、緩む気配を見せない。
堪らず膝を突いたドクオを、敵は顔を掴んだまま片手で持ち上げた。

高々と持ち上げられたドクオは、自由な両足で姿の見えない敵を蹴りまくる。
右手で持つM84の銃口を、頭の辺りに合わせて撃つ。
しかし、弾が命を奪った感触は伝わらなかった。
避けられた。

385 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 09:45:01.14 ID:8Q85ystN0
頭を掴んでドクオを持ち上げると云う事は、ドクオよりも頭二つ分は高いはずだ。
もう一度、胴体を狙って撃とうとして、体が跳ねるぐらい強烈なパンチが腹部を襲った。

(;゚A゚)「あ゛っ、ぐっ!
    は、離せ、離しやがれぇぇぇ!!」

喚いても事態が変わらないので、ドクオは体中の力を抜いた。
人形の様に力なく両手両足が垂れ下がり、遂にドクオは言葉を発しなくなった。

( ∵)「……?」

仮面を被った巨躯の男は、力加減を間違えたのかと心配になった。
もっと痛めつけてから殺そうとしていたのに、これでは楽しむ余裕がない。
散々仲間を殺した上に、これから歯車王を殺そうとしているドクオは、男にとって憎たらしい存在だ。
気絶したかどうか確認する為、男はドクオの体を地面に落した。

反応はない。
続々と集まって来た男の仲間達が、ドクオの周りを囲む。
ハンドサインと仕草で、この後の処遇を考える。
一先ず脈を測ろうと、巨躯の男が屈んでドクオの手首に指を添えた。

脈はある。
死んではいなかった。
顔を上げ、まだ死んでいない事を仲間達に知らせる。

('A`)「阿呆が!」

386 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 09:50:27.46 ID:8Q85ystN0
気絶したフリをしていたドクオは、レッドホークで男の顔をふっ飛ばし、道を開いた。
呆気に取られる周囲を他所に、ドクオは屋上の端を目指して走り出す。
向かった先のビルの高さは、今いる建物よりも5メートル以上高かった。
高さが足りずに跳び移れなかったドクオは、窓ガラスを破壊して二階下にある部屋に侵入した。

が、着地をまともにする事は出来なかった。
精々が顔を守る事だけ。
受け身も出来ず、全身をしたたかに床に打ちつけていた。
痛む体で這いずり、少しでも前に進む。

「……!」

ドアの向こうから聞き覚えのある声がした気がしたが、ドクオは無視をした。

「……っ」

小声で誰かと何か話していて、少なくとも住人は二人以上。
気性の荒い人間でない事を期待するしかない。
五体満足でこの家を脱出する事が、ドクオの目的なのだから。
レッドホークの弾を再装填して、住人が怯え無いよう、二挺ともホルスターに戻し、両手を開ける。

部屋の扉に向かう。
少しずつ。
少しずつでいい。
後少しで、ノブに手が届く。

指が触れた、その刹那。
ドアが向こう側から勢いよく破壊され、破片と共にドクオが吹き飛ぶ。
二、三回程転がってからようやく止まり、頭を振って破片を落とす。
何か支えを探して、ドクオは手を伸ばした。

388 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 09:56:13.67 ID:8Q85ystN0
横から伸びて来た黒い革の手袋で包まれた細い手に、その手首を掴まれた。
嫌な予感と共に横を見ると、小柄な体型で長めの金髪、そして仮面を被った敵がいた。
胸の辺りに膨らみがある事から、女だと思われる。
女だからと言って、ドクオは油断も容赦もしない。

むしろ、音一つ立てずに向こう側から侵入して来た技量を考えると、十分に警戒する必要がある。

('A`)「ってて……、悪いが人違いだ。
   俺は仮面舞踏会の参加者じゃないんだ。
   優しくエスコートしてくれるなら踊ってやるよ。
   とりあえず、掴むのは手首じゃなくて手だ。

   それに、力を入れ過ぎだな。
   折れちまうよ」

そう言った直後、ドクオの体がふわりと浮かんだ。
そして、次の瞬間。
ドクオの体は、部屋に置かれていた本棚に背中から激突していた。
目を白黒させ、状況把握を試みる。

本棚のガラス戸が砕け散り、床にガラス片が撒き散らされる。
当然、ドクオにもガラス片は降り注いだ。
耳の一部が小さく裂け、薄らと血が滲む。
2メートル以上のしっかりとした木で作られた本棚には隙間なく本が詰められていたが、ドクオがぶつかった衝撃でグラリと傾く。

自分が振り回されている事をようやっと理解したドクオは、もう一度本棚に叩きつけられた。
重量にして100キロは下らない本棚が、手前に傾き、遂に倒れる。
押し潰される前に、ドクオは高々と放り上げられていた。
今度は天井に打ち付けられる。

390 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 10:00:12.64 ID:8Q85ystN0
掴まれた手首に掛けられた力は尋常ではない。
振り回される度に骨が軋むような音を立て、皮膚は引き裂かれそうな痛みに支配される。
今一度体を高く持ち上げ、女は人形をそうするかの様な軽い仕草でドクオを倒れた本棚の上に投げ捨てた。
一回跳ねてからその場にぐったりと横たわり、それまで響いていた破壊音の代わりにドクオの荒い息遣いが部屋に残った。

女が一歩踏み出した音を聞き、呼吸を取り戻したドクオは言った。

(;'A`)「随分と……エスコートが荒くて下手だな。
   あぁ、そうだ。
   思いやりが足りねぇんだ。
   心構えと服装をまともにしてから出直してこいよ。

   今のお前と踊るなら、一人でマイムマイムを踊った方がマシだね。
   どうしてもって言うなら、まずはドレスコードからやり直せ」

虚勢を張るドクオの発言に、女の中にある残酷な気持ちが鎌首をもたげた。
二度と減らず口を叩けなくなるように、その舌を引き千切ろうと、女はドクオに近付く。

('A`)「俺がお手本を見せてやるよ!」

建物の中でなら、雨を気にすることなく銃を使える。
数発の銃声の後、女は腹部の九割を失い、自重に耐えきれずに上半身が落ちた。

('A`)「これが、スマートなエスコートってやつだ」

空になったM84の弾倉を出して、ドクオは虫の息となった女に告げた。
新しい弾倉を装填し、スライドストッパーを外した。
背中と言わずほぼ全身に、打撲による痛みを感じる。
しかし、その痛みはドクオの戦意を削ぐにはあまりにも不十分だった。

392 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 10:06:02.96 ID:8Q85ystN0
上半身と下半身が離別した程度では、仮面の連中は死なないと考えているドクオは、一切油断しなかった。
仰向けに倒れている女の元に近寄り、足で仮面を蹴り飛ばした。
仮面の下には、若い女の顔があった。
一瞬だけ、ドクオは我が目を疑った。

(;'A`)「あ、れ?
   あんた、確か……」

|゚ノ;^∀^)「……はぁい」

ドクオの記憶と目に間違いがなければ、この女は―――

(;'A`)「モナーさんの奥さん?」

|゚ノ;^∀^)「あら……知ってたの?
      でもねぇ、ちょっと……だけ違うわよぉ。
      元・奥さんってところかしらねぇ」

―――モナー・モナの妻、レモナ・モナである。
すれ違った程度の認識であったが、間違いなかった。
むしろ、何でも屋をしているドクオが見間違うはずがない。
間違いなく、この女はレモナだ。

だが、何故そのレモナがここにいる。
仮面を被り、黒い衣装を身に纏って。
何故、ドクオを襲ったのか。

('A`)「何かの謎掛けか?」

395 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 10:10:29.40 ID:8Q85ystN0
口の端から赤黒い液体を吐き出し、レモナは咳込む。
苦しそうに顔を歪め、無理やり笑みを浮かべた。

|゚ノ;^∀^)「ふふふ……
      世の中、思い通りにならない……事もあるって……こと」

答えを教えることなく、レモナは笑った。
徐々に瞼を下ろし、やがて動かなくなった。

('A`)「……」

無意識の内に、銃把を握る手に力が入っていた。
レモナの体の向こう側にあった扉には巨大な穴が空き、そこに向かって風が流れ込む。
その音は遠吠えの様に長く不気味に続く。
侵入の際に自ら割った窓ガラスに向き直る。

窓辺に立ち、下を覗く。
高さは四階程、だろうか。
丁度、下にはビニールのシートで作られた露店の屋根があった。
この辺りでは出店があるらしく、他にも並んで点在している。

視線をそこから離し、ドクオはこの家の住人に話をしておこうと決めた。
背中を民間人に撃たれて死んだら、笑い話として語り継がれるだろう。
レモナの死体を足で退け、今は無いが、扉のあった場所から部屋を出た。
仄暗い廊下に出た時、左奥にあった玄関の扉が閉まる音がした。

反射的にそちらに向き、M84を向ける。
誰もいない。
家にいた誰かが外に出て行ったと考えるのが自然だ。
では、住民だろうか。

397 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 10:15:00.00 ID:8Q85ystN0
慎重に奥に向かって進み、リビングに来ても誰にも遭遇しなかった。
話をする手間が省けた。
同時に、ドクオは何か武器になり得そうな物を探す機会を得た。
リビングと繋がっている台所には調理器具以外にも、人を傷つけるのに十分な素材がある。

ガス台の下に置かれていた小麦粉の袋、そしてウォッカ。
繋がっていたガス栓を銃床で殴って壊すと、ガスが小さな音を立てて漏れ出た。
M84をホルスターに戻す。

('A`)「どうれ、一杯ぐらい飲ませてもらうかな。
   寒くていけねぇ」

未開封の栓を捻って開けようとしたが、結局奥の方から聞こえて来た跫音で中断された。
慎重に小麦粉の入った袋を開封し、辺り一面に撒き散らす。
出来るだけ満遍なく撒き終える、先程自分が入って来た跫音を殺して扉に近付き、少しだけ開いていた扉をそっと閉じた。
ウォッカの瓶を逆に持ち、壁に背を付けてじっと待つ。

ドクオがここにいるのを、相手は分かっている筈だ。
それでも、ドクオを殺すと云う理由がある以上、来ない訳がない。
綺麗なリビングが小麦粉で白一色に染め上げられている事は、この暗さでは分かるまい。
ましてや、ガスが充満している事など知る由もない。

装飾の施された扉が、何の前触れもなく蹴破られた。
踊りこんで来たのは一人。
ドクオは相手の体がリビングに入り切るのを、ギリギリまで待った。
相手は部屋に入ると同時にドクオの存在に気付き、戦斧を横に薙ぐ。

敵の判断力に、ドクオは感謝した。
こうして気付かれるのは、計算済み。
それを見越しているから、攻撃は容易に回避ができる。

398 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 10:20:09.25 ID:8Q85ystN0
('A`)「っと!」

屈んで回避すると、ドクオは手に持っていたウォッカの瓶を敵の頭に振り下ろした。

('A`)「こいつは奢りだ!」

肘を顔に打ち付けたが、鉄骨のような硬さを前にして、その攻撃は無力だった。
元より承知の上での攻撃だ。
欲しかったのは、ダメージではなく、一瞬の隙を作る事。
敵をこの場に残して自分だけがこの部屋を出て離れるだけの時間を、ドクオに与えてくれれば、それでいい。

('A`)「お硬い奴め!」

僅かに怯んだ程度で、肘鉄では確かな隙を作るには至らない。
もう一度、今度は体重を乗せた蹴りを見舞う。
今度こそ、フローリングの床に仰向けに倒れた。
余計な追撃を加えず、敵を置き去りにして、ドクオは真っ直ぐに駆け出した。

後方で立ち上がった敵は戦斧を捨て、腰から短機関銃を取り出し、銃爪を引いた。
敵は迂闊だった。
直ぐ目の前にドクオと云う獲物を見つけたことから、周囲の状況を考える事を怠っていた。
アルコール度数の高いウォッカでその体が濡れ、ガスと小麦粉で満ちた部屋で発砲した敵の意識は、発砲音と共に消えた。

発砲で生じた炎によって、部屋中に漂う小麦粉に引火して連鎖的に爆発し、更にはガスにまでも引火、最後は敵の体に掛けたウォッカが燃えた。
家具は全て砕け、焦げ、兎に角酷い損傷を受けていた。
あれだけの爆発の最中に居れば、ランボーだって木っ端微塵になる。
ちなみに、一発だけ発射された銃弾はドクオには当たらず、横の壁を穿っていた。

403 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 10:25:12.90 ID:8Q85ystN0
背後で爆風が起きる寸前、ドクオはレモナと争った部屋に飛び込んでいた。
それでも爆発の勢いからは逃れきれず、吹き飛ばされ、本棚の上に落下した。
立ち上がり、体と服に付着している小麦粉を払い落す。

('A`)「情熱的な感情表現だ。
   爆発する程嬉しかったらしい。
   きっと南米の奴だな」

今いる部屋から、玄関を使って出るのも一つの手だが、待ち伏せされていないとも限らない。
現在位置は相手に知られている以上、待ち伏せは避けられない。
道は一つしかなかった。
物言わぬレモナの死体を振り返ることなく、ドクオは窓枠に足を掛け、一息に飛び下りた。

('A`)「ナイフとか売ってないでくれよ!」

雨と共に地面を目指して落下するのは、随分と久しい。
これで三度目。
単独で降りるのは、初めての事だった。
パラシュートや命綱も使わないで降りるのも、初めてだ。

着地地点にあるビニール製の屋根の上に、ドクオは狙い違わず着地した。
果たしてそれが、着地と呼べるものだったかどうか。
綺麗な着地は出来なかったが、破壊した屋根や砕けた商品棚を押しのけて現れたドクオの姿を見る限り、着地は成功だったようだ。
打ち付けた尻をさすりながら、滅茶苦茶になった露店から脱出する。

(;'A`)「いったた……
   こりゃ、痔になるな」

408 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 10:30:30.93 ID:8Q85ystN0
威力の高いレッドホークを掲げつつ、周囲を見渡す。
建物のあちらこちらに、不気味な気配を感じ取れる。
囲まれていた。
それも、今度は完全な包囲。

道幅は普通乗用車二台がすれ違える程。
小柄なドクオからしたら広い道の筈なのだが、圧迫感故にどこか狭く感じてしまう。

(;'A`)「アイドルはこっちにいねぇよ。
   向こうだ、向こうの方でライブやるってさ。
   さっきそれっぽいマスターオタクを向こうで見た、間違いない」

豪雨は無情にも、ドクオの言葉を彼等に届けるのを阻んだ。
歯車城を見失っている事を相手に悟られないよう、ドクオはレッドホークを両手で構えて周囲に向ける。
体内の羅針盤が指し示す方角を信じ、銃口を向けながらゆっくりと後ろ向きに一歩、歯車城に向かって進む。
全力で走るには、まだ体力が不十分だ。

中途半端に走った所で大して意味がないのなら、可能な限り使う場面を選べるよう、残しておく方が利口だ。
出し惜しみは良くないが、今は、放出バーゲンをする時ではない。

('A`)「……まいったな、こりゃあ」

現状は、決して自分に有利とは言えない。
装備か環境、そのどちらかが整えば、状況は一変すると云うのに。
不思議と、逃げ出したい気持ちは湧かなかった。

('A`)「たまにはこれぐらい頑張らないと、怒られちまうな。
   丁度いい。
   ウォッカを飲みそこなった上に、雨で体が冷えてたんだ。
   さぁって……」

412 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 10:35:09.57 ID:8Q85ystN0
自らを窮地に追い込む。
こうでもしない限り、一人では進めない。
進む。
断固たる意志で、ドクオは足場を固めた。

('A`)「ウォーミングアップをやり直すから、手伝ってもらおうか。
   紳士の諸君、準備は整ったか?
   頼むから、絶対に容赦だけはしないでくれよ。
   そうでないと、ウォーミングアップにならないからな」

すぅ、と冷たくて新鮮な空気を肺一杯に吸い込んだ。
僅かに混ざった殺意。
雨の香り。
嗅ぎ慣れた裏通りの匂い。

それらが混然一体となった空気を、一気に吐き出した。


('A`)「殺れるもんなら、殺ってみるといい」


叫んだ訳では無いのに、その言葉は途切れなく続く雨音にも負けなかった。
ドクオを囲んでいた者達は、仮面の下で驚愕と恐怖に表情を強張らせた。
背筋に走った寒気は、明らかにドクオの言葉が原因だった。
彼等は言葉や合図をする事も無く、理解した。

全力中の全力で挑む必要があったのは、ドクオだけでは無い。
その実、彼等こそが挑戦者だったのだ。
立ち向かう者が、先に動く。
弱者が強者に挑む。

417 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 10:39:13.05 ID:8Q85ystN0
勝てる自信がなかったから、知らずこうして物量に物を言わせていたのだ。
恐怖心が芽生えた彼等は、一気に勝負を終わらせようと行動した。
皆の行動は共通していた。
ある者は壁から、ある者は路地裏から、そして正面、背後、側面、真上、果てはマンホールを押しのけて。

その行動は、恐怖に駆られた動物がとる行動そのものだった。
皮肉な話だ。
恐怖させるつもりが、いつの間にか自分達が恐怖していた。
殺そうとしていたのが、殺されようとしている。

拳、脚。
戦斧。
山刀。
短機関銃。

持ち得るありとあらゆる殺しの手段が、ドクオ一人に向けられる。
暴力と豪雨が降り注ぐ中、ドクオは恐ろしい程に落ち着き払っていた。
一人目。
薙ぎ払う様に繰り出されたのは、山刀による一閃。

雑草をそうするように、ドクオの体を切り裂かんとする攻撃だ。
数歩進んだドクオは、無造作に相手の懐に入り込み、脇に相手の腕を挟みこんだ。
山刀はドクオの体には届かない。
あまりにも自然な動作に、反応と対応が遅れた。

腹に押し付けられた大口径の銃口の感触を最後に、仮面を被っていた男の上半身が脇に挟んだ腕を残して吹き飛んだ。
脇に残された腕から山刀を左手で奪い取ると、ドクオはそれに次ぐ二人目の戦斧による正面からの一撃を防いだ。
火花が散り、三人目が横から拳を突き出す。
後ろから四人目が飛び蹴りを放つ。

421 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 10:45:42.31 ID:8Q85ystN0
三人目の拳はレッドホークの銃床で防ぐ。
四人目の飛び蹴りは、舞う様な優雅さで体を翻したドクオの影だけを踏んだ。
戦斧で攻撃を仕掛けていた男は、豪雨と闇の中で一瞬だけ見えたドクオの瞳に戦慄した。
悲鳴が喉をせり上がり、口の中いっぱいにそれが広がった。

黒い瞳が放つ輝きが男に想像させたのは、深淵の夜闇に潜む得体の知れない獣の双眸。
獣は息を殺して契機を待ち、純粋な殺意で作り上げられた牙で獲物を喰い殺そうとこちらの様子を窺っている。
下手をしなくとも、獣と云う枠組みには収まりきらないかもしれない。
形容するとしたら、未知の怪物。

或いは、姿の見えない恐怖の化身。
鋭い眼光は男の戦意を容赦なく切り裂き、代わりにそこを恐怖で埋めた。
脚が竦む。
腕全体に力が入らず、小刻みに震えてしまっていた。

力が緩んだのを見過ごされる筈も無く、男は顔の半ばまで切り裂かれて絶命した。
刃は滑らかに顔から抜け、動きに一切の鈍りを見せない。
呆気に取られる男達と向かい合うドクオの背後に、新たな敵が一人降り立つ。
対峙してドクオの眼を見た男達は、一様に身を強張らせた。

リボルバーをしまったドクオは山刀を持ち替え、背後の四人目に当たる敵に対して振り向きざまに一振り。
戦斧で受け止められるが、今の一閃は囮。
返す刃を脚に振り下ろし、太股を切り裂く。
体勢が崩れた脚にもう一撃を与えて、脚を斬り落とす。

ようやく動き出した三人目の敵に向け、ドクオは山刀を勢いよく投擲した。
脳天に山刀が突き刺さった男は、糸の切れた人形の様にその場に崩れ落ちる。
脚を斬り落とした男の手から乱暴に戦斧を奪うと、ドクオはそれで持ち主の男の首を切り落とした。
迫る影は背後に一つ。

424 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 10:50:36.47 ID:8Q85ystN0
難無く回し蹴りを回避して、上体だけを動かして冷静に男の脳天を斜め上から戦斧で叩き割った。
包囲が解け、僅かな隙を得る。
穴を埋めようと、白い仮面が続々と影から這い出る。
今、ドクオの視界に捉えているだけでも6人。

背後、死角、頭上を含めると50人は下らないと容易に想像がつく。
焦りはなかった。
今のドクオの眼に映る世界は"時間が引き延ばされ"、相手の動きがはっきりと見えているからである。
更に、ゆっくりと流れる時の中、ドクオの思考だけは影響を受けずにいた。

銃は使うべきではない。
装填作業の手間が、致命的な隙となり、攻撃が途絶えてしまう。
M84は受け流すのには最適だが、結局、殺すには弾を使わなければならない。
壊れない限り仕える刃物なら、少なくとも、銃よりか敵を殺せる。

地面に擦れるほど戦斧を低く構える。
彼等に比べて力に乏しいドクオでも、戦斧の刃が持つ重さを利用する事が出来る。
最も早く、最も簡単にそれを実行する手段。
即ち遠心力。

必要な握力を残し、後は振るだけ。
一旋。
取り囲んでいた男達は、咄嗟にその攻撃を防いだ。
唯一防御姿勢を取らなかったのは、真上から山刀を振り下ろさんとしている男だけ。

台風の目に落下する稲妻の様に、或いは、怪物の頭上から襲い掛かる英雄の様にして、男はドクオを殺そうと刃を垂直に突き立てた。
刃は地面に突き立ち、攻撃を事前に察知して立ち位置を微妙に変更していたドクオは、男の頭の一部を削ぐようにして斬った。
ドクオを殺そうと試みた者達は、皆絶句していた。
どうして、ここまで成長しているのか。

425 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 10:55:24.25 ID:8Q85ystN0
嘗てはオワタ率いる部隊が証明した様に、ツンとブーンを追い詰めた程の戦力を、彼等は有している。
力は強く、思考は適切。
連携力も優れている事は、先の大騒動で改めて証明された。
機械化された肉体が鈍る事など、有り得ない。

となれば、必然的にドクオが成長したと認めざるを得ない。
何が。
一体何が起きたのだ。
お人よしで、力も無く、これと言った特技も無い。

ただの何でも屋が、どうして彼等と対等に。
たった一人に対して、大多数で取り囲む彼等と渡り合えるのか。
単純に体を鍛えたからと云う理由だけでは、到底説明できない。
もっと別の何かが、ドクオをここまで変えたのだ。

覚悟を決めた事か。
無駄な動きを削いだからか。
多数で襲い掛かっているからか。
違う、どれでもない。

そう。
何か、もっと別の要因が大きく関わっているのは明白だった。
覚悟を決めても、体がそれに応えなければ意味がない。
無駄な動きを削いだところで、何を削いだらいいのか、ドクオが分かる筈がない。

多数は利になっているが、不利には転じない。
一体、何が。
顔色一つ変えずに山刀を受け止め、戦斧を避け、拳を躱している。
最低でも四人が同時に攻撃しているが、全ての攻撃が紙一重の所で当たらない。

428 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 11:00:03.40 ID:8Q85ystN0
骸の数が増えて行く。
歯車城との距離が少しずつだが縮まっている。
彼等は次第にドクオを囲んだまま距離を置き、ヒット・アンド・アウェイの方法で攻める事にした。
数では、未だ私兵部隊の方が圧倒的に勝っている。

体力と手数で、ドクオをいたぶる様に潰すしか、今の彼等には有効な攻撃手段が考え付かなかった。

('A`)「羽虫が!」

ドクオは手にする戦斧が雨で滑らないよう、さりげなく握りを直した。
重くて扱い辛い斧で散々打ち合った為、柄を握る右手は痺れていた。
これ以上使い続ければ、手の皮が剥け、運が悪ければ滑り落ちてしまうかもしれない。
何よりも深刻な問題が露呈する前に、ドクオとしてはこの包囲を脱したいところだ。

('A`)「散れ!」

闇と雨の向こうから、飛沫を撒き散らしながら何かが飛んで来た。
戦斧で正体不明の何かを叩き落とす。
目の前で、ドクオが持つ戦斧が粉々に砕け散った。
投擲されたのは同じ形、同じ素材で作られた戦斧。

違ったのは、短時間の間にドクオの持つ戦斧が相当な負担を強いられた事だ。
使えなくなった戦斧を捨てたドクオに向けて、瞬時に二本の戦斧が前から投擲されていた。
空手のドクオを狙った攻撃は、正確無比。
溜息の様に息を吐き出し、ドクオはあろうことか、戦斧に向かって走り出した。

体力の回復は不十分だが、ここで走る。
今が、その時だ。
目に映る世界は更に速度を落とし、雨の一粒の動きさえ、正確に把握できる。
雨粒が目の中に入る感覚までもが、引き延ばされた。

430 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 11:05:27.23 ID:8Q85ystN0
瞬きはしない。
今の感覚で瞬きをすれば、視界が黒に染まってしまう。
ドクオは、視野を広く持たなければならなかった。
前を見据え、思考し続ける。

感じる時間は長く、考える時間はそれ以上に与えられた。
何かを受け入れるように、両腕を広げる。
無論、刃を受け入れるつもりは毛頭ない。
これでいい。

走り出したのは、回転しながら飛んでくる二本の戦斧が、ドクオの体に突き立つタイミングを狂わせる為。
両腕を広げたのは、その戦斧を奪い取る為。
柄に手を伸ばす。
前方から飛来する二つの戦斧を。

同時に握り、投擲し返した。

('A`)「返すぞ!」

投げ返された戦斧が、ビデオの巻き戻しをしているかの様に、元の持ち主の胸部を切り裂く。
急いで、仮面の集団がドクオに合わせて移動して、攻撃を開始する。
まるで矢の様に一斉に投げられたのは、山刀だった。
戦斧に比べて柄が短い為、掴み取るのは至難の技。

―――だと、誰もが思ったのに。

一本の山刀の柄を"掴み取り"、その刃で飛来する凶器を払い落した。
数が増えた所で、ドクオには何の障害にもなっていなかった。
必要な刃を選別し、選択し、対処しすればどうと云う事は無い。
払い落された山刀が、ドクオの周囲に散らばった。

431 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 11:10:17.26 ID:8Q85ystN0
当たらなかった山刀は、直前までドクオのいた地面に連続して突き刺さる。
剣の街路樹が出来たかのような光景。
そして、嘘の様な光景だった。
投擲された山刀の数と戦斧の数は、合計で百以上。

どれ一つとして、ドクオに傷を負わせていなかった。
最後の一刀が空高くに打ち上げられ、ドクオの後方に消えた。
並走する仮面の男達が、腰から短機関銃を取り出す。
見るまでも無く、ドクオはその事に気付いていた。

レーザーポインターが、まるでディスコのライトの様にドクオ体中に向けられているからだ。
しかしながら、走る速度を緩めようとはしない。
走るしかないのだ。
特に、銃口を向けられている今は。

兎に角走って、銃口から逃れる。
両脇の建物の上からドクオを追っていた男達は、眼下で並走するドクオに向け手一斉に銃爪を引いた。
下に設けられた排莢口から大量の薬莢が零れ落ちる。
銃口からは眩いばかりの発射炎が瞬く。

曳光弾の作り出す光の筋が、場違いなほどに美しい。
それはまるで、横に降る光の雨だ。
光の雨は一点に向かって只管に降り注ぐ。
赤い点から逸れた地点に、銃弾は進んだ。

コンクリートで舗装されていた地面が無残にも抉れ、破片が四散する。
民家の窓ガラスが砕ける。
惜しくも外れた弾が、頭の上を飛んで行く。
跳弾が、ドクオの耳元を掠める。

435 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 11:15:05.85 ID:8Q85ystN0
路地を走ってドクオの後ろから迫っていた男達も、呼応するようにして銃爪を引く。
フルオート射撃による一斉射撃。
豪雨の音にも負けぬ、その盛大な演奏。
薬莢が雨の様に地面に落ち、涼しげな音を立てている事に、誰も耳を傾けてはいなかった。

前方で待ち構えていた男達は、可能な限り正確な射撃を試みようと、銃爪を引いた。
心臓、肺、内臓、脚、腕、頭とにかくどこでもいい。
走るのを止めさせ、そして、歯車王を殺すのを阻止するだけでいい。
突破させて、全てが手遅れになる前に。

