ξ゚听)ξはサイレントヒルで看護婦をやっていたようです

3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 00:55:41.55 ID:vMJ2LfJF0

 遊ぶのに飽きたら帰らなきゃならない。


 遊ばれるのに疲れても帰ることはできない。


【Load】

4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 00:57:56.54 ID:vMJ2LfJF0
 ここはどこなのだろう。
 お化け屋敷を出たのか。
 それとも、変調したお化け屋敷をめぐっているのか。

 ぴたぴたぴたぴた。
 足裏が張り付いては離れる音。

 ゴードン氏は――否、もはや、クリーチャーだ――止まらない。
 四足歩行の不恰好な移動。
 それで生まれる振動は小刻みにわたしの身体を揺らしている。

 視界が閉ざされているために、肌でのみ速度を感じられた。
 湿り気を帯びた空気がひどくべたついた髪を撫でている。
 それは後頭部から顔に向かって流れ続けていた。

 向かい合うように抱きしめられたわたし。
 鼻をつくすえた体臭。
 さらに、吐きかけられる生臭い息。

「じゃくりぃいん、たぁあめぇえぇぇのぉお、おみっやっげー」

 視界が開けたと言って、彼の言葉を理解することはできなかっただろう。
 その後の行為は予想だにできなかった。
 狂人だと、それだけが分かる程度だった。

5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:00:11.09 ID:vMJ2LfJF0
 わたしを抱き上げていた腕の一対、長い二本が外された。

「きゃははははははははは」

「うふふ、きゃははっ」

 ピンクのウサギ。
 間違いない、それが多数いる。
 囲まれている。

「じゃっきーのためぇのぉ、うさちゃんが、うさちゃんがいっぴきー」

 ゴードン氏の歩調が大きくなる。
 上下動が激しくなる。

 何をする――

 ずん。

 ぶじゅ。

「しんだ」

 肉の中から、何かを引き抜くような音。
 「腕ほどの太さを持った」何かが、「胴体の柔らかい」肉から引き抜かれるような。

6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:01:48.12 ID:vMJ2LfJF0
「ギャー!!」

「キャハ―――!!」

「ろびーちゃんのお人形、だよおおおおお!!」

 あ。

「もう、いっぴーきーしんだーらー、みーんなーがしーあわせー」

 あ?

 ぐびゅりゅ、びちっ。

「ギャーハハハハ! ギャ――――――!」

「にひーきー。さんーびきー」

 ご、ぶちり、ごっごっ、ごっごっごっ。

 あ?

 何を、している……?

8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:04:03.35 ID:vMJ2LfJF0
 眼を塞がれ凶行を目撃できなかったことは、わたしにふたつの心理状態をもたらした。

 ひとつ、つや無く重苦しい灰色の鎮静。
 ひとつ、煤けたようなぼけた黒の絶望。

 容易く死を作り出すこの男が、わたしの心から負の側面を引き出す。
 混濁したふたつの色が胸中で溶け合い、打ち消しあい、体力を奪う。

 ゴードン氏の腕が緩んだことに気付いたのは、それから少し経ってからだ。
 ぬめついた身体に押し付けられる圧力が減っている。
 わたしの腕の肘から先だけが自由になっていた。

 だが、抵抗はしない。

 ゴードン氏の鼻歌が聞こえる。
 上機嫌そうな、調子はずれのメロディ。

 下手なことをすれば、わたしの身体は、あるいは頭は強力な腕に……。

 昔見た救急患者の、砕けた膝から覗く骨と肉。
 あれを全身で再現することになる。

 そんなのは嫌だ。

10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:05:30.40 ID:vMJ2LfJF0
「のぼる、おいらァはrぁsきえぁ」

 のけ反るように抱えられていたわたしの身体の傾きが逆になる。
 ゴードン氏のひやりと湿った肩に頭を預ける形だ。
 努めて、わたしはそれを拒絶した。

「こわーくないっよおお、だいじょうぶだよおお、じゃっきいいいいいい」

 大丈夫。

 ちらりとモララーの無事を祈った。
 せめて、彼だけは、無事で。
 本当にいるかも不確かな息子との再会を求める彼だけは。

 わたしは?

「くっ、ふぅ」

 抱えなおされると同時に息が漏れる。
 わたしは改めて肩をすぼめるように締め付けられた。

 ……対抗するための手が無い。
 このままでは好きに遊ばれて終わる。

 嫌だ、嫌だ……。

12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:07:16.63 ID:vMJ2LfJF0
「じゃっきぃいぃぃぃぃ?」

 ゴードン氏の脚が、止まる。
 何かを感じ取られたのだろうか。

「……な、なんでもないわ!」

 引きつった顔を無理やり笑わせる。
 緊張した声だ。

「ううん? んんん。あああああ」

「大丈夫、大丈夫よ」

「おほうぅ。うあは」

 納得、したのだろうか。
 歩みが再開された。

 少しして、身体の傾きが解消された。
 平地に着いたらしい。
 感覚からして、高い位置にある何かアトラクションのひとつ。

 頭をすえた臭いから離すことができて、ほんのわずかに安心する。

13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:07:58.91 ID:vMJ2LfJF0


 ほっとしたのもつかの間。

 ぐら と 身体 が 揺れる。

 塞がれた 目元 が ぐわ と。


14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:09:13.69 ID:vMJ2LfJF0
ξ;゚听)ξ「う、わ」

 急に視界が開ける。

 わたしは揺れる床の上に立っていた。
 突然支えがなくなったにも関わらず、両脚がしゃんとしているのに気付く。
 まるで元からそこにいたかのように。

 ダメージを負った精神では、解放されたことを理解するまでに時間を要した。
 10秒、いや20秒はぼんやり周囲を見渡していただろう。
 状況把握のためではなく、単に思考が追いつかずにそうなってしまったようだ。

 奥へと続く通路。
 左右には途切れ途切れの段差が並ぶ。
 そして、その上に窓。

ξ;゚听)ξ「ここは?」

 自由が戻った腕を壁に押し付け、窓のひとつにかじりついた。
 外を流れ行く光の筋、この定期的な振動。
 手を付いたのは、壁というより、横開きのドアらしい。

ξ;゚听)ξ「電車だ」

 間違いなく、ここは地下を走る電車の中だ。

15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:10:36.81 ID:vMJ2LfJF0
 理解は行動に繋がる。
 危険が完全に去ったのかを確認するのだ。