前後左右。
四方八方。
あらゆる方向から、光の筋がドクオに向かう。
花火が逆に弾けたかのような眩さ。

その中で、ドクオが見る光景は幻想的な物だった。
絵画を見た経験はテレビでしかないが、今まで見たどの絵画よりもその光景は美しかった。
味方に注意を促す事の出来る曳光弾は、同時にドクオにもその軌跡を知らせる事になる。
暗闇の中でも、ドクオにはハッキリと銃弾が描くその直線が見えていた。

一部は豪雨の影響を受けて直線を保てず、軌道が歪んでいる。
足元に出来ている大きな水溜りの上を踏む度、蝶の羽の様に水が跳ねた。

('A`)「やっぱり、花火って云うのは……」

ポツリと呟く。
光の線の動きは見えている。
再確認するまでも無く、全てを避けるのは不可能だった。
避けなければならない銃弾を見極める。

438 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 11:20:03.88 ID:8Q85ystN0
頭を両腕で庇う。
致命傷だけは避ける必要があるからだ。

('A`)「……派手じゃなきゃいけねぇな!」

今、ドクオに何ができるか。
走る。
進む。
他には何もない。

受けた弾丸は数10発か、それとも数百発か。
銃弾の群れが襲い掛かったのは、体を覆うコートの上からだった。
主に背面に銃弾は集中しているが、時折肩や腕にも衝撃が走る。
掠めた程度の痛みから、骨が折れたのではないかと錯覚する程の痛みまで、全身の至る所が痛みに悲鳴を上げた。

だが、ドクオの声帯は悲鳴を上げなかった。
強く歯を食いしばり、耐え凌ぐ。
痛みに耐えるのは慣れている。
この程度の痛みなら、止まる必要はない。

そう思うが、あまりにも強い衝撃に意識が遠退きかけてしまう。
次の衝撃が強引に意識を戻し、一瞬の間に何度もそれが繰り返される。
多くの銃弾は外れ、地面を耕す様に砕き続けた。
腕時計の帯を銃弾が掠め、腕から落ちる。

地面に落ちる前に、その腕時計は外れた銃弾によって粉々に砕かれ、無数の破片になった。
破片は微塵になり、原形を失った。
不意に、少しだけよろめいたかと思うと、予想以上に大きく体勢が崩れた。
顔を腕で庇っていたせいで視界が塞がり、足元に対する注意が散漫になってしまったのだ。

440 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 11:25:06.16 ID:8Q85ystN0
銃弾が耕した地面に足を取られてしまい、どうにか踏み止まろうとする。
背中に一際強い衝撃が集中して伝わり、ドクオは手にしていた山刀を手放し、バランスを保てず地面に倒れた。
速度を落としていた世界が、平常の世界に戻る。
弾が尽きたのか、雨の様な銃撃は目に見えて弱まり、最後の一発は転んだ顔の近くに着弾した。

冷たい豪雨に打たれ、全身の痛みに耐え、冷えた体を温めるようにドクオは身を丸めた。
見てくれは無様その物だが、倒れたドクオの体には別の異変が生じていた。
呼吸が激しく乱れ、肺が酸素を欲して叫び立てる。
心臓が激しく鼓動を刻み、心臓が刺された様に痛む。

喉は痛みに似た熱を持ち、酸素が通る度に奇妙な呼吸音が鳴った。
もう一つの心臓が、喉の奥に出来たかのように脈打っているのが分かる。
眼の奥がズキズキと痛み、その痛みもまた、熱く脈を打っていた。
先程まで何とも無かった脚は気だるく、力を入れても、直ぐに力が抜けた。

思い出したかのように、体中の激痛がドクオのあらゆる行動を阻害した。
全身の痛みを黙殺する事は出来ない。
動かすだけでも、呼吸をするだけでも体のあらゆる個所が悲鳴を上げるのだ。
どこかの骨が折れていても、何ら不思議ではない。

(;'A`)「い……ってぇ……」

一発の弾丸も通さなかったロングコートの頑丈さもそうだが、それら全てに耐え切ったドクオの耐久力こそ称賛するに値した。
両手に力を入れ、ドクオは上半身を起こす。
ようやく心臓がリズムを思い出し、呼吸を整えようと肺が機能を果たし始めた。
一刻も早く起き上がって、走りださなければ。

再装填を終えた短機関銃のレーザーポインターが、次々とドクオの体に赤い点を浮かび上がらせた。
何時でも殺せると言わんばかりの警告が要求しているのは、降伏か死か。

443 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 11:30:00.53 ID:8Q85ystN0
('A`)「へっ……
   今さら、降りられるわけねぇだろ」

鼻で笑って、ドクオはその警告を全て一蹴した。
降伏も死も、結局は諦める事である。
心底ドクオが嫌悪する諦め。
諦めは全てを捨て、最も楽な道を選ぶ愚行。

雨で冷えた手で拳を作り、顔を上げる。
ドクオの呼吸が落ち着きを取り戻していることに、その様子を見ていた男達は気付いた。

('A`)「手前等に今ここでバラ肉にされるか。
   それとも、仕事を果たせなかった罰としてロマネスクさんに挽き肉にされるか。
   結局殺されるかもしれないって言うんだったら……
   ……だったら、俺はよぉ!」

高みの見物をしている全員にも聞こえるぐらい、ドクオはハッキリと宣告した。

('A`)「"死んでも諦めない方"を選ぶね!」

愚かな選択に見えただろう。
愚かな行動に思えただろう。
だがしかし。
最も愚かで軽薄な行動をしたのは。

他ならぬ、襲撃者達であった。
芽生えてしまったのだ。
強がる人間に苦痛を与えたいと云う、暗い心が。
銃弾で死を与えるのは簡単だ。

447 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 11:35:45.24 ID:8Q85ystN0
簡単過ぎる故に、怒りが収まらない。
多くの仲間を殺した男に、楽な死は似合わない。
もがき苦しんで、命乞いをした挙句死ぬのが、最も相応しい。
野に咲く孤高の花を踏み躙る様に、ドクオを殺したいと、全員が思っていた。

('A`)「高みの見物なんて、つまらないだろ。
   そんな所に居ないで、降りて来いよ」

僅かに、ドクオの口元が嘲笑の形に歪む。
傍らに取り落としていた山刀の柄を掴んで、それを杖の様に使って立ち上がった。

('A`)「皆で仲良く一緒に踊ろうぜ!」

大胆不敵な誘いの言葉は、本人が思っても見なかった結果を導いた。
主に命令された忠実な番犬がそうするように得物を捨て、周囲の全ての敵が音も無くドクオの周りに着地した。
彼等は素直にドクオの言葉を受け止めた訳ではない。
体が一人手に動いてしまったのだ。

が、彼等は得物を持たない代わりに、殺しの手段を持っていた。
素手。
彼ら自身が生きた凶器。
銃が無くても、彼等は人を殴殺する事が出来る。

彼等は一人の例外も無く怯えていた。
戦いの最中にドクオが見せたあの眼。
そして、説明のしようがない威圧感。
最早、対峙するまでもなく、彼らにはドクオが十分過ぎるほど恐怖の対象となっていた。

451 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 11:40:09.17 ID:8Q85ystN0
ドクオを囲んだまま、彼等は一歩も動けずにいた。
仮面がなければ動揺は悟られ、たちまちの内に斬り捨てられる。
無謀か、はたまた勇敢なのか、兎に角一人の男がドクオに殴りかかった。
顔に向けて打ち出された拳を避け、ドクオは男を袈裟切りに斬り付け、蹴り飛ばした。

仲間の腕に抱かれた時、男は既に絶命していた。
気だるげに開かれたドクオの瞳は、恐ろしく冷たかった。
背後から襲いかかった男の拳を山刀で受け止め、鮮やかな手つきで両腕の肘から先を斬り落とした。
風を斬る音を鳴らし、喉に新しい口を開けてやり、続けて流れる様な疾さで頭頂部を斬った。

最初はぎこちない動きに見えたが、眼に見えてその手付きが洗練されて行くのが分かる。
角ばかりの粗い鉱石が川の流れによって丸みを帯び、滑らかになる様なその工程。
ドクオの場合、その疾さが異常だった。
新たな技術を身につけるのには時間が掛る。

一ヵ月か、それとも三年か。
もしかしたら10年以上掛かるかもしれない。
だがドクオは、それを数分で実現させていた。
銃を得物として生活しているドクオに、刃を使う技術を会得する機会など無かった筈だ。

つまり今ドクオが見せているのは、見様見真似の技術。
そんな不完全な物に怯えさせられている事を考えると、男達はあまりの不甲斐なさに歯噛みした。
今の状況は、産まれたてのライオンに怯える様な物。
狙うならば、今しかないと襲撃者達は答えを出した。

堰を切ったように、男達は我武者羅に襲い始めた。
一対多の白兵戦へと発展したその光景は、壮絶だった。
血飛沫が豪雨の中で飛び散り、影が躍動する。
影が囲むのはたった一人の男。

452 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 11:45:01.87 ID:8Q85ystN0
山刀を優雅なまでに捌き、無駄な動きが徐々に減る。
粗削りだった物が、今、一つの形を成そうとしていた。
ドクオは模倣者に過ぎない。
ならば、到達点が必ず存在する。

模倣する元となった、その原形の姿。
霧で形作ったかのように朧気なそれが、ゆっくりとした速度で成長する。
ドクオに重なる様にその姿は形成されてゆく。
仲間が殺されてゆく中、生ある者達は確かに見ていた。

当然のことながら、ドクオ自身は誰よりもよく知っている。
今、ドクオはある人物の動きを真似ていた。
記憶に残っている映像と、僅かな経験を頼りに山刀を振るう度、一歩ずつ。
精巧な模倣を可能にする為、ドクオの技が微量ながらも原形に近付く。

敵の眼に映る朧が、具現し始めた。
人の形をしていた朧の、手の辺り。
それが指の形になった。
細く、長い。

芸術的なその指は、若い女の指に間違いない。
それが、優しく教えるようにドクオの手に重なって見える。
次に形を成した腕はほっそりとしているが、しっかりとしていた。
一切の無駄が省かれた、正に一つの到達点と言っていい。

足運びは一際洗練されていて、山刀を振るう腕よりもハッキリと原形が窺えた。
程良い筋肉の付いた脚。
バレエダンサーとも言えるが、長距離走の選手の脚の様に引き締まっていた。
激しい立ち回りをしているのに、足元で跳ねた水が小さい事に、数人の男が気付いた。

456 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 11:50:01.84 ID:8Q85ystN0
文字通り、ドクオは手取り足とりを教えてもらっていた。
一体、誰に。
仮面の男達が攻撃を加え、そして同様している間にもドクオは先へ進んでいた。
眼に着く場所以外の朧も、成形される。

引き締まった腰。
柔らかそうな肌。
そこに無駄は無く、だが筋肉が付き過ぎている事もない。
女性的な魅力を十分過ぎるほどに持った柔軟な筋肉が、そこにはあった。

ドクオの動きに合わせて朧も動く。
その動きは、踊りと形容するしか他なかった。
朧が幻になるにつれ、ドクオの動きから無駄と呼べる物が無くなった。
攻撃と動きは鋭さを増し、囲んでいるのに誰もドクオに拳一つ喰らわせる事が出来なかった。

そして遂に。
ドクオに重なっていた幻の正体が分かった。
道理で強い筈。
道理で疾い筈だ。

腰まで伸びた月光の様な銀髪。
薄らと赤みのある鋭い眼。
幻想的な美しさ持つ女。
和服に身を包む、ロマネスク一家の女中。



"銀狐"


460 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 11:55:31.22 ID:8Q85ystN0
犬瓜銀の姿が、確かにドクオに重なって見えた。
冷笑を浮かべる銀の顔が見えた時には、ドクオの動きはほぼ完成されていた。
今のドクオに出来る、銀の模倣。
特筆すべきはその足捌き。

刀の使い方は銀に遠く及ばないにしても、足の運び方だけは確かに銀の面影がある。
それは、文句無しに堂に入っていた。
様々な方向から繰り出される様々な攻撃を、上半身と足の動きだけで避け切ることが出来ていた。
物真似の領域を脱し、既にそれはドクオの技として形を成している。

('A`)「そんな温いパンチじゃ、煎餅も割れないな!」

控えめに言っても、男達の拳や蹴りは一流のそれだ。
骨を折れるぐらいの威力は十分持っているだろう。
言わずもがな、ドクオにそんなパンチや蹴りを繰り出す事は出来ない。
客観的に述べても、男達の身体能力は優れていた。

自分の持つ身体能力が、男達に大きく劣る事を、ドクオは自覚している。
リンゴを砕くような握力がある訳でもないし、100メートルを9秒台で走る事も出来ない。
油断をすれば、自覚するまでも無く死んでしまう。
スローモーションの世界がその証拠。

男達に囲まれて襲いかかられてから今まで、世界は速度を落としていた。
少しでも油断すれば自分が殺されるかもしれないと本能が分かっているから、その世界を見られるのだと、ヒートに教わった。
それを踏まえても、ドクオの言葉は虚勢ではなかった。
このような状況は未体験では無いし、これ以上の存在を知っているからだ。

461 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 12:00:03.12 ID:8Q85ystN0
そう。
彼等を一流の拳法家と称するならば。
ドクオに数々の技を見せたヒートは、"武"その物。
生ける武を間近で見た経験を持つ以上、ほとんどの技が霞んで見えるのは当然だった。

包囲網が狭まるにつれ、ドクオはより激しい動きを要求された。
前に前にと進むのだが、如何せん数が多すぎる。
背の高い雑草を払う様に刃を振るうも、伸びて来る手は減らない。
斬った腕を押しのけ、新たな腕が来る。

('A`)「握手したいなら順番を」

休む間もなくそれを斬り落とす。
代わりに、左右から足払いを見舞われた。
最小限の跳躍で回避。

('A`)「守れ!」

着地後の隙が致命的な結果を招いた事を、ドクオは誰よりも早く理解した。
脚が地面に着く前に、遅れて繰り出された足払いがドクオの脚を捉えた。
正確無比な足払いを防ぐ術は無く、ドクオはバランスを崩す。
ドクオは倒れる事を頑なに拒んだ。

倒れれば、終わる。
山刀を逆手に構え、杖の様に目の前の地面に突き刺す。
そこには、黒いブーツを履いた敵の脚があった。
地面に釘刺す勢いで山刀は男の脚を貫き、それを支えにドクオは体勢を立て直した。

463 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 12:06:22.58 ID:8Q85ystN0
突如、背中に激痛が走る。
踵落としか、それとも拳か。
ハンマーで殴られた時の痛みを彷彿とさせ、ドクオは眉を顰める。
歯を食いしばり、重ね塗りされた痛みに耐えた。

一歩。
踏み止まる事に成功し、次の一歩の勢いを利用して山刀を引き抜いた。
山刀で脚を刺された男と並び、こちらを向く仮面の奥に視線を感じた。
引き抜いた力を、追い抜いた男の背に叩きつける。

背骨を断った感触が手に伝わる。
顔面に三発の拳が飛んで来た。
山刀で防ぐには間に合わない。
せっかく落ち着いていた心臓が、強く鼓動を刻もうとする。

理性でそれを捻じ伏せた。
焦りは事態の悪化を招く。
緊急事態に取るべきは、冷静かつ的確な行動。
今のドクオには、それが出来る。

ささやかな発見。
二発は拳一つ分の間があるが、最後の一発は拳二つ分だ。
間合いに差がある。
拳速はヒートの50分の1以下。

最も近い拳は、約15センチ先。
仰け反っても、鼻を掠めて骨が折られる。
悠長に考えている時間はない。
こうしている間に、ここぞとばかりに攻撃の体勢を取る者がいる。

465 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 12:10:46.66 ID:8Q85ystN0
―――残り14センチ。

拳が雨粒を潰しながら、真っ直ぐに進む。
前を除いた三方向に動き。
飛び蹴り、回し蹴り、鋭い突き。
だが、まだモーションに入っただけだ。

―――残り13センチ。

潰された大きな雨粒は、小さく破裂するようにして弾け飛んだ。
未だ考えが浮かばない。
防ぐ手立ては、見当たらない。
回避は不可能だった。

―――残り12センチ。

一粒の雨粒が数百と集まり、破裂が爆発へと変化した。
間もなく、何もできなくなる。
仰け反っても顎を打ち抜かれ、顎が砕け、最悪の場合は頸椎が折れる。
考える事は止めなかった。

―――残り11センチ。

爆ぜた雨の雫が、尾を引いて後方に伸びる。
今が最後のチャンス。
ここで仰け反れば、顔面複雑骨折でまだ生きる可能性がある。
ドクオは決断に迫られた。

468 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 12:15:12.99 ID:8Q85ystN0
―――残り10センチ。

ドクオは避けなかった。
諦めてはいない。
遂に答えを見つけたからこそ、ドクオは避けなかったのだ。
行った事は、真逆。

―――残り3センチ。

拳を防ぐためにドクオは、下がるのではなく進んだ。
頭突き。
最高速に達する前に、向かって来る拳に対して額で防ぐ。
相手の拳が鉄でない限り、多少の出血と脳震盪程度で済む。

これが、最善策。
覚悟は出来た。
眼に映る時間が、速度を増した。
そして。

―――残り0センチ。

(;'A`)「づっ!!」

予想以上の痛みがドクオの額を襲う。
そして、予想通りの出来事が起きた。
額で防いだ拳に、後続の拳がぶつかり、ドクオに追撃を掛けなかったのだ。
後ろを見ずに、三方向の攻撃を山刀で薙ぎ払う。

469 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 12:20:52.20 ID:8Q85ystN0
ドクオの額を殴った敵が、もう片方の拳をドクオの腹に打ち込んだ。
一瞬、呼吸が止まった。
敵はドクオの手を乱暴に掴むと、ゴミでも捨てるかのように投げ捨てた。
成す術もなく、顔から地面に落ちる。

咄嗟に顔を腕で守る事が出来たが、落下のダメージまでは防げない。
その衝撃は、地面に当たった山刀の刃が折れる程。
一時的に身動きが取れない代わりに、ドクオは敵の包囲から脱する事が出来ていた。
大勢の敵が、地面のドクオに視線を向ける。

全ての動きを見られているし、ドクオの状態が如何なるものかも観察されている。
一人の敵が、しっかりとした足取りで近付く。
うつ伏せに倒れたままのドクオは、顔を上げようと首を動かす。
直ぐ近くまで来た敵が、満身創痍のドクオの頭を踏みつけた。

首が横を向いたまま固定され、頭が万力に掛けられたかのように痛む。

(;゚A゚)「いがぁあああ!!」

笑いもせず、敵はただドクオの頭を踏み潰さんとする。
聞こえるのは豪雨の音と自分の呼吸音。
感じるのは痛み。
そして、怒り。

頭を踏んでいる脚を掴み、ドクオは力を込めた。
相手は動じない。
それどころか、踵に力を込めて来た。
痛みが増す。

471 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 12:25:13.51 ID:8Q85ystN0
足首に爪を立てた。
爪が肉に食い込む感触が伝わるが、効果はあまりない。
ゆっくりと頭が踏み潰されるのが先か、それとも死ぬのが先か。
ドクオはどちらも受け入れるつもりはなかった。

だから。
ドクオは、敵の脚から手を離した。
視界の端に"それ"を見つけ、コートの裾を伸ばして"それ"を包むように握る。
避ける時間を与えず、ドクオは"それ"で相手のアキレス腱を切った。

赤黒く生ぬるい液体がドクオの顔に降り注ぐ。
突然の痛みに反射的に退いた足を掴み、しがみ付く様にしてドクオは立ち上がる。
手に持つ"それ"の正体は、折れた山刀の刃。
切れ味のいいこの刃なら、アキレス腱を断ち切るのは造作も無かった。

('A`)「へっへっへ……悪いねぇ」

ドクオは伸ばした裾で手を保護していた為、手を切っていない。

('A`)「俺の頭はサッカーボールじゃねぇんだ。
   よくも気安く踏みやがったな、えぇ、おい」

そう言って、ドクオは敵の頭頂部に折れた刃を突き刺した。
至近距離にある仮面の下から、小さな声が上がる。
仮面がずれる。

('A`)「こいつはお礼だ、ちょっと硬いが、遠慮せず食ってくれ!」

深々と脳の奥に向けて突き刺す。
四肢が痙攣を起こし、ドクオの手の中で絶命した敵が倒れ、仮面が取れた。

473 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 12:30:01.47 ID:8Q85ystN0
o川* − )o

相手の顔に、見覚えがあった。
どこで見たのかまでは思い出せない。
顔についた液体を拭おうとしたが、とっくに雨が洗い流していた。

( ∵)

再び、一人の敵が前に出てくる。
違ったのは、その手に戦斧を持っている事。

('A`)「来いよ、この糞野郎が」

相手は、処刑人の心地をしている事だろう。
幾らドクオが足掻いても、それは悪足掻きにしかならない。
知っている。
ドクオは、理解して尚諦めない。

( ∵)「……へぇ、男前になったもんやねぇ」

(;'A`)「えっ?!」

驚きを隠す事を忘れたのは、仕方がなかった。
今まで連中が言葉を発するなど、考えもしなかったからである。
加えて、仮面の下から聞こえて来た声に、口調は違うが聞き覚えがあったから。
眼を大きく見開いて驚くドクオを他所に、もう一人の男が一歩進み出る。

その手にも、戦斧が握られていた。

( ∵)「確かに、最初に見た頃とは違うモナね」

479 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 12:37:20.58 ID:8Q85ystN0
(;'A`)「なっ!?」

衝撃はもう一度訪れた。
特徴的な語尾は、忘れようがない。
男二人が、白い仮面を捨て去る。
聴覚だけで受けた衝撃に、視覚から伝わる衝撃が加算され、ドクオは息を飲んだ。

(゚A゚* )「一回しか会ったことないけど、覚えとるみたいやな」

中年の男。
ドクオが酒を依頼された際、店主をしていた男だ。
口調が全く違う割に、ドクオとの会話の際に訛りを感じ取れなかったことから、使い分けているのだと考えた。

( ´∀`)「そのようモナね」

そして、この男。
"リードマン"モナー。
歯車王を暗殺する為に集まった、最初の日。
あの日に、"またんき"と入れ替わった"モララー"を取り逃がす原因となった男だ。

偶然では無かったのか。

( ´∀`)「……」

モナーは笑顔を浮かべたままだが、ドクオを見つめる瞳には怒りの色が窺える。
それはそうだ。
つい先程、彼の妻をドクオが殺したのだから。
家も一部を爆破した。

(゚A゚* )「こらこら、モナー、落ち着けや」

480 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 12:42:10.21 ID:8Q85ystN0
二人とも、まるでドクオの事を気にしていない様に振る舞っている。
それは即ち、今のドクオに出来る事が全て把握されている事を、何よりも雄弁に物語っていた。
どのような行動を取ろうとも、もう、彼らがしくじる事は無い。

(゚A゚* )「レモナさんと家の事は残念やけど、でも、こうなるかもしれない事は分かってたんやろう?」

( ´∀`)「分かってるモナ、分かってるモナよ」

(゚A゚* )「そうか、ならえぇんや。
     さて、ドクオ?
     久しぶりやなぁ」

(;'A`)「待ってくれ、ちょっとだけ待ってくれ!
    そっちがルービックキューブを完成させるぐらいのささやかな時間でいいから!」

焦りで乱れた心を落ち着かせようと、ドクオは時間稼ぎを試みた。
だが、どうしても駄目だった。
この二人が歯車王の私兵部隊の一員だったと云う事実は、あまりにも強くドクオの心を揺さぶった。

(;'A`)「一体、何がどうなってるんだよ、ほんと……」

( ´∀`)「知る必要はないモナよ。
      どうせ、ここで死ぬモナ」

(゚A゚* )「それもそうやなぁ
     挨拶しても、生首は返事せぇへんからな。
     大人しくしてくれれば、こっちも楽なんやけど、どうやろ?」

(;'A`)「何が何だか知らないが!」

484 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 12:47:03.01 ID:8Q85ystN0
懐から、M84を一瞬で抜き放つ。
電撃的な疾さで構えたドクオであるが、銃爪を引こうとは思わなかった。
撃てば一人か二人は殺せるだろうが、弾切れを起こした後、確実に殺される。
あまりにも難しい選択を迫られた結果、ドクオは只管に受け流す方針に定めた。

可能であれば銃を雨ざらしにするのも気が引けたが、レッドホークでは受け流しが出来ない。
流線形のトリガーガードを持つM84だからこそ、あの芸当は実現可能なのだ。
弾倉が一つ駄目になるは、覚悟の上だ。

('A`)「そんな誘いは……!」

(゚A゚*#)「ちっ!何でも屋風情が!」

モナーの姿が視界から消える。
もう一人の姿は、低い体勢のまま肉薄して来た。
世界が速度を落とし、ドクオだけが取り残される。
そこで初めて気付いたのは、モナーは消えたのではなく、大きく横に移動していたと云う事。

即ち、大きく離れた位置からの攻撃だ。
死角に入りこんだ状態から戦斧で攻撃するとしたら、方法は二つ。
三点飛びの用量での接近か、投擲。
状況から察するに、受け流しが出来ない投擲を選択するだろう。

対して、眼の前に迫る男は切り上げ。
二つの軌跡を眼で追う。
タイムラグが生じる。
最初は前、最後にモナーの戦斧。

486 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 12:52:00.37 ID:8Q85ystN0
この攻撃。
ドクオに回避する術は皆無だった。
最初の一手は防げる。
問題は二手目。

つまり、投擲された戦斧の存在だ。
切り上げを受け流した隙は、埋め合わせが出来ない。
受け流すのと同じタイミングで、あの戦斧はM84を持つドクオの腕を切り落とす。
避けようとすれば一手目で両断される。

思考する。
失う物の大きさは、天秤に掛けるまでも無く分かる。
死んでは何もできない。
どこまで出来るのだろうか。

片腕を失って、目の前の百を超す敵を相手に出来るのか。
しかし、死ねば。
死ねば、それすら考える必要が無くなってしまう。
後の事は、後で考えればいい。

そう思った刹那。
二人の後方から、仮面を被った敵が津波の様な勢いで迫り来るのが見えた。
避けて片腕になっても、これでは本当にどうしようもない。
決断は、意味を成さない。

回避。
防御。
攻撃。
撃退。

488 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 12:57:27.50 ID:8Q85ystN0
―――選択肢が消えて行く。

負傷。
重傷。
絶命。
死亡。

思考が混乱する。
迫り来る、回避不可能の死に対して。
時間の流れを遅く感じても。
どれだけ考えても。

ドクオに、手はない。
廻り道をして、死に至る。
一人では、どうすることも出来ない。
ここで、終わる。

ならば。
せめて。
せめて、最後のその瞬間までは。
決して諦めず、己が意地を最後まで貫き通す。

それこそが。
ドクオの義。

('A`)「死んでも!」

強がりかと問われれば、正にその通り。
だが一体、それの何が悪い。

491 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 13:02:09.28 ID:8Q85ystN0
('A`)「お断りだね!」

M84を振るう様にして、切り上げられた戦斧に合流させる。
これが。
最後。
腕を斬られる体験は初めてだが、耐えて見せる。

合流した戦斧を斜め上に受け流せば、一手目を防げる。
戦斧は、今まさにタイミングを見計らって投擲されようとしていた。
受け流す準備は整い、実行に移した。
そして。




―――そして、得物を持った腕が宙に舞った。




軽い衝撃の後、体が軽くなる。
視界が、黒く染まった。
吹き出る飛沫は、豪雨が洗い流す。
地面がその液体の色に染め上げられた瞬間を、ドクオは見る事が出来なかった。



何故なら。
目の前は、光一つない暗闇だったからである。

495 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 13:08:13.14 ID:8Q85ystN0
――――――――――――――――――――

数分前。
ドクオに素顔を晒したモナーは、自分の顔に恐怖の色が浮かんでいないか不安だった。
全員で肉弾戦を挑んでいる間、モナーは体がどうしても動かなかった。
格闘戦は不得手だが、それとは違う。

戦っている最中、ドクオの鋭い眼光に射抜かれた者達は一人の例外なく身が竦んでいた。
己の拳足を用いて戦っている者は、集団心理に乗っ取って行動しているに過ぎない。
あれでも、戦っている者達は常に恐怖と闘っていたのだから、賛嘆の拍手を送っても良い。
恥ずかしい限りだが、モナーはようやく今の状態に持ち込めた段階でも、その恐怖心は少ししか和らいでいない。

どれだけ絶望的な状況でも、ドクオは諦めずにいる。
何と言う執念。
何と言う恐るべき生への執着。
自らの手で首を断っても、しばらくはドクオに対する恐怖心が残る気がした。

モナーは内心で舌打ちをした。
機械化された体を持ちながら、一体この男の何に怯えなければならないのだろうか。
歯車王の命令を一部無視している事に対する、背徳心か。
命令無視はモナーだけでなく、ここに参加している"ビコーズ"全員がそうだ。

彼等の存在意義は、等の昔に果たされた。
今回、彼らがこうしてドクオを殺そうとしているのは、単に自分達の為。
歯車王を殺さんとする者を、一人残らず殺す為である。
受けた命令は、あくまでもドクオの足止め。

497 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 13:14:22.83 ID:8Q85ystN0
手段は問わないが、殺さずに足止めをしろと言われていた。
しかし、彼等はそれを破った。
今まさに、ドクオを殺さんとしているのだ。
彼等に得体の知れない恐怖を植え付けたこの男。

モナーには理解できなかった。
御三家がドクオを優遇し、歯車王が一目置いている、その理由が。
自分が歯車王側の人間である事を知った時の、あの情けない表情。
お人よしのドクオに、何があるのか。

腕か。
知恵か。
器量か。
それとも、他の何か。

彼らには理解できない何かが、ドクオにはあるのかもしれない。
あったとしても、それは今これから塵に帰る。
果たして、首を刎ねても生きている事が出来るか。

(;'A`)「一体、何がどうなってるんだよ、ほんと……」

( ´∀`)「知る必要はないモナよ。
      どうせ、ここで死ぬモナ」

問答をして、時間を稼ごうと云う魂胆だろう。
モナーはこれ以上ドクオに余計な時間を与えないよう、会話を途絶えさせた。

(゚A゚* )「それもそうやなぁ
     挨拶しても、生首は返事せぇへんからな。
     大人しくしてくれれば、こっちも楽なんやけど、どうやろ?」

499 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 13:20:28.86 ID:8Q85ystN0
隣で、のーが最後通告を渡す。

(;'A`)「何が何だか知らないが!」

目にも止まらぬ疾さで、ドクオは銃を抜き放った。
あまりの疾さに、モナーはどこからドクオが銃を取り出したのか理解できなかった。
もう一つ理解できなかったのは、こちらの虚を突いて発砲しなかった事。
発砲する代わりに、ドクオはM84を斜め下に向けて構えた。

仲間が散々手を焼かされた、あの技をするつもりらしい。

('A`)「そんな誘いは……!」

その一言は、またしてもモナー達の恐怖心を揺さぶった。
これから何かが起きる。
そんな予感さえした。

(゚A゚*#)「ちっ!何でも屋風情が!」

のーが駆け出す。
合わせて、モナーも駆け出した。
ドクオの死角に回り込む。
この場に居る味方の全員が、ドクオ目掛けて殺到する。

('A`)「死んでも!」

この合わせ技、防ぐ手はない。
一瞬の内にそれが判断できる筈がない。
何も分からないままのドクオに、無慈悲な死を与える。
投擲すべく、戦斧を構える。

501 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 13:25:21.97 ID:8Q85ystN0
('A`)「お断りだね!」

案の定ドクオは銃のトリガーガードを、のーが放つ斬撃に合流させた。
勝った。
これで、終わりだ。
モナーは己の勝利と、ドクオの死を確信した。

















正にその瞬間。

ドクオを含む、この場にいる誰一人として予期していなかった事態が起きた事に、その瞬間まで誰も気付けなかった。

それは。

そう。

505 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 13:30:40.79 ID:8Q85ystN0


それは、暗がりから音も無く、風を置き去りにしてやって来る。
ドクオの通った道をなぞる様に。



それは、揺るがぬ信念を持ってやって来る。
ドクオの意志をなぞる様に。



それは、たった一人の男を護る為にやって来る。
ドクオの決意に応じた楯の様に。



冷酷な意志と、鋭い牙爪を持つ者達がやって来る。
声無き咆哮を響かせて。



その者達は破壊と絶望を引き連れ、嵐と共にやって来た。
あえて例える事を許されるのなら。
誰もが、こう、例えるに違いない―――

509 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 13:36:07.98 ID:8Q85ystN0
ドクオの直ぐ傍に一つ。
そして、離れた場所に一つ。
二つの影が、何の前触れもなく現れていた。
いや、それは断じて影などでは無い。




脅威を引き裂く影があろうか。
否。

鋼鉄を寸断する影があろうか。
否。

絶望を打ち砕く影があろうか。
否。

鐡を破砕する影があろうか。
否。




戦斧を持つモナーの腕が付け根から吹き飛んで宙を舞い、間髪入れずに頭が消し飛ぶ。
自分の体に何が起きたのかも理解できず、のーとモナーの体が頽れた。



―――それは正に、二匹の"獣"だった。


552 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 15:55:08.78 ID:8Q85ystN0
――――――――――――――――――――

自分が誰かの柔らかい胸に抱かれていると云う事に気付くのに、数秒の時間を要した。

(;'A`)「え?」

雨に濡れた服に顔を押しつけられているせいで、何も見えない。
しかし。
ほんの僅かに鼻腔をくすぐるこの優しい香りに、ドクオは覚えがあった。
腕の中で目を丸くするドクオに、上から声が掛けられる。

「うむ、実に見事。
一人でこれだけの数を相手にしても尚、お主は退かなかった。
流石、"切り札"じゃのう。
良い顔をしておったわ。

どうれ、お主一人では大変じゃろう、儂も手を貸してやろう」

凛として涼しげな声は、聴き違う筈も忘れる筈もない。
光学不可視化迷彩が偽装を解き、白い和服が闇に浮かぶ。
浮かんだのは、狐の尻尾と耳を持つ若い女性。
この女性ならば、確かに誰にも気付かれることなくドクオの傍らに現れる事が出来る。

"最も静かなクレイドル"の遣い手である女性の姿を、ドクオは驚きと喜びの入り混じった表情のまま見上げた。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「大事無いか?
       待たせるのはいい女の特権と云うだろう、まぁ許せ。
       ところで、儂はもう少しこのままでも構わんが、どうする?
       自分で歩けるか?」

554 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 16:00:02.25 ID:8Q85ystN0
ロマネスク一家の女中三姉妹の長女。
"銀狐"、犬瓜銀。
手に握られているのは、自身の身長よりも長い刃を持つ刀、"厳狐"。
それは、目の前にいる敵に向けて真っ直ぐに伸ばされていた。

足元には、綺麗に半分に切り分けられた男の死体が転がっている。
ドクオの顔に目をやると、銀は悪戯っぽく笑んだ。

(;'A`)「お、俺が構うって!」

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「そう照れなくてもよい。
       家族同士で何を恥ずかしがる?
       遠慮などせず、儂にも甘えていいのじゃぞ」

とりあえず銀から離れ、自力で体を支える。
疲労と痛みが全身に広がっていたが、銀の出現がそれを幾らか忘れさせた。
彼女の前で、無様な姿を晒してはいけないと云う気持ちが、一種の麻酔となる。

(;'A`)「ど、どうして、ここにいるんだよ!?」

状況を把握し切れていないドクオは、狼狽を露わにした。
笑んだまま、銀は答える。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「ん?
       まぁ、それは、のう。
       散歩じゃ、散歩。
       ちと外の空気を吸いたくなってな」

558 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[peropero] 投稿日:2011/03/27(日) 16:05:01.57 ID:8Q85ystN0
(;'A`)「こんな雨の中を散歩?
   今夜も月は見えないぞ」

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「ちっ、姑みたいにいちいち五月蠅い奴じゃのう。
       こっちにも都合があるんじゃ、少しは察しろ。
       ……んむ、じゃが、あえて一つだけ言うとしたら、そうじゃのう」

真っ直ぐに構えていた刀を下ろし、下段に構える。
一瞬だけ真剣な表情を浮かべ、銀は言った。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「これが、"儂の義"だからじゃ」

( ∵)

敵は明らかに怯んでいた。
想像すらしなかった者の出現は、彼等にとって決して歓迎すべきものではない。
ましてや、一騎当千の猛者であれば。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「どうした、有象無象の輩共よ。
       不甲斐ない、何とも不甲斐ない臆病者共じゃ。
       群れねば何も出来ぬ蛆虫であれば、我等の前から疾く去ね」

怒鳴ったりした訳でもないのに、銀の静かな言葉は鬼気迫るものがあった。
武器を取り戻しているのは、全体の半分にも満たない。
だが、半分以下でも量は圧倒的に勝っている。
質を量で押さえ込む腹積もりだろう。

561 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 16:09:36.65 ID:8Q85ystN0
ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「ふふっ、ドクオよ。
       何一つ案ずるな。
       代わりに、何一つ余すことなく覚えておけ。
       圧倒的な数の差など」

銀が妖艶な笑みを浮かべた、その瞬間。


ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「絶望的な質の差で叩き伏せるまでよ」



密集していた男達が、血飛沫を上げて倒れ始めた。
その正体は銃撃。
着弾と銃声が離れていることから、中距離狙撃だと分かった。
悲惨だったのは、最初に銃弾をその身に浴びた者だ。

水風船のように体が破裂して、辺りに肉片を撒き散らした。
貫通した銃弾は後ろにいた者の体に大穴を開けて貫通し、更にその後ろの者を戦闘不能にして、初めて弾丸の勢いが止まる。
常識外れの威力を持つ一発の銃弾が、狙撃の精度を持ちながらも、オートマチックピストルを撃つかのような気軽さで連射されていた。
肉片と血が、あっという間に地面を汚す。

彼等はここで、ようやく二人目の存在に気付いた。
ドクオの援護に現れた獣は、二匹。
刀を操る"狐"がいるならば。
残るは銃を遣う―――

(;'A`)「千春まで来てるのか!?」

564 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 16:13:18.77 ID:8Q85ystN0
―――女中の服に身を包んだ犬神三姉妹三女、"鉄狸"犬里千春。
その言葉に、返事の代わりに榴弾が飛んで来た。
対人用に変えられていた弾頭が着弾すると、その場にいた男達が細切れになって爆散した。
発射位置は、離れた場所にある建物の屋上。

一つの影が軽やかに建物を伝い、5階に相当する建物の屋上から、ドクオの前に硝煙の匂いを纏って着地した。

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「はいな、ミスター雨男さん、私はここにおりますよ。
       男だらけでむさ苦しい空間に、少しでもフローラルな香りをお届けしようと思いましてね。
       文字通り両手に華ですよ、ドクオさんよかったですね〜。
       後でお赤飯を炊きましょう!」

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「どーこがフローラルじゃ。
       お主の場合、火薬の匂いの間違いだろうて。
       第一、誰が赤飯を炊くんじゃ。
       この前、炊飯器を爆発させたのを忘れたとは言わせんぞ」

巨大な銃を事も無げに片手で構える千春は、いつものように朗らかな笑顔を浮かべていた。
バレットライフルは、前代未聞のドラムマガジンを備え、あたかも大型の機関銃の様な姿をしている。
だが、その威力は先程も見たとおりだ。
機関銃など言うに及ばず。

千春の改造により、武器から兵器へと変貌を遂げたバレットライフルの冷たい鋼鉄の鈍い輝きが、頼もしく見えた。
何よりも頼もしいのは、千春と銀の姿そのもの。
ヒートの様な一騎当千の力を持たず、ブーンとツンのような相性抜群の相棒がいるわけでもない。
そんなドクオに、彼女達が手を貸してくれる。

570 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 16:17:23.40 ID:8Q85ystN0
先刻までの状況が一変、"獣"の出現によって形勢はここに逆転した。
気になる事は、後回し。
彼女達がどのようにしてこの作戦の存在を知り、ドクオの位置を知り得たのか。
それらは、今は必要ない情報だった。

今必要なのは、早急に移動をして、歯車王を殺す事。
それが、ドクオの仕事だ。

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「あ、ドクオさん。
       これをどうぞ」

油断なく銃口を周囲に向けつつ、ドクオの背を守るよう位置した千春が、片手で何かを渡して来た。
受け取り、目を凝らしてみると、それは何かのスイッチだった。

('A`)「これは?
   自爆装置か?」

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「メイドパンチ!」

ゲンコツが飛んで来た。

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「おいおい、私がいつからマッドサイエンティストになりました?
       そんな危ない物、今は持ってきていませんよ。
       もっと平和的な物ですって」

今は、と云う事は本当にあるらしい。
一体いつ使うのだろうか。

573 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 16:21:18.01 ID:8Q85ystN0
ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「この道の先に、大通りがあります。
       そこの道路に仕掛けた高性能爆薬の起爆装置ですよ。
       まぁ、最低でも一週間ぐらいは通行止めにできますね。
       ね? 平和的でしょう」

('A`)「……これが平和的だったら、地雷原を平和公園に出来るな」

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「メイドチョップ!」

チョップされた。

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「えぇい! この私に口答えしますか。
       この方法が一番手っ取り早いんですよ、あそこに行くには。
       悠長に遊歩道使いますか?
       待ち伏せされてるに決まってますよ。

       一般への被害はお気になさらず。
       こんな事もあろうかと、一応手は打ってあります」

('A`)「マキビシを撒いたとか?
   まさかとは思ってたが、NINJAだったのか!」

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「メイドホールド!」

逃げる間もなく首に手を回され、ドクオは千春の脇に強く抱え込まれた。
締め上げる様に力が入れられるが、苦しくない様に加減されていた。

576 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 16:25:11.45 ID:8Q85ystN0
(;'A`)「痛い!痛い!」

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「ああ言えばこう言いやがりますね、この子はもうっ!
       ただ、車を20台ばかり派手に事故らせただけですよ。
       今は交通規制で止まってますが、そんなに長い間は止まりません。
       向こうに着いた時に、どーん、ってやっちゃってください。

       そうすれば、待ち伏せしている連中も手を出せ無くなります」

ドクオを解放して、千春はその手でドクオの頭を撫でた。

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「そこに行くまでの道は、お姉ちゃんが知ってます」

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「準備はよいか、ドクオよ。
       道案内は儂に任せて、お主はお主の仕事の事だけを考えておればよい」

"獣"が二匹、ドクオの前に歩み出た。
もう、ドクオは疲労も痛みも感じていなかった。
裏社会で知らぬ者はいない獣が、ドクオの為に手を貸す。
その事実だけで、ボロボロになった体を再び動かすのは十分過ぎた。

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「私がドクオさん達の道を押し開けましょう。
       ですから進んで下さい、ドクオさん」

581 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 16:30:15.82 ID:8Q85ystN0
ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「儂がお主の道を切り開こう。
       舞いろう、ドクオ」

二人はただ、それが自然であるかのような力強く、不安を和らげるような優しげな声色で言った。
確かな自信。
そして、揺るがぬ信頼。
"獣"が認めた男に対する信頼、男が"獣"に持つ信頼。

厳狐を下段に構えた銀が前に出る。
ドクオが、その横に並んだ。
二人の背中を守る様に、千春が後ろに着く。

('A`)「この借りは、絶対に返すぞ。
   だから、その……なんだ、えっと……
   二人とも無茶だけはしないでくれ、頼むから」

後ろの少しだけ離れた場所から、呆れた様な千春の溜息が聞こえた。

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「……もぅ。
       ご心配なく、私は大丈夫ですよ。
       ドクオさんとお姉ちゃんを残して死にはしませんって。
       では、ドクオさん、二つだけ約束をしてください。
       
       私は二人が無事に行けるまでここに残りますが、どうか振り向かずに行ってください。
       そして最後に一つ。
       明日のお昼ご飯は、オムライスがいいです。
       ケチャップでメッセージを書いたやつですよ、いいですね?」

587 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 16:34:14.85 ID:8Q85ystN0
('A`)「……ありがとう。
   任せろ、何だってやってやるさ」

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「行くぞ、ドクオ」

銀の言葉に合わせ、千春の手元から巨大な銃声が鳴り響いた。
一発で人を粉微塵に変える威力を持つ銃弾が、貪欲な唸り声を上げて飛来する。
一点に向けてして放たれた銃弾は、銀とドクオの前に道を開けた。
初めて開けた突破点。

穴が塞がれる前に、二人は駆け出した。
銀を先頭に、一歩後ろにドクオが続く。
千春は二人に続くことなく、その場に止まって銃爪を引き絞り続ける。
全ては突破口を開ける為。

ドクオと銀を襲おうと構えている男達が、次々と破裂する。
先頭を行く銀の道を塞ごうとする者は、綺麗に斬り伏せられた。

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「振り返っちゃ駄目ですよ〜!」

呑気そうな声が遠ざかる。
銃声は鈍くなり、豪雨に紛れてしまう。
千春の安否は、銃声だけが頼りだと云うのに。
一人でその場に残ってドクオ達を援護しつつ、大軍を相手に長物の対物ライフルでいつまで闘えるのか。

591 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 16:38:05.24 ID:8Q85ystN0
ドクオよりも強いのは分かる。
分かるがしかし。
どうしても、リーチの不利が気になってしまう。
威力を重視した装備は、全ては二人の道を開く為。

では、その後は。
二人が先に進んだ後は、一体どうするつもりだったのか。
目の前に立ち塞がる敵を切り刻む銀の背を追いながら、ドクオがそんな事を考えた矢先。
銃声が、唐突に途絶えた。

ドラムマガジンの中身を撃ち尽くしたと云うには、あまりにも早すぎだ。
何故銃声が絶えたか、想像する事は容易だった。
つまり、千春は―――

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「ドクオ」

('A`)「分かってる」

――――――――――――――――――――

早々に撃つのを止めた対物ライフルのストックを地に付け、千春は遠ざかって行く二人の背を見ていた。
連射の影響で熱を持った銃身は、この豪雨で冷やされ、水蒸気の湯気を上げている。
千春を取り囲む敵の数は、二人を追う敵に比べれば微々たるもの。
各々戦斧や小型のナイフを手に、千春との距離をじりじりと詰めていた。

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「で、私と本気で殺り合うつもりですか?
       私は構いませんが、犬死にの無駄死にですよ」

596 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 16:42:23.87 ID:8Q85ystN0
( ∵)「……いや、止めておこう」

くぐもった声で、一人の男が構えを解いた。
周囲の者達も、次々とそれに倣う。
最初に構えを解いた男が、仮面を捨て去った。
千春を囲む男女の足元には、白い仮面が転がっていた。


N| "゚'` {"゚`lリ「ここまで来たら、俺達が戦う意味は無い。
         ドクオはもう行ってしまった。
         追いつけない以上、俺達の負けだよ」



男。
―――"穴掘り"阿部は、諦めたと言いたい風に両手を竦めて見せた。
手に持つ得物を地面に捨て、溜息を吐く。
次々と刃物が地面に落ちる音が、阿部の後に続いた。

N| "゚'` {"゚`lリ「はぁ……
         まさか、ドクオ一人にここまでやられるとはね。
         あんたは行かないのかい?」

潮が引く様に殺意と戦意が消えても尚、千春は警戒心を解いてはいなかった。
悟られないよう自然な仕草で、何時でも裾の下に仕込んだ消音器付き短機関銃を取り出せるようにしておく。
無論、この豪雨でも不具合を起こさないよう改造済みである為、問題は無い。

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「いや〜、本当なら行きたいところなんですけど、今回は我慢しておきます。
       私はあくまでも見送りの為に来ただけですから」

600 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 16:46:13.81 ID:8Q85ystN0
N| "゚'` {"゚`lリ「ほぅ?
         惚れた男の為に行かないのか。
         意外と冷たいんだな」

その言葉を聞いた途端、千春は目を丸くして驚き、一拍開けて声を大にして笑い始めた。
演技や照れ隠しでは無く、本当に可笑しかったのだ。

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「っぷ、あっはっはっはっはっは!!
       惚れてる? 惚れちゃあいませんよ、やだなぁ、もぅ。
       でも、私もお姉ちゃんもドクオさんを心から愛していますよ。
       姉弟愛ってやつですかね、強いて言うなら。

       それに、私が請け負った仕事はここまで。
       これ以上は駄目なのですよ」

N| "゚'` {"゚`lリ「仕事?」

いつもは冷静な阿部も、千春の言葉には首を傾げた。
一体誰がこの依頼をしたのか、阿部にはさっぱり予想できなかった。
クールノーファミリーか水平線会。
それとも、ロマネスク一家か。

御三家だとしても、理由が分からない。
相手の知らない事を知っていると云う立場から、千春の声には愉快そうな響きがあった。
果たしてそれは、相手との立場の違いを楽しむものなのか。
それとも別の理由があるのか。

ヒントは、千春の次の言葉にあった。

604 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 16:50:01.09 ID:8Q85ystN0
ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「えぇ、仕事です。
       ドクオさんには、ここで終わってもらっては困る人が沢山いるのです。
       勿論、私も困りますよ。
       可愛い弟分がいなくなったりしたら、そりゃあもう。

       ですから後は、ドクオさんが頑張らなくちゃいけないんです。
       私の手伝いはここまでってことぐらい、きっと、ドクオさんなら分かってますよ。
       後でお姉ちゃんと一緒に家に帰って、大人しくお留守番してます。
       風邪を引かない内に、ドクオさんが無事に辿り着ければいいのですけどね」

N| "゚'` {"゚`lリ「分からんな、何故ドクオなんだ……
         優男だからか?」

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「フェミニストの優男なんて、この世に腐るほどいるじゃないですか。
       反吐が出るほど甘いヘタレ男なんて、私は嫌いですね。
       馬鹿とヘタレは使い方次第ですけど、その二つが一緒だと使い物にならないゴミ屑ですよ。
       今度私達のドクオさんをそんなゴミと一緒にしたら、頭、ふっ飛ばしますよ?」

N| "゚'` {"゚`lリ「だよなぁ……」

腕を組んで考え込む阿部。
ミセリの弟子として風俗の世界で名を馳せる阿部であるが、致命的な欠点が存在する。
阿部は自他共に認める男色家なのだ。
幾ら考えても、千春の言葉を理解できなかった。

N| "゚'` {"゚`lリ「だが確かに、女装させれば結構いけるかもしれない」

阿部の言葉に、周囲で小さな笑いが起きる。

610 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 16:54:28.71 ID:8Q85ystN0
N| "゚'` {"゚`lリ「どうやら俺は、女心を一生理解出来ないまま死ぬらしいな」

寂しそうにそう言うが、本心ではどうでもいいと考えているに違いない。
根っからの同性好きの人間が、興味の対象外にある異性の心を知っても意味がない。
口元に意地悪そうな笑みを浮かべて、千春は言った。

ィ∩ハリ∩,
从´ヮ`从ト「私にも、好んで男の尻を掘る男の気持ちが一生分かりませんよ」

銃弾と血の雨を、千春はこれ以上降らせずに済んだ。

――――――――――――――――――――

二人は走った。
もう千春の援護射撃はない。
だが、銀の剣は健在だった。
美しい剣筋は、風と共に舞い踊る桜の花弁の如く。

触れようとする者を寄せ付けず、紙一重で届かせない。
決して荒れる事のない動きは、あらゆる無駄が削がれた芸術品。
ドクオを庇い、守るために行使される力だ。
敵の数と勢いは増す一方。

しかし、ドクオに振りかかる脅威は皆無だった。
全ての脅威は、前衛の銀が切り裂き、そして切り刻んでいる。
優雅に。
しなやかに。

611 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 16:58:28.94 ID:8Q85ystN0
正に、切れ味を帯びた疾風。
音も無く振るわれ。
斬られた感覚は、その部位を失ってから訪れる。
血が沁み出るのは、崩れ落ちた体が地面で一回跳ねてからだ。

あまりにも美しい動きに、場違いだとは分かっていてもドクオは目を奪われた。
着物。
そして変わった履物と云うハンデが、微塵も感じ取れない。
銀の動きに合わせて水溜りが凝固した様に、走っても跫音がしない。

これが。
これこそが。
ロマネスク一家に伝わる、秘儀。
揺篭の名を冠する、高速無音戦闘方法"クレイドル"である。

実物を拝むのは、これで二度目。
一度目のそれよりも、よほど洗礼されていた。
銀のそれと比べれば、一度目のクレイドルは未完成。
どこかに不完全さが窺え、まるで子供騙しの技だったことが分かる。

銀の見せている技こそが本物。
日常の行動から垣間見えていた片鱗とは比較にならない。
それだけ、銀の技は完成されていた。
否、これでもう、一つの完成形だろう。

これ以上工夫のしようもなく、また、変化のしようもない。
初めてだ。
本物の。
完璧で、非の打ちどころのないクレイドルを拝むのは。

614 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 17:02:01.30 ID:8Q85ystN0
一閃。
仮面の敵が放つ一閃とは、次元が違う。
敵の一閃は雨粒を潰して振るわれるが、銀の場合は雨粒を両断する。
両断された雨粒はしばし呆けたかの様に綺麗な断面を保ち、しっかり1秒後に形を崩した。

不思議な事に、脅威が遠ざかっているのに、ドクオの目が見るのは遅延した世界だった。
そのおかげで、銀の動きの細部まで記憶出来ている。
ただし、記憶したからと言って実現可能かと問われれば、答えは否だ。
鍛錬するだけの時間と、実戦時間が圧倒的に足りない。

再現できるのは、ごく一部の技術。
足運びや、体重の移し方等、比較的簡単な部分だ。
正直に言って、ドクオは銀の動きに見惚れていた。
無駄なく、完成された動きは見ていて飽きないし、何時までも見ていたくなる。

これと同じ類の動きを、一度だけ見た事がある。
ヒートが敵を蹂躙する時の動きと同じだ。
彼女の動きは、銀とは方向性が違えども、確かに無駄がなかった。
両者に共通しているのは、その一貫性。

極限まで無駄を削ぎ落とし、一つの目的に特化させたその動き。
ドクオが目を奪われるのも、無理からぬ話だ。
優れた芸術品や美術品に通じる美しさが、その動きにはあった。
ヒートであれば破壊を追求し、銀は静寂を追及している事が、その動きだけで伝わる。

厳狐の研ぎ澄まされた刃は、狙った敵の体を何の抵抗も無く切り裂く。
体が上半身と下半身に分断されても、血飛沫すら上がらない。
鮮やかに敵を屠りながらも、銀は息一つ乱していなかった。
可能な範囲で、ドクオは銀の動きを模倣する事にした。

619 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 17:06:48.63 ID:8Q85ystN0
呼吸法、足運び、体重のかけ方。
細かな動作や仕草を真似ようと、ドクオは努力した。
その視線に気付いたのか、狐の耳がピクリと動いた。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「……ほぅ」

ドクオの方を見ずに、銀は感心した風に声を上げた。
手を休めずに、銀は含み笑う。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「ふふ、いいじゃろ。
       見るだけはタダじゃ、頑張って我が物にしてみせい」

模倣している事に気付いていたらしく、銀はそれだけ言い残して、笑みを浮かべたまま敵を蹴散らし始めた。
敵の包囲網は緩まないが、二人は確実に進んでいた。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「……あれが見えるか、ドクオ」

その言葉に、ドクオは視線を銀から上げる。
見上げた先には、薄らとライトアップされた歯車城が見えた。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「この先、真っ直ぐじゃ。
       いいな。
       真っ直ぐ進め。
       そして振り返らず、仕事を終わらせて、無事に帰って来い。

       儂も千春も、お主を待っておるぞ」

622 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 17:10:57.33 ID:8Q85ystN0
これまで以上に強烈な一閃が、銀の前に立ち塞がっていた敵を一掃した。
道が開けた。
先には誰も待っていない。
ドクオはその穴を目指して、全速力で駆けた。

穴を塞ごうと、四方八方から敵が押し寄せる。
しかし、包囲が完了する前にドクオはその空間から脱していた。
先頭を走るのは、ドクオ一人。
後を追うかと思われた銀は立ち止って振り返り、獣の唸り声の様な一喝。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「雑魚風情が」

ドクオを追おうとする膨大な数の敵に、銀は一人で向き合った。
唐突な方向転換に、彼等は虚を突かれた。
扇形に展開されて手が付けられなくなる前に、銀は厳狐を長く持ち替えていた。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「手出しは、断じて許さん!」