ξ;゚听)ξ「彼は……」

 後ろの車両とを繋ぐドアの窓は曇っていてよく見えない。
 これまでに体験したどの変調とも同様に、車内は薄汚く、空気がどんよりしていた。
 座席のクッションも埃っぽく、長らく人が利用していないことが分かる。

 どうやら、わたしは思いがけず束の間の安全と自由を――

 キキキィィイ。

 急ブレーキがわたしの身体を2mも転がした。

 圧縮された空気の吹き出す音がする。

 ごごん。

 ドアが、開いた。

ξ;-听)ξ「っつ!」

 疲労しきった身体をなんとか起こす。
 どこかのホームに到着したらしい。

17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:11:26.23 ID:vMJ2LfJF0
 車内に未練はなかった。
 迷わずわたしは電灯がまばらについたホームに降り立つ。
 そこでは自販機だけが低くうなり声を上げている。

ξ゚听)ξ「!」

 駅名が書かれた看板を発見して、驚愕する。
 その地名は。

ξ;゚听)ξ「帰れる。ホライゾンのところに、帰れる」

 わたしが夫と住む家から少しだけ離れた駅だ。
 歩いて20分もしないで辿り着ける。

 次の瞬間、明滅した電灯の向こうに上り階段を認めた。
 それを上れば、改札。
 切符が無くても通れるだろうか。

 駅員がいないけど、人はいるんだろうか。
 そうだ、時計を外していて時間が分からない。
 もう夜遅くなのかもしれない。

 とにかく、なんとかしてここを出れば夫の待つ家に帰れる。
 もう辛い思いはしなくてもいい。

19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:13:32.56 ID:vMJ2LfJF0
 やった。

 夢だったんだ。

 きっと、ちょっと電車で出かけた帰りに居眠りしていただけなんだ。

 やったぁ。

 怪我だって一個もしないで、銃なんて持ち歩かないで、
 見知らぬ男と協力したりなんかせず、泣くようなこともなく、
 こんな苦しいこと。

ξ )ξ「もう、いい」

 もういい。
 もういいんだ。
 はははは。

 もう、いい。

ξ )ξ「ふふふふ、あはははははは! あは、あは、あは……」

20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:14:42.51 ID:vMJ2LfJF0

 くだらない幻想なんか抱かせないで。

 もうわたしで遊ばないでよ。


22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:20:19.80 ID:vMJ2LfJF0
ξ;;)ξ「もういいのよ。こんなの」

 もう、分かってるんだ。
 いいんだ。

ξ ;)ξ「ほら」

 高い位置にある看板に、足元の砕けた床材を投げる。
 金属製の錆びた板を、小さなコンクリート片は貫通した。
 元からそんなものが無かったかのように、煙のように、看板は消えた。。

ξ ;)ξ「こんな駅、見たことないもの」

 指先で触れても、そこには冷たい壁があるのみだ。

ξっ )ξ「慣れちゃったわ」

 たとえ実在したとして、外が正常な世界であると考えるなど、ひどい笑い種だ。
 逃避が根本の解決にならないことは重々承知している。

ξっ-)ξ「……」

 わたしは遊園地に戻らなくてはならないのだ。
 たとえゴードン氏から逃げられたとして、それだけでは無意味だ

ξっ-)ξ「どうにかして戻らないと」

 自販機の稼動音がもう少し小さければ良かったのに、と思ったのは直後だった。

24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:23:48.05 ID:vMJ2LfJF0
「ぐるるるるぅう……」

ξ;゚听)ξ「ッ!」

 犬だ、どこかに犬がいる。
 灯りの輪から外れた暗がりに輪郭が少しだけ見え隠れする。

「ガウッ! ガフッ、ガァッ!」

――下手に手を出すと仲間を呼ぶんだ。脚も早い。

 モララーがそう言っていた。

 気配は左右から、背後から、どこからでもする。
 いつの間にか囲まれているような気がする。
 こんなにも接近を許してしまったのか。

 手に武器は無い。
 柄の長くて便利だった鉄パイプはどこか――そうだ、モララーといた部屋――にある。
 素手で相手にできるわけがない。

 どっ どっ どっ どっ

 絶望に沈んでいた心臓の動きが活発になる。

26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:24:43.76 ID:vMJ2LfJF0
 なんとかすれば状況が打開できるのではないか。
 その淡い期待が防衛本能を掻き立て、身体を戦闘状態に持っていく。

 相手はたかが犬だ。
 数が多くてもどうにかできる。
 ゴードン氏に比べれば大したことがない。

 ……はずだ。

「ぐるるるるる」

 一匹の犬、に似た怪物が灯りの下に進み出る。
 明滅した電灯がさらにそれを照らした。
 病院前で遭遇した筋肉が剥き出しのものとは違い、灰色のだぶついた皮を纏った眼の無い怪物だ。

ξ;゚听)ξ「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」

 モララーならこうするだろうという姿を思い描き、実践する。
 腰を少し落とした、すぐに走ることも攻撃にも移れる姿勢だ。

 電車に逃げる。
 一見、安全に思えるが、反撃の術が無ければ自ら密室に篭るのは「詰み」の状態に陥る。
 武器に出来そうなものはないだろうか……。

 犬、暗がり、遠くの明るみへと素早く眼を走らせた。
 その間も犬は着実に近づいてくる。
 距離は5mも無い。

27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:27:05.84 ID:vMJ2LfJF0
「ぐるぐるぐるるるる」

 犬が止まった。

ξ;゚听)ξ「?」

 そうか。

 眼が無いこいつらは、視覚でわたしを追いかけられないのだ。
 どうやら、わたしがさっき立てた音を頼りに集まってきたようだ。
 その証拠に、目の前にいるのに襲い掛かってこない。

ξ;゚听)ξ「――ッ……」

 理解した途端に息を殺すことに注力する。
 犬は唸ったまま、首をゆっくりと振っている。
 音の発生源を探しているのだろう。

 ……かなり離れた電灯の下にひとつの長い物が壁から生えている。
 あの形状は、いや、しかしまさか。
 だが、奇怪なこの空間にならあってもおかしくはない。

 あれを取りに行くなら、今だ。

28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:28:14.61 ID:vMJ2LfJF0
 腰をさらにかがめてコンクリート片をいくつか拾い上げる。
 衣擦れの音でも、今は命取りになる。
 やかましく胸を叩く心臓さえも、犬に聞き取られてしまうのではないかと、取り出して捨ててしまいたいくらいだった。

ξ;--)ξ「……」

 ゆっくりと、酸素を吸い込む。

 心拍数の増加に必要酸素量は比例し、排気したくなる二酸化炭素量も増える。
 吸っている最中であっても息を吐きたいという、辛い状況だ。

 犬が完全に動きを止めた。

ξ;゚听)ξ「?」

 その口が開かれる。

ξ;゚听)ξ「ッ!!」

 普通の犬と同じようにならよかった。

 その怪物は口と言わず、頭部を先端から「左右に裂けるように」開いた。

 ぬちぃぃいり。

 めちゃあ。

30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:31:33.40 ID:vMJ2LfJF0
ξ;゚听)ξ「〜〜〜ッ」

 粘つく糸を引きながら、それは頭を二股に裂いていく。
 首元まで裂けてから、気付く。

 そこにはむき出しの牙と小さな穴が二つ付いていた。
 ふんふん、とニオイをかぐような音が耳に届いた瞬間、ぞっとする。

 犬の嗅覚。

 考える早く、手にしたコンクリートの破片をひとつ後方に強く投げていた。

 こっ。

 こつん。

「ガウッ! ギャウゥ! ガウガウ!」

 それを聞いた犬達が一斉に吼え声を上げた。
 その数は分からないし、知りたくもなかった。

 破片をもうひとつ、遠くへ。

31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:32:36.83 ID:vMJ2LfJF0
 二つ目が地面に落ちるより早く、わたしは駆け出した。

ξ;゚听)ξ「――ひっ、はぁっ!」

 息を吸うのを忘れていた。
 それが、怪物の頭が割れる光景が思いの外、衝撃的であったことを物語っていた。

 何匹かが吼えながら後ろを着いてくる。

 コンクリートを停車中の電車に叩き付けた。

 ガッシャァン。

 運よく割れかけていた窓に当たったらしい。
 けたたましい音が立つ。
 これでそちらに引き付けられてくれれば。

 闇を走ることには慣れたつもりだが、見えざる障害物まで避けられはしない。

 途中、腰ほどの高さの何かに膝を強く打ち、身悶えるような痛みに耐えた。
 その際も激しい音が立ち、多くの犬達がこちらに興味を持つことが予想された。

ξ;゚听)ξ「ハァッ! ハァッ! ハァッ!」

 あと、20mもないはずだ。

32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:35:59.24 ID:vMJ2LfJF0
 コンクリート、最後のひとつを電車に投げつける。

 がん。

 金属の車体に凹みを作るくらいの勢いではあったようだが、どうにも地味な音だ。
 音量も小さい。

「ギャン! ガウガウバウ!」

 犬の吼え声が近くに聴こえてきた。
 接近の速度は上がるのに、わたしはそれを引き離せない。
 太腿がだるく、ふくらはぎは痙攣している。

 酸欠の視界で、「あれ」を見る。
 壁に突き立った長い白銀に、茶色とも黒とも付かぬ、握り手。
 境界には金属の板が備えられている。

 間違いなく、期待していたものだ。

ξ;゚听)ξ「……ッ! ……ッ!」

 息がもう長くは続かない。
 全身に鞭を打ちすぎた。
 既に限界を越えるすれすれでここまで来たのだ。

34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:39:47.27 ID:vMJ2LfJF0
 粘つく口腔に、血錆びの香り。
 発生源はわたしの喉のようだ。
 あるいは肺か。

 灯りの下に入り込んだ。

 手を伸ばす。

 指先が触れる。

 掴む。

ξ;゚听)ξ「――ッ!」

 力を込めて、引き抜き――

ξ;゚听)ξ「くっ!!」

 抜けない!

 視界の端に灰色の小さな塊が飛び込んできた。

 追いつかれた!

35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:40:36.32 ID:vMJ2LfJF0
 砲弾のような体当たりを、わたしはまともに喰らった。

ξ; )ξ「くうっ!」

 さらにもう一匹が頭を二つに分けて駆けてくる。
 剥き出しの顎が開かれ、今にも噛みつかんとばかりに開かれている。

ξ; 听)ξ「くそっ!」

 ほぼ反射的に左脚を振り上げたのが功を奏し、靴裏で歯を防ぐことに成功した。

「グググガァ! ガフッ! ギャアアッ!」

 そのまま壁に頭を蹴りつけ、よろめいた犬の口から足を外し、踏みつける。

 ズズズズズ、ガリカカッ。

 肉が壁面に摩り下ろされ、骨を削ったようだ。

「ギャアアアア!!」

 呻きに感想を抱く前に、次の犬が襲い掛かってくる。
 再び、左足を蹴り出す。

39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:43:23.60 ID:vMJ2LfJF0
 だが、幸運は二度も続かなかった。

 ぶん。

 空振りでバランスを崩したところに、軸足への痛み。
 眼を持たない犬の噛み付きが脛に食い込んでいた。

ξ;゚听)ξ「ッ! いっ! くう……ッ!」

 デニムが辛うじて牙の進行を阻んでいる。
 だが、感触からして中で出血していることは確かだ。
 しかも、この咬む力。

 脛にある二本の骨のうち、片方は細く比較的折れやすい。
 歩行すら不能にされてはたまらないと、ぎりぎり噛み続けるグロテスクな頭を蹴る。

 蹴る、蹴る、蹴る。

ξ;゚听)ξ「離せ!!」

 蹴る!