一瞬、銀の手が閃いた。
その1秒後。
狐の鳴き声のような、風を切る甲高い音が辺りに響いた。
最前列にいた者達の体が、半分になったのは二秒後。

強烈な斬撃は、周囲の建物の壁に傷跡を残し、窓ガラスを切り裂いた。
この間に、ドクオは振り返る事も無く先に進んでいた。
敵の追撃と包囲を脱するまでは、銀達が手を貸してくれる。
ドクオは、これ以上二人が危険な目に会うのを望んでいなかった。

625 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 17:14:51.51 ID:8Q85ystN0
千春が道を開いて、銀はここまでドクオを導いた。
最初に言った通り、二人はその宣言を守った。
後は、ドクオ一人。
御三家からの依頼を果たし、長く続いた仕事を終わらせるだけ。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「さて、見送りはここまでじゃ。
       この場は儂が請け負おう。
       さぁ、行くがよい、ドクオ」

('A`)「あぁ、行って来る」

小さくそう言ったドクオの姿は、雨の向こうに消えて行った。

――――――――――――――――――――

互いの姿を見ずに交わした言葉だけは、豪雨の中でも相手に届いていた。
見えなくなったドクオの姿を追う影は、屋上を移動していた僅かに五つ。
残った全ての敵は、銀を前にしてその動きを止めていた。
絶望的な脅威の前に止めざるを得なかった。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「下がるか、それとも散るか。
       選ぶのは貴様らじゃぞ。
       じゃから、貴様らが何もせずに下がると云うのであれば、儂は帰るだけじゃ。
       今宵は寒い」

629 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 17:18:34.92 ID:8Q85ystN0
銀の構えが、それまでと一変して優しげな構えへと転じた。
護衛、援護に特化した守りの構えとは大きく異なる。
目的は、ただ一つ。
殺戮。

無駄な力の一切を断ち、赤子の為の揺篭へ。
敵意も悪意も、殺意さえも感じさせない。
最も静かなクレイドルは、最も静かに敵に死を与える。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「ドクオに手を出す輩は、誰であれ容赦せん」

枷を失った獣は、音も無く、慈悲も無く獲物の命を奪わんとする。
足元から銀の姿が朧に消え始めた。
光学不可視化迷彩は、その真価を発揮する瞬間を燻る様に待っている。
厳狐が手に持った鞘に戻る、静かな音。

威嚇の声が聞こえる。
砥石と刃が擦れ合うような音が、正面の敵全員に最後通告した。
銀の言葉に偽りはない、と。
居合切りの構えを取った銀は、冷笑を浮かべる。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「のぅ、"そこの"お主よ。
       最後の仕事は、これでよいのか?」

一人の男が肩を震わせた。
数多の敵の中で、銀はあえてその男を指定した。
何故指定出来たのか。
素性を知られない為の仮面が、意味を成していない。

632 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 17:24:06.42 ID:8Q85ystN0
己の持つ残虐性を表に出し、人間らしい容赦をその下に隠す。
その為の仮面だ。
男は冷静になろうと、深呼吸をした。
ハッタリかもしれない。

その可能性は、十分にあった。
あったのだが、即座に否定される事になった。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「どうせなら、最後の最後まで、お主がやりたい仕事をすべきじゃと儂は思うのだが。
       フランクフルトをそこの者共に振る舞い、ビールを飲みながら思い出話に花を咲かせればよい。
       命の使いどころを、間違えているのではないか?」

体の半分がクリスタルの様に透明になり、銀の戦闘準備が九割整っていた。
銀がその気になれば全身を一瞬で風景と同化させ、いつでも敵対する者達に死と恐怖を与える事が出来る。
提案に対しての返事が遅れても、拒否する為に首を横に振っても結果は変わらない。
ドクオを追う為に進むか、それとも障害である銀を排除するか。

どちらにしても、痺れを切らした者が先走りすれば、この仮初の停滞は終わりを告げ、全員が銀の殺戮の対象になってしまうことはまず間違いない。
誰かが銀の提案に頷かなければ、皆が殺される。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「儂が生きている間、我等の家族に手は出させん」

声を残して銀の姿が完全に消える寸前、先程肩を震わせた男が仮面を捨てた。
それに続く様に、連鎖的に仮面が捨てられ、皆の素顔が露わになる。
全員の顔には恐怖の色が浮かび、戦う意志は完全に消沈していた。
この男が最初に動かなければ、誰も動けなかったに違いない。

637 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 17:29:19.17 ID:8Q85ystN0
一人の決断が、全体に影響する。
迷いなく決断できた男は、同胞の誰よりも人生の経験が豊かで優秀な判断能力を持っていた。
ただし、銀に言わせればそれでも愚かな男である。
歯車王との約束を違え、あまつさえドクオに手を出したのだ。

あまりにも痛すぎる代償だったが、全滅するのを避けられただけ、いい勉強になっただろう。
男達は打ち合わせていたように横に動き、銀の為に道を譲った。
モーセの十戒で海が割れた様な、圧倒的な光景。
誰もが出来るだけ後ろに行こうと押し合い、滑稽な姿を晒していた。

ノト∧ハ∧,
イ从゚ ー゚ノi、「……流石、利口な選択じゃったのぅ、"フランカー"」

涼しげな声を残して、銀の姿はその場から音も無く完全に消え去った。
その場に残された誰一人として、ドクオを追おうとする者はいなかった。
ドクオを送り出す為だけに現れた二匹の獣は見事に目的を遂行し、無傷で退場を果たした。
いつの間にか、フランカーや阿部を含んだ大量の黒い影も文字通り跡形も無く消失していた。

それから間もなくして、裏通りにある閉店時間を過ぎた一軒の料理店が、老若男女を問わず溢れんばかりの人で満たされた事は、誰も知らない。

――――――――――――――――――――

冷たい雨が降りしきる中、打ちのめされた体を更に酷使してドクオは一人で走っていた。
手には拳銃と起爆装置を握り締め、眼に入る雨粒を気にも留めずに走っていた。
背後から殺意に満ちた気配が迫って来るのを感じ取りながらも、ドクオは振り返らなかった。
振り返れば、走る速度が落ちる。

640 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 17:33:18.23 ID:8Q85ystN0
銀。
そして千春。
二人の協力を得て、ドクオは初めてこうして走れている。
それを決して無駄には出来ない。

残る敵は5人。
いや、歯車王を合わせて6人か。
大通りを目指して走るドクオと、彼等の走る早さは圧倒的な差があった。
生身の人間であり、また、ここに至るまでに散々走り回ったドクオと、機械化された連中とでは、結果は明らかだった。

明らかであるが、ドクオは諦めない。
目に映る歯車城が大きさを増す。
近付いてきている何よりの証拠。
大通りに続いていると思われる道が、遂に見えて来た。

だが、追手は直ぐ傍に迫っている。
それでも全く問題は無かった。

('A`)「それじゃあ!」

急制動。
勢い余った敵はドクオを追い越し、一足先に大通りに辿り着いた。
ドクオはと言えば、大通りに入る一歩手前で止まっていた。
スイッチに親指を乗せる。

('A`)「お先にどうぞ!」

641 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 17:37:03.08 ID:8Q85ystN0
スイッチを押し込むと、軽い感触が指の腹に伝わった。
反して、眼の前で起きた衝撃はドクオの想像を遥かに超えていた。
目の前にいた男達は、なす術もなく爆発の炎に巻き込まれて消えた。
爆散したのか、それとも燃え尽きたのか、はたまた、空高く吹き飛んだのか。

結局、それを見届ける事は出来なかった。
通りから離れた位置に駐車されていたワゴン車の車体が持ち上がる程の風に煽られ、ドクオの体が呆気なく宙を舞っていたからだ。
落下したドクオの横たわる地面が、地震でも起きたかのように揺れている。
鼓膜を空気の振動だけで破らんばかりの爆音は、空気の拳となってドクオの体を殴り付けた。

強く握りしめていたスイッチを放り捨て、眼を固く瞑って片手で頭を護る。
爆炎は地獄の業火を彷彿とさせ、風が熱を帯びる。
吹き荒れる爆風は唸り声を上げ、荒れ狂う風の怪物となった。
想像以上の爆発によって目の前の大通りは一瞬で火の海と化し、空高く舞い上がったアスファルトの破片が雨と共に落下してくる。

細かな砂利も同様に降り注ぎ、豪雨と石の雨が混ざり合って、不気味な黒い雨を降らせた。
幸いな事に、爆発の影響はドクオの体を殴り付けた衝撃波と跳んで来た小石ぐらいしかなかった。
降り注ぐ破片が収まった頃合いを見計らい、ドクオは目をゆっくりと開いた。

('A`)「……こりゃあ、当分の間車は通れねぇな」

千春は恐らく、それを計算して爆薬を設置していたのだろう。
彼女ならば、何でも出来る。
取り分け、道具を使っての破壊活動は彼女の十八番だ。
ビルの解体業者がそうするように、千春が設置した爆薬は大通りに足を踏み入れた敵と道路だけを木っ端微塵にした。

ドクオは、疲弊し、痛みに悲鳴を上げる上半身を起こしてその凄惨な光景を眺めた。
崩壊と混沌の坩堝と化した大通り。
先の大通りの騒動後に作られたばかりの長い遊歩道が真ん中から折れ、重さに耐え切れずに崩壊する。
粉塵はそこまで上がらなかったが、砕け散った破片が道路だった場所に散乱した。

644 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 17:41:02.19 ID:8Q85ystN0
数分前までは綺麗に整備されていた道路は、今では原形を留めていなかった。
まるで、瓦礫の川が氾濫した様に。
そこでドクオは気付いた。

('A`)「ここ、歩いてくのかよ……」

荒れ果てた道路。
地割れや大きめの岩に注意して走らなければ転ぶ。
足場が崩れる危険もある。
所々で上がる炎が、風に揺れる松明の様に道を不安げに照らし出していた。

恐らく、千春は可燃性の液体か何かを道路に設置していたのだ。
この雨に降られていつまでも続く事は無いだろうが、足元を照らしてくれるだけでもありがたかった。
手を突いて立ち上がって、ドクオはひび割れ、歪曲して隆起した大通りに足を踏み入れた。
不安定な足場を、ゆらゆら揺れるオレンジ色の炎を頼りに確認しながら一人静かに進む。

歯車城は、もう目の前だ。
どれだけ足場が酷かろうと。
目的地は見えている。
その事実は、ドクオの体の芯に熱を宿した。

ようやく、この姿を間近で拝めた。
唯一残念なのは、歯車城にある時計は、ここからでは見えない事だけだ。
大通りの中央に位置する朧気な城が、視界いっぱいに広がる。
ライトアップされ、雨に霞む姿は幻想的と言わざるを得ない。

一方で、その足元にある大通りは醜く荒廃していた。
誰もがこの騒ぎを聞きつけ、何事かと考えるだろう。
しかし。
ドクオはここまで来ているのだ。

647 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 17:45:01.88 ID:8Q85ystN0
単身で歯車王に挑む。
百人近くの待ち伏せを躱し、倒し、殺した。
最早、誰にも止められはしない。
都の歴史が大きく変わるのは時間の問題だ。

裏社会の人間が望み、ドクオがそれを叶える。
依頼された仕事と云うだけで。
報酬を受け取り、己が生きる為に。
そう。

義務。
義理。
運命。
使命。

天命。
復讐。
報復。
因果。

どれでもない。
そのような下らない物で、ドクオは歯車王を殺さない。
ただ一言。
仕事。

依頼された仕事を完遂する。
その為だけに。
気付けば、ドクオは歯車城の正面に到着していた。
最後の関門は、歯車城の外周を守る背の高い壁と、眼の前に聳え立つ鋼鉄の門。

652 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 17:49:21.52 ID:8Q85ystN0
ここを通らない事には、歯車城の内部に入る事すら叶わない。
ではどうすればよいのか。
当初、ドクオが考えていたのは、関係者を装ってヒートの手を借りて力ずくで開けると云う、単純な物だった。
しかし、ヒートはおろか、ドクオ以外、誰も来ていない。

レッドホークの威力があれば、門の一部が壊せるかもしれない。
それは、やってみなければ分からなかった。
考えるより行動。
M84を戻し、レッドホークを抜き放った。

見るからに部厚そうな門に向け、一発。
機械化された兵士を空中分解させられる威力を持つレッド―ホークの銃弾は、へしゃげて扉に張り付いた。
せいぜい、一センチ程しか凹んでいない。
この銃弾で駄目だと云う事は、M84では到底破壊など出来ない。

ヒート達の到着を待った方が幾らかいい気もするが、この時間になっても到着していないのは少し不安に感じる。
ここに到着しているのはドクオだけだ。
扉が未だ開いていないのが、何よりの証拠。
4つある扉の内、最も裏通りに近いのはドクオのいる扉だ。

早くも万策―――と言っても、一つしか用意していなかったのだが―――尽きた。

('A`)「まいったな……
   鍵屋呼んでも、この道じゃ来るのは明日になっちまう」

愚痴ったところで何も変わらない。
とりあえず、門を手で押してみる。

('A`)「え?」

654 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 17:53:13.68 ID:8Q85ystN0
動いた。
雨で滑る手に力を込め、もう一度強く押す。
軋みを上げ、門が内側に向かって押し開かれる。
遂には、ドクオが入り込めるだけの間が開き、そこから明かりが漏れた。

鍵は、最初から掛かっていなかった。
施錠を忘れたとは考えられない。
ドクオを待ち伏せできるだけの時間と情報を持っていたのに、鍵が掛かっていない理由は、一つ。
明らかに罠だった。

ライトアップといい、施錠されていない門といい。
一体、歯車王はどこまでこちら側の考えを見抜いているのだろうか。
全てが看破されているのだとしたら、太刀打ちできるはずがない。
奇襲作戦が待ち伏せで対応されていたのを考えると、その可能性はゼロでは無い。

ではどうすればいいのか。
今更迷う必要はなく、自身の心配が愚行である事に気付いた。
躊躇うことは、無意味だったのだ。
目の前に出された罠も、その罠ごと喰らい尽す気概で行く。

本当に必要だったのは、それだけである。
獣が弟と呼んでくれる身分の自分が、獣に成れなくてどうする。
慎重になり過ぎ、臆病になった獣は、最早獣では無い。
吠えるしか脳の無い、飼い慣らされた駄犬と同じだ。

背中を門に預けながら、ドクオは素早く移動する。
そして、生涯で初めて歯車城の城壁内部に侵入した。
ライトアップされた歯車城の足元は眩く、暗闇に慣れたドクオの眼には強く感じた。
腕で目を庇いつつ目を細め、眼前の光景を観察する。


705 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 20:24:04.61 ID:f3Bhi48T0
床に敷き詰められた石畳は時の経過によって、角が丸く削れている。
綺麗な劣化に見えるその半面、ここを歩いた人間が、果たしてどの位いたのかが気になった。
不自然なまでに綺麗過ぎる。
人の手の届かない山奥に感じる偉大さに近しい物が、ドクオにも感じ取れた。

門から歯車城までは、ぱっと見20メートル程。
目がこの明るさに慣れない内に移動したいところだが、ここは敵の本拠地。
対人地雷やブービートラップが仕掛けられている可能性を考え、慎重に進む場面だった。
時間が迫る。

目指す場所は、視線の先にある入り口。
扉は、これ見よがしに開かれていた。
見方を変えれば、誰かが先に来ているとも言える。
―――誰か来ないかと、後ろを見ようとした時、滝の様な豪雨が嘘のように止んだ。

視線を前に戻し、ドクオはレッドホークの銃口を、目の前の地面に向けて発砲した。
石畳が砕け散り、細かな破片が飛び散る。
続けて、もう少し先に一発。
反応は同じ。

ドクオは一歩踏み出し、初弾が抉った地面に足を置いた。
三発、4発、そして五発。
レッドホークの中にある弾丸全てを使い切って、ドクオは足を置く為の地面を確保した。
銃口から硝煙の立ち上るレッドホークに最後の弾を装填してからホルスターに戻し、ドクオは目元についた水滴を払い落した。

たった五歩分の保証。
20メートルを五歩で渡るのは、物理的に無理だ。
重々承知で、ドクオはこの手に出た。
欲しかったのは、五回撃っても罠が作動しなかった保証だけ。

710 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 20:28:17.11 ID:f3Bhi48T0
後は保証の対象外。

('A`)「久しぶりに」

つまり。

('A`)「運だめしでもするか」

たった五回の保証だけで、ドクオは進むことを選んだのだ。
恐れずに踏み出す足。
石畳は、それを素直に受け入れた。
罠が作動したり、地雷を踏んだりした気配はない。

代わりに、不気味な静寂が辺りに満ちている事に気付いた。
靴底が石畳を踏みつける度、跫音が響く。
雨上がりの夜の冷え切った空気が肺を満たす。
鼻の奥を通る夜の匂い。

神経が隅々まで澄み渡る。
澄み渡った五感が、背後に来た敵を察知した。

('A`)「……随分とタフだな。
   タフガイは嫌いじゃないが、しつこい野郎は嫌いだ」

城を背に振り返ったドクオの目に飛び込んで来たのは、文字通り満身創痍の敵の姿だった。
衣服は無残に破れ、右腕は手首がついておらず、左肩から先は薄皮一枚で繋がっている。
両足は外側に向かって曲がり、胸部からは銀色の棒の様な物が突き出していた。
仮面はしていないが、傷だらけで黒く汚れた顔からは性別の判別が出来ない。

711 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 20:33:03.08 ID:f3Bhi48T0
荒い息遣いとがっしりとした体格から、男だと判断した。
乱れた金髪の下から見える、血走った青い瞳をドクオに向け、仇を目の前にしているかのような敵意がそこから滲み出ていた。
よく見れば、男の脚は人間のそれとは形が異なる。
男の体液で赤黒く染まっているが、鋭く長い獣の爪が両足の指から伸びていた。

剥がれた皮膚の下に見える青銅色の光沢は、確かに金属特有のものだ。
傷ついた体を無理やりに動かし、呪詛を呟く様に同じ言葉を狂気と殺意に満ちた声色で繰り返す。

「させ……ない……
守る……守るんだ……」

('A`)「喧しい」

雨が上がった今、男は最悪のタイミングでドクオの前に現れた。
右腕は懐のM84へ。
左腕は弾倉へ。

('A`)「何を守るか知らないけどな!
   まずは手前を守り切ってから、もう一度その台詞を言ってみろ!」

指の間に二つの弾倉。
M84は真っ直ぐ、敵に照準を合わせ。

('A`)「悪いが、推し通る!」

連続して銃爪を引いた。
弾倉内の全ての弾丸を撃ち、弾倉を排出。
左手の弾倉を装填し、再び発砲。
異形の体を持つ敵は、着弾の度に体を跳ねらせる。

716 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 20:37:12.13 ID:f3Bhi48T0
「……る……まも……」

一歩でも前に進もうと、男は懸命に体を動かした。
当然、ドクオは容赦などしない。

('A`)「どうした、これで終わりか、腰ぬけ野郎が!
   そんなんじゃ何も守れねぇぞ!
   意地は無いのか!」

前のめりに倒れる事を許さず、続けて二つ目の弾倉を装填、発砲。
全身にくまなく弾丸を受けた敵は、最期まで己の脚で立とうとしていたが、最後の一発で半分になっていた顔の全てを吹き飛ばされ、遂に後ろに倒れた。
撃ち尽くした弾倉を交換し、ドクオは銃口を下ろす。

('A`)「ったく情けねぇ、少しは男らしく根性を見せてみろよ。
   俺は弁護士並みに忙しいんだ」

今ので分かったのは、M84は動作不良を起こしていないと云う事。
30発以上の発砲で試したのだから、それは自信を持って言える。
気を取り直し、ドクオは目の前の扉を潜った。
中に入って数歩進むと、前触れなく扉が勝手に閉まった。

内部は暗く、細部はよく見えない。
辛うじて見えるのは、螺旋階段らしき影だけ。
高い場所にある窓から中に差し込む光以外、頼りになる明かりは無かった。
豪雨の後にも拘らず適度な室温が保たれ、厳かな静寂が満ちていた。

コートの裾から滴り落ちる水が落ちる音が、嫌に寂しげに聞こえる。
先程の男のせいで、闇に慣れたドクオの眼は初期化され、しばらくドクオは目の前の暗闇を見つめる事にした。
言うなれば、ここは歯車王の家。
どこに何が置かれ、何が隠れているのかを見定める能力が必要不可欠なのだ。

719 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 20:41:15.40 ID:f3Bhi48T0
結局、要した時間は一、二分程度だった。
階段の輪郭が鮮明に映り、足元の床が白い石である事が分かった。
所々に円柱が立ち並び、天井までの高さは優に30メートル以上。
内壁に沿って優雅な螺旋を一回描く長い階段の下に空いた小さな穴から、柔らかい光が差し込んでいた。

天井があると云う事は階層別の空間が存在すると云う事であり、捜索するのには手間が掛ると云う事を意味している。
隠れていれば、の話だが。
果たして、歯車王が隠れるのだろうか。
答えを、ドクオには導き出せなかった。

これまで、ドクオは歯車王の姿を見た事がただの一度もない。
姿は写真などの媒体を使って見た程度。
この都では別に珍しくもない話だ。
興味が無かったと言えば嘘になるが、歯車王はその姿を滅多に公の場に表さない。

わざわざ歯車王の姿を見る為に時間を割くほど、ドクオには時間的な余裕が無かった。
公の場に歯車王が現れた時は、奇妙な事にその日の記憶がない。
おそらく、歯車祭の日は仕事が多忙で単純に忘れているだけだろう。
これから殺す相手の姿を知らないと云うのも、おかしな話だ。

螺旋階段を前に、ドクオは軽い頭痛に襲われた。
振り切る様に、螺旋階段を一段飛ばしで上り始める。
あちらこちらに反響する跫音。
乾いた空気を伝わり、それは幾重にも折り重なった。

打楽器だけで構成された、多重奏。
単調な低音の曲は、一人の手によって生み出されている。
観衆も、たった一人。
拍手も喝采も、当然無い。

723 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 20:45:16.08 ID:f3Bhi48T0
一つ階層を上ったドクオが着いた場所は、下とはまるで別物の空間だった。
殺風景だった一階とは異なり、繊細な彫刻の施された柱や扉があった。
真っ直ぐに伸びる大理石の廊下に沿って、左右に扉が。
廊下の真ん中に、ドクオが抱きかかえられる程の太さの支柱が生えている。

豪華な装飾とは対照的に、生活感がここからは感じ取れない。
昔、誰かがいたような空気。
廃墟に感じる不思議な寂しさ。
形容し難い物悲しさに、ドクオの胸は締め付けられた様に苦しくなった。

目をよく凝らしてみると、真っ直ぐ進んだ先には弧を描く階段があった。
階段を目指して、ドクオは歩き出した。
左右の扉の先には部屋があるのだろうが、ドクオは部屋に入ろうとはしなかった。
歯車王は、ここにはいない。

明確な理由など、同然の如く持っていない。
ただ、なんとなくそのような気がするのだ。
前だけを見て歩くドクオは、部屋の上に掛けられた木札の存在に気付かなかった。
古びて、変色した木札に何かが掘られている事にも。

次なる階層を目指して階段を早足で上り、ドクオはまた似たような空間に出た。
少し荒れた息遣いが、跫音に混じって木霊する。

(;'A`)「エレベーターは……ないよな、うん、ないな」

散々動き続けて来たドクオの脚は、痛みを通り越して、感覚を失っていた。
忘れていた疲労が蘇る。
とっくに、疲労は限界に達していた。
立ち止ると脚が振るえて動けなくなりそうな気がして、ドクオは歩き続けた。

724 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 20:50:05.57 ID:f3Bhi48T0
動く。
余計な動作を極力省き、思考も一つに絞る。
模倣もしない。
進む事だけを考えればいい。

豪華な内装の廊下を渡り、階段を上る。
長い。
廊下が長い。
階段が長い。

息が苦しい。
足枷を付けられたかのように足が重い。
酷使して来た脚が限界を訴えるのを無視して、早足を駆け脚に変えた。
速度の低下は体力の消耗に繋がる。

どうせ疲れるなら、少しでも先に進む。
螺旋階段を上り終えると、やはり広い空間に出る。
平坦な道を駆け、階段を上る。
何回それを繰り返したか、ドクオは忘れていた。

ぐるぐると。
それはまるで。
小さな歯車が巨大な歯車の内で廻る様に。
一人の男が、歯車城内を駆け回っていた。

途中、何度も躓きかけた。
その度にドクオは体勢を立て直し、走った。
体を濡らすのが雨なのか、それとも自分の汗なのかの区別がつかない。
幾度も幾度も。

729 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 20:54:04.18 ID:f3Bhi48T0
ドクオは同じ工程を繰り返し続けた。
この歯車から逃れる為に。
この歯車を終わらせる為に。
決して諦めず、ドクオは疲れ切った体に鞭を打って階段を駆け上がった。

喉と肺に痛みを感じ、脚の感覚が完全に消えた時。
遂に、ドクオはこれまでとは違う空間に出た。
思わず立ち止まってしまったドクオの前に、道は三本あった。
二つの道は左右に分かれ、その先には闇が続き、どこに向かっているのか分からない。

そしてもう一つは細い道。
それは、上へと真っ直ぐ続く階段だった。
冷たく強い風が吹き込んでいる。
つまり、その先は屋外へと繋がっている何よりの証拠。






('A`)「……さて、そろそろ終わりにしようか」






肩で息をしながらそう呟き、ドクオは階段に向かってゆっくりと歩き始めた。

733 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 20:58:55.54 ID:f3Bhi48T0





――――――――――――――――――――




      ('A`)と歯車の都のようです

         最 終 第 三 部
           【終 焉 編】
          -Episode Final-




――――――――――――――――――――






736 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 21:02:02.77 ID:f3Bhi48T0
急な角度の階段をドクオは可能な限り早く上がろうとしたが、もう、脚が思う様に動かなかった。
脚への負担を減らそうと、ドクオは手を壁について上った。
一段一段確かめる様な足取りで上り終え、眼の前にはやや狭い直線の道があった。
道の先はほのかに明るく、そこから吹き込んでくるのは強い風だ。

間違いなく、あの先は外と通じている。
風が唸りを上げる。
荒い呼吸の音は、風が吹き消した。
弾が減って軽くなったロングコートの裾は翻り、バタバタと音を立てる。

生乾きの髪が風で靡くのを、自ら後ろに梳く事で止めた。
正面から吹きつける風。
冷たく、湿った都の風。
ドクオは思わず目を細めた。

硬い跫音が響く。
直感が告げる。
この先に、歯車王がいる、と。
確信めいたそれを、ドクオは決して疑わなかった。

もう走る必要はない。
重い足取りで歩く。
絶えず新鮮な酸素を肺に送り込む。
せめて、体力の回復は諦めるとして、脚力だけでも回復をしないと、何もできない。

徐々に目に入る光の量が増し、通路を渡り切ると、それまでの真っ暗闇が一転して眩いばかりの光が目に入った。
トンネルの様な通路の先にあったのは、数万、いや、数億に達する光の群れ。
歯車の都の夜に浮かぶ、見事なまでの光景だった。
ネオンの明かりも、民家の明かりも、街灯の明かりも、車の明かりも。

743 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 21:06:11.14 ID:f3Bhi48T0
何もかもが極小で輝かしくて、そして美しかった。
瞬く星のようなそれらから目を逸らし、ドクオは周囲を見渡した。
凹凸の表面を持つ石で造られた地面は、不思議な事に濡れていない。
円形の屋上は、直径50メートルといったところだろうか。

腰までの高さの縁が外周を囲み、それ以外に何も見当たらない。
たった一人で立ち尽くすドクオは、この場所に見覚えがある事に思い至った。
歯車祭の時、歯車王がこの場所に立つのだ。
録画された映像や、新聞に掲載された写真からでしか見た事がない歯車王。

鋼鉄の仮面の下の素顔を知ろうとした者は数知れず、知る者は誰もいない。
あくまでも、ドクオの知る限りでは、だ。
そしてその知る限り、歯車王の正体に最も近づいたのはロマネスクだけである。
歯車王暗殺の話が最初に挙がった際、去り際にロマネスクがさり気無く言った一言。

"ドクオ達の中に、歯車王がいる可能性がある"
あの時いた人間は、ドクオを含めて七人。
内、死亡したとされる者とドクオを除外すると三人。
ツン、ブーン、そしてヒート。