 めぎ、と犬の牙が折れる感触が伝わる。

 同時に、それがデニムにずぶりと突き立つのも。

40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:44:46.56 ID:vMJ2LfJF0
ξ; )ξ「あああああああッ!!」

 右脚に生暖かい物がまとわり付く。
 犬の吐息か、わたしの血か、判別するだけの余裕は無い。

 頭に浮かんだのは、ひとつの否定しようがない考えだった。

 このままでは、じわじわと体力を奪われる。
 行き着く先は、死。

 遊ばれたまま、死ねるものか。

ξ; )ξ「ああぁぁあ!! うああああ!!」

 壁に突き立った物を死に物狂いで掴み、乱暴に揺さぶる。
 捻り、捩り、押して、引く。
 上下左右に力任せに、半ばぶら下がるようにして。

 めぎ、り。

 さらに進行する牙。
 右脚先の感覚が薄れてきた。
 疲労に加えての激痛で神経がどうにかなりそうだ。

 痛みに歯を食いしばれば食いしばるほど、両手にも力が篭った。
 そして、ついにその時が訪れる。

41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:45:27.15 ID:vMJ2LfJF0


 ばぎん、と日本刀の刀身が先端の方で折れ、自由を得た。


44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:49:31.37 ID:vMJ2LfJF0
 痺れるような手応えを覚えた瞬間、逆手に握ったカタナを振り下ろす。

 ずぶゅる。

 犬の首に刺し込んだ刃がぬるりと滑り、頚椎辺りに接触。

ξ; )ξ「ああああ!!」

 柄頭をもう片手で押し、そして。

 ご、きん。

 胴体と忌々しい頭を分断した。

 右脚を振るい、ぶら下がっていたものを落とす。

ξ; )ξ「ハァッ! ハァッ! ハッ! ハッ! ハッ! ハッ!」

 まだ終わりではない。
 寸暇すら程遠い。
 一匹や二匹殺したところで。

 犬が二匹、わたしの前にいる。

45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:50:13.52 ID:vMJ2LfJF0
 両手で日本刀を握り締め、無様に折れた先端を向ける。

 ……襲い掛かってこない。
 仲間の断末魔を聴いたのか。
 楽観視すれば、わたしに恐怖を抱いて戸惑っているようにも思える。

 ならば好都合だ、と今のうちに状況を確かめる。

 右脚に力を入れてみる。
 骨は折れていないようだ。
 筋肉に裂傷は負っているが、歩けないほどではない。

 電車のドアは開いている。
 階段はわたしの後方にある。
 どちらに逃げるのが得策だ。

 考えろ。

 未知なる闇に踏み出すか、来た道を引き返すか。

ξ; )ξ「ハァ――。ハァ――」

 リスクを天秤にかけて、わたしがとった道は後者だった。

46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:50:53.89 ID:vMJ2LfJF0
 じりじりとしか移動できず、過剰なストレスが付きまとう。
 脚は思うように動かず、暗い場所に何がいるかも分からない状況だ。
 重たい刃物を辛うじて目に付く犬達に向ける労力も、決して小さくはない。

 犬は、まだ迷っているようだった。
 できることなら見失っていて欲しい。
 本当に、小さな希望でしかないけれど。

 二匹のうち、片方が頭を二つに裂いた。

「バウバウバウッ!!」

 犬がこちらへと走るべく一瞬身を低くしたのを認めるや、わたしは残りの距離を走りぬけることを決意した。

ξ )ξ「ッアアアァ!」

 一気にかけた体重に耐えかねて、ふくらはぎ辺りの肉が血を吹く。
 デニムの中に熱い物が染み渡ることがそれを示していた。

 どくん。

 もう少し。

 どくん。

 あと、ちょっと。

――あはぁ。

 え?

48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:54:45.69 ID:vMJ2LfJF0
 最後の一歩で電車に転がり込む瞬間、わたしは発見してしまう。

 それは電車を降りて始め、わたしが向かった自販機の奥にいた。

 出来の悪い人間のような、成長しすぎた新人種のような。

 四本の脚に沿った身体、長短そろった二対の腕。

 腐った果実のような頭に下卑た笑みを浮かべた顔は皺が寄っている。

 嬉しそうな、こもった歓声を上げたそれは、わたしを呼ぶ。

 首元で感じる心拍音と吼え声の中で、何故かはっきりと聴こえた。

 わたしを、別の名で呼ぶその声が。

「じゃっきー」

 ゴードン氏が、犬を握りつぶしながら佇んでいた。

50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:55:27.08 ID:vMJ2LfJF0
 車内座席横に備えられたバーを掴み遠心力で体勢を整える。

ξ; 听)ξ「くうううぅぅぅっ!!」

 踏ん張る足が悲鳴を上げる。
 だが、それよりも。

「あっはぁあああああ!!」

 大きな影が構内に点在する灯りを横切る。
 小さなものが車内に乗り込むのが分かる。

 こちらに乗り込んだのは失敗だったか……!?

 考えているよりも事態は好転していなかった。
 わたしだけが変調に巻き込まれて地下鉄に移動したものと考えていたのだ。

 まったくの別世界、そう、「裏」の世界であるここは、わたしに都合よく働くわけではないのに。
 なんという勘違いだ。

「ガウ! ギャウゥウゥ!」

ξ; 听)ξ「ッ!」

 真っ直ぐに飛びついてくる犬に、咄嗟に日本刀を突き出す。

52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 01:59:09.25 ID:vMJ2LfJF0
 ぐっ、びゅごるん。

 開かれた寄生虫のような頭部に刺し込まれた刃が、咽頭を乱暴に撫でて進む手ごたえ。
 犬が飛んだ勢いとわたしの腕力で、日本刀は一撃の下に怪物を絶命させた。

 若干遅れて両腕にかかる、怪物の体重。
 上半身ごと重力に引っ張られ傾いてしまう。

 ゴードン氏の速度は変わらないのに。

「うふふふ、あはははは、あはぁ、えふうっ」

 わたしが入り込んだ車両、それも同じドアから彼は侵入を試みるつもりなのか。
 いくつもの出入り口を無視し、恐るべき移動速度を貫いている。
 点滅した電灯が本当に瞬く間だけ、そのたるんだ口元を照らした。

 にたり、と歪んだ唇を。

ξ; )ξ「――ッ」

 ゴードン氏に殺されていた犬の怪物が宙を舞う。
 投げ飛ばされたのだ。
 それは凄まじい勢いで――

 ガッシャァアン。

53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:00:09.04 ID:vMJ2LfJF0
 ひしゃげた怪物が窓を突き破って、車内へ。
 たまらずガラスの雨から顔を背け、頭をかばう。
 背中にいくつもの大きな破片が当たる。

「うひっうふひ、ぬふぁあは」

 砕け散る甲高い音にも混じる声。

 はっ、と日本刀を手放してしまったことに気付いた。
 即座に暗い足元を探し始める。

「じゃっきー、じゃっきー、じゃあぁっきぃいぃい」

 もうすぐそこにいるのが分かる。

 これだ。
 この手触り、犬の死体だ。
 口から早く武器を抜き取るんだ。

 ぶよぶよした皮、こっちは尻尾。
 頭を探せ。
 割れた頭を……。

 え?

 何も、ない?

54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:00:49.37 ID:vMJ2LfJF0
ξ; )ξ「違う!」

 これは投げられた方の死体だ!

「かぁあくれんぼうは、しなあぁあああいいいよおおおぅうううう」

 もう一体はどこだ!
 なんてことだ!
 たった数秒で見失うなんて!

「いぬがすきだったろおおぅう?」

 乱暴に掌を床に叩き付けてもうひとつの怪物を探す。
 見えない。
 でも、探し当てるしかない。

 ゴードン氏の接近を確認する余裕はない。
 偶然にも床の上でトゲのように立っていたガラス片が指を細かく傷つける。
 ばたばたと動かす手が、ひやりとして、熱い、切り傷の感触に包まれる。

ξ; )ξ「ッ! あった!」

 ついに、日本刀の柄が手の甲に触れた。
 よし、後はこれを抜くだけだ。

57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:04:00.77 ID:vMJ2LfJF0


「な に が あ ?」


 見上げた先には大きな影が立ちはだかっていて


 四本の腕の一本が、わたしに向かって素早く振り下ろされ


 それで


 わたしは。


58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:04:45.92 ID:vMJ2LfJF0
「ガウガウガウガウ!」

 吼え声だ。

 闇に隠れていたものの声か、さっきわたしが殺した二匹の近くにいたもののそれか、分からなかった。
 だが、その犬はわたしにとってある種の天恵だった。

「うああぁ、じゃあああまああだああぁあああ!!」

 暗闇で大きなシルエットに、小さなものが喰らい付いている。
 ゴードン氏の声で状況は掴めた。

 わたしは、わたしが出来うる最善を。

 つまり、日本刀の回収と――

ξ )ξ「ああああああ!!」

 ず、ぶ。

「ああああぁあぁいだあああいいいいいぃぃぃ!!」

 収めるべき場所への「挿入」だ。

ξ゚ ゚)ξ「ああッ!」

60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:08:00.57 ID:vMJ2LfJF0
 手応えは硬い。
 肋骨に阻まれたらしい。

 ほとんどを黒に塗りつぶされた車内で、眼を全開にして叫ぶ。

ξ゚ ゚)ξ「**!」

 叫びながら、刺す。

ξ゚ ゚)ξ「――ッ」

 息を吸いながら抜く。

ξ゚ ゚)ξ「**ッ!!」

 また、刺す。

「うぎゃああああいたああああいいいあああああ!!」

 振り回された腕が、わたしの肩を殴った。
 驚くべき力強さで身体が浮く。
 しかし、狙いの定まっていない攻撃では気絶しなかった。

 距離が離れはしたが、日本刀を手放すことはなかった。
 影はまだ犬とも格闘中に見えた。
 ここぞとばかりに、わたしは刃を突き立てに駆け寄る。

 圧縮空気の吐き出される音。

61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:08:40.86 ID:vMJ2LfJF0
 ごごごん。

 ドアだ。
 ドアが閉まろうとしている。
 いや、「閉まろうとした」。

「ぐっ、ああああわあああ! ぎゃああうあっうああああっ!」

 ゴードン氏が電車のドアにその不恰好に斜めを向いた身体を挟まれたらしい。

 絶好機。

 わたしはすかさず日本刀を大上段に構える。
 この武器は重さもある。
 きっと、体重を乗せれば致命的な一撃を与えることができる。

ξ゚ ゚)ξ「**ぇぇぇ!!」

 ぶうん。

 踏み込んだ脚が痛みに呻くイメージと、首を切断して落とすイメージ。
 二つが脳内で混ざり合い、わたしは何を感じたのだろう。
 どうしてだ。

62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:09:21.27 ID:vMJ2LfJF0


 何故、


ξ゚∀゚)ξ「死ねええええええぇぇぇ」


 笑う。


63 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:10:05.51 ID:vMJ2LfJF0

 ――勝利を確信した。

 当面の危機を回避したと思った。

 なのに。

66 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:12:43.42 ID:vMJ2LfJF0
 なのに、わたしは、今。

「はああっ! はあぁっ! こいつ! こいつううううう!!」

ξ )ξ「ガッハッ!」

 わたしは、今、地面を這いつくばっている。

 背中を殴られたらしい。
 息が詰まる。
 わたしはなんとか日本刀の柄を握り締め、隣の車両へと逃げていく。

「みえてるぞ! そこらにいるのはわかってるんだぞおおお!!」

 見なくても、怒り狂ったゴードン氏が無茶苦茶に腕を振り回しているのが分かる。
 窓から差す光は微弱で、言うほど見えていないことくらい知っている。
 だが、危険だ。

 過失は、三つあった。
 わたしに対して不利な条件が重なり合った。
 たった一瞬のうちに立場は入れ替わった。

67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:13:34.45 ID:vMJ2LfJF0
 その電車はドアが閉まると同時に動き出した。
 ゴードン氏が間に挟まっているにも関わらずだ。
 半開きのドアのまま、電車は動き出した。

 日本刀は、わたしが折り取ったせいで短くなっていた。
 元の正確な長さなど知る由もない。
 だが、間違いなく5cmはあの壁に刃先を残してきた。

 そして、何故だかは知らないが、上手く斬れなかった。
 斧のように、竹が綺麗に割れるような斬撃を想像していた。
 実際は、そんな風にはならなかった。

 電車の揺れで足元がふらついた。
 刃で首を狙ったつもりが、肩に入った。
 そして、それもほとんど腕に阻まれ斬れなかった。

ξ; )ξ「はぁ、はぁ、はぁ」

 無理やりドアをこじ開けて侵入したゴードン氏の動きは迅速だった。
 わたしの首を絞める手が日本刀で傷ついていなければ、抜け出すことはできなかっただろう。

 ようやく辿り着いた車両間のスライドドアを、力一杯使って横に。

「そっちだなああぁあああああ!!」

68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:14:14.81 ID:vMJ2LfJF0
 隣の車両に転がり込み、足でドアを閉める。
 隙間からゴードン氏の、いや、ゴードンの影を少しだけ認めた。

 ……ゴードンがここを通るのはかなり苦労するだろう。
 多少でも時間稼ぎができればいい。

 逃げるため?