クールノーファミリーの娘であるツンが、歯車王である可能性はゼロだろう。
となると、最も怪しいのがブーンとヒートだ。
水平線会の用心棒としての肩書を持っているが、ブーンは歯車王暗殺の際に一時姿を消し、また戻ってきた経歴がある。
怪しむなと云う方が無理だ。

恩があるとは言っても、ヒートも十分に可能性がある。
暗殺の際、"歯車王の姿を見て今なお生きている"のはヒートだけなのだ。
そしてあの、異常なまでの身体能力の高さ。
ブーンと同じぐらい歯車王である可能性はあった。

745 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 21:10:10.33 ID:f3Bhi48T0
しかし、決め手が無かった。
確信するに至る決め手が。
仮にブーンかヒートが歯車王だとしても、何故未だにドクオ達と共に行動しているのか。
得心の行く理由は見当たらず、怪しいと云うだけで終わってしまう。

ロマネスクは、一体何を知って、あの中に歯車王がいると言ったのだろうか。
あの日集まった全員に共通していた事。
それは、何かの能力に秀でていると云う事だ。
そこに答えがあるのかもしれない。

素奈緒ヒートは力。
内藤・ブーン・ホライゾンは守り。
クールノー・ツンデレは狙撃。
素直クールは情報。

流石・兄者は技術。
モララーは武器。
そしてドクオ自身は―――



―――何もない。




ただの何でも屋だ。
そんなドクオが、何故あの場に呼ばれたのだろうか。
そう考えると、最も怪しいのは他ならぬ自分自身。
秀でた能力も特技も無い男が、あの場にいるのは不自然すぎる。

749 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 21:14:13.97 ID:f3Bhi48T0
何故。
何故、ドクオが呼ばれたのだ。
動揺し始めた心を落ち着かせる為、ドクオは何度も深呼吸をした。
有り得ない。

一瞬浮かんだ愚かな考えを振り払い、ドクオはもう一度考え直す。
前提を変えればどうだ。
つまり、ロマネスクの言葉に縛られずに歯車王の正体を考えるのだ。
例えばデレデレやでぃ、そしてロマネスク。

そう考えれば、様々な事に説明がつく。
当初は死亡したとされていたモララーが生きていたのも、モナーが敵に回っていたのも。
彼らならば、誰でもそれが可能だ。
何より、自ら暗殺を依頼すれば、それはそれで疑われる事がない。

だがそこまでだった。
それこそ、理由がない。
思考の迷路に迷ってしまった。
いや、本当は迷っていない。

可能性を捨てているだけなのだ。
全ての可能性を考えようとせず、ドクオは狭い視野で物事を見ている。
そもそも、歯車王の思考が分かる筈がない。
ならば理由を考えるのは、果てしなく無意味な行動だ。

最初から考え直し、可能性を振るいに掛ける。
除外すべき可能性。
まずは、モララーだ。
モララーとまたんきは、ドクオがその手で殺した。

754 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 21:18:16.26 ID:f3Bhi48T0
ならば歯車王である筈がない。
つまり、モララーを除いた6人が対象になる。
ドクオと行動を共にしていたヒートは、あの日に歯車王の姿を遠くからだが見たと言っていた。
その情報が確かだとすれば、首を引き千切られて殺された素直クールも除外される。

殺されたのは調査担当の情報屋。
歯車王は、自分自身の情報が漏れる事を懸念したのだろう。
クールノーファミリーのツンは、除外しても問題はない。
ドクオよりも歳の若い彼女が、歯車王である筈がないからだ。

同じ理由で、ブーンも除外できる。
残るのはヒートと兄者。
やはりヒートが残ったが、ブーンの代わりに兄者が浮かび上がった。
死亡扱いされたモララーが生きていたなら、兄者が生きていてもおかしくない。

そう考えるのが自然だ。
しかも、素直クールとモララーは歯車王の可能性が最も高いのが兄者だと言っていた。
自らの遺伝子情報を偽ることも操作する事も、歯車王ならば可能。
優秀な技術を持つ兄者は、確かに歯車王として十分過ぎる資格を持っている。

ロマネスクの言葉が真実だとすると、やはり、歯車王は二人の内どちらかとなる。
いや。
違う。
まだ、一人だけ残されている。

先程振り払った考え、可能性。
有り得無くない可能性。
残されたもう一人。

それは―――

759 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 21:22:08.00 ID:f3Bhi48T0


('A`)「……へっ」



―――他ならぬ、ドクオ自身だ。
滑稽。
あまりにも滑稽な考えに、ドクオは堪らず苦笑した。
自分の尻尾を、必死になって追い掛ける犬の心地がする。

ここに来て急に浮上した可能性は、それほどまでにおかしかった。
ヒートと兄者を疑っていた自分にも、十分に可能性があった。
それは、否定しようがなかった。
幾つか思い当たる節がある。

時折途絶える記憶。
一度も見た事がない歯車王。
かつて診断された、解離性同一性障害の疑い。
必要な物は、全て揃っていた。

解離性同一性障害とは、言わば多重人格。
即ち、ドクオの知らないもう一人のドクオが己の中に存在すると云う事。
自分が歯車王だから、自分の姿を見た事がなく。
歯車王が表出している間、ドクオの記憶は途絶える。

恐ろしい程簡単に説明がいった。
説明できない事がないぐらいに。
一体、これは何の冗談なのだろうか。
これが本当ならば、ドクオは哀れで滑稽で惨めで愚かで無知な道化師だった事になる。

766 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 21:26:05.09 ID:f3Bhi48T0
ドクオが請け負った仕事は、歯車王を殺す事。
では、ドクオが歯車王だったならばどのように殺すのか。
愚問である。
自ら命を断つ以外、方法は無い。

手には何がある。
銃だ。 M84がある。
使い方は熟知している。
ここに来るまでに敵を殺した様に、米神に銃口を当てて銃爪を引けばいい。

僅かな指の力だけで簡単にドクオは頭を吹き飛ばし、死ぬ事が出来る。
同時に、歯車王を殺す事が出来る。
手に持つM84を見やる。
黒い拳銃は、ただ主人の命令を待っている。

ヒートから受け継いだこの銃は、決して命令に背かない。
文句も言わない。
主人がいなくなれば、新たな主人の元に渡るか、朽ちるか。
思考も思想も意志も持たない道具は、ただ使われるだけ。

歯車として廻り、道具の様に捨てられる。
この都にいる人間の多くも、その様な存在だ。
ドクオも例外ではない。
受けた依頼を遂行できなければ、容赦なく切り捨てられるだろう。

仮に。
仮に、ドクオが歯車王だとしよう。
その場合、ドクオは二つの選択に迫られる事になる。
一つ。

769 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 21:30:26.41 ID:f3Bhi48T0
仕事を果たす為、自ら命を断つ。
もう一つは、御三家の依頼を無視し、逆らうか。
依頼主である首領への反逆は、即ちそれ自体が死を意味するに等しい。
等しい、と云うのにはそれなりの理由がある。

逆らった所で、必ずしも死が確定するわけではない。
ただ、都の裏社会の九割が敵に廻るだけ。
一騎当千の手練を引き連れた御三家と、その傘下の組織を相手にして、生きて都から脱出すればまだ可能性は消えない。
逃げ場のない空路は危険だ。

地上、もしくは空中から対空ミサイルを撃ち込まれて空の藻屑と化す。
似た理由で海も却下。
残りは、陸路。
列車やバス、タクシーなどの乗り物は刺客に襲われる危険がある。

自分で用意した車両や馬、もしくは徒歩。
いつ訪れるかも分からない追手を考慮しつつ、ホテルで出される食事にも注意を払わなければならない。
一瞬の気の緩みも許されない状況下で、三日も生き残れれば上出来と言える。
生きている間に上手く逃げ続ければ、死にはしない。

御三家の怒りを買った人間が掴まれば、楽に殺されるとは思わない。
生きたまま、想像もつかない方法で苦しめられ、死を望んでもそれは叶えられない。
最終的に脳が死を選ぶまでそれは続くだろう。
ここで楽に死ぬか、それとも逃げて地獄の苦しみを味わってからジワジワと死ぬか。

どちらがより望ましいか。
今なら、苦しまずに一瞬で死ねる。
少しばかり決断力がいるが。
全ては一瞬で終わるのだから。

776 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 21:34:06.19 ID:f3Bhi48T0
掌に馴染んだM84の銃把を、無意識の内に強く握りしめていた。
親指で撃鉄を起こし、また戻す。
何度もそれを繰り返し、気持ちを落ち着かせる。
全てはただの仮説であることを、決して忘れてはいけない。

自殺か反逆かは、真実が分かってから選べばいい。
何も、ドクオの持っている情報だけが絶対ではないのだ。
歯車王に繋がる情報を、ひょっとしたら何一つとして持っていないのかもしれない。
物事はそこまで都合よく行かない。

あのロマネスクでさえ、正体には辿り付けなかった。
辿り付けなかったが、可能性のある者を集められた。
そして、最も高い可能性を持つのはドクオ達三人。
今持っている情報では、自分自身が歯車王に最も近い。

決定的だったのは、解離性同一性障害の疑いを持っているからだけではない。
もう一つ。
もう一つだけ、ドクオには秘密があるからこそ、自分を疑っているのだ。
他人に知られる事を心の底から嫌い、ひた隠しにしている秘密が。


それは―――


('A`)「……あっ」

その時、何かが引っ掛かった。
何か見逃している点がある。
何を見逃した。
必死になって考える。

784 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 21:38:10.32 ID:f3Bhi48T0
思考の流れを思い出す。
引っ掛かった点を見つけ出した。
何故。
どうして、そんなものが引っ掛かる。

問題なのは何だ。
もう一度、引っ掛かった部分を繰り返す。

('A`)「ちょっと待てよ……
   それじゃあ……
   俺はやっぱり……」

徐々に思考が繋がる。
小さな歯車を並べ、思考がゆっくりと廻り始める。
不鮮明な部分も、その歯車は自然に答えを導き、補った。
止まらない。

思考が止まらない。
一つの答えを目指し、廻り続ける。
歯車は廻る。
辿り着いたのは、最初の場面。

歯車王暗殺のメンバーが集められた、あの日の夜。
一つ。
二つ。
そして三つ。

787 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 21:42:03.05 ID:f3Bhi48T0
そして遂に、答えに辿り着いた。
これ以外、他に答えが思い浮かばない。
ならば。
やる事は決まっている。

M84をゆっくりと顔の傍まで持ち上げる。
冷たい鉄の相棒が、沈黙を守っている。
目を閉じる。
深呼吸を一つ。

('A`)「だったら、悪いな……」

誰に対して謝ったのか。
謝罪の対象は、ここにいるのだろうか。

('A`)「俺は、もう……」

自分自身に言い聞かせるように、ドクオは呟き続ける。

('A`)「ここで……」

銃口を米神に押し付ける。
自らの行動は正しい。
何一つ間違っていない。
全ては考えあっての行動であり、それが正しい事は先程自分の中で整理が出来た。

歯車王をこれから殺すには、潔さが大切だった。
思い切りが重要だった。
聞き逃してしまいそうなほど小さな息を飲む音が、ハッキリと聞こえた。
満足げに口元を釣り上げる。

793 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 21:46:08.48 ID:f3Bhi48T0






唯一の心配は。
―――狼牙と交わした、最後の約束だけだった。







800 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 21:51:06.50 ID:f3Bhi48T0














           ('A`)「……ここで、この道化師役は降ろさせて貰うぜ!」














809 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 21:56:24.52 ID:f3Bhi48T0
目を見開き、米神に当てていたM84を振り向き様に構えた。
銃口の先にあるのは、夜闇と数億の光が作り出す夜景だ。
しかし、ドクオの眼は真っ直ぐにそこを睨みつけている。

('A`)「サプライズ・パーティーをやろうってなら、生憎と失敗だったな。
   俺だって自分の誕生日を覚えてないんだよ。
   ケーキが用意してあるなら、貰ってやってもいい」

闇は動かない。


('A`)「よぉ、特等席で見る喜劇はさぞや楽しかっただろうな。
   どうだい、シェークスピアみたいに滑稽だったか?
   でもな、チケット代はしっかりと払ってもらうぞ」


眼下に広がる夜景が、僅かに揺らいだ。
この揺らぎ方を、ドクオは知っている。

('A`)「悪いが、俺はチャリティー精神の持ち合わせが無くてな。
   タダ見はよくねぇよなぁ?」

視線の先にある夜闇が。
銃口の先にある夜景が。
切り抜いた様に、一瞬で消えた。
代わりに、不気味な人影がそこに現れていた。

その姿を見た刹那。
ドクオの心臓は氷の爪で鷲掴みにされ、脊髄に液体窒素を流し込まれた様な感覚に襲われた。

819 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 22:02:03.37 ID:f3Bhi48T0
('A`)「えぇ? 王様よ!」

身長はドクオと同じぐらい。
聞いていたのとは違い、どれだけ多めに見積もっても2mもない。
流れる様な夜空の色をした髪は、腰の辺りまで伸び、風と戯れていた。
噂通りの黒いロングコートを着込み、写真通りの鋼鉄の仮面を掛けている。

その名は、歯車王。

|::━◎┥『……よく分かったな』

老若男女。
喜怒哀楽。
あらゆる声色が混ざった声が、仮面の下から聞こえて来た。
赤く輝く単眼は、ドクオを見据えている。

銃口とその視線が交差する。

('A`)「へっ、こう見えても耳は良い方なんでね。
   あんたの息を飲む音ぐらい、この距離なら聞こえるさ。
   どっかに居るとは思ったけど、場所が分からなくてな。
   ちょっと肝が冷えたが、やる価値はあったみたいだな」

ドクオが先程自らの米神に銃口を押し当てたのは、近くに潜んでいるであろう歯車王の動揺を誘う為だったのだ。
一瞬だけでもいい。
歯車王がドクオの行動を見て、動揺してさえくれれば。
正に一か八かの賭けではあったが、見事に成功した。

ただ、藪を突いて出て来たのは恐竜だった。
それでも、状況は劇的なまでに大きく動いた。

826 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 22:06:00.95 ID:f3Bhi48T0
|::━◎┥『なるほどな』

勝ち誇ったように笑みを浮かべるが、ドクオの背中を伝う冷や汗は引く気配を見せない。
機械化された兵士を一撃で屠れる拳銃を持ってると言い聞かせても、一向に和らがなかった。
それを向けられている歯車王は、全く動じていない様子だった。

|::━◎┥『それでどうする?
      怯えたままではどうしようもあるまい。
      逃げ出るのも一つの手だぞ』

('A`)「人間観察が趣味か?
   あんまりイイ趣味とは言えねぇよ。
   ちなみに、逃げるのだけはないな。
   あぁ、有り得ないね」

動揺している事を見抜かれたが、それを否定はしなかった。
仮面の下で、歯車王が小さく嘲笑する。



|::━◎┥『くっ、くくっ……
      そうか、そう言ってくれるか。
      では訊こう』



歯車王が一歩踏み出す。
聞こえる筈がないのに、何故か歯車王の声は楽しげだった。
この状況を楽しんでいる。
役者めいた口調で、歯車王は問う。

835 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 22:10:12.04 ID:f3Bhi48T0
|::━◎┥『なぜ、私を殺す?
      使命か?
      宿命か?
      復讐か?』

今度は、ドクオが嘲笑する番だった。


('A`)「く、はっはっはっは!!
   使命?
   宿命?
   復讐?

   そんなんじゃねぇよ。
   あぁ、そんなどうでもいい物じゃねぇに決まってるさ。
   一体何の使命だ?
   一体何の宿命だ?

   使命なんて安くて臭いものは取り扱わないし、宿命だったら尚更だ。
   第一、俺はあんたに恨みなんかこれっぽっちもねぇ」


心を蝕んでいた恐れを吹き飛ばす様に、ドクオの声は大きくなっていた。
いつの間にか、冷汗は止まっている。
覚悟はできた。

('A`)「仕事だよ」

|::━◎┥『ふふっ、いいぞ。
      最初の頃とは大違いだ』

846 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 22:15:06.93 ID:f3Bhi48T0
二人の間に、僅かな沈黙があった。
話し合う様な間柄でもない。
今は、殺すか、殺されるかの関係でしかない。

('A`)「そうだ、一ついいか?」

|::━◎┥『言ってみろ』

王らしく威厳の溢れる口調で、歯車王は短く簡潔に答えた。

('A`)「俺はあんたの事を何て呼べばいいんだ?
   いつまでも、"あんた"じゃ言いにくくてな」

|::━◎┥『その口調だと、私の正体に目星を付けているのだろうな』

('A`)「まぁな。
   さっき、ようやく分かった感じだ」

|::━◎┥『ならばどちらでも構わんぞ』

('A`)「そうかい」

歯車王の正体。
それは、ドクオの持つ情報だけでも割り出す事が出来た。
確かに歯車王はあの日の夜、あの場所にいた。
同時に、決定的な証拠を残していた。

聞いていれば不思議ではない。
考えてみれば、あまりにも不自然な事。

856 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 22:21:17.70 ID:f3Bhi48T0
('A`)「いちいち歯車王って呼ぶのも面倒だからな」

口の中が渇いている。
心臓の鼓動が高鳴る。




('A`)「俺が最初に聞いた名前で呼ぶ事にするよ」




歯車王は、何も言わずに仮面に手を伸ばした。
鋼鉄の仮面を細くて白い指がそっと掴む。
優雅で無駄のない行動は、ドクオの目を奪った。




|::━◎┥




すっ、と上に仮面を軽く持ち上げる。
まず露わになったのは、その口元だった。
徐々に仮面が持ち上げられる。
ドクオはその名を口にしようと、口を開く。

870 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 22:24:07.97 ID:OF/dVves0
残るは目元だけ。
そして。
遂に。
ゆっくりと。




|::━◎┥




仮面が取られた。
時間が止まる。
空気が凍る。
呼吸を忘れた。

しかし、名を呼ぶ事だけは忘れなかった。





('A`)「なぁ……」





876 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 22:26:13.52 ID:OF/dVves0









歯車王の手から、仮面が落ちる。
金属の仮面が地面に吸い込まれる。
仮面の下にあった鋭い眼が、ドクオを射抜く。
黒く長い髪が、風に流れる。

声が震えない事を願いながら、その名を叫ぶ。
歯車王の、その名を。







889 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 22:30:00.69 ID:OF/dVves0














          ('A`)「素直クールさんよぉ!」


        川 ゚ -゚)


素直クールと呼ばれた歯車王は、薄らと笑った様に見えた。









904 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 22:34:13.13 ID:OF/dVves0





――――――――――――――――――――




      ('A`)と歯車の都のようです

         最 終 第 三 部
           【終 焉 編】
         -Episode Final-

            『Gear』




――――――――――――――――――――






923 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[1/3です] 投稿日:2011/03/27(日) 22:38:18.04 ID:OF/dVves0
ドクオが気付いた証拠。
それは、名前だった。
あの日、集まるメンバーは計画者以外誰にも知られていない筈だ。
だからこそ、自己紹介をする運びとなった。

一人一人が名乗った時。
ドクオは一度だけ口を挟んだ。
何故か。
初めて聞いた人間なら、必ずドクオと同じ事を思っただろう。

"同じ読みの苗字を持つ二人が、姉妹かもしれない"、と。

しかし、帰ってきた答えは姉妹の可能性を否定するものだった。
その時、何と答えたか。


"読みは同じだが字が違う"


どうして。
どうして、初対面で"同じ読みの苗字の字が違う"とすぐに分かったのか。
商売上情報に精通しているとしても、特定の個人の名前の字が違うと分かる為には、必ず"書面"で確認する必要がある。
少なくとも、見知っただけでなく、何かしらの機会にヒートの名を紙の上で見た経験があった筈だ。

あの場に呼び出されるだけあって、それは彼女が情報屋としてはかなり優秀だったと云う証にも思える。
他人の名の字を覚え、それが顔と一致するとなると、相当の記憶力が必要になるからだ。
それでは仮に、彼女を優秀な情報屋だとしよう。
では、歯車王の最有力候補として、素直クールは一度でも"誰かの名"を口にしたか。

932 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 22:42:07.08 ID:OF/dVves0
答えは否。
ただの一度もしていない。
調査を担当しているのに、何故。
そればかりか、歯車王の候補の名を出したのは彼女では無かった。

今は亡き武器屋、モララー・ルーデルリッヒだ。
裏付けしたのも彼である。
優秀な情報屋が兄者の素性を知らず、専門家であるのにどうして調べなかったのか。
兄者の戸籍情報がない事に驚いたのは、武器屋でも調べられる情報を調べなかった事を意味するのではないか。

優れた情報屋の知らない情報とは、深く厳重に秘匿されていたそれと言い換えられる。
故に、彼女が驚いた事によってその情報は奇妙な信憑性を持つ事になり、ドクオは無意識の内に彼女が情報を提供していたと錯覚していた。
新しい情報を得た今なら、彼女では無くモララーが兄者の名を出したその答えが分かる。
複雑怪奇な歯車が意味するその答えを導く事が出来た一番の強みは、やはり、大通りで起きた騒動で得た情報だった。

姿を暗ませたまたんきと、死亡されたとされるモララーは、フォックスの件でドクオと対峙する事になった。
成り行きで二人と対峙して初めて、ドクオはモララーとまたんきの二人が繋がっている事を知った。
襲撃者と武器屋は、兄弟だったのだ。
そして、二人が本物のプロである事も分かった。

猛勇の集う場所で完璧な偽装による完璧な演技を行い、見事に役割を果たした彼等が戦闘のプロであるのは明らかだが。
危険な状況下でも臆することなく任務を遂行した、その仕事意識こそが紛う事無きプロなのだ。
ドクオの問いに、死ぬ間際とは云ってもあれだけのプロがそう簡単に口を割るだろうか。
答えは否だ。

何らかの理由でフォックスの下に移り、そこで騒動が起こる事を知った二人は、雇い主の利益になるよう行動を起こした。
二人によって入手された情報は、ラウンジタワーで働いていたモナーに流され。
歯車王の耳に入り、最後にデレデレの耳に入る。
だからこそ歯車王は、厳重な警備にも拘わらずあれだけの精度の情報が入手できたに違いない。

938 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 22:46:04.80 ID:OF/dVves0
何より、あの日。
暗殺の為に召集された全員の前で、歯車王の私兵だと名乗った、またんき。
奴が襲撃を仕掛けてきた際。
一人だけ。

たった一人だけ、彼等に干渉しなかった者がいる。
私兵が雇い主に手を出すか。
雇い主が、せっかくの駒を潰す真似をするか。
馬鹿な。

何より、情報屋として素直クールは不自然なまでに不完全すぎた。
彼女の代わりに調べ事をしたモララーもまた然り。
戸籍情報を用いて全員の名と素性を詳しく調べたのならば、この都の住人なら誰だって気付く。
誰があの中で最も疑わしいのか、直ぐに分かる筈だろうに。

同じ読みの苗字の字が違うと指摘出来るだけの情報を持っているのに、把握しておかねばならない情報を把握していなかったのは誰だ。
驚く事によって、モララーの情報に信憑性を持たせ得たのは誰だ。
襲撃者に干渉しなかったのは誰だ。
当日、歯車王の私兵が行動を共にした相手は誰だ。

素直クールをおいて、歯車王の可能性がある者は他に居ない。

('A`)「元気だったか?」

川 ゚ -゚)「あぁ、すっかり休暇を満喫したよ」

('A`)「悪いが、有給休暇は今日までだ。
   サービス残業を覚悟してもらおうか」

遊底を掴む。

945 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 22:50:03.83 ID:OF/dVves0
川 ゚ -゚)「別にいいさ。
     むしろ、退屈していた所だ」

一息に引き、薬室内の弾丸を排莢。
排莢された未使用の弾丸が、宙を舞う。
撃鉄が起きる。
指を離し、弾が装填される。

川 ゚ -゚)「だから」

排莢した弾丸が、地面に向かって落ちて行き。

川 ゚ -゚)「これ以上、私を待たせるなよ?」

小さく音を立てた。
それが、始まりの合図。

('A`)「言ってろ!!」

僅かに手首を持ち上げ、銃口を素直クールへ。
構えてから瞬きする暇も与えずに、連続して銃爪を引いた。
反動を利用したその連射速度は、フルオートのマシンピストルに匹敵した。
銃爪を引いた段階で何の行動も起こさず、その気配すら見せない。

余裕の表れか。
それとも、諦めたか。
いずれにしても、放った銃弾は10発。
威力は十分。

961 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 22:54:05.65 ID:OF/dVves0
回避できる様な距離では無い。
銃弾の初速以上の速さで動けるのであれば、話は別だ。
例えばヒートやロマネスク、もしくは銀と云った特定の人間。
素直クールは、微動だにしない。

川 ゚ -゚)「……ほぅ」

金属に銃弾がぶつかる様な音が響き、素直クールは涼しげな顔で感嘆の声を上げた。
10発の全てが、素直クールの髪を揺らしもしなかった。
答えは、考えるまでも無く、眼の前にあった。

(;'A`)「それが噂の副椀か……」

一瞬で素直クールの前に現れたのは、六本の機械仕掛けの腕。
放った弾丸の全ては、その腕によって止められたのだ。
三対の腕を誘導するホース程の太さを持つ副椀は、蛇の腹の様に無数に分断しており、滑らかにしなっている。
どの角度に対しても自由に動かせるよう、このような蛇腹の構造をしているのだろう。

立ち塞がる腕の内、二対は獣の様な爪を持つ。
そして、残る一対は螺旋の溝を描く細い円錐を備えていた。
銀色の爪と、灰色の円錐が鈍い光を反射している。

(;'A`)「なぁ、それってドリル?」

川 ゚ -゚)「あぁ、そうだ。
     悪い子の頭と虫歯を抉る為にな」

腕を胸の前で組み、素直クールは冷笑を浮かべた。

川 ゚ -゚)「試してみるか?