 いや、違う。
 わたしはまだ、生きるのを諦めてはいない。

 立ち向かうための道具が、これだけでは足りない。
 条件がわたしにとって不利すぎる。
 逃げ場の無い一本道であんな怪物と渡り合うための何か、要素が。

ξ; )ξ「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

ξ; ∀ )ξ「ふっ、くふっ……」

 わたしは、また笑っている。

 恐怖の極致でついにタガが外れたか。
 だが、おかしい。
 まだ頭では冷静に物事が判断できている。

70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:16:34.39 ID:vMJ2LfJF0
 どくん。

 胎動にも似た感触。

 どくん。

 身篭りこそしたが、経験などしたことないのに。

 どくん。

 別の心臓がもうひとつわたしの中にあるような。

 どくん。

 同調した拍動が生命の主張をする。

 どくん。

 意思があると錯覚させるほど強く。

 どくん。

 そういえば、わたしはこの「何か」と、サイレントヒルに来てからずっと一緒にいる気がする……。

71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:17:33.36 ID:vMJ2LfJF0
 三車両分移動した。
 背後でドアが破壊される音が聴こえたが、遠い世界のもののようだった。

 車内にはめぼしいものが落ちていない。
 ここにショットガンでもあれば。
 無いものねだりだが、わたしはもはや銃器の取得を「切望」している。

 足首が頼りなさげにがくがくする。
 何キロも走った後みたいだ。
 左手の日本刀を杖に突きそうになり、踏みとどまった。

 これ以上短くなってしまっては対抗手段がなくなる。

 さらに一車両通過する。

 座席に比較的新しい鞄を発見する。
 オフィスワーカー用の肩掛けタイプだ。
 中身は……。

 栄養ドリンク。
 万年筆、手帳などの筆記具。
 ヘッドホンに延長ケーブルつきのポータブルCDプレイヤー。

 後は書類などがまちまち。
 サイドポケットに、タバコ、ライター、携帯灰皿。
 タバコの箱を見て、銘柄がモララーのものと同じであることを思い出す。

 持って行ってやろう……。

72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:18:21.61 ID:vMJ2LfJF0
 わたしは賞味期限を確認して、栄養ドリンクを一本、すぐに空けた。
 温い薬品のような液体が喉にしつこく絡み、胃が少々拒むような反応を見せた。

ξ; -゚)ξ「っ、くう」

 吐き戻しそうな瞬間を乗り越えれば、水分が染みるのが分かった。
 無理をしてでも栄養を取らねばならない。
 思考力を保たなければ、死ぬ。

 電車の走行音に混じってゴードンの喚きが聴こえる。

「おまえが、おまえがわたしをおいていくからいけないんだああああ」

「わたしをっじゃくりぃぃぃいいんん!! おいていくからああああ!!」

「ひとっ、ひとりっ! ひとりはっ、いやだぁあ!」

「わたっ、うえっ、ひとりにするなよおおおおおぉぉぉ」

 確か、カルテには精神退行の見られる患者であると書かれていた。
 痴呆症の妻を殺害したと妄想している、とも。

「ころおおぉしてええぇやぁああるんだあぁああ! おまええええをおお! じゃあっきいぃいい!」

「どこだああぁああああ! ひいいぃいぃいいいいいいい! あああああああああああああ!」

 本当に妄想なのだろうか……。

74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:22:20.36 ID:vMJ2LfJF0
 わたしにはゴードンの思考を読むほどのゆとりが時間的にも体力的にも無い。
 叫びの中にどれだけ彼の想いがこもっているのか、汲むことができないのだ。
 どころか、彼はわたしを、わたしは彼を、互いに殺そうとしている。

 変えようの無い事実だ。

 ひとつ、確信がある。
 彼は、ゴードンは、わたしを手にかけるまでは止まらないということだ。

 つまり、裏を返せばわたしが彼から逃げ切るには……。

「わたしを、わたしをおいていかないでくれよおおぉぉ……わああああああ!! ぎゃあああああああああ!!」

 悪夢の一部を止めるためには、わたしはやらなければならない。
 死を作り出す、のだ。

ξ; ∀ )ξ「……くっ……ふふっ」

 そして、わたしはまた笑う。
 意思に反して。

 どくん。

 そして、拍動は強くなる。

 どくん。

 意思に反して。

 わたしは鞄を肩にかけ、よろよろと先を進む。

75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:23:00.91 ID:vMJ2LfJF0
 先頭車両のひとつ手前までやってきた。
 取り残された荷物がまたひとつある。
 今度はランニングなどにも使われる、若者向けのリュックサックだ。

 くだらないオカルト雑誌、スナック、ペットボトルの水。
 ヘアスプレー、小さな飛び出しナイフ、サングラス。

 ……モララーは無事だろうか。
 わたしは彼のためにも早く戻らなければならない。

 彼もわたしの手助けがなければ目的を達成できない。
 わたし達にとって生還は二の次だ。
 優先事項は別にある。

 分かっているからこそ、ここでわたしは負けられない。

ξ )ξ「……」

 負けられない、という考えがいかに甘いか、わたしは既に知っている。
 この空間で勝敗とは、生死をかけたものだ。

 十二分に、知っている。

76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:24:22.94 ID:vMJ2LfJF0
 しばしぼうっとした後、わたしは身を強張らせることになる。

 ガシャアァン。

 進行方向の左側の窓ガラスが砕けて車内に舞った。

ξ; )ξ「ッ!」

 車外のライトを遮るシルエットには、長い四本の腕を備えたもの。
 それが電車の上からぶら下がっていた。

「みぃいつけたあぁ!」

 ゴードンは地下鉄の屋根を伝ってこちらに来たのだ!

「うふふふふうううふふふふはあふふふはうはうはうあははははははは」

 いけない。
 早く駆け抜けなければ道をふさがれてしまう。
 まだ残された手段さえも取得できないしれない。

ξ; )ξ「そうだ」

78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:25:31.84 ID:vMJ2LfJF0
 わたしは飛び出しナイフを取り出し、車内を進む。
 ゴードンは電車と地下鉄の壁との狭い隙間を慎重に抜けてくる。
 たるんだ顔が重力に負けて逆さに肉を緩ませている。

 あわや、車内に侵入し直そうというところで、わたしはナイフを投げた。

 回転したナイフはゴードンの方に飛び、そして、

 とん。

ξ; )ξ「くそっ!」

 握り部分の方が当たって、車外に消えた。
 怯ませる材料にもなりはしなかった。

 ならば、と荷物の中身を頭の中で整理する。
 その間もゴードンはぬるぬると電車に入り込んでくる。
 四本の腕が通路を塞ごうと伸びてきているのは、嫌でも分かった。

 どくん。

 雑誌、スナック菓子、ボトル。

 どくん。

「うへええはああは」

79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:26:12.38 ID:vMJ2LfJF0
 どくん。

 タバコ、ライター、スプレー。

 どくん。

 これだ。

「もうにぃいいげないんだあなあああ、いいぃこだあぁ」

 ゆっくりと侵入してくる様子は、わざとなのだろうか。

ξ )ξ「わたしは」

 わたしは対象的に素早く日本刀を座席に置き、三つの道具を選ぶ。

ξ゚ ゚)ξ「逃げないわよ」

 まず、雑誌を引き裂く。

「ふふふうふうううううふふふ」

 どくん。

 わたしの中で何かがのた打ち回る。

80 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:28:19.06 ID:vMJ2LfJF0
ξ゚ ゚)ξ

 なんとか半分に千切れた紙束を、ゴードンに投げつけた。
 吹き込む風が、上手くそれらをゴードンにまとわり付かせる。

 どくん。

 右にライターを。
 左にスプレー缶を。

 どくん。

ξ゚ ゚)ξ

 じゃり、と着火剤が擦れあう。
 火が起こるところに、スプレーを吹きかける。

 どくん。

「ひぃっ!?」

 車内に火炎の明るさが広がった。

83 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:28:59.62 ID:vMJ2LfJF0
ξ゚ ゚)ξ

 身体の七割を電車に戻していたゴードンの驚愕した顔面に吹き付ける炎。
 両腕で防御される。

「うわあああああぁぁああ!! ひいいぃいぃいいいい!!」

 なら、こっちだ。
 足元に散らばった雑誌のページに向けてスプレー、いや、火炎放射。

 どくん。

ξ゚∀゚)ξ

 着火した紙切れが、ゴードンが足を下ろそうとしていた床を覆う。
 どうだ、これで降りられないだろう?

「ああっ! くそ、くそ、く、あぎゃああぁ!」

 窓から乗り込もうとしていたのだ。
 バランスを取るには腕が必要だ。

ξ゚∀゚)ξ「くふふふ」

 だから、火の無いところに突いた腕を焼いてやる。

85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:31:28.39 ID:vMJ2LfJF0
 火達磨になれ。
 焼けてしまえ。

ξ゚∀゚)ξ「うふふふ……あはは」

「ぎゃああああああああ!!」

 どくん。

 みっともなく叫ぶ怪物は、身体を半分車外に出して逃げようとする。
 急いで火から離れる蜘蛛のような怪物。
 もちろん、簡単に逃がしてやるつもりはない。

 ペットボトルに、水は半分以上入っていた。
 身体の表面を濡らすには十分だろう。
 もとより、わたしの衣服は血錆びに塗れてしまっているのだから。

 どくん。

 スプレー缶を手放して、ボトルを取り上げる。
 絶叫を聞きながら頭から水を被る。
 これで多少の防火作用があるはずだ。

ξ゚∀゚)ξ「は は は は は は は は」

86 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:32:12.26 ID:vMJ2LfJF0
 手にした日本刀が赤々と光を返す。
 黒煙を噴く炎が点々と車内にはある。
 それに照らされる、灰色の皮膚をあぶられた怪物の姿。

 車外の壁にぶつかり、身体を痛めつけては慎重に、しかしなるべく早く逃げようとしている。
 ひいひいと泣き喚きながら這い出るゴードンに、わたしは今度こそとどめをさすべく歩む。

 麻酔がかかったかのように、わたし自身の傷は痛まなかった。
 肌から数センチのところまで、神経が麻痺しているみたいに。
 カタナの重みが数倍にも感じられる。

 疲れた。
 笑える。

 辛い。
 幸せ。

 何故、満ち足りた気分なのだろう。

 ゴードンの身体が外に出切る前に、わたしは日本刀を腰だめに構えて突進する。

ξ゚∀゚)ξ「あ は は は は は は は」

 耳がじん、として電車の走行音すら聴こえない。
 嬌声だけだ。
 わたしの。

 目指すはゴードンの、あばらが浮いた胸。

90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:34:35.89 ID:vMJ2LfJF0
 ずっ。

 ずゅ。

 押し込んだ先には壁がある。

 ず、ずるるりゅるゆ。

 摩り下ろされるゴードンの身体。

「あぎゃぎゃがががぎあああぁああ! やめっ! やめで、やめえぇでぐれ!!」

 柄に伝わる振動。

 暴れる怪物の腕が空をかく。

 ぎりぎりぎりぎり。

91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:35:20.52 ID:vMJ2LfJF0
 座席に足をかけ、さらに深く。

 ゴードンが、電車から離れた。

 辛うじて窓枠に掴んでいる。

 わたしはそれを蹴りつける。

 割れ損ないのガラスがゴードンの指を傷つけていた。

 上から踏みつける。

 ゴードンの指が落ちた。

 切れたのだ。

 一本の腕が離れ、他の三本がさらに強く窓を掴む。

 身体が車外に落ちていく。

 日本刀を持っていかれてはかなわない。

 刀身をぬるぅりと引き抜く。

92 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:36:00.91 ID:vMJ2LfJF0
 すぐに次の手を狙う。

 もはやゴードンは電車にぶら下がり、長い下半身を地面に擦っていた。

「やめてくれじゃっきぃい!! じゃあっきいいいいい!!」

 いい加減にしろ。

 もういい。

 構うつもりはないんだ。

 邪魔をするな。

「おれは、わたし、愛してっぎゃあああ!!」

「ジャクリーン!! 助けてくれええええ!!」

 落ちろ。

 そんな言葉なんて聴きたくない。

93 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:37:50.04 ID:vMJ2LfJF0


 炎以外の光が全て消え去る。


 いつもの変調だ。


 真っ暗な中に、赤が点在する。


 めりめり、と。


 暗闇が晴れる頃、わたしは、ローラーコースターの上にいた。


94 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:39:05.60 ID:vMJ2LfJF0
ξ゚ ゚)ξ「!」