970 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 22:58:08.75 ID:OF/dVves0
ドリルを備えた副椀が不気味に鎌首を持ち上げたかと思うと、それは槍の刺突のように飛んできた。
辛うじて首を横に逸らさなければ、素直クールの言った通りに頭が抉られていた。
顔の横に突き出された副椀を横目で見る。

('A`)「……いや、試すのは止めておこう。
   明日にでも歯医者を予約しようと思っていてね」

川 ゚ -゚)「遠慮をするな」

直後、後ろに伸びた副椀の先のドリルが唸りを上げる。

('A`)「女が漢のロマンを!」

急いでその場から横に跳び、同時に弾倉を排出。
コートの裏側から新たな弾倉を取り出し、装填した。
少しだけ離れた場所から、ドクオの頭を狙って唸りを上げていた副腕目掛け、ドクオは発砲した。
狙いは精確だった。

一ミリの狂いも無く撃ったのだが、銃弾を察知したのか素早く副椀はその形を変えた。
真っ直ぐに伸びていた副椀は円を描く様に折れ曲がり、銃弾を避けた。

川 ゚ -゚)「ロマンでも何でも私には関係ない。
     どうした?
     私を殺すのではないのか?
     女を退屈にさせるな」

方向を変え、その副椀が再び襲い掛かる。

('A`)「ちぃっ!」

974 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 23:02:05.21 ID:OF/dVves0
舌打ちと共に回避運動を取る。
しかし。

川 ゚ -゚)「遅い」

残されていた五本の副椀が、回避行動に専念したドクオの背後と側面から容赦なく攻撃を加えた。
ドリルの付いた副椀はドクオの背中を殴打し、握り固められた拳が二つ腹部にめり込み、残った二つは肩を正面から殴った。
悲鳴を上げる間もなく、ドクオの体は呆気なく吹き飛ぶ。
が。

川 ゚ -゚)「甘い」

唯一避けたはずの一本が、吹き飛んだドクオを空中から一気に地面に叩き落とした。
両手を顔の前で交差させて庇い、衝撃に備える。

川 ゚ -゚)「そして脆い」

想像を遥かに超える衝撃に、ドクオは呻き声を上げた。
防御は、気休め程度の意味しかなかった。

(;'A`)「ぐぉっ!」

圧倒的過ぎた。
手数。
速度。
威力。

どれを取っても、仮面の集団の比では無い。
たった一人が相手でも、実力の桁が違いすぎる。

980 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 23:06:05.50 ID:OF/dVves0
(;'A`)「っの野郎!!」

体の向きを反転させ、上体だけを持ち上げ、ドクオは仰向けの状態で撃ちまくった。
狙うは素直クール。
副椀を気にせず、兎に角撃ちまくる。
一発でも当たれば上出来。

現実は、非情だった。
弾倉の中身全てを撃ち尽くしても、銃弾は届かない。
いつの間にか戻って来ていた副椀が素直クールを庇い、強力無比な銃弾を止めていた。
それでも隙を得た事には変わりは無く、立ち上がってドクオは距離をとる事に徹した。

距離さえ開けば、副椀の射程外からの攻撃が可能になる。
何と言っても、銃の利点は相手の攻撃が届かない位置から攻撃を加えられる点にある。
素直クールから可能な限り離れるドクオを、副椀は追おうとはしない。
それぞれが独立した動きで素直クールの前で持ち上がり、獲物を前に鎌首をもたげる毒蛇を連想させた。

川 ゚ -゚)「おいおい。
     モララーとまたんきを殺したんだろう?
     この程度か?」

弾倉を交換したドクオに、素直クールは呆れたように言い放った。

('A`)「少なくとも、あいつら腕は二本だったからな。
   ドリルも持ってなかった」

川 ゚ -゚)「だろうな、普通はそうだ」

982 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 23:10:06.19 ID:OF/dVves0
奇襲も策略も、恐らく全て見抜かれる。
ここまで誰にも気付かれずに歯車王と云う正体を隠し通し、まんまとロマネスク一家に潜り込んだ実力。
認めざるを得ない。

川 ゚ -゚)「それで?
     男が一度言った事を訂正するのか?」

('A`)「まさか」

川 ゚ -゚)「ならば臆さず掛って来るがいい」

歯車王、素直クールは動かない。
腕を組み、静かに見据えている。
血色の瞳。
その眼光は、まるで絶対零度の温度を持つ氷の刃。

澄み切った氷から削り出されたその刃は、触れる物全てを凍らせ、砕く。
感情が読めない視線とは、正に今、素直クールがドクオに向けている視線の事を指し示す。
美しい程に透き通った瞳は、何を映しているのか。
確かなのは、ドクオの挙動を観察している風ではない。

('A`)「言われなくてもそうするさ」

無駄だと心の中で思いながらも、ドクオは4回、銃爪を引き絞った。
一発は狙い済まし、素直クールの急所に撃った。
だが、残りの三発はわざと外す形で撃ってみた。
結果は変わらず、全弾止められた。

川 ゚ -゚)「そこからなら反撃されないと思ったか?
     お前の遊びに付き合うつもりは、これっぽっちもないのだがな」

986 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 23:14:03.88 ID:OF/dVves0
展開も変わらなかった。
副椀は勢いよく伸び、それを撃ち落とそうとドクオが銃口を動かしている間にもめまぐるしく動く。
狙いが定まらない。
六本の腕から逃げる為、ドクオは大きく一歩下がり、退路を探す決断を下した。

しかし、幾ら見渡してもここは屋上。
どうしようもない。
あるとすれば二つ。
一つ、この場所から地面に向かってコードレス・バンジージャンプ。

もう一つは、建物の中に戻ると云う手だ。
建物に向かう退路は一本道。
上下左右を囲まれた場所で、あの副椀は避けられない。
換言すれば、攻撃を一方向に集約できる。

問題は素直クールがそれを黙って見過ごすかどうか。
まず、今の段階では望みは無い。
屋上に続いている唯一の道は、屋上の端にある。
素直クールに近く、ドクオからは遠い場所。

潔く下がったのは間違った判断では無かった。
数秒単位の時間を稼ぐ事が出来ただけでなく、こうして考える事も出来たのだ。
考える時間を得られたが、それを生かす事が出来なかった。
反省するにしても、まずは今襲い来る六本の腕を凌ぐのが先決だとドクオは思い直した。

弾倉の中には9発残っている。
殴られるのは御免だ。
故に、体が反応する。
命を失うより先に体の奥にある、生存本能があの現象が起こさせる。

991 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 23:18:09.06 ID:OF/dVves0
この調子でいけば、視界に映る世界がその速度を―――

(;゚A゚)「うぼぁ?!」

―――落とす事は、無かった。
時の流れに逆らうことなく飛んで来た攻撃を、ドクオは副椀の拳で頬を殴られた。
唯一ドクオの持つ強みが、何故この時に不調なのか。
この時に限って、どうして。

口の中を切ったらしく、口の中に鉄の味が広がる。
肩や肋骨、腹部と云った部分も殴られ、最後に一対のドリルがドクオの脚を勢いよく叩いた。
体勢が崩れる。
片膝をついて、どうにか耐える。

(;'A`)「こいつっ!」

川 ゚ -゚)「……」

温度とは無縁の瞳が、無言で見下ろす。

('A`)「お高いんだよ、いちいち!!」

撃つ。
空しく弾かれる。
規則正しい間隔で銃爪を引いて、残った弾を撃ち尽くす。
弾丸は規則正しく弾かれた。

遊底が引き切り、ドクオは次の弾倉を装填して、スライドストッパーを外した。


995 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 23:22:32.44 ID:OF/dVves0
川 ゚ -゚)「どれだけ撃っても、私には掠らないぞ。
     今ここに機関銃がないのが残念だ」

('A`)「本当にそう思うよ。
   ここにミニガンがあればもっといい」

川 ゚ -゚)「まぁもっとも、何を持ってこようが当たりはしない。
     当たらない弾など、弾頭の無い核ミサイルと同じだ。
     何を持ってこようが、私に当てたいのであればまず、この腕をどうにかしてみるんだな」

('A`)「次に機会があれば、火炎放射器かナパームを持ってくる事にするさ」

弾にも限りがある。
どれだけ大量に持っていても、消費する速度が早ければその分早く弾が無くなる。
今の状況で弾が切れれば、間違いなくドクオは殺される。
弾切れした人間を殺さない道理が無い。

ひょっとすると、今すぐに殺す事も可能だが、今はただ戯れているだけかもしれなかった。
何時でもドクオを殺せるのだと、態度で示してきている。
ドリルの用途は殴打する為では無く、穴を開ける物だ。
用途を無視した使い方をして、ドクオを殺そうとしていない。

戯れる感覚でドクオを相手しているとなると、その実力は厄介などと云う言葉では済まされない。
考え得る限り、最悪だった。
例えるなら、素奈緒ヒートと同じ次元の存在を目の辺りにしている心地だ。
ヒート並みの脅威と対峙した経験は、未だ嘗て一度もない。

18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 23:28:37.22 ID:OF/dVves0
焦りが焦りを呼び、やがては不安を引き連れて来る。
それでもドクオは決して、神になど祈らない、奇跡など願わない。
神に祈り、奇跡を願うのは諦めた人間のする事だ。
自分で何かをしようとしないで、他人任せに都合のいい展開を期待する行為を、ドクオは嫌う。

小振りなM84と自分の実力だけが、自分自身の命を助けることを忘れなかった。
必死になって生き延びる事だけを思考した。
状況的に、精確な射撃では逆に意味がない。
出された結論は、とても短かった。

川 ゚ -゚)「そろそろ諦めるか?
     今なら、そこから落ちるだけで許そう。
     私が手を出すまでもない」

('A`)「手癖が悪いのに、よく言うぜ」

正確な射撃で意味がないのならば、照準は適当でいい。
仮説であるが、副椀は素直クールの近くに来た銃弾を叩き落とすようだ。
つまり、手を出さなくても良い弾にまで手を出すと云う事。
そこが狙い目だ。

ドクオは左手をコートの中に入れ、指の間に弾倉を挟んで取り出した。
左手の指が挟む弾倉は、全部で4つ。
既に装填されている弾倉と合わせて五つ。
M84を片手で構える。

川 ゚ -゚)「面白い、やってみろ」

言われるまでもない。

22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 23:32:06.45 ID:OF/dVves0
('A`)「やってやるよ」

適当に狙いを定め、ドクオは銃爪を引き絞る。
次弾が自動で装填される。
単純なシーケンスを、ドクオは可能な限り素早く行った。
撃ち尽くす前に、次の弾倉を備える。

薬室に一発だけ残し、空になった弾倉を排出。
新たな弾倉を入れ、銃爪を引く。
反動で照準が激しく上下するのも構わない。
瞬く間に弾倉二つを空にし、三つ目の弾倉を装填した。

足元に薬莢がパラパラと散らばる。
三対の副椀は、無駄のない動きで銃弾を止める。
極限まで無駄を削ぎ落とした動作だが、それでも完璧な事はこの世にない。
薬室内に一発を残した状態で4つ目を装填、左手が持つ弾倉は残り一つ。

M84の中の弾と合わせ、27発。
そんな事を考えている間に、20発に減った。
銃身が熱を持ち、その熱は人差し指にも伝わる。
痛みさえ覚える。

銃爪を引く速さは、コンマ1秒も遅延しない。
集弾率も悪くは無い。
少しずつ。
本当に少しずつだが、一発毎に見えて来た。

26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 23:36:05.06 ID:OF/dVves0
僅かな隙間が。
最後の弾倉に交換し、ドクオは思考を切り替えた。
ここからは、一発でも良い。
12発で道を開き、一発で終わらせる。

呼吸を止め、反動を抑える為に足に力を入れる。
腹筋を固め、だが必要な力以外は入れない。
撃って。
撃って、撃って。

兎に角、撃つ。
予定通りに弾を撃った後、意識を一点に集中させ、最後の一発を撃ち込む。
ドクオの射撃は正確で、寸分違わず狙い通りに銃弾は進んだ。
他の弾の対応に追われていた六本の腕の迎撃を見事にすり抜け、素直クールの胸に吸い込まれる。

唐突に、周囲が静寂に突かれた。
風鈴が鳴る様な、透き通った残響音が聞こえたのはその直後。
この音。
ドクオは、この音は知っている。

音の正体。
それは、複数の刃が擦れ合う音。
刃の数は、12。

(;'A`)「な、なんでそれを……」

川 ゚ -゚)「ん?
     これがどうかしたのか?」

36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 23:40:01.53 ID:OF/dVves0
軽く刃を振ると、"絡め取られた"銃弾が地面に落ちた。
風に吹かれ、12の刃が風鈴の様な音を鳴らす。
嘗てその刃は、ドクオの手に渡った代物。
一時的に手にした事があるからこそ、その性能の良さと扱い辛さを知っている。

その刃の名は―――

(;'A`)「なんで、ロマネナイフを持ってるんだよ!?」

ドクオは、ロマネスクの愛用していた特殊なそれの名を口にした。
ナイチンゲールで紛失してしまった得物が、どうして素直クールの手にあるのか。

川 ゚ -゚)「思い当たる節が無い訳ではあるまい?
      自分の力で考える前に人に訊くとは、あまりにも情けないな」

思い当たる節ならあった。
そして、その説明も出来る。

(;'A`)「……人の頭をなんだと思ってやがる」

ロマネナイフを失う直前、ドクオは敵との交戦で気を失った。
あの時だ。
更衣室で気を失ったのは、素直クールがドクオの頭を殴ったからだ。
そうしてから、素直クールの持つ副椀のドリルでドクオを殺そうとした敵を屠った。

今なら分かる。
ドクオを気絶させ、ロマネナイフを奪ったのは他ならぬ素直クールだったのだ。
何時の間にナイチンゲールに潜入し、あの場に現れたのかは知らない。
ただ、ロマネナイフを奪った張本人が目の前にいる事実に変動は無い。

40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 23:44:01.90 ID:OF/dVves0
ロマネナイフを見せつける為に、素直クールがわざと一発だけ通した事に、ドクオは気付かされる

川 ゚ -゚)「感謝するのならば分かるが、まさか文句を最初に言われるとはな。
     これ一つで命が買えたと思えば安い物だろう。
     まだ、お前にこれは早い」

これ見よがしにロマネナイフを動かす。
弾倉の弾が無くなって遊底が後退したままの事を忘れ、ドクオは歯噛みした。
文句一つなく、それはもっともな言葉だった。
ナイチンゲールの一件で助けられなければ、確かにドクオは殺されていた。

自覚しているからこそ、悔しかった。
一言一句、全て正論だったのだから。

川 ゚ -゚)「だが、そんな些細な事はまぁいいだろう。
     そんな間柄じゃないしな」

どうしてか、ドクオは素直クールが上機嫌な様子に見えた。
こんな状況なのに、先程からドクオの思考は安定しない。
素直クールの強さに臆していないと言えば、それは嘘になる。
だが、それが原因ではないと断言できる。

もっと別の要因が、ドクオの精神を乱しているのだ。
心のどこかに浮かび上がる、奇妙な感情。
感動に似た感情は、どうしてか素直クールから目を逸らす事を許さない。
なんとなく、ドクオは理由が分かった。

川 ゚ -゚)「お前は自分の持つ力でここまで来れた。
     その点を私は評価している」

48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 23:48:06.76 ID:OF/dVves0
('A`)「お褒めの言葉ありがとう。
   成績表にはA+か、優を付けておいてくれ」

川 ゚ -゚)「ふふ……
     まだ冗談を言えるようだな」

不意を突いた攻撃をする様子は無く、素直クールは手の中でロマネナイフを弄び始めた。
一度に響く独特の音色。
何故、素直クールは上機嫌なのだろうか。
理由は、ドクオが思っているのと同じなのかもしれない。

これから殺す相手に対して抱くのは、親愛に似た感情だ。

川 ゚ -゚)「お前は何故、私が歯車王だと気付いた?」

('A`)「最初に名乗った時だ」

ロマネナイフを動かす手を、素直クールは止めた。
切り出しの言葉は的確だった。

('A`)「ヒートの苗字と自分の字が違うってのを知ってるぐらい優秀なくせに、モララーが兄者の話をした時に驚いてた。
   あれで見事に引っ掛かったよ。
   他にもあるが、一番の理由は別にある。
   全員の素性を調べた情報屋のくせに、"俺"を真っ先に疑わなかった事だ」

川 ゚ -゚)「なるほど。
     お前の登録情報が途中から記載されている事か?
     それとも、名を変えている事か?」

('A`)「やっぱり知っていやがったか」

56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 23:54:04.49 ID:OF/dVves0






川 ゚ -゚)「当然だ。
     なぁ、ドクオ・タケシ?
     いや、違うな。
     そうだな、私もお前と同じように呼ばせてもらおう。

     呼ばれなくなって、随分と久しいだろう?」






空気を味わう様に吸い込み、素直クールはその名を口にする。



今まで隠してきた、ドクオの本当の名前を。







65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/27(日) 23:59:56.58 ID:OF/dVves0













              川 ゚ -゚)「なぁ、ドクオ・ルリノよ」
















81 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 00:04:01.53 ID:NDCOmeJD0

――――――――――――――――――――


昔。
ドクオがこの世に誕生したのは、今から25年前の話。
そして。
その生涯の中で初めて人を殺した時の事を、ドクオは今でも鮮明に覚えている。

殺す直前に見せた相手の顔を。
恐怖に引き攣り、怯えきったその顔を。
殺した後に見せた無様な顔を。
目を大きく見開き、絶望の表情を浮かべるその顔を。

殺した理由を。
手に残る痺れた感触を。
鼻につく濃密な血の匂いを。
対象を殺した後に残った、あの気持ちを。

いつもと同じ、曇った気候を。
当時の服装では、肌寒いと感じる気温を。
じめじめとした湿度を。
ドクオがその手で人を殺め、屍を生み出した場所を。

冷気を帯びた空気が辺りを支配する、深夜の静けさを。
火照った体を冷やす、風の心地よさを。
全てを思い出せる。
時が過ぎた今でも、後悔は微塵もない。

―――全ては、25年前に遡る。

86 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 00:08:01.94 ID:NDCOmeJD0
ドクオが生まれたのは、裕福とは言えない家庭だった。
そして、幸せとは無縁の家庭でもあった。
物心が付いた頃は、まだそこまで悲惨だとは思わなかった。
それが自然だったからだ。

裏通りにポツンと存在する、寂れたアパート。
25年前のある日、そこで産声を上げたのが今のドクオ・タケシ。
いや、ドクオ・ルリノである。
体重は3542g、身長は54cmと健康な男児であった。

父親の名をドクオは知らない。
母親の名も、知らなかった。
知る機会も無かった。
今でも知りたいとは思わない。

金を使うのを惜しみ、免許を持っているかどうかも分からない助産師の助けを経て、自宅で出産。
望んで生まれた子供では無く。
また、祝福されて生まれた子供では無かった。
道具。

そう。
自分達の幸せの為に使う、"道具"として。
ドクオは、愛されることなくこの世に生まれ落ちた。
淀み、腐り、腐敗した家庭に。


初代歯車王、ノリル・ルリノの、その末裔として。


93 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 00:12:02.13 ID:NDCOmeJD0
ノリル・ルリノの血を引く父は、酷く粗暴な性格をしており、酒癖も悪かった。
プライドが異常なほど高く、自分に流れる血を尊い物だと信じて疑っていなかった。
そのくせ、自堕落でどうしようもなく自己中心的な考えをしていた。
手癖は最悪を極め、ドクオが生まれる前の段階から日常的な暴行を妻に加えていた。

異常なプライドは保身へと走り、滅多なことでは外出もしなかった。
きっと、自分の正体を知ったら周囲の人間が掌を返し、彼をどうにかしようとするだろうと危惧していたのだ。
日夜あるはずのない誇大妄想を膨らませ、悦に至る父。
彼の妻は、暴行されても別れようとはしなかった。

彼女もまた、信じていたのだ。
いつの日か今の歯車王が死に、歯車王の血を引く夫が成り上がる日を。
都の王として夫が君臨すれば、自分はその妻として注目される。
確かに今は金に困っているが、それも少しの我慢。

今は、耐える時。
妻は常に自分にそう言い聞かせ続けていた。
そんな二人の間に生まれたドクオの存在は、彼等の豊かな老後を確約する物であった。
ドクオがある程度仕事ができるようになったら、夫がその地位を引き渡す。

収入と権力は減ることなく、仕事だけが無くなる。
何もかもがこちらの意志で自由に出来るのだ。
面倒な事は全てドクオに押し付ける。
だから、愛情など最初から必要無かった。

愛情は自分の為だけに。
父も母も、永久に来る事のない日に想いを馳せ、ドクオが成長する様子を見ていた。
この時から既に、彼等はドクオを歯車の一つとして利用する事だけを考えていたのは、言うまでもない。
大切な道具を決して壊さないよう、彼等はぞんざいな注意を払っていた。

101 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 00:16:03.62 ID:NDCOmeJD0
―――生後2カ月目を迎えた、ある日の夜の事である。
赤子であるドクオは、空腹を訴える為に夜泣きをした。
それが、ある意味で始まりであった。

(#・父・)「うるせぇ!
    そいつを黙らせろ!」

居間で安物のウィスキーを飲んで酔っ払っていた父親は、母親の寝室にずかずかと怒鳴りこんで来た。
顔を真っ赤にし、口から酒臭い息を撒き散らす夫に、ドクオを抱きかかえた母親は困惑の表情を浮かべる。

J(;'ー`)し「そ、そんな事言っても……」

何をしていいのか分からないと云う言葉は、夫の言葉が上塗りした。

(#・父・)「いいから早く黙らせろ!」

育児の知識に疎い母親は、ドクオが空腹を訴えているのに気付かず、寝かしつけようと試みた。
当然、いくら揺さぶられても空腹が満たされる事は無い。
加えて、父親の怒号は赤ん坊にとっては騒音以外の何物でもない。
ますます泣き叫ぶドクオに業を煮やし、父親は母親を殴ろうと手を上げた。

母親は咄嗟に自分の顔を守るため、躊躇いなく我が子を手放した。
煎餅の様に薄い布団の上に落とされ、ドクオは更に泣いた。
ドクオを置き去りにして、母親は逃げるように後退る。
我が子よりも、我が身の方が大事だったからだ。

床で泣くドクオを乱暴に持ち上げ、興奮状態の父親は風呂場へと連れて去った。

J(;'ー`)し「な、何をするつもりなの!」

106 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 00:20:01.51 ID:NDCOmeJD0
母親は追ったり止めたりしようとはせず、叫ぶだけで動こうともしなかった。
脚を掴んで逆さまにされ、湯船に沈められたドクオの姿を見る事は、結局無かった。
濡れてぐったりとしたドクオを連れて戻ってきたのを見た母親は、急いで抱き寄せ、息をしている事を確認した。
流石に、自分達の明るい将来を約束する道具を壊す愚は犯さなかったようだ。

命が無事だったと云うよりは、道具が失われなかった事に対して母親は安堵の息を漏らした。

(・父・)「けっ!
    酒が不味くならぁ。
    いいか!
    さっさと寝かせろよ!」

J(;'ー`)し「ごめんなさい……ごめんなさい……」

夫でもなく、ましてや、我が子に対してでもなく。
母親はただただ、自分の罪悪感を隠す為に謝った。
夫が投げてよこしたドクオは、もう泣く元気すらなかった。
胸元に抱き寄せたのが幸いし、ドクオは弱々しい動きで母親の乳房を探す事が出来た。

ようやく我が子の要求に気付き、母親は授乳させた。
その日の夜は、ドクオはもう泣かなかった。
翌朝。
母親はドクオを抱きかかえ、居間で爆睡する父親の横で朝食を摂った。

不穏な空気を感じ取り、ドクオが不安げな表情を浮かべる。
上手く見えない眼を必死に動かし、周囲を見渡す。

J( 'ー`)し「大丈夫よ、お母さんが守るから」

112 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 00:24:36.04 ID:NDCOmeJD0
騒音並みの父親の寝息が、すぐ近くから聞こえてくる。
昨夜の事もあり、その中で言われた言葉は説得力の欠片が微塵も無かった。
最も、ドクオにはまだ言っている言葉の意味は分からないのだが。
それでも、感受性の高い赤子のドクオは、上辺だけの言葉に惑わされることなく、本質を体で感じ取っていた。

この人間は、少なくともドクオの事を好いていない。
ドクオの事を守ろうとはしない。
愛されていない。
愛情など、最初から注がれる様な存在ではない、と。

J( 'ー`)し「ね?」

不安げな表情を、ドクオは変えなかった。
信用性、皆無。
未だ両親の識別が出来ないが、敵味方、善悪の区別は付けられた。
意識的な物では無く、それは本能的に判断した行動だった。

笑わせようと必死にあやす母親を、不信の目付きで見るドクオに、母親は気付かなかった。
彼女は、ドクオの目を見ていなかったからだ。
正確に言えば、確かにドクオを見ていかかもしれない。
ドクオと云う名前の道具、歯車を。

自分の朝食を終えてから、母親はドクオに授乳させた。
ふと、父親が大きな欠伸と共に起床した。
冬眠中の熊が起きる様に、ゆっくりと体を起こす。

(・父・)「ふぁあああ……
    ん?
    おい、俺の飯はどこだよ?」

117 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 00:28:02.60 ID:NDCOmeJD0
不機嫌な声でそう言うと、母親は条件反射的に授乳を中断し、ドクオをその場に置いて台所へと避難した。
食パンをトースターに入れ、朝食の準備に取り掛かる。
取り繕った妻の行動は、夫に目にはこの上なく不愉快に映った。
床に転がっていた灰皿を、妻に向けて投じる。

狙いは外れ、ガス台に当たった。

(#・父・)「避けてんじゃねぇよ!」

単に自分のコントロールが悪いだけなのだが、父親はそれを認めようとはしなかった。
先程まで妻が朝食を摂っていた机を、怒りに身を任せて蹴り飛ばす。
机の上に乗っていた皿が、床のドクオに落ちて来た。
幸い、そこまで高さが無かったから大事には至らなかった。

が、突然の痛みにドクオは泣いてしまった。
まだ幼いから仕方がない。
仕方がないのに、父親はそれを許さなかった。

(#・父・)「うるさい!」

夫の怒鳴り声に身を震わせ、ドクオの母親は目を逸らした。
同じ言葉を呟きながら。

J(;'ー`)し「ごめんなさい……ごめんなさい……」


―――離乳期を迎えても、状況は一向に変わらなかった。



125 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 00:32:02.55 ID:NDCOmeJD0
ペースト状の離乳食を安心して食べられるのは、父親が酔い潰れた時だけ。
理不尽な仕打ちに泣きながらも、ドクオは食べた。
そうしなければ死んでしまうからだ。
雑誌や新聞を丸めた比較的柔らかい物で叩かれ、その度に泣いた。

泣く度に父親は怒鳴り、母親は泣き叫ぶ。
事ある毎にドクオを虐待する父親と、その度にドクオを見捨てて逃げる母親。

J(;'ー`)し「さぁ、ご飯を食べましょうね」

スプーンに乗せた離乳食を、ドクオの口元へと運ぶ。
ぎこちない手つきで食事を与えて日が経っても、一向にその手が慣れる気配は無い。
むしろそれどころか、ドクオに伸ばす手が震えている始末だ。
恐れているのだ。

我が子の無垢な表情が。
咎めているのか。
何を考えているのかも分からない。
自分の思い通りにならない。

どうしてもっと人の言う事を聞かないのか。
母親は次第に、育児に対して疑問を抱き始めた。

J(;'ー`)し「おいしい?」

額には冷や汗が浮かんでいた。
ただの赤ん坊相手に。
機嫌を窺い、機嫌を損ねてはいけない。
大の大人が、どうしてこのような行為を強いられなければいけないのか。

129 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 00:36:15.49 ID:NDCOmeJD0
寝静まった父親を起こさない内に、母親は早くこの作業を終えたい衝動に駆られていた。
二人とも分かっている事だが、決してドクオを殺してはいけない。
死に至らしめる様な事があれば、それは自分達の老後に影響を及ぼす。
今から二人目を作るにしても、同じ事を繰り返すだけになる。

現歯車王が死んでから名乗り出て、そこから作るか。
そうすればベビーシッターを雇えば解決だ。
だが、親を裏切る可能性が生まれる。
今は耐えなければならないと、ドクオの母親は自分に言い聞かせた。

黙々と離乳食を食べるドクオは、何も見ていない様な冷たい眼で母親を見上げていた。
母親は寒気を覚えた。
夫が自分に対して暴力を振るう際に見せる目とは、まるで別の次元。
あれは単純な暴力だが、こちらはそうではない。

底なしの深淵。
暗い闇が自分を見ている錯覚。
自分の心を見抜かれ、暴かれ、罵られ。
何か、とてつもない化物を相手にしている気がした。

ドクオは黙ったままだった。
喜怒哀楽や、母親の顔を覚えている頃なのに。
笑顔一つ見せない。

J(;'ー`)し「ど、どうだったかしら?」

用意されていた離乳食を食べ終えたドクオに、母親はそう尋ねた。
ドクオは意味のない言葉で返したが、少なくとも感謝や満足のそれにはとても聞こえなかった。
この頃になると、ドクオは多少の物音でも泣かなくなった。
例えば父親が酔った勢いで酒瓶を振り回し、家具を破壊しても目を覚ますだけ。

133 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 00:40:03.67 ID:NDCOmeJD0
流石にドクオに害が及べば、泣いて訴えた。
それ以外の事に関しては、例えば話しかけられてもほとんど反応を示さなかった。
する必要がないと判断したからである。
自分に暴力をふるい、毎回見捨てる二人を両親とは認めなかった。

J(;'ー`)し「何か言ってよ」

反応はしない。
ただ、声の方に顔を向けるだけ。
感情を廃したドクオの顔を見て、母親は手にしていたスプーンを取り落としてしまった。

J(;'ー`)し「……っく」

惨めな自分に苛立ち、母親はスプーンを拾い上げ、食器をまとめて流し場へと向かった。
ドクオを一人残して。
流し台に食器を置き、お湯を捻り出して手を温める。
その努力も虚しく、凶悪な肉食獣を前にして命からがら逃げ出した小動物の様に、その手は悴んでいた。

愛情など、抱く理由がない。
忌々しいこの赤ん坊が早く成長して、自分達の老後を豊かに過ごせるようになる事を、母親は心の底から願った。

―――ドクオが生まれてから、半年の時が過ぎた。

この頃になるとドクオは、平均以上の記憶力が芽生え、手の動きも活発になった。
逆を言えば、それ以外にはほとんど学べていなかった。
好奇心を抱く余裕も、遊ぶ事や笑う事もその機会が無かった為、殆ど知らないでいた。
コミュニケーション能力も未発達で、両親が何であるかも分からなかった。