 わたしが足をかけていた柔らかい座席は、硬いソレになっている。
 乗車スペースに止まったコースターから離れた位置に、ゴードン。
 赤錆が這うコンクリートの上に灰色の怪物がうずくまっていた。

「ひぃ……うっうううう……ひぃいぃい」

 距離にして、5m。
 考えるよりも先に身体が動く。

 すぐさま、馬乗りになる。
 両手で握った日本刀の柄頭で、ゴードンの頭を、

ξ゚ ゚)ξ「ふっ」

 がっ。

 がっ。

 がっ。

 がっ。

98 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:44:08.92 ID:vMJ2LfJF0
「やめ」

 ベギリ。

「やべってくれ」

 ごき。

「たすけ」

 がっ。

 ぐべちゅ。

 ぶちゃっ、ぐちゃっ、ぬち。

 原型を留めなくなったところで、ぐずぐずになった下半身が暴れだす。

「やあああめえててえええくれええああああああ!!」

 ブリッジの要領で身体が跳ね、わたしは弾き飛ばされてしまう。
 そして、転がる最中に電子音。

 ピリリリリリリリ。

 音の発生源に気を取られている間に、ゴードンが動く部分を総動員して這いずり、逃げていく。
 そちらには、ローラーコースター。
 ああ、そうかこの音は。

99 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:45:47.68 ID:vMJ2LfJF0
 浮かぶ考えは、ひとつだった。

 「逃がさない」

 途端、わたしから何かが吐き出される。
 感覚としてはそれが一番近かった。
 ぬるり、わたしの皮膚全体から黒の「もや」が浮き始める。

 蒸気のようで、それでいて粘度の高い大気。
 肌を覆う「もや」がわたしの身体の自由を奪う。

 確信があった。
 この「もや」はわたしの想いを実現するのだ。

 ゴードンがローラーコースターにしがみつく。

「ひいいいいぃいい……」

 安全レバーが下りて、ゴードンの長い手足がそれに巻きついた。
 発車準備が整ったようだ。

 だが、さらに、その上をわたしの身体から発せられた黒煙が縛る。

 ぐえっ、だか、げぼっ、だかの短く苦しげな吐息。
 それを合図にコースターが発車した。

100 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:46:51.25 ID:vMJ2LfJF0

  あああああ ああぁあああ
               ぎゃああ
                         あああ
 ああああ


    死を想わせる絶叫が線路を走る。
    縦横無尽に断末魔が駆け巡る。


     ごぶ               ぶええ

                あぐぁ
    たす、け                 や め

102 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:48:25.75 ID:vMJ2LfJF0
 コースを一周して戻ってきたゴードンの身体はぐにゃぐにゃに折れていた。
 コースターの座席が作る凹凸に沿って、大きな体躯が変形していた。
 骨という骨は砕け、皮膚という皮膚は圧迫で裂けていた。

 わたしは、動けない。

 黒い「もや」が緊縛を解く。
 降り立つ先は、コースターを挟んで向かい側。
 収束する気体が輪郭を作っていく。

 わたしは、動けない。

 形成された曖昧な人型が女性像へ。
 血色の悪い肌に、金髪、デニム、シャツ。
 どれもが血錆びに塗れている。

 理解した。

 これは、「わたし」だ。
 「わたし」がわたしから分離した。

 笑っている。
 「わたし」が、向き合って、笑っている。

ξ゚ ゚)ξ「『わたし』……」

ξ゚∀゚)ξ『わたし』

104 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:51:17.36 ID:vMJ2LfJF0
 それ以上の言葉は交わさなかった。
 「わたし」がコースターの出口に向かう。

 柵を透過して歩き続ける「わたし」を追う。
 瞬きをする間に、あちらは何mも進んでいった。

 階段を下っているときも、脚の痛みに気をとられた隙に、「わたし」は地面まで降り立っていた。
 そして、振り返り小さく手招き。

 アトラクションから離れると、真っ直ぐ行った先に赤茶けたライトを見付ける。
 その下に、「わたし」が立っていた。

 金網の床を鳴らしながら、わたしは行く。
 左右に広がる闇に踏み出すことはしない。

 これ以外の道は用意されていないだろうことが分かっている。
 何を置いても、従うしかないことを肌で感じる。

 従う、か。
 わたしの選択じゃないみたいだ。

106 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:53:20.34 ID:vMJ2LfJF0
 それはメリーゴーラウンドだった。
 金銀、赤や白の装飾全てが煤け、ぼけている。

 わたしが門をくぐり、ステージに上るとアトラクションが作動した。
 揺れでバランスを崩し、馬のオブジェに手を突く。

 ……生暖かく、脈動している。

 「わたし」はわたしの様子を離れて伺っていた。
 わたしは、「わたし」を見つめていた。

 回転が次第に速くなる。
 いや、周囲の風景だけが加速して回っていく。

 ごりごり、と何かを削るような音がする。

 二人とも動かないままに、景色だけがめまぐるしく変わっていく。
 高速で回っていたアトラクションの外装が、上へと登っていく。
 いや、メリーゴーラウンドの方が地中に潜り始めたのか。

 世界が移動しているのか、わたし達がそうなのか。

 区別はつかない。

107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:54:00.90 ID:vMJ2LfJF0
ξ゚∀゚)ξ『わたし』

 両手が空いていたはずの「わたし」の手に、鉄パイプが握られていた。
 対して、わたしの方には先の折れた血まみれの日本刀。

ξ゚ ゚)ξ「わたし」

 少し離れているところに、姿かたちの同じ人間がいる。
 もしくは、怪物。
 狂気を孕んだ危険な笑みをたたえている。

 わたしの中で育った悲哀の感情。
 誰かの怒りが纏め上げた、わたしの怒り。
 暗黒の殺意に、血糊の赤を練り込んだ、異形。

ξ゚ ゚)ξ「……」

 わたしはこれも倒さなければならない。

ξ゚∀゚)ξ『死ななきゃ』

 いや、わたしは殺さなければならない。

109 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/09/22(火) 02:55:44.10 ID:vMJ2LfJF0

 『わたしは死ななきゃいけない』


 彼女の言う「わたし」とは、どちらなのだろう。


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