だから、愛する事と愛される事を知らないは当然だった。
度重なる虐待によって、ドクオの心は欠落したまま体と知能だけが成長し、心は冷たく成長していた。

138 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 00:44:01.67 ID:NDCOmeJD0
J( 'ー`)し「ちょっとお母さん出かけて来るから、良い子で留守番しているのよ

この頃から、母親はドクオと父親を残して外出する事が多くなった。
生活は苦しかったが、どんな状況であれ父親は酒を要求したからである。
道具を道具として成長させる為、養育費も必要であったのは、言うまでもない。
金を稼ぐのは、全て母親の仕事だった。

日がな一日、酒を飲むか、寝て過ごす父親は断固として仕事をしようとしなかった。
事実上、この家に働き手は一人しかいない。
その欠落を埋める為、母親は仕事を掛け持ちで働き始めたのだ。
ドクオが生まれる前は一つだけだったが、新たに仕事を増やしたのである。

都の歴史上最も有名なルリノの存在が知られることのないよう、母親は旧姓を使って仕事をしていた。
スーパーマーケットで朝から夕方まで働き。
それから間もなく、スーパーマーケットの近所にある居酒屋で深夜まで働いた。
文字通り朝から晩までの仕事で、帰宅は翌日になることも珍しくなかった。

正直なところ、母親はそこまで苦痛に感じていなかった。
こうして稼いだ金は、やがては自分達の生活に反映される。
そう考えると、これは出資として悪くない。
今の内にドクオに母親の重要性を擦り込めれば、少なくとも自分を裏切る可能性が減る。

一方、この頃からがドクオにとって苦痛の日々の始まりだった事は、彼女の関心事では無かった。
家に残しているのは、気性の荒い酔っ払い。
子育てを面倒と考えている半面、その子供の世話になろうとしている厚かましさを隠そうともしていない。
悪影響にならない筈がなかった。

145 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 00:48:09.09 ID:NDCOmeJD0
朝、母親はドクオに食事を与えてから仕事に出かける。
家で唯一、直接的な危害を軽減させる存在がいなくなる瞬間である。
遊び相手をするような性格も優しさも持ち合わせていない父親は、毎日飽きずに大音量でテレビを見ながらゴロゴロしていた。
一方のドクオは、ベビーベッドの傍らで胡坐をかいて座っていた。

きょろきょろと辺りを見渡しては、音のする方向に首を向ける。
四つん這いの状態で動き回るには、床は衣類やゴミなどで汚れ過ぎている。
早くも掴まり立ちが出来るようになっていたドクオは、壁などを使ってどうにか一人で家を歩き回ろうとした。
中古の家具屋で購入したボロボロの木製のベビーベッドの手摺を掴み、ドクオは頑張って立ち上がる。

ここまではいいのだが、この先だ。
何かを掴む事でようやく立つ事が出来ているドクオが家の中を自由に歩き回るには、どうしたって一人歩きをする必要がある。
好奇心のあるドクオは、危険など考えずに行動に移した。
恐る恐ると云った感じで、ドクオは歩く。

その姿を横目で見た父親は、直ぐに興味を失ったようにテレビに視線を移した。
テレビの向こうでは、お笑い芸人が体を張って笑いを取ろうとしているところだ。
おぼつかない足取りで一歩、また一歩とドクオは一人孤独に歩行の練習をしていた。
そして遂に、ドクオの手が手摺から離れた。

上手にバランスが取れない。
頭の重さにつられ、ふらふらとする。
それでも、ドクオは一人で歩いた。
三歩程進んだ所で、バランスを崩したドクオはクッションの上に転んだ。

初めて一人歩きをした瞬間、ドクオの父親はテレビの芸人が派手に転んだのを見て下品な笑い声を上げていた。
その笑い声に重なる様にして、ドクオの泣き声が響く。
舌打ちと共に父親は立ち上がり、ドクオを持ち上げてそのままベビーベッドに入れた。

(#・父・)「静かにしてろ!」

150 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 00:52:03.15 ID:NDCOmeJD0
恫喝するように言いつけ、また寝転がってテレビを見始めた。
我が子が初めて一人で歩いた事に興味を全く示さず、ましてや、関心さえ持っていなかった。
どころか、気付いてすらいなかった。
だがドクオにとっては違った。

偉大な一歩を単独で成功させ、新たな世界を開拓する可能性をその手に収めたのだ。
歩けることは知る事に繋がり。
知る事は進む事に繋がる。
進む事は、生きる事その物。

ドクオの成長には無関心な父親だったが、食事だけはしっかりと与えた。
死なれても困るし、成長に支障が出ても困るからだ。
己の野望を実現させるためには、ドクオには何が何でも育ってもらわなければいけない。
母親が用意しておいた幼児食を与え終えると、父親は直ぐに自分の世界に没頭した。

自分の脚で立つ事を学んだドクオは、食事を終えてからも一人で歩行の練習を行った。
何度も転び、その度に諦めずに何度も立ち上がった。
転んで泣く度に父親が怒鳴り、それでもドクオは止めなかった。
どうしても歩きたかったのだ。

何度も何度も。
歩いて。
転んで。
泣いて。

そして、立ち上がった。
ベビーベッドの狭い世界の中で。
柵で仕切られ、隔たれたこの世界。
誰の助けも借りずに、ドクオはその世界の中で懸命に足掻いた。

154 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 00:56:02.39 ID:NDCOmeJD0
幸いなことに、足場は柔らかい布団であった為、いくら転んでもドクオが怪我を追う事は無かった。
次第に転ぶ事にも慣れ、一度転んだだけでは泣かない様になった。
それは、驚異的な成長ぶりであった。
確かに、生長せざるを得ない環境にあったのも一つの要因であるが、それでも一般的に見れば驚異的だった。

掴まり立ちを覚えて間もないのに歩く事を覚え、その日の内に誰に強いられた訳でもないのに練習をして。
転んでもまた練習を再開する。
必要な段取りを幾つも省き、ドクオは成長していた。
だが、その事に気付いた者は誰一人としていなかった。

誰も、ドクオを見ていなかったから。
見ていたのは道具。
道具を見る目に、愛情は欠片も無かった。

―――転機が訪れたのは、ドクオが3歳になった頃だった。

三年間も生き延びれば、ある程度の人格が形成されてくる。
言葉も話せるようになり、いよいよドクオは幼稚園に入園する運びとなった。
この都では、一部の幼稚園では様々な事情を考慮して、家庭の問題や詳しい事を聞かない園も存在していた。
例えば都の住民票を持たない不法入国者の子供など、金さえ払えば普通の幼稚園同様の教育を受けられた。

両親は自分達の素性を知られないようにと、そう云った非合法の幼稚園にドクオを入園させた。
これまでの環境とは一変して、ドクオは暴力と理不尽の無い生活に身を置いた。
だからと言って、ドクオに対する暴力が無くなった訳ではない。
家に帰ると、酒を飲んで酔った父親が溜まった鬱憤をドクオにぶつけて来たのだ。

なまじ、ある程度成長している事もあってその暴力はより直接的になった。
なったのだが、少しだけ違う部分があった。
暴行する個所は、いつも決まってドクオの背中だったのだ。
例えば棒で、脚で、近くにあった適当な何かでドクオを叩く時は決まって背中。

157 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:00:01.77 ID:NDCOmeJD0
日常生活で外傷が表立たない場所となると、服を着る場所に限られてくる。
顔に傷が残れば、それこそ目出し帽でも被らない限り人目に付く。
3歳で目出し帽を被るのは、かなり不自然だ。
不自然は目立つ。

目立つのは避けたいのが、ドクオの両親の意向だった。
上着を脱がない限り見られることのない背中に集中して暴力を振るうのは、虐待の世界ではもはや定石だ。
一時的とはいえ、ドクオは幼稚園と云う避難所を得る事が出来、そこで成長した。
家庭に比べれば、そこはドクオにとって正に平和そのものだった。

痛みも。
悲しみも無い。
生きる事を学び、遊びながら様々な事を感じた。
友人と呼べる者は出来なかったが、それが不幸だとは思わなかった。

暴力とは遠い世界にいるだけで、ドクオは満足だったからだ。
一応は表社会の幼稚園に通っていたが、実はその幼稚園の経営は、非常に不鮮明な点が多かった。
それでも潰れずにいられたのは、利用する者が多かったからである。
不法入国者達の数は年々増加し、彼らが連れて来た、もしくはここで産んだ子供には選べるだけの幼稚園がない。

料金は安く、詳しい事を追求してこない。
設備は全て中古、職員は資格や経験さえあれば構わない。
確かに全てが最低限の幼稚園だったが。
異国の言葉や、この都で使われている公用語を学ぶだけでなく、都のルールを知るには最適な場所だった。

都のルール。
この都に生きる上で必要不可欠な、所謂一つの心理。
食べられる時に食べる。
己の身を守るためには、時には沈黙が必要。

164 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:04:01.71 ID:NDCOmeJD0
等と云った、子供の内に学べる事をドクオは周囲よりも早い段階で学習した。
父親の元を離れられる午前から夕方までの間が、ドクオにとっての安全な時間。
昼食時につましい食事を隣の子供に取られないよう、必死に守る事でさえ安全と言えた。
不衛生で理不尽の待っている家に比べれば、どんな場所でも安全だった。

次の仕事までの空き時間で迎えに来た母親は、いつも同じような台詞を言ってドクオを受け取り、家に帰った。
帰路の間も、母親は決まって同じ台詞でドクオの機嫌を窺った。
小さな声でイエスかノーかの回答をしている内に、母親は無言になった。
家に着くと、母親は逃げるように次の仕事場へと向かう。

一日の終わりにドクオを迎えるのは、やはり父親による理不尽な暴力だった。
理由なき暴力。
自分の鬱憤を晴らす為の暴力。
言葉を理解できるようになったドクオに暴力と共に浴びせられたのは、罵詈雑言だった。

馬鹿。
阿呆。
塵。
屑。

気持ち悪い。
喋るな。
見るな。
触るな。

汚い。
臭い。
糞以下。
不愉快。

168 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:07:01.74 ID:NDCOmeJD0
無能。
低能。
無価値。
下等。

酔いが廻るにつれ、罵倒の言葉よりも先に手が出た。
晩御飯は、母親が仕事先で貰って来た賞味期限の迫った弁当。
最悪の場合、消費期限が過ぎた弁当だった。
酸っぱい匂いのする弁当でも、ドクオは我慢して食べた。

何度も腹を下す事が何度もあった。
しかし、他所の人間が飲んで腹を下す水を飲んでも、途上国の人間がそうならないのと同じように、ドクオも何時しかそうなった。
普通の子供らしい綺麗な心や純粋な瞳は、荒んだ心と濁った瞳になっていた。

―――幼稚園を卒園し、ドクオはいよいよ小学生になる時を迎えた。

自分の意志を言葉で表現する事も、物の名称や人の名前を呼ぶ事も出来る。
相変わらず心の一部が欠落したまま、ドクオは成長していた。
背中の傷が増え、太股や腹部にも少しずつであるが傷が増えていた。
入学する学校を選んでいる、そんなある日の出来事。

一人である程度の事が出来るようになったドクオは、朝食を作ろうと朝早くに起きる母親に合わせるように起床した。
卒園が迫ってから、ドクオの朝は早かった。
早ければ早いだけ、安全な時間が増える事に気付いたからだ。
ところがそれを、母親は自分に懐いているから早起きしているのだと勘違いしていた。

確かに間違いではない。
父親に比べ、母親はドクオを守らない代わりに何もしてこない。
瓶で殴ったり、唾を吐きかけたりして来ないだけある意味で無害な存在だ。
無害であるが、好ましい存在ではない。

172 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:10:03.29 ID:NDCOmeJD0
火にかけたヤカンが、ガラガラと沸騰した音を出していたのを、ドクオは何となく覚えている。
今でも覚えているのは、その後だ。

J( 'ー`)し「あら、どうしたの?」

足元で自分を見上げるドクオに気付き、母親はヤカンから視線を移した。
ドクオは無言だったが、その視線がヤカンとマグカップに注がれているのに母親は気付いた。

J( 'ー`)し「ふふっ、ねぇ、ドクオちゃん。
     美味しい紅茶の淹れ方、知ってるかしら?」

一部が欠けたティーポットにティーパックを入れ、そこにお湯を注いだ。
思えば。
これが最初の事だった。
勉強以外で、何かを両親に教えてもらったのは。

だから、時が流れた今でも鮮明に覚えていられた。
不思議だったのは、母親が教えたのはその一回だけだったのだが、ドクオは完璧に覚えたと云う点だ。
強烈な思い出と云い難いが、どうしてか忘れる事が出来なかった。


―――更にその翌日、ドクオは別の事を学んだ。


非合法の幼稚園は少数あれど、小学校となると皆無に等しい。
都には幾つかの学校があるが、そのどれもが私立だ。
歯車王は教育に関してはほとんど無関心で、都の中に歯車王が関与した学校は一つもない。
一つの例外なく外部の人間、もしくは都の出身者が独自の思想を持って創立した物だった。

177 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:13:06.07 ID:NDCOmeJD0
ただし、数は多くない。
顧客である子供の数が少ない訳では無く、単純に学校に通える子供の数がそこまで多くないのだ。
学校に通えない、通わない子供の数の多さはこの当時は少しだけ問題視され、今は忘れ去られている。
世界の最先端を行く都の暗部を快く思わない人間が、当時の表社会には腐るほど溢れていた。

日常的にあちらこちらの道で演説を行う者。
どこから湧き出て来たのだろうか、駅前では子供達を引き連れた大人が募金活動を行っている。
その様子を、ドクオは一人で出かけた先の路地裏からこっそりと見ていた。
母親は仕事で不在、となれば、一人である程度外出できるドクオが家に残る道理は無かった。

裏通りから表通りへと続く、その中間地点。
灰色の場所で、その募金活動は行われていた。
見るからに育ちがよく、顔色の良い子供達が何かに取りつかれたかのように同じ言葉を繰り返す。
恵まれない子供達に、と。

老女が募金をする。
老婆が募金をする。
老人が募金をする。
子供までもが、募金をした。

みすぼらしい格好のドクオは、それが不思議でたまらなかった。
金の価値とその利便さは知っているが、その貴重さも知っている。
手に入れる為には労働が必要であり、求める額の金を得る為には相応の労働をしなければいけない。
ではどうして、その労働の結晶である金を、見ず知らずの子供に与えるのか。

自分の為に使うのが自然だ。
小学校に入学する前の段階でそう思ってしまうほど、ドクオは世の中の事を知っていた。
無論、恵まれない、と云う言葉の意味も知っている。
少ないと云う事だ。

181 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:16:03.61 ID:NDCOmeJD0
だが、彼等は何が少ないのか。
知恵か。
知識か。
それとも常識か。

ドクオよりも立派な服を着て。
見るからに栄養の行き届いた顔をして。
あれだけの声を出せて。
何より、あの眼は何だ。

今まで見て来た同年代の子供達に、あんな眼をした者はいなかった。
生き生きとして、眼に映る全てが綺麗な物だと信じてやまない眼。
不可解極まりなかった。
横で声を出している大人の眼を見ると、ドクオは不快な気分になった。

悦に入る眼だ。
食事を与えたり話しかけたりする時に母親がドクオに見せる、あの眼によく似ている。
少しずつ自分の思い通りに事が進み、それに満足している眼だ。
何に満足しているのかは知らないが、彼等は自分達の事しか考えていない。

その場から移動したくなって、ドクオは前でも上でもなく、下を向いて歩き始めた。
生きる為に必要な物。
それは決して、あの忌々しい光景を眺めている事ではない。
最も簡単に生存を可能にする物、それは金。

金があれば白いパンが食べられる。
緑や白い綿埃の様なカビが一面に生えたパンを食べずに済む。
酸っぱい匂いの弁当を食べて、腹を下さなくていい。
菓子も買える。

185 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:19:03.44 ID:NDCOmeJD0
買ってもらった事など一度もない。
時々。
本当に時々だが、チョコレートや飴を母親がくれた覚えがあった。
単に仕事場で貰った物だったのだが、幼いドクオはそれを区別などしなかった。

日々の食事よりも遥かに美味しく、何度でも食べたいと思う味だった。
甘くて、そして満たされる味。
腹が膨れるのではなく、心の底が落ち着く。
だからドクオは、菓子が大好きだった。

幼稚園で他の子供達と遊んでいる時に、とある子供がこう言っていた。
自動販売機の下や、兎に角狭くて暗い所には硬貨が落ちている場合がある。
拾った硬貨で菓子を買う事もあるし、運がいい時には紙幣を拾う事もあると云う。
この話を聞いて以来、ドクオは時間の許す限り外に出て金を探した。

所がそう上手く見つかる筈もなく、ドクオに見つけられるような硬貨であればとっくに路上生活者が拾っていた。
現実の厳しさを幾つも知っているが、こうした事に関してはまだまだ子供であった。
ひょっとしたらこんな所にと膝を突いて自動販売機の下を覗き込むが、あるのはゴミだけだった。
実は後5分早ければ、ドクオは缶ジュース一杯分の硬貨を拾えたのだが、5分早く別の大人が回収した後だった。

めげずに膝を突いては金を探し、次々に場所を移してゆく。
最初は自宅の近くだけを探していたが、ドクオは次第にその活動範囲を広げていた。
道を覚え、どうすれば自宅に帰れるか。
決してそれを忘れないよう心掛けたのは、何度も迷って困った経験があったからだ。

誰も助けてくれなかったが、その度に運よく見知った道に戻る事が出来、こうしてまた金を探す事が出来ている。
急がず焦らず、確実にドクオは一人で成長を続けた。
硬貨を探して、その日で二週間目になる。
二週間目にしてドクオは遂に、それを見つけた。

189 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:22:07.54 ID:NDCOmeJD0
白銀色に輝く硬貨が一枚。
壁に出来たヒビに、運よく刺さっていたのだ。
誰かに横取りされない内に、ドクオはそれをヒビから取り出して、汚れを拭き取った。
おもちゃや、紛い物の類では無い。

本物の硬貨だ。
産まれて初めて、ドクオは自分の力で自分の金を手に入れた。
その日は遅かったので家に帰る事にして、はしゃいで落としたりしないよう、ズボンのポケットにしっかりとしまった。
家に帰り、ドクオは直ぐにトイレに駆け込んだ。

父親にこれが見つかれば、確実に奪い取られる。
それだけは嫌だと、ドクオは思った。
そこでドクオは、トイレの隅に置いてある予備のペーパーの芯の下に、硬貨をそっと隠す事にした。
明日これを持って、母親にどこか菓子を売っている店に連れて行ってもらえば、と考えたのだ。

トイレから出て、ドクオは父親の待つリビングへと向かった。
好き好んで行く訳ではない。
そうしなければ食事が食べられないからである。
賞味期限が切れているか、それとも消費期限が迫っているか、それが重要だ。

リビングの真ん中で寝転がっている父親を起こさないよう、ドクオは慎重にその脇を通り抜ける。
起こすと後が面倒な上に、暴力が待っている。
寝る時は、耳を塞いで丸くなって眼を閉じる。
早めに寝るのが、ドクオの知る限り最善の手段だった。

足元に注意を払い、音の鳴る瓶や空き缶を蹴飛ばさないように歩いた。
自分の不注意で、今日の終わりを憂鬱な気分で締めくくりたくは無いと云う事だけを考え、一歩一歩を踏み出す。
確かに足元には注意を払っていた。
十分過ぎるほどの細心の注意だ。

192 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:25:06.97 ID:NDCOmeJD0
だが足りなかった。
足元では無く、自分の体の周りに対する注意が。
洗濯籠から溢れての山を形成していた、洗濯物の一端をドクオの服の裾が掠め、山が小さく崩れた。
微かな音で済めば良かったのだが、バランスを崩した洗濯物の山が雪崩のように一気に倒れてしまった。

(-父・)「んぁっ?」

物音に気付いてのそりと起き上がった父親は、酒臭い息を吐き、周りを見渡した。
間もなくドクオの存在に気付き、怯えたその顔と、ドクオが倒した洗濯物の山を見比べた。
近くに転がっていた空きビンを掴むのを見たドクオは、咄嗟に頭を押さえて屈んだ。
空きビンはドクオの予想を裏切り、屈んだドクオの腕に当たった。

子供の動きなど、酔っ払いでも分かる。
屈んだのを見てから投げれば、当たらないわけがない。
服の下に感じる痛みを耐え、ドクオは無言で父親を見た。
どうして、こんな酔っ払いに暴力を振るわれなければならないのだろうか。

ドクオの眼から、そんな気持ちが伝わったのだろう。
半ばまで落ちた瞼の眼で、父親は睨み返す。
ふらりと立ち上がり、怯え竦んだドクオの前に来て、いきなり胸倉を両手で掴んだ。
苦しげな顔をするドクオを意に介さず、父親は持ち上げる。

父親による生涯初めての抱っこは、暴力性に富んでいた。

(#・父・)「いいか!」

唾を飛ばして低く怒鳴る。
血走った眼が、ドクオではない何かを見て宙を彷徨う。

195 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:28:22.55 ID:NDCOmeJD0
(#・父・)「よく覚えておけ!
     おレ、俺はなぁっ!」

片手に持ち替え、空いた手でドクオの顔を平手打ちにする。
まずは右から。

(#・父・)「歯車王の子孫なんだぞ!
     えぇっ?!」

次は左。

(#・父・)「この都が誰のおかげでこうなってると、オ、お、思う?
     お、オオ、俺がいるからだ!」

右。

(#・父・)「それ、れ、なのに何だ、その眼は!
     第い、い、イチ、俺はお前の、ち、父親だぞ!
     あぁ?!」

左右。
口の端を切り、そこから血が滲む。

(#・父・)「俺は誰よりも偉いんだよ!」

泣き出したのも構わず、ドクオを揺さぶる。
父親が日頃溜めて来た鬱憤が、運悪くこの時破裂してしまったのだ。
こうなってしまえば、この家でこの男を止める者はいない。

(#・父・)「だからお前らは!」

198 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:31:17.23 ID:NDCOmeJD0
さっきよりも強く右から。

(#・父・)「もっと!」

左、右、またその繰り返し。
頬の一部が赤く腫れ、お多福風邪にでもなったかのようだ。

(#・父・)「俺を!」

高く持ち上げ。

(#・父・)「敬え!」

洗濯物の上に叩き落とす。
やせ細った体は跳ね上がる。

(#・父・)「尊べ!」

横たわるドクオの背中を、遠慮なしに蹴る。

(#・父・)「感謝しろ!」

蹴る。
蹴る。
蹴り飛ばす。

(#・父・)「俺のおかげで生きていられるんだ!
      お前らみたいな屑でも、お、俺がいるから生きてるんだよ!
      次にそ、そんな目をしてみやがが、れ!
      ブッ殺してやる!」

203 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:34:19.45 ID:NDCOmeJD0
ロクに運動もしないから体力がなく、父親は子供相手に暴力を振るうだけでも肩で息をする。
己に流れる歯車王の血に酔い痴れ、それを誇り、そして驕り高ぶった。
異常だった。
そして、愚かだった。

自分で成し得た何かでは無く、遠い昔に彼の先祖が成し得た物を己のそれと勘違いしていた。
信じていた。
彼は信じて疑わなかった。
何よりも気高い血を持ち、その血はこの都では最高の栄誉であると。

最高の栄誉を受け継いでいる自分は、誰よりも偉い。
崇拝されて然るべき存在だと思っていた。
思い上がりを正すどころか、日々膨らませる妄想によってそれは肥大化して行った。
肥太った醜悪な豚の様に。

―――その翌日。

背中の至る所に出来た打撲傷が、ズキズキと痛む。
朝。
いつもより早く、ドクオは眼を覚ました。
一週間の内、母親は一日だけ休日を設けていた。

長く働き続ける為に体を休ませる目的もあるが、生活必需品を買う目的も兼ねていた。
母親について行けば、家から少しでも離れていられる。
気が進まないが、それでも殴られるのに比べたら遥かにマシな選択だ。
それに、今日はいつもとは違う。

208 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:36:02.01 ID:NDCOmeJD0
ドクオは朝早く起きて、一人でトイレへと向かい、前日に隠しておいた硬貨をポケットにしまった。
予定ではこの後、母親と近くのスーパーマーケットに行く事になっている。
見つからない様にそこで菓子を買うのだと、ドクオは密かに決めていた。
飴か、それともガムか。

何でもいい。
甘くて、少しでも嫌な事を忘れさせてくれさえすれば。
早くその時が来ないかと、ドクオは心待ちにしていた。
出来る限り父親に近付かず、ポケットの中にある硬貨をさり気無く必死に守る。

気付かれてはいけない。
母親だろうが、父親だろうが。
味方は自分しかいないのだ。
害を成す父親か、それとも何もしないで傍観する母親か。

そして遂に、時間がやって来た。

J( 'ー`)し「ドクオちゃん、出かけましょうか」

無言で母親の後ろについて家を出て行く。
幸いと云うか、いつもの通り父親は寝入っていた為、返事も反応もない。
手を繋ごうと母親が言ってきた時、その提案を受けるか受けないか、少しだけ躊躇った。
結局、ドクオは自分から力を入れる事はしなかったが、手を繋いだ。

下手に反発して機嫌を損ねられでもして、予定が変わるのは好ましくない。
幼いと言っても、ドクオは人一倍考えて生きていた。
スーパーマーケットに到着して、最初にすること。
母親のために買い物かごを取ることではない。

215 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:39:02.47 ID:NDCOmeJD0
まずは、繋いだ手を離すことだった。
多くの人で賑わうスーパーマーケットでは、競合店と渡り合うために、地道な努力をしている。
例えば接客の質。
頼まれる前に行動をする、その接客精神を武器に戦う。

例えば価格競争。
他店よりも一円でも安く、多く売る。
薄利多売の精神で、主婦層を取り込む。
一部の高級店を除外して、ほぼ全てのスーパーマーケットはこの方法を取り入れていた。

そして、もう一つ。
今日、ドクオ達がやって来たスーパーマーケットでは、別の努力もしていた。
子供から年寄りまで、それは等しく効果を生む。
試食である。

ただの試食では無く、多く、そして丁寧に調理された試食品の提供だ。
母親の声を無視して、ドクオは惣菜、青果、鮮魚、生肉、デイリー、ドライの各部門の試食品コーナーへと走った。
一週間に一度、こうして清潔な場所で美味しい食事を摂取する事で、ドクオは空腹感を満たした。
周囲の人間が、クスクスと笑うのも構わない。

惣菜ではカツサンドを三切れ。
青果では四等分にカットされたパイナップルを、八つ。
鮮魚ではマグロの刺身を五切れ。
精肉では生ハムを十枚まとめて食べた。

デイリーではソーセージを六本食べてから、牛乳を二杯。
ドライでチョコレートを食べ、最後にデイリーに戻ってオレンジジュースで喉を潤す。
外周に沿って廻るだけで、家で出されるどの食事よりも腹が満たされた。
満足げな溜息を吐いて、ドクオはドライコーナーの一角に移動した。

221 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:42:02.03 ID:NDCOmeJD0
常々、ドクオは店内を見て回り、どこに何があるのかをある程度把握している。
菓子が売っている場所。
客動線の流れの、やや終盤の方。
店の中央に並ぶドライコーナーでも、デイリー寄りの棚に菓子は売っている。

色取り取りの菓子が売られているコーナーには、子供は勿論のこと、その保護者も見受けられる。
皆綺麗な格好をしていて、ドクオだけが浮いていた。
汚れて擦り切れ、臭う服。
もう何日、洗濯していないのか。

どうでもいい。
今は、何もかもがどうでもよかった。
重要なのは自分の外見ではない。
菓子だ。

何を置いても、菓子を選べると云う自由。
自由は楽しみ。
初めて手にする、購入する自由と機会に、ドクオは胸を躍らせた。
楽しかった。

ポケットにある硬貨で買える物は限られているが、それでも選べるのだ。
何と表現すればいいのか。
この、胸がくすぐったい感覚は。
あれも、これも、それも買える。

チョコレートも、飴も、ガムも、よく分からない何かも。
買える。
買える、買えるのだ。
自分の意志で、誰にも邪魔されないで自分の為に何かを得る。

228 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:45:02.01 ID:NDCOmeJD0
腐ってもいない。
食べても誰も笑わない。
ただただ、ドクオはそれが嬉しかった。
思わずポケットにしまっていた硬貨を取り出し、改めてその額を確認する。

ポテトチップスか、安いチョコレートが買えるぐらいだ。
一概にポテトチップス、チョコレートとは言い切れない。
確かに分類上は同じだろうが、種類が豊富に取り揃えられている。
無数の可能性を選択するのは、ドクオ自身。

選ぶ時間。
選ぶ行為。
全て。
そう、全てが新鮮だった。

今までは見ているだけだったのに。
今日は違う。
自分は選べる。
買える。

得られる。
周りの子供達が気味悪がるのも構わず、ドクオは買える額の菓子を一つ一つ見比べた。
こちらは何かが入っていないが、そちらには無い物が入っている。
イラストが描いてある商品は、幼いドクオの心を掴んだ。

もう少しだけ金があれば、その横に置いてある商品を買える。
ここで、ドクオは金の偉大さとその便利さを知った。
いや、少し語弊があるか。
以前から金の便利さや、その力は知っていた。

235 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:48:04.91 ID:NDCOmeJD0
が、不完全な知識だった。
せいぜいが、食事を買えるとか、酒を買える程度しか知らなかった。
金の有無で、こうも世界が変わるのかと、ドクオは眼を輝かせて商品を見入っていた。
可能性と、選択肢を広げる力が、金にはある。

掌に一枚だけ乗っているこの硬貨でさえ、その力を秘めている。
菓子はドクオに想像力と、そして知識を与えた。
新しい単語だ。
知らない単語が多く書かれていて、ドクオは努力して文脈からその意味を推測した。

意味は後で母親に聞けばいい。
それまでは、こうして未知の単語を覚え、どの菓子を買うのかを考えているだけで十分だった。
思考する事は嫌いでは無かった。
むしろ、好きな部類に入る。

どうしてか、考えれば考えるほど、知れば知るほどに楽しかったからだ。
未知が好きだった。
一つ知るだけで、ドクオは十の世界が広がった気がした。
知らない単語でも、知っている単語が変化した物だとすぐに気付けた。

文脈から、次の単語を想像する。
想像した単語の派生系を想像する。
それが気持ちよかった。
幼稚園でそう云った事が起きると、ドクオはその意味を先生に訊いた。

大抵、その派生系や想像した単語の意味は合っていた。
間違った事は一度もない。
パッケージ一つからドクオが得る情報量は、通常の子供よりも遥かに多かった。
両親はおろか、ドクオの自身もその事を知らない。

238 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:51:30.32 ID:NDCOmeJD0
J( 'ー`)し「あら、どうしたの、それ?」

背後から声を掛けられ、ドクオは身を震わせた。
声が指し示している対象は、ポテトチップスの袋では無い。
掌にある硬貨だ。
急いで隠しても、もう遅い。

J( 'ー`)し「お菓子を買いたいの?」

頷かない。
返答するつもりも無かった。

J( 'ー`)し「……ねぇ、ドクオちゃん。
     お母さんね、菓子を買うよりももっと気持ちのいいお金の使い方を知ってるの。
     だから、今はお菓子を買うのを待ってみようか?」

首を横に振って拒否した。
したのだが。

J( 'ー`)し「じゃあ、まずはお買い物を終わらせましょうか」

硬貨を持たない方の手首を掴まれ、無理やりに連れて行かれる。
手に持っている商品の値段は、ドクオには買えない額だった。
その為、ドクオは適当な棚にそれを押し込んだ。
菓子を買う以上に良い事があれば、それに越した事は無い。

仕方なく母親に連れて行かれ、会計を済ませ、店を出た。
片手に買い物袋を下げ、母親はもう片方の手でドクオの手を掴む。
不安げな表情を浮かべたまま、ドクオは連れて行かれる。
どこに向かうのか、見当もつかない。

244 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:54:03.54 ID:NDCOmeJD0
分かる事が一つだけあった。
自分の知っている場所が近付いていると云う事。
同時にそれは、忌み嫌う場所が近付いていることも指示していた。
心臓の辺りがざわつく。

妙な気分だった。
不安。
言い表すなら、正に不安だった。
不安の要素、それは―――


J( 'ー`)し「ほら、あの人達よ」


―――募金活動をしている、子供と大人の集団だった。
買い物袋で連中を指し、母親はどこか得意げな顔をしている。
真意を理解したドクオは、嫌だ、と逃げようとした。
それはそうだ。

嫌いな連中に、連中の喜ぶ餌を与えるなんて、冗談でもお断りだ。
これは自分の金だ。
見ず知らずの、誰かも分からない人間に与えるなんて嫌だった。
逃げようとするドクオの手は、女とは言っても大人に掴まれている為、振りほどく事は敵わなかった。

J( 'ー`)し「ドクオちゃん、お金、渡して?」

疑問形で訊かれたが、明らかな命令だった。
それでもドクオは拒否した。
誰の努力で、その金が今ここにあるのか。
毎日地べたに顔を押し付けて探した、ドクオの努力の賜物だ。

251 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 01:57:08.80 ID:NDCOmeJD0
それをどうしようと、金の持ち主であるドクオが決定権を持っている。
奪われてなるものかと、ドクオは抵抗した。
所詮は子供の抵抗。
母親はドクオの手が握り締める硬貨を無慈悲に奪うと、ドクオの手を離した。

急いで母親の脚にしがみ付く。
泣き叫んだ。
止めて、止めてと。
それは自分の金だと。

菓子を買うのだと。
精一杯主張した。
無駄だった。
ズルズルと引き摺られ、連中の前にまでやって来てしまった。

母親の顔を見て、募金をしていた子供達が笑顔を浮かべる。
後ろにいた大人達の内、何人かが母親に気付いて声を掛けて来た。

(・ )` ´( ・)「おや、スナオさん、今日も来てくれたんですか?
       前の話の気持ちが決まりましたか?」

スナオ、とは誰の事だろうか。
話しかけている対象が母親である以上、それが母親を指示しているのは明白だ。
明白だが、母親の本名を一文字も知らないドクオは、違和感を覚えた。
覚える必要もないので、ドクオは泣くのを続けた。

母親の名前よりも、あの一枚の硬貨の方が重い。
何としても奪い返さなければ、あの努力が全て無駄に終わる。

259 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 02:00:02.92 ID:NDCOmeJD0
J( 'ー`)し「えぇ、でも、今日は少し事情が違うの。
     この子のお金を募金しに来たの」

(・ )` ´( ・)「でも、泣いてますよ?」

そんな事、見れば分かる筈だ。
目が付いているのなら。

(・ )` ´( ・)「それに、嫌がっているように見えますが……」

そんな事、聞けば分かる筈だ。
耳が付いているのなら。

J( 'ー`)し「それが、いざ募金するとなったら急に泣いちゃってね。
     気にしなくて平気です。
     それと、あの話はもう少し考えさせていただいてもいいかしら?」

嘘を吐かれた。
どうして。
何故、そんな嘘を吐く。

(・ )` ´( ・)「そうですか、何だか悪い気がしますね。
       例の件ですけど、上の方々にもスナオさんの名前は広まってますから、気が向いたら教えてください。
       我々はいつでもスナオさんを待っていますよ」

こちらの方が、母親よりも幾らかマシだった。

J( 'ー`)し「そう言ってもらえると嬉しいです。
     それじゃあ、たったこれだけだけど」

266 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 02:03:02.37 ID:NDCOmeJD0
たったこれだけ。
少ない。
これっぽっち。
誰にとって、それがたったこれだけだと云うのか。

ドクオにとって、その硬貨はささやかな幸せを実現する物だった。
硬貨には、金額以上の価値があった。
何も知らない他人がその価値を決めていい訳がない。
その価値を、たったこれだけ、と評する権利はこの人間には無い。

無慈悲にも硬貨は子供の手が持つ募金箱に落とされ、硬貨同士が触れる音が小さく鳴った。
失ったのは一枚の硬貨だけではない。
可能性を失った。
奪われた。

奪い取られ、貶され、笑われた。
笑っている。
母親は、何故か笑っている。
奪うのが楽しいのか。

無力さに、ドクオは全身の力が抜け落ちた。
泣くのさえ止めた。
体力と涙の無駄だったからだ。
その場に崩れ落ちたドクオを強引に立ち上がらせ、母親は手首を握って歩き始めた。

引き摺られるようにドクオは歩かされる。
呆然。
ただ呆然としていた。
心の中の何かが、空っぽになってしまった様な、そんな錯覚。

271 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 02:06:02.05 ID:NDCOmeJD0
徐々に浮かび上がって来たのは、どうしようもない怒りと悲しみだった。

J( 'ー`)し「ドクオちゃん。
     あのお金でね、沢山の子供達が救われるのよ?
     それって、お菓子よりも素敵なことだと思わないかしら?」

思わない。
見ず知らずの人間を救おうとは思わなかったし、それに、あの金がその為に使われるかどうかも分からない。
それだったら、自分の為に菓子を買った方が良かった。

J( 'ー`)し「その内、分かるわ。
      きっとね」

その日は、ドクオは多くを失った。
一枚の貨幣に乗っていた淡い希望や、その可能性は二度と戻る事は無い。
だが代わりに得た物もあった。
情報、知識である。

母親は、このボランティアと呼ばれる行為が言わば、自分の使命の様に感じている事。
少なくとも、ドクオの気持ちよりも自己満足を重要視していたのは間違いない。
もう一つ。
金を失うと、こうも虚しい気持ちになり、ましてやそれが奪われたとなると憤怒を覚える事を。

―――ようやく入学を決めた小学校への手続きを控えた前日の夜、ドクオの人生を狂わせる事件が起きた。

いつものように酒に酔った父親が、母親の持っていた何かを破り捨てた事が判明したのが切っ掛けだった。
何を捨てたのか、寝室で布団に包まって耳を塞いでいたドクオには分からなかったが、母親は泣き叫んでいた。
悲痛な叫び声を聞いて、ドクオは気の毒とは微塵も思わなかった。
人の金を奪って笑顔だったくせに、いざ自分がやられると泣き叫ぶ。

277 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 02:09:09.43 ID:NDCOmeJD0
実に気持ちが良かった。
いい気味だ。

J(;'ー`)し「な、何てことをしたの!」

(#・父・)「あ゛っ?!
     うるせぇな!
     黙ってろって―――」

一瞬の間。

(#・父・)「―――言ってるんだよ!!」

壁で隔たれた寝室にまで届いたのは、怒鳴り声ともの凄い平手打ちの音。
遅れて何かが倒れる音が続き、嫌でもドクオに何が起きたのかを想像させた。

J(;'ー`)し「これじゃあ、入学できないじゃない!」

入学できない。
一体、どういう意味だろうか。
いや、意味は分かるが、状況的な意味が理解出来ない。

(#・父・)「そんなもんどうでもいいんだよ!
     それより酒だ、酒とツマミ買って来い!」

J(;'ー`)し「馬鹿な事言わないで!
     今あるお金は、入学するのに必要なお金なのよ!」

もう一回、平手打ちの音が響いた。

282 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 02:12:11.71 ID:NDCOmeJD0
(#・父・)「そんなのどうでもいいんだよ!
     あんな餓鬼よりも、俺の酒の方が大切だ!」

J(;'ー`)し「いい加減にしてよ!
     私が稼いだお金よ!
     あなたの為じゃない、私の為のお金よ!」

(#・父・)「何を勘違いしてるんだ!
     忘れるなよ、俺が、俺がいなけりゃ意味無いってことをよぉ!!
     俺がその気になれば、お前なんかいなくてもいいんだよ!」

J(;'ー`)し「くっ……!
     もう嫌、こんな生活はもう我慢できない!
     私は自分のやりたい事をやらせてもらいます!」

馬鹿にした様な笑い声が聞こえて来た。

(#・父・)「どこに行くアテがあるんだ?
     どこにもないくせに!」

J(;'ー`)し「お生憎様。
     私は、あなたの様なアル中とは違うのよ。
     前から誘われてた場所があったから、そっちに行くわ。
     後は一人で勝手にやればいいわ!」

荒い跫音を立て、母親が家から出て行った。
父親は馬鹿の様に叫び狂い、近くにある家具を破壊し始めた。

289 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 02:15:02.23 ID:NDCOmeJD0
(#・父・)「ふ、ふざけんじゃねぇぞ!
     お、俺をこんな目に合わせやがって!
     腸引きずり出してブッ殺してやる、この糞尼ァァァァァ!!」

皿が割れ、ガラスが砕ける音が鮮明にドクオの耳に届く。
何が起きたのか、幼いドクオの頭は必死になって考えていた。
答えは直ぐに分かった。
ドクオを残して、逃げたのだ。

奇しくも、この出来事の少し前から、ドクオの家の近所で異変が起き始めていた。
夜。
恐ろしい夜が、この周辺にも訪れたのだ。
何が起きているかは知らないが、父親は決して窓辺には近寄らず、明かりは消し、カーテンを引いた。

夜が訪れると、どの家も同じような事をする。
ドクオはまだこの時知らなかった。
裏通りを舞台として、裏社会の組織同士の抗争が夜な夜な行われている事を。
普段眠りに付いている時、家の外ではサプレッサーを付けたイングラムやUZIが火を吹いている事を。

まだ、知らなかった。

―――母親がドクオを残して逃げ出した、その翌日。

小学校への入学は叶わず、ドクオは結局家に残る事しか出来なかった。
代わりに、入学に備えて蓄えてあった貯金が残される事となり、少なくともすぐに餓死する心配は無かった。
ただし、貯金をどうこう出来る知識をドクオは知らず、自然な流れで金は父親が管理する事となった。
管理とは名ばかりで、ただ自分の欲を満たす為に使う事になるのだが。

294 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 02:18:02.13 ID:NDCOmeJD0
いつもより早くに目を覚ましたドクオは、朝食をとる為にリビングへと向かった。
恐る恐る覗き込んだリビングの中央には、大の字になって爆睡する父親がいた。
その周囲は破壊された家具が散乱し、陶器類やビン類の割れやすい類は悉く砕けていた。
元からあまり掃除はされていない部屋ではあったが、ここまで酷くなった事は無かった。

あまりにも酷い状況に、ドクオは顔を顰めた。
足元をよく見ながら、ドクオは陶器の破片を踏まないよう、そして何か音を立てないよう慎重に歩きだした。
文字通り足の踏み場は元から無かったが、どうにかこうにか台所へと辿り着けた。
トースターを使うと音が出る為、ドクオは賞味期限が一昨日の食パンを袋から三枚取り出して、その場にしゃがみ込んで貪った。

パサパサしたパンは、起きたばかりのドクオの口の中から水分を奪い取った。
冷蔵庫の中から牛乳を取り出すべく、静かに扉を開き、それを手に取った。
コップに注ごうと、いつも使っていた物を探す。
それは直ぐに見つかった。

床で粉々になっていた。
諦め、ドクオはそのまま直に口を付けて紙パックの牛乳をのどに流し込んだ。
朝一番に飲む冷たい牛乳の美味さ。
消費期限が切れた弁当よりも遥かに満足できる。

パンを口に詰め込み、ゴクゴクと喉を鳴らして牛乳を全て飲み切る。
汚れた食器の溜まった流し台に紙パックを置き、ドクオは来た道を戻って寝室に向かった。
どうやら、昨晩は相当酒を飲んだようで、父親は起きる気配を見せなかった。
今の内なら、外に出られる。

よれよれになった寝間着を着替え、玄関に行く。
玄関を見ると、母親の靴だけが無くなっていた。
もう戻らない事を呆気なく受け入れたドクオは、頭の中からその存在を削除した。
無事に靴を履き終え、ドクオは早朝の都へと出て行った。

298 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 02:21:04.38 ID:NDCOmeJD0
早朝。
都では濃霧が発生する時間帯。
不運にも、ドクオの起きた時間はそれに重なっていた。
まだ濃霧の危険性を知らないドクオは、好奇心の導くまま、真っ白な世界を歩いた。

奇妙な感覚だった事は、僅かだが覚えている。
目の前は真っ白。
確かなのは足元の感触と自分の存在だけ。
静まり返った世界は、いつもドクオが知る世界とはまるで別の世界に感じ取れた。

しかし代わり映えのない世界は、次第にドクオの好奇心を不安へと塗り替えて行った。
何もない。
何も、分からない。
白の世界は不気味だった。

見渡しても白。
足元の地面は辛うじて見える。
だが、目を前に向けると何もない。
後ろに向けても、左右に向けても変わらない。

その時、爪先が何かにぶつかった。
不意打ちを食らい、ドクオは前に倒れた。
だが、石畳に顔を打ちつける事は無かった。
打ち付けたのは何か別の、少しだけ柔らかい物だった。

布。
ドクオの着ている物とは別の、もっとしっかりとした生地だ。
"あの女"や、父親が着ているのよりも上質である。
例えそれが、何かで湿っていたとしても、だ。

304 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 02:24:02.52 ID:NDCOmeJD0
顔に何か濡れた物に触れた様な感じがして、ドクオは顔を上げてそれを手で拭ってみた。
赤黒い。
血だった。
誰かの血。

ドクオは人間が血を出すのは、鼻血を除いて、普通では有り得ないと認識していた。
血を出すのは人間だけではないが、何か衣服を纏うのは人間ぐらいでしかない。
途端に真実を理解したドクオは、慌てて起き上がった。
誰に躓いたのか、急いで確認しようとする。

一歩でも下がれば、確認が出来ない。
膝を突いて、誰かの服の上に手を這わせる。
体の膨らみと服の形から、顔の場所を割り出した。
血がべっとりと付いた手で、顔に触れる。

顔は近づけなかった。
掌から伝わる感触で、男だと分かった。
鼓動も感じ取れず、息もしていない。
服の所々に穴が空き、そこから血が出ているようだった。

初めて目にする人間の死を目の当たりにして、ドクオは冷静を保ったままだった。
何故か。
生まれながらに心が強いからか。
違う。

死を知らないだけだ。
人間の死を、いきなり感じ取ってもドクオはどう対処すればいいのか分からないだけなのだ。
どうしてか、心がとても苦しかった。
理由が分からないまま、ドクオは男が傷を癒す為に寝ているのだと勘違いした。

307 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 02:27:02.23 ID:NDCOmeJD0
起こすか、それともこのままでいるか。
ドクオはどうしようかと考えあぐねた。
気付かなかったとはいえ、ドクオの不注意でぶつかってしまった以上謝るのが道理だと考えた。
その為にはまず起こす必要がある。

揺さぶってみるが意味はなく、突っついた所で効果は無かった。
襟を掴んで立ち上がらせようとしたが、非力なドクオに男を持ち上げるだけの力がある筈もなく、上半身が僅かに持ち上がっただけだった。
しかし、意味はあった。
諦めてドクオが手を離した時、地面に何か硬い物ぶつかる音がする。

音のする場所を手で探ると、そこには男の手と硬い物があった。
腕時計のはめられた手を持ち上げると、男の手が変わった形の何かを持っているのに気付いた。
色は黒く、全体のフォルムは角ばっている。
大きさはドクオの手よりも大きく、フォルムの先端には丸い筒状の物が備わっている。

正体は何か分からないが、どうしてか背筋が寒くなった。
その時、空が僅かに明るさを取り戻し、辺りを包んでいた濃霧が晴れ始めた。
明らかになるのは周囲の情景。
惨劇の跡だった。

血を流して倒れている人間が、そこらじゅうにいた。
白の世界は途端に血の赤へと変わり、心は不安と得体の知れない恐怖に支配された。
奇妙だと感じたのは、血の海の所々が金色に輝いている事だ。
ドクオの足元にも、その金色があった。

真鍮の輝き。
血の海に浸っていても、露出した部分の輝きを隠す事は出来ない。
黄金に似た輝きは、人間の持つ貪欲な心を容赦なく擽る。
ドクオとて例外ではない。

309 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 02:30:02.50 ID:NDCOmeJD0
導かれるまま、足元の円柱状の真鍮を摘まみ上げた。
固まった血が不細工な迷彩柄を作り出していて、その真鍮は純粋な黄金色をしている訳ではなかった。
ただ、輝いてはいた。
これだけ綺麗な物が、足元に散らばっている。

ただし、息をしていない、穴だらけで血まみれの人間の体が山の様にあるのだが。
心は躍っていたが、血溜に散らばるそれを拾い上げる気には、もうなれなかった。
今はこの場から去る事が重要だと感じ、ドクオはそれに従った。
手と顔に付いた真っ赤な血を洗い流そうと、見知った道を探してドクオは走る。

探せども、探せども、一向に知る道には出なかった
ここは裏通り。
迷えば大人でさえ無事では済まない。
高く聳え立つ建物に囲まれているが、背の高い木々が生い茂る樹海で迷うのと大差ない。

考え様によっては、樹海の方がまだ安全だ。
森には多種多様な生物がいるが、何か危害を加えない限り、敵意や悪意を向けて来る生物はほとんどいない。
裏通りにはどんな人間でもいる。
変態から殺人者、果ては偽善者まで。

この裏通りにおいて若い女性は最も危険だが、子供の場合は性別を問わず危険だ。
子供の利用価値は非常に大きい。
純粋で、疑う事をせず、命令に刃向う事も疑問に思う事もない。
上手く飼い馴らせば、忠実な奴隷にも立派な殺人鬼にもなり得る可能性を秘めている。

それが子供だ。
周囲の環境次第でどのようにでも変化できる、変幻自在の純白のキャンパス。
だからこそ、子供が一人でいるのは危険なのだ。
特に、ここでは。

313 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 02:33:11.66 ID:NDCOmeJD0
早朝とは雖も、起きている住民はいる。
泣きそうな顔をして走り回る子供を心配する者はおらず、数人の視線がその背に注がれているだけ。
視線を注いでいた者の内、奴隷商を営む男と、誘拐を生業とする男が、跫音を立てない様にその後ろから付いて行く。
幼いドクオなら、容易く利用できると考えての行動だった。

裏社会を牛耳る勢力が抗争を繰り広げる一方で、彼等の仕事は右肩上がりだった。
特に、水平線会の会長である荒巻は少年兵の有効性を知っており、頻繁に少年を買っては抗争の場に送り込んでいた。
一人当たり300万近くで取引されるだけあって、当然リスクも付き纏う。
水平線会と対立するクールノーファミリーが、去年のある時期から子供の人身売買に対して嫌悪感を露わにしているからだ。

少年兵を使う荒巻は勿論の事、売り物として子供を売買する者達も嫌っている。
取り締まるとまでは行かないが、取引や商品の仕入れの現場にクールノーファミリーが居合わせた場合、関係者は確実に殺すよう指示が下されていた。
先日も三人ほど、取引現場となった場所の街灯に逆さまに吊られた状態で、無残な死体となって発見された。
眼球を抉り、脇の下と腹に一発の銃痕があった。

以来、子供の人身売買は相当のリスクを孕んでいる事が知れ渡り、子供に手を出すのを止めた者が相次いだ。
だがそれでも止めない者はいる。
ドクオの後ろを付ける二人がそうだ。
道中、手の仕草で分け前を折半する事に決め、久しぶりの獲物に二人は舌舐めずりをした。

背後でそのような事が起きている事を知らないドクオは、道を探して走っていたが、人の気配がまるでない路地裏に来て、遂に走るのを止めた。
知らない場所に一人でいることが、絶望的な孤独感をドクオに植え付け、脚を止めさせていた。
どこをどう進んだのか、ドクオは完璧に記憶していた。
ただ、記憶していなかったのは家を出てから濃霧が晴れるまでの道程だ。

見もしていない道程を記憶するだけの余裕はなく、それは幼さ故に仕方がない事で、非難するべき事柄ではない。
誰もドクオを非難できない。
捕食者の笑みを浮かべる者達は非難するどころか、感謝する有様だ。
ようやっと背後の気配に気付いたドクオは、急いで振り返った。

320 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 02:36:12.47 ID:NDCOmeJD0
ドクオの眼が映したのは、二人の男の姿。
一人は小太りで、もう一人は痩せ細っていた。
共通している点は二点。
不気味に笑んでいる事と、右手が上着のポケットに伸びている事だ。

本能的に危険を察知したドクオは、男達と向き合ったまま一歩下がった。
もう一歩下がる前に、小太りの男が笑顔を顔に張り付けたまま言った。

|  ^o^ |「怪我 を している の ですか?
      恐れる こと は ありません」

公用語で話されたが、ドクオの知る限りここまで訛っていて変わっている話し言葉は初めて聞いた。
単語単語の間に一拍置いて、次の単語を口にする。
分かりやすいと言えばその通りだが、早口で一通りの汚い言葉を聞いているドクオには、少しだけ煩わしいという気持ちが沸いた。
それ以上に沸いたのは、恐怖心だった。

彼等の笑みの意味が分からない。
未知の物に対する好奇心は湧き上がらず、恐怖だけが染み出してくる。
魅了もされないし、惹かれもしない。
不快感と恐怖の入り混じった感情は、ドクオに逃亡を命じた。

的確な選択であり、素早い行動だった。
今の歳にしては、だが。

| ^o^ |「少し 話 を しましょう」

似た訛りである事から、もう一人の男も同じ出身、同じ環境で育った事が分かった。
分かるのと同時に逃げようとしたドクオの肩を、痩せた男が掴んでいる。
振り向く間も与えられず、ドクオは強引に男と向き合わされた。
肩に乗せられた手に込められた力は、いつもドクオを殴る父親に比べれば優しい方だ。

326 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 02:39:02.27 ID:NDCOmeJD0
動きを封じるにはそれで十分過ぎた。

| ^o^ |「君 の お母さん が 君 を 呼んで います」

|  ^o^ |「ですから 私達 が 連れて 行き ましょう」

彼等二人が犯した間違いは、母親と云う名詞を使った事にあった。
昨晩母親に見捨てられたドクオに、母親と云う名詞は何の意味もない。
逆に、怒りを思い出させるだけだった。
安心させる為か、僅かに力を緩めた男の手からドクオは逃れ、何も言わずに走り出した。

| ^o^ |「お待ち なさい」

|  ^o^ |「お母さん が 困って しまいますよ」

人目のある所に逃げられると、クールノーファミリーの眼があるかもしれない。
商売の都合上、出来る限りこの路地裏で仕事を終わらせる必要があった。
ポケットの中から強力な睡眠薬の入った小型の注射器を取り出し、二人の男もドクオを追った。
大人と子供の脚力では、差はあっという間に縮まった。

太った一人がドクオの腕を掴み、もう一人が注射器を上腕部に刺す。
睡眠薬を注射しようと親指に力を込めたその時。
痩せた男の体は見えない何かによって、後方へと吹き飛び、壁に衝突して頭が破裂した。
その勢いで、注射器の中身は注がれることなく、ドクオの腕から抜け落ちる。

茫然とその様子を眺めていた男が、その頸椎を360度捻転して絶命した。
地面に落ちていた注射器の上に倒れ、注射器は呆気なく砕けた。
遅れて突風がドクオの頬に吹きつけ、杖をついた黒い髪の一人の人間がドクオに背を向けた状態で現れた。
一瞬の出来事に、ドクオの思考は混乱した。

329 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2011/03/28(月) 02:42:13.45 ID:NDCOmeJD0
情報を整理してから1秒後にようやく追いつき、自分が助けられた事に気付いた。
顔は見えないが、背格好と黒い男性用のスーツを身に纏っていることから男だと分かった。
風がスーツの裾を翻し、心地の良い香りが鼻腔に届く。

???「やれやれ、少し懲りたと思ったらこれだ。
    処理は任せたぞ」

(■_>■)「了解致しました」

建物の影から、サングラスをかけた別の男が現れ、首が一回転して絶命した男の髪を掴んで引き摺り運び始めた。
黙々と命令を遂行する男は、冷たい機械を彷彿とさせた。
頭が潰れた男の横に置いて、サングラスの男は戻って来る。

???「小僧、怪我は無いか?」

初めて。
初めて、ドクオは本当の優しさの入り混じった声を聞いた。
優しさの籠った声の男が振り返り、その男の顔を見て、ドクオの口から小さく声が漏れた。
瞼の上に深い傷跡があり、男の眼は開かれていなかったからだ。

極力それに臆さないよう努力して、ドクオは震える声で礼を言った。

( ФωФ)「うむ。
       気にするでない。
       して、小僧。
       どうしてこのような場所にいるのだ?

       ここはお主の様な者が来るような場所では無いぞ。
       さては迷ったか?
       どこまで行けば、家までの道が分かる?」


